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空犬通信

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阿佐ヶ谷、ゴールド街が改装?!……可否茶館、そしてクロンボの閉店にショック

本・書店ネタで、書かなくちゃいけないことがいっぱいあるというのに、こんなことまで拾ってるから、いくら時間があっても足りないんだと、方々から怒られそうな気もするけど、でも書いておこう。


先日、朝日新聞のむさしの版に、こんな記事が載りました。「「日本初」の流れくむ喫茶店、8月で幕 東京・阿佐谷」(8/18 朝日新聞)


阿佐ヶ谷の珈琲茶館閉店記事

記事の一部を引きます。《「日本最初の喫茶店」の流れをくむ、JR中央線阿佐ケ谷駅近くの喫茶店が8月末、44年続いた歴史に幕を下ろす。営業している中央線高架下の商業施設の建て替え計画のためだ。改築後の新しい商業施設での再開も検討するが、昔懐かしい雰囲気の喫茶店がなくなることを惜しむ人は多い。》


《31日に閉店するのは、「阿佐ケ谷ゴールド街」(東京都杉並区阿佐谷南2丁目)2階の「可否茶館(こーひーさかん)」。JR中央線中野~荻窪駅の高架化に伴ってゴールド街が誕生した1967(昭和42)年5月にオープンした。》


《「日本最初の喫茶店」とのゆかりは、開店当初の共同経営者の1人が、1888(明治21)年に台東区上野で本格的なコーヒー店「可否茶館」(読み方は「かひさかん」など諸説ある)を創業した鄭永慶さんの孫だったからだ。》


《コーヒーの歴史や文化にくわしく、この店をテーマに著書「日本最初の喫茶店」を出した星田宏司さん(68)は「鹿鳴館に代表される明治政府の欧化主義に反発し、一般庶民がコーヒーを飲める店をめざした。国内外の新聞や雑誌をそろえ、知識普及の場でもあった」と言う。》


《経営は現在、もう1人の共同経営者の長男、小菅秀生さん(66)に引き継がれている。80年代前半には同じゴールド街のいまの場所へ店を移し、2倍の広さの約100平方メートルになった。だが3年ほど前、JR東日本の関連会社からゴールド街の建て替えを理由に立ち退きを迫られた。「地域に親しまれた店を残したかった」が、今年4月に撤退を決意した。》


《建て替え後の新しい商業施設への入居を希望しているが、賃貸料がいまの数倍に上がる見通しなど、条件は厳しい。また、一部の店舗が立ち退きに応じず訴訟になっており、建て替え時期のめどは立っていない。》


《従業員が独自に存続を求める署名を集め始め、これまでに常連客約80人が応じた。小菅さんは「みなさんの熱意をひしひしと感じ、身を引き裂かれるようだ。最後の日にはお客さま一人ひとりに感謝の思いを伝えたい」と話す。》


すみません、一部を省略しつつ、長々と引いてしまいました。阿佐ヶ谷は、ぼくが上京して初めて住んだ街です。いま、ぼくは中央線沿線に住んでいて、阿佐ヶ谷ほか中央線沿線の街に大変に愛着があるのですが、初めての街が阿佐ヶ谷でなければ、こんなにも中央線沿線の雰囲気が好きになることもなかったでしょうし、いまのこの生活もなかったでしょう。


阿佐ヶ谷は、ぼくのような本好きには理想的な街でした。いい新刊書店があって、いい古本屋さんが複数あって、安くておいしい飲食店があって、そして、たくさんのユニークで居心地のいい喫茶店があって。


可否茶館だけではありません。ほかにも、たくさんのいい喫茶店があったのですが、いつのまにか、その数をすっかり減らしてしまいました。西瓜糖、プチ、アコヒーダ……阿佐ヶ谷にあった個性的な喫茶店が次々になくなってしまって、ほんと、さびしいかぎり。店内にブランコがあるgionや、名曲喫茶ヴィオロンはまだあるよね。対山館はまだあるのかな。


あと、個人的にすごくショックなのは、クロンボが閉店してしまったこと。可否茶館と同じゴールド街にあった洋食屋さん、ハンバーグ屋さんです。大好きだったなあ。安くて、ボリュームがあって、お店の人がとっても感じがよくて。学生時代、いったい何度この店に通ったことか。それがもうないなんて……。


学生時代からずっとあって、いつまでもあるに違いないと勝手に思い込んでいた、クロンボ。阿佐ヶ谷の洋食屋さんで、学生のころに好きでよく通っていたお店でいうと、しばらく前に、閉店してしまった洋包丁もそうでした。ぼくは、この2店に寄るためだけに、たまに途中下車してたぐらい好きだったのになあ。そうそう、阿佐ヶ谷にこの6月にできた古書店、コンコ堂を初めて訪ねたときも、帰り、クロンボに寄って、その日買った本を長めながら、ビール&夕ご飯してきのでした。ほんとに、ほんとにさびしいです。


本にも書店にもまったく関係ないうえに、超個人的な話ばかりですみません……。でもね、どうしても書いておきたかったんですよ……。