「暖簾」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 暖簾とは

2024-12-09

anond:20241209174835

暖簾クンニ✋(👁👅👁)🤚

2024-12-08

子供障害を認めない親が悪い、早期に受診療育していれば解決したはずだ以外の答えないぞ

例えば、自閉症のほかに重度の知的障害を伴う場合、強度行動障害があったりしたら、

施設には入れない、入れても不幸なことに繋がるかもしれないので、小さなから訓練するのが良識ある親なので

共感を持って、詳細に具体的に理解し、心を育てる

トモニ療育センター 河島 淳子

 

1.強度行動障害理解

筆者は自閉症児の親であり小児科医でもある。息子の育児教育は困難を極めたが、二次的、三次的な障害をできるだけつけないで育てることができた。自閉症児のパニック問題行動、こだわり、コミュニケーション障害学習の困難さなどは、認知機能障害悟りにくさ・理解しにくさ・判断力のなさ・要領の飲み込みの悪さ)による生半可な理解によって生じていると確信している。不適切なまちがった育児教育の結果、諸問題大人になるにつれて深刻化し、強度行動障害へと発展し、家庭生活地域社会での生活を極めて困難にし、両親も本人も不幸になっていく予後家族支援者たちを悩ましている生活態度と問題行動には、強い欲求、拘束への抵抗自由への要求、反抗、拒否、恐怖、混乱、怒り、失望、悔しさ、嫉妬、強い興味、愛されたい思い、望郷プライド、淋しさなど、様々な感情・思い・心から叫びが読み取れる。

 

2.トモニ療育センター自閉症児の育児教育、および強度行動障害への取り組み

適切な家庭療育自閉症児を救う。母親が「知識ある愛をもって行き届いて」自閉症児を理解して適切に導いていく時、強度行動障害予備軍も好ましく育っている。

適切に向き合うためには、実態を把握のための個別セッション検査課題学習)は欠かせない。詳細な問診票によって過去現在を知った上で、筆者自身自閉症児を詳細に深く観察することからトモニの療育が始まる。トモニでは月3回の自閉症関係勉強会と、ファクシミリメールによる家庭生活記録やレポートから療育の状況を読みとり、問題行動やパニックなどにもきめ細かな指導をしている。個別課題学習を中心において、具体的に7つの項目に取り組んでいる。「失敗は成功の元」と励まし、指示に従ってやり遂げる力をつけ、self-esteem自尊感情)を高め、幸せに生き抜く心を育てている。

具体的目標(できるだけの自立をめざして)

身体作り(マラソン、山歩き)をする

基礎学習家庭科技術職業技術の3種を同時進行で獲得させていく

基本的生活習慣の確立をする

こだわり・問題行動・パニックを克服する

コミュニケーション力をつける

社会的に受け入れられる行動や奉仕作業ができるようにする

余暇を楽しみ、生活を楽しむことができるようにする

読み書き計算の基礎学習と同時進行で家庭科技術料理)を課題とし、同時に職業技術ビーズ暖簾作り、ボールペンの組み立て、箱づくり、折り紙など)に取り組めば、幼児から青年まで長期にわたって一貫した指導継続できる。

 

3.トモニの指導に沿った強度行動障害への対応事例

(1) 社会福祉法人みくに園での取り組み

家族施設職員対象自閉症セミナーを毎月1回日曜日に定期的に1年間開催した。その後、毎月1回出かけ自閉症と行動障害を示す利用者ほぼ全員(26名)に個別セッションテスト課題学習)を実施し、同時に参加者支援員・看護師)に詳細に解説した。「本当はこんな人だったのか!」と感動的な理解の深まりがたびたびあり、利用者への見方が一変した。それまでの不適切支援反省した支援員の向き合い方には適切さが増した。一方で療育室を設け、定期的に療育専門のA支援員が課題学習クロスステッチ刺繍ビーズ暖簾の大作に取り組んだ。言葉のない自閉症者の拠り所となり代弁者となって、self-esteemを高め、心の痛みを感じながら、対等に話し相手となり、孤独感を解消し、生活を満たしている。その中で、強度行動障害短期日に見事に改善され、素直で純粋な活き活きとした幸せと信頼の表情を見せてくれ、愛しい存在となってきている。諦めていた家族もその変化を喜び、協力的になってきてはいるが、帰宅するたびに状態像は悪化している場合が多い。

 

4.まとめ

大人になっている自閉症や強度行動障害の人たちの行動改善可能である

そのためには施設職員全体のレベルアップ、すなわち、自閉症問題行動への理解信頼関係の深まり必要である支援員と利用者の間に信頼関係が育ち、人間らしい生活が少しずつできるようになってきても、施設職員の警戒心や恐怖心は消え去ってはいない。行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服薬させられ、その上に自分意思で開けることのできない居室に隔離されている。行動障害が軽減されたとしても、皆無になったとは言えない。支援員不足によって、やむを得ず夜間には鍵を掛けられているが、果たして支援者を信頼することができるのだろうか。障害福祉施設での身体拘束状態は、夜間の支援員の増員によって、解決できる問題である

支援員の質の向上の機会と待遇改善支援員の増員を心から切望する。

 

https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/jiritsu-report-DB/db/20/134/report/report08.html

anond:20241208104126 anond:20241208170711 anond:20241208171227

2024-11-21

子供を持つことに前向きになれない

社会制度の話ではなく(そっちも問題はあると思うけど)、夫婦間の話、更に言えば夫の甲斐性の話です。

我が家は「パワーカップルと名乗っても良いかな?」という感じの共働き夫婦

私がアラサー年収1,000万、夫はアラフォー年収2,000万。お互いに相手の具体的な金額は把握していないので、夫はもっとあるかもしれない。

アップサイドは職種的に私が2,000万前後頭打ち、夫は青天井世間一般的には私もよく稼ぐ方だと思うけど、夫婦間では相対的に劣る。

年収に応じて夫が多めに家計負担し、家事を私が担うということになっている。

私は家事を全て担い、家計負担も毎月15〜20万円弱+家具家電購入が私持ちなのでイベント的に数十万円程度を払っている。

家事の大変さは家庭によると思うが、我が家掃除なら夫がその辺に置いたゴミや脱ぎ散らかした服を拾い集めるところから始まるレベルだ。

夫は、住宅関連の大きな費用外食費を負担することで家庭に十分に貢献していると主張する。

住宅費は30〜40万円程度、外食費は20〜30万程度。たしかに、住宅費だけでも私より多く負担してくれている。

ただ、外食費は夫の趣味でもある。私は別に毎月高価なフレンチや鮨が食べたいとは思わない。記念日に連れて行ってくれたら嬉しいくらいの感覚だ。

住宅費のみで考えた場合家具家電を私が買うので金銭負担が同程度になる。

負担割合を変更するように夫と交渉を試みた

が、夫は外食費込みで十分な負担をしているつもりであり、家事絶対にやりたくないらしく、話が纏まらなかった。

話し合いの中で夫が「そんなに大変なら、専業主婦になってよ」というので、少しの間、仕事から離れてみた。

その期間は自分貯金を使って生活していた。

夫は私が収入が無いことを知りつつ、私の金銭的な負担分もそのまま、今まで通りの暮らしを続けた。

暫くして貯金が底をつきそうになっていると言うと、「貸してあげる」と10万円を渡してきた。「専業主婦なんだから甘えて良いんだよ」と。

とても惨めで、悲しく、少し怒りや絶望に近い気持ちになった。

専業主婦になれと言うからなったのに、1ヶ月の私の負担分未満の10万を「貸す」だけで、まるで専業主婦を養っているつもりに夫がなっていることに。

貯金が無くなったところで私は再就職した。幸い、空白期間の影響はあまり無かった。

夫には良いところも沢山あるので嫌いにはなれないし、離婚したいとは思わない。

ただ、夫との間に子供を作り、一緒に育てていくことがとても不安になってしまった。

もしも、妊娠に伴って体調を崩しても、夫は今まで通り全く家事をしてくれはしないだろう(実際に、私が病で倒れても代わってくれたことが

ない)。

無職期間の様子からすると、妊娠育児費用や、それに伴う私の収入減についても、私が自分貯金を切り崩して対応することになってもおかしくはない。

夫を肉体的にも金銭的にも頼れない、私の負担を増やすような相手だと思うと、いくら惚れていても、どうしても子供を持つことに前向きになれない。

夫が子供を欲しがる度に、苦しい気持ちになる。

ここに書いたようなことをずっと伝えているのに聞き流されて何も改善しないこと自体不安を招いていること、

私にはもうこれ以上の負担を抱えることができないか子供が欲しいなら負担割合を変更して欲しいこと、

それらを伝えても「子供ができてみたら、きっと何とかなるって」と言うばかりで暖簾に腕押し。

だって子供は欲しいけれど、そんなに何もかもを抱えきれないよ。もう、疲れた

2024-10-29

現代ラーメン史上最も重要店舗10

前編:近代ラーメン史上最も重要な店舗6選

ラーメン二郎(東京

1968年創業豚骨豚肉背脂を煮込んだ脂肪分と旨味が溢れるジャンクスープ一般的ラーメン店よりも多い麺量に野菜が盛られたボリューミーなラーメンが特徴。学生街慶應義塾大学三田キャンパス近く)という立地も相まって、一躍人気店に。1990年代になってからは「直系」と呼ばれる暖簾分け店が増え、2000年以降はラーメンの特徴や注文システム等を模倣した「インスパイア店」が急増。全国規模の知名度を得るに至る。

吉村家神奈川

1974年創業。白濁した豚骨スープ東京醤油を合わせたラーメンを考案し、人気店となる。弟子独立店も1990年代から神奈川を中心に増加し、2000年以降は、模倣したラーメンセントラルキッチンでチェーン展開する企業も参入。ラーメンの一大ジャンル家系」として認知される。

ちなみに創業者の吉村実氏は、開業前、東京平和島にある「ラーメンショップ」での勤務経験があり、豚骨スープ醤油ダレという共通点があることから、同店は「家系ルーツ」とも言われる。

一風堂福岡

1985年創業新横浜ラーメン博物館への出店を皮切りに、店舗を全国へ拡大。早くも2000年には先鞭をつけた海外展開や、清潔感のあるスタイリッシュな内外装の店舗など、以降のラーメン店に与えたとされる影響は多い。

支那そばや神奈川

1986年創業創業者の佐野実は人気テレビ番組に出演し、当時のスター店主の中でも代表と言える存在。そればかりではなく、自家製麺への拘りやブランド食材使用等で、多くのラーメン店に影響をもたらした。佐野実2014年他界したが、支那そばや横浜市現在営業を続けている。

自家製伊藤秋田

1988年創業煮干しを主役に据えたスープと低加水の細麺、具はネギだけのシンプルビジュアルが特徴。開業してしばらくは知る人ぞ知る地元の名店だったが、2004年東京進出を皮切りに、煮干ラーメンブーム火付け役となる。

麺屋武蔵東京

1996年創業1996年は多くの有名ラーメン店が開業した年で、それらの店は「96年組」と呼ばれるが、その中の一店。期間限定メニュー提供券売機の設置、店内の凝った空間演出等々、今や一般化したスタイル元祖とされる。

中華そば 青葉(東京

1996年創業。「麺屋武蔵」と並ぶ「96年組」の一店。別々の寸胴で炊いた動物系素材と魚介系素材のスープを後から合わせ、両者の言わば良いとこ取りをした「ダブルスープ」のラーメンで一躍人気店となり、「豚骨魚介系」と括られるほど多くのインスパイア店を生み出した。

渡なべ(東京

2002年創業。「中華そば 青葉」によって膾炙したダブルスープに対し、一つの寸胴で時間差を設けて動物系素材と魚介系素材を一緒に炊き上げることで、より濃厚なスープとなるようにした「濃厚豚骨魚介」の先駆けとされる。現在営業中。

ラァメン家 69'N'ROLL ONE神奈川

2005年創業スープ素材として鶏だけを使用した、いわゆる「水鶏(鶏水)系」のラーメンや、麺をあらかじめ昆布水に浸した状態提供し、細麺のつけ麺だと麺がくっつきやす問題を解消した「昆布つけ麺」の元祖として知られる。店舗は幾度かの移転を経て、現在兵庫県尼崎市で「ロックビリーS1」として営業中。

煮干中華ソバ イチカワ(茨城

2012年創業。「セメント系」とも言われる、エグ味や苦みさえも絞り出したかのような、セメント彷彿とさせる灰色がかった超濃厚の煮干スープと、ラーメンの麺を食した後に別皿で提供される、油で和えた麺「和え玉」の発祥店とされる。現在営業中だが、今は特濃な煮干ラーメンは、基本的提供をしていない。

2024-10-28

近代ラーメン史上最も重要店舗6選

ご当地ラーメンはたくさんあり、それらの発祥を書き出すとさすがにきりがないので、ここでは全国的に見掛ける、ないし影響を与えたと思われるラーメンに絞りました。

需要がありそうなら現代でも書いてみます

→書きました。現代ラーメン史上最も重要な店舗10選

来々軒東京

1910年創業醤油味のスープ小麦粉かん水使用した麺、具は支那竹焼き豚ネギと、いわゆる「昔ながらのラーメン」を提供し、日本最古のラーメン店とされる。1976年に閉店。

南京千両福岡

1937年創業創業者の出身地である長崎ちゃんぽんからヒントを得て、スープ豚骨使用したラーメン提供。ただし、このスープは乳化させたものではなかった。屋台からまり現在店舗を構えて営業を続けている。

三九(福岡

1947年創業。仕込み中に意図せず煮込み過ぎてしまった豚骨スープを試しに飲んでみたところ、予期せぬ濃厚な味に驚いたという。「白濁した豚骨スープ」という特徴を持つ豚骨ラーメンの源流と言われる。こちらも発祥屋台で、今は店舗営業中。

味の三平北海道

1950年創業味噌汁を元に工夫を重ねた末、味噌ラーメンを生み出す。ちなみに「客から要望があり、豚汁(ぶたじる・北海道なので)に麺を入れたのが最初」なる俗説は、二代目店主曰く「都市伝説」とのこと。現在営業中。

大勝軒東京

1951年創業。「ラーメン神様」こと山岸一雄が、中野店の店長時代、賄いとして食していたメニューブラッシュアップし、麺とスープが分かれた「特製もりそば」を提供する。これがつけ麺元祖とされる。

山岸一雄は、後に暖簾分けで東池袋に「大勝軒」を創業晩年は多くの弟子を取り、暖簾分け・出身店も多数輩出。「東池袋大勝軒系」と呼ばれる系譜を築く。

珍々亭(東京

1954年創業スープがなく、丼の底に溜まったタレと油を麺と絡めて食べる、油そば発祥店と言われる。ただし発祥は、国立市の「三幸」説もある(創業1952年と二年早い)。現在営業中。


追記

大勝軒は偉大だけど、それなら丸長じゃないか? 丸信、栄楽、大勝軒、栄龍軒はどれも丸長のれん会だぞ

大勝軒近代ではなく現代の方に入れるべきではないかと。近代の方としてはそこまで重要性が高いわけでもないでしょ。

そうですね。「丸長」をこちらへ入れて、「大勝軒」を現代に入れた方が良かったかも。

2024-10-21

anond:20241021182530

説教したがり中高年には暖簾に腕押しなだけでしょ

2024-10-18

anond:20241018211634

毎度毎度こういうBLだけ目の敵にされてる論が出てくるけど

BL純愛でスケベ目的ではない」とかいう専門書店暖簾を潜りたくない腐女子カマトトのために

黄色い成人向け図書マークを付けないで一般書籍の扱いで販売するから怒られて有害図書指定受けてるだけの話だろ

黄色い成人向け図書マークを付けて専門書店暖簾を潜った先で売ってたらコミックLOと同じように現行で有害図書にされる事はねーんだよ

2024-10-16

技術負債を解消するか、転職するか

現職に入社して六年になり、日々不具合を無数に出し、コードが読めないとか、仕様が分からない、書き方が分からないという素人レベルクレームを飽きるほど聞いてきた。

改善提案をしても暖簾に腕押し状態で日々ゴミカスのようなコードを書いているが、あまりにも不毛なので転職した方がいい気がしてきた。

2024-10-11

柔道選手の回想を聞いてほしい 1


増田の人に聞いてほしいことがある。昔の記憶だ。

子どもの頃から俺はおかしかった。別に、変な子どもとか言われたことはない。むしろ褒められることの方が多かった。学校の成績はイマイチだったが、運動芸術の成績はよかった。

自己紹介必要最小限にしたい。今は四年制大学スポーツを教えてる。幼少期から柔道をやっていた。中学校全国大会で結果を出して、スポーツの名門高に進学して、同じく名門大学に進学して、卒業後はパチンコ機器メーカー入社(スポンサー契約)してプロになった。

柔道プロ制度はない。あくまで「それ」で食ってるという意味

それが、もう20年以上前だ。人生はあっという間である

回想を始めたい。パチンコメーカーの次の転職先を主題に据えて話をする。

新卒入社した、そのパチンコメーカーとの契約期間は3年だった。最終年度になると、次の道を考えないといけない。一応、次期も残れるだけの実績は出したものの、新しい、次のステージに挑戦しようと考えていた。柔道は、野球サッカーに比べると現役でいられる時間が少ない。体をたくさん動かす分、選手生命が短いのだ……。

当時は、全日本の強化選手(A指定)だった。合宿にはフルで参加していて、オリンピックに出場する連中とも交遊があった。あの頃は、井上康生全日本主将を務めていた。彼が不在の時は俺が副として動くこともあった。ウザいかもしれんが、ちょっとくらい自慢させてくれよ。こういう場で文章を書く機会は滅多にないんだから

※ところで、この日記はとても長い。ゆっくりまれることを推奨する。

次のステージについて悩んだ結果、選んだのは……学校先生だった。大学時代に保健体育教諭の免状を取っていた。いざという時に潰しが効くようにと、大学時代のコーチが勧めてくれた。今でも感謝してる。

どこの学校にしようか思案したところ、やはり地元がいいと思った。出身高校柔道部の監督相談したところ、広島県の東の端っこにある高等学校指導者を探しているということだった。

さっそく面談アポを取り付けてくれて、その高校の現監督と面会すると、すごく驚いてた。まさか強化選手高校教師転向するなんて思ってもみなかったんだろう。

トントン拍子に話は進んで、その翌年度から、俺はその高校の保健体育の教諭(兼柔道顧問)として赴任することになった。

指導者としてのミッションは『古豪復活』だった。その高等学校は、昭和40年代まではすべての体育会部活インターハイ活躍していた。

だが、『何か』があって進学校路線へと方針転換し、スポーツ推薦枠を徐々に減らしていったところ……平成に入る頃には、ほぼすべての部活が市内大会ですら勝てない状況になっていた。それでいて、進学校路線にも失敗していた(学内の最優秀者の進学先が広島大~関関同立くらい)。

そんな状況で、柔道部を立て直すのが俺に課せられたミッションだった。正直難しいと思われたが、チャレンジする価値はあると思っていた。



とまあ、そんな経過で柔道顧問としてキャリアスタートを切ったものの、部内はひどい状況だった。柔道部も地区大会まりとは聞いていたが、冗談抜きでレベルが低かった。心・技・体以前の問題である

部員の多くが高校から柔道を始めていたし、運動センスが抜群の子はいなかった。そして、柔道の何を教えても、どれだけ丁寧に教えてもダメだった。心構えは、まあいいよ。徐々にハートを鍛えていけばいい。ただまず、基礎体力の時点で問題があった。

例として、ベンチプレスだと80kgを上げられる子が1人しかいなかった(それは乳首が大きい子で、皆からあだ名苗字2字分+チクビだった。当時は高二)。ほかの子は概ね40~60kgといったところか。マトモな高校選手であれば、体重70kgくらいの子でも……ベンチ100kgは難しくとも、訓練すれば半年以内に達成できる。

800m走にしてもそうだ。なんと、150秒を切れる子が1人もいなかった。ゼロである(参考までに、当時26だった俺の記録がほぼ130秒。高校の頃は118秒がベスト)。

こんな状況で、この部員達約15名(+女子マネ3人)を、最低でも中国大会まで導かねばならないという……正直、難しかった。柔道プロとして言わせてもらうと、不可能に近い。

難しいのはそれだけじゃない。どれだけ心構えを説いても伝わらなかった。なんというか、やる気とかいレベル以前に、人としての器量というか……そういうのが圧倒的に足りてない。

困難な物事でも、ひとまず取り組んでみるとか、目標達成のために努力を積み重ねるとか、そういう志をもって挑んだ経験がないのでは? と感じるような子ばかりだった。

柔道の子だけじゃない。学校全体でそうだった。本校は、「中高一貫教育により、6年間を通して自ら考え、自ら動き、目標へと達するだけの力を陶冶できる人間を育てる――」と入学パンフレットで謳っていた。そんな生徒は皆無だった。惜しい子はいたのだが。

校則は厳しかった気がする。月イチの全校集会の後、生徒らが体育館前でクラス単位で並ばされて、髪型制服など、生徒指導担当教師陣が細かいチェックを行う。俺の出身校も、服装マナーは厳しい方だったが、ここまでではなかった。

こちらの高等学校偏差値は、40~45くらいだった。そこまで高い方ではないが、かくいう俺も、中学高校テストは平均50点未満しか取れなかった。里香なんかは14点だったこともある。国語濃緑濃緑すら怪しかった……。

柔道青春を捧げていた。それ以外はどうでもよかった。勉強の成績は最低だったけど、高校大学も、ほかのスポーツ特待生と一緒に先生方の温情で卒業させてもらった。

でも、確かにバカだったけどさ。当時、柔道関係書籍は年に五冊以上は読んでたし、毎月発行の『近代柔道だって、全ページの隅々まで目を通してた。

何が言いたいかというと、向上心である。たとえ下手くそでも、誰かに馬鹿にされようと、負けまくったとしても、そんなの関係ない。もっと上に行きたい、勝ちたいという気持ち向上心がない若者未来なんてあるか。

俺は油断していた。百年以上もの伝統がある高等学校だったら、多くの生徒はきっとポテンシャルがあるに違いないと高を括っていた。見通しが甘かった。

それでも一生懸命に教え続けた。暖簾に腕押しだったけど。指導を続けたのだ。怒りを我慢する場面は多くあった。指導者として悔しい思いもした。

当然、結果は出せなかった。他校との合同練習も、ローカル大会公式大会の結果も散々だった。おおよそ、彼ら柔道部員はこんな調子だった。

試合の度に勝敗分析シートを作るよう求めたが、半数は作らない

・提出があっても、ほとんどが小学生中学レベル

・合同練習では中学生に普通に負ける

公式大会直前の練習に来るのは部員の6割

テスト間中柔道場に基礎トレに来るのは1人だけ

 ※ベンチプレス80kgのチクビの子最後設備の測定限界の160kgまでいった。

  彼は柔道ではなくウェイトリフティングの道を歩むべきだった。

俺のストレス有頂天だった。我慢できないところまで来ていた。

なぜ、こいつらはやる気がないのだろうか。成績がいいとか、地頭があるとか、機転が利くとか、そういう能力の話ではなくて――"生きる力"とでも言えばいいのか。そういうのがなかった。



ストレスを抱えていた折、ついにやってしまった。あれは秋頃だったか。県大会があったのだ。高三が引退した後、最初にある十一月の新人大会だった。

大会は二日間あって、初日団体戦予選だったと記憶している。当校の成績はひどいものだった。リーグ戦があって、出場校が4校ずつに分かれて戦うのだが、普通に全敗だった。最初に戦った学校は、数年に一度は全国優勝者を出すほどのレベルだった。全員もれなく数十秒以内に瞬殺された。

チクビの子は、四十秒くらいは戦えていた。対戦相手は、彼と同じ高校二年生で、81kg級のスラッとした体形の選手だった。俺の記憶だと、ケンカ四つでガッチリと組み合った後、チクビの子バタバタ大内刈りをしかけた。全く効いてなかった。

その直後だった、内股で吹っ飛ばされていた。相手の右脚が彼の股下に入ったのを捉えた次の瞬間、その肉体が空中二回転半して畳にめり込んだ。

かに戦った2校も、全国レベルに準ずるところだった。そのうち1校は、毎年安定して県内ベスト4に入る伝統校だった。もうひとつは、偏差値70の私立高校で、全国有数の進学校である。なんと、この学校は週に2回しか柔道練習をしないらしい。それでいて、団体戦個人戦も、毎年ほぼ県内ベスト8に入る成績だった。

この2校には、当然コテンパンにやられた!……いいところがほとんどなかった。三部トーナメント行き確定である。一日目の全試合が終わった後、怒りの気持ち我慢しつつ部員全員に静かな檄を飛ばした。惨めな気分だった。

成果があったといえば、上のチクビの子(T君)が1回だけ勝った。体重相手の方が重かった(T君は当時85kg、相手は100kg級)。人生で初めての指導者としての喜びだった。

彼は寝技が得意だった――厳密には、運動神経が絶望的だったので寝技しか残ってなかった。寝技には運動神経は関係ない。ほぼ努力で上手になる道ができる。相手と密着している分、計算がしやすいのだ。立ち技だと、コンマ数秒の遅れで技の威力に変化が生じる。

毎日練習では、何度も何度も得意のパターンを繰り返した。俺が何回抑え込んでも、関節を極めても、締め技をかけても、決して諦めなかった。送り襟締めや袖車締めで落とした(※頸動脈の圧迫で意識がなくなる)回数は50回を超えている。

夏場にあった合同合宿だと、T君が他校の選手寝技で抑え込まれている時、竹刀背中や太腿を何十発もぶん殴ったっけ……「どうしてそこで力を抜くんやっ!?」と何度も指導した。

T君はそれに応えた。土中から這い出たばかりのカブトムシとか、成虫になろうとして藻掻いているハナムグリ芋虫みたいだった。精いっぱい、本気で動き回っていた。とにかく、妥協だけは絶対しないように教えた。

振り返ってみると、彼に柔道を教えていた期間は一年半もないんだな。たったそれだけである。ヤツは諦めなかった。妥協することはあったけど、俺の指導最後までついてきた。

そりゃあ、T君が情けない試合をした後だと、ブン殴ったことが何度もあったよ。鈍くさいし、柔道はボテボテしてるし、平々凡々の才能だった。でも、あいつはスゴイ奴だったよ。柔道を選んでなければ、別の道でインターハイに出ていたかもしれない。



さて。県大会一日目が終わって、部員一同は広島市にある古びたホステル宿泊することになっていた。ただ、女子マネ×3と引率教師である俺は別のホテルになった。

一応は、監督意見だった。この3人は一年生で、最初の泊まりなので配慮必要ということだった。最初宿泊が、あの年季が入ったボロホステルというのは、確かに……と俺も感じた。

女子マネ3人のうち、2人は双子だった。二卵性だから顔はそこまで似てない。お医者さんのご子息と聞いていた。このうち妹の方(マネ子とする)は、相当マジメな子だった。よく気が利くし、頭の回転が早いし、学業成績は最優秀である学内では清楚キャラで通っていた。実際、練習前には必ずお茶くみをしてくれる。

ほかの2人にしても、こんな弱小柔道部のマネージャーを半年も続けてる時点でひた向きだと思う。普通だったら辞めてるよ。半年間でほとんど勝ててないんだから。県大会個人戦だって、誰一人として出場できなかった。

責任を感じていた。柔道部が結果を出せない原因は俺にだってある。それが申し訳なかった。それで、姉妹のうち妹の方だけ、俺の宿泊部屋に呼んで話をすることにした。

この不甲斐ない状況について話を聞いてみると、彼女も思うことがあるようだった。会話をしたのは数十分である

マネ子の意見

・たしか柔道部は勝ててない

・でも私たちが選んだ道だから。途中でやめない

・新入生への部活説明の時に、柔道部が一番楽しそうだった

私たちサポートできるところはぜんぶやりたい

先生が話を聞いてくれてうれしかった

マネ子は、半分涙を流していた。こんな子がマネージャーで本当によかった。

ところで、俺がいた高校柔道部は、全国でも上から数えた方が早かった。いわゆるガチのところである女子マネージャーなど存在しようがない。いや、男子校から本当に存在しようがないのだが。

気が付くと、マネ子の髪を撫でていた。それから何を思ったのだろうか、そのままグイっと彼女の頭を、俺の肩のあたりまで引き寄せた。変な雰囲気になってた。マネ子は無抵抗だった。左手で胸のところまで引き寄せると、暖かい感触があった。

の子の顎を右手の指先で持ち上げるようにして、キスをした。抵抗はなかった。ベッドの上に押し倒して、後は流れだった。体のいろんなところをキスしながら触っていったけど、本当に無抵抗だった。たまに、俺の肩を猫の手でちょんと押すくらいだった。そのままずっと、ペッティングみたいなことを続けた。

このくらいの年齢の子って、あんまり柔らかくはない。女の子はやわらかい、といった世間イメージは正しくはない。柔らかいのは大人の女性である未成年はそこまで柔らかくはない。

などと思いながら、ちょっとずつ服を脱がしていった。その時のマネ子は、体操服のような簡素恰好だったのを覚えている。すぐに脱げた。

胸は大きくない。でもきれいな形だと思った。お互い、完全に裸になる前に明かりを消した。それから、肢体のいろんなところに触れたり、舐めあったり、くすぐったりした。マネ子は、俺に合わせて動くこともあったし、微動だにしない時もあった。全体的に反応は微かだった。

ひどいことをしている認識はあったが、それでもセックスの相性はよかったと思う。彼女は、最初の方は緊張してたけど、少しずつほぐれてきて、会話をしても大丈夫になった。お互いに唇をすぐ近くまでもってきて、囁くように会話をした。

マネ子は気分が乗ってきたみたいで、行為最中にいろんなことを言ったり、いろんな体位をやってくれた。最後の方はイチャイチャとしていた。会話を思い出してみる。

「ねえ。せんせー。ゴム、まだ持ってます?」

「持ってる。財布の中」

「なんで持ってるんですか笑 彼女さんいるんですか?」

「いないよ」

「えー、だってH慣れてるじゃん」

「慣れてないよ。下手くそだろ」

「……ほんとですか?」

「うん、本当」

うそだー」

「本当だよ」

マネ子にまたキスをすると、態勢を変えて、ベッドの中で真上に乗っかった。

顔を近づけて、両手でマネ子の頬に軽く触れて、しばらくずっと舌を絡め続けていた。舌を抜いた時、彼女がまっすぐ延ばした舌先で唾液がうねるみたいに躍動した。それからマネ子にまっすぐに乗っかって行為をした。俺はマネ子を知ったのだ。

行為が終わると、この子は暗闇の中で俺の眼をずっと見つめていた。俺はそのままベッドを出て、もう一度、財布のところまで歩いていった……。



次の日の朝、初めてあの子を見たのはホテルの朝食をとるスペースだった。ビジネスホテルよりは少し立派なバイキング方式だったっけ。

マネ子は、別に何でもないって顔をしてた。当時の俺は若かった。罪悪感はそこまでなかった。マネ子は本当に普通の様子で、俺や、マネ子の姉とも普通に会話をしてた。

の子たちとの朝飯を済ませてから、サッとチェックアウトをして、みんなを(広島市内の実家から借りてきた)自家用車に載せて会場に向かった記憶がある。

大会二日目は、これまでの中で最大の成果だった。リーグ戦で全敗した関係で、三部トーナメント行きになったのだが、なんと……ここで優勝してしまったのだ!! 嘘ではない、事実だ。ノーシードからきっちり4回勝って、優勝トロフィーを手にした。

T君が活躍したのもあるが、ほかの選手も本気で頑張っていた。あれだけ練習したというのに、リーグ戦での完全敗北が響いたのだろう。心に火がついたといっていい。三部トーナメントの出場校について、選手の半分ほどが白帯だったのもある。

柔道場合、一試合時間野球サッカーといった団体スポーツに比べて短い。試合必要なスペースも100㎡以下である。このように、各校の試合回数をできるだけ多くする配慮ができるのである

ここでいったん切る。

次です

https://anond.hatelabo.jp/20241011192838

2024-10-08

anond:20241008112437

そういうのって文句を言うのが目的

言う側はルッキズムかどうかなんて大した問題にしてないか

真面目にルッキズム部分に反論したところで暖簾に腕押しだと思う

2024-10-01

手が着物にさわると、さわった所だけがひやりとする。人通りの少ない小路を二、三度折れたり曲がったりしてゆくうちに、突然辻占屋に会った。大きな丸い提灯をつけて、腰から下をまっ赤にしている。三四郎は辻占が買ってみたくなった。しかしあえて買わなかった。杉垣に羽織の肩が触れるほどに、赤い提灯をよけて通した。しばらくして、暗い所をはすに抜けると、追分の通りへ出た。角に蕎麦屋がある。三四郎は今度は思い切って暖簾をくぐった。少し酒を飲むためである。  高等学校の生徒が三人いる。近ごろ学校先生が昼の弁当蕎麦を食う者が多くなったと話している。蕎麦屋の担夫が午砲が鳴ると、蒸籠や種ものを山のように肩へ載せて、急いで校門をはいってくる。ここの蕎麦屋はあれでだいぶもうかるだろうと話している。なんとかい先生は夏でも釜揚饂飩を食うが、どういうものだろうと言っている。おおかた胃が悪いんだろうと言っている。そのほかいろいろの事を言っている。教師の名はたいてい呼び棄てにする。なかに一人広田さんと言った者がある。それからなぜ広田さんは独身いるかという議論を始めた。広田さんの所へ行くと女の裸体画がかけてあるから、女がきらいなんじゃなかろうという説であるもっともその裸体画は西洋人からあてにならない。日本の女はきらいかもしれないという説である。いや失恋の結果に違いないという説も出た。失恋してあん変人になったのかと質問した者もあった。しか若い美人が出入するという噂があるが本当かと聞きただした者もあった。  だんだん聞いているうちに、要するに広田先生は偉い人だということになった。なぜ偉いか三四郎にもよくわからないが、とにかくこの三人は三人ながら与次郎の書いた「偉大なる暗闇」を読んでいる。現にあれを読んでから、急に広田さんが好きになったと言っている。時々は「偉大なる暗闇」のなかにある警句などを引用してくる。そうしてさかんに与次郎文章をほめている。零余子とはだれだろうと不思議がっている。なにしろよほどよく広田さんを知っている男に相違ないということには三人とも同意した。  三四郎そばにいて、なるほどと感心した。与次郎が「偉大なる暗闇」を書くはずである文芸時評の売れ高の少ないのは当人自白したとおりであるのに、麗々しく彼のいわゆる大論文を掲げて得意がるのは、虚栄心の満足以外になんのためになるだろうと疑っていたが、これでみると活版の勢力はやはりたいしたものである与次郎の主張するとおり、一言でも半句でも言わないほうが損になる。人の評判はこんなところからあがり、またこんなところから落ちると思うと、筆を執るもの責任が恐ろしくなって、三四郎蕎麦屋を出た。  下宿へ帰ると、酒はもうさめてしまった。なんだかつまらなくっていけない。机の前にすわって、ぼんやりしていると、下女が下から湯沸に熱い湯を入れて持ってきたついでに、封書を一通置いていった。また母の手紙である三四郎はすぐ封を切った。きょうは母の手跡を見るのがはなはだうれしい。  手紙はかなり長いものであったが、べつだんの事も書いてない。ことに三輪田のお光さんについては一口も述べてないので大いにありがたかった。けれどもなかに妙な助言がある。  お前は子供の時から度胸がなくっていけない。度胸の悪いのはたいへんな損で、試験の時なぞにはどのくらい困るかしれない。興津の高さんは、あんなに学問ができて、中学校先生をしているが、検定試験を受けるたびに、からだがふるえて、うまく答案ができないんで、気の毒なことにいまだに月給が上がらずにいる。友だちの医学士とかに頼んでふるえのとまる丸薬をこしらえてもらって、試験前に飲んで出たがやっぱりふるえたそうである。お前のはぶるぶるふるえるほどでもないようだから、平生から持薬に度胸のすわる薬を東京医者にこしらえてもらって飲んでみろ。直らないこともなかろうというのである。  三四郎はばかばかしいと思った。けれどもばかばかしいうちに大いなる感謝見出した。母は本当に親切なものであると、つくづく感心した。その晩一時ごろまでかかって長い返事を母にやった。そのなかに東京はあまりおしろい所ではないという一句があった。

https://anond.hatelabo.jp/20241001221236

 三四郎与次郎に金を貸したてんまつは、こうである

 このあいだの晩九時ごろになって、与次郎が雨のなかを突然やって来て、あたまから大いに弱ったと言う。見ると、いつになく顔の色が悪い。はじめは秋雨ぬれた冷たい空気に吹かれすぎたからのことと思っていたが、座について見ると、悪いのは顔色ばかりではない。珍しく消沈している。三四郎が「ぐあいでもよくないのか」と尋ねると、与次郎は鹿のような目を二度ほどぱちつかせて、こう答えた。

「じつは金をなくしてね。困っちまった」

 そこで、ちょっと心配そうな顔をして、煙草の煙を二、三本鼻から吐いた。三四郎は黙って待っているわけにもゆかない。どういう種類の金を、どこでなくなしたのかとだんだん聞いてみると、すぐわかった。与次郎煙草の煙の、二、三本鼻から出切るあいだだけ控えていたばかりで、そのあとは、一部始終をわけもなくすらすらと話してしまった。

 与次郎のなくした金は、額で二十円、ただし人のものである。去年広田先生がこのまえの家を借りる時分に、三か月の敷金に窮して、足りないところを一時野々宮さんから用達ってもらったことがある。しかるにその金は野々宮さんが、妹にバイオリンを買ってやらなくてはならないとかで、わざわざ国元の親父さんから送らせたものだそうだ。それだからきょうがきょう必要というほどでない代りに、延びれば延びるほどよし子が困る。よし子は現に今でもバイオリンを買わずに済ましている。広田先生が返さないかである先生だって返せればとうに返すんだろうが、月々余裕が一文も出ないうえに、月給以外にけっしてかせがない男だから、ついそれなりにしてあった。ところがこの夏高等学校受験生の答案調べを引き受けた時の手当が六十円このごろになってようやく受け取れた。それでようやく義理を済ますことになって、与次郎がその使いを言いつかった。

「その金をなくなしたんだからすまない」と与次郎が言っている。じっさいすまないような顔つきでもある。どこへ落としたんだと聞くと、なに落としたんじゃない。馬券を何枚とか買って、みんななくなしてしまったのだと言う。三四郎もこれにはあきれ返った。あまり無分別の度を通り越しているので意見をする気にもならない。そのうえ本人が悄然としている。これをいつもの活発溌地と比べると与次郎なるものが二人いるとしか思われない。その対照が激しすぎる。だからおかしいのと気の毒なのとがいっしょになって三四郎を襲ってきた。三四郎は笑いだした。すると与次郎も笑いだした。

「まあいいや、どうかなるだろう」と言う。

先生はまだ知らないのか」と聞くと、

「まだ知らない」

「野々宮さんは」

「むろん、まだ知らない」

「金はいつ受け取ったのか」

「金はこの月始まりから、きょうでちょうど二週間ほどになる」

馬券を買ったのは」

「受け取ったあくる日だ」

それからきょうまでそのままにしておいたのか」

「いろいろ奔走したができないんだからしかたがない。やむをえなければ今月末までこのままにしておこう」

「今月末になればできる見込みでもあるのか」

文芸時評から、どうかなるだろう」

 三四郎は立って、机の引出しをあけた。きのう母から来たばかりの手紙の中をのぞいて、

「金はここにある。今月は国から早く送ってきた」と言った。与次郎は、

「ありがたい。親愛なる小川君」と急に元気のいい声で落語家のようなことを言った。

 二人は十時すぎ雨を冒して、追分の通りへ出て、角の蕎麦屋はいった。三四郎蕎麦屋で酒を飲むことを覚えたのはこの時である。その晩は二人とも愉快に飲んだ。勘定与次郎が払った。与次郎はなかなか人に払わせない男である

 それからきょうにいたるまで与次郎は金を返さない。三四郎は正直だから下宿屋の払いを気にしている。催促はしないけれども、どうかしてくれればいいがと思って、日を過ごすうちに晦日近くなった。もう一日二日しか余っていない。間違ったら下宿勘定を延ばしておこうなどという考えはまだ三四郎の頭にのぼらない。必ず与次郎が持って来てくれる――とまではむろん彼を信用していないのだが、まあどうかくめんしてみようくらいの親切気はあるだろうと考えている。広田先生の評によると与次郎の頭は浅瀬の水のようにしじゅう移っているのだそうだが、むやみに移るばかりで責任を忘れるようでは困る。まさかそれほどの事もあるまい。

 三四郎は二階の窓から往来をながめていた。すると向こうから与次郎が足早にやって来た。窓の下まで来てあおむいて、三四郎の顔を見上げて、「おい、おるか」と言う。三四郎は上から与次郎を見下して、「うん、おる」と言う。このばかみたような挨拶上下一句交換されると、三四郎は部屋の中へ首を引っ込める。与次郎梯子段をとんとん上がってきた。

「待っていやしないか。君のことだから下宿勘定心配しているだろうと思って、だいぶ奔走した。ばかげている」

文芸時評から原稿料をくれたか

原稿料って、原稿料はみんな取ってしまった」

だってこのあいだは月末に取るように言っていたじゃないか

「そうかな、それは間違いだろう。もう一文も取るのはない」

おかしいな。だって君はたしかにそう言ったぜ」

「なに、前借りをしようと言ったのだ。ところがなかなか貸さない。ぼくに貸すと返さないと思っている。けしからんわずか二十円ばかりの金だのに。いくら偉大なる暗闇を書いてやっても信用しない。つまらない。いやになっちまった

「じゃ金はできないのか」

「いやほかでこしらえたよ。君が困るだろうと思って」

「そうか。それは気の毒だ」

「ところが困った事ができた。金はここにはない。君が取りにいかなくっちゃ」

「どこへ」

「じつは文芸時評がいけないから、原口だのなんだの二、三軒歩いたが、どこも月末でつごうがつかない。それから最後里見の所へ行って――里見というのは知らないかね。里見恭助。法学士だ。美禰子さんのにいさんだ。あすこへ行ったところが、今度は留守でやっぱり要領を得ない。そのうち腹が減って歩くのがめんどうになったから、とうとう美禰子さんに会って話をした」

「野々宮さんの妹がいやしないか

「なに昼少し過ぎだから学校に行ってる時分だ。それに応接間だからいたってかまやしない」

「そうか」

「それで美禰子さんが、引き受けてくれて、御用立てしますと言うんだがね」

「あの女は自分の金があるのかい

「そりゃ、どうだか知らない。しかしとにかく大丈夫だよ。引き受けたんだから。ありゃ妙な女で、年のいかないくせにねえさんじみた事をするのが好きな性質なんだから、引き受けさえすれば、安心だ。心配しないでもいい。よろしく願っておけばかまわない。ところがいちばんしまいになって、お金はここにありますが、あなたには渡せませんと言うんだから、驚いたね。ぼくはそんなに不信用なんですかと聞くと、ええと言って笑っている。いやになっちまった。じゃ小川をよこしますかなとまた聞いたら、え、小川さんにお手渡しいたしましょうと言われた。どうでもかってにするがいい。君取りにいけるかい

「取りにいかなければ、国へ電報でもかけるんだな」

電報はよそう。ばかげている。いくらだって借りにいけるだろう」

「いける」

 これでようやく二十円のらちがあいた。それが済むと、与次郎はすぐ広田先生に関する事件の報告を始めた。

 運動は着々歩を進めつつある。暇さえあれば下宿へ出かけていって、一人一人に相談する。相談は一人一人にかぎる。おおぜい寄ると、めいめい自分存在を主張しようとして、ややともすれば異をたてる。それでなければ、自分存在を閑却された心持ちになって、初手から冷淡にかまえる。相談はどうしても一人一人にかぎる。その代り暇はいる。金もいる。それを苦にしていては運動はできない。それから相談中には広田先生名前をあまりさないことにする。我々のための相談でなくって、広田先生のための相談だと思われると、事がまとまらなくなる。

 与次郎はこの方法運動の歩を進めているのだそうだ。それできょうまでのところはうまくいった。西洋人ばかりではいけないから、ぜひとも日本人を入れてもらおうというところまで話はきた。これから先はもう一ぺん寄って、委員を選んで、学長なり、総長なりに、我々の希望を述べにやるばかりであるもっと会合だけはほんの形式から略してもいい。委員になるべき学生もだいたいは知れている。みんな広田先生に同情を持っている連中だから、談判の模様によっては、こっちから先生の名を当局者へ持ち出すかもしれない。……

 聞いていると、与次郎一人で天下が自由になるように思われる。三四郎は少なから与次郎の手腕に感服した。与次郎はまたこあいだの晩、原口さんを先生の所へ連れてきた事について、弁じだした。

「あの晩、原口さんが、先生文芸家の会をやるから出ろと、勧めていたろう」と言う。三四郎はむろん覚えている。与次郎の話によると、じつはあれも自身の発起にかかるものだそうだ。その理由はいろいろあるが、まず第一に手近なところを言えば、あの会員のうちには、大学の文科で有力な教授がいる。その男広田先生接触させるのは、このさい先生にとって、たいへんな便利である先生変人から、求めてだれとも交際しない。しかしこっちで相当の機会を作って、接触させれば、変人なりに付合ってゆく。……

「そういう意味があるのか、ちっとも知らなかった。それで君が発起人だというんだが、会をやる時、君の名前で通知を出して、そういう偉い人たちがみんな寄って来るのかな」

 与次郎は、しばらくまじめに、三四郎を見ていたが、やがて苦笑いをしてわきを向いた。

「ばかいっちゃいけない。発起人って、おもてむきの発起人じゃない。ただぼくがそういう会を企てたのだ。つまりぼくが原口さんを勧めて、万事原口さんが周旋するようにこしらえたのだ」

「そうか」

「そうかは田臭だね。時に君もあの会へ出るがいい。もう近いうちにあるはずだから

「そんな偉い人ばかり出る所へ行ったってしかたがない。ぼくはよそう」

「また田臭を放った。偉い人も偉くない人も社会へ頭を出した順序が違うだけだ。なにあんな連中、博士とか学士かいったって、会って話してみるとなんでもないものだよ。第一向こうがそう偉いともなんとも思ってやしない。ぜひ出ておくがいい。君の将来のためだから」

「どこであるのか」

「たぶん上野の精養軒になるだろう」

「ぼくはあんな所へ、はいたことがない。高い会費を取るんだろう」

「まあ二円ぐらいだろう。なに会費なんか、心配しなくってもいい。なければぼくがだしておくから

 三四郎はたちまち、さきの二十円の件を思い出した。けれども不思議おかしくならなかった。与次郎はそのうち銀座のどことかへ天麩羅を食いに行こうと言いだした。金はあると言う。不思議な男である。言いなり次第になる三四郎もこれは断った。その代りいっしょに散歩に出た。帰りに岡野へ寄って、与次郎は栗饅頭をたくさん買った。これを先生にみやげに持ってゆくんだと言って、袋をかかえて帰っていった。

 三四郎はその晩与次郎性格を考えた。長く東京にいるとあんなになるものかと思った。それから里見へ金を借りに行くことを考えた。美禰子の所へ行く用事ができたのはうれしいような気がする。しかし頭を下げて金を借りるのはありがたくない。三四郎は生まれから今日にいたるまで、人に金を借りた経験のない男である。その上貸すという当人が娘である独立した人間ではない。たとい金が自由になるとしても、兄の許諾を得ない内証の金を借りたとなると、借りる自分はとにかく、あとで、貸した人の迷惑になるかもしれない。あるいはあの女のことだから迷惑にならないようにはじめからできているかとも思える。なにしろ会ってみよう。会ったうえで、借りるのがおもしろくない様子だったら、断わって、しばらく下宿の払いを延ばしておいて、国から取り寄せれば事は済む。――当用はここまで考えて句切りをつけた。あとは散漫に美禰子の事が頭に浮かんで来る。美禰子の顔や手や、襟や、帯や、着物やらを、想像にまかせて、乗けたり除ったりしていた。ことにあした会う時に、どんな態度で、どんな事を言うだろうとその光景が十通りにも二十通りにもなって、いろいろに出て来る。三四郎本来からこんな男である。用談があって人と会見の約束などをする時には、先方がどう出るだろうということばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で言ってやろうなどとはけっして考えない。しかも会見が済むと後からきっとそのほうを考える。そうして後悔する。

 ことに今夜は自分のほうを想像する余地がない。三四郎はこのあいから美禰子を疑っている。しかし疑うばかりでいっこうらちがあかない。そうかといって面と向かって、聞きただすべき事件は一つもないのだから一刀両断解決などは思いもよらぬこである。もし三四郎安心のために解決必要なら、それはただ美禰子に接触する機会を利用して、先方の様子から、いいかげんに最後判決自分に与えてしまうだけである。あしたの会見はこの判決に欠くべからざる材料である。だから、いろいろに向こうを想像してみる。しかし、どう想像しても、自分につごうのいい光景ばかり出てくる。それでいて、実際ははなはだ疑わしい。ちょうどきたない所をきれいな写真にとってながめているような気がする。写真写真としてどこまでも本当に違いないが、実物のきたないことも争われないと一般で、同じでなければならぬはずの二つがけっして一致しない。

七  裏から回ってばあさんに聞くと、ばあさんが小さな声で、与次郎さんはきのうからお帰りなさらないと言う。三四郎勝手口に立って考えた。ばあさんは気をきかして、まあおはいりなさい。先生書斎においでですからと言いながら、手を休めずに、膳椀を洗っている。今晩食がすんだばかりのところらしい。  三四郎茶の間を通り抜けて、廊下伝いに書斎入口まで来た。戸があいている。中から「おい」と人を呼ぶ声がする。三四郎は敷居のうちへはいった。先生は机に向かっている。机の上には何があるかわからない。高い背が研究を隠している。三四郎入口に近くすわって、 「御勉強ですか」と丁寧に聞いた。先生は顔をうしろねじ向けた。髭の影が不明瞭にもじゃもじゃしている。写真版で見ただれかの肖像に似ている。 「やあ、与次郎かと思ったら、君ですか、失敬した」と言って、席を立った。机の上には筆と紙がある。先生は何か書いていた。与次郎の話に、うちの先生は時々何か書いている。しかし何を書いているんだか、ほかの者が読んでもちっともわからない。生きているうちに、大著述にでもまとめられれば結構だが、あれで死んでしまっちゃあ、反古がたまるばかりだ。じつにつまらない。と嘆息していたことがある。三四郎広田の机の上を見て、すぐ与次郎の話を思い出した。 「おじゃまなら帰ります。べつだんの用事でもありません」 「いや、帰ってもらうほどじゃまでもありません。こっちの用事もべつだんのことでもないんだから。そう急に片づけるたちのものをやっていたんじゃない」  三四郎ちょっと挨拶ができなかった。しかし腹のうちでは、この人のような気分になれたら、勉強も楽にできてよかろうと思った。しばらくしてから、こう言った。 「じつは佐々木君のところへ来たんですが、いなかったものですから……」 「ああ。与次郎はなんでもゆうべから帰らないようだ。時々漂泊して困る」 「何か急に用事でもできたんですか」 「用事はけっしてできる男じゃない。ただ用事をこしらえる男でね。ああいうばかは少ない」  三四郎はしかたがないから、 「なかなか気楽ですな」と言った。 「気楽ならいいけれども。与次郎のは気楽なのじゃない。気が移るので――たとえば田の中を流れている小川のようなものと思っていれば間違いはない。浅くて狭い。しかし水だけはしじゅう変っている。だから、する事が、ちっとも締まりがない。縁日へひやかしになど行くと、急に思い出したように、先生松を一鉢お買いなさいなんて妙なことを言う。そうして買うともなんとも言わないうちに値切って買ってしまう。その代り縁日ものを買うことなんぞはじょうずでね。あいつに買わせるとたいへん安く買える。そうかと思うと、夏になってみんなが家を留守にするときなんか、松を座敷へ入れたまんま雨戸をたてて錠をおろししまう。帰ってみると、松が温気でむれてまっ赤になっている。万事そういうふうでまことに困る」  実をいうと三四郎はこのあい与次郎に二十円貸した。二週間後には文芸時評から原稿料が取れるはずだから、それまで立替えてくれろと言う。事理を聞いてみると、気の毒であったから、国から送ってきたばかりの為替を五円引いて、余りはことごとく貸してしまった。まだ返す期限ではないが、広田の話を聞いてみると少々心配になる。しか先生にそんな事は打ち明けられないから、反対に、 「でも佐々木君は、大いに先生に敬服して、陰では先生のためになかなか尽力しています」と言うと、先生はまじめになって、 「どんな尽力をしているんですか」と聞きだした。ところが「偉大なる暗闇」その他すべて広田先生に関する与次郎所為は、先生に話してはならないと、当人から封じられている。やりかけた途中でそんな事が知れると先生しかられるにきまってるから黙っているべきだという。話していい時にはおれが話すと明言しているんだからしかたがない。三四郎は話をそらしてしまった。  三四郎広田の家へ来るにはいろいろな意味がある。一つは、この人の生活その他が普通のものと変っている。ことに自分の性情とはまったく容れないようなところがある。そこで三四郎はどうしたらああなるだろうという好奇心から参考のため研究に来る。次にこの人の前に出るとのん気になる。世の中の競争があまり苦にならない。野々宮さんも広田先生と同じく世外の趣はあるが、世外の功名心のために、流俗の嗜欲を遠ざけているかのように思われる。だから野々宮さんを相手に二人ぎりで話していると、自分もはやく一人前の仕事をして、学海に貢献しなくては済まないような気が起こる。いらついてたまらない。そこへゆくと広田先生太平である先生高等学校でただ語学を教えるだけで、ほかになんの芸もない――といっては失礼だが、ほかになんらの研究も公けにしない。しかも泰然と取り澄ましている。そこに、こののん気の源は伏在しているのだろうと思う。三四郎は近ごろ女にとらわれた。恋人にとらわれたのなら、かえっておもしろいが、ほれられているんだか、ばかにされているんだか、こわがっていいんだか、さげすんでいいんだか、よすべきだか、続けべきだかわけのわからないとらわれ方である三四郎はいまいましくなった。そういう時は広田さんにかぎる。三十分ほど先生と相対していると心持ちが悠揚になる。女の一人や二人どうなってもかまわないと思う。実をいうと、三四郎が今夜出かけてきたのは七分方この意味である。  訪問理由の第三はだいぶ矛盾している。自分は美禰子に苦しんでいる。美禰子のそばに野々宮さんを置くとなお苦しんでくる。その野々宮さんにもっとも近いものはこの先生である。だから先生の所へ来ると、野々宮さんと美禰子との関係がおのずから明瞭になってくるだろうと思う。これが明瞭になりさえすれば、自分の態度も判然きめることができる。そのくせ二人の事をいまだかつて先生に聞いたことがない。今夜は一つ聞いてみようかしらと、心を動かした。 「野々宮さんは下宿なすったそうですね」 「ええ、下宿したそうです」 「家をもった者が、また下宿をしたら不便だろうと思いますが、野々宮さんはよく……」 「ええ、そんな事にはいっこう無頓着なほうでね。あの服装を見てもわかる。家庭的な人じゃない。その代り学問にかけると非常に神経質だ」 「当分ああやっておいでのつもりなんでしょうか」 「わからない。また突然家を持つかもしれない」 「奥さんでもお貰いになるお考えはないんでしょうか」 「あるかもしれない。いいのを周旋してやりたまえ」  三四郎苦笑いをして、よけいな事を言ったと思った。すると広田さんが、 「君はどうです」と聞いた。 「私は……」 「まだ早いですね。今から細君を持っちゃたいへんだ」 「国の者は勧めますが」 「国のだれが」 「母です」 「おっかさんのいうとおり持つ気になりますか」 「なかなかなりません」  広田さんは髭の下から歯を出して笑った。わりあいきれいな歯を持っている。三四郎はその時急になつかしい心持ちがした。けれどもそのなつかしさは美禰子を離れている。野々宮を離れている。三四郎の眼前の利害には超絶したなつかしさであった。三四郎はこれで、野々宮などの事を聞くのが恥ずかしい気がしだして、質問をやめてしまった。すると広田先生がまた話しだした。―― 「おっかさんのいうことはなるべく聞いてあげるがよい。近ごろの青年は我々時代青年と違って自我意識が強すぎていけない。我々の書生をしているころには、する事なす事一として他を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。――君、露悪家という言葉を聞いたことがありますか」 「いいえ」 「今ぼくが即席に作った言葉だ。君もその露悪家の一人――だかどうだか、まあたぶんそうだろう。与次郎のごときにいたるとその最たるものだ。あの君の知ってる里見という女があるでしょう。あれも一種の露悪家で、それから野々宮の妹ね、あれはまた、あれなりに露悪家だから面白い。昔は殿様と親父だけが露悪家ですんでいたが、今日では各自同等の権利で露悪家になりたがる。もっとも悪い事でもなんでもない。臭いものの蓋をとれば肥桶で、見事な形式をはぐとたいていは露悪になるのは知れ切っている。形式だけ見事だって面倒なばかりだから、みんな節約して木地だけで用を足している。はなはだ痛快である。天醜爛漫としている。ところがこの爛漫が度を越すと、露悪家同志がお互いに不便を感じてくる。その不便がだんだん高じて極端に達した時利他主義がまた復活する。それがまた形式に流れて腐敗するとまた利己主義に帰参する。つまり際限はない。我々はそういうふうにして暮らしてゆくものと思えばさしつかえない。そうしてゆくうちに進歩する。英国を見たまえ。この両主義が昔からうまく平衡がとれている。だから動かない。だから進歩しない。イブセンも出なければニイチェも出ない。気の毒なものだ。自分だけは得意のようだが、はたから見れば堅くなって、化石しかかっている。……」  三四郎は内心感心したようなものの、話がそれてとんだところへ曲がって、曲がりなりに太くなってゆくので、少し驚いていた。すると広田さんもようやく気がついた。 「いったい何を話していたのかな」 「結婚の事です」 「結婚?」 「ええ、私が母の言うことを聞いて……」 「うん、そうそう。なるべくおっかさんの言うことを聞かなければいけない」と言ってにこにこしている。まるで子供に対するようである三四郎はべつに腹も立たなかった。 「我々が露悪家なのは、いいですが、先生時代の人が偽善なのは、どういう意味ですか」 「君、人から親切にされて愉快ですか」 「ええ、まあ愉快です」 「きっと? ぼくはそうでない、たいへん親切にされて不愉快な事がある」 「どんな場合ですか」 「形式だけは親切にかなっている。しかし親切自身目的でない場合」 「そんな場合があるでしょうか」 「君、元日におめでとうと言われて、じっさいおめでたい気がしますか」 「そりゃ……」 「しないだろう。それと同じく腹をかかえて笑うだの、ころげかえって笑うだのというやつに、一人だってじっさい笑ってるやつはない。親切もそのとおり。お役目に親切をしてくれるのがある。ぼくが学校教師をしているようなものでね。実際の目的は衣食にあるんだから、生徒から見たらさだめて不愉快だろう。これに反して与次郎のごときは露悪党領袖だけに、たびたびぼくに迷惑をかけて、始末におえぬいたずら者だが、悪気がない。可愛らしいところがある。ちょうどアメリカ人金銭に対して露骨なのと一般だ。それ自身目的である。それ自身目的である行為ほど正直なものはなくって、正直ほど厭味のないものはないんだから、万事正直に出られないような我々時代の、こむずかしい教育を受けたものはみんな気障だ」  ここまでの理屈三四郎にもわかっている。けれども三四郎にとって、目下痛切な問題は、だいたいにわたっての理屈ではない。実際に交渉のある、ある格段な相手が、正直か正直でないかを知りたいのである三四郎は腹の中で美禰子の自分に対する素振をもう一ぺん考えてみた。ところが気障か気障でないかほとんど判断ができない。三四郎自分感受性人一倍鈍いのではなかろうかと疑いだした。  その時広田さんは急にうんと言って、何か思い出したようである。 「うん、まだある。この二十世紀になってから妙なのが流行る。利他本位の内容を利己本位でみたすというむずかしいやり口なんだが、君そんな人に出会ったですか」 「どんなのです」 「ほかの言葉でいうと、偽善を行うに露悪をもってする。まだわからないだろうな。ちと説明し方が悪いようだ。――昔の偽善家はね、なんでも人によく思われたいが先に立つんでしょう。ところがその反対で、人の感触を害するために、わざわざ偽善をやる。横から見ても縦から見ても、相手には偽善しか思われないようにしむけてゆく。相手はむろんいやな心持ちがする。そこで本人の目的は達せられる。偽善偽善そのままで先方に通用させようとする正直なところが露悪家の特色で、しかも表面上の行為言語あくまでも善に違いないから、――そら、二位一体というようなことになる。この方法を巧妙に用いる者が近来だいぶふえてきたようだ。きわめて神経の鋭敏になった文明人種が、もっと優美に露悪家になろうとすると、これがいちばんいい方法になる。血を出さなければ人が殺せないというのはずいぶん野蛮な話だからな君、だんだん流行らなくなる」  広田先生の話し方は、ちょうど案内者が古戦場説明するようなもので、実際を遠くからながめた地位にみずからを置いている。それがすこぶる楽天の趣がある。あたか教場講義を聞くと一般の感を起こさせる。しか三四郎にはこたえた。念頭に美禰子という女があって、この理論をすぐ適用できるからである三四郎は頭の中にこの標準を置いて、美禰子のすべてを測ってみた。しかし測り切れないところがたいへんある。先生は口を閉じて、例のごとく鼻から哲学の煙を吐き始めた。  ところへ玄関足音がした。案内も乞わず廊下伝いにはいって来る。たちまち与次郎書斎入口にすわって、 「原口さんがおいでになりました」と言う。ただ今帰りましたという挨拶を省いている。わざと省いたのかもしれない。三四郎にはぞんざいな目礼をしたばかりですぐに出ていった。  与次郎と敷居ぎわですれ違って、原口さんがはいって来た。原口さんはフランス式の髭をはやして、頭を五分刈にした、脂肪の多い男である。野々宮さんより年が二つ三つ上に見える。広田先生よりずっときれいな和服を着ている。 「やあ、しばらく。今まで佐々木が家へ来ていてね。いっしょに飯を食ったり何かして――それから、とうとう引っ張り出されて……」とだいぶ楽天的な口調であるそばにいるとしぜん陽気になるような声を出す。三四郎原口という名前を聞いた時から、おおかたあの画工だろうと思っていた。それにしても与次郎交際家だ。たいていな先輩とはみんな知合いになっているからえらいと感心して堅くなった。三四郎は年長者の前へ出ると堅くなる。九州流の教育を受けた結果だと自分では解釈している。  やがて主人が原口に紹介してくれる。三四郎は丁寧に頭を下げた。向こうは軽く会釈した。三四郎それから黙って二人の談話を承っていた。  原口さんはまず用談から片づけると言って、近いうちに会をするから出てくれと頼んでいる。会員と名のつくほどのりっぱなものはこしらえないつもりだが、通知を出すものは、文学者とか芸術家とか、大学教授とか、わずかな人数にかぎっておくからさしつかえはない。しかもたいてい知り合いのあいだだから形式はまったく不必要である目的はただおおぜい寄って晩餐を食う。それから文芸有益談話を交換する。そんなものである。  広田先生一口「出よう」と言った。用事はそれで済んでしまった。用事はそれで済んでしまったが、それから後の原口さんと広田先生の会話がすこぶるおもしろかった。  広田先生が「君近ごろ何をしているかね」と原口さんに聞くと、原口さんがこんな事を言う。 「やっぱり一中節稽古している。もう五つほど上げた。花紅葉吉原八景だの、小稲半兵衛唐崎心中だのってなかなかおもしろいのがあるよ。君も少しやってみないかもっともありゃ、あまり大きな声を出しちゃいけないんだってね。本来四畳半の座敷にかぎったものだそうだ。ところがぼくがこのとおり大きな声だろう。それに節回しがあれでなかなか込み入っているんで、どうしてもうまくいかん。こんだ一つやるから聞いてくれたまえ」  広田先生は笑っていた。すると原口さんは続きをこういうふうに述べた。 「それでもぼくはまだいいんだが、里見恭助ときたら、まるで形無しだからね。どういうものかしらん。妹はあんなに器用だのに。このあいだはとうとう降参して、もう歌はやめる、その代り何か楽器を習おうと言いだしたところが、馬鹿囃子をお習いなさらいかと勧めた者があってね。大笑いさ」 「そりゃ本当かい」 「本当とも。現に里見がぼくに、君がやるならやってもいいと言ったくらいだもの。あれで馬鹿囃子には八通り囃し方があるんだそうだ」 「君、やっちゃどうだ。あれなら普通人間にでもできそうだ」 「いや馬鹿囃子はいやだ。それよりか鼓が打ってみたくってね。なぜだか鼓の音を聞いていると、まったく二十世紀の気がしなくなるからいい。どうして今の世にああ間が抜けていられるだろうと思うと、それだけでたいへんな薬になる。いくらぼくがのん気でも、鼓の音のような絵はとてもかけないから」 「かこうともしないんじゃないか」 「かけないんだもの。今の東京にいる者に悠揚な絵ができるものか。もっとも絵にもかぎるまいけれども。――絵といえば、このあい大学運動会へ行って、里見と野々宮さんの妹のカリカチュアーをかいてやろうと思ったら、とうとう逃げられてしまった。こんだ一つ本当の肖像画をかい展覧会にでも出そうかと思って」 「だれの」 「里見の妹の。どうも普通日本の女の顔は歌麿式や何かばかりで、西洋の画布にはうつりが悪くっていけないが、あの女や野々宮さんはいい。両方ともに絵になる。あの女が団扇をかざして、木立をうしろに、明るい方を向いているところを等身に写してみようかしらと思っている。西洋の扇は厭味でいけないが、日本団扇は新しくっておもしろいだろう。とにかくはやくしないとだめだ。いまに嫁にでもいかれようものなら、そうこっちの自由いかなくなるかもしれないから」  三四郎は多大な興味をもって原口の話を聞いていた。ことに美禰子が団扇をかざしている構図は非常な感動を三四郎に与えた。不思議因縁が二人の間に存在しているのではないかと思うほどであった。すると広田先生が、「そんな図はそうおもしろいこともないじゃないか」と無遠慮な事を言いだした。 「でも当人希望なんだもの団扇をかざしているところは、どうでしょうと言うから、すこぶる妙でしょうと言って承知したのさ。なに、悪い図どりではないよ。かきようにもよるが」 「あんまり美しくかくと、結婚の申込みが多くなって困るぜ」 「ハハハじゃ中ぐらいにかいておこう。結婚といえば、あの女も、もう嫁にゆく時期だね。どうだろう、どこかいい口はないだろうか。里見にも頼まれているんだが」 「君もらっちゃどうだ」 「ぼくか。ぼくでよければもらうが、どうもあの女には信用がなくってね」 「なぜ」 「原口さんは洋行する時にはたいへんな気込みで、わざわざ鰹節を買い込んで、これでパリー下宿に籠城するなんて大いばりだったが、パリーへ着くやいなや、たちまち豹変したそうですねって笑うんだから始末がわるい。おおかた兄からでも聞いたんだろう」 「あの女は自分の行きたい所でなくっちゃ行きっこない。勧めたってだめだ。好きな人があるまで独身で置くがいい」 「まったく西洋流だね。もっともこれからの女はみんなそうなるんだから、それもよかろう」  それから二人の間に長い絵画談があった。三四郎広田先生西洋の画工の名をたくさん知っているのに驚いた。帰るとき勝手口で下駄を捜していると、先生梯子段の下へ来て「おい佐々木ちょっと降りて来い」と言っていた。  戸外は寒い。空は高く晴れて、どこから露が降るかと思うくらいである。手が着物にさわると、さわった所だけがひやりとする。人通りの少ない小路を二、三度折れたり曲がったりしてゆくうちに、突然辻占屋に会った。大きな丸い提灯をつけて、腰から下をまっ赤にしている。三四郎は辻占が買ってみたくなった。しかしあえて買わなかった。杉垣に羽織の肩が触れるほどに、赤い提灯をよけて通した。しばらくして、暗い所をはすに抜けると、追分の通りへ出た。角に

https://anond.hatelabo.jp/20241001205100

2024-09-26

anond:20240926172435

生成AIに期待しすぎ

こんなのしか出来ないぞ

=============

ラーメン屋暖簾くぐってさ ♪

♪ ひとりでテーブル座って待つのさ ♪

♪ ああ、スープが香る ♪

♪ 麺が輝く ♪

♪ でもまだお腹ちょっと足りない ♪

(サビ)

替え玉替え玉!もう一杯!

この幸せ、止まらない!

替え玉替え玉!どんどんいこう!

お腹がまだまだ叫んでる!

お箸が止まらないこの瞬間 ♪

スープと麺が絶妙バランス

店員さんにそっと手をあげ ♪

♪ 「替え玉、ください!」と勇気を出す ♪

(サビ)

替え玉替え玉!もう一杯!

これが僕のラーメン道

替え玉替え玉!君もどう?

一緒にこの味、分かち合おう!

2024-09-25

大手企業新規事業立ち上げに関わって3年を無駄にした話

電車広告でその企業名前を見かけて思い出したので書く。

フェイク大量なので辻褄が合わない部分たくさんあると思う。

 

退職済みの元同僚に誘われたのがきっかけで、

大手企業新規事業立ち上げチームに加わることになった。

知識経験を高く買うような元同僚の熱烈なラブコール私自身不覚にも乗せられてしま

半ば強引に勤めていた会社を辞めてしまったが、ここで踏み止まっていればと今なら強く思う。

 

相手方との面談ではしつこいくらいに事業方針仕事の進め方について確認したので

ある程度確信を得ての転職だったのもあり、最初の頃は戸惑いがありながらも

会社が変わればやり方も変わる」程度の範疇だったので納得しつつあっという間に半年が過ぎた。

 

それからさら半年、立ち上げから居るという事、知識技術経験があることから役職をもらい、

チームマネジメント採用活動にもしっかりと関わるようになった。

持っている仕事を多くこなしつつ、前職で行っていたマネジメントの応用が功を奏し

残業はほぼ0、仕事の停滞もなくスムーズ作業をこなせるように。

その結果か、大変ありがたいことに部下からは慕ってもらい、和気藹々と過ごせており

第三者の目から見ても実際そうだったと別の社員からは教えられた。

転職を後悔する日があったりしつつも、この頃は本当に楽しかったしやり甲斐も感じられた。

 

事件が起きたのはそれから更に1年後、社員数も増えてきて

私のチームも大所帯になってきたがマネジメントがうまくいっていたので

問題なく仕事は回せていたしチームの雰囲気も引き続き良好だった。

そこに入社してきた一人の女性社員。年齢は確か40過ぎだったと思う。

この方がまあとにかく仕事ミスるミスる

入社してすぐはともかく、数ヶ月経ってもミスの頻度は変わらず。

ただ、私自ミスを攻めることは既存社員含めやらない主義で、

既にやってしまたことについては私が謝罪すれば良いと思っているので

その女性社員にはミスの原因を分析し、正しい対策を考えましょうと指導し続けた。

原因や対策がわからない時は一緒になって考えることも頻繁にした。

それでも最後までミスは減らなかった。

 

そんな中行ったある日のチームMTG特に誰がどうという話をしたわけでもなく

「今、◯◯という案件に係る作業で全体的に工数が膨れ上がっています

今週行った作業で困ったこと・時間がかかったことがあれば報告をお願いします」

みたいなことを全員に聞いて、メンバーがそれぞれ「あの作業が」 「この作業が」と報告した。

例の女性社員も一応一部だけこの案件に関わってはいたが特に報告はなかった。

報告の有無・するしないは特に問題にしていなかったので出てきた内容についてのみ話し合った。

 

で、この日の定時後、私は役職を降ろされた。

 

理由を聞くと、私が例の女性社員作業の遅さをみんなの前でこき下ろして馬鹿にしたからだそう。

役職者としてあるまじき行為ということだった。

かにそんなことをする奴がいたら私もパワハラとして上司に即相談するが

一体誰がそんなことを!?的な意味合いで一応聞いてみたら、

上記MTGの内容を例の女性社員はそのように受け取ったらしい。

で、事実確認も何もないまま、私は降ろされたという形。

チームMTGは何も初めてではなく内容も定例的だったのに、その日いきなり。

 

ちなみに、この重大な決定を誰が下したかというと

私と同列ポジション役職者Aさん(女性)となぜか平社員のBさん(女性)

私の直属の上長には事後報告という、もはや組織の体を成していない状況から

「この部署・この会社は長くない」と判断し、抵抗は諦め、

転職の準備を少しずつ進めることとなった。

 

それからしばらくして、この会社も例に漏れず、流行り病の影響で完全リモートワークとなった。

上の件でやる気を失った私だが、それでもプライドは少しあったので

自身知識経験をなるべく活かすべく、人より多く仕事をこなすようにしていた。

それは別に給与に反映されるわけでもないので、ひたすらに虚しい日々。

そんな中、部署から突然電話。とにかく理由明日話すから会社に出社してきてほしいと。

まだまだ世間では感染者数の増加が連日報告される中だったので

2重の意味で恐る恐る会社に来てみると案の定「お前サボってるだろ?」

 

何となくだがそう言われる気はしていた。

女性社員騒動の件の強引さから察するに、だいぶ前から私を厄介払いしたかったのだろう。

それでも社員の首はそう簡単には切れないから、追い出しに掛かっていてその一環だったと。

全てを察しつつも一応説明してみたが暖簾に腕押し。

どうして「サボってる」判断になったか聞いてみると、

前回も首を突っ込んでいた平社員のBさん(女性)からの密告だそうで

一体Bさんがどこまで手を回しているかからなかったのも怖かった。

その後も出来る限りの抵抗を行って、連日届く罵詈雑言メールパワハラとして

会社コンプラ相談窓口に投げてみたものの「お前が悪いからだろ?さっさと謝れ」とかい

目を疑う内容の返信が届いたのでさっさと退職

退職手続きを行う際に対応した事務女性にも面と向かって

常識がないクズ」と罵られたことで最終日は清々しく帰ることができた。

 

結果的に3年くらいこの会社に勤めていたことになるが

結局は厄介な相手に嫌われたり目を付けられるとどうすることもできないんだな

ということを学べただけだったなあ。

私をスカウトした元同僚も、女性社員騒動の直後くらいか

何を報告相談しても一切返事をしてくれなくなったので、

悪い噂を事実として伝えられてしまったのかなと。

 

冒頭の通りその会社は今も存続しているけど

新規事業を進めていた部署は私が辞めてから1年も経たず大量に退職者を出して畳んだとのこと。

当時私が受けた罵詈雑言メールは逐一他社員バラ撒いていたから不信感からというのもあるみたいだけど

私がいなくなったあと部長が在職者一人ひとりを丁寧に潰していったとの話も聞いた。

サンドバッグがあっさりいなくなったかストッパーが無くなったということなのかな?

その部長責任を問われたのか何なのか結局すぐに退職し、

今ではXで「ミニカーブーブー!」 「ライダー変身!」みたいなちょっとよくわからない投稿をしてる。

あ、お子さんとかでなく御本人の写真付きで。壊れちゃった…?

2024-09-20

今「他者といる技法」って本を読み出した。

初めのあたりに、他者から承認して貰うことで自分存在証明を得る。それは他人も同じで私から承認して貰うことで存在証明を得るみたいな話があって、考えたら当たり前ではあるけど、子供の頃からイジメられるばかりの弱者なので他人承認してるくれる存在って目から鱗だな。

そして、他人自分から承認が欲しかったけど暖簾に腕押しみたいな感覚しかならなかったからキレるわけか。

自分の絵を見てほしい時は積極的他人絵を評価するとお返しに見てくれるのは気がついてたのにな。

もっと早くこの本読めたらよかったなぁ。

2024-09-03

anond:20240902145320

わたしは男で、どちらかというと、妻に拒否られている側です。

といっても、月に一度あるかどうか程度。

妻とのセックスライフにはさほど満足していません。もう少し回数もしたいですし

もう少しアブノーマルなこともしてみたいと思います

また妻の性癖というか、やってほしい事を伝えてほしいと思ってます

マスダさんも、夫さんに奉仕するようなセックスばかりでなく、

自分セクシャルな興味をお伝えするのは良いことだと思います

夫さんの事が好きだ、エッチなことは好きだけど、、、と前提情報をお伝えすると

絶対に嫌な気持ちにはならず、もっと深く仲良くなれると思います

それにしても、夫さんはマグロさんですね。そんな男性がいるとは。

というより、積極的女性出会えて幸せな男ですね。

仮に夫さんが、性欲が薄く淡白すぎる相手ならば、いくら積極的になったとしても

暖簾に腕押しで、マスダさんが違う相手を求めていくのかもと思います

そうならないということは、すれ違いはあれど、2人は互いを求めている証拠です。

気になることや嫌なことも、あるかと思いますが、俯瞰的にみると、お二人は幸せゾーンにいる人達だと思います

どうか、よりお幸せに。と願います

anond:20240902145320

わたしは男で、どちらかというと、妻に拒否られている側です。

といっても、月に一度あるかどうか程度。

妻とのセックスライフにはさほど満足していません。もう少し回数もしたいですし

もう少しアブノーマルなこともしてみたいと思います

また妻の性癖というか、やってほしい事を伝えてほしいと思ってます

マスダさんも、夫さんに奉仕するようなセックスばかりでなく、

自分セクシャルな興味をお伝えするのは良いことだと思います

夫さんの事が好きだ、エッチなことは好きだけど、、、と前提情報をお伝えすると

絶対に嫌な気持ちにはならず、もっと深く仲良くなれると思います

それにしても、夫さんはマグロさんですね。そんな男性がいるとは。

というより、積極的女性出会えて幸せな男ですね。

仮に夫さんが、性欲が薄く淡白すぎる相手ならば、いくら積極的になったとしても

暖簾に腕押しで、マスダさんが違う相手を求めていくのかもと思います

そうならないということは、すれ違いはあれど、2人は互いを求めている証拠です。

気になることや嫌なことも、あるかと思いますが、俯瞰的にみると、お二人は幸せゾーンにいる人達だと思います

どうか、よりお幸せに。と願います

2024-08-21

これは九年前の話で、フィクション

当時俺は入社二年目で、それなりに大きいプロジェクトに参加することになった。

プロジェクトリーダーは五つ歳上の先輩で、彼女とはまだ年齢が近かったこともあり、仕事終わり飲みに行って愚痴を聞いてもらったり、随分と懇意にしてもらった。

仕事では助けてもらうことも多く、俺は彼女のことを慕っていた。彼女は若く、いつも凛としていて、何より美しかった。

プロジェクトはなんとか無事に終わり、その後は自然打ち上げに行く流れとなった。

俺と先輩も当然参加することになり、打ち上げでの主役は先輩だった。当時は社内でも最年少のプロジェクトリーダーだったこともあり、彼女への称賛は止まらず、先輩は珍しく照れた様子を見せながら空のジョッキをいくつも作ってみせた。

次第に夜も更け始め、そろそろだろうといった雰囲気が充満するとお開きとなり、その頃には既に先輩は泥酔していた。

半ば眠っているように頭を垂れ、目は瞑り、声をかけても返事はまばらでまともに歩けるのかすら怪しかった。

年配の先輩方がタクシーを呼ぶ中、増田が送ってやれよと声をかけられ、随分と世話になってただろ?と言われると断る理由もない。

分かりましたと二つ返事で答え、最初にきたタクシーを優先して使わせてもらえることになった。

俺は先輩に肩を貸し、歩けますか?と声をかけた。

先輩は空ろに目を開け、増田くん…?と言う。

俺は先輩に肩を貸し、右手彼女の腰に当て、座敷の店だったので靴を履くのに手間取りながらもなんとか外に出た。

すぐ先にはタクシーが待ち構えており、俺たちの姿を確認すると後方のドアが開いた。

先輩を先に乗せて、まず「大丈夫ですか?」と聞いた。先輩は曖昧に頷き、うーん…と唸っている。

これは少し休憩した方がいいですね、と俺は独り言を口に出し、運転手にも聞こえるように言うと、それから行き先のホテル名を口にした。

運転手は分かりましたと義務的に返事をして、すぐに車を走らせ始めた。

十五分ほど走ると暖簾のように布の垂れた入り口を抜けて駐車場に入ると車は泊まり左手の少し先には玄関がある。

俺は千円札を数札滑らせるように取り出すと差し出し、釣りはいいからと言ってタクシーから降りた。

先輩は眠っているように静かで、目を閉じ、俺の肩に頭を預けていた。

再び肩を貸すようにして歩き、ホテルに入るとエントランスでは喧しいBGMが流れ、酔いの最中に聞くと苛々した。

タッチパネルで二番目に高価な部屋を選ぶとレシートのようなものが吐き出され、フロントに行ってそれを見せるとスッと鍵が差し出された。相手の顔は見えない。

鍵を受けとると病人を担ぐようにゆっくりとエレベーターに向かい、乗ると三階を押した。

先輩はずっと項垂れていて、身体に力が入っていないように感じられた。

エレベーターから部屋までは幸い近く、部屋に入ると目の前には駐車場にある精算機のようなものがあり、少し驚きながらも靴を脱いで部屋に上がると中央にはダブルベッド。丁寧に先輩をそこまで運ぶと彼女は仰向けのままベッドに倒れ込んだ。

ここで休憩しましょう、と声をかけると先輩はベッドで仰向けになっているのが快いのか表情を緩ませ「うん」と言った。

皺になると駄目ですからジャケットは脱ぎましょう、と声をかけると先輩は「うん」と言ってそのままの姿勢で腕を滑らせ、上着を脱いだ。

俺はそれを預かり、ハンガーを見つけて部屋の隅にかけると、再びベッドに戻った。

先輩はブラウス姿で仰向けに、あまり無防備に眠っていた。

俺は彼女の側に座り、じっとその姿を見つめていた。

次第に、その姿を見て滾った。

衝動は止められなかった。

俺は馬乗りするように彼女に覆い被さり、ゆっくりボタンを一つずつ、外していった。

ベージュ色のブラが目の前に現れ、酔いも半ば覚め、次にスカートへと手を伸ばしていた。

留め具を外し、ファスナーを下ろすと驚くほどするすると脱げた。下もベージュ色の下着で、目にすると息を荒くしている自分に気がついた。

俺は努めて冷静に、やさしく彼女の膝を抱くと立たせ、少しずつ下着を脱がせていった。

やがて彼女の陰部が露になると俺は限界まで勃起していた。臍の下にキスをし、右手彼女花弁に触れていた。

ビクン、と先輩は身体をわななかせ、「増田くん…?」とうっすら目を開けた。

俺はなにも応えなかった。

少しずつ唇を降らせていき、蕾に到達すると愛でるような舌遣いで丁寧に撫でた。

先輩はアッ…と吐息を漏らし、少しずつ湿ってくる。お互いの呼吸は荒くなり、一度顔を上げて先輩の顔を見ると目をか細く開いて、顔は紅潮し、戸惑った表情をしていた。

右手はぬめり気を感じ、それは彼女の陰部に目を移すと姿勢を改めて、正常位の形で挿入した。

屹立した茎は何の抵抗もなく吸い込まれるように彼女の内へと入り、途端に押し寄せる快楽に俺は悶えた。

腰をゆっくり動かし、先輩は途切れ途切れにアッ、アッと喘いだ。

一度、ゆっくり、大きく腰を動かすと陰茎がニュルりと彼女から外れてしまい、そのタイミングで先輩はアアンッ!!と淫らな声を叫ぶように漏らすと、膣の側にあるシーツ茶色に汚れていた。彼女が僅かに脱糞してしまたことにそこで気がついた。

俺はそのとき、あまりアブノーマル光景を目にして、タガが外れてしまったのだと思う。

酔いのせいもあったと思う。

躊躇や遠慮を捨て、ベッドに膝立ちのまま先輩の胴を掴むと荒々しく引き寄せ、すぐに挿入し直した。

それから激しくピストン彼女の喘ぎを石炭に、イクまで一心不乱に腰を振り続けた。

いよいよ果てそうになると流石に中で出すのはまずい、といった分別は理性の片隅に残っており、爆発間際の陰茎を抜くと彼女の股に射精した。

俺は力尽きたように身体を伸ばし、先輩と顔を合わせるように横になった。

先輩の顔を目の前で見た。

綺麗だった。

先輩は視線天井の方に向けていて、それから俺に気づいたみたいに俺のことを見つめた。目と鼻の先には先輩の顔があって、その顔は笑っているでもなく、動揺しているようでもなかった。まるで目を開けて寝ているような、夢を見ているような顔をしていた。

それから俺は目を閉じ、気づいたら眠っていた。

翌日は昼前に起き、俺たちは最低限の会話のみで、昨晩のことには一切触れなかった。

順番にシャワーを浴び、タクシーを呼んで部屋を出ると、会話もなく廊下を歩き、俺は先輩の一歩後ろを歩き、社内に居るような雰囲気さえ感じられた。

ホテルを出るとタクシーに乗り、先輩は俺の存在無視するみたいに行き先を真っ先に告げ、先輩のマンションの前に着くと俺に五千円を渡し、数秒俺のことをじっと見つめてきた。

その間ずっと無言で、無言のまま先輩はタクシーを降りた。

その後俺と先輩は社内でも疎遠となり、業務的な事柄以外で先輩が俺に話しかけてくることはなかった。

二ヶ月、先輩は会社を辞めた。

直接的な理由は聞いていない。

俺のせいかもしれないし、別になにかあったのかもしれない。

そしてこういった誰にも言えない経験というのは誰しもがひとつや二つ持っているものだと思っている。これはあくまでもフィクションで、でも本当に身勝手自分勝手かもしれないが、それでも俺は今でも先輩には幸せでいてほしいと、本心からそう思っているんだ。

2024-08-17

anond:20240625093025

まともなオナホール

追記あり 23:55

夜中にふとシコりたくなったときに「そういえばオナホは裂けて捨てているんだったな」と思い出してドラッグストアコンビニに言ってもTENGAしか売ってない。

TENGA、なぜあんものがこんなに高い知名度を持っているのかが理解できない。

台所スポンジを空の2Lペットボトルに挟み込んだような小学生自作オナホールレベルクオリティ

使い心地もVINNYやカタクリXと大差がなく、何よりも使い捨てというのが良くない。

オナホールの最大の楽しみは使う度に変化することだ。

最初の1回は感動的に気持ちよかったものが段々と退屈になることもあれば、何度も使いこんだある日突然に吸い付きが昨日までと全く変わる瞬間もある。

その変化もまたオナホールの楽しみだ。

使った後の洗う時間も俺は大切にしている。

賢者タイムのどこか陰鬱とした気分の中、自分チンコや玉袋だけをシャワーで流していると明日へ向かう活力まで排水溝へ吸い込まれていくように錯覚しないか

だがオナホを洗うという動作が加わるとそれが大いに紛れるのだ。

オナホを作ってくれた人や目の前のオナホ、このようなジョークグッズがいつの間にか人間社会に生まれ落ちたことへの感謝を胸に優しく石鹸で汚れを落としてやる。

精液というものは下手に残れば強烈な臭いを発するものだし、何よりそこで繁殖した雑菌が次に挿入した時チンコに何をしでかすか分かったものじゃない。

からオナホは丁寧に洗うのだ。

ひっくり返してしっかりとヒダヒダの隙間に入った汁を取り除いてやり、優しくタオルで水気を切ったのを確認してから、もう一度ひっくり返して食器乾燥機にでも置いてやる。

大事なのはひっくり返したままで放置しないこと。挿入する方をしっかり乾燥できるから衛生的ではあるのだが、オナホが裂けやすくなる。しっかり水気を取ったら本来の向きに戻してやるのが肝要だ。

世間オナホを穢らわしいものとして軽んじている。

そのイメージを逆手に取るかのように社会に滑り込んでいったTENGA商業的展開能力は素晴らしい。

だがTENGA自体クオリティは、オナホの中では下の下に属する。

どこの馬の骨とも知れんエロ漫画コラボしたよく分からんオナホの方がよっぽど気持ちがいい。

アニメキャラクター無許可パロディパッケージに書かれた裏社会シノギではないかと思わせるような粗製乱造オナホでさえTENGAに劣るものほとんどない。

だが街にはTENGAばかりが溢れている。

秋葉原にあるような本格的アダルトグッズショップを除けば、古本屋ドン・キホーテ18禁コーナーの暖簾の奥にほんのわずかにまともなオナホールがあるだけ。

日本で消費されるオナホールの9割はネットショップでの購入だろう。

ネットポチれば明日の昼には届いているかも知れない。

だが、草木眠る丑三つ時にふらりと燃え上がった性欲をぶつけるのに次の次の日の出を待つのでは遅すぎる。

コンビニにまともなオナホールがあればどれほどいいだろう。

性教育にもいいだろうな。

手で乱暴に擦っているのかやたらと黒ずんだ陰茎をぶら下げているもの、右や左に大きく曲がったものTENGAしか知らない身体風俗に行き本物の女体に溺れ人生を持ち崩すもの

若いうちからちゃんとしたオナホールを使ってオナニーをする習慣をつけていれば防げた悲しみがこの世界には多すぎる




追記

「じゃあお前のおすすめオナホールはなんなんだ」というコメントがいくつかついていたので蛇足ながら答えさせてもらう。

その前にまずはオススメオナホの使い方を紹介させてくれ。

ドーナツ型クッションの穴にオナホール差し込んで使うと、小型のオナホでも半尻型のオナホールのように使えて捗るぞ」だ。

具体的にどのクッションがいいのかは、アマゾングーグルで「穴あきクッション オナホール」とでも入れて検索すれば分かるだろう。

テーブルなんかに固定して腰を打ち付けられるようになるだけでなく、ドーナツクッションの穴がオナホの締め付けを増やしてくれるというメリットもあるので、オナホ体験が大きく変わる。

普段はそのままクッションとして使えば痔の予防にもなるし、持っていて損はないだろう。

欠点があるとすれば、オナホールを入れて使う目的で購入されていないであろうドーナツクッションを見た時にさえオナホの影がちらつくことぐらいかな。

職場で使われていたりすると「なぜこの人は職場オナホ用クッションを持ってきているんだろう?」なんて考えてしまうことさえあるが、まあ口にさえ出さなければ何の問題もなかろう。

さて、オススメオナホールの紹介になるが。

謝らせて欲しい。俺は人に特定オナホールを薦めようという気にはならない。

いろんな会社オナホールを試して自分にあうのを探して欲しい。

何故こんなことを言うかと言えば、俺の体には一本のチンコしか生えていないからだ。

チンコが一本以上生えている人間割合には詳しくないのだが、世の中の男性の大部分は一本しか生えていないなはずだ。

俺が自分の体に生えたたった一本のチンコとの相性を持って、「このオナホこそ至高なり!」と語って見せた所で、それが自分以外の男性に生えたたった一本のチンコとも相性がいいのかという不安が勝るのだ。

ただ、個人的体験から言わせてもらえば、オナホというものは何度か使ってチンコに馴染んでから(いわゆる覚醒してから)が本番だと考えている。

まり、何度も使うことを想定しないタイプオナホはよほどの特殊性(たとえば処女膜を再現してるみたいなもの)がない限りは、洗って繰り返し使うことを前提にしたオナホに劣っているというのが俺の考えだ。

あえてオススメをいうなら、「繰り返し使えるオナホを使おう」となるのだろうか。

実用性の話ではなく単に俺の個人的オナホ体験談か聞きたくて「今までで一番感動したオナホールはなにか」が聞かれているのだとすれば、「初めて使ったVINNY」がその答えだ。

(今更になるが、VINNYとはビニール製の自作オナホールだ。作り方は「VINNY オナホール」でググッて欲しい)

手淫しか知らなかった俺にとって、それが初めてのオナホだった。

当時はまだオナホもそれほど世の中の主流ではなく、わざわざそんなものを買うという行為に対する抵抗が強かったが、それでもなおオナホに対する興味は日に日に増していった。

自分の家でコッソリ作ればいいだけのVINNYならば購入履歴が残るわけでもないから恥ずかしくもないと思って、俺はVINNYを作ったわけだ。

挿入直後のゾクゾクと来る未知の体験は今でも忘れられない。

そもそもVINNY自体ビニール製のジョリジョリボディと強い圧迫力を持つハード系なわけだからして、初めてのオナホールにするには刺激が強すぎたのではと今は思う。

まさに電気が走ったよ。

あれを超える体験をくれたオナホールは未だにない。

数万円した電動オナホールに手を出したこともあったが、値段の割にはどうってことはなかったよ。

結局、オナホール感想個体差だけでなく使う人間のコンディションや経験値にも左右されるってことだ。

まりだ。初めてのオナホールであれば、きっとそれがTENGAであっても使用者に強烈なインパクトを与えうるということだ。

そんな美味しいゲートウェイオナホールとしての立ち位置を独占するかのようなあの売り方、本当に上手いと思うよ。商売としては本当にな。

2024-06-24

39歳童貞の俺がついに卒業した話でもするか?

うち、39年間守り続けた童貞をついに卒業しよう思て、前夜にソープランド電話して予約したんや。

ホームページを見て、攻めが得意そうな女性指名したんや。

その日の夜はドキドキしすぎて全然寝られへんかったわ。

翌日はソープランドが開く昼の12時まで、朝からずっとそわそわしてたんや。電車に乗ってソープランドに向かう間も心臓バクバクして、マスク越しで息苦しくてハァハァしてたわ。欲情してるわけちゃうのに、周りから見たら変態に見えたかもしれん。

開店の1時間前に最寄駅に到着して、すぐにソープランド位置確認したわ。あとは開店を待つだけ。コンビニ缶チューハイを買うて、珍しく昼間から酒を飲んでテンションを上げたんや。

こういうサイト見てテンションを高めたわ→https://ero-kaeru.jp/

いざソープランドに入場して、代金を支払うたわ。安価なお店やけど、住民税の支払いも滞ってる年末貧乏人には痛い出費やったわ。

待合室で呼ばれるのを待ってたら、ついに

「◯◯さんをご指名お客様

って自分が呼ばれたんや。店員が指し示す暖簾の奥に行くと、指名した女性がおったんや。

正直、ホームページ写真からイメージしてたんとは違ったけど、まあOKレベル。この人が自分初体験相手か思うと感慨深かったわ。彼女に案内されてついに部屋に入ったんや。これがソープランドの部屋か、と感動したわ。簡易的な風呂とベッド、噂には聞いてたスケベ椅子の実物を初めて見てテンション上がったわ。

自分ソープどころかセックスも初めてやと彼女に伝えると、

「初めてが私でええんですか?」

と聞かれ、もちろんです、と答えたわ。

彼女に促されて全裸になり、彼女が私の陰茎を見て言うたんや。

「剥けますか?剥けへんかったらゴムフェラになりますけど」

私は完全な真性包茎のため、ゴムフェラになる模様や。

スケベ椅子に座り、陰茎を洗ってもろて、勃起マックス。軽く湯船に浸かった後、いよいよ全裸のままベッドへ。

彼女が私にコンドームを付けてくれたんや。

「チンポ大きいですね〜!太い!Lサイズゴムでよかった〜」

と。いざゴムを付けたまま、彼女サービスが開始。ネットリした口淫、そして手淫。私の陰茎はマックスキープ。しかし、彼女はその先に進む様子がないんや。

ついに自分から

「そろそろお願いしてもええですか?」

と言うたら、彼女

「あ、ええ。ほな騎乗位で挿入しますね」

と応じてくれたんや。

自分は長年淫語系のAVエロマンガを楽しんできてたんで、

「挿入する時に、童貞くんバイバ〜イ、って言うてください」

とお願いしたんや。

彼女は笑いながら

「それじゃあ、童貞くんバイバ〜イ」

と言うてくれて、ついに挿入完了彼女グラインドし始め、皮とゴム越しに膣を感じる自分だんだん乗ってきて、

「初めて挿入できて嬉しい?」

と聞かれ、嬉しくないわけがないんや。

「僕のこと……変態って罵って下さい!」

と頼むと、彼女はまたも笑い、

変態だね〜」

言葉責めをしてくれたんや。最高やったわ。

しかし、少しすると彼女

「そろそろ君の方も動いてくれる?」

と言われ、自分も動くことに。

しかし……射精感が全く込み上げてけぇへん。彼女も疲れてきたようで

「次は正常位でやってみようか?」

と言われ、挿入した陰茎を抜くと、私のマックス勃起し続けてる陰茎のサイズは約5cm。正に短小包茎ペニス彼女ゴムを付けた時は「大きい」と言ってたけど、勃起前のサイズや思ってて、まさかこれがマックスとは思わなかったんやろう。Lサイズコンドームダルダルに伸びてたんや。

正常位で挿入しても、陰茎が短すぎてピストンしてもすぐに抜ける始末。バックに変えてもすぐ抜ける。結局騎乗位に戻ることに。自分の情けなさが辛いんや。

そんな情けなくて泣きそうな自分に、彼女から驚きの一言

「挿入しただけじゃなくて、セックス中に射精しないと童貞卒業にならへんよ?」

マジか。知らんかった。必死に腰をヘコヘコして、彼女体重でなんとか騎乗位で膣に入ってる陰茎を動かしたんや。自分はひたすら

変態って罵って」

リクエストしながら、

変態でゴメンナサイ」

と言い続けたんや。彼女もノッてきて

変態の僕を、◯◯さんで童貞卒業させて下さい!」

と大きい声で言ってみて、と言われ、

変態の僕を◯◯さんで童貞卒業させて下さい!!」

と思いっきり叫んだんや。

「そんな他の部屋まで聞こえる声で叫んだら、◯◯ちゃんのお客さんって変態だったでしょ、って控え室で笑われちゃうよ〜」

彼女爆笑

情けなさと童貞卒業射精をしたくて仕方ない自分は完全に変態モードギアを入れて、

顔面にツバを吐きかけながら罵って下さい!」

と頼んだんや。彼女はまたも笑ったけど、全てを察した模様や。その後の彼女はツバを吐きかけながら言葉責めの数々。

「その年で包茎しか童貞って何して生きてきたの?」

「初めての童貞風俗嬢に奪ってもらうってどんな気持ち?」

「39年間使ってないチンポってチンカス凄そうだね〜ゴムと皮越しだから関係ないけど!」

「下手くそな腰使い、素人女の子でも君が童貞って分かるよ!」

保険適用できる真性包茎なんだからソープ来る前に先に手術してきなよ!」

今日射精しないと一生童貞確定だよ?」

「もう、マ◯コの中でゴム越し射精させてあげるから、イク直前まで自分オナニーして!」

後半は彼女に足で踏んでもらったりツバをかけられながら、ゴムチンポを自分でシゴいて、イケそうな感じになったら挿入を繰り返しても、いざ挿入すると出る気配がないんや。

そして時間は過ぎ、彼女から非情一言

時間だね〜童貞卒業できなくて残念でした〜家に帰ってマ◯コの感触を思い出しながらオナニーしてね〜」

完敗。同時に思い出したんや。自分は陰茎が小さいのがコンプレックスから39年間、彼女もいないし女性アプローチできなかったんやと。そして、そのコンプレックスが仇になったわ。

しかし気分は爽快や。

人生に悔い無しやな。

2024-06-23

anond:20240622133911

何でキチガイ表現の自由オタクのために18禁暖簾の向こうに選挙ポスターを隠すような真似しないといけないの?

2024-06-22

anond:20240622052830

初めてエロサイトの年齢認証エロ商品コーナーの暖簾をくぐり抜けたときの感動と興奮を超える体験を得られないままアラフォーに至ってしまった。

2024-06-06

人生初のストリップ、興奮しなかった。エロくなかった。

美しすぎた。

アートすぎた。

ギュスターヴ・クールベ

世界起源』すぎた。

女性身体は美しい。

そんなことは知っていたはずなのに、

圧倒されてしまった。

美しすぎる。

以前からストリップという存在が気になっており、

一度見に行ってみたいとは思っていた。

ストリップとは一体どういうものなのだろうかという好奇心が湧いていた。

よく分からんが、どうやらエロいものなんだろう、知らんけど。

今日行ったのは夜勤明けでムラムラしていたからだ。

ただ単にエロい事がしたい気分だった。

そんな軽い気持ちで、天満にあるストリップ劇場

東洋ショー劇場』の門戸を叩いた。

(実際には門戸は無い、なんなら目隠し用の暖簾すら無い。)

1時間後、俺が目にしたのは、

テレビタレントよりもかわいい容姿踊り子が、

激しい音楽に合わせ、全裸で、プロダンサー顔負けの表現をしている姿だった。

この時点でエロい事を考える気持ちは完全に吹き飛んでいた。

俺は、その演技、世界観、表現力に圧倒されていた。

(後に聞いた話ではステージライティング音楽など、演出はすべて自分で考えて行い、小道具衣装も自費で買い揃えているらしい。(バケモノか。))

俺は今日、いやらしいものを観ようという気持ち劇場へ向かったのに。

ただ単にエロい事がしたいだけだったのに。

まさか岡本太郎展を鑑賞したときと同じ気持ちで帰らされることになるとは思いもしなかった。

とにかく俺は、その芸術性に圧倒されていた。

人生経験として一度は観劇しておくべきだろうと思うくらいには高度な作品群であったよ。

おすすめする。

近場にストリップ劇場があって行ったことのない人はぜひ行ってみるといい。

今日ストリップは、うまくあったし。きれいであったし。ここちよくあったよ、太郎先生

童貞の俺がソープに行った話をする

私は35年間守り続けた童貞卒業しようと決意し、前日の夜にソープランド電話して予約をしました。ホームページを見て、攻め好きそうな女性指名しました。

その夜は緊張してほとんど眠れませんでした。翌日はソープが開く昼の12時まで朝からずっとそわそわしていました。電車に乗ってソープに向かう間も心臓バクバクマスク越しで息苦しく、変態に見えたかもしれません。

開店の1時間前に最寄駅に到着し、ソープランド場所確認しました。後は開店を待つだけでした。コンビニ缶チューハイを買い、珍しく昼間からお酒を飲んでテンションを上げました。

そしてネット上でこんな記事を読んで自分を奮い立たせますhttps://chinpou-deai.jp/doutei-soap/

いざソープランドに入場し、代金を支払いました。安価なお店ではありましたが、住民税の支払いも滞っている年末貧乏人には痛い出費でした。

待合室で呼ばれるのを待っていると、ついに「◯◯さんをご指名お客様」と呼ばれました。店員が指し示す暖簾の奥に行くと、指名した女性がいました。正直、ホームページ写真とは違う印象でしたが、まあ許容範囲でした。この人が私の初体験相手かと思うと感慨深かったです。

彼女に案内されて部屋に入りました。これがソープランドの部屋かと、簡易的な風呂とベッド、そして噂に聞いていたスケベ椅子を初めて見て興奮しました。

私はソープどころかセックスも初めてだと彼女に話しました。「初めてが私でいいんですか?」と彼女は聞き、「もちろんです。よろしくお願いします」と答えました。

全裸になるよう促され、彼女が私の陰茎を見て「剥けますか?剥けないとゴムフェラになりますけど」と言いました。私は完全な真性包茎のため、ゴムフェラになるとのことでした。

スケベ椅子に座り、陰茎を洗ってもらい、勃起マックス。軽く湯船に浸かった後、いよいよ全裸のままベッドへ移動しました。彼女コンドームを付けてくれました。

「チンポ大きいですね〜!太い!Lサイズゴムでよかった〜」と言われ、彼女サービスが始まりました。ネットリとした口淫、そして手淫。陰茎はマックスキープしていましたが、なかなか次のステップに進みませんでした。

ついに自分から「そろそろお願いしてもいいですか?」と言うと、「じゃあ騎乗位で挿入れますね」と彼女は応じました。

「挿入する時に、童貞くんバイバ〜イ、って言ってください」とお願いすると、彼女は笑いながら「それじゃあ、童貞くんバイバ〜イ」と言い、ついに挿入が完了しました。

彼女グラインドし、私は皮とゴム越しの膣を感じました。だんだんとノってきて、「初めて挿入できて嬉しい?」と聞かれました。嬉しくないわけがなく、私も少し本性が出てきて「僕のこと……変態って罵ってください!」とお願いしました。

彼女はまた笑い、「変態だね〜」と言葉責めをしてくれました。しかし、少しすると「そろそろ君の方も動いてくれる?」と言われ、自分も動き始めましたが、射精感が全く込み上げませんでした。

彼女も疲れてきたようで、「次は正常位でやってみようか?」と言われましたが、陰茎が短すぎてピストンしても直ぐに抜けてしまいました。結局、騎乗位に戻りました。自分の情けなさが辛かったです。

そんな私に彼女からの驚きの一言。「挿入しただけじゃなくて、セックス中に射精しないと童貞卒業にならないんだよ?」と。知らなかった私は、必死に腰を動かし続けました。

変態の僕を、◯◯さんで童貞卒業させてください!」と叫んだ私に、彼女は「そんなに大きい声で叫んだら、控え室で笑われちゃうよ〜」と爆笑しました。

最終的に、彼女顔面にツバを吐きかけてもらいながら言葉責めを受けることで、ようやく少しの満足感を得ました。しかし、結局射精できず、彼女から時間だね〜童貞卒業できなくて残念でした〜」と言われました。

私は敗北感とともに、コンプレックス自分の弱点であることを再認識しました。プレイ後、彼女は優しく、「また童貞卒業リベンジしにくる?」と聞きました。小さく頷いたものの、もうセックスは無理だと悟りました。

ただ、金額以上の満足感はありました。AVエロマンガ言葉責め体感できたことは大きな経験でした。「また来てね〜」という彼女の声を聞いて、そっとソープランドを出ました。まだ真っ昼間。太陽が眩しい帰り道、帰宅したらどのAVを見て抜こうかと考えていました。

2024-06-01

セクシー田中さん報告書、ありえねえって思った箇所抜き書き

『セクシー田中さん』報告書、何というかこうありえない箇所が多すぎるのでいくつか抜き書きしてみた。()内は報告書のページ数を指す。

これは友情と恋のドラマです☆

企画書には、企画意図企画ポイント(①自分を縛る“呪縛から解放された時のカタルシス、②真反対なふたりの女友情がスゴい!、③9笑って、1グッとくるドラマ、④あらゆる世代に響く! 60 代専業主婦女性の1歩、⑤田中さんと笙野の恋の行方!?)、主要想定キャスト等が記載されていた。(9)

あっ……(察し)。TVドラマスタッフには恋愛しかおらんのか?

原作者の不満が高まってるらしいよ」

なお、これらの本件原作者意見については、A 氏 はコアメンバーに対してはそのまま伝えたものの、本件脚本家に対しては ドラマ化について本件原作者の不満が高まっているという 温度感のみ伝えた。一方で本件脚本家は、 8 話のやりとり あたりから本件原作者の語調が強く、こだわりが強いという印象を抱き始めた。(24

温度感のみ共有してんじゃねえよ! 具体的な指摘も共有しろよ!

「キツい指摘は見ててつらいか咀嚼して伝えて」という相沢友子要求は、メンタルケアとしては間違ってないんだけど、それは当然「パイナップルは味の相性が最悪なので絶対酢豚に入れないで」という要求を「原作者パイナップル酢豚に入れてほしくないそうだ」と伝えてほしい、という意味であって、「原作者酢豚の出来に怒ってるよ」と伝えろっていう意味じゃねえんだよ!

「もう撮影したと言ったな? あれは嘘だ」

C 氏を通じた本件原作者撮影シーンに関する問い合わせに対し、 A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。 A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者か ら撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、 A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたって キャストスタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。(25)

対応小学生すぎるだろ……

「改変はしないで」「わかった、今まで通りやるね!」

C 氏から A 氏に、 6 7 話の脚本修正文書、及び「修正について」と題する文書メールにて送付され、そのメール本文には本件原作者書き下ろした 8 10 話に関しては、撮影の都合などの理由以外では、出来るだけ改変しないでほしい旨述べられており、 A 氏は C 氏に対し電話ドラマ化の上で改変は発生するので、今まで通りやらせてほしい旨回答した。(29)

何で??? 真剣ホラーだった。TV関係者認識ってこんななの??? そら、芦原妃名子先生がなに言っても暖簾に腕押しで糠に釘で馬の耳に念仏だわな。

セリフ音楽が不一致でもOK

本件ドラマ 5 話のダンスのシーンで使われた音源は、配信 許諾が取れていなかったので、 配信使用出来る別の音楽差し替えた。しかし、セリフで「シャー・ルク・カーンの『マルジャーニ・マルジャーニ』!! 」と笙野が叫んでおり、セリフはすでに収録していたため、差し替えることが出来なかった。そのため音楽セリフの不一致が生まれた。(32)

役者が「モーツァルトの『トルコ行進曲』!」って言ってるのにジャジャジャジャーンって聞こえてくるようなもんだろ。ギャグしか聞こえんわ。マイナー音楽ならいいと思ってるのかもしんないけど、そのマイナー音楽が頻出する作品ドラマ化でやることか? 許諾を取るか、セリフ部分だけ収録し直して差し替えるとかしろよ……(アニオタ並の感想

脚本家アイデアには著作権がある!

B氏は日本テレビライツ部門に状況を共有し、同部門顧問弁護士である P 氏に本件脚本家の「クレジット約束が守られないのであれば9,10 話で本件脚本家アイデアを一切使わないでほしい、それができないのであれば 8 話までの私の脚本を使わないでほし い。」という発言法的根拠について確認を依頼した。 P 氏の見解は、この時点で脚本利用契約が未締結であるので、脚本家原著作者であるため二次利用差し止め可能であるということであった。(34-35)

この「アイデア」って何を指してるんだろう……そこの検討必要不可欠じゃない? 相沢友子が何をもって「アイデア」と呼んでいるのかがクリティカルなのにそこを書いてないのは不親切に感じる。もし相沢が「自分が考えた、原作にはないキャラセリフ」を「アイデア」と呼んでいるなら、確かに相沢には著作権は発生するので彼女要求は法的に正当なものかもしれないけど、もしも「最後溶鉱炉に沈みながらサムズアップするんですよ!」みたいな「ストーリーの展開」を「アイデア」だと思っているなら、それは著作権法で保護されるものではないわけで、彼女要求法的根拠は一切ないことになる。どっちなんです? 著作権法に詳しいであろう顧問弁護士が「可能」って言ってるってことはマジでセリフをそのまんま使ってたってこと? それとも相沢の言葉通り「アイデア」が使われていただけなの?

女だから短大に行かされた→可愛い制服を諦めた

原作では朱里短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の 10 代、 20 代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「 父親リストラドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、 高校受験の際に、父親が勤める会社不景気になり、母親から高校公立いいんじゃない?」と言われて 本当は友達と一緒に制服かわいい私立校に行きたかったけど、 「うん、そうだね」と笑って受け入れた という設定に変更する旨のプロット案を送信した。

2023年6月12日上記プロット案に対する本件原作者の返事として 、かわいい制服私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである原作ジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨記載がなされた文章送信された。

その当否は別として、本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論積極的理由があった。しかしながら、本件原作者上記返信内容をみる限り、本打ちメンバー議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。(60-61)

あなた女の子から短大でいいよね」という理由で進路を決められたという深刻なエピソードを「あーあ、あっちの制服の方が可愛かったのになー」に変えていいと思う神経が理解できなさすぎてヤバいし、原作者に「議論した内容・意図が十分伝わっ」たからそういう反応になったんじゃないですか??? と思わざるを得ないというか……

余談

芦原先生は真面目で良い人だったんだろうな、と思った。

仮に自分原作者だとしたら、途中で「もう撮っちゃった? そんなの知らない、撮り直して」とか「ちょっとすぐに解決するとは思えないんで、今週のオンエアはなしで」とか「なんか作品のコンセプトが理解されてない感じ? じゃあもう制作中止しよっか」って言ってただろうな、っていう場面が少なく見積もって1ダースはある。

でもそれをやると方々に迷惑がかかるから自重して、頑張って耐えてらっしゃったんだろうな……

TV局や俳優なんて、あなた作品にとって不可欠でも何でもない、添え物以下のどうでもいい無価値存在なんだからもっと振り回してやってもよかったのに(それができない人だったから繊細な作品を描けた? それはそう)。

増田日本実写化を憎みぬいている勢なので(『天地明察』も『インシテミル』も『ビブリア古書堂の事件手帖』も許してないからな)、実写化に出る俳優にも欠片の同情も感じないんだけど(『咲-Saki-』を汚した浜辺美波個人的に不買してるし、岡田准一のことも「あっ『天地明察』とかいうクソ映画ゴミみたいな主演してた人だ!」と認識してる)、俳優の苦労とかにうっかり思いを馳せてしまったらそんな要求をするのは難しくなるのはわかるので、やっぱり実写化に出る俳優は(「ひどい実写化だったけど、俳優さんには罪はないよねー」と庇われるんじゃなくて)積極的共犯としてもっと叩かれてよいのでは、そうすれば俳優の苦労とかを慮って言いたいことを言えなくなってしまうことはなくなるのでは、と思いました。

次の25件>
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん