はてなキーワード: お笑いとは
俺の人生そのまんまみたいな夢を見た。
夜だというのに大学構内は忙しなかった。翌日の文化祭準備のために多くの生徒が遅くまで残っていたから。
資材を運んだり、組み立てたり、雑談したりと、大学はカオスな空間に変貌していた。
一方、俺は、とくに団体に所属していないので広い教室にひとりだった。帰っても良かったんだが、寂しかったので、やることもないのに無駄に残っていた。
手持ち無沙汰に耐えかねて、校舎を回ることにした。その棟は騒ぎの中心からはすこし離れて、マイナーで文化祭への熱量の乏しい団体展示が集う比較的閑散としたところだった。
暗い校舎を歩いていると、どこかの団体の一室で三人の女性が熱心に話していた。熱心に話していたというか、レズセックスをしていた。
見てはいけないと思って通り過ぎようともしたが、好奇心と下心には勝てなくて盗み見していると、彼女らが中学の同級生たちだと気づいた。彼女らとは好きだったわけでも、友達だったわけでもなく、なぜこの夢に出てくるのか不思議に思う。ただ、俺は中学に馴染めず疎外されていたように感じていたから、その孤独を思い出して少し悲しくなった。
彼女らは情事に耽る。俺のことを見ていないのは昔と同じだ。だから俺はちょっとだけでも俺のことを見て欲しくなり、わざと物音を立てて存在を示した。
彼女らは一斉に俺のほうを見て、三人のうち少し仲良かった時期のある一人がばつの悪そうに話してくる。俺は彼女らの行いを責めて、気まずさを誤魔化そうとした。すると彼女は適当に謝り、俺を追い払った。その場を去る俺の背後で、また情事が始まった。
その後、お笑いサークルの友人二人に出会った。俺の記憶にない、夢の中だけの想像上の人物だ。彼らのセンスは一級品で、友人も多い。いわゆる一軍だ。暇な俺は彼らの配信設備の準備を手伝うことにした。
しばらくお笑いサークルの部室で、準備をしつつ楽しい時間を過ごしたが、夜になると彼らはどこかへ去っていった。仕方ない。彼らは多忙なのだ。
多くの人に囲まれて去っていく彼らを尻目に、俺はお笑いサークルの部室に取り残された。
以上。これだけ。
ワイはお笑い見ないやで。
コピペで引用なのここまで明確に示してるのになんで内容の不満が俺に向けられてんだよ
1964年「うず潮」
1966年「おはなはん」
林謙一「おはなはん」
1977年「いちばん星」
1978年「おていちゃん」
1979年「マー姉ちゃん」
1981年「本日も晴天なり」
1984年「心はいつもラムネ色」
1986年「はね駒」
1987年「チョッちゃん」
1990年「凛凛と」
1994年「春よ、来い」
最愛の夫を見送るまでが描かれている。
1997年「あぐり」
2000年「オードリー」
DVD未発売。
2003年「てるてる家族」
2006年「芋たこなんきん」
ソフト化されていない。
2010年「ゲゲゲの女房」
2011年「カーネーション」
ファッションデザイナー「コシノ三姉妹」の母、
2014年「花子とアン」
2014年「マッサン」
2015年「あさが来た」
2016年「とと姉ちゃん」
2016年「べっぴんさん」
2017年「わろてんか」
2018年「まんぷく」
2019年「なつぞら」
「漫画映画漂流記 おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一」
2019年「スカーレット」
2020年「エール」
古関著書「鐘よ鳴り響け」
2020年「おちょやん」
2023年「らんまん」
2024年「ブギウギ」
2024年「虎に翼」
三淵嘉子関連書籍
2025年「あんぱん」
2025年「ばけばけ」
YouTubeのオススメアルゴリズムってどうなってんのか知らないけど、
今、つーか今日。
2年前の1000万回以上再生されてるお笑い番組が流れてきてさ。
違法アップロードじゃなくて公式なのね。チャンネル登録者数も200万人以上。
これ、当然とっくに知ってる人は知ってる有名チャンネルなんだけど、全く知らんかったわ。
そしてくっそ面白い。
お笑い芸人詳しくなくて、カズレーサーしか知らんくらいでM1も見ないくらいの自分でも大爆笑できた。
2年前の動画でも普通に花王だとかアサヒビールだとか、ほぼ永遠にありそうな企業はCM入れたらいいのに。
もちろん十分youtubeの広告収入もらってんだろうけど、たぶん、テレビより予算無いよね?映像見た感じからしても。
テレビより面白いのに、テレビより予算ないの、ほんま歪だわー。
企業やスポンサーからしても、一回こっきりのテレビ番組に永遠に何度もCM出すより、何年経って見られるyoutube動画に広告出した方が良くね???
もちろん、1人の人が何回も見てて1000万再生なんだろうけど、テレビ視聴率に換算しても数百万人見てるレベルでしょ?たぶん。
M-1の決勝進出者に(暫定)女性がいないことにキレている人たちは準決勝まで十九人が残っていることも知らないし多分ゆッちゃんwでは笑わない
オダウエダのことは下品だと罵る
そして肝心のTHE Wもポスター可愛い〜アートワーク素敵〜とだけツイートして本戦は見ない
KOCに女性がいなくてもR-1女性がいない時も文句を言わない
好きでもなく今後見る気もそこまでないのにお笑い芸人を男女差別の叩き棒にするな
キリトリ
現状女性芸人では男性芸人よりも笑わせられるラインが難しいんだしまだまだ深く掘っていける話なのでお笑いが好きなら長い目で見たほうがいい
女性芸人のビジュアルで笑うっていう行為に昨今は罪悪感が伴うようになった、男性はそうではない
女性と男性声では漫才などで映える、使いやすいのは男性の声だ、そこはまだまだ研究の余地がある
私も審査が完璧だとは思わないしまさか準々・3回戦で落ちるんだ……と思ったコンビもいる、男女ともに
でも男性女性共に変わっている最中だし、ネタ動画も見ないで議論するのは勿体ないからいろいろ見られるうちにいろんな芸人のネタを見てみてほしい
Qアノン:元祖アノン。アメリカの極右が提唱している陰謀論とそれに基づく政治運動。
Jアノン:日本人なのにQアノンに賛同し、トランプを「おやびん」と慕うアレな人びと。
暇アノン:暇空茜の信者。若年女性向け支援活動の妨害に並々ならぬ情熱を燃やす。「弱者男性」アイデンティティも強い。
松アノン:松本人志性加害疑惑において松本絶対擁護の論陣を張る狂信者集団。かといって、特にお笑いが好きなわけではない。
ベジアノン:斎藤元彦の信者。折田楓がせっせと育てて収穫した野菜で、事あるごとに「オールドメディアガー!」と喚き散らす。
他にも教えてーな!
先日、訳あって深夜に暇を極めていた私と友人はひたすらアイドルの話をしていた。
最近ハマっているバーチャルアイドルの話、タイプロの話、今のジュニアの停滞っぷり、この前行ったMAMA、昨今のオーディションインフレ、投票の結果で組まれるグループはマーケティングのしようがないこと、そしてME:Iについてである。
「今ME:Iがやってるコンセプトってメンバーの個性殺してるよね」
これが10年以上某事務所のオタクをやってきた私と、10年以上某事務所のオタクをしながらここ5年ほど韓国のアイドルに幅広く手を出してきた友人との間で一致した意見であった。
ME:Iの良さって、側から見ても一人一人が個性的であることだと思う。「この人とこの人似てるよね」みたいなのがない。そして日本の女子ドルよりも女子向けの売り方で、韓国のヨドルよりも健康的な見た目をしており、その上センターが桃奈のおかげで、めっちゃくちゃ健康で健全に見えることも他とは一線を画す特徴だろう。
私のように界隈に疎い人間からすると、グループのコンセプトをガチガチに決めて外見の系統も近い人々で集められた韓国のグループの子たちというのは、その固められた世界観が良さなのであろうが、正直グループ内でメンバーの見分けがつかない。綺麗なお姉さんの集まりLe Sserafim、一軍の先輩たちの集まりaespa、セーラームーンIVE。そしてみんな細すぎておばちゃんは心配になる。生理止まってるんだろうなとか、骨粗鬆症になるよぉとか、そういう心配をしてしまうといくら笑顔を見せられても健全な眩しさとは遠くなる。
対して彼女たちはどうだろうか。まず外見からかなりの違いがあるように思う。というか、伝わるだろうか、「作画」が違うのだ。ME:Iはそれぞれの作画が違う。おそらく、それぞれが違う前世を持っていたり、持っていなかったりするからだろう。
たとえ同じ学校にいたとしても彼女たちはそれぞれ別の部活、別のコミュニティにいる。笠原桃奈はバスケ部の女子に人気がある先輩だし、石井蘭はダンス部の可愛くて人気がある先輩だし、加藤心は女子テニス部の副部長だし、海老原鼓は軽音部の定期演奏会のたびに部内バンドのボーカルとして中庭で歌を歌う隣のクラスの子で、一方文化祭のバンド演奏で初めて校内で歌を披露して話題になるのが文寧で、櫻井美羽は入学した時から美人で話題の特進クラスの優等生で、同じく特進クラスにいて1ミリも校則守ってないけど頭がいいから許されてるのが恵子で、同じクラスにいて妙に存在感があるのが心菜なのである。そして多分山本すずと飯田栞月はその学校におらず近くの私立の女子校に通っていて駅でよく見かける制服を着ているのだ。
ここまで聞いて諸君、思い当たる節がないだろうか。聞いたことがないか?こういう話を。そう、彼女たちは
個性がバラバラで、絶対にいないんだけど学校にいたような親近感があり、それぞれのキャラクターが強い。下積みが長い人もいればシンデレラ的に急にデビューを決めた人もおり、育ちもバラバラ。
このことに気がついてからの我々の会話というのはそれはもう盛り上がった。
想像してみてくれ。
恵子、りのん、文寧による「美しい恋にするよ」からの桃奈による「約束するよ、チャンカパーナ」からの鼓の「チャンカパーナァ〜〜〜〜」の伸びやかなフェイク。
「愛が足りないのにそっと微笑んで、Japonicastyle、華麗に舞う花」と扇子を雅に動かしながら物憂げに歌う櫻井美羽。
キラキラ笑顔で「came on a my house??」する恵子。
「君にやっと辿り着いたスイート」まで普通に歌ったあと「アンサー」と囁いてお口をハートの形にして笑う加藤心と湧くオタク。
たった一つだけ願いが叶うならば君が欲しい蘭。
心、文寧、すず、鼓によるペトラ。
文寧と心菜による硝子の少年。
いけるやろ?????想像に容易いやろ??????性別違うから色々立場ちゃうくね?とかは思うけど、伝わるやろ??????
上記は要するにジャニーズの「トンチキ成分」なのだが、これをこなすには条件がある。
1 トンチキに負けない個性があること
トンチキというクセの強いカレーの中でも、死なない具としての存在感が必要である。口に入れた時にちゃんと具の味がしないと曲のことだけしか思い出せない。チャンカパーナと聞いたら金髪の手越を思い出さないといけないし、セクシーローズと聞いたら佐藤勝利と中島健人を思い出せないといけない。また個人のキャラクターの完成度が高くないと「よくわかんない人達がよくわかんなことやってる」ことになるのである。キャラが確立していないとトンチキはこなせない。
2 陰気でないこと
キラキラしてないといけないんだ、トンチキは。圧倒的に健康でフレッシュじゃないといけない。話題の新商品!みたいな明るさと希望を持って斜め上の方向に向かわないといけない。その眩しさで観客を正気に戻さないようにしなくてはいけない。正気に戻ったら、夜行バスから途中下車して始まるワンナイトも、カモナマイハウスラブカレーも、マイルドも地球の裏側じゃワイルドになるのも、意味がわからなくてとも聞いていられないのである。パフォーマンス中、観客を正気に戻さないようにそのきらめきで「圧し」ないといけない。あまりのきらめきで目が潰れ圧倒され切ったあとに正気に戻って「なんだったんだあれ」となるのがトンチキなのだ。歌っている途中に突っ込んだり馬鹿にするような隙を与えてはいけない。
要するに「コンセプト盛り耐性」だ。トンチキをやってトンチキに負けない盛り耐性がないと、トンチキは滑る。やらされてる、着られてる感じが出るからだ。でもME:Iならできる。グループのコンセプトに合わせて人を集めるKpopグループとも、昨今流行りのカワイイとも、48系が築いてきた大人数グループの歴史とも一線を画す。バラバラな個性、バラバラな背景の人たちを押しつぶして凸凹を揃えるのではなく、バラバラな果物をそのまま使って美味しいパフェを作る「ジャニーズ」をするべきだ。
ピコピコキラキラした曲も嫌いではないが、今の売り方は、バラバラな個性をなんとかまとめるためにフワッとした普遍的なコンセプトを持ってきている感じがして、その平坦なコンセプトで個々のよさがかなり死んでいる気がする。
日プオーデ用のオリ曲の方が個性が生きていたと思う。けどpopcornとかCHOPPYCHOPPYとか&MEとかって、割と#chauとかダイヤモンドスマイルだから、要するにジャニーズだと思うんですよ。(真剣)
「Dreams come trueあの夢まで止まらない止められない、12 123 GO CHOPPY……」←よく考えるとチョッピーって何??となるこの感じと、夢を歌う歌詞。マイルドな嵐の嵐だ。
AtoZの「なんでかわからないけど時はすぎて行くから」のいきなり妙に焦ること言いだすのなんて「やりたいことやったもん勝ち」と歌った後に「青春なら」と現実を突きつけてくるあの感じとよく似ている。
トンチキにも種類があって、特にME:Iで見たいのは「ない日本」と「ないファンタジー」と「ない陽気」だ。ない日本というのはイントロからして和楽器の音が聞こえ、なんか歌詞は雅な恋愛をしていたりして衣装は和装っぽいけど和服ではなくて和傘とか扇子とか持ってたりして、曲の最後に桜が降るようなやつのことだ。これがお笑いにならずにできるのはジャニーズだけだと思っていたが、ME:I、君たちならできる。何故って、「なんか何やってもたおやか」な品がある人と、華のある人が多いから。
ないファンタジーは、なんとなく中世とか人外とか半獣みたいなコンセプトだけど設定の詳細はわからず、なんかハロウィンぽいけど別にハロウィンの時期ではなくて、衣装もゴシックな雰囲気だけど別にゴシックではないやつ。嵐のmonsterとか、JUMPのmasqueradeとか。美羽、すず、栞月、文寧、りのんを中心部に据えたら映える。この人たちは作画がファンタジーなので。
ない陽気というのは、SMAPのSHAKEや嵐のワイルドアットハート、社歌と化したCandoCangoや勇気100%のような、何がそんなに楽しいねんみたいな曲。これは鼓と恵子と蘭ちゃんを真ん中に持ってくるべき。彼女たちの笑顔を見ていたら、なんか、日本の未来も明るいような気がしてくる。そうだろう?
あー見たい、ME:Iのジャニーズ。
絶対受けるって。だって投票してた人たちの2割は事務所の問題で疲れてきたから浮気してみたジャニオタだもん。(体感です)
でも実際問題、現スタエンからはこのトンチキ要素を筆頭としたアイデンティティというのが失われつつあり、オタクのジャニ離れも加速している。その上タイミング的に日プを見ていた人が多いとなれば、知ってる顔も多いというわけで、今ME:Iがジャニーズをやったら確実にかなりの客がそっちに流れるだろう。
ここまで考えてみたけど全然ME:Iは旧ジャニ現スタエンの所属じゃないし、このまま和製K-POPをやっていくんだろう。今の所マジで「ない話」なのが辛い。ここまで全て虚妄。むなしい。
虚しいのでこうやって書いてネットの海に投げるのだ。みんなもME:Iのジャニーズを想像しよう。そしてあわよくばいつか現実にして欲しい。
思えば今年はキングオブコントでも、ロングコートダディさんは盤外の裁定のためにうっすらヘイトを買っていた感がある。私の主観だが、Twitterとかでも同じように見る意見が当時、散見されたのを覚えている。
花屋のモンスターカスタマーのネタは無論、兎さんの卓越した演技力もあってめちゃくちゃ完成度の高いコントだったと思う。ただ、爆発的な笑いがドン、とあるというよりニュアンスの笑いだし、ライブの時とオチが変わって劇的になった(元は事故に遭うくだりがなくて、つくらせた花束を店員さんにプレゼントして「好きな人への贈り物だから完璧にしたかったんです」みたいなことを言って普通にフラれる)代わりに兎さんのあの客の態度の悪さが物語上で回収・解消されなくなってモヤモヤが残る、手放しに「大好き!」とは言えないネタだった。あの点数はちょっと高すぎたと思う。
なぜロコディさんにあんな高得点がついたのかと言えば、私は「令和ロマンと松本人志の呪い」だったと見ている。
今年のキングオブコントは、M-1に先立つ「松本人志が審査員席に居ないお笑いの大会」として、ちょっと観測気球的なポジションにもなっていた。
審査員長枠のプレッシャーを番組中でも口にしていた飯塚さんはじめ、審査員たちは(というか制作陣が)心のどこかで「松本がいなくてもちゃんと公正で権威ある審査ができた」実績をつくらねばという強迫観念を抱えていたと思う。
だから、「トップバッターはとりあえず様子見の基準点」という、例年通りの定石が打てなかった。なぜなら去年のM-1、松本失脚直前のM-1で「トップバッターでウケた令和ロマンがちゃんと高得点を取って3位に入り、そのまま優勝した。それがネットなどの評判としても概ね、納得できる結果と受け止められている」事実があるためだ。
だから彼らはロングコートダディに低い点数をつけることができなかった。「去年のM-1は出順に関係なくちゃんとした評価ができていたのに、今回のKOCは……」と比較されたくないからだ。
(や団さんは、あまりにも出来が良く、そしてそこまでの認知度がなかったところからのインパクトだった「2022年の自分たち」も越えないと飯塚さんが良い点をつけてくれないという、あまりに重い十字架も背負わされてて本当にかわいそう)
あくまで準決に向けたワイルドカードだが、ハライチさんが勝ち上がった2021年の敗者復活、オズワルドさんが勝ち上がった翌2022年の敗者復活と同じ匂いを感じた人は多いと思う。
二年連続で「人気投票じゃねえか」「入れた奴ネタ見てねえだろ」とあまりに叩かれすぎて、2023年に大幅にシステムが刷新されるに至ったあの悪夢。
あれら事件が、明確に当事者となった芸人さんのイメージを悪化させた……あるいは、それまではそこまで顕在化してなかったヘイトが一気に噴出するきっかけになったのは間違いない。
とくにハライチの岩井さん。我が家さんの面白くないYouTube企画でひとり気炎を吐いて舌鋒鋭く場を盛り上げて賞賛され、ゴッドタンでブイブイ言わせていた彼が、あの敗者復活(と、共演者のサブカルいっちょがみ未成年に下手すりゃ中学生の頃から手を出してたんじゃないかというロリコンぶりが発覚したこと)を契機にここまで凋落したのだからゾッとする。
M-1を甲子園のような感覚で観ているファンは多い。運営側も、「そういうもの」として演出していることは多くの方が指摘する通りだと思う。夢に向かって努力する男の子たちの感動のサクセスストーリーを見せるのだと。
これはMおじ武智氏やMおじ川瀬氏らが折に触れて言っているところだが、それゆえにM-1の客は「漫才・劇場のお笑いにひたむきに見える人」「まだテレビ露出など一般的な認知度は低い人」を応援し、「(ネタ番組・お笑い番組でない)テレビの人気者」「漫才の外から来た人」には冷たいという傾向がある。「俺たちの」M-1戦士じゃないと嫌だというわけだ。
その点に関して、野田クリスタルさんが令和ロマンさんの戦略の凄さを語っていた。「メディア露出を抑えて舞台にたくさん立つことで劇場人気をキープし、M-1の客に嫌われないように立ちまわっている」。
「M-1と漫才を本気で愛して、本気で向き合ってますよ」というポーズを上手に取れることが重要なわけだ。
ロングコートダディさんはこれまで確実に「俺たちの」サイドを歩いてきた人たちだった。実際にはテレビにもいっぱい出てる売れっ子なのだが、賞レースで歴々、華々しい結果を残し、特に堂前さんが「ストイックなネタ師」というイメージをしっかりとキープできていたのがデカい。もちろんめちゃくちゃ面白いしね。
だが、それら実績が今回のことで一気に、「ラストイヤーの人気者が、大してウケてもなかったのにファン投票で上がっちゃった」に反転してしまった。
ご本人たちが「当日の15時に集まってから4時間くらいで作った卸したことない新ネタ」「ギャンブルしたくなった」「やったことないからガタガタ」「しっかり滑ってた」とラジオで公言してしまっている(もちろん実力者なのでつまんないわけではないが、確かに粗いし、ああいう無茶振り大喜利みたいな笑いって、「ネタを用意してきましたよ」じゃなく当意即妙にその場で答え合うみたいな形で見せてもらった方が楽しいんだろうな…とは思った)のも、こうなるとなんだか後味が悪い。
「そんなナメた態度で出て、人気投票で勝ち上がりですか」に見えてしまう。もちろんそんな意図はご本人たちにはないけれども。
まぁとはいえ、ハライチさんの時の金属バットさんと男性ブランコさん、オズワルドさんの時の令和ロマンさんとは違い、今回「嘱望されながらも行けなかった人たち」は赤ちゃんとニューヨークの阿部寛なので、そこのヘイトは軽微なものだとは思うけど……
個人的な体験からしか話せないから申し訳ないけどちょっと一旦よく見てほしいと思った。
増田が書いているようなことを言わない女性/男性もたくさんいて(特に都内で一定の教育を受けた層)、でもそういう人たちはSNSでまず発言しない。だからかなり目に入りづらい。
ブスに人権無し!はネットでよく目にするからそれが全てに思えてしまうけどどちらかと言えば男性社会寄りの極端な価値観だと思ってほしい。増田がそういう「女は顔」みたいなステレオタイプ以外の考え方や生き方をしている女性の例をたくさん見つけてから改めて考えてほしいと思ってしまった。
あと最近のインプレッションがお金になるシステム、あれが過激な言葉が増えてる理由の一つだと思う。有象無象の発信が増えた中で目立たないといけないから極端な例で釣るスキームが多すぎて、今のインスタとかXは現実からかけ離れてきてて、正直に信じてたら病むと思う。
ここから自分語りになるから読み飛ばしてもらっていいんだけど、自分はトランスではなくて結婚も恋人もいない30代女性で、付き合ってきた人は告白という正規の手順を踏んだ人だと3人、多分性欲もそこまでなく、生理痛は酷いので嫌だなあと思ってる。性志向も次に素敵な人が現れたとして、それが男性でも女性でもどっちでもいいと思ってる。自分にペニスがついていたらいいなと思ったこともあるけど手術をしたいとまでは思わない。名前をつけるならアセクシャル、ノンバイナリなのかもしれないけど、性欲の対象をいちいち細分化して明言する最近の流れに違和感があるし、そんなのいちいち固定できるわけないって思ってるから聞かれたら「どうなんだろうねー」と濁すと思う。
仕事は都内の女性(と恐らくゲイ)が多い服飾系の外資系で働いているが、努力を評価する雰囲気で、増田が書くような顔面差別は感じたことがない。というか他人の外見にずかずか言及する人は「失礼」「野蛮」「下品」みたいな感じ。これはかなり環境も関係しているから増田の周りの環境が書かれているように顔面至上主義ならとても辛いことと思う。
ただトランス手術は不可逆なので、まずそうでない場所を知ってから考え直してほしいと思う。
以前自分はお笑い系の仕事をしてて、そこは男性(特に地方出身で義務教育のみくらいの人も多かった)が圧倒的に多かったんだけど「面白いから」「イジってあげてる」の名目で、いろんなマイノリティが裏でめちゃくちゃ言われてた。(言われた側も笑いにしないと空気読めない奴になるみたいな同調圧力がかなり酷かった)
だから男性の中にFtMとして入ることで増田が別の傷つき方をしそうな気がしてこんなに長文を書いてしまった。読みづらくてごめん。
増田の辛さがなくなることが一番なんだけど、まず「女」にも色々いるんだよという話と男性社会でのユーモアの名目で(下系は特に)の陰口はとても陰湿だったという話をしたかった。もちろん全てに例外はある。マイノリティのイジり芸をしない男性もいたし、これが全てではない。全て個人の経験だから普遍的ではないのは承知だけど、こういう経験をした人間が思った感想ということで。
すっかり行かなくなってしまったが文学フリマ東京が年々、盛り上がりを増して規模を拡大させていると聞く。評論系の島は特に人口を増やしているらしい。
XのTLで、「文学フリマは盛り上がってるのに出版不況は終わらない」みたいな対比で語っている人のツイートが流れてきたのを見た。
そこって対置されるもんなんかな、と疑問に思った。文学フリマで金を使うのと、商業の書籍に消費者として金を落とすのはぜんぜん違う事だ。
あそこに集ってるのはみんな「書きたい人」であって「読みたい人」ではない。そこを兼ねている人、ですらないと私は思っていた。
私が文フリに行かなくなったのはそのしょうもなさを感じていたからだ。
商業じゃねえんだからみんな好きなように書きゃいいさ、というのは当たり前なのだが、しかし「俺の話を聞いてくれ!同調してくれ!褒めてくれ!」という承認欲求と、「読む人が楽しんでくれたらいいなぁ」というサービス精神のバランスが著しく前者に寄っているテキスト、端的に言えば「お客さんを想定してそこに媚びる」という作業があまりにもない作品は読んでて疲れるし恥ずかしくなってしまう。
とくに評論系、たとえば素人で映画などのエンタメや文芸のたぐいを批評してる人の文章。「ああー、この人は物知りで鋭い視点を持った賢い人だと思われたくてしょうがないんだろうなぁ……」という剥き出しの、内容に釣り合ってない自己愛で見てられないことが多い。
私が哀しいのは、みんな自分を褒めてほしくて何か書いて文学フリマに持っていくが、誰かを褒めたくて文学フリマに行く人はそうそういないということだ。あそこは店しかない商店街だ。
一見、活発に紙幣が飛び交って何冊も同人誌が売れて「完売しました!」のポストがSNSで踊っても、しかしそのほとんどは(横のブースで本を出したりしてる)同じコミュニティの友人・知り合い同士で挨拶がてらにお義理に買ったり互いに購入し合ってるだけなんじゃないか。自分が相手に買ってもらいたいから、褒めてもらいたいからしゃあなしに相手のものを買ってやってる、何の広がりもない循環。
少なくとも私は、友達に同人誌に誘われたりして文フリに出てた時分には、そうやってネット上の知り合いや大学の後輩が出してる興味のない本を5、6000円ぶんも買って鞄を重くしてげんなりしながら帰っていた。一冊も読んでない。
そんな循環の中で買われた本だから、もちろんSNSでは褒めてもらえる。知ってる人から。おざなりな言葉で。「俺はちゃんと褒めたんだからお前も俺のことをちゃんと褒めろよ」あるいは「この人は買ってくれたしポジティブに言及してくれたから私も褒めとかないとな」という強制コミュニケーションとして。
そんなポトラッチみたいに金と賞賛をぐるぐる回し合う、何もかもが社交辞令の薄笑いで回ってる場所でその社交辞令に気づかず「褒められた~嬉しい~」とヘラヘラできる人は良いのだろうがしかし、そんな馬鹿が何百人もいるとも思えない。
だんだん、みんなにとっても「自分の居場所になっているコミュニティからつまはじきにされないように、内心イヤになってても行っとく買っとく」場みたいになってく(あるいはもうなってる)んじゃないか。そうなるとどっかで一気に、今の膨張の揺り戻しが来るよ。
まぁ別に、「インディーズでやってる界隈」ってぜんぶ多かれ少なかれそういう部分があると思うから、ことさらに文フリを悪く言う必要もないんだけどね。小さいライブハウス借りて音楽やってる人とか、地下芸人なんて言われるお笑いの人とか。客席にプレイヤーしかいない趣味のお稽古事発表会みたいな現場はどんな界隈にもある。
そこで、プレイヤー同士で品評し合って褒め合って気を遣い合って、どんどん「そのコミュニティでしか通用しない価値観」みたいなもんだけ先鋭化して、商業とかトレンドみたいなものから離れていくのに快感を覚えたりしてね。
いくらでも身内のエコーチェンバーなコミュニティに閉じこもってられる時代だからこそ、本当に義理じゃない、虚しくない言葉とかお金を使ってもらえる方向で作品を発表してった方が絶対いいよ。自分に気を遣う必要がない人がわざわざくれた誉め言葉って、すげえ嬉しいよ。マスに向こうよ。商業を目指そうよ。
そんなことを思う今日この頃です。ま、商業出版特に活字の文芸・批評とかいうオワコン産業(どころか別に始まってた時期もないキッズリターン産業)を目指せってのも無責任なポジショントークなんだけどね。