はてなキーワード: 成就とは
小さくまとまってはいるものの普通に ( ;∀;) イイハナシダナーってなれる佳作だった。71点。
ここで一句。
春すぎて 池田エライザ 乳でっか
※作品の大筋とは特に関係ありませんが最も印象に残ったので書き記しました。
大筋としては幼少期に母親に捨てられ育ててくれた祖母を亡くして叔父である日本一小汚いイケメン俳優にオダギリジョーに引き取られた陰キャの池田エライザは、彼が運営する心理的瑕疵物件(事故物件)に一時的に住むことで告知義務を解除するルームロンダリング業に従事している。霊が見える彼女は出会う霊と隣人との交流を通じて成長していくのであった。
「自分を受け入れること」という普遍的でポジティブなメッセージに溢れていてよかった。
エライザは「母親に捨てられた自分」を受け入れられず他人を拒否して人とうまく話せない。しかし事故物件に住む地縛霊とはちょっと話す。特に冒頭の30分くらいはマジで幽霊とだけしか話さないのでなんかギミックでもあるのかと思うくらいだったけど別にそんなことはなく、普通に心が解けていくと同時にポツポツ人間とも話しはじめていてそれはそれでよかった。
自殺したロッカーであるキミヒコは才能がないかもしれない自分が受け入れられず、結局デモテープをレコード会社に送ることもできずに世を儚んで自殺してしまうし、刺殺された光宗薫は冴えないOLとしての自分が受け入れられずコスプレで承認欲求を満たしその結果刺殺されてしまう。
その中で唯一ポジティブなド陰キャの伊藤健太郎は光宗が刺殺された夜、隣の部屋で助け声を聞いていたのに怖くて何もできなかった自分を受け入れて、次に隣人が越してきたらその人には積極的声をかけようと決めていて、その結果、隣に越してきたエライザに介入して心を少しずつ変えていく役割を果たすのは作中のロジックとして正しいと思った。
母が出て行ったのは自分にこんな力があるからではと悩むエライザは一度はその力を拒否するも、その辺をうろついてる地縛霊に気まぐれで些細な親切をして大感謝されたことから「本当は私にできることがあったんじゃないか」と自身を見つめ直し刺殺光宗事件の解決に乗り出し成功。最終的にオダギリの紹介で母親と再会する。母親は死んでいて、しかしエライザが霊をみえる力があったことで再会がかなったということ、そしてオダギリにも母親にも祖母にも同じ力があったことが分かり、力があってもいいということ、孤独じゃないんだいうことで自分を受け入れてFinish!
( ;∀;) イイハナシダナー
地縛霊ものとしては最終的になんか感動させて除霊してめでたしめでたしとなりがちだけど、この作品はあえてそこに踏み込まない誠実さがある。まぁ、パンクロッカーのキミヒコの残されたデモテープをエライザがレコード会社に送った結果認められて成仏しちゃう展開はあるんだけどこれは他人を拒否していたのアグレッシブな誠意の成就だということでご愛敬。
刺殺された光宗は今でも同じ部屋で次に越してきたイケメンに取り憑いたろうとしてるし、学芸会へ向かう途中で交通事故で死んだカニの服装をしたガキもずっとはしゃいだままだし。ちなみにこのガキは学芸会で猿蟹合戦をやる予定で、そのカニ役が潰れて死んだってのもアレだし、最終的にとある事件の解決にその猿蟹合戦が生きてくる展開はめちゃくちゃ無理やりでベタだけどまぁ本筋ではないしな。必然性頑張ったのかなと苦笑い。
後は自殺パンクロッカー編と刺殺OL編に大まかには分かれてるんだけど、エライザがデモテープを持ってきてしまったことでそれに憑いてきたパンクロッカーと光宗が邂逅して地縛霊同士気が合ってなんか仲良くなっちゃう展開は面白くてよかった。
あえて苦言を呈するならテーマ先行で登場人物の行動と思考が常に前のめりなので常にこっちが予想しているより半歩早くてつんのめる感じがあるなっていうのとあとはまぁ起きることがすげー地味なので緩急に弱いというところ。
恋人のいる人は、一回二回の試行でありついているわけではないよ。
加えて、一度にいくつもの恋心を持つことも、好きでもない相手にも好きだと告げることも当たり前の世界なんだ。
金を払うだけで到達できるなら、むしろ簡単な話だったんだけどね。
金を使うのは当然として、心を使う必要があるよ。
使うということは、その分失うということだ。
すり減って、すり減って、その先に妥協点が見えてくるものなんだ。
妥協というと、なんだか品質の低い恋心のような印象を与えてしまうかもしれなが、そういうことではない。
いま手の届く範囲で幸福を見つけるという覚悟、決心をするということなんだ。
ご認識のとおり、34歳でこれから理想的な恋愛をするのは、たぶん無理だ。
あなたには5回も恋愛する時間も精神力もない。経済力もないかもしれない。
だから無理なんだ。
それでも、やらなきゃならないのが繁殖だ。
無理だと思っていても、挑戦しなければ決して恋人はつくれない。
だから、やりなさい。
持っている財産を全て吐き出して女に貢ぎなさい。足りなければ借りてきなさい。
セックスすることだけを考えなさい。
あとは人類10万年の歴史に裏打ちされた反応行動が自動的にやってくれます。
・恋愛映画なのか、主人公の情緒が人並みに育つ でも恋は成就しないタイプの映画なのか、
ロードムービーなのか、三角関係ものなのか いまいち最後に至るまで
「この映画からはこの成分を接種する!!」みたいなルート固定がなくてハラハラした
(でもタイトル的に恋愛映画やろ… なんかでも脚本の流れが危なっかしいな…)という
・燃える女の肖像でもみた、画家キャラの割にお出しされる絵がそんな上手くねえ 成分だ
これはレアですよ
・主人公がいきなりいい人になってくから ん?だてなってたけど
そのオチは「ちゃんと薬を服用するようになったから」だったでござる…
最悪 被害者100パー 起こらない方がいい事が
起きてしまったけど、後半の顔つきのが深みがあって
現実を生きてる感あって味わい深くてよかった
序盤、なんか瞳孔開いてたもんな…
・トリツカレ男の時も思ったけど、
男性側が女性側に良かれと思って 結果オーライになったとしても
「実質的に相手の厚意を拒否する」選択肢、あるかこれ とはなった
でも30年前の映画だからまあそこは時代ギャップということで…
「緊急事態用」草なんだ
・色々ゆうとりますけど、ジャックニコルソンの演技が秀逸すぎるし
サイド二人の演技も滅茶苦茶よかった
・ジャックニコルソンの笑顔一つで「あっこの人ヤバい人だ」伝え力が
クソエグいんよ
流石にそれはねーわ…😟
大学→大学院→なぜか芸能会関連→ソ〇ーの重役面接通過したのにバカな俺は断ってしまって→某ゲーム機ゲーム開発→某企業研究所→精神疾患でここから完全に人生が迷走
だったし、この10年で一貫して公私ともに取り組んでいたのはリアルタイム3DCG関連、OpenGL、Direct3D、ゲームやCAD、流体シミュレーションなど周辺技術なので、
結婚するにしても、まず収入ないと駄目だろ、そのためには何か専門分野を持たないと、と流石にバカな俺でも思うわけで…😟
あと、
いやいやいやいや…😟
いや、俺、伸び悩んでるなあ、みたいなことは何度もあったけど、受験勉強はスポーツと同じ、努力で突破口が開きやすい
でも、恋愛や結婚は努力が実ることはほぼない、ないと思った方がいい、理不尽極まりないのが人間のコミュニケーション
俺は正しい通信プロトコルを心掛けてるのに、相手が正常に応答してくれない、なぜなんだぜ???
見合いがどうとかは置いておくとして、基本、運の要素が強いもの、例えばギャンブルやパチンコもそうだけど、
理系人間は、努力が成立しなそう、予測が完全に不可能、観測し続けたデータから予測できな過ぎて全てが無駄に思えてしまう、
みたいな、all or nothing思考に陥りやすい、というか、理系というより俺が陥りやすい、だから努力を継続できない
ウシジマくんのニートくんがパチンコをやりながら、俺は小出しに、人生を賭けている、とか言ってた気がするんだけど、
まあ、パチンコとか一般的なギャンブルの勝率にそもそも問題があるものの、確率的なことで勝利するには賭け続けないといけない、当たり前だよね
だけど、受験も運の要素があるけど、例えば、出題傾向がある、そこから来年の問題を予想できる、努力するほど回答速度が速くなる、
受験はスポーツと同じだと思ってるんで、じゃあ、スポーツと恋愛が同じか?ってことだよね、俺は同じだとは思わないよ…😟
短い期間、自分にも彼女がいたことが何度かあったけど、ほとんどは女性の方から勝手に告白されて、受け身で付き合い始めて、
女性の方から、なんか勘違いだったわ…、みたいなことを遠回しに言われて、なんかこっちもちょっとムカッとして、じゃあもういいです、みたいな感じで終わる…😟
絵も音楽もやればやるほど上達を実感できる、
身体がまともだった頃は、水泳、スキー、自転車、ボクシング、色々やってたけど、どれも努力が実るんだよ…😟
でも、恋愛は無理、
恋愛成就を目指して、朝から素振りの告白100回!とかありえないから…😟
追記:
理系人間というか、俺が、高校で言うところの確率統計が苦手、嫌い、なのと関係がある気がしてきた
線形代数、微積、話がズレるけど物理、特に古典力学、有機化学は好きだった
英語が駄目なんだけど、これはできないと社会に出てから仕事にならんだろ、と中高から思ってたし、
実際、社会に出てプログラムを書くようになれば、ドキュメントは英語、3DCGは線形代数、微積、古典力学が完全に活きる、
というか、高校レベルでは足りないので、学部、院での追加の知識、
個人的にゲームセンターで稼働しているゲームを後ろから観察してアルゴリズムを考える、
それを家に戻って実装してみて、また考えるとか、そういう経験が活きてくる
あー、だから俺はデータサイエンスよりのことが苦手なんだろう…😟
もっとも、データサイエンティストという職業が持ち上げられるようになり、自分も重い腰を上げて勉強するようになり、
それなりの成果を収めたりもした、けど、まあ、苦手意識は変わらないなあ…😟
PythonのJupyter Notebookみたいなの、今は色々な種類があるじゃないですか
例えば、Pythonでループ書いて、例えば、粒子が重力と風の影響を受けます、みたいなコードを書きがちというか、
そもそも、メガデモみたいなのとか、ああいうのが好きなんだよね…😟
恋愛は理系的には確率、統計なんじゃないの?という意見なら、正解だと思う
だから、恋愛、結婚は理系的じゃない、という言い方は間違ってるな、と自分でも思った
あー、単に俺の苦手教科だったから、じゃねーの、なんなのこれ…😟
本題の前にお互いのスペックを。身バレ防止のため、大雑把にしか書いてません。
■ 自分(男)
■ お相手
今年某日に会社からアメリカ駐在に打診を受けて、会社の歯車でしかない自分は「はい/Yes」の返事しかできず、そのまま駐在が決まった。ただ、彼女がいなかったので、単身で駐在するのは嫌だし、任期を終えて帰国するころには30代半ばなので、出来れば結婚相手を見つけて一緒に駐在したいと考え婚活を決意。
IBJ系列の結婚相談所に入会し、活動をスタート。スペックとしてはアメリカ駐在を除けばよい条件であるためか、入会バブル等もあり順調にお見合いをこなしていった。ただ、正直どれもが「悪くはないけど、結婚をイメージするほどじゃないなぁ」という感想だった。結婚をイメージできそうだなって人は1,2回目のデートで断られたりして、なかなかうまく活動が進んでいなかった。
会った回数はお見合いも含めてたったの5回。電話を入れても総会話時間は30時間もないと思う。数字だけ見れば、「そんなもんか」と思うかもしれない。でもその密度は、とんでもなく濃かった。
婚活という場だからこそ、最初からお互いに結婚や駐在というリアルな話ができた。
自分の仕事のこと、駐在のこと、尊敬している上司のこと、本当につらく逃げ出したかった時のこと、、、
彼女の仕事の向き合い方、尊敬している先輩たちのこと、何よりも大事にしている価値観、、、
普通の恋愛なら、半年とかかけて話すようなことを短い期間で本音をぶつけ合ってきた。
彼女の好きだったところは、いくつもある。
仮に長く付き合えたとしたら、当然マイナスな面も見えてきただろう。それでも、それ以上の「好き」を積み重ねることができて、彼女を女性として、人として好きでいられたんだろうと思う。
自分には"駐在"という大きな要素があって、近々アメリカに駐在する予定だ。
お見合い段階で駐在の話は触れていたし、もちろんプロフィールにも書いている。でも、「帯同してほしい」とはっきり伝えたのは3回目のデートだった。
1,2回目ではあえて触れなかった。仮に相手から帯同可能と返事があったとしても、「帯同できるから、あなたと関係を続けている」と思われたくなかったから。まずは一人の人として、お互いを知る時間が欲しかった。
身勝手な理由だったなとは思う。彼女も、なかなか切り出されない駐在に不安を感じていたと言っていた。それでも自分は「帯同できるからあなたがいい」ではなく「あなたがいいから駐在に帯同してほしい」と伝えたかった。相手を"条件付きの相手"ではなく、"一人の人"として見たかった。
さらに、この過程で自分の配慮が足りなかったせいで、彼女を不快にさせてしまい、デートをリスケされたこともあった。この時は本当に反省した。でも、しっかりと向き合って、自分の至らなかったところを言葉にして伝えて謝罪をした。この時、ようやく本音でぶつかることができたと思う。
彼女は言っていた。
「駐在に帯同するかどうかを決めることは、婚活を超えた決断になる」
彼女にとって、見知らぬ土地で親しい人がいない環境に飛び込むことは大きな不安があったと思う。
僕は、駐在先の情報をいろいろな伝手から収集して、生活環境や治安、現地コミュニティの情報を集め、彼女に提示した。
「聞きにくいことを聞いてくれてありがとう」、彼女はそう言ってくれた。
駐在は確かに大きなマイナス要素だったかもしれないが、それと同時に、お互いの価値観や人生観を本音でぶつけ合うことができた要素でもあった。
少し、自分の過去の話をさせてほしい。これまで何人かとお付き合いをさせていただいたが、そのいずれも"相手が確実に自分のことが好きだ"とわかってから告白していた。断られるのが怖かった。ただのチキンで、石橋を叩きすぎるタイプだった。
しかし、今回はそうもいっていられなかった。彼女は素敵な人だったから、確実にライバルはいると思ったし、自分が選ばれる保証はどこにもなかった。だから、相手がどう思っていようと自分の気持ちは素直に伝えたいと思った。
4回目のデートで、告白をした。30代前半で情けない限りだが、声も、手も震えていた。言葉も取っ散らかっていたと思う。それでも、剝き出しの感情を相手に精一杯伝えた。
【そして届いたライン:「あなたにもっと素敵でぴったりなご縁がありますように」】
結果として、僕は選ばれなかった。
4回目のデートから1週間後くらい、急にラインがピタッと止まったと思ったら丁寧なラインがきた。
これまでのお礼と、別のご縁の方と向き合うことを決めたこと、そして今後のエール。
貴方以上にこのセリフにぴったりな人はいないと思ってしまう。世の中を見渡せば、確かにもっと自分に合う人はいるかもしれない。それでも、僕はあなたがよかった、そう思わずにはいられない。
【30代前半でくらった、失恋】
今回の恋は、僕にとって、初めて剥き出しの感情が成就しなかった経験になった。
本当は、学生時代にこういった失恋をしておくべきだったかもしれない。そういう意味で、「遅すぎた」と言える。
少しでも脈がないと思ったら逃げて、傷つかないことだけを優先してきた。
でも今回は逃げなかった。
そのうえで、ちゃんと振られた。
結果だけ見れば、確かに「選ばれなかった」で終わりだ。でも、その過程で、「ちゃんと誰かを本気で愛せる。誰かと結婚を現実的に考えられる」
ということを、知ることができた。
たった3か月の関係だったけど、彼女と過ごした時間は間違いなく自分の人生の中で特別な時間だった。
正直、先のことまで考えてしまっていたから、お恥ずかしい話だが、彼女に手紙を書くならどんな内容だろうって考えたことがある。ほとんど内容は決まらなかったが、それでも最後に一文絶対に入れたいと思っていた文言がある。
これを直接言う未来は叶わなかったから、ここではこう書き換えて彼女への感謝とともに、最後の言葉として刻みたい。
「愛していました、心から」
>
「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本のここ数十年の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
それ昨日見たわ
「日本死気」
https://x.com/koheinet608/status/1989952126353903733
「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本の戦後の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
https://x.com/koheinet608/status/1989952126353903733
「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本の戦後の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
外見は弱男って感じだけどオドオド萎縮してるタイプとは違って、SNS民が使うような寒い丁寧語の回りくどい言い回しとか、漫画から拝借したフレーズとか主要キャラが使う特殊な語尾を駆使して、一見してそうと分かるレベルの推定ヤンキーにも自信満々で喧嘩売って煽り倒すような感じのアッパー系
元来、一人でいると死んじゃうようなタイプでだったのでめちゃくちゃ外向的だし(「休みの日に外出しない奴はインフラと酸素の無駄だから地球のために死ね」とか飲食店で大声で喚いてたことすらある。面白いこと言ってる俺を見て!!!!と言いたげた興奮を隠しきれない様子で)、
どのコミュニティに属しても半年経たずに出禁食らうのにそれでもバー通いや社会人サークル加入をやめないところとか見るに段違いに行動力高くて恥知らずなんだと思う
全てを笑って受け入れる菩薩のようなポワポワ系の女性だからこそ積極奇異型アスペでも容易く射止めることが出来たんだと思う
なんというか子供(俺にとっての甥っ子)を完全に自分を全部受けいれてくれる同性の親友として育成してる感がある
なんかネットでもはばかれるような職業差別、学歴差別吹き込んで英才教育してる
お前らって独身子なしは全ての既婚子持ちに劣るみたいな思想だけど、俺の兄貴より優れてる独身子なし本当にいないと思ってんのか?
神に赦しを懇願すると言われてもヴァナディース語族では壁にでも話せ預言成就が為に――汝の現在せし魂の器を献げん
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251029185152# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaQHjwQAKCRBwMdsubs4+ SNRiAP9o0pCaS1CFdkaDTulqsUMB6ZT0a+YO154w+PukPI+WvwD9EXVieVoo1JoM Zt5o8twEjfe1nd46t9XltynWhgwetQQ= =ci4d -----END PGP SIGNATURE-----
実は、アファーマティブ・アクション(AA)やそれに類する「優遇政策」は、経済学的にも長い議論の対象で、労働市場の効率性・インセンティブ構造・社会的資本の形成といった観点から、かなり深く分析されています。
AAによって採用・昇進などで属性が重視されると、「最適な人材配置」が歪むことがあります。
本来、最も生産性が高い候補者を選ぶべきところで、**別の基準(性別・人種・出身など)**が介入する。
結果として、全体の生産効率(total factor productivity)が低下する可能性がある。
たとえば:
Loury (1998), “Discrimination in the Post-Civil Rights Era”
→ AAは短期的な公平性を実現するが、長期的には人的資本(human capital)の最適配分を阻害する。
Coate & Loury (1993), Quarterly Journal of Economics
→ 「低評価リスク」仮説:制度的優遇があると、企業側が「優遇枠の人は平均的に能力が低いかもしれない」と予期し、全体の採用評価を下げる。
→ つまり、恩恵を受ける人自身が市場で過小評価される逆効果が生じる。
経済学では、個人が努力する動機=「期待される報酬 × 確率」。
AAによって「結果の平等」が保証されると、努力のリターンが減少する可能性がある。
Phelps (1972), “The Statistical Theory of Racism and Sexism”
→ もし企業が属性を基準に期待値を修正する(例:「女性は平均的に○○が低い」など)と、
個人が努力しても評価が改善されにくく、人間資本投資のインセンティブが下がる。
Becker (1957), The Economics of Discrimination
→ 市場競争の中では、長期的には差別はコストになる(=差別する企業が淘汰される)。
つまり、市場メカニズムに任せた方が、平等を促す方向に進む可能性がある。
🔹 3. スティグマ効果(signal distortion)
「AAによる採用・昇進=能力より制度的配慮」と見られることで、
これはゲーム理論的には「シグナリング(signaling)」の問題として扱われます。
Coate & Loury (1993)モデルでは、AA導入後、採用者が「優遇されているグループ」に対して
“平均的に能力が低い”という信念を形成 → 雇用主が訓練投資を減らす。
→ その結果、実際に能力格差が固定化されるという自己成就的な悪循環が起きる。
市場の信号構造を歪め、差別を制度的に固定化するという逆効果が生まれる。
経済学では信頼・ネットワーク・協調といった“社会的資本”も重要な生産要素とされています。
グループ間の信頼が低下
成功の原因が「努力」ではなく「制度」に帰属される(=相互尊重の低下)
→ 結果的に、社会全体の協力効率(cooperative efficiency)が下がる。
この点は、Putnam(2000)『Bowling Alone』や Fukuyama(1995)『Trust』などでも、
“制度的な平等の押し付け”が社会的信頼を損なうという形で議論されています。
AAを受けて育った世代が、次の世代に「努力よりも制度を頼る文化」を引き継ぐ可能性があります。
→ これを “policy dependence equilibrium”(政策依存均衡)と呼ぶモデルがあります。
例:
Cass Sunstein (1991) “Why Markets Don’t Stop Discrimination”
→ 政策が続く限り、民間の慣習変化(文化的進化)が進まない。
🔹 総合すると…
アファーマティブ・アクションは短期的には平等を“見かけ上”実現するけれど、
長期的には:
生産性の低下(misallocation)
スレッド内で特定が試みられ、多くの参加者によって『水星の魔女』ではないかと推測されている作品について、公式の展開やヘイト管理に関して以下のような問題点が指摘されています。
ラウダの倫欠行為と無反省: ラウダがグエルに対してクズ行為、具体的には八つ当たりを行いグエルが死にかけたにもかかわらず、本編でラウダがグエルに謝罪しない、もしくは開き直ったまま物語が進行したとされます。
倫欠状態での恋愛成就: ラウダの倫欠行為が未解決のまま、ラウダとペトラのカップルが公式成立したため、ラウダは「倫欠の恋愛脳」として批判されました。
報復の不均衡: 悪行を行ったシャディクが罪を償うことになった一方で、明らかに悪行を行ったラウダがお咎めなしとなり、公式のバランスが悪いとの指摘があります。作中で明確に人を殺しているが裁かれていないキャラもいる中、ラウダだけが野放し呼ばわりされることにフィルターがかかっているという意見もありますが 、ヘイト管理が下手であるという認識が多数あります。
被害者グエルへのフォローの偏り: 公式はグエルの寛容さを描くことでラウダのフォローをしようとしたようですが、グエル推しはラウダの野放し状態に怒り、結果的にラウダへの憎悪が高まりました。さらに、公式がラウダの行為の原因補強ばかり行い、グエルがラウダ以外のキャラから責められ自責するような追加情報を出したため、公式がラウダのモンペ(モンスターペアレント)であると炎上する事態を招きました。
深刻な事象の軽視: ラウダがグエルを殺しかけたという事態(殺人未遂)よりも、人体実験や大量殺戮などの他の極悪非道な行為(経営者が孤児に人体実験を行いトンヅラしたこと、若者に殺人罪を肩代わりさせたおばさんなど)が作中で発生しており 、ラウダの罪が霞んでしまうほど、作品全体の倫理観が「終わっている」状況が指摘されています 。
展開のためのキャラ利用: 倫欠行為が「話を動かすため」にキャラが犠牲になったパターンであり、その結果、後からフォローが来ない可能性が指摘されています。
尺の不足: ラウダとグエルの衝突は、本来であればもっと早くやるべきだった「尺の無駄遣い」と見なされる側面もあり 、全体として展開が雑であるという意見も見受けられました。
スレ主はラウペト推しであると自称していますが、その投稿内容には以下のような問題点やバイアスが指摘されています。
ラウダに対する主観的なフィルター: スレ主の記述(ラウダが謝らない、ラウダはお咎めなしなど)は、既に作品やラウダの評価に対して「分ッ厚いフィルター」がかかっていると複数のユーザーに感じられています。
グエル推し視点での情報開示: ラウペト推しを自称しているにもかかわらず、ラウダへの批判や倫理欠如の強調、グエル推しからの嘲笑の記述など、その文章は明らかにグエル推し(またはラウグエ腐)の視点であると看破されています 。
人気度の強調: シチュエーションや行為の善悪を語る際に、ラウダよりもグエルのほうがグッズのバリエーションなどから「段違いで人気のあるキャラクター」であることを持ち出しており、ラウダを貶めたい意図が隠せていないと指摘されています 。
粘着質な執着: スレ主は「ラウダがグエルに倫欠なことする前の界隈の空気が楽しすぎて執着が切れない」と述べており、作品が終結してから年単位の時間が経っている可能性が高いにもかかわらず 、いまだにジャンルから離れられずにいます。
反転アンチ化の懸念: 執着を断ち切れないまま界隈に留まることは、ラウダアンチをしながらラウペト推しやラウグエ推しをするような状態、「反転粘着アンチ」になりつつある状態と見なされています。
愚痴と慰めへの要求: スレ主の行為は、純粋にアドバイスを求めているというよりも、都合の良い情報だけを開示して「自分を慰めて欲しい」 、あるいは界隈を叩いてほしいという目的であると推測されています。
スレ主の状況や、スレッド内で寄せられたアドバイスから、理想的なコンテンツ消費の在り方として以下の点が提案されます。
自己判断と許容: 最終的に、自分が公式のラウダを受け入れられるか許せないかがすべてです。周りの空気や他者の意見に関わらず、自分がそれでも好きか、推せるかで判断すべきです。
無理をしないこと: 精神的なストレスを感じてまで無理矢理好きでい続ける価値のあるフィクションは存在しません 。作者の倫理観が受け入れられないと感じたら、精神衛生のために離れるべきです 。
二次創作の活用: 公式の展開が受け入れられない場合、公式をある程度無視して二次創作を楽しむという方法があります。自分がラウダを許せる「IF(もしも)」の設定を自分で作り、その設定で推し続けることも一つの手です。
距離を置く: 嫌な空気の界隈に居続ける必要はありません。交流を断ってカプだけを推し続ける、または鍵付きアカウントなどで似た価値観を持つ人たちだけで交流する など、居心地の良い環境を確保することが重要です。
過去に焦点を当てる: 公式の展開が気に入らない場合は、問題の行動が発生する前の、好きだった時点のキャラクターや関係性だけを推し続けることも可能です 。
一旦距離を置く: 執着を断ち切れない場合は、とりあえずジャンル全体から距離を置くことが推奨されます。時間だけが解決してくれることもあります 。
新しい場所を探す: 現在の界隈に熱意が残っていないなら、別の居心地の良い界隈や、もっと楽しめそうな新しい作品に移るべきです 。
自己解決と責任: 状況が曖昧なままであれば、他者に判断を仰ぐのではなく、自分で決断を下すべきです。粘着アンチ化する前に、見切りをつけることが健全な消費態度です 。
NAGOMi は一般財団法人外国人材共生支援全国協会の略称で、2019 年に設立された移民・外国人材支援団体。表向きは技能実習生や特定技能労働者の「共生支援」(生活相談、語学教育、職場仲介)を目的とし、外務省・厚生労働省の委託事業を受託。2025 年現在、会員団体約 500、支援実績数万人規模で、年間予算約 100 億円超(政府補助金中心)。移民利権の文脈では、JICA の「影の実行部隊」とされ、定住支援プログラム(10 月開始予定)を推進。アフリカ・ホームタウン撤回後の「育成就労」制度移行を主導し、家族帯同・永住化を促進。批判の焦点は、税金依存の「中抜き」構造(支援費の 20-30%が運営費)と、元政治家・官僚の天下りによる政策影響力。X では「移民ビジネスの中核」「自民党の別働隊」と非難が集中し、#NAGOMi 解体 がトレンド化。公式は「人手不足解消の国際貢献」と主張するが、失踪者支援の不透明さ(2024 年実習生失踪 2 万人超)で人権問題も指摘される。
この利権は、経団連の低賃金労働力確保と連動し、グローバル機関(IOM、UNHCR)の「持続可能な開発目標(SDGs)」をテコに拡大。税金無駄遣い推定額は年間数百億円で、国内福祉削減の象徴。JICA との連携(共同セミナー、支援ネットワーク共有)が特に問題視され、2025 年参院選で移民反対派の標的。
主に自民党・国民民主党ルートで移民拡大推進。塩崎恭久の「開国なくして成長なし」講演が象徴。知事会(村井嘉浩会長)との連携で地方浸透。以下テーブル。
| 政治家名 | 所属・役職 | 関与内容 |
| -------------- | -------------------------- | ---------------------------------------------------------------------------------------- |
| **二階俊博** | 自民党元幹事長 | 最高顧問。ベトナム実習生拡大の黒幕、NAGOMi フォーラム主催。移民利権の頂点と X で名指し。 |
| **武部勤** | 自民党元衆院議員 | 会長。「若者移民のライフプラン支援」主張、定住化推進。東亜総研(前身)代表も兼任。 |
| **塩崎恭久** | 自民党元厚労相 | 副会長。三極委員会メンバーとして「特定技能容易化」プレゼン。家族帯同・増税示唆で批判。 |
| **大島理森** | 自民党元衆院議長 | 顧問。外国人労働者特別委員会連携、政策ロビイング。 |
| **林幹雄** | 自民党地方創生本部長 | 顧問。知事会経由の地方移民推進、土葬・多文化共生条例支援。 |
| **古川元久** | 国民民主党元幹事長 | 来賓講演(名古屋フォーラム)。民主党時代「移民 1,000 万人構想」提案者、NAGOMi 支援。 |
| **榛葉賀津也** | 国民民主党参院議員 | 推奨知事(静岡・鈴木康友)の後ろ盾。メガソーラー・移民セット推進。 |
| **村井嘉浩** | 宮城県知事・全国知事会会長 | 特別顧問。北海道鈴木知事らと NAGOMi ネットワーク構築、インターナショナルスクール誘致。 |
NAGOMi は外務省・厚労省の「優良天下り先」(理事・顧問 10 名超)。年収 1,200 万円超・退職金優遇で、政策立案に影響。例: 外務省 OB が JICA 連携を主導、厚労省 OB が特定技能審査を独占。実態: 支援事業外注で責任回避、失踪者管理不備。移民関連の腐敗(ビザ口利き、企業癒着)を助長。解体論の根拠: 国民メリットなし、税金バラマキ(2025 年支援追加 200 億円)。公表資料(NAGOMi 役員名簿)で OB 確認可能。
竹中平蔵(パソナ会長)は NAGOMi と**直接絡んでいない**。パソナの特定技能派遣(外国人仲介)と間接連動するが、役員・イベント参加なし。JICA 経由の慶應 SFC 連携で移民主張(「高度人材受け入れ」)が関連するものの、NAGOMi 特化の証拠なし。X 暴露では「竹中系利権」の一部とされるが、根拠薄く、経団連全体の文脈。
X では JICA 撤回後の「ステルス移民」として NAGOMi が急浮上、ロシア情報操作疑惑も。公式(NAGOMi サイト)は「誤情報」と否定も、役員の移民推進発言で信頼失う。
「見誤った」んじゃなくて、ずっとパラレルワールドの話をしてるんだよね。
進次郎がというより、オールドメディアが。
だってあんたら自身が「進次郎圧倒的優勢!」「進次郎で決まり!」って報じ続けてたでしょと。
総裁選なんてちゃんと情勢を取材出来てれば本来大外しはしない性質でしょ。
高市が大量に党員票取ってるのもわからないってどうなってるの。
だからもうオールドメディアに見えてるものと現実とが乖離し過ぎててヤバい。
報じてきたことと大幅にずれた結果が出ても「小泉陣営見誤る」とか言ってて
(ちなみにはてブは一応ネットコミュニティなのに何故かオールドメディアと同一のものを見てて、ネットの中でも浮き上がったすげー不気味な村になってる。)
自分は前から何度か政局について見たまんまを増田に書いてる(はてブがパラレルワールド過ぎて怖いから)んだけど、
ブコメされながらもなんか本気にされないというか、
参院選の前は
「これは参政党が大勝ちしそう、すごい選挙結果見ることになるよ」って書いた。
当然その通りになった。
だって別に勝手に予測してるとか願望とかじゃなくてただネットで見たまんま、
「どういうトピックが盛り上がってるか」「誰がエールを受けてるか」を平らかに観察したまんまだもん。
大筋は当たるのは当たり前でしょ。
カンニングしてるんだもん。
このただの見たまんまを外し続けて
「あなたの見立ては0点でした」「あなたの予測はまた大外れでした」の結果を何回見ても
全然反省も修正もしないのがオールドメディア(とはてブ)なんだよね。
脳がどうかしてて、超強力な正常化バイアス的なものが静かに回転し続けてるんだと思う。
もはや笑う気持ちも失せた。
サイレントヒルの精神世界が目の前に現れてるみたいでガチ目に怖いのよ。
彼等の方でももし現実を直視する時が来たら(こなさそーだけど)
参院選前であれば
「自民党はもはや日本人を見捨てた」「自民党の保守はガス抜き要員のニセ保守」って世界観になってるから、これはすごいぞと。
一般国民が追い詰められた気持ちで、もう保守党や参政党しか行く場がない、
それほどまで自民党のことも警察のことも裁判所のことも信用出来ない気持ちが膨らんでるんだよと。
これらはただ静かにネット眺めていればありありと見たまんまに見えた。
そういうなんか物凄い焦燥と絶望と自民党への憎しみが生えてきてるのが見えてたのに、
要するに彼等は事実を取材したり民意をくみ取ったりする能力なんかなくて、
団結して「今度の焦点はこれです!」と発表して自己成就させるインチキ予言者だった。
ネットでダイナミックに現実や感情が動くようになった速度についていけてない。
オールドメディアは「自民党退潮は裏金と統一教会による」とか言ってたからね。
ネットで自民党を憎んでる人たちはそんなこと1ミリも問題にしてないよ。
そうじゃなくてグローバリズムと移住外国人に国を売り渡す怠惰で無能で堕落しきった裏切り者だから自民党は万死に値するわけ。
せこい不記載なんかどうでもいいの。
もうお前等のインチキ予言に固執するんじゃなくて、ネットで生の感情とストーリーを見ろと。
オールドメディアの中の人&視聴者達のノンベンダラリとした十年一日の自民党ヘイトなんて
こんにちネットで生えてくる自民党への憎しみには温度も速度も全く追いつけてない。
これまでにないほどの人数がサヨクおじいちゃんたちよりはるかに強く深く自民党を憎んでたのに
後期高齢化パターナリズムサヨクおじいちゃん達にはそれを認識すらできない。
何が起きてるのかわからないから流れを自民打倒に使うことも出来ない。
ついでに今後のことを述べれば
高市が総裁になったことでネットは相当平静を取り戻してきてる。
「高市は自民党だけどちゃんとやってくれるかもしれない」となってるから。
最近高市のことも「ガス抜き要員のニセモノ保守」として軽蔑する声が多かったのに
高市が面構えや声で信頼を引き寄せた感がある。
ワークライフバランス発言も戦闘的姿勢として好感されてる。
進次郎陣営の記念撮影写真が「これ次の選挙で落とすリストだぞ」と共有され回されてる。
あれ見てると中高年サヨク達の反自民は所詮、反抗期と言うか、アイデンティティと言うか、終わりを目指さないお遊びだったんだなと感じる。
こうした今の保守層・自民支持者達の心の動きがサヨクおじいちゃん達には全くわかんないと思う。
(傲慢さを捨てて虚心にネット見るだけで結構わかるんだけどきっとそれを出来ない。)
ただ進次郎陣営の記念写真はあまりにもいつメンオールスターなのも事実で
旧来自民党に憎しみを抱いてる保守層・一般層は絶対に受け入れなかっただろう感じはある。
自民党がこれまで経験したことのない憎まれ方をしてる状況下でこの写真を撮ってしまうこと自体が不用意だしオールドメディア的。
こちらが勝ってたら自民党は直ちに滅びてたと思うから、投票した人達の生存本能は大したもの。
(ネットをよーく見てるか、それぞれの地元で有権者の生の声を聴いてる)。
また、記念写真撮影現場に居ながら人の後ろで顔を横に向けて隠れている某女性議員も大したもの。
多分もとからあの陣営が味が悪いと勘づいていて、まして敗北後の記念撮影であれば「ここに写ってること自体災いを招く」と察知したんだと思う。
ネットでバレて突っ込まれてるけどこの生命力には尊敬の念が湧く。生き汚くていい。
逆に高市が良かった点として「自民党の中で浮いてる」という部分が間違いなくあって
ネットで憎悪されてる数々の自民党の政策に対して責任が薄いイメージになっている。
また、鹿の話をしたのも大変良かった。
ネットで高速回転する民意にレスポンスしてこなかったために生まれて膨らんだもの。
(みんな進次郎よりへずまに親愛の念を持っている。マジだ。へずまはすごい速さで声を聴いて動いてくれるため。)
だからネットのナラティブの象徴である鹿の話に触れる意味はあった。
オールドメディアが「差別だ」とか「事実性が確認されない」とか騒ごうが関係ない。
あれは「私はあなたたちの声を聴いていますよ」というメッセージになった。
自民党が大嫌いになって、”右翼”高市のことすら大嫌いになってた人達の心に
高市があの場で鹿の話をしたことがどれだけ響いたことか。リスキーだったがその価値はあった。
(民泊や運転免許等批判するのと違ってただちに仲間の誰かの面子潰しにもならないネタだろうしね)
ひたすら嘲笑するオールドメディアだけ見てたら「なんか突然ヘイトっぽい話をして胡乱な感じ」としか思えないだろう。
高市が自分でネットを見てるのか優秀なネット汲み取りスタッフがいるのかわからないが、
高市はオールドメディアよりも大半の自民議員よりも民心について見えてるものがある。
(ところでそれはそれとして、
オールドメディアの「シカ蹴る中国人などいない」「シカを蹴るのは日本人」はさすがにあり得ないし逆デマになってないか。
へずまと関係ない動画でも中国人が鹿を蹴ってる動画はyoutubeでも相当数見られる。なんで蹴るんだろね。)
まともな領主様がきちんと賊を討伐をしてくれるならきちがいヴィジランテは需要がガタ落ちするから。
今後の方針としては
A・辛抱強く高市にラブコールしながら勝手に同志や手下のように振る舞う
B・従来の活動を激化させて忘れられないようにする
C・「高市はニセモノ、日本を守れるのは自分のような捨て身の人間」と対決姿勢をとる
へずまは色気を出すならB、現実的にはD、
一気に需要が落ちるからしばらくローギア運転してた方がいいと思う。
参政党はCとAをフラフラしながらうまく運転しそうな気もする。
かなり下手でどうしようもない。
ネットの声を聞いてそこに応えるということが全然できない(からどんどんヤバくなる一方)。
少し面白い手として自民党に攻撃的だった右派インフルエンサーを抱き込んで活用ということをやってるみたいなんだけど、
多分抱き込んで指示してる側もセンスが無いのと、
抱き込まれたインフルエンサーもなんか舞い上がっちゃって全然役に立ってない。
そもそも攻撃的な言動や動画でフォロワー集めてたタイプの人材に
「我が党のイメージアップヨイショをやれ」という起用法自体が間違っていて
気持ち悪い口調と顔文字連打しながら進次郎やらせコメントレベルのポストを繰り返すようになって
単にそいつのview数いいね数フォロワー数が減っていくだけという事態になってる。
(そいつのyoutubeのコメント欄も罵倒や軽蔑のコメントが激増)
そもそも抱き込まれたの丸出しな奴がヨイショやってたってそりゃ誰も聞かないわけで
「クマさんじゃなくてワンちゃんに名前変えたら」とか言われてしまっている。
そういうのとは少し違う堂々の古株自民協力者のやまもといちろうとかも、
人の悪口言ってるときはまだしも火消しとか擁護とかヨイショとかやろうとすると毎度下手すぎて目を覆いたくなるし、
党の規模や力に比べてネットが下手という問題は本当に命取りになる課題だと思う。
公明党は創価学会の若手を中心に「我々は我々の公明党のよさを宣伝する」と
堂々としたネット活動をしていて創価や公明党に批判的な人間とも会話する力を見せてる。
(実際には高齢化が著しいのにネットには若者を選抜動員してイメコンしてるのもしっかりしてる。)
つまりネットに強い弱いというのは別に年齢は関係なく技術的な話でもなくて、
実際には脳の機能の一部・知性の一部だからすぐには出来ないし才能がない人には出来ない。
気にくわない書き込みを規制しようとか、下手くそな自演ヨイショしようとか、
全てをロシアのせいにしようとか、そういう解決法を思い付く人間がネット担当の進次郎陣営は終わってるということ。
大将も年齢ばっかり若くても既に脳の可塑性機動性で麻生太郎85歳に負けてそう。
おそらく今回変な反省をした彼の陣営の主導により、党の息のかかった下手くそ自民ヨイショは
どうも進次郎は当人も抱えてるスタッフも無能で間違いないと思う。
救いようがない。
言い続ければ成就する
人を呪わば穴二つというが、でもその穴に先に埋まるのは俺じゃねえんだよ