※専門家でもないし、ネットの情報を鵜呑みにしているため、あくまで私の精神面が成長したというのをそれっぽい単語を用いて使っているだけです。用法・定義が間違ってたらごめん。
自他境界がハッキリしている人たちと会話する機会に恵まれ、対話を重ねていくことで気付かされ、矯正されてきたというのが正しいかもしれない。
それでも十年近くかかったし、同世代と話していると自他境界が曖昧だと思う人はそれなりにいて、根深い問題なんだなと思った。
自分がどのように認識して、どのようなプロセスで改善されてきたかを日記として残しておきたい。
・相手を遊びに誘うことができない
育った環境のせいか、ご機嫌伺いのような癖が抜けず相手に対して100%のパフォーマンスを見せなければ、という思考状態だった。
プライベートでも仕事でも乗り気じゃなくても断ることができず心から嬉しいような演技をしてしまう。どうしても断らないといけなかったりしたときには相手が不機嫌にならないようにフォローをしにいくほどのご機嫌伺いマンだった。
どうやって改善したのかというと、正直ハッキリ分からない。劇的な出来事があった訳でもない。
ただ、先ほども述べた通り、周りにいた自他境界がハッキリしている人達と対話していくうちに思考のベースラインを都度見直ししてきたのが良かったのだと思う。
例えば、以下のような流れを繰り返していった。
3.「~だから、厳密にはウチの仕事じゃないよね?」と上司が説明してくれる。
3.その場は言い訳したりしつつも(じゃあ誰の仕事なんだ?なんで請けてしまったんだ?)を思考していく。
4.自分が請けなくても仕事は回ること、今回はその責任はないことを言い聞かせる。
認められたい・助けることで好かれたい・断ることで嫌われたくないなど。(ここが一番難しい)
5.次回以降同じシチュエーションがあれば、仕事を断ってみる。少しドキドキする。
4は自分の醜いところに向き合う必要があるので恥ずかしかった。
「認められたい」は承認欲求の現れだから(あることが悪いことだとは思わないが)、自分を犠牲にして他人に自分の隙間を埋めてもらう必要はない、と言い聞かせた。
(余談だが、承認欲求が人より大きい自覚もある。そういう人だと底に穴が空いてるのがそもそも問題なので、水を注ぐより底の修理を優先するべきだと考えている。まだ悟りには至ってないが、私は認められたかったんだね、と自覚するだけで効いてきている気がする。)
「助けることで好かれたい」についても、好かれてどうしたいのかを想像してみた。
好かれることで飲み会に誘って欲しいのか、冗談を言い合える仲になりたいのか、他の人にいい人だと広めて欲しいのか、異性であれば下心を叶えたいのか。
そして驚いたんだが好かれた先のビジョンが全くなかった。正直飲み会に誘われても困るし、冗談を言い合える仲になりたいとかもないし、いい人だと広めて欲しいがそこまでの野望も能力もないし、下心もない。
あと、こういうときに仕事を頼む人は本当に代わりにやってくれる人を探しているだけであって、助けてくれたことを恩義に感じる人はかなり少ない。よってあまり意味は無い。
好かれることは経過であって結果ではない。まさに目的と手段が入れ替わっているのが思考していて自分でびっくりした。
好かれなければと強迫観念のように思っていたのに、好かれても嬉しい要素があんまり無かった。
もちろん、仕事に限らず属しているコミュニティで自分の価値を上げたい=好かれたいとは未だに思ってしまうが、世の中そんな簡単に尽くしたからといって上がるようにはなっていない。適正な範囲で少し努力するくらいが凡人には合ってるのだと思う。
最後に、自他境界薄いあるあるだと思うのが「断ることで嫌われたくない」だと思う。
これは自分に置き換えるというのをよくやった。
自分が仕事を正当でない部署の人に頼んだが断られた。これで嫌い!にはならない。せいぜいま、そうだよな……で諦めるくらいだと思う。
お菓子とか物をあげてしまうタイプの人であれば、自分がお菓子をもらえなかったら嫌いになるかを考える。ならないのが普通だと思う。
もしかしたら偶に、だから嫌い!になる人もいるかもしれないが嫌われたからといって、いい大人になった今、徒党を組んでいじめられたりとかは考えづらい。LINEでブロックするなり、上司に相談してNG組み合わせリストとして運用してもらうとか、最悪仕事を辞めればいい。
自分だったら嫌いにならないのに、嫌われてしまう!と咄嗟になってしまうのが自他境界薄い人間の難しいところである。
長々と仕事の例で書いたが、プライベートでも似たように思考するなり置き換えするなりしていった結果、遊びを断ったり、遊びに誘ったり(断られてもそうなのね、で流したり)がなかなかのレベルでこなせるようになってきたと思う。
何もしてないのに不機嫌になる人も怖くはない。不機嫌になる人自身の問題だからだ。
他にも、友人と会話してて寄り添うためにトーンに同調したりするが帰宅した頃にはケロッとしているし、なんなら切り替えて他のことをやれる。
本当に、人間として成長できたのが嬉しい。
物事をハッキリ言える・捉えられるようになったのでストレスも減った。