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はてなキーワード: 夕陽とは

2024-12-06

死者の声

金烏臨西舎

鼓声催短命

泉路無賓主

此夕離家向


夕陽が沈む。

寺では鐘が鳴っている。私の命はきわまった。

冥府には主もなく客も来るまい。

この夕暮れに家を離れ、私はそこへと向かうのだ。

懐風藻大津皇子辞世六朝体の流麗な韻律を維持し乱れない。後世の仮託とされるが詩にあるとおり皇子は夕刻に連行され翌日処刑された。遺体近江二上山に葬られた。望まぬ争いに巻き込まれ継母によって殺される二十三歳の青年最期の声が聞こえるだろうか。

最初に声を聞いたのは古い時代歌人詩人だった。いつのころから伝承が生まれた。曰く「皇子は無実」と。沈潜する伝承に形をあたえたのは明治時代折口信夫だった。しかしこの時代、『日本書紀』を疑うことは禁じられていた。折口は『死者の書』という不気味な小説を著わしこれを表象した。戦後歴史学者がそれを受けた。『日本書紀』の詳細な解読が始まったのだ。暗喩に満ちた断片的な記述が発掘で得られた傍証史料とあわせて詳細に検討された。緊迫した皇位争い、持統女帝のすさまじい性格が浮かび上がっていく。考古学者は近江朝における二上山位置意味検討し、それが反逆者にふさわしくない手厚い葬礼であることを指摘した。不比等のかけた封印が解かれた。皇位争いは、皇子意志はるかに超えた次元で、大津、草壁それぞれを擁立しようとする天智系、天武系という巨大な勢力うしの闘争として行なわれていた。このとき国家の中枢では、ふたたび「壬申の乱」のような状況におちいることとシンボルの1人が犠牲になることの費用対効果が、非情にも計量されたのだった。皇子政治的犠牲として殺害され、そこには後の持統天皇が関与していた可能性が高いという現代学説はこうして築かれた。そのために費やされた時間は1000年を超えている。微細な記録の断片から何らかのメッセージを読み取り忘却の彼方に沈んだ記憶に光をあてる歴史学は、ときにはこのような作業に信じがたいほどの労力を傾注する。それを可能としたのは懐風藻なのか、それとも後世の歌人研究者なのか。答えは両方であろう。

アーカイブはただ記録する。その声を聞けとまでは言わない。聞くかどうかは閲覧者にゆだねられる。アーカイブ価値基本的にはその編纂手法によって決定されるのだが、より厳密には、その価値は送り手と受け手関係性の中に存在する。アーカイブはそれを、ときには時空を越えて繋ぐ。

 

2024-12-01

anond:20241201114039

IPじゃないけど、Bluetoothも気をつけたほうがいい。この前、ヘッドフォンペアリングしようとしたら一覧に「〇〇の〜」って出てきた。〇〇がハンドル名ぽっかったので、X検索したら同じ名前アカウントがあった。そのアカウント見たら趣味写真個展とか開いてる人で、プロフィールからリンクされてたホームページ見たら、明らかにうちの向かいの家のベランダから写した夕陽写真があった

2024-11-12

anond:20241111185135

色々おかしいな。雷電モチーフ草薙の稲光(長柄武器)で、霧切は片手剣だ。

しか名前も違って、霧切の雷光じゃなくて廻光(かいこう)な。

廻光(回光)は、日没直前に夕陽の照り返しで空が明るくなることで、転じて死に際に勢いを取り戻す意味でも使われる。

英語名はMistsplitter Reforgedとなっていることからも分かるように、この廻光は再鍛造、打ち直された刀だという意味

もともとは単に霧切という銘であったと思われる。細かいことは武器ストーリーに書いてあるけどな。

2024-10-06

おはよう

おはます

またですわ

増田選手けが記憶を保持している

夜寝たら朝が来て

昼はほっかほっか亭が来て

夕陽差し込むサンルーム

サフランライスの雨が降り

夜はおふとんさんへと吸い込まれゆき

眠りの世界に沈みます

2024-09-07

田んぼにて

ついこの間の暑い日、陽炎ゆらゆら田んぼの上を漂っている。緑色の稲が一面に広がり、その穂先は風に揺れ、波打っていた。私は、そんな景色の中を、花柄ワンピースを着て歩いていた。

そのワンピースは、母が若い頃に着ていたもので、私が小さなからずっと憧れていた。色とりどりの小さな花が一面に咲き誇っているようなデザインで、袖はふわりと広がり、夏の空気を軽やかに通す。初めてそのワンピースを着たのは、今年の夏だった。

「お母さん、これ、着てもいい?」と、少し気後れしながら聞いた私に、母はにっこりと微笑んで、「いいわよ。あなたにとっておきなさい」と言った。その瞬間、私は、自分が母の若い頃と繋がったような気がした。母がこのワンピースを着て、どんな風に田んぼを眺め、どんな夢を見ていたのかを知りたかったのだ。

「この道をずっと歩けば、どこまで行けるんだろう?」と私は独りごちた。田んぼの間を通る細い道は、まるでどこか遠い世界に続いているかのようだった。小さなから、この田んぼ風景に囲まれて育ってきたが、大人になった今も、この景色が何か特別ものに思える。自然の広がりと、人の手が作り出した風景共存するこの場所には、何とも言えない安心感と懐かしさがあった。

風が吹き抜け、稲がさらさらと音を立てる。私は一度立ち止まり、空を見上げた。青く透き通った空に、白い雲がぽっかりと浮かんでいる。深呼吸をして、胸いっぱいに夏の空気を吸い込んだ。

「あの頃、お母さんもこうやって空を見上げていたのかな?」ふとそんなことを考えると、心が少し暖かくなった。母がこの道を歩いていた時、同じように心を揺さぶられたのだろうか。私は、母が歩んだ時間想像し、その重みを感じた。

道の先には、小さな木造の家がぽつんと立っていた。そこは私の祖父母が住んでいた家で、今は誰も住んでいない。子どもの頃、夏休みになるとこの家に遊びに来て、祖父母と一緒に田んぼを見ながら話をしたものだった。

ワンピースの裾が風に揺れる。私は、祖父母の家の前に立ち、静かに目を閉じた。あの頃の記憶が鮮やかに蘇る。祖母が作ってくれたおにぎりの味、祖父の優しい笑顔、そして田んぼの中で遊んだあの夏の日々。すべてが今、私の心の中で生き返った。

目を開けると、田んぼの向こうに夕陽が沈みかけていた。橙色の光が、稲の穂先を優しく照らし出している。花柄ワンピースもその光に包まれて、まるで私自身が風景の一部になったかのようだった。

「お母さん、ありがとう」と私はつぶやいた。このワンピースと、この風景が、大切なものを教えてくれたような気がする。

それは、時間を超えて続く家族の絆や、変わらない自然の美しさ。そして、どれだけ時が経とうとも、心の中に刻まれる大切な記憶があるということだ。

私はもう一度深呼吸をして、田んぼの道を歩き始めた。風はやさしく吹き、私の花柄ワンピースを揺らし続けた。

2024-09-02

anond:20240902012838

コレコレ大活躍やね。

https://x.com/_qwfjd/status/1830251906104713410

現状削除済み歌みた オズワルド/不破湊 怪物/不破湊×三枝明那 螺旋長尾アイデンティティ/えま★おうがすと 一騎当千白雪オルターガーデン-リグレット/神田笑一 ダーリンダンス/える 花瓶に触れた/セピアスト(フミ、白雪巴、夕陽リリ、ニュイ・ソシエール、戌亥とこ、樋口楓、静凛)

2024-08-26

クレしん映画

外国人友達からおすすめ日本映画ある?」って聞かれる度にクレしん映画お勧めしてる。

正直、邦画って苦手だったんだ。

暗い画面に展開も遅く、大きな動きもない陰鬱なシーンが淡々と続いてさ、このシーンの観客の解釈に任せますwみたいなのが多くてもうウンザリ

そんなときに友人からクレしん映画面白いよ」って言われてさ、なんとなく観てみたんだ。

そしたらほんっとに面白かった!

展開はちょー早くて、アクション満載。普通のシーンの間にはギャグが挟まるので退屈する瞬間がない。

だいたい1本1時間半なんだけどぎゅうぎゅうに色々と詰め込んでて、それでいて詰め込み過ぎってならずとにかくテンポいいなって思わせる構造がほんとに凄い。

それでいてストーリーもいいのよ。毎度どの作品にも骨子となるテーマちゃんとあって、それを描き切っているのも素晴らしいんだ。

この前なんか久々に夕陽カスカベボーイズを見返したんだけど、つばきちゃんかわいいし、しんちゃんつばきちゃんを探す最後のシーンなんて何度見たかからないのに今でも胸にジーときた。

クレしん映画邦画の悪いところを全部取り払って、邦画のいいところを詰め込んだ作品だと思ってる。

からこれから海外友達からおすすめ日本映画は?って聞かれたらクレしん映画って答えるつもりだし、クレしん映画みたいな邦画が増えればいいなって願うように思ってる。

2024-08-22

anond:20240822202008

孤影独歩、夕陽に立ちて、

歩みし道、曲がり難し。

母の言葉、心に響く、

しか孤独に心痛む。

夢に現る、共に過ごす影、

現実には、届かぬ想い。

鳴かぬ鳥、空を仰ぎて、

心に語る、孤高の嘆き。

共に語らう人を欲し、

求めども、叶わぬ願い。

ただ風に漂う葉の如く、

孤舟に揺られ、何処へ行く。

己が行く末、果てしなく、

誰かと共に、夢見て泣く。

暗夜に燃ゆる、微かな灯り、

心に灯せど、消えゆくを恐る。

今一度、道を求めし時、

若き日に戻り、心を開かん。

2024-06-29

昭和の町

どうも・・・細川徳生です。

先週、旅行別府温泉に行きました。

そのついでに、豊後高田市まで足を運んで昭和の町を観光して来ました。

おすすめスポット豊後高田の魅力)※観光サイトから引用

昭和の町

昭和30年代をテーマにした懐かしさが溢れる商店街です。各店舗では、代々伝わるお宝の展示や一品販売が行われ、観光客や地元の買い物客で賑わっています昭和32年式のボンネットバスによる昭和の町商店街や、桂川沿いを行く15分程度のミニ周遊は、大変な人気となっています。週末を中心に運行しており、ガイドさんの楽しい案内も話題となり、多くのリピーターが訪れています

長崎鼻

海に突き出た岬に位置し、キャンプ場・美術館海水浴場アート海蝕洞穴・花畑(約14ヘクタール)などがあります。海を望む自然豊かな敷地内にある花畑は、春の2000万本の菜の花、夏の140万本のひまわりの時期に絶景が広がり、海水浴場では、キャンピングトレーラーをはじめ、BBQサイトSUPカヤックサウナなども楽しめます

③恋叶ロード

豊後高田市海岸線を走る国道213号沿いには「縁結びの神様・粟嶋社」や、「夕陽絶景スポット・真玉海岸」、「花とアートの岬・長崎鼻」など、ロマンティックなスポットがたくさん。このスポットを結ぶ、約20キロメートルルートが“恋がかなう道”「恋叶(こいかな)ロード」です。

潮風に誘われて、海岸沿いをドライブ。恋叶ロードで過ごす時間が、素敵なご縁を引き寄せてくれますように―。

①②③全て観光した結果、私が一番印象に残ったのは、やっぱり昭和の町です。

町全体がノスタルジックで、タイムスリップして子供のころの昭和に戻った感覚になりました。

昔のままのお肉屋さんのコロッケ喫茶店ナポリタン、全て懐かしい食べ物ばかりで感動しました。

特に揚げたてコロッケは絶品でした。

昭和の町は、20年前から復活したそうですが、お店を維持する後継者不足で大変だそうです。

かに、何店舗か売り物件看板も出てました。

何とか昭和の町が寂れず継続することを願ってます

本当に楽しい思い出になりました。

細川徳生

2024-05-13

葛飾ラプソディーが身に染みる

中川にうかーぶー

夕陽をめがけてー

2024-04-09

anond:20240409152446

テレビシリーズはそういうのわりとあるやで

 

第2話 リオの夕陽に咲く札束

ブラジル・リオ市で、国際レベルサッカー試合が行われる。その入場料とサッカーくじの売上げをせしめる計画を立てるルパン果たしてその首尾はいかに!?

第6話 ピサの斜塔は立っているか

地震発生装置ピサの斜塔破壊するという脅迫犯が現れた。イタリア政府脅迫に応じ大金を用意するが、ルパンはそれを横取り。逆上した脅迫犯はついに…!?

17オイルラーを狙え

油田を爆破されたくなければ1億ドルを用意しろと、アラビア小国脅迫が。その金に目をつけたルパンだが、人間爆弾を使う相手に手こずる。

28話 女刑事メロン

パリ中の札束を盗む予告をしてきたルパン逮捕に、ガリマール警部の孫娘である刑事メロンが乗り出してきた。先代が宿敵同士であった両者の対決の行方は…!?

33オリオンの王冠は誰のもの

まれた王冠が闇でオークションされる。ルパンは王冠と落札金の両方をいだだこうと計画。それぞれ芝居を打って巧みに進めてゆくルパンたち。その結末は!?

 

とりあえずPart2だけで40話までだけ見たけどこんな感じ。

 

https://video.unext.jp/episode/SID0013496/ED00098806

 

ここでテレビシリーズの一覧と概要読めるから興味あったら探してみるとええ。

2024-02-26

anond:20240224204916

泉鏡花 「空の雲は峰が崩れて、遠い山麓には、薄く靄がかかっている。野も山も海も、見ゆる限り夕陽の茜色に染まっている。遠近の森の梢に並ぶ幾多の寺院屋根瓦が、眩しく輝いている。」

2024-02-19

引越したらホームシックに罹った

仕事の都合で某県某市に引越してはや数日、しっかりとホームシックに罹った。

これまでに住んだことがあるのは以下の3つの街。

関東某市

関東政令指定都市

・某海道某幌市

これまでに住んだ3つの街はどこも住みよい街だった。

関東某市は海あり山あり田園あり、駅前商店街には今なお活気の衰えない老舗の店々が軒を連ね、図書館博物館美術館なんかの施設も充実していた。公共交通機関も発達しており、非常にバランスの取れた街であったと思う。

政令指定都市東京へのアクセスのしやすさは言わずもがな、街自体の魅力も十二分だった。電車で数駅とかから商業施設の集まる街に行けるくせに、自宅近くの小高い丘に登れば、木立の向こう側に素晴らしい夕陽を眺めることができた。

某幌市についての説明不要だろう。東京から距離こそあれ、大抵のものこの街で揃う。米津玄師ツアーだって来るし、ジャンプショップだってパルコにできた。新幹線はまあ…待ってればそのうち来るだろう。何より雪と氷がとにかく美しいのだ、あの街は。

話を戻そう。

現在の街に引越してきてまだ数日だが、街の雰囲気がどうも肌に合わない。なんと言おうか、人の気配というか、文化香りが極端に薄いのだ。

戦後人口爆発に伴って山を切り開いて開発したような、歴史の浅い街だ。人口はそれなりにいるはずなのに、公共交通機関が驚くほど発達していない。卵が先か鶏が先か分からないが、人々はみな車で移動し、道路の車線数ばかりが多い。

別に、車で移動することは構わないのだ。

何が肌に合わないかと言えば、車通りはめちゃくちゃに多いのに、それなのに、生きている人間の気配があまりにも薄いことなのだ。

延々と真っ直ぐに伸びる道路。道の脇には街路樹ひとつもなく、チェーンの飲食店やら、だだっ広い敷地カーディーラーやら、巨大な平屋建てのドン・キホーテだのが間隔を空けて立ち並ぶ。そして店舗店舗の隙間を埋めるような、手入れのされていない灰色土地

どこまで行っても誰も歩いていない。かたや、意思があるのかどうかも分からない自動車たちが片側2車線の道路をかっ飛ばしていく。どこまで行っても同じ景色。気が狂いそうだ。

先の記述を見てもらえば分かると思うが、自分は人が紡いできた文化だとか、人の手の入っていない(あるいはほどほどにきちんと手入れされた)花鳥風月だとか、そういうものが好きなのだ

引越してきたこ土地にはそれがない。あるのかもしれないが、自分嗅覚では知覚しきれない。

ああ、帰りたい。

どこに帰ろうか。某幌のスープカレーが食べたいなあ。

2024-02-10

私はかれこれ去年の4月から煙草を吸っているがなんだか気まずくて未だに家族に言えていない。家で吸ったらバレそうなので外出中にしか吸えずもやもやしていた。

ラッキーなことに先日母がぐっすりと昼寝をしていてなかなか起きる気配もなかったのでいそいそ階段を駆けのぼり初めてベランダ煙草を吸っていたところ、だいぶ傾いた夕陽がとても綺麗で、なんだか胡座をかいているのが恥ずかしくなって体育座り一服後もぼんやり眺めていた。

こんな悪知恵を働かせた時だけではなく普段から日常の美しさに気づけたらいいのになーって思った。

2023-12-10

自分の心をときめかせるもの

 自分の心をときめかせるもの

 

 最近の私は、通勤中にフロントガラスの向こうに見える、雪を被り始めた日光連山のことが大好きだ。宇都宮は、この夏にライトレールが走り始めて、時代最先端を謳う街だけれど、中心部から少し離れたら畑や田んぼが広がり、その向こうには山がよく見える。よく澄んだ晴れた日に、山の色と形がくっきりと現れているのも好きだし、やや曇った日に、冷たい空気の向こう側で薄ぼんやりと広がる山並みも、これはこれで素敵だなと思っている。

 

 遠くから山を眺めるのも好きだけど、近づいてみるのも、また良い。紅葉の最終シーズンを迎える栃木では、山に近づくと、赤、橙、黄色に葉を色づかせた木々があちらこちらに散らばっている。先週は、宇都宮から那珂川町の方まで行ってきたが、山間を走れば走るほど、ああ良い季節だなと思った。日が落ちるのが早くなって、山は16時には夕陽に照らされるわけだけど、より一層赤みを増した紅葉もまた綺麗。車を降りて、そんな景色を楽しんでいるうちに足元が冷え始めて、それで冬の気配を感じるのも、好きな時間だ。

 

 毎日早起き億劫だし、仕事も大変だけど、こういう「ときめき」チャージをこまめにすることで、人生ってなんか、なんとなく愛おしいなと思い、どうにか過ごしている。

 みんなにも、自分の心をときめかせるもの、何かあるかな

2023-11-09

本当は付き合ってないけど登録者数増加の為に泣く泣くカップル営業をしているカップルチャンネルvs本当は生きたくないけど死ぬ理由もない為泣く泣く生きている俺

暴れ散らかす中肉中背の俺を見た目だけ良くしてるヒョロガリ二人が止められるわけも無いため圧倒的な勝利を収めて夕陽の向こうに消えていく

2023-08-22

終日ビジネスホテルの部屋で仕事をしていた。

ちゃんとしたデスクがあって、回線品質も悪く無い。デスクの目の前に窓があって、レースカーテンを通して外の光が入ってくる状態のまま、部屋の明かりを消していた。

朝は向かいビルの窓に反射した太陽光が眩しく、昼は室内に光が差し込まず暗くなり、夕方には夕陽が直接室内に射す。西向きの部屋か。

普段、自室には太陽光が入らないから、陽の光があるだけでありがたい。なにかとても贅沢をしているような気持ちになる。

2023-08-04

百選百選

  1. 名水百選:わかる
  2. 平成の名水百選:時代で区切るのはずるくない?
  3. 疏水百選:ジャンル狭すぎない?
  4. 近代水道百選:水道はどれも一緒だろ
  5. 水源の森百選:水源と森どっちもはずるい
  6. 甦る水100選:名水のほうがいいじゃん
  7. ダム湖百選:そもそもダム湖って百選に絞り込むほど数あるか?
  8. ため池百選:ジャンル狭すぎ
  9. 日本の滝百選:わかる
  10. 日本百名湯:わかる
  11. にっぽんの温泉100選:完全に被り
  12. 名湯百選:完全に被り
  13. 日本さくら名所百選:わかる
  14. 桜の名所 100選:被り
  15. 日本秘境百選:まだわかる
  16. 日本の音風景百選:ちょっと強引
  17. かおり風景100選:風景は何かを付け足さないといけないのか?
  18. 人と自然が織りなす日本風景百選:苦しい
  19. 都市景観100選:ギリわかる
  20. 日本棚田百選:まだわかる
  21. 快水浴場百選:選ぶ必要ある?
  22. 森林浴の森百選:苦しい
  23. 日本百名山:わかる
  24. 花の百名山:何かと何かをかけ合わせればいいと思ってるだろ
  25. 新・花の百名山:それはもう200選じゃん
  26. 一等三角点百名山:100もある?
  27. 日本の百名峠:まだわかる
  28. 日本自然100選:ここまで大きいカテゴリだと他が霞む
  29. うなぎ百撰:そんなにある?
  30. ふるさとおにぎり百選:おにぎり百選に寿司おかしいだろ
  31. 日本の道百選:わかる
  32. 遊歩百選:わかる
  33. 歴史の道百選:異ジャンル掛け合わせシリーズ
  34. 日本の渚百選:まだわかる
  35. 森の巨人たち百選:シンプルに謎
  36. 日本紅葉百選:わかる
  37. 絶景 紅葉100選:被り
  38. 新日本名木百選:新やめろ
  39. 日本白砂青松百選:狭すぎ
  40. 新・日本街路樹100景:街路樹を100選ぶ必要ある?しかも新
  41. 日本都市公園百選:まだわかる
  42. 日本歴史公園100選:歴史つけりゃなんでもいいのか
  43. 公共建築100選:まだわかる
  44. 音響家が選ぶ優良ホール100選:そんなにある?
  45. 日本百名橋:わかる
  46. 日本の橋100選:被りばっかり
  47. にほんの里100選:わかる
  48. ふるさといきものの里百選:掛け合わせシリーズ
  49. 美しい日本のむら景観百選:ここまでくると潔い
  50. 水の郷百選:水側か町側か微妙なところ
  51. 未来に残したい漁業漁村歴史文化財産百選:かなり苦しい
  52. 日本100名城:城の数ってだいたいそんなもんだろ
  53. 日本名城百選:完全に被り
  54. 日本百景:わかる
  55. 平成百景:また平成
  56. 夜景100選:わかる
  57. 日本夕陽百選:夜景がありゃ夕景もあるよね
  58. 日本の地質百選:ギリギリわかる
  59. ヘリテージング100選:謎
  60. 新日本旅行地100選:るるぶかな?
  61. 新日本観光地100選:じゃらんかな?
  62. イルミネーション100選:100もある?
  63. 日本花火夏祭り 100選:アンドはずるくない?
  64. 名刹巡礼 古寺100選:わかる
  65. 日本神社100選:わかる
  66. 新エネ百選:?
  67. 美しい日本歴史風土100選:美しいつければいいと思ってるよね
  68. 農山漁村の郷土料理百選:うーん
  69. ローカル線100選:わかる
  70. 日本庭園100選:まだわかる
  71. 全国ランニング大会100撰:選ばなくてもだいたい100でしょ
  72. 日本歯科100選:選ばれても近くになきゃ意味ない
  73. 島の宝100景:モノでもいいの?
  74. 日本遺産百選:世界遺産に比べると弱い
  75. 大人が楽しめる社会科見学100選:ニッチすぎる
  76. プロが選ぶ観光食事施設100選:お金が絡んでそう
  77. プロが選ぶ土産物施設100選:お金が絡んでそう
  78. プロが選ぶ日本ホテル旅館100選:お金が絡んでそう
  79. ダイバーシティ経営企業100選:お金が絡んでそう
  80. グローバルニッチトップ企業100選:意外と真面目
  81. デザインマンホール100選:100もあるんだ
  82. はてな学級会 頻出議題100選:みんな大好き

力尽きた

2023-07-30

anond:20230729012429

いや増田感性は素敵だけどさー既に指摘されてるようにそれは増田感性教養自然の素晴らしさであって。

だいたい「スーパー博物館」って表現も、それいフレーズだけどさ、都会にはその博物館も沢山あるわけじゃん、

成城石井紀伊国屋北野エースもビオセボンディーンアンドデルーカもあって、

ライフマルエツ西友いなげやもあって、

ハナマサ業務スーパーももちろんあるし、

その上でチェーンじゃない地元密着のスーパーもあるわけよ。あとは中華食材の店、韓国食材の店、南米ハラル食材店もあるしね。

ほんで選択肢の多さだけじゃなくって、それぞれのスーパーで働いてる人達によって棚に多様性が生まれる、それが都市文化だと思うよ。もちろんコンビニファストフードで生きることもできるし、外食三昧もできる、ピンキリが幅広くて沢山のレイヤー選択肢がある、それを生み出せる人間と消費できる人間が居て文化が構築されてるんだよ。

だいたいさ増田はその田舎出身じゃないだろ、増田にとってまだ新鮮さがあるからそういう風に言えるのであって、例えば増田が30なら30年間その田舎にいたらその感性教養って育ってないと思う。思春期青年期にある程度都会を経由してるからこその増田文章だろ。自覚あるだろうけどさ。

それにこういう文脈自然挙げてくる人多いけど都会でも自然の良さって感じられるからね、別に23区都市計画で公園も多いし、人が植えて人が手入れしてる自然でも自然自然から自然に合わせて自然に育ってくんだよ。最初は植えた感アリアリの苗木がだんだん根を下ろして、街と自然の一部になってってるのに気づくと頑張ってんなぁって気になるし。

至る所で雨と土の匂いだってするし四季の移ろいも感じられるし、朝日夕陽の美しさも街に合わせて違うように感じられるしさ。

小田急から見る春の夕陽中央線から見る秋の夕陽と、冬の山手線の始発から暫く経って感じる朝日と、夏のゆりかもめで感じる朝日とそれぞれ全然違う良さがあるしな。確かに星が見えないのは認めるが。ビルで見切れてる入道雲も言ってみれば大自然だし、秋になればトンボも飛ぶし、てか荒川沿いでも東京湾でもひらけた空は拝めるし。あと増田はたぶん植物園増田と同一増田だと思うけど、植物園だって行こうと思えばフラッと行けるよ。

カニカニ可愛いよね、でも文学創作物生活日常の結びつきの話をしだしたらもう都会は文化のものじゃん、言うまでもなく。

2023-07-23

anond:20230723125043

あの頃の夕陽赤かった

けどそんなお前には定住できないよと別れた

今は弥生土器が好き

2023-07-04

世の中のの孤独人間リアルってあまり見かけない

よくテレビでは特集してたりするけどどこかなにか嘘くさいしああいうのは社会からも隔絶された孤独をとりあげがち

今は53歳でいまんとこ友達もいないし彼女やそういう関係性の人もいない

俺の人生他人とは仕事での関係性の人しか出てこなくて世間話ができる他人は唯一が親

そういった人のリアルってあまり見聞きしない

生活はどこにもドラマもないし見どころもないから本当につまんないのはつまんない

毎日仕事して帰ったらネットサーフィンしてこういうとこに愚痴書いたりTwitterアイドルに返事のこないリプしたりニュース記事を誰に届けるわけでもなくリツイートしたり、休日スーパー銭湯時間を使ったり

違いはどの場面においても他人が出てこないという点か

こういう人はあまり情報の発信ってしないのか心情を吐き出すことをしないのか、そういうのあるあるだよねということに出会たことがない

電車の中で夕陽を見ながら、誰にもなにも伝えることな死ぬんだなというぼんやりした幕の中で生きている

2023-06-20

初恋不登校プライドの話

僕が初めて不登校をしたのは中学1年生の時だった。

小学校までは男女隔てなく仲良く遊んでいた同級生達が中学に上がると、学ランに黒ズボンを履いた男子と、ブレザーにスカートを履いた女子に別れ、以前と全く違う人物かの様に急に振る舞い、お互いの間に透明で重厚な壁を立てた事がまず一つの原因だったと思う。

そしてまた別の理由は初めての恋。

仲の良かった女子恋愛相談に乗っていて、彼女が好きな男子に振られると急に手の平を返して僕に好意を打ち明けてきた。その心変りの早さに僕は内心軽蔑した。

しかし、その頃物事を深く考えていなかった僕は、彼女好意ロマンティックにも応える事にした。

放課後誰も居ない教室に二人きり、夕陽が窓から強烈に差し込む真っ赤に染まった教室の中で彼女に「付き合おう」と応えた。

顔は太陽と同じ様に真っ赤に染まっていたのに、その時の心情はただただ寂寥であった。

それは多分、自分自身でも心の内の声に気付いていたからかもしれない。

初めての彼女ができたものの、僕は具体的には一体何をすれば良いのか分からなかった。

恥ずかしさと面倒臭さで彼女と一緒にする登下校も拒否していた。

すると、どうしてそうなったのか直接的な原因は知らないが、彼女は一度告白をして断られた以前の男子といつのまにか付き合っていた。僕はその事を周りの同級生から人伝手に聞いた。

彼女と付き合う事を口言したわりに具体的な行動を示さなかったのは自分だ。

から振られてしまっても仕方が無いのに、僕は自分でも驚くほどその事実にショックを受けていた。

気が付いたら学校に行くのが嫌になり不登校をし、家に居るのも何なので近所の空き地で身を隠して一日の大半を過ごしていた。

どうして自分彼女に振られてショックを受けたのかをその時にじっくり考えた。

自分でも気付かない内に彼女の事をとても好きだったのだろうか。

彼女と付き合ってから変に意識し過ぎてよそよそしい関係しかならなかった。

しか彼女と付き合う前は本当に楽しかったのだ。

彼女の好きな男子の話しを聞いて軽く意見を述べたり二人で盛り上がったり。

彼女の話を聞く為に交換日記まで使って日々やり取りをするほど異様な時間を共に過ごした。

どうして僕はあんなにも心が躍っていたのだろうか。

そんな事を考えたり、空き地で飽きたら周りの人にバレない様に近所を散歩していた。

そしてある日いつも通り空き地漫画本を読んでいる時に気付いた。

その時持っていた漫画女友達に借りた少女漫画だったが、その中の主人公女子と同じ様な感覚が、初彼女と共有していた感情にとても似ていた。

それは漫画の中では恋と呼ばれるものだった。

カッコイ男の子を見てドキドキして、彼と話したくてでも話せなくてそんな状態ハラハラする。

漫画登場人物感情移入をする様に、彼女を通して僕は恋をしていたのだ。

そこまで考えて愕然とした。

僕はあの男子が好き?

好きだから彼女と彼が付き合う事にショックを受けた?

もし僕が彼を好きだったら、僕は同性愛者なのかもしれない。

少女漫画によく出てくる男と男の行為

そういった行為が異常だという事は子供の頃からテレビや周りの人の反応で何となく認識していた。

なのに自分が異常と呼ばれる人間になるのかと思うと正直戸惑ってしまいよく分からない。

考えれば考えるほど自分同性愛者なのでは無いかと疑問が湧いてくる。

それを確かめる術も同性愛という世界に対する知識を得る手段も何も無い。

男は女を好きになるものだ。それが当たり前とされてきた。

中学校の体育教師も「男は男らしくあれ、女は女らしくあれ」と、それがお前の遺言であれと思うほどに皆んなの前で説教していた。

そしてその言葉に何故か心がモヤモヤしている事にまた戸惑う。

学校へ行かなくなってからすでに2週間が過ぎていた。

どうしても暇な時は午後から学校に顔を出す時もあった。

周りの同級生達はアホ面を下げて遊んでいる。

その中の一人がすれ違いざまに「どうしたん?学校嫌になったん?」と声をかけて来た。

そして教室に入ると振ってきた彼女が何か言いたそうに暗い顔をして僕を見ていた。

その彼氏は僕と目を合わせない様にしているのが分かる。

僕が学校に来なくなったのは二人が原因だと彼等や周囲に意識されるのが癪で、負けず嫌いな僕は意地でも学校に行く様になった。

学校には行くし授業は真面目に受けるし周りの同級生とも普通に話していた。

でも心に虚無感を抱かない日は無かった。

同級生と下らない話の笑いに付き合えば付き合うほど、作り笑顔が上達すればするほど、心に抱えた虚しさは膨らみを増し、日に日に腹の中で闇が深まるのを感じた。

一連の出来事があった彼氏彼女とは学年が変わりクラス替えの為すぐに離れ離れになった。

彼と毎日クラスで会わなくて済む事に僕は心底救われた。彼もまた彼女に振られたようだ。

そんな彼に意外な言葉をかけられたのは冬のある日だった。

教室にあるストーブで温まっていた僕の隣に静かに彼が腰を下ろした。

その頃には挨拶程度は交わすものの会話という会話は避けていたので僕は気が気では無かった。

厚着の制服の下で沢山の汗をかいた事を覚えている。

最近好きな人できた?」

彼が唐突しかも軽い調子で話しかけてきた。

僕は何を言われたのか一瞬分からなくて答えに窮した。

それから彼は部活の話とか、教室流行っているカードゲームの話を僕に振ってきた。

何となくどもらずに答えられた気がするが細かい会話の内容はハッキリとは覚えていない。

話している内に変にテンションが上がった僕達は他愛も無い話でバカみたいに盛り上がった。

いつしか女子に対する内容に会話が移っていた。

彼の好きな女子の話は聞きたくないし、誰が誰を好きとか興味も無かったので僕は急に静かになった。少しの沈黙があって彼が小さな声で、でもハッキリとこう言った。

「お前が女だったらな」

…一瞬、頭が真っ白になった。

しばらくの沈黙の後、僕の頭の中に浮かんできた言葉はこうだった。

(俺は女じゃ無いし)

何故か怒りの様な感情が湧いた様な気もする。

それから僕達がどういう会話をして、その後どういう行動に移ったのかよくは覚えていない。

ストーブの熱のせいで頭がボーとしていた。

暖かくて明るい教室雰囲気の中で僕の心だけが冷え冷えとしていた様な気がする。

そんな事があって僕は彼を意識せずにはいられなくなった。

そして自分感情に蓋をして深く考え無い様にするしか術は無かった。

クラス替えをしてからは仲の良いクラスメイトに恵まれて楽しく過ごしていたし、1年生の頃の苦い思い出も自分に芽生えた小さな疑問も一先ず考え無い様に努めた。

こうやって自分を少しずつ殺していく日々が始まった。

自分を少しずつ取り戻していく日々の話はまた別の機会に。

#PRIDE月間

2023-06-07

公園クレーマーの俺が公園クレーマーの考えてることを書くぞ

子供家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からクレームだった」


そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
まりから見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議存在だということになる。


日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。


次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマー公園クレーマー化するのは、一部の非常識利用者のせいである。
非常識利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。


さて、じゃあ早速冒頭の文章ニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこから問題だ。恐らくここで、普段公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和公園で、何が?」


これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。


じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマー気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマー気持ち理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。


(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい状態だが、便宜上許して欲しい)


俺が公園クレーマーになった原初きっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。


変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボンボン。ギャハハ。ボンボス。ギャハハ。ボン
規則リズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。


ここで、自明事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである
これは誰しもが陥りがちなこであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所である錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである


結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。


夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル
しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイ酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。


そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTok流行りの動画大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである


そのうち、夜に公園に来るすべての人間バカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園24時間警備システム化」してしまったのである


これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
あくま自分要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。


この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。


そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。


大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか
いつしかクレーム」を入れるようになったのだ。


ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなた想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなた想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。


さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?


まずこれらの疑問は、論理的である
だが、解決ではない。


引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホン耳栓というのは応急処置として有効であるしかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつルール自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体ストレスになってくるのだ。


そして最後
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である


公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ
だって公園は良いものである、という世間認識があるのだから
そして既に、公園クレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから
だって、もし街を歩いていてテレビ取材にあたり、「公園クレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所からねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
らくだが、インタビュー公園騒音肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。


とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくま公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマー立場から書いているだけである


ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
しかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。


だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたイメージする「公園」「公園騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなた公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである


何も公園クレーマー理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである


最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?


これはこれでデカテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園バカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。


だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人思想一種しかない。
あえて極端な例を言えば、過去ゲーム感覚万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である
学生の頃イジメを働いた人間社会人になって会社イジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である
そういう因果律人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。


何を言いたいかというと、そのツッコミだけは「効果的でない」ということだ。

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