はてなキーワード: 脳裏とは
まず、タイトルの内容について訂正がある。
「ともだち」ではなく「悪しからず思っていたが友人を名乗るにはいまいち交流が足りない他人」、「全ア」ではなく「初めての彼氏に浮かれてTPOをわきまえず痛いイチャつき方をしてしまう女オタク」である。あの子は私に何か思うところがあるわけでもないし、エッセイ漫画を描いているわけでもない。「ともだち」の痛々しさを記している増田ではなく、自身の見苦しさを書いた日記であることを事前にばらしておく。
スペックをうpという心づもりで、私とあの子とあの子の彼氏について。
まず、私と彼らは勉学真っ盛りといった様子の冬の高校3年生だ。私についての説明は以下に書くことで伝わると思ったので省略する。
あの子は美術部の同期だ。とても可愛い子だと思っていたが、彼氏ができてからは私の見る目が変わってしまい、魚のような口もエラの張った輪郭も垢抜けない制服のアレンジもどうにも受け付けない。ただ、絵が年齢に見合わないほど上手で、声が愛くるしいことだけは認めるしかなかった。
あの子の彼氏は、この先一生磨かれないであろう原石とでもいうような顔つきで、清潔感は感じないが不細工と切り捨てるにも難しい容姿だった。それよりも中身が気色悪い男で、学タブで前のめりになりながらアイド◯マスターの曲を聞き、鼻息荒く女の肋骨で大根をすりおろすゲームに勤しむ、常識の欠落したポルノ中毒(こいつの上着のポケットからは際どいBLの文庫本が出てくる)のオタク男だった。そんなオタク女とオタク男が付き合った。まぁ納得である。
もちろん私に友人らしい友人はいない。私は女版チー牛というか、ほんの少し言葉を交わした全ての人に恋lv.1みたいな感情を抱いてしまうので、あの子に彼氏ができたと気づいた時はショックだった。唯一の友達候補を嫌いな男に取られたことも、当たり前だが私になんの報告もなかったということも私の心に影を落とした。ただ、これはBSSの一言で片付くような苦悩ではなかった。
一ヶ月前、あの子と彼氏の距離感が急に縮まった。一線を超えでもしたんだろう。あの子が廊下で男と話しているだけでも頭を掻きむしって逃げたくなるというのに、同じ教室で休み時間のたびにバックハグだとか見つめ合って指を絡ませるだとかのハレンチな行為をされてはたまったものではない。あまりに恥ずかしげもなく毎日のように学校デートをするさまは、もちろんのことクラスで浮き、大っぴらに悪口を言うものはいないが誰しも彼らから目を逸らすようになった。元から誰と付き合っているわけでもないのに、1年間半保健室登校をやっていたというだけで誰しもから目を逸らされている私はいっそう苦しくなった。クラスメイトにカテゴライズさせると、私は彼らと同じ枠なのである。たまったものではない。
彼らのイチャつきが激化してしばらくした頃、くじ引き式の席替えがあった。ご想像のとおり彼らは隣同士の席を手に入れ、私はそのすぐ後ろに配置された。今日も男があの子の腹を揉んだ手からプリントを受け取っている。男があの子を膝に乗せているのを目に入れたくなくてうつ伏せで寝たふりを決め込んだところで、摂取しなくては摂取しなくてはと宣いあの子の頭皮の匂いを嗅ぐ男と、きゃあと笑うあの子の声は耳に入ってくる。ああっあっあっと絶頂するかのような声をあげて男が彼女のストールを嗅いでいる。同じひざ掛けにくるまって左右に揺れている。あの子の前歯が飛び出た口に手荒れした指で触れている。私が一体何をしたというのか。あまりにグロテスクだ。
絵に真摯に向き合いコンクールにも優勝する、誰より尊敬していて友達になりたかったあの子が、品性下劣な男に巻き込まれて鼻つまみ物にされるのが耐えられないといえば一見まともらしい。しかしそれ以上に嫌悪と嫉妬が勝り、行動に結びつかない物騒な単語が脳裏によぎることが増えた。保健室登校時代もこんな精神状態をしていた。確かに私の精神は参っていたが、前の席のバカップルが痛くて見苦しいので学校を休ませてくださいなどと言えるはずもなく、帰りのSHが終わったら真っ先にカバンを引っ掴んで早歩きで家に帰ることしかできない。
帰宅して空気の籠もった子供部屋に転がり込んだあとは、ハードな同人音声を求めて浪費を続けた。18歳になったばかりだが、私もポルノ中毒に違いなかった。
仕事でweb系のソフトウェアエンジニアをやっているが最近休日に休んだ気になれない。
有休を取っても残りの平日がより忙しくなるだけだから取る気にならない。
休日に遊ぼうとすると「この時間にコードを書いていれば」「数学をやっていれば」「英語をやれば」
というのが脳裏に浮かんで「じゃあ参考書とか読めば?」と思ってしまい、
でも参考書を読む元気が無いからぼーっとネットを眺めてしまう。
遊んでることや休んでいることに罪悪感を感じてしまう。
自分より遥か先にいる人達ですら最短距離で進んでいるわけでもないのに
お前はそんなことやってる場合か?という考えが常によぎってしまう。
「ゲームなんてやる暇あるならもっと技術に関わるようなことしろよ給料上がんねえぞ」と自分で自分に思ってしまい、
気がついたら趣味らしい趣味は漫画を読むぐらいで他に能動的にやりたいことがあまりなくなってしまった。
基礎疾患があることもあり、コロナ禍以降に仕事以外で人と会うことは今もほとんど減らしていて、
まともな治療法も無いのに明けたも何もないんだけどな、と思いながら
まるでキャリア形成には必須であるかのようになっているイベントを家からボーッと眺めている。
技術的なことは面白いし好きだが正直なところ人付き合いはしんどいし別に連帯したいわけでもないし注目を浴びたいわけでもない。
なんかまぁ出来がめちゃくちゃ良いプログラムを作ったところで会社にいるのはそんなに頭の良い人間ばかりじゃないんだからこの先腕前が上がるように頑張ってもそんなに意味ないんだよな、と思うと
先日、眠れない夜に昔のことがふと脳裏に浮かんだ。
学生の時分に、部活のOBであるらしい先輩の一人が、韓国帰りに土産として高麗人参味のガムを置いて行った。
フレーバーがフレーバーだったし、あまり食事には苦言を呈さない(がマナーには厳しい)顧問が渋い顏をする程度にはウケの悪い味で、なかなか誰も寄り付かない代物だった。中には「土の味がする」などと言う人が出る始末だった(その人は土を食べたことがあったのだろうか?)。
ところが自分はセルロース由来の甘味と高麗人参由来の苦味のバランスと風味が程よく感じられて、誰も持っていかないガムを好んで貰ってしばしば噛んでいた。それでもって「高麗人参ガムもってけ」などと言われてありがたく貰っていたら「高麗人参の男」という謎の二つ名が学内に流れてしまい、しばらく可笑しな話になったものだった。大方そのガムの味が美味いか不味いかについての話に終始したと記憶しているが。
そんな頃の同級生たちが同窓会を開くと聞いて、2つ返事で行くと返した。ただ、正直な所、あまり話すことがない。
自分は何が変わったかと言えば、当時の体重が除脂肪体重になった代わりに30%近い脂肪がついたことと、自分は土から生えてきたことにされて、入る墓がなくなったことくらいか。
酒の入る場で話すには重い話になるので、あまり聞かれたくはない。「覚えているか。おれは高麗人参の男だぞ、土から生えたに決まっている」などと言って笑い飛ばすのに使おうとも思ったが、少し話のネタがニッチすぎるし笑い飛ばせるほど面白くもないのでこの案は没。
そんなことを考えながら、某ウエハース目当てにローソンを巡った帰りに買ってきた伊良コーラの缶が目に入って、原材料に高麗人参が使われているのを思い出した。
ちなみに目当ての品は売り切れていた。
「他人の知ったこっちゃねえマニアックな知識を浴びせかける」みたいなのは
いわば指なしグローブやバンダナみたいな殆ど実在しないオタクの記号。そういうことじゃねえんだよ。
一つの話題について会話してるときに「こいつの脳裏に浮かんでるのは“まんが版”だな」と気づく。
たとえば歴史の話で新選組の話題だったとして、…こいつずっと「キャラ」としての美少年剣士の話してんなってガクッとくる瞬間がある。
現実の現在進行中の戦争の話してるのにひとりだけ戦略シミュレーションのノリで今後の展開まで既知のことのように得意げに語るとか。
ここで「いつ日常会話で新選組の話するんだよ!?w」とか得意げに突っ込むような幼稚さは知能と直結するんでオタク性とはまた別問題。
子宮筋腫で子宮内膜症で既に30代前半…といろいろあり最初から高度医療をすることにした。
保険適用になったタイミングで夫婦で検査。夫に問題なく私も一応排卵はしている状態。
採卵は左の卵巣からしか採れないから少なかったけど何とか3個胚盤胞になって移植手術の準備ができた。
自己注射も薬の副作用も採卵の激痛も耐えてスタートラインに立ててホッとしたのを覚えている。
1回目
移植して検査までの1週間の間に出血があり、ああ駄目だなと直感した。
検査結果は化学流産。一応妊娠自体は成立したけれどすぐに流産した状態みたいなことらしい。
まだ1回目だし心の余裕があった。
2回目
3か月空けて2回目の移植手術。1週間経っても出血がなく無事に妊娠成立。
病院で妊娠初期の方のためのパンフレットをもらい、しばらく経過を見たら分娩のための病院に転院ですと案内される。
出産場所を検討してくださいとか言われたり、本当に小さい小さい赤ちゃんの種をエコーで見せてもらう。
安定期に入るまでの流産率の高さもあるので、安心はできなかったけれど、
夫と2人の子供が今確かに生きようとしてくれていると思えてうれしかった。
しかしその一週間後、ちょうど心音検査に向かう途中突然大量の出血。
幸いスカートだったけれど下半身が血で染まった状態(コンビニで急遽下着などを買った)でエコーを見てもらうと
赤ちゃんらしきものは見えず、でもか細い心音は聞こえていると言われた。
念のため1週間安静にしてもう一度確認しましょうと言われ、ほぼ絶望的な状態なのに1週間ベッドで寝たきりになる。
その間必死にネットで、大量出血しても妊娠継続した人の記事を見つけては縋るような思いだった。
再検査の数日後吐くほどの腹痛と出血があり、おそらくそこで完全に流産して終わった。
夫の前で子供のように大泣きした。自分でも言葉にならないほどの悲しみだった。
3回目
また数か月間を空けて3回目の移植手術。
2回目の傷も癒えてないけれど病院からは胚盤胞の凍結更新の前に移植を薦められる。
この時も無事に妊娠。2回目より数値もよくエコーに写る赤ちゃんも大きかった。
その次の週の検査でもどんどん大きくなっていて、心音も確認できた。
ドクンドクンと元気になっている音、先生もかなり順調ですねと言っていた。
今度こそ、と思っていた。
しかしその次の週、赤ちゃんは前の週からまったく大きくなっていなかった。
心音も弱まっていてまた「切迫早産」と言われて安静処置になった。
ベッドの中で安静になりながら、もう駄目だ、いやもしかしたら…と考え続けて精神はめちゃくちゃだった。
気が遠くなる1週間を過ごして、やっぱり今回は残念ですが大きくなっていない、おそらくこのまま自然流産になるだろうと言われた。
亡くなった赤ちゃんになるはずだった命は、心音も聞こえていた命は、
また数週間後吐くほどの腹痛と出血と共に流れていった。
このころには泣きすぎて頭も心も疲弊しきっていて、何も手につかなかった。
あと少しで母子手帳をもらいに行けるはずだった。
すべてが手から滑り落ちて、自分の体内が赤ちゃんの墓場になったのだと思った。
不妊症は通常妊娠が成立しないことが多く、私のように3回妊娠したのに育たない場合、
通っていたクリニックからも不育症の転院を薦められたが、ここで完全に心が折れてしまった。
保険適用の移植手術は6回までなのでまだ3回チャンスはあるが、
もともとメンタルが弱くネガティブな私はもうがんばれなかった。
また1週間祈るようにベッドにいる時間が来るかもしれない、それでもダメかもしれない。
小さくて小さくてでもたくましいあの心音が、翌週には途絶えているかもしれない。
私の体に移植したことで、この命を殺してしまったのかもしれない。
それじゃなくても薬の副作用やつわりも出たり、体も疲れ切っていた。
それから2年経ったが、
大学病院で自分の婦人科の持病オンパレードの治療と向き合っている。
私は手に入れられなかったもの。
今でも苦しくてつらくて切なくて涙が出る。
2回目の移植の子も、3回目の移植の子も出産予定日はずっと忘れない。
会いたかったな。
理由を探しても見つからない、不妊治療はやれば必ず結果が出るわけではない。
今不妊治療をしている増田はどうか無理せず、でも良い結果になれますように。
私は今は子なし夫婦としてどうにか楽しく生きていけたらいいなと願いながら、
次の旅行の夢を夫と話している。
真面目に回答します。
男性の咽頭がんの原因はHPVも原因のひとつと言われています。
挿入がなくても陰毛同士の接触などでも移る時は移るので検査自体に意味はなくはないです。
あと検査により卵巣の異常などが発見されることもあるので最近は超音波検査と粘膜採取によるがん検診が別になってるのが通常なため、
全く痛くない医師もいます。女医の方が人気がありますが比較的乱暴で痛い人が多かったため、
敢えて男性医師を選んだりしていましたが、男性医師でも痛い人は痛いのでこれは運要素が強いです。
性行為は別にしなくてもいいですがその予定があるのならばその前に高額にはなりますがワクチンを打っておくと安心です。
検査で異常がみつかりHPVの検査で自分ががんになりやすいHPVを持っているかどうかの結果が出るまでは死が脳裏をよぎるほどです。
したくもない性行為で忘れた頃にがんになる可能性は頭の片隅においておいてください。
性行為の相手が風俗にも行ったことがない全くの初めての人でパートナーが自分一人のみの場合はその限りではありませんが、
もし自分がHPVに感染していてキャリアだった場合お互いに移しあうことになりリスクは下がりませんし、
いつもの街コンとは少し違うって聞いて、今回のにちょっと期待してたんだ。
なんでも会場内でのトークだけじゃなく、二人でお散歩できるオプションがあるらしい。
散歩とはいえ、制限時間はせいぜい三分程度で、会場の周りをちょっと歩くだけだけど一緒に並んで外の空気吸いながら話すなんて、これは新鮮だなと思ってたんだ。
いざイベントが始まって、気の合いそうな女性がいたんだよ。話してみたら意外と気さくで笑顔も素敵で、少しずつ心が躍ってきた。
で、「よかったらちょっと外に出てみませんか?」なんて勇気を出して誘ってみたら、彼女は快く頷いてくれた。ヒャッホウッ!!胸の中のアホウドリは既に高鳴りを抑えられず、「これはもしかして脈アリなんじゃないか?」と期待しちゃうじゃん?
二人で会場の外に出たら、ちょうど夜風が気持ち良くてさ。並んで歩くと距離が近く感じて、話もいつもより弾む気がした。
最近ハマってることってありますか?とか、趣味の話とか、あんまりガツガツしてもアレだから適度にリラックスしつつ会話を楽しんでいたんだ。
これは順調だなぁって内心ニヤつきかけてたわけ。
青信号。普通に渡ってたんだけど、信号が変わってすぐだったからなのか、向こうから車が曲がって突っ込んでくるのが見えた。
車は赤信号を無視して、ギリギリでブレーキかけずに突っ込んでこようとしてるじゃないか!
「危ない!」って思って、反射的に彼女の手を掴んで引き寄せたんだよ。
なんとか車が行ってしまって、無事だったのはいいんだけど、心臓はもうバクバク。バクバクしてるなかで「大丈夫ですか?」って彼女に声をかけたんだ。
普通なら「ありがとう」とか「びっくりした」みたいな反応が返ってくると思うだろ?でも違ってた。彼女は何とも言えない表情でただ俺を見つめてたんだよ。
まぁ…驚いたんだろうと思って、もう一度「本当に大丈夫ですか?」と聞いてみたんだ。
そしたらだよ、彼女は何をしたと思う?バッグから何か取り出したかと思うと、ファブリーズみたいな消臭剤?のスプレーを取り出して、無言で俺の握った方の手に向かってシュシュし始めたんだ。
え?いや?ん?は?って感じだろ。俺が彼女の手を掴んで危ないところ助けたわけで、普通、そこは「ありがとう」じゃないの?ってなるじゃん?それを消臭剤をかけるって、まるで俺が汚いものみたいじゃないか!
その瞬間、俺の脳裏には「ジョジョの奇妙な冒険」第1部、ディオがエリナに強引キスして、それをされたエリナが泥水で口をすすぐあのシーンが浮かび上がってきた。
今までは「あれはディオがひどいからエリナがそうするのもわかる」と思ってたけど、今の俺はディオの気持ちが痛いほどよく分かった。
「この、おんなぁ〜!」って叫びたくなる気持ちが溢れてきたよ。ディオならここで容赦なく平手打ちしてただろうが、俺にはそんな度胸も胆力もない。だからただ唖然と立ち尽くすばかりだった。
彼女は俺の驚いた顔なんて気にすることなく、一通りシュシュッとスプレーをかけ終わると、立ち上がって、ほんの一瞬だけ俺に無言で頭を下げた。
何事もなかったかのようにくるっと踵を返して会場の方へ戻って行った。まだ時間は残ってるのに、俺との距離を取ることが最優先だったんだろうな。
俺は惨めに会場の方へ歩きながら終始ディオのことを考えていた。
いつもディオの行為を見て、「やりすぎだろ」って思ってたのに、今なら痛いほど共感できる。
ディオがあほれどジョースター家に因縁をつけるようになったのは、結局はエリナのせいだったのではないか?
こんな気分はもう酒でも飲まないとやってられん。酒。酒。酒。帰りに居酒屋にでも寄ろうと歩き出したんだ。
結局、その夜は一人でやけ酒を煽りながら、俺の何がいけなかったんだろう?と酔った勢いでそこらの他人に尋ねたりしてみたものの皆が苦笑いで何も答えない。
悲しくなってきて俺は泣きそうになった。
泥水はないだろ、泥水は…
でもディオも、きっと同じだったと思うんだ。
「思ってた顔と違った」
コンビニでアルバイトをしていた高校生時代、考えが古風ですぐ子供産めって行ってくる、苦手なオーナーがいた
ある日出勤した直後に突然、マスクを外せと言われて
私は自分の顔が醜い自覚があるから、外すのが怖くて、すぐには外さなかった
でも、促してくるから渋々外した
「なんか…思ってた顔と違った」
と言った
その言葉を聞いた瞬間、ずーんと、心臓になにか負荷をかけられたような感覚に陥った
家に帰ってから顔がぐしゃぐしゃになるくらい泣いた
私がブスじゃなかったら、そんなこと言われなかったのに
どうしてブスに生まれちゃったのかな
どうして可愛く生まれなかったのかな
自分の容姿のことを考えないようにしていたのに、その事しか考えられなくなって
1年経った今も忘れられない
生まれつき顔がぶくぶくしていて、それがコンプレックスであると、自覚していた
それから輪郭が気になって仕方なくて、小顔ローラーや、小顔矯正や、小顔マッサージ、一通りやったが、全く小さくならなかったし、過度な小顔マッサージで口内を傷つけお粥しか食べられなくなった時期もあったため、両親にやりすぎだと叱られやめた
20歳になったらお肉が落ちてくるよって周りの言葉を信じていたけど、未だに顔はパンパンの70キロのデブのままだった
1年前にバイト代を必死に貯めて打ったボトックスも、あまり変化がなく効果が切れた
半年前、あの時は悪かった
姉に言われた
何も響かなかったし
今更謝られても、何も感じなくて
顔も見たくなかった
振袖の予約は全くしていないし、この顔で、生涯残る成人式の前撮りなんて撮りたくない
なんなら、20歳になる前に顔グッシャグシャにして、亡くなりたい
いや、甘かったのだ…自分の「書きたい!」という思いを純粋に突き進めば、いつかは評価されると思っていたあの頃の自分が。
そうだ、あれは確かに夢だった。愚かで、無残で、情けない夢だったのだ!
応募したのは、ある新人文学賞。何度も推敲し、目も耳も心も削って書き上げた原稿。あの瞬間、わたしの脳裏には鮮烈な光が走った。
「これこそがわたしの渾身の一作…これなら必ずや!」と。
だが、結果はどうだ!一次すら通過せぬ、無惨なる落選!
「一次選考落選」と書かれた通知を見つめるその時の、わたしの心の闇は深い海のように広がっていった。なぜだ、なぜ通らぬのだ!
書いた内容が薄かったか?言葉が重かったか?あの結末がだめだったのか…いや、それ以前に…わたしの筆には、そもそも読者の胸を打つ何かが欠けていたのか。
だがそれでも、どれだけの思いで書いたか、この苦しみ、わかるまい…!
こんなに苦しいのなら悲しいのなら…夢などいらぬ!!!
正直、かなり迷った。買うか買うまいか。スーパーの佃煮売り場に立ち寄ると、不意に「イナゴ」という文字が目に入る。イナゴ。もちろんその名前は知っている。食べられることも知っている。ぴょんぴょん飛び跳ねている姿を目の当たりにしたことはないけれど、小さなバッタのような容姿は、何度か写真で見たことがある。興味本位で恐る恐る目を凝らしてみる。緑色の体躯は影を潜め、味付けされて茶色くなってはいるものの、見た目はどこからどう見ても、あのイナゴのままである。確かに佃煮になっているようだ。いったいどんな味がするのだろう。このスーパーは、私の家からは少し離れた所にあって、滅多に来ることはないのだから、今買わなければ、次にいつチャンスが巡ってくるか分からない。値段は300円ほど。試しに買うにはちょっと高い気がする。私は実際臆病な人間だ。いちど売り場を離れて、また戻ってを繰り返しながら、カゴに入れる勇気はついに出なかった。私はイナゴに申し訳ないというよりも、自身の情けなさが身に沁みて仕方なかった。
それから数か月経った。以来忘れようとしてもイナゴは私の脳裏からどうしても離れてはくれなかった。いつかは、という野心に似た気概がいつも私を突き動かそうとした。が、さすがに家から離れたスーパーに、イナゴ目当てに足を伸ばすほど、時間が有り余っているわけでもない。と、書いてみて、ちょっとそれは違ったと思った。真実私はまさにイナゴを求めるためにそのスーパーを訪れたのだから。他人からすれば阿呆らしく感じられるかもしれないが、どんなに些細な物事であっても、自分の前に聳える壁にチャレンジするのは、それなりに意義のあることではあるまいか。私はイナゴという壁を乗り越えようと、決然あの佃煮売り場へ向かい、今度は一瞬も躊躇することなく、「イナゴ」と大きく書かれたパックをカゴの中へ入れたのである。
茶碗にご飯を盛る。箸を用意して食卓の前に腰を下ろす。パックの包装を静かにはがし、いよいよ相対する。じろりとこちらを見たような気がした。いただきます。茶色く固まったイナゴたちに丁寧に声をかけた私は、意を決し、一口目を口の中へ放り込んだ。うむ。食感は予想通り。エビフライの尻尾は食べないタイプではあるけれど、あの感触によく似ていると思う。味もエビを想起させるものだ。うん、うん、まずくはない。食べられる。イナゴだと知らずにいたら、毎日のご飯の友としてぴったりな食材を見つけたと意外な発見を喜んだかも知れない。しかしイナゴの気持になってみると、彼ら彼女らは、鳥やカエルに食べられることはあっても、まさか人間に佃煮にされるとは想像もしていなかったことだろう。いや、あるいは彼ら彼女らの先祖から、人間は私たちを佃煮にしてしまう悪魔だ、なんて代々伝承されてきたのだろうか。ありもしない妄想まで浮かんできてなかなか面白い。人間の世界に戻って、田園の中を飛び回るイナゴを貴重なタンパク源としていた人々の生活に思いを馳せてみる。また、食糧不足の問題を解決するよすがとして、昆虫食が注目されている昨今の世界にも、思いを寄せてみる。イナゴは古から未来へかけての人類の希望にほかならない。イナゴたちにとっては迷惑千万な話にちがいないが。分かり合える日は永久に来なくても、人間とイナゴは切っても切り離せない関係でありつづけるのだろう。
二口目、三口目と、だんだん抵抗がなくなった私は、イナゴを数匹次々に口へ放っていった。たまに足が舌に刺さってちょっと痛い。当たり前だろう。私はエビではなくてイナゴを食べているのだ。目の前の壁を乗り越えた満足に浸りながら、どうにも得意な気分を抑えることができなかった。今日のお昼はイナゴの佃煮。誰かに自慢したくなった。ごちそうさまでした。
2024年11月2日 syrup16g「遅死11.02」@日比谷野外音楽堂
天候的に新幹線が遅れるかもしれないと思って早目に乗ったは良いけど途中で止まってしまい新幹線の中に閉じ込められる等のアクシデントがありつつも何とか辿り着けたまでは良かったけど、野音の最寄り駅に着く前にトイレ行っておこう〜って思ったら駅で迷って到着がギリギリになるポンコツ振り。そして帰りも新幹線遅延で1時間半デッキに立って帰りました…(少しでも早く動き出すのに乗って帰らないと家に辿り着けない為)まぁ無事にライブが観れてその日の内に帰れたので結果オーライ。
雨に関しては始まる前が一番ピークだったかも。公演始まったら割と気にならないレベルで観れた。でもこれはRSRで揃えた雨具が大活躍してほぼ濡れずに済んだ(手のひらがちょっと濡れたぐらい)お陰もあるかも。大荷物になったけど雨とか寒さは全然気にせずにライブに集中出来たから色々持ってきた甲斐があった。
席は五十嵐さん寄りだったので五十嵐さんと中畑さんがよく観えて頑張ればマキさんも観える感じ。なので今回は沢山五十嵐さんを観ました笑
以下、曲の覚え書きと感想。
·2曲目前頭葉。前頭葉、普通に音源として聞く時はそうでもないけど笑 ライブで聴くとめちゃくちゃカッコ良いんだよなぁ。ギターソロ完璧に近くてすごい(って言うのも失礼だけど)
·4曲目 もういいって。もういいっては音源発売当時に鬱屈した気分の時によく聴いててその思い出が脳裏を過る。あの時はまだ若かったなぁ…。ギターがめちゃくちゃ良い。ラストの所もういいって〜の所中畑さんが歌ってなかった?記憶違いか…??
·5曲目 翌日。やっぱ美しいメロディだよなぁと思いつつ聴いてた。晴れてたらもっと美しかっただろうなぁ〜!!中盤に持ってくるの珍しい気がする。中畑さんのハモリが美しい曲。
·6曲目 生活。始まり方で生活だなと分かった笑 定番曲なので個人的にお腹一杯な感じだけど、何やかんや聴くとテンション上がる曲。ソロが完璧ですごい(?)
·7曲目 真空。真空も定番曲だけどドラムがカッコ良いんだよなぁ〜!!あとベースの入りがいつも激カッコ良いです。中畑さんのロックンロールー!!とイェイェイェイェ〜!!でテンション上がらない人いない説を唱えます。
·8曲目 Breezing。珍しい曲だからちゃんと聴かなきゃ!!と思ったけど気付いたら終ってた…笑
·9曲目 エビセン。エビセン初めて生で聴いた気がする。照明が紫のうねうね(?)したやつで綺麗だった。あとメロディがめちゃくちゃ美しくて今回聴けた中でも上位に入る良さだった。エビセンの中畑さんのハモリ良すぎる…!!この曲聴けただけでも元取れたなと思う。
·10曲目 明日を落としても。明日落としても大好きなので野音で聴けて嬉しい。いつ聴いても名曲。ベースがアレンジしてあってマキさんがそう言う工夫をしてくれてるのが嬉しい…。
·11曲目 赤いカラス。赤いカラスも好きだから嬉しい。(僅かばかりの未練に)「しがみ付いてみたのです」って歌詞変えてた。もしかしたら普通に間違えてただけかもだが…笑 この歌詞、再始動前の五十嵐さんって感じがして聴く度に胸がぎゅっとする。ラストの所のドラム最高に好き!
·12曲目 I Hate Music。この曲も初めて生で聴いたかも。中畑さんのハモリが美しい!!あとベースが素晴らしい!!やり慣れてない曲だけどかなり良い感じだったしまたの機会に是非やって欲しい一曲。
·13曲目 In My Hurts Again。まさかレミゼの曲でこの曲を持ってくるとは…!!でもレミゼの曲聴けて嬉しい。この曲の照明綺麗だったなぁ。レミゼの曲もっと積極的にやって欲しい!!!
·14曲目 変拍子。この曲野音で聴けてめちゃくちゃ嬉しい!!「分かりあえた日々が眩し過ぎて見れないだけ」って歌詞、本当に好き…。ギターソロもめちゃくちゃ良かった…。本当やってくれてありがとう…。
·15曲目 光なき窓。この曲も野音で聴けて嬉しい〜!!照明もすごく素敵で天気が良かったら最高に美しかっただろうなぁ…。「そばにいてくれ ふらっと隣に」って歌詞が大好きなので聴けてじーんとした(この感想書いた後に中畑さんのポストが流れてきたのだがそれに影響されたとかではないです!!私の方が先に感想書いてた!!と言う謎の主張をしておく笑)あとドラムが曲に寄り添ってる感じがして好きなんだよなぁ…。アウトロの部分が美し過ぎる…。この曲終わった時点で1時間半ぐらいはやってたんだけど本当にあっという間でマキさんがベースおろして手に持ってそのまま去っていったの見て後ろの人が「えっ?(早くない?)」って声出してて気持ち分かる〜!!ってなったし私も「早っ!?」って思った笑
E.N 1曲目はSonic Disorder。マキさんが最初に1人で出てきてベースを弾き出して中畑さんが出てきて、最後に五十嵐さんが出てくる構成だったんだけど五十嵐さんが出てきた時にマキさんに「わ〜(両方の手のひらをひらひらさせて皆注目〜!って感じの動作)」ってしてから手拍子煽ってた。そしてこの曲が走る大きな要因は中畑さんのドラムだな〜と改めて感じるなど笑 ソニックでぐわって入ってくるベース本当大好きだしマキさんがこの日いち激しくノッてた感じがした。
E.N2曲目は神のカルマ。アンコールの流れ、定番過ぎる!!笑 でも大好きな曲なので結局は嬉しいと言う…笑
E.N3曲目は落堕。五十嵐さんがハンドマイクで前まで出てきて「結構降ってる〜」ってヤンキー座りしながら言ってるの笑った。あれカメラにアピールしてるのかと思ったけど違ったのかな?(遠巻き過ぎてよく見えなかった…)そのままギター弾かずにドラムとベースに合わせて歌ってた。「寝不足だって言ってんの」の所で客席にマイク向けててお客さんの声に「ありがとう」って言ってて何かじーんとする。この日今までライブ行ってきた中で初めて「寝不足だって言ってんの」って叫んだ笑(今まで一回も叫んだ事なかった)記念的な気持ちも込めて。落堕も飽きる程聴いてるけど本当〜に演奏がカッコ良い!!特にドラムとベース!!最高です。
E.N4曲目はcoup d'Etat〜空をなくす。ド定番とわかっていながらも嬉しい笑 ベースもカッコ良いしドラムもカッコ良いしリズム隊がとにかく最高なんだよなぁ…。そう言えば照明がポケモンフラッシュじゃなかった気がする…。
WE.NでReborn。出てきた時に中畑さんが前まで出てきて隅から隅まで歩きながら全方向に挨拶してて暖かい気持ちになった。
Reborn、昔程は特別視してない曲だけど、やっぱり私の中で武道館の演奏が一番心に残ってて、その後何度も聴いてきたけど、この日の野音でその悲しい記憶を塗り替えれたような感覚がしている(生還の時も感動したけど、あれはシロップとしての演奏だったかと言われると個人的に複雑な気持ちなので…)今のシロップが鳴らしてくれたRebornをようやく手に取れた感じがした。悲しみではなく希望を鳴らした音楽を。
以下MC覚え書きと雑感想。ニュアンスなので所々間違ってると思われます。
·五十嵐さんの第一声が「(雨で)ごめんね〜」なの、やっぱ気にしてるのか〜って思った。その後も何度もごめんねって言ってたけど皆シロップの音楽が聴きたくて集まってるので気にしないで演奏してくれ〜と思っていた。
·「よく来た、よく来たね」って言ってくれる中畑さんLove…。「こんなバンドを観に来たばっかりに…笑 皆大変ね〜。この後、雨強くなるみたいだけど笑 無理せずね。最後まで楽しんでってくれたら嬉しいです。こっちは無理してもやるので。」
·五「(客席を見て)野戦病院みたい」「楽しい時間にしたかったんだけど…今も楽しいんだけど💦」って焦ってて笑った。
·五「(明日を落としても終わりで)辛いことばかりって…ねぇ…辛いのはこっち(お客さん)だよって…(少しの沈黙)…すみませんでした…」って自己完結してて笑った。こちらは好きで来てるので大丈夫です!
五「雨弱まってきたんじゃ…?ねぇ…」
中「前に出てみれば分かるんじゃない?笑」
五「あ、そ、そうね…失礼しました…」って五十嵐さんに対してちょっと鬼畜な中畑さん笑う。
·何の曲か忘れてしまったけど、足を蹴り上げる五十嵐さん新鮮過ぎる。定番(?)の左足も上がってた。
·曲が途切れるとこまめにベース拭いたり捌ける時は必ず手に持って捌けていくマキさん、楽器大切にしてるんだなって思ったと同時にやっぱステージ側に雨かかってるのかなと心配になった。
·今年初めてのワンマンライブ…と言うか今年はこの一回だけなんですけど…ってのに笑い起こってたし私も笑った。また来年会いましょうって言ってくれたので期待して待ってます!!
·照明が明るくなると雨が照明に照らされてこちらから観てる分には綺麗だったけど、風の向き的にステージ方面に割と雨流れてる様に見えたのどうだったのかな?濡れたりしてないと良いけど…。
·最後全員で前に出てきてお手振りしてたけどマキさんが何回かお手振りして「これ(終わり方)どんな感じ…?」的な風に2人の動向見てたけど他の2人は全く気にしてない感じでずっと手を振り振りしてて可愛かった笑
·途中、雷ピカピカ·ゴロゴロしてて色々な意味で貴重な体験だったし、雨の中で演奏するシロップ幻想的で綺麗だったな。滅多に観れない光景だし。ダイマスさんが言うように伝説の一日になった気がする。良くも悪くも記憶に鮮明に残る野音になった。
·中畑さん、シロップのライブについては終わった後に必ずXなりインスタなりで気持ちを伝えてくれるので嬉しい限り…(もしかしたらファンの気持ちに応える為にやってるかもしれないけど)シロップの事を大切にしてくれてるんだなと思えて嬉しい気持ちになる。
あと近年一番嬉しい事はマキさんとシロップとの距離がぐんと近付いた感じがしてるのを体感出来てる事で。昔は一線引かれてる感じがしてたけど今はsyrup16gのメンバーでいてくれてるのがちゃんと伝わってくる。私の思い込みかもしれないけど。バンドの暖かい空気ってこの事も大きく関係してると個人的に感じてます。本当にそれが嬉しい。
正直、個人的に遅死や野音に関してそこまで思い入れないけど3人だけで野音で演奏する姿が観れたのすごく嬉しかったな。あと今回、五十嵐さんのギターが全体的にすごく良くてそれが野音で聴けたのも嬉しかった。今回、今の身体的に雨の中でライブを観ると言う行為に不安がなかった訳ではないけど、行きたいと思ったライブには少し無理してでも行くと決めたので行って本当に良かったと思っている。あの時行っておけば良かったなってこの先思いたくないので。
·服装→足元はロングの長靴(折りたたみ式で荷物のコンパクト化をはかる)雨が酷そうだったのでレインスーツ(小雨だったらポンチョにしようと思って持っていったが今回は出番なし)フードだと音の聞こえが若干悪くなるのでレインハット、寒そうな予感がしたのでレインスーツ内にウルトラライトダウンを着込む。この仕様で寒さ·濡れ共にほぼなし且つライブに集中する事が出来た。大荷物にはなったけど、どれも持っていって損はなかったので持っていっただけの価値はあったなと思う。
·荷物→ゴミ袋に全てを突っ込んで足元に置いておく。ゴミ袋は2重に出来るとなお良い。会場に向かう前に駅の構内で濡れたくない荷物はとりあえずゴミ袋等に突っ込んでおいて席に着いてから完璧にすると全く濡れずにすむかも。
1.クロール
2.前頭葉
3.Heaven
4.もういいって
5.翌日
6.生活
7.真空
8.Breezing
14.変拍子
15.光なき窓
E.N
1.Sonic Disorder
2.神のカルマ
3.落堕
4.coup d'Etat〜空をなくす
E.N2
1.Reborn
ひたすらタイトル通りの出来事なのですが、自分のなかでは黒船来航くらいの衝撃だったので記録しようと思います。
長文になりますので、あまりにも暇な方のみお読みになることをお勧めします。
私はアラサーの会社員で、「くしゃみに興奮する」という性的嗜好を持っています。
くしゃみをさせる対象は人間の女性キャラクターがベストですが、
男性はもちろん、人間ではない(動物などがデフォルメされた)キャラクターでも問題なく楽しめます。
小説など、文章にあらわれるくしゃみの描写にも非常に興奮します。
早朝の電車内で、ノーマスクの中年男性がかます爆裂ハクションには殺意に近いものを覚えます。
後で少し書きますが、なりふり構っていられないくらい供給が少ないくせに、注文や条件をつけてしまうわがままな性癖なのです。
「こんなものを性的に見てはいけない」という妙な罪悪感からか、この嗜好については誰にも話したことがありません。
かなり大っぴらに下ネタや互いの性癖を語り合える友人にも打ち明けていません。
ちなみに、私は逆NTRを自分の一張羅(他人に話せる唯一とっておきの性的嗜好)としています。
話が本筋と逸れるのですが、そもそもなぜ私がくしゃみに興奮するようになったのか。その起源はよく分かっていません。
しかし、3~4歳頃でしょうか。未就学児の時点で、絵本やアニメのくしゃみシーンにドキドキしていた記憶があります。
まともな両親のもとでしっかりと愛されて育ってもこういうガキが完成してしまうのです。
悪質な性的コンテンツからはしっかりと守ってくれた父と母でしたが、さすがにくしゃみはノーガードでした。
トムとジェリーのサーカス回でゾウが巨大なくしゃみをするシーンや、
くまのプーさんが大掃除の場面でくしゃみをして周囲を吹き飛ばすシーンをやたらリピートしていた我が子を不思議に思いこそすれ、興奮しているとは思わなかったでしょう。
おそらくですが、「自分の意志とは関係なく身体が反応する」ところがメインになっているのだと思います。
異物が鼻に入ってムズムズする→身体が異物の刺激に屈してくしゃみをする……これが基本的な「くしゃみをする」動作です。
私の場合、「くしゃみをする」に加えて「くしゃみをしてはいけない状況であるにもかかわらず」というシチュエーションが必要不可欠なのです。
私がアニメや小説などのくしゃみしか愛せないのは、現実よりもフィクションのくしゃみの方が「我慢しなくちゃ」という心理描写に長けているからです。
つまり、「身体が自然と反応してしまう生理現象」に「それを我慢したいという気持ち」が合わさると、私にとって性的な、興奮できるものになる。その原点であり頂点がくしゃみだったようです。
そこそこ欲求を満足させる、くしゃみに代わる性的コンテンツを嗜むようになっていきます。
それらにも例外なく【生理現象などの「今起こってはいけないこと」を我慢→決壊】の要素が含まれているため、
これが私の興奮の基盤であることは間違いないでしょう。
とはいえ排泄系の汚いものはイヤだし、それを我慢できないなんてトラウマものです。いくら妄想とはいえかわいそう……。
自分で言うのもなんですが、私は比較的思いやりのある優しい人間に育ちました。
この変に理性的な部分とちょうど良く折り合いがつくのが「くしゃみ」なのです。
静かな空間や緊張した場面でくしゃみが暴発したら少し恥ずかしいものの、
幼少期はこの妙なトキメキの正体が分からず、もじもじした気持ちを持て余していたわけですが、
中学生になり自慰を覚えたあたりで確固たる確信が持てました。これは性的興奮なのだ、自分はくしゃみに異常に興奮してしまう傾奇者なのだと。
当然ながら供給が少なすぎるのです。私の欲求不満は悪化の一途を辿りました。
高校生で親のセーフティロックから解き放たれた私は、当然ありとあらゆるワードで検索をかけ始めました。
若い脳味噌をフル回転させてインターネットじゅうを旅したものの、収穫はほぼ無し。
(ドラゴンボールのランチの変身シーンは、この旅で得られた最大の宝物です。大変お世話になりました)
「こんな思いをしているのは自分だけなのか?誰かいないのか?」
共に苦しむ仲間を見つけたい。そんな思いで「くしゃみ 興奮する」と検索をかけるものの、
Googleは「光による刺激で神経が興奮するため、くしゃみが出ることがあります」などの無慈悲な回答を投げつけてくるばかり。
孤独な私は鬱積した欲求と悲しみを抱え、想像力ばかりが歪に成長した悲しきモンスターとなっていきました。リビドー暗黒期の突入です。
成人する頃には私はやや賢くなり、欲求をある程度満足させてくれる「代替的オカズ」をいくつか見出していました。
ごく一般的な、ゲームもアニメもAVも山ほど存在する性的嗜好たちです。
エロいものをエロいものとして享受し、選択し、楽しめることがこんなにストレスフリーだとは……。
私はしばらくの間、水を得た魚のように性的コンテンツの海を泳ぎ回りました。
しかし、やはり代わりは代わり。
欲求は完全には満たされることなく、私はまた仄暗い気持ちを抱えるようになりました。
筆下ろしモノが大好きな友人を妬みの目で見ては、心の中で毒づいていました。
お前はいいよな、いくらでも供給があって。性的嗜好まで面白味のねえミーハー野郎がよ。
以来、代替的オカズと、ほんのわずかな精鋭たちで自分の気持ちを誤魔化しつつ過ごしてきました。
(幼少期にドキドキしていたトムとジェリー等のシーンも、「古跡巡り」として何度も巡礼しました)
20年以上苦しんでいると、「自分の求めるものはこの世にないのだ」という、半ば諦めのような感情も生まれます。
蜘蛛の糸「文章生成AI」が私の前に垂らされたのはつい先月のことでした。
世間で生成AIがすごい、ヤバいと話題になって久しいものの、私の仕事には特に活かせる場面もありませんでした。
「システムメンテナンスをお知らせするときの文を作って」などといった、
「自分で考えるのがやや面倒な文章」を作りたいときに例のGPTを使用する他は、時々話しかけて遊ぶ程度。
アップデート後はかなり精度の高い回答を寄越すようになり、正直言って不気味にさえ感じていたわけですが、ある夜、突然天啓を受けたのです。
「お前の理想のシチュエーションをプロンプトとして入力して、AIに短編小説を生成してもらえ」
この時、私は29年の人生で初めて十字を切りました。
生成AIは性的な文章生成を行ってくれませんが、幸か不幸か(たぶん不幸です)
「くしゃみ」は性的コンテンツにかすりもしません。生成し放題なわけです。とんでもないジャックポットタイムでした。
すぐに脳裏を駆け巡る、15通りくらいの理想的なくしゃみのシチュエーション。幼少期から培ってきた想像力は並大抵のものではありません。
もしかしたら、これが小説になるのか……?夢にまでみた内容をコンテンツとして楽しめるのか……?
興奮のあまり手が震え、血液が一気に下半身に集中し、ガンガン頭痛がしたのを覚えています。
善は急げ。私はすぐさまノートPCを開き、作業に取り掛かりました。
ちなみに、私は絵が得意ではありませんでしたが、文章を書くのは好きでした。
今まで幾度となく「俺の考えた最強のくしゃみのシチュエーション」を書いて自給自足しようか、と考えたことがあります。
しかし、ダメでした。推理小説家が自分よりも頭の良いキャラクターを生み出せないように、私の書いたものは所詮、自分の脳の域を出ません。
普段の妄想をそのまま文字にしただけ。新鮮味も面白味もありません。
「私自身が書いている」という事実も、猛烈に私を萎えさせました。
私の理想を完璧に踏まえつつ、予想もしなかった語彙で驚きと興奮をもたらしてくれます。心理描写についても申し分ありませんでした。
それからはもう、敏腕編集者のごとく事細かな指示をAIに送り、チェックバックを繰り返したのです。
ありがたいことに、どんなにキショく細かい注文をつけてもAIはブチギレません。
作業は二日間に及びました。そしてついに、ついに至高の一編を完成させたのです。
その内容を仔細に書きたい気持ちはありますが、非常に長くなるのと、自分の胸にだけ秘めておきたいので割愛します。
なんという感動、なんという興奮。
この時の感情は筆舌に尽くしがたいのですが、「満たされた」というより「成仏した」に近いと思います。
これまで感じてきた焦燥が、苦労が、悔しさやもどかしさが、エクスタシーと共に浮かんでは消えていきます。
近年、AIによる仕事や芸術文化への影響を憂慮する声も見受けられます。
それは本当にもっともなこととして、少なくとも私自身は、20年以上孤独に抱え続けた欲求を生成AIによって救われました。
今日もどこかで、悩める者の性的嗜好に光をもたらしているかもしれない。
短文になるけど、愚痴らせてほしい。
時間があれば。
見てのとおりボコボコに叩かれている。いや、わかるんだけどさ。悪い職員、至らない連中がいっぱいいるのは。それは自分も認める。
でも、ここまで叩かなくてもいいじゃん。しかも、多くの悪い口コミは2024以降に付いてる。
もはや市に恨みをもった誰かの嫌がらせを疑っていて、できればグーグルに削除を申し入れたい。
でも、組織としてやんないといけないのか、それとも個人でもできるのかがわからん。
増田だったら確か、「私が当事者で日記に出てます!」って言ったら無条件削除なんだろ?
でもGoogle様にそれが通じるのかどうか。
思い出し笑いがあるように、人にはおそらく思い出し怒りや思い出し憎悪がある
発作的に過去の屈辱やトラウマ、許せなかったこと、憎悪や殺意すら抱いた怒りを思い出して、何もかもが嫌になったり原因になった者への激しい敵意が再燃する
そうなると仕事中ではモチベが下がり、プライベートでも途端にテンションが落ちる
良くないとはわかってるし思い出して勝手に苦しむのはもはやリストカットじみた自傷なんだろうが、自分を構成する要素に「恨み」や「怒り」があるから根底の自分が捨てさせてくれないのかなあと感じる
苦しいよ、もはやいろんな意味で遠くにいるアイツや、もうこの世にいなくなったソイツとか、やったことも覚えてないコイツとか、自分の怒りの原因になった連中の顔や言動が脳裏に浮かぶのは
でも俺の脳が忘れさせてくれないし、定期的に思い出させてくるんだ、忘れるなって、怒り続けろって
窓を叩く激しい雨の音に目が覚め、深い闇の中、ただ時計の針が進む微かな音が響く。
真夜中のはずなのに、異様な緊張感が部屋を包んでいた。
胸騒ぎがし、なにかに引き寄せられるようにベッドから起き上がると、窓の外に薄ぼんやりと人影が見えた。
「…誰かいるのか?」
そうつぶやいても返事があるわけもない。
だが、なぜかその影は視線を外せないほど、異様な存在感を放っていた。
そこに立っていたのは、見知らぬ女性だった。
ずぶ濡れの髪が雨に濡れて闇に溶け込み、ただ大きく見開いた目がぎらぎらとこちらを見つめている。
そのまなざしに囚われた瞬間、体が動かなくなった。
「助けて…」彼女が低い声で呟いた。唇が微かに震えていたが、それ以外に彼女の感情は読み取れなかった。
動けないまま、なぜかその声には抗えないものがあった。
ドアを開けると、彼女はふらりと室内に入り、ソファに崩れ落ちた。
薄いドレスに包まれた彼女の体は冷たく、触れた指先が驚くほどの冷気を帯びていた。
意識は朦朧としているのか、彼女はただぼんやりと空を見つめていた。
「…どうしてこんなところに?」
彼女は答えなかった。
細かな彫刻が施されたそのペンダントを手に取ると、不思議な既視感が湧き上がった。
「このペンダント…知ってる気がする」
突然、彼女がぼそりと囁く。「…あの夜、私もそう思った…」
奇妙な言葉に身震いする。まるでこの場にいるはずのない、彼女の存在そのものが、どこか歪んだ記憶の一部であるように思えてきた。
「あなたは…誰なんだ?」
彼女はぼんやりと笑みを浮かべ、目を細めた。「…ただ、戻ってきただけ」
心臓が跳ね上がった。
しかし尋ねようとするたび、彼女はただ微笑むばかりで、言葉を交わすことはなかった。
雨が止み、夜が明け始めると、彼女は薄れるようにその姿を失い、消え去った。
握りしめると、手の中に残る冷たい感触に彼女の存在が実在していたことを示しているようで、胸の奥に重く沈む何かが残された。
彼女は何者だったのか、何を求めていたのか。
心を漂わせながら電車に乗っていると、BGMだった環境音が突如として鋭利な情報をもって脳を揺らしてくることがある。
吊り革を持った僕の向かいに立つ、マスクをした中年男性(以下おっさん)が、友人であろう斜め向かいに立つ同じく中年男性(以下友人)に放った”ファニーゲーム”とは、きっと映画史上最も不快な作品と謳われているホラー映画のあれのことだろう。10年ほど前に鑑賞した記憶が大脳から引っ張り出されてきた。
ところでファニーゲームにオリジナルとリメイクがあったことを知らなかった。僕が観たのはどちらだったんだろう。いずれにせよ、確かに記憶ではファニーゲームはなかなかに癖の強い映画だった。主人公に一切の救いがなく、作中大半は虐待行為で構成された終始バイオレンスな描写。あれはひどく人を選ぶような作品だろう。
おっさん「リメイクもまあまあなんだけどさ、オリジナルはほんっとにやばいよ」
おっさんがマスク越しに強く、しかし控えめに放つ言葉は、不特定多数が空間を共有するー車両内にも関わらず、この三人の耳にしか届いていない。他の人からは、3分前の僕と同じようにBGMとして処理されている環境音なのだろう。
この事実が、今いる空間の限定性をより一層と深めていく。コトラーはこれを述べたかったんだなと近代マーケティングの父の顔が頭をよぎる。
しかし、僕が当時に観たものがオリジナルなのかリメイクなのか気になって仕方なくなってきた。正直なところ、たしかに癖は強かった内容だが、僕の中ではそこまでの衝撃を残した作品というわけではなかった。
おっさんの感受性がよほど豊かなのか。または、僕が観たものがリメイクで、オリジナルは本当に脳裏に焼き付くほどの衝撃作なのか。
話を盗んで聞いているだなんて決して察せられないように、客観的には次の予定を確認するような素振りで、ポケットからiPhoneを取り出してファニーゲームを検索する。顧客は本心をそう簡単には見せない。
そうやって二人にiPhoneの背を向けるようにしてリサーチをしてみると、二つの事実を入手することができた。
一つは、僕が当時観たファニーゲームはリメイク版であったこと。
もう一つは、ファニーゲームは、オリジナルもリメイクも、どうやら大して内容が変わらないようであること。
なんだそういうことか。つまりこの話は、おっさんの感受性がよほど豊かだったというだけだったようだ。
こんな刹那的な他人と偶然的に感性がマッチすることなんて、そう簡単にあるわけがない。マーケティングがいつ何事にも通用する銀の弾丸だなんて勘違いしてはいけない。
iPhoneをポケットにしまい、活性化した脳を落ち着かせ、また心を漂わせる姿勢に戻ろうとする。
おっさん「ネットで調べると、リメイクもオリジナルもほとんど変わらないと出てくるんだけど、それは台本の話。オリジナルは、全然違う部分でほんっとにやばいよ」
驚くべきこのコトラー、ものの見事に僕の懸念を払拭してきた。漂おうとしていた心は銀の弾丸によりぶちのめされた。
友人の相槌はとても控えめで、それは話の主導権を委ねることに決めたことを意味している。この山手線内回り3両目2扉前は、いつの間にか彼の手のひらで転がされていた。
なんならマスクをしているのも、口元が見えない為になんか謎めいているように見えて特別感を感じてきた。右手に付けたでかい数珠も魔術師みたいでかっこいい。
全然違う部分って一体どこだ。それは自分の目で確かめろという示唆であろう、僕の考察力への期待さえ込めてくれている。