その作品に出会ったとき、ぼくは大学生で、まさかそれから25年後に、その作品を書いた方とお目にかかることになるとは、それも、作家と編集者としてではなく、演奏者と客としてお会いすることになるとは、思ってもみませんでした。
『文藝』に掲載された文藝賞受賞作は、ぼくより上の世代の方ならすぐにぴんとくる、ベンチャーズサウンドを字面で表したものがタイトルに使われています。文芸誌掲載の作品らしからぬというか、なんというか。まずはそのタイトルに目を引かれました。内容紹介を見ると、高校生がロックバンドを始める話だとあります。ぼくよりも少し上の世代の話ではあるけれど、自身、つい数年前まで似たようなことをしていた高校生で、大学生になってからもアマチュアバンド活動に精を出していた身としては、ロックバンドを結成した高校生の話に興味が引かれないわけはありません。迷わず手にし、一読、ノックアウトされたのでした。1990年のことでした。
以来、長く愛読してきた、ぼくにとっては特別なその作品は『青春デンデケデケデケ』。作者は芦原すなおさん。この作品は、翌年には直木賞を受賞、さらに翌年には映画化もされました。
という話は、どこに書いたわけでもないし、あまり人に話したこともありませんでした。(作品に出会った直後は、周りの友人や本好き・音楽好きにすすめまくっていたんですが、そのうちに直木賞や映画化でブレイクしてしまったので、ぼくが大騒ぎするまでもなくなってしまいましたし、大騒ぎしようにも、今と違って、一大学生の身には、不特定多数の人に作品の魅力をアピールする媒体も術もなかったのでした。)。
先日、ある本のお仕事でご一緒している東京創元社の戸川安宣さんから連絡がありました。芦原すなおさんが、八王子の店でライヴをやっているので一緒に見に行きませんか、というお誘いでした。戸川さんとは、この数年親しくさせていただいていますが、『青春デンデケデケデケ』の話をしたことは一度もありません。ぼくが同作品の愛読者だと知って誘ってくださったわけではない、ということです。ぼくがこの話に飛びついたのは言うまでもありません。
で、先日、戸川さんと戸川さんのご子息、そしてぼくの3人で、東京・八王子、駅でいうと京王線の北野駅から徒歩数分のところにある「あけぼの文庫」に行ってきましたよ。
もとバーかスナックかだったのを、改装したお店とのことで、大きさは、西荻窪のブックカフェ、beco cafeをひと回り大きくしたぐらい。カウンターやテーブル席があるところはふつうのバーと変わりませんが、店内の一角にアンプが積み上げられ、ミキサー、マイク、モニタースピーカーが用意された、ステージというほどステージ然とした作りではないのですが、とにかく、演奏場所が用意されていて、少人数の編成ならば演奏ができるようになっているのが、ふつうの飲み屋さんと違うところ。
芦原すなおさんは、この店で、(ほぼ)毎週金曜日の夜、地元の音楽仲間のみなさんでしょうか、と一緒にライヴをしているそうです。芦原すなおさんは、ギターとボーカル。ふだんはリズムギターの方と2人で、ときどきベースとキーボードの方が加わって4人で演奏することもあるとのこと。ぼくが観にいったときは、4人バンド編成でした。(ドラムはなし。)
レパートリーは、ビートルズにベンチャーズにカーペンターズにロイ・オービソンにと、まさに『青春デンデケデケデケ』の世界。ぼくよりも少し上の世代(お年でいうと、芦原すなおさんはぼくよりも20年上です)の方が青春時代にリアルタイムで聴いたであろうポップスが中心でした。
↑演奏中の芦原さん。(撮影とブログへのアップの許可をいただいています。)
今回の件ですが、芦原さんとお付き合いの長い戸川さんご自身が芦原さんの演奏を聴きたかったというのがもちろんあるのですが、わざわざぼくを誘ってくれたのは、理由がありまして。芦原さんのバンドは上に書いた通りドラムレス。一方ぼくは、ふだんはギター弾きなんですが、ときどきドラムのまねごとをしたりして、自分の企画イベントで披露したこともあるもので、それをご覧になっていた戸川さんが、これはお互いに引き合わせたらちょうどいいのではないか、ジョイントライヴができるのではないか、そんなふうに思われたからだそうです。
実際には、芦原さんには専属のドラマーこそいないかもしれませんが、いつも一緒に音楽を一緒に楽しんでいる地元の音楽仲間がたくさんいらっしゃるようでしたし(店内のお客さんも、我々以外はみなお仲間のようでした)、一緒にバンドやライヴを楽しむには、ちょっと地理的にも世代的にも離れてるかなあ、という感じでしたので、難しいかもしれませんが(自分の技術には何も問題ないかのように書いてますが、最大の問題はそれでしょう)、でも、こうして、大好きな作品の作家とお会いできたわけですから、下手くそなドラムを披露したのも無意味ではなかったわけですね(笑)。ほんと、何がどこでいきるか、わからないものです。
当日は、複数ステージのライヴで、芦原さんは、ご自分のバンドのほかに客演もしていたため、バンド間のわずかな時間しかおしゃべりはできませんでした。芦原さんは本当に気さくな方で、突然現れたへんてこな名前の者にもふつうに相手をしてくださったり、地元、観音寺のおみやげのお菓子をふるまってくれたりしました。聴いてきた音楽のこと、バンドのこと、使っているギターや機材のことなどなど、もっと音楽談義もしてみたかったなあ、などとも思いましたが、まあ、それは望み過ぎというものでしょう。
長年の愛読者がこの機会を逃す手はないということで、『青春デンデケデケデケ』の文庫2種、河出文庫版と「私家版」の角川文庫版の2冊にサインをいただこうと持参していったのですが(ちなみに、ほんとは大事にとってある掲載誌の『文藝』を持っていきたかったのですが、肝心なときに見つからず(泣))、サインをお願いできぬままに時間切れ。
そのまま帰ろうとしたら、せっかくだからと戸川さんが、お店の方に本を託してくださいました(芦原さんが別のバンドの演奏中に時間切れになってしまったので、直接お話できなかったのでした)。そうしたら、芦原さんご本人が、後日、サインを入れてくださった本を、わざわざ送ってきてくださいました。いくら戸川さんの口利きがあったとは、まったく、初対面の直木賞作家に何をさせてるんだ!と、あまりの図々しさに猛省しております。芦原さん、ほんとうにありがとうございました。また、ご面倒おかけし、申し訳ありませんでした……。
↑そのようにしてゲットした芦原すなおさんのサイン。今では、どの書店にいっても、新刊平台にはたいていサイン本が混じっている、などといっていいぐらい、サイン本はめずらしいものではなくなってしまった感がありますが、それでも、こうして自分の大好きな本にサインをいただくと特別感が半端ではなく、やっぱり感激ですね。
……すみません、単に、「自分の大好きな本の作家にお会いしてしてサインをもらってしまった」という、それだけの話でした。
というわけで、芦原すなおさんの愛読者の方は、一度、ライヴをチェックしてみてはいかがでしょうか。
追記:後日、サイン本のお礼をと思い、手紙に『本屋図鑑』を添えてお送りしたところ、芦原すなおさんから感想のお手紙をくださいました。さらに、別の御本のサイン本までいただいてしまいました。それにしても。愛読してきた作品を書いた作家に、自分の書いた文章を読んでもらうって、よくよく考えたら、すごいことですよね。東京創元社の戸川さんの紹介があって実現したことで、自分では何をしたわけではまったくないのですが、長く本好きをやっていると、本の世界に関わっていると、こんなこともあるのだなあと、そんなことを思った次第です。