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はてなキーワード: 体育祭とは

2025-12-04

「既に」という言い回しは、一回だけ起こるとされていることか、不可逆なことに使われる。

既に文化祭が始まっているというのは前者のパターン

体育祭自体は毎年行われるとしても第10回とかの体育祭というのは一回しか催せないという意識があるわけだ。

ここで、乳児から既に包茎じゃなかったという表現を考えてみると、すっきりしないことになる。

包茎後天的にも起こるものなのかについて知識がないいとすれば、包茎じゃなくなるということは不可逆な変化なのかについて確信が持てないから、既にという言い方をしていいのかわからないということになる。

dorawiiより

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2025-11-11

教員権利を勝ち取った話・その後

はじめに

教員が権利を勝ち取った話を書いて約1年。ふとこの記事はてなブックマークをみると、こんなコメントがあった。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4760869331639768992/comment/htnmiki

職員会議で割り振りの件を話して学級崩壊ならぬ職員崩壊になったらウケるので続報よろしく

反応としては記事最後にあるように隣の先生が「まったく…」的な態度を取ったくらいで、職員崩壊にはなっていない。

とはいえちょっとした後日談があるのでここに書き置く。

愚痴

いきなりすみません、「ま~た甘々なゆとり・Z世代が何か言ってる」と思うかもしれませんが、少し愚痴らせてください。

勤務環境

記事の通り、ただですら荒れているのになぜか委託研究をしている上に行事が多数ある学校だったことに加え、

こちらの状況や意向聴取なく、経験のない運動部顧問(一応主顧問別にいたが)を当てられた。
生徒が度々やらかすので、次の授業まで時間がないのに臨時の全校・学年集会・下校指導が開かれることがしばしばあった。
担任でなくても給食指導に当たる必要があった。朝の会の最中や授業のないコマも見回りをする必要があった。

翌年からはチーム担任制(学級担任を固定せず全教員がローテーションで担任業務を行う)となったらしい。

臨時教員は難しい仕事を任せないのが一般的だが、なぜか正規教員と同じことを求めていた。

都道府県高校では臨時教員は年次目標作成面談研究授業、担任がなかったり一部が省略されるが、ここでは正規教員と同じことをさせられる。

(やむを得ない)遅刻病気にもかなり厳しい。

電車の遅延の場合でも、教務主任管理職それぞれに直接厳しい叱責を受ける必要があった。病気休暇は書類があれば問題ないが、なぜか管理職は取得を嫌がる。

「勤務時間の割り振り」(前記事参照)の取得も自由ではない。

教務主任も「割り振りを使える日が指定されている学校もあるよ」という。有給休暇連続して取得すると、「こういう時はいろんな先生に謝っとけ」と言われる。

どこにも明記されていないのに服装を厳しく指摘(オフィスカジュアルNGという)されたり、休憩時間中ですらスマホ職員室を離れることを禁止される。
複数回やることになる謎の職員トイレ掃除
プリントで生徒に分かりやすい図を見せようとコピー機を使うと、校長インク代が高いからやめろ」。

事情説明しても「それは理由にならないから」。

毎朝の朝礼で、校長が「校長通信」と称して、教員指導力や勤務態度などを批判する文章を配っていた。

自身による批判もあれば、どこかから引用したものもあった。しまいには「教員の魅力を伝えて採用試験受験者数を増やそう」。無理。

極めつけは、(給与休日振替もないにもかかわらず)始業30分前や土曜日の出勤を強制されそうになったこと、当たり前のように時間外に会議研修があること。

部活動指導など。隣の先生すら「休日に無給で出ろ」と言う始末(何とか回避したが)。外部指導制度はあるが、管理職が導入に消極的


人間関係

性格きつめのA先生

着任当初から怒鳴りつけられた。このほか、授業を見ては「生徒に迷惑だ」と言うなど。管理職を味方につけるため面倒。

意見を聞いておきながら、「まぁ違いますけどね」「通らないと思うけど成長と思ってください」と。何のために聞いたんだ。

校長教頭及び教務主任

同じく厳しい。全員私と同じ教科だからか、目につきやすいのか。教員病気休暇を取ることをやたらと嫌がる。教務主任はやる気がありすぎてうざい。

こだわりの強いB先生

仕切りたがり屋。鍋奉行の学級学年運営版。個人でやる分には構わないが、こちらを巻き込んでくるので厄介。学年会議の話を長くして帰りを遅くする要因。

隣の机のC先生

やはりこだわりが強い。人間関係強要してくる(教員間の人間関係が生徒に響くからだとか)。飲み会の欠席を伝えると何度も確認してきた。

個人的な事情

勤務環境とは無関係だが、次のような要素も大変になった理由かもしれない。いずれも今年は解決しているが。

その前の年に母親(同じ県の高校教員をしていた)が脳神経系の疾患により救急搬送され、当時療養中だった。

1年の療養の後回復し、現在は復帰している。

奨学金の返済が残っていた。年度当初で約70万円。月の返済額は8千円だが万が一に備え毎月8万円を返済用口座に入金していた。

学部(2種・240万円)は前年度末に繰上返済を済ませていた。大学院(1種・計120万円)の分も12月で返済残額に到達した。その後繰上返済により今年9月に返済終了。

かなり気温が高い(10月末までかなり暑かった)年で、体調に悪影響があった。

今年は比較マイルド気候だった。


年度末までにあったこ

ピンポンダッシュ事件

荒れている学校なので生徒が授業中騒ぎまわるのは当たり前だが、放課後に何かやらかして近所から苦情が来ることもしばしばあった。

文字通り、学年の複数の生徒(やはり授業中態度の悪い主犯格)がピンポンダッシュをしたというもの

犯人特定し、怖い先生複数人で指導していたところ、そのうちの1人が暴れ出した。服薬しないと暴れる生徒だったが、試験的に服薬を止めていた矢先のこと。

保護者を呼びつけ毎日の服薬を確約させたが、その後も本人がその通り服用しているか怪しい。

暴走族

私の担当学年の生徒ではないが、市内複数校の暴走族グループに入っている生徒がいたらしい。

体育祭集団で来ると噂があり、全校で対応することになった。私は危険を感じ、家族病気理由にして年次有給休暇を取得した。

あるクラス担任メンタルダウン

2年以上は生徒本人の行動や人間関係理解して担任クラス編成を決められる(ヤバい生徒を分散できる)のだが、1年(当時の担当学年)はそうもいかない。

一応小学校から申し送りは来るが伝聞証拠に過ぎず、ヤバい生徒(しばしば保護者ヤバい)が偏ってしまうことがある。

本年度の1年は特にヤバいといわれていたが、その中でもヤバい生徒(上記の暴れる生徒もここ)が集まったうえ優しい女性のD先生(同い年)が担任になってしまった。

ついにメンタルがやられ休職担当授業を自習としていたがそれも限界になり、教務主任(該当教科の免許未取得)が授業をすることに。

代替要員が見つからないので、臨時免許(無資格者を宛がうための免許)を持たせて採用しその場をしのいだ。担任学年主任(再任用最終年度)が引き継いだ。

最終的にその先生は復帰するが、他の女性教員支援員さん複数人で対応しても生徒が教室を走り回るありさま。こちらが怒鳴りつけて少しは落ち着いたが。

私とそのまわり

とはいえ結論から話すと、居づらくなったりといったことは特に起きなかった。強いていうなら、私の病気休暇申請書が消えていたところだが。隠されたのかな?

また、管理職から残業命令はできないので、同僚からメモや口頭で「仕事があるから帰るなよ」と言われる程度(無視したが)。結局なんだかんだで

学年主任「生徒と関わるの嫌でしょ、給食職員室で食べて」

担当部活の主顧問試合の引率だけしてくれればいい、定時で帰りな」

配慮してもらえた。

嫌な顔をしているのは先述のA先生校長くらいだが、特にダメージはなし。A先生こちらが挨拶しても無視という態度だが、特に問題はない。

(挨拶無視マウント一種らしいが、同世代出世争いをしているならともかく、年の離れた私にマウントを取る意味はないのだが…)

校長面談とかで

「君の教職に対するモチベーションはその程度なんだね。もう君には何も言わないから」

→言われるうちが華とかいうけど放置してくれると個人的にはありがたい。

「もう30歳でしょ、将来どうするか決めないと中途半端になるよ」

→そこそこの収入が得られればやりがいとか成長とか考えなくても問題ない。

と暗に退職勧奨する程度。結局転職したが。


転職の決め手になったのは、次年度のクラス編成会議。あろうことか、次年度の担任をさせられそうになった。

もう耐えられないと思い、「それなら退職していいっすか」と言ったが流された。管理職に伝えてみても「君責任感はないの?」と。退職勧奨してたじゃないっすか。

仕方ないので退職代行に頼ることにした。公務員の依頼は多くの業者が引き受けないというので、同じ県に事務所もつ弁護士に頼ることにした。

終業後、事務所に赴き現状を話した。ところが、有給休暇の残り日数の都合で即日退職はできず、連絡もこちらの在校時間中になるとのこと。

だが背に腹は代えられない。そのまま依頼し、後日実行してもらったところ、あっさり受理された。なんだそれ。


それから特に他の先生から何かされることはなかったが、C先生喧嘩することになった。

「3年生を送る会」の準備が原因だった。研究委託校ということもありICT活用しようということで、生徒に出し物のアンケートフォームを作ることになった。

多数あるものから第3希望まで選ぶもののため、第4希望以降の回答は必要ないが、C先生は「ポチポチするのは面白いだろうからそれも入れて。今日中に作って」と。

作ったものの、結局それは忘れ去られ。次々と要領を得ない指示を出され。そしてある日の朝礼後、突然、

C先生「出し物の準備どこまでできた?」

私「こちらに完成していますよ」

C先生「作ってほしいのはこんなんじゃない。もっといいものを作ってよ」

私「(よくわからないな)それならもっと早く具体的に言ってくださいよ」

C先生「そんな言い方ないでしょ!!」

怒鳴りあい喧嘩に。

教務主任「生徒がすぐ外にいますから…」

教頭「お前ら何してんだよ!!落ち着いてください!!」

この場は引き離される形で収束昼過ぎ教頭に呼ばれた。また怒られるんだろうなと思ったら、

教頭「いろいろ嫌な思いしたと思うけど、あと少しだから。ほんの少しでも居心地が変わるからC先生に謝って仲直りしたら?」

教頭「それと、次の学校に行って納得できないことがあったら学年主任相談してみるのもいいと思うよ」

C先生「このたびはすみませんでした」

担当部活の主顧問一生懸命作ったものね」

やたらと威圧感のある教頭が優しくなって不気味だった。学年の先生も手のひらの返しようである

修了式

授業もすべて終わり、いよいよ修了式。私は退職するので、離任挨拶をすることに。

全文は忘れたが、この学校であった嫌だったことや管理職から受けた叱責のことを話した気がする。校長の顔がみるみる曇っていく。

悪い空気感を察したのか、他学年の先生に「時間で~す!!」と止められた。そういえばこの先生研修会で私が講師に悩みを相談したとき割って止めてきたような。

最後に「校長通信」を持ってきて全職員校長の目の前で破き、校長に投げつけた。


学年主任は(なぜか笑顔で)「後で謝っときなさい」と。その後E先生に個室に呼ばれる。離任挨拶(という名の学校批判)の原稿全見て

E先生「どこも一緒だと思うよ、他の仕事探したら?どうしても教員になりたい理由はあるの?」

私「免許職なので再就職がしやすいですし、そこそこの給料が得られるからです」

E先生「わかった。とりあえず校長先生に謝りなよ」

私「嫌です」

E先生「わかった。僕がなんとかしておくから。この原稿は見つからないようにシュレッダーにかけとくね」

職員室に戻ると、校長が一人でさっきの紙くず掃除をしていた。


残りの有給休暇が少なかったこともあり、修了式から数日は出勤する必要があった。

C先生には「今までお世話になったんだから下駄箱とかロッカー掃除しなよ」といわれたが、無視した。

私の後任を探そうにも、現職・新採用どちらも本採用教員が確保できず。担当は別でも該当教科の免許もつ教員も充当できなかったようだ。

同じ教科の普通免許保持者に絞ると、臨時教員も見つからず、臨時教員として採用された新卒者に臨時免許を持たせ、2教科の担当にして回すことになったらしい。


退職と離任式

事務手続き上仕方ないのだが、この学校事務の催促がうるさいことも特徴だ。

まず、保険証について。普通は最終出勤日後も退職日までは使え、「年度が替わってから郵送してくれればいいですよ」と料金後納郵便封筒を渡してくれる。

が、本校は「まだ到着していないがいつ返すんだ」という催促が毎日。最終出勤日後も毎日電話がきた。

この件以外にも、「離任式と送別会に出るか、早く回答しろ」というのが退職日を過ぎてから毎日かかってきた。疲れてるんですから節度を持ってくださいよ…。


離任式。私以外にも他の臨時教員全員、校長(当日欠席)、教務主任学年主任特別支援学級担任、D先生などが一緒に離任する。

生徒や職員の前で離任の訓話をするのだが、皮肉を混ぜてみた。大体こんな感じ。

君らは草野球選手大谷翔平じゃない。努力しても大概うまくいかない。だったら自分が得意なことに力を注げ。

(注:草野球大谷翔平の例えはこちらのnoteを参考にしました)

権利は最大限主張しろ。私も「残業代出せや」って教務主任にキレたことがあるし。
いじめはどこでもある。私だってA先生に怒鳴られたことがあるし。

なぜか訓話の途中でマイクの電源が切れたが、声量があったので後ろの生徒にも問題なく聞こえたはず。

離任式が終わり、控室に戻る。その時、担当していた部活の主顧問(口調や表情はやさしいがオーラが怖い。おそらく新年度学年主任か)に呼ばれ

「このあと学年のお別れ会があるけど、さっきの感じなら正直言って参加させられないね。きちんとした態度でいれるなら参加してもいいけど、どうする?」

A先生はその性格からして「何言ってんだこいつ」とスルーしたはず。なぜ問題視するんだろう。私を叱責しろとでも管理職に訴えてプチ騒ぎになったのかな?

成り行きで学年のお別れ会にも参加。変わったことはA先生がいなかったくらいで、つつがなく終了。

生徒は「A先生いじめられたんですか!?」と興味津々だったが、適当にあしらって帰宅


エピローグ

余りに疲れたので、休養に入った。沖縄離島めぐりデレマスシャニマスライブに行くなどリフレッシュ

とはいえ、このままニートを続けると貯金が尽きるので、職探し。他の都道府県公立学校教員募集を当たってみると、いろんなところからお誘いが。

1つ目は中学校。私は中高2教科で教員免許を持っているもの経験のない教科でのオファーだった。お誘いがあったのでとりあえず面談へ。

だが、遠方の学校非常勤のうえ、担当コマ希望は通らないという。前任校以上に荒れており「面談した日も生徒がトイレ破壊した」とのことで、辞退した。

2つ目は進学に力を入れている高等学校こちらは両教科で常勤教員募集があったので、経験教科で応募した。

その日中電話が来て、翌日面談に。「未経験教科の方が不足しているので、そちらの担当になっていただけませんか」とのことで、承諾。

前年ひどい目に遭ったので、「時間外在校はできません」と強く伝えると「大丈夫です、もうそういう時代じゃないですから」と。

学年団に入らず(つまり担任ではない)、年次目標作成面談必要ない。部活指導員がいるためほとんど関わらなくてよい。

職員エリア含めた学校の半分くらいは清掃は業者がやってくれ、清掃指導も週2回だけでよくなった。

着任後も何件もオファー電話が来た。ここまでやらかしたのに、なぜか前任校のある都道府県からも。


ふと前任校のことが少し気になってホームページをのぞいてみると、学校だよりに地域住民へのお詫びと訓話が書かれていた。今度は何をやらかしたんだろうか。


元々中高2教科で免許を持っていたが、万が一のため免許は多めにとっておこうと考え一昨年から通信制大学に入り3教科目の取得に動いていた。

また、昨年度から当時の担当教科で1種免許を専修免許アップグレードするため働きながら大学院に入りなおしていた。

そして今年9月末、これらの単位取得が完了した。免許申請必要な「人物に関する証明書」も現任校が作成を快諾してくれた。

今は4教科目の1種免許取得を進めており、そのあとは残りの教科も専修免許アップグレードしようと考えている。

加えて、確定拠出年金の申し込みを行い、月の積み立て最大金額で投資するほか、米国株などにも投資している。将来働かなくて済むよう計画を練る。

あと、やっぱりまだ嫌な思いは消えないから、在職中受けたことを内容証明教育委員会教育長とかその自治体の長にでも送ろうかな。


辛い目に遭ったら、耐えるだけが手段ではない。反抗する、逃げる。悪いことのようにされているが、正当な手段だ。

人生仕事のためにあるのではない。楽しむためにある。自分の楽しみが第一だ。

2025-10-26

結局、女子高生になりたかったのかも!

さっきケンタッキー・フライド・チキン店舗前を横切ったらさ、よく見えねーけど、なんか女子高生っぽい白い制服集団が、楽しそうにしてたわけですよ

それをみて思ったのがさ、俺は結局、女子高生になりたかったというか、女子高生である瞬間が欲しかったんじゃねえかってこと

厳密に言うと女子高生ならなんでもいいってわけじゃなくてさ

・40人のクラスで8〜10番目(20人くらいの女子の中で、という意味)くらいにかわいい

・パッと見でなんの部活に入ってるかわからない(運動部の快活さも、吹奏楽部美術部の陰湿さもない)

・それなりに朗らかだけど、なんとなく笑顔に陰があるような感じがする

カバンに古い映画(バックトゥザフューチャー等)のキーホルダーひとつだけ付けている

電車の中でスマホを見ないようにしているが、それは謎の見栄によるもので、家ではメチャクチャスマホを見ている

SNSはよく見るが、発信は全然しない

写真に映るのをなんとなく嫌がる

・それなりの偏差値高校(60〜65くらい)に通っている

運動神経が悪い

 ・体育祭リレーをすごく嫌がっている

勉強はある程度真面目にやっていて、成績はいい方

・陰口を言わない(人のことをあまり悪く思わないので、言えない)

・虹を見たら写真を撮るが、誰かに見せるわけではない

・授業に出てきた本(現代文小説や、世界史で紹介される名著)を買って読んでいる(が、中身はそこまで分かってないらしい)

・仲のいい2人くらいの女子だけは(名前)ちゃんと呼び、あとの人は全員(苗字)さんと呼ぶ

・どうでもいい雑学に強い

・星とかに詳しい

熱帯雨林動物昆虫などに詳しい

アニメより漫画

・川が好き

 ・帰宅中、川面を見るために寄ることがある

テレビをあまり見ない

 ・歯医者とかの待合室でテレビがついてると、結構じっと見る

・授業中はメガネ

 ・目は普通に悪いが、歩く分にはいける

・いい景色があるとメガネをかける

・猫がいると「お、ネコだ」と言うが、近寄らない

・静かだけど喋ると面白い人、的な扱い

・駅のホームで、人がいない端っこのほうに行きがち

・登校時間が遅い

スターバックスではほうじ茶ラテとか飲んでる

学校掃除とかを真面目にやってる

 ・友達といるときは箒でエアギターやってる姿などもまれに見られる

・服は適当で、全身ユニクロだったりする

 ・無地の服を着がち

・授業中、全然寝ない

・髪は後ろで括っていることが多い

スマホケースに何の装飾もない

LINEユーザー名は漢字本名

 ・アイコン風景写真など

体育祭フォークダンスでは、わりとちゃんと手を繋いでくれる

 ・踊り自体は下手

 

このような特徴をもつ女子高生になりてえわけ

そんでさ、ケンタッキー・フライド・チキンで楽しそうにしている3人組の中の、いちばん大人しそうな子が俺でさ、でも、会話の中でちょいちょい面白いことを言って、「もー増田ちゃん!!」とか言われてるってこと

3人が解散したあと、笑顔で2人を見送って、スッとクールな表情になって歩き出すんだけど、足元で小石を蹴ったりしているということ

イヤホンを取り出して聴き始めた曲は、British Grenadiersみてえな、クラシックなのかなんなのかわかんない、聴けばわかるけど聴こうと思って聴いたことはないような曲であるということ

駅のホームで偶然彼女を見かけて、会釈をしたら、向こうも眉を上げてはにかみながら会釈を返してくれて、しかもなんか片手まで挙げてくれる、ということ

そういう感じのね

そういう感じの女子高生になりたかった

2025-10-18

自分いじめていた弟が結婚する

弟が結婚するようだ。いつのまにか。

弟は「良い奴」だ。明朗快活で行動によどみが無く、それゆえ友好関係も広い。物怖じしない性格で、自分の望みを果たすためには投資をためらわない。中高で入っていたバスケットボール部ではキャプテンを務め、体育祭では応援団長の役目を買って出ていた。なんというか、いわゆるクラスの一軍である

弟は専門学校を出たのちに、水産系の企業就職した。船に乗って遠洋に出ていたこともあった。いまは別業界転職しているが、話を聞く限りどうやら職場人間関係は良好で、金払いも良かったようだ。僕は大学院生なので、弟に高い食事を奢られたことがある。

僕は弟のことが嫌いではない。それどころか、むしろ応援している。弟は、僕にできないことができる。まごうことなく「人間」をしている。僕は忙しそうにしている店員さんに遠慮なく自分要望を伝えることができないし、友達を家にたくさん呼んで、楽しくお酒を飲んだり笑い話をするなんてこともできない。はっきりと言うが、なにかこの状況に不足があるとするならば、それは僕にあると思う。どちらかといえば僕がひとでなしなのだ。自己の土台があやふやで弱く、諸般の「実際」に関わる能力に劣っているのだ。

ところで僕は幼少のころ、弟にいじめられていた。兄にも関わらず。年子なので年齢差は小さかったし、弟の方が身体が大きく、力も強かった。下賤な言い方をすると、「オス」として優秀だった。

食卓で、弟の好きなものを先に食べたら、肩を箸で刺されたことがある。僕は、そこで泣いたりしたら負けたことを認めてしまうと思って、余裕を見せるアピールのつもりでへらへら笑っていたが、実際ものすごく痛かった。傷跡は25になった今でもはっきり残っている。ゴキブリ用の殺虫スプレー顔面に散布されて、顔の筋肉麻痺痙攣したこともある。母親が外出中でのことだったが、当時、母には打ち明けられなかった。中学生になっても弟が怖かった。共用のWiiU占有されていた。弟が塾通いで不在の時にだけ、ひそひそ隠れてゲームをしていた。暴力や、人格否定が怖かった。自分の弱さを突き付けられるのが怖かった。僕は勉強机に「死にたい」と書いた。希死念慮というほど固まった願望ではなく、本当に死にたかったわけではない。ただ、自分の弱さと、居場所の無さに情けなく、それら問題を誰かにどうにかしてもらいたかった。母にそれは見つかり、「命は大切にするもの」と叱られて終わった。ささやかでみじめな抵抗だった。

から結婚の報せを受けたその瞬間のこと、僕には目立った感情の動きがなかった。驚きがなかった。ただ、「まあ、だよな」との納得があった。嬉しさもなかった。「まあ、これは弟の話で、人生で、兄の自分のことではないからな」と、頭に自分と弟とを分別して考える壁が生えていた。置いていかれる悲しさもなかった。「まあ、自分結婚できないのは当然だし、他人から愛を感じたこともないし、そういうものだろうな」と受け入れた。

僕は後付けで感動した。感動しておくことにした。こういうとき、兄ならば結婚を祝福するのが普通だろうと思って、「おめでとう」と言い、表面上喜んだ。

僕はひどく自己嫌悪した。僕はなんという砂漠で、渇いていて、不気味なんだろうと思った。弟の結婚ひとつも、心根から喜べないのか? どこまでも人間のロールプレイで、周りの真似事で、そして愛を受け取れないのか? 弟にいじめられていたからだろうか? もし弟に昔のことを誠心誠意謝られたら、僕の中に情動は沸き起こってくるのだろうか? こんなことを考えていては、慶事に対する何かしらの冒涜ではないだろうか?

これは嫉妬ではなかった。弟は僕にとって、嫉妬を抱く対象ではない。ステージが違いすぎる。比べても仕方が無い。だからこそ、余計に自分が目立つ。このステージにはもはや自分しかいなかった。横に並ぶものはほかにいなかった。

被害者意識にまみれた、この醜自分をどうにかしたい。癒えない傷ばかり抱えてうじうじとしている自分を殺したい。もしかしてこれが希死念慮か? 僕は何年か越しに、また「死にたい」と書くことになるのか?

こんど両家の顔合わせがある。どんな面下げて僕は行けばいいのだろうか。少しでもマシな気分になれることを祈る。

2025-10-17

体育祭フォークダンス弱者男性救済である

女性が一緒に躍りたいのは男性の5割にも満たない

高校卒業して初めて触る女性の体が風俗嬢である男性は驚くほど多いだろう

2025-10-14

オリンピックとか、万博とか、もっとやった方が良い気がしてきた

結局日本人祭りきじゃん

祭りないとなんかずっとつまんなそーに生きてるじゃん

祭りあると文句言いながら結局楽しむじゃん

やった方が良いよ、なんやかんや言っても

__

 

日本人、口実がないと陽キャになれない説ってこと

オリンピックとか万博とか、ここまで盛り上がると思わなかったもん、なんだ好きなんじゃんって

本当に誰も行かないならやめたほうが良いけどさ

学校行事みたいなもんで、文句言いながら結局楽しむやつが割と出るならやったほうがいいんじゃね

ほっといても個々人はパーティーするわけでもないし、民間は確実に儲からないとやらないしさ

 

もちろんやるならちゃんとやって欲しい、反省点は多い、上手くやってほしい

 

__

 

ごめん、「もっと」って語弊があった、個人的には今くらいのペースでいいとは思う

 

お前らは要は体育祭とか学祭文句言ってるめんどくさがりってことだろ?結果だけ見ると

国はよくわかってるわ

2025-10-10

訳アリの子就職指導をしていた


かつて公立高校教師をしていた。何年も前に辞めて、今は別の教育業に従事している。その頃の思い出が脳裏によぎることが最近よくある。どこかで書いたら心の整理がつくのではと思った。

なお、この日記身バレ防止のために、ChatGPTにお願いして文体を変えている。鼻に付く文章があれば申し訳ない。

これから書くのは、最後に赴任した高等学校でのことだ。実は普通高校ではない。訳アリの子が通うための高校だった。

いわゆる、事情がある子というのがいて、全日制の高校に進学するとか、通い続けるのが難しい。そういう子が通うための学校である。仮にポジティブ学園としよう。

3部制を採用していて、午前・日中夕方以降の3つのから自分にとって都合のいい時間帯を選んで履修できる。早い子だと、普通高校生のように3年で卒業する。

制服私服か、自由に選ぶことができる。アルバイトができるし、メイクピアスも全て大丈夫。髪染めもOKで、ピンク青髪学校に通う子もいる。

ここに来る前、私は全日制の高校にいた。地元では人気のあるところだった。毎年冬にある推薦入試の倍率は20倍を超える。そういう学校である人口だと約40万人が在住する地域だったが、その中でもトップに近いところだった。

真面目な生徒たちに囲まれてたと思う。彼らは偏差値の話もしていたけど、それ以外にも部活動とか友達との交流とか、文化祭体育祭など、とにかく人としての「生きる力」というか。そういうのに溢れていた。

当時の私は、まだ30代のヒラ教師だった。それが高校生のあるべき姿だと思っていた。学業が一番で、余った時間部活動その他の自己を高める活動に取り組むのだ。

だが、ポジティブ学園に赴任して、現実を思い知らされた。自分がこれまでに教えてきた生徒らは、いわゆる上澄みというやつだった。毎日学校に通学して、学業部活動趣味に打ち込むことができる時点で、高校生としては相当できる方である



今でも思い出す。ポジティブ学園に通う生徒らは……教室の隅でうつむく子や、理由をつけては学校を休む子。授業など聞く気すらない子、授業中に堂々を飲み食いする子。なんというか、彼らには当時の県教委が教育の柱としていた理念ひとつ、「生きる力の醸成」が通用しなかった。

そうした生徒たちに、私は何もしてやれなかった。何をしたらいいのか分からなかった。ただ毎日教科書に従って授業を進めるだけ。彼らに対して指示や指導をすることはあったけど、そもそも内容を理解できてるかも怪しい。

一応、入学試験はあるのだが、実質的に全員合格させるスタイルだった。普通高校に行けない子――そういう子のための最後の受け皿としての役割を、ポジティブ学園は担っていた。

最初に話したとおり、ここは「訳アリの子」が通う学校である不登校経験者とか、昼間は家業を手伝う子とか、家計を支えるために夜働いている子。様々な事情を抱えて、全日制のレールから外れることになった生徒たちが、自分のペースで学び直す場所だ。

赴任の初日、当時の校長は私に言った。「ここは、生徒たちが『それでも学びたい、高校生をしたい』と選んでくれた場所です。先生の役目は、彼らの気持ちを全力で応援することです」ってさ。

さっきと矛盾するようだが、生徒たちはひたむきだった。普通高校生と一緒で、やる気のある子はいるし、そうでない子もいる。昼間の授業中、うるさい教室の中でも真剣ノートをとる生徒とか。放課後になると、「じゃあ働いてくる~」といった感じでアルバイト先に向かう子もいた(ほぼ金髪の子だった)。

夜間部教室だと、疲れ切った顔で教科書と向き合う生徒もいた。全日制の「普通」とは違うけれど、彼らには彼らの「普通」があった。

赴任してから次の年度、就職指導担当することになった。人生経験である。私は民間企業で被服の営業仕事をしていた。泥臭い仕事を約十年やっていたということで、白羽の矢が立ったのだと思われる。

通信教育高校教諭の免状を取った

これまでの学校では就職する子や、専門学校に行く子は稀だった。仮にいたとして、実際なんの指導必要なかった。受け入れ先の企業も「なんでこの学校の子が……」といった顔パスに近い扱いだった。

此処では、むろん一筋縄はいかない。

履歴書の書き方一つとってもそうだ。社会人でいうところの空白期間不登校だったとか、全日制の高校を中途退学したとか、中学卒業してからフリーターだったとか、あるいは何もしてなかったとか。

そういう経歴を書く場面になると、彼ら彼女らは詰まってしまう。無理もない。これまで何度も、そのことで心を痛めてきたのだから

私は履歴書を読み直す度に、「君の経験無駄じゃない。乗り越えた証拠なんだ。学校、来てるじゃないか!」と声をかけた。最初は疑いの眼差しだった生徒たちも、次第に心を開いてくれるようになった。心を開いてくれない子もいたけど、それは致し方ないのだ。

私は教師から、「いつかは通じるはず。別に今じゃなくても、数年後だっていい」と思って就職指導をした。



秋のある日。就職関係イベントがあった。「○○圏域 企業学校交流会」みたいな名称だった。これは、企業学校大学専門学校高等学校専修学校その他もろもろ)のそれぞれの担当者が各ブースで話し合いの場をもつというものだ。

企業から採用担当者が、学校から就職支援担当者が出席する。参加団体企業だけでも100社を超えていた。学校からは、その地域学校という学校はほぼすべて出席していた。

ここに、私と校長の2人で出かけた。目的は、企業の方々にポジティブ学園を知ってもらうこと。うちの学校にはただでさえ偏見が多い。少しでも解きほぐす必要がある。

たくさんの企業ブースが立ち並ぶ中、それこそ時間が許す中、多くの企業ブースに足を運んだ。校長自らが話をしていた。約十分ごとに挨拶から始まって、学園の概要説明、どういう子がいるかや、これまでの就職実績など。

そして、いつも最後に、「わが校には、難しい状況にある子が通っています。それは事実です。そういう状況でも、彼らは自分の道を切り開く努力をしています面接の際に見かけましたら、どうぞよろしくお願いします」と相手企業に伝えるのだ。

企業の反応は……まあ、社交辞令みたいな感じだった。「わかりましたよ、でもうちの会社採用対象かどうかはねぇ」という表情だった。

そういう反応になるのも無理はない。ポジティブ学園は、県道沿いの大きな平地にある。昔は地域伝統校が鎮座していた。少子化で別の学校合併になり、校舎が空いたところに県教委がポジティブ学園を創設した。

例えば、毎朝の登下校時、いや昼以降の登下校時でもそうなのだが……校舎前の県道には、ダボっとした私服で、髪を染色していて、ひと昔前の不良漫画(今時でいうと薫る花は凛と咲く)の雰囲気を漂わせた未成年闊歩している。初めてその光景を見る人からすると、「そういう高校なんだ……」という感想になる。

から企業担当者がうちの学校に対してそういう態度になるのは、ある種の必然だと思っていた。偏見を持たれてもしょうがないって、当時30代半ばだった自分は感じ取っていた。

そうでない企業もあった。社交辞令とかじゃなくて、真剣こちらの話を聞いてくれる。というか、むしろ聞きたいという恰好で話に臨んでくれる。

半導体装置を作っている会社がそうだった。その時も、校長は満面の笑みで相手方の採用担当者に熱心に話をしていた。

「○○さんは、福山代表するハイテク企業でいらっしゃる。我が校にも理系の才能を持つ生徒がたくさんいるんです。どうか、偏見なく見てやってください」

そしたら採用担当者は、少し戸惑った表情になって、「私達を馬鹿にしないでください。もちろんですよ(^^)」と答えてくれた。



それから数年か後のこと。ポジティブ学園の進路実績だが、創立当初からずっと変化はなかった。大学学者だと地元にある限りなくボーダーフリーに近いところか、地元専門学校地元民間企業だった。そもそも、ここまでたどり着ける子自体が少ない。入学した子のうち1/3以上は中途退学してしまう。

その年のことはよく覚えている。3年生に1人の生徒がいた。名前は仮にケンタとする。プログラミングが好きな子だった。授業中も休み時間も、ずっとPCの画面とにらめっこしていた。授業中にも堂々と副業的なことをしていたが、単位は取っているので見逃していた。

ケンタは、数学情報処理の成績が抜群だった。数学問題でも、いつの間にか自分勝手アレンジして、勝手問題を解くようなプログラムを組んだこともあった。

それを友人に共有しようとしたが、難しい様子だった。能力・興味的な部分もあるし、自分だけのノートPCを持ってる子が少ないのもある。

ケンタ中学校の時は不登校だったらしい。原因は、特定の誰かからいじめられたわけではなく、「教室という空間がなんか違うと思った」からだと言う。

大人だったら「息苦しい」ということになるのだろうか。全日制の高校には行きたくないと、自らこの学校を選んだ。

私は、彼の才能を埋もれさせてはいけないと思った。彼とは幾度となく話をしたけれども、ただ生きにくい性格であるだけで、才能はあるのだ。

私は就職戦線が始まる直前にケンタを呼んだ。「この会社を受けてみないか?」と誘ってみた。さっき上の方で話した半導体装置会社である半導体以外にも、ディスプレイ機械制御装置も手がけていた。

当時はローカル企業だったが、それでも市内で知名度はあった。

ケンタは驚いたような、呆れたような様子だった。「知らない会社ですけど、半導体には興味ありますけど、無理だと思います」と言ってた。

「お前はできる。この会社理系の才能を求めてるし、才能を正当に評価してくれる」

と言うしかなかった。実際、私の出身地域では評判の高い企業だったし、2025年現在では全国的知名度のある企業にまで成長している。

強引に進めるしかないと思った。何しろケンタ卒業後の進路を決めてなかった。とりあえず先延ばしにしている印象だった。

そこで、ケンタをどうにか説得して、彼の履歴書添削して、推薦状も書いた。履歴書には、不登校だった過去も、ポジティブ学園を選んだ理由も正直に書かせた。彼のプログラミングに対する情熱を備考欄にこれでもかというほど書き連ねるようにした。

面接練習ときケンタは口ごもることが多かった。相手の目を見て話すことが苦手だった。コミュニケーションが苦手なタイプ。正直、公式な場での会話が難しい子だと思う。

けれど、たどたどしい感じになっても、自分の思いはちゃんと伝えてくる子だった。

大丈夫だ。プログラミングの話になったら、お前はきっと大丈夫

AtCoderで最高位に近い色だった

私はそう言って、彼を送り出した。自分には確信があった。あの会社は、肩書き学校名じゃなくて、実力で人を判断する会社だと。あのイベントの時、うちの校長言葉に耳を傾けてくれたんだって



約一か月後、職場電話がかかってきた。あの会社採用担当からだった。胸がざわついた。

以下、話の内容である言葉の感じも、当時の手帳を元に大体そのままにしてある。

「あの、ケンタ君の件で、社内で検討を重ねた結果、今回は採用を見送らせていただくことになりました」

「なぜですか?」

プログラミングスキルは、正直高いです。うちの主任技術者も高く評価しました。ただ……」

 ※この時私は、苛々とともにペンをカチカチしていた

「ただ、入社後のサポート体制を考えた際にですね。彼が当社の環境に馴染むことができるか、という点に懸念が残りました。不登校経験があるということも、正直に申しまして、入社後のメンタル面のリスクを拭い切れませんでした」

「それは、偏見ではないのですか?」

言ってしまった!と心の中で後悔した。先方の声が少しだけ硬くなった。

「そう言われても仕方ないかもしれません。しかし、会社事情があります。我々もギリギリまで議論を重ねました。安易気持ちで彼を採用して、もし彼が再び辛い思いをすることがあれば、それはお互いに不幸です。今回は本当に申し訳ありません」

電話が切れた後は、多分……しばらくボーっとして、職員室の椅子に座ったままだった。

あの時はこう思った。やっぱり、ポジティブ学園の子はそうなんだ。どんなに才能があっても、過去レッテルから逃れられない。あの日イベントで抱いた期待を裏切られた気がした。

だが、その後の日々で、冷静になって考えてみた。

採用担当者の言葉に嘘はなかった。彼らは、私が抱えていた不安を彼らなりの言葉で伝えてくれただけだ。

採用すれば良いというわけじゃない。無理に引き受けて、彼の心の傷をさらに深くしてしまうかもしれない。

そう考えたとき、彼らの不採用という決断は、ある意味、生徒のことを真剣に考えてくれた結果なんだと思った。

しろ偏見だと決めつけて、彼らに向き合わなかった私の方が……傲慢だった。

ケンタ不採用の知らせを伝えると、しばらく沈黙が続いたっけ。

「そうですよね~僕みたいなのが、あん会社は無理ですよね」ってケンタが言うと、心にグサッときた。

「ごめん」としか言えなかった。生徒に謝る事態なんて、教師として三流以下だと思った。



ここまでがポジティブ学園での思い出であるそれからケンタは、遠方にあるコンピューター専門学校に進学した。私が様々な方向性提案して、ケンタと話をした結果、彼が自ら考えて決断したのだ。

ケンタ高校卒業して、何年もの月日が経った。最初のうちは、メールで年に何度か近況報告をもらうこともあった。プログラミングがやっぱり楽しくて、大会にも出場しているといったことだった。

やがて、やり取りをすることもなくなった。それは彼がナニカに集中するようになったからでは、と心の中で期待していた。やがて、ケンタのことを思い出すこともなくなった。

ある日、一通のメールが届いたのだ。ケンタから。内容は、就職先の内定のことだった。「報告があるのですが、○○(※あの半導体会社)に内定をもらいました」という端的な文章だった。

「うわっ!」と、思わず声を上げてしまった。その端的な文章の下に、いろいろと書き連ねてあった。彼らしく、無駄が一切ない文面だった。

要約すると、専門学校就職インターンシップに申し込む際、事前説明会があったとのこと。参加した時、人事の方に「ケンタ君だよね?ポジティブ学園の」と声をかけられたという。

「あの時の採用担当者の方が僕のことを覚えてました。『あの時よりも自信に満ち溢れている』って言われました。」

メールを読みながら、涙が止まらなかった。

専門学校で、僕はプログラミングスキルだけじゃなくて、コミュニケーション能力も、人との関わり方も学びました。飲食店アルバイトしました。おかげで、あの時よりも、面接自分言葉でしっかり話すことができたんです。あの時、もし会社に受かっていたら、僕は挫折していたかもしれません。…(中略)…でも、先生が僕の可能性を信じてくれたから、僕を諦めなかったから、頑張ることができた。本当に、ありがとうございました」

キーボードを触りながら、返信しようと思いつつも、手が震えてうまくできなかった。

私はあの時、半導体会社偏見判断した。ポジティブ学園の子から、そういう目で見たんだろうって。そして、生徒の可能性を信じきれず、不採用という結果に囚われた。

でも、本当にケンタに向き合ってくれたのは、彼らの方だった。再認識させられた。成長したケンタを、あの人達は今度もまたちゃんと見て、採用という判断をしてくれた。それだけだ。



ここで結びにする。

あの学園にいた時は、生徒たちの「訳アリ」の部分に目がいってしまうことがあった。でも「訳アリ」なのは過去物語によって起きた結果にすぎない。彼らは皆、自分人生を懸命に生きている。できる子がいたし、できない子もいたけど、未来に向かって進もうとしていた。

私はもう学校教諭ではない。けど、あの頃は就職指導先生としてだけじゃなく、人として彼らの未来を信じて背中を押し続けたつもりだ。

自分応援団のひとりに過ぎないと思っていた。でも、応援された生徒は、やがて自分未来のことを考えて、切り開こうとチャレンジする。そういう人になってほしいと願っていた。

今は、別の形ではあるけど、若い人にものを教えている。学校と違って、純粋に実務上の知識技術を教える仕事である

これからも、誰かの未来応援し続けようと思っている。それが、訳アリの子就職指導をしてきた、自分にできる使命なんだと思ってる。

2025-10-06

10月1週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

🍽 食・スイーツ日常消費

🎮 アニメゲームオタク文化

🤖 AIテックネット文化

💰 経済金融税制

🗳 政治社会問題

🪙 仮想通貨

🌍 イベント旅行万博物流

🐾 ペット動物

🚕 交通・モビリティ

🧒 子ども教育学校

🩺 体調・生活リズム

🎵 音楽エンタメ著作権

📨 放送公共サービスNHK

1週間分の総括

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オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

2025-09-17

世ω世レヽ体育祭(≠τ<яёTょレヽωτ〃£ヵゝァ??

ぅちら黄組ゐT=〃ヵゝら応援Uτ<T=〃±レヽЙё★先生レ£Tょレニ<〃ゐTょωτ〃£ヵゝ?

ヵゝぇッτ(≠T=ら∧ωU〃∋ЗU<

2025-09-16

共産党に救われて期待して失望した人間独り言

参議院選挙の期間はつらかった。

というのも参政党が大躍進した結果もそうなんだけど、その過程外国人問題なるもの選挙の大きな争点になった結果、自分のような外国人パートナーを持つ人間にとってはマジで辛い日々だった。

自分パートナーは「えええ、私実は〇〇人なんですよお」って自己申告しない限りは外国人って気づかれないレベル日本語を上手に話すので、当然日本人ファーストとかその他馬鹿馬鹿しい排外主義的な言説全部聞き取れてしまうのでそれはもう選挙期間中は可哀想だった。

(どこの国でも自国民ファーストは当たり前だろって言う声が聞こえてきそうだけど今回の本筋からは外れているのでこの点についてあまり深く議論する気はない。読み流してくれたら良いと思う)

で、まあ自分パートナーが心を痛めてるので自分なりに「これはなんとかしないといけないなあ」とおもっていつもはなんとなく投票してるんだけど今回は本当に真剣に考えてみようと思っていろんなところにアンテナも貼って可能な限りいろんな党の演説も聞きに行って色々考えたんだよ。

自分なりにね。

その結果、自分が本当に感動したのが「共産党」だったんだよね。

本当にね、外国人差別とか排外主義を煽る参政党とかに対してしっかりnoを突きつける演説には感動したし、隣にいた自分パートナー号泣してたよね。

「私本当にここでこの演説聞けてよかったな」って泣いてたよ。

自分も本当に感動した。

自分と同じように街頭演説外国人パートナーと手を繋いで危機に来てる人たちも数組いたしなにより、街頭演説手話通訳がいたよ。

あれはすごいと思ったね。

自分外国人差別について触れてもらった時にすごく感動したのと同じように、手話通訳がそこにいることで感動する障がい者の方もいらっしゃるんだろうなぁと思ったよ。

あれは本当に素晴らしかったね。

から自分投票したよ、共産党って。

日本共産党って五文字を泣きながら書いて投票箱に入れたよ。

どうか自分パートナー未来を守ってくれって思いながら、本気で投票したんだ。

結果はみんなご存知の通り、今回の共産党大敗だった。代わりに参政党は大躍進。

すごく悔しかったし悲しかったよ。

だけどその後共産党がこの選挙の総括をどうやるんだろうって思ってた。

たとえ絶望で終わったとしても、これから先に彼らの語る言葉に何か希望をみつけたかったんだけど、

なんか「ここまで自民党を追い込んだ選挙は初めてだ」とかなんとか言ってたよ。

いやいや、追い込んだのは参政党であってお前たちじゃねえだろ?

とおもったね。

ていうか、もっと悔しがれよと思った。

自分みたいな、共産党に想いを込めて信じて投票した人たちに対して「負けてごめんなさい。本当に悔しいです」とかそう言うのないの?って。

なんか、負けたくせに人間味もなくて爽やかな顔してまるで白組が勝った体育祭で、赤組団長が「負けたけどみんなで戦えて団結できたことが誇りだったと思う」みたいな爽やかな顔していうスピーチあるじゃん

あんな感じの空気なの。

でも選挙って体育祭じゃないわけで、こちとら自分未来を賭けて命懸けで投票したつもりだったのに、当の本人たちはなんで負けたくせに爽やかなんだ?って思っちゃったよな。

そこまではまだ違和感で済んでたけど、

さら自分を幻滅させたのはその後の動きだよ。

そもそも自分はずーっと自民党投票してきた人間なんだよ。

どこに投票したら良いかはわかんないけど、国民として選挙には参加したいと思ってるフワフワしてる人な。だけど今回初めて自分自分パートナー生活が脅かされるような政党が出てきたから本気で考えて投票したんだよ。

なんで共産党投票たかというと、共産党議員さんと街頭演説スピーチが本当に素晴らしかたからだよ。それしかない。

から投票した段階では自分共産党一対一の物語だったんだけど、選挙が終わったら一度は涙を流すくらいに入れ上げた政党から気になって色々見てるとマジでがっかりすることが増えたよね。

それが、参政カウンターをやってる一部の過激な人たちから始まるわけ。

あいつらさ、共産党支持ってでかい声で叫びながら、参政党の女性議員中指立てたり、でかい声で演説遮ったりするだろ?

あれマジできもいよ。

ヘイトスピーチを許さないとかなんとか言ってるけど、なんでお前たちが人様の言論ヘイトスピーチかそうじゃないかを分ける側にいるって勝手に決めてるんだよ。

あと、中指立てんなよ。

女性に対して何やってんだよ。

大体、自分共産党トップ女性で、女性の働き方とかそういう他の政党あんまりやってない女性問題女性目線でやってる姿勢リスペクトできると思ってたんだぞ。

それなのに、その共産党支持しながら女性中指立てるって、お前たちは中指立てていい女とそうじゃない女で選別でもしてんのか?

挙げ句の果てにスモークとか馬鹿だろ。

だけど何よりもがっかりしたのは、そういう馬鹿どもを叱りつけるんじゃなくて一緒に写真撮ってる共産党議員どもな。

お前らも全部馬鹿だよ。

何やってんだよ。

あのな?中指立てスモークたいて人の言論罵声暴言で打ち消すような人間世間から見たらヤバい奴らでしかないんだよ。わかるか?わかんねえのか?

それと仲良しこよしで写真撮ってsnsにばら撒かれて、それで民心がついてくるとでも思ってんのか?

ヤバい奴らのお友達ヤバいやつなんだよ。

なんでヤバい奴らと写真撮ってただでさえ誤解されやすい党名背負って、どうして選挙で負けてニコニコしてんだよ。

あと、取り巻きインフルエンサーキモい

参政党が勝ったのは人が不幸になれば喜ぶ日本人がたくさんいたから。日本人性格悪い」

とか、

文京区はきらよしこが勝ったか民度高い」

とか、虫唾が走るような発言ばっかり繰り返して、他者を見下すために共産党を使ってるようなインフルエンサーともなかよしこよし。

なんでこんなことすんの?

マジで言いたいんだけど、自分参政党はじめとして排外主義掲げてる変な政党が本気で怖いんだよ。

から戦ってもらわないと困るわけ。

あと、多分同性婚とか夫婦別姓とかそういうことを求めてる人たちだって本気でそれを実現して欲しくて共産党投票してると思うんだけど、自分含めてそういう人たちに報いるためにあんたたちがやるべきことは議席を増やす選挙に勝つことじゃないんか?

勝つ気があるなら、変な奴とつるむなよ。

共産党名前を使って、エリート気取って大衆()を冷笑してる薄寒いインフルエンサーどもと手を切れや。

参政党のこと馬鹿にしてないで、ちょっとは学べや。

街頭演説消費税減税のための財源の話なんてしたって、参政党に流れるような今苦しい人間には届かないんだよ。

もっと民衆のところまで降りてこいよ。

snsから出てこいよ。

自分がここまで怒ってるのは、自分が信じた対象が蓋開けてみたら高学歴文系大学生サークル活動みたいになってたことを見抜けなかった自分にムカついてるからだよ。

そうだよ、共産党なんて信じた自分馬鹿だったのかもしれない。

つか、もはやそうとしか言えないだろ。この体たらく

自分自分大事な一票をドブに捨てたとしか思えない。

間内気持ちよくなって、どんどん世間と溝が開いて、美しく消えていくのかもしれないね共産党は。

だけど自分共産党あの日、追い詰められた自分パートナーの前で反差別を叫んでくれたこと、排外主義にNOと言ったことだけは忘れられない。

あの瞬間自分たちは確かに共産党に救われたんだ。

マジであの日だけは共産党が輝いてた。

だけど、多分次の選挙自分共産党には票入れられないと思う。

共産党有権者と支持者に報いるためには選挙に勝つ一択なんだ。

選挙に勝って、国会議論することしかないんだ。

そのくせその本番で負け続けて綺麗事ばっかり言ってるインテリサークルみたいなところにこれ以上自分の票をどぶに捨てるわけにはいかない。

自分みたいに思ってる人はたくさんいると思う。

そんで自分が書いたこ文章さえ、「共産党を支持してる愚かな大衆とは違う自分」に酔いしれてる沈みゆく船の客たちの餌にされるんだろうな。

自分は、本気で勝ちに行く共産党が見たかったけど、

多分見られない。

きっとこのまま消えていくんだろうな。

残念すぎて、泣けてくるね。

2025-09-09

anond:20250909055749

本当は共学に通いたかったが己の愚かさのせいで仕方なく選択している底辺男子校鬱屈さをしらない

常に女を夢想をするが底辺民ゆえに何も行動せず

学園祭体育祭は異性の目が無いから何も動機を付けられず

三年間を無気力にやり過ごす

その先は文系なのに男だらけのFラン大学

そして文系ITエンジニアとして採用される似たような男だからけの職場

ずっと無気力な男の集団のひとりのまま

2025-08-25

弱者男性運動

弱者男性だが、大体世間ではチー牛オタク弱者男性運動勉強仕事も出来ないというのが定説になっており

リベラルフェミニストほどそれを口汚く罵る傾向があるのは増田なら周知の事実だろう(複垢フェミなどのフェミ系とかよく目にするだろうし)

自身勉強運動に苦手意識があり年収も低いから間違ってはいないだろう


弱者男性はどの程度運動が出来ないのだろうか?

当事者として自分スペックを書いていく

他の弱者男性増田たちも身体スペックは様々だろうし良かったら書いて欲しい


弱者男性増田運動スペック

父親陸上競技エリートで(元県記録持ち)増田運動よりゲームっ子だったが、遺伝なのか足だけはクラスで速かった

自分テニス部だったが、周囲曰く不良の人間だったのでサボり常習犯でもあった

テニス部ペアがかなり悪い奴で部も不良が多く(学校で酒のんだり軽かったり重かったりする放火騒動を起こしてる。増田は周りの認識とは別に真面目に生きたいと思ってたので犯罪イジメはしなかった)

3年間の間にテニス部顧問は俺の存在無視し、練習を教えた事はなく俺はテニス部友達から全ての技術を教わった

こんな状態なので俺の部活での成績は地方大会で良くて4回戦レベルで終わり二度と部活動はしたくないと思った

なおその不良一味の一人が後にあるスポーツ日本代表メンバーになる

年末祖父母の家に行くと従兄弟たちがいつもいるが、自分以外は全員クラスで一番ぐらいに足が速く体育祭ではクラス対抗リレークラス選抜リレーアンカーを務めていた(陸上部はいなくて大体サッカー部野球部

増田クラス対抗リレーで3回走らされたりクラス代表選抜リレーに参加はしていたが、別に一番速い訳ではなかった

100mを中学生時代ギリギリ12秒台で走れて幽霊部員の割に速いねって言ってもらえても11秒で走れる訳ではなかった

なので若干親戚内ではこの時点で引け目はあった

ちなみに従兄弟勉強仕事も出来て、年収は聞いてないが平均年収が900万以上の有名な企業新卒正社員で入ってるので年収は高いだろうと思われる

あと、仲の良かった従兄弟イケメンで妻子持ちだが、俺と同じくグレてた従兄弟イケメンで元ホストだが独身

多分弱者男性というのはスペックより環境で生み出されるのだろう

逸れた話を戻すと

大人になってから筋トレを始めると、人生初めてのベンチプレスに挑戦したその日に90kg、次の日に100kgを挙げる事は出来た

しかし、筋トレ100kgを挙げて満足して辞めてしまった

バーベルスクワットシンプルにおっかなかったのと、俺みたいな筋トレカジュアル勢はジムフリーウエイトエリア空気が苦手なのだ

下半身のトレは何していいか分からんからレッグプレス175kg(マシンの最高設定)を片足で20回ずつぐらいやってた


最近運動不足解消のために去年から走り始める

運動に対して心理的な苦手意識があったのと、長距離走が本当に昔から苦手で才能もないが、不思議と性に合って継続することが出来た

最初は3キロ程度しか続けて走れず、ちょっと頑張るとすぐにシンスプリントになったり膝やったりしていた(今もすぐに膝は痛くなる)

今は走力は5キロまでなら何とかキロ4分切る程度で走れるが、10キロだと辛いのでキロ5分ぐらいで走りたい程度の走力で、ダラダラとスピードを挙げつつ走れる距離を伸ばそうと思っている

多分ランナーとしてはスピード型(パワー型?)でスタミナが壊滅的なんだろう

ちなみに履いてるシューズゲルニンバス

この靴なんか合わないんだけど……って思いながらも買った時高かったので未だに履いてる

2025-08-08

運動部体育祭死ぬ気でやってもらうから浪人してもらう前提だから

「高3夏より前から受験勉強に本腰入れる奴とかキッショいカスから






こういう方針の県立名門進学校、どの地方(特に九州)にも必ずあるけど戸塚ヨットスクールとか昭和受験少年院とかと同じノリとしか思えない。

このご時世もっと軽蔑されていいと思う。

文化系キャラ普通にイジりの建前で実質的イジメられるし。

高校体育祭練習ナシ、ぶっつけ本番のスポーツ大会だった」

「ほんと全部の競技が単なるレジャーだった。刑務所ソフトボール大会に近い」

伝統進学校出身なのにこう振り返る知り合いがいてかなり衝撃受けたんだけど、もしかして他にもそういう進学校って平気である

俺も全国的に有名な伝統進学校出身(OB学者次官大使大臣大企業社長芸術家だらけ)なんだけど、

「現役合格なんぞ捨ててガチガチ体育祭に打ち込むべき」という文化で、

それこそ体育祭消極的受験勉強やる奴は軽蔑を一身に浴びるくらいの勢いだった。

部活の定期戦とかで交流がある隣県のトップ高もどうやら同じような感だったので、伝統進学校というのはそういう所ばかりなんだと思ってたからびっくりした。

2025-06-20

自由だよ」って言っておいて、評価するのやめてくれ

子どもの頃から、ずっと引っかかってたことがある。

学校って「自由な発想を大事にしよう」って言うくせに、その発想が通知表に反映されたことは一度もなかった。

「みんな違ってみんないい」とか「個性を大切に」って言うくせに、違うことをしたら「空気読めよ」みたいな視線が飛んでくる。

だったらさ、最初からはっきり言ってくれたらよかったんじゃないの?

「これは競争です。偏差値を上げた人が将来の選択肢を多く持てるルールです」って。

大企業に入るために、今この勉強必要です」って。

運動ができないと体育祭でつらい思いをするかもしれないけど、それはそういう構造です」って。

そしたら子どもながらに、「ああ、なるほど」って納得できた気がする。

少なくとも、「自由」って言っておいて評価してくる矛盾に苦しむことはなかった。

自分勉強運動中途半端だった。

でも、自分しかない興味があって、言葉にできない表現があった。

そういうものを誰かに認めてほしかった。

でも、評価はされなかった。

「がんばってるね」じゃなくて、「それって君がやったの?」って聞いてほしかった。

きっと、そういうふうに感じてる子どもって今もたくさんいると思う。

評価されなくていいから、まずはちゃんと話を聞いてあげてほしい。

自由でいいよ」って言うなら、本当に自由にさせてあげてほしい。

もしそれができないなら、最初からルールはこうだ」って言ってあげてほしい。

自由を装った不自由が、子どもたちの心をどれだけ縛ってるか。

大人もっと正直であってほしい。

それだけで、救われる子どもはたくさんいると思う。

2025-06-04

[]

にじさんじのしいなゆいかが出てきた

なんか体育祭だか体育の授業だかに行かないといけないけどギリギリにいくから遅刻してしまうみたいなこといってて

じゃあいっしょにいくかみたいな感じで保健室のカギ閉めたりしていっしょにエレベーターにのったりした

なんか通勤電車みたいなのにかわっててうとうとしてたらほかのひとみんなおりたよって言われて焦ったけど駅名みたら見おぼえあるけどここで降りないことが正しいのかよくわからなかった

2025-06-02

今、ラジオでかける音楽音源ってどうしてるの?

昔ならラジオ局ライブラリーからCDレコード持ってきてかけたり、マニアックDJなら自前のCDレコード持ってきてかけたりしてたそうだけど。

ホッテントリした↓でも触れられてるが、スマホ繋いでサブスクの曲かけるのは著作権的にアウトだよね?

サブスクじゃなくダウンロード購入した曲ならフィジカルと同じ扱いでセーフ?それともアウト?

中学体育祭BGMに流す曲をリクエストしてCD持って来てください!と募集があったが、サブスク全盛のご時世でCDが全く集まらない事態になっていた - Togetter

https://togetter.com/li/2557276

邦楽ならデジタル配信限定やサブスク限定の曲でもプロモーション用のCDラジオ局に配ってたりするのかな?

でも洋楽はそういうのなさそう。

ラジオ番組で「リクエスト下さい」とか「リクエストこちらに」とかはよく聞くが、この辺の説明ないんだよね。

2025-05-16

もうすぐ中間テスト

うちの子勉強が得意なのでテスト前は楽しそうにしてる

でも運動は苦手なので体育祭マラソン大会の前は毎日中止にならないかなあって言ってる

運動が得意で勉強が苦手な子は逆なんだろうな

そんなふうに、それぞれ楽しいことと辛いことがあってメリハリついてるから学校毎日通えるんだろう

給食けが楽しみとか、友達と会うために行ってるとかもいるんだろうな

不登校が増え続けてるのって、楽しみが多様化してきてるのに学校がそれについていけず従来型の楽しさしか提供できてないからなんじゃないか

もっと色んな種類の楽しさを提供したらいいんじゃないかな

いつでも自由増田に書き込める部屋とかさ

2025-05-01

乙嫁語りの思い出

初めて「乙嫁語り」を読んだとき、私は中学生だった

体育祭か何かをサボって空き教室に逃げ込んで、同じくウンチ運動音痴)の陰キャの友人と漫画を回し読みしていた気がする

当時漫画といえばジャンプりぼんちゃおくらいしか知らなかったので、漫画の題材といい画力といい作風といい、乙嫁語りを読んだ衝撃はまさに革命レベルだった

当時はまだ2巻くらいしか出てなくて、今すぐ続きが読みたかったし結末が知りたかったが、およそ1年間隔という発行ペースを知り、一生完結しない気がして絶望した

さて当時私の心を捉えたのはパリヤさんだった

不器用で愛想がないが、よそ者だった主人公アミルさんを助けて歳が離れているが友人になるのだ

乙嫁語りは嫁というだけあり、登場人物は適齢期のお姉様が多く、13,14歳パリヤさんには親近感があった

不器用なところも好感が持てた

普通りぼんとかなら不器用主人公はそれが魅力として周囲からむしろ愛されたりするのだが、パリヤさんは不器用さが災いし、ガチ地元で浮いているのだ

パリヤさんに縁談話が持ち上がった際、私は何年かかってもパリヤさんの嫁入りを見届けると決意した

相手は旅先で出会ったウマル

「丈夫そうだから」という一点突破パリヤさんを選んだ猛者である


そんな私もも三十路である

パリヤさんに感情移入するだけあって甘酸っぱい青春は送らなかったが、兎にも角にも結婚した

私の人生は否応なく進むのに、パリヤさんはあの時のままだ

ていうかまだ結婚していない

掲載誌が変わり、今はどこで掲載しているのかすらわからなくなってしまった

パリヤさんを見る目は娘を見る目に変わってしまったが、やはり私は今でもパリヤさんの乙嫁姿を期待して最新刊を買ってしまうのである

2025-03-26

高校ミスコン?って存在がクソダサかったなと思うけど体育祭ティアラつけるみたいな正しい馬鹿馬鹿しさだったのかな

2025-03-24

同じオタクでも何が違うんだろ

20代オタク高校生までは絵に描いたような二次元オタク中学校高校時代は同志たちと教室の隅でデュフデュフ笑っていた。

そんな私が大学の時ハマったのがKーPOPだった。

中学高校とそんな生活を送っていたので周りに一緒にハマれる友人がいるはずもなく、そもそもKーPOPなんてものダンス部の陽キャが嗜むものだと思ってた。

KーPOPにハマって早5年ぐらい経つけど、まだオタク友達ができない。連番なんかチケットの同行しかしたことないし、その後も交流が続く人はまずいない。

繋がりたいタグ巡回しても、みんな「オタク」と言いつつめっちゃ可愛いんだよな......。私のような芋ブスはお呼びじゃないんだよなぁ.....。と思ってしまい、病むだけ。最初は単番の方が気楽でいいや〜なんて思ってたけど、最近現場に行くたびに虚しさが勝ってしまう。

価値観が合って、趣味も合う自分理想の人なんて簡単に現れるわけないよな...とは思うけど、どこかで期待してしまう。私だって本当はもっと若いからアイドルにハマってキラキラ推し活したかった。ライブで連番してうちわで顔隠しながら自撮りたかったな〜〜!!もっと言えば高校の時に体育祭とか文化祭ティアラとか付けたかったな〜!!!

青春コンプ拗らせすぎててやばい。こんな人間は近くにいるだけで不愉快なっちゃうから、誰ともつるまないほうがいいのかな。恥ずかしいし情けないけど、次の現場こそは(次も単番だけど!)開演前に写真を撮れるお友達作れますように!!

2025-03-08

anond:20250308153335

体育祭を楽しめないで文化祭を楽しんでた側のイメージだけど

両方無理な人ばかりなの?

2025-02-16

とある組織マッチする人材のわかりやす基準

この企業にはこういう人材が適合する、みたいな一言基準をこれまで何度か読んだことがある。

憶えている限りだと、

リクルート 高校体育祭とか文化祭をワクワク楽しめる人

公務員  義務教育学校先生から評価が高い人

みたいのを確かにネット記事で読んだことがある。

皆さまも、こういうわかりやす基準をご存じであれば、教えていただきたいです。

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