本日も「夏休み」でお休み。親子で終日のんびり過ごしましたよ。で、たまの休みの日ぐらい、たまっている本をがしがし読めばよさそうなものなんですが、未読本以上に懸案なのが、本の収納問題。とにかく、どこかをどうにかせんことには、もう本が置けないのですよ……。
というわけで、今日は、午後の半日かけて、本棚の大整理を試みました。本の山や前後二重の棚を崩してみると、いやはや、出てくるわ出てくるわ、あっちからもこっちからも、久しぶりに見る本や、買っていたことを忘れていた本が(笑)。当然、「仕分け」の判断のためには、内容のチェックが必要ですから、片端からぱらぱらやることになります。思いがけず楽しい時間を過ごすことになってしまいましたよ。
ただ、そんなことをしていては、当然、本来の目的である「整理」が進むはずもありません。半日かけて、処分決定は結局、段ボール1箱ほど。あふれた本棚に入らずにあちこちに積み置かれた本の「一部」が減っただけ。本棚に空きがない状態は変わりません。嗚呼……。
本の整理をしていて、積み上げた山の下のほうや、棚の奥のほうから気になる未読の本が出てきたりして、内容確認をと思って手にしたらつい読み始めてしまって、気がついたら整理がぜんぜん進まない……こういう事態って、おそらく、ため込み派の本好きの多くが経験してることなんだろうなあ。そんなふうにツイートしたら、あちこちからあるあるの声が(笑)。やっぱりなあ。ちょっと安心しました(笑)。
そんなこんなで、夏休みもまもなく終わり。8月の終わりって、なんとなくさびしいというか、慌ただしいというか、ほかの月末とはちょと違う感じがありますよね。うちの子は、宿題はそんなにためていないようで、慌てて駆け込み作業を強いられている様子はないみたい。一緒にいるときは、済んだものを見てやったり、質問にこたえたりします。で、今日は、読書の記録のチェックを見ていたんですが、うちの子の小学校では、読書感想文の宿題がないんですよ。最近の小学校では、一般的にはどうなのかな。
で、代わりに何があるかというと、書名・作者・頁数に、1、2行の感想を書く読書リストがあるのです。1冊だけ読んで書く感想文と違い、複数の本を読むことが前提なので、読めば読むほどリストの空欄が埋まり、同時に、読書量=頁総数がたまっていく、というしかけ。このやり方だと、子どもが達成感を感じることができるから、とてもいいのではないかと思いました。
その読書リスト、見てみると、かわいいひとこと感想がぎっしり書き込んであるんですよ。親ばか丸出しで恐縮ですが、もう読んでて泣けるのなんの。別に感動的なことが書いてあるわけでもなんでもないんですが、ストレートな本の感想ってやっぱりいいなあ、と、そんなことを思わされたりしたのでした。これ、もちろん新学期になったら提出することになるわけですが、戻ってきたら、もらっちゃおうっと。そして、文字が消えちゃわないよう、いい紙にコピーして(ざら紙にエンピツ書きなので保存が心配なのです)、表紙つけて製本して、保存版にするのだ。
ところで。割に悪者扱いされやすい、その読書感想文について少し。先日も、たまたま本好き仲間と話していて、この話題になったんですが、予想通り、みな、いいイメージを持っていないようでした。まあ、わかります。本好きはいても、読書感想文好きって、周りにまずいませんでしたから。
でもね、世によく言われるほど、悪いものかなあ、という気も一方ではするのです。読書感想文があるから本が読みたくなくなった、本が嫌いになった、みたいな言い方されますよね。でも、どうなんだろ、ぼくも、それからそのときに話していた複数の本好きも、みな小学校で読書感想文を書かされた世代でしたが、みんな、それで本が嫌いになったりすることなく、こうして本好きをやってますからね。しかも、本を仕事にしている人になってたりする。また、文章を書くのが嫌いになるどころか、頼まれもしないのに、POPを作ったり、フリペを作ったり、ブログに感想をアップしたり、そんな人がたくさんいますからね。
読書感想文が別にベストなやり方だとは思いません。思わないけれど、でも、本にふれた人がもっと本を読みたい!と思う気持ちを殺いでしまうような、そんなたいそうなものだとは思えないんですよね。嫌だ嫌だ、と言いながら、みんななんとなく通り過ぎてしまうもの、その程度だと思うんですよ。逆に、読書感想文があるから本は嫌なんだ、というタイプの子どもがいるとして、では、読書感想文がなかったら、その子たちが本好きになってくれるか、というと、問題はそんな簡単じゃないと思うんですよね。
ぼくは、本に出会う機会はたくさんあればあるほどいいと思ってます。本屋さんの店頭で出会う以外に、教科書で出会ったり、図書館・図書室で出会ったり、夏休みの宿題で出会ったり、いろいろあっていいと思うのです。借りたものでも、買ってもらったもので、それが新本でも古本で、なんでもいい。まずは本(作品)に出会うこと、それがなければ始まりませんからね、何も。課題図書/読書感想文だって、朝の読書だって、そういう出会いの、立派な1つの機会だと思うんですよ。
ただ、1冊の本で、原稿用紙を1枚なり2枚なり埋めるのは、やっぱりそれなりに大変なことで、それを一律強制するやり方がベストかと言われると、そうはさすがに思えない。
読書感想文って、「作文」に限定するから大変なんじゃないかな。たとえば、原稿用紙2枚を子どもに与え、その紙をどのように使ってもいい、としたらどうだろう。文章が得意だったり好きだったりする子は、原稿用紙をそのまま使って、オーソドックスな感想文を書けばいい。絵が得意な子は、裏を使って、感じたことを絵にしたり、印象に残った場面を絵にしたり、マンガで自分の思ったことを表現してもいいかも。図画工作が得意な子なら、切り絵や折り紙、立体クラフトで表現してもいいかもしれない。
読んだ本の感想をPOPにする、なんておもしろそうなことを授業でやっている中学校が実際にありますが、たとえば、その本を友だちにすすめるキャッチコピーや広告を考えたっていい(けっこうハードルが高いから、新聞広告などの見本を与えてもいい)。うちの子も学校でやってましたが、その本の「帯」を作るのもおもしろそう(もちろん、事前に帯がどういうものかを、実例を示して説明しておく必要はあるけれど)。必ずしも「文章」にこだわらなくてもいいんですよね。もし、すでに俳句や川柳を習っている学年なら、俳句や川柳で思いを表現してもいいかも。もちろん、詩でも短歌でもいいよね。手法を指定してしまうと、子どもたちにとっていきなり難易度があがってしまうけど、好きな方法で、と言われたら、けっこう楽しめるんじゃないかなあ。
自由度が増せば増すほど、先生の「採点」なり「評価」なりは難しくなるかもしれないけど、読書感想「文」についてまわる子どもたちの苦手感はぐっと減るような気がするんだけど、どうでしょうか。
まあ、長年続いてきたシステムはそんな簡単に変わらないだろうから、いま進行中で、感想文対策に苦しんでいる子どもや、その親御さんがいたら、以前に、空犬通信で紹介した、こういう書店発のすばらしい「あんちょこ」を活用して切り抜けるのも手だと思いますよ。