はてなキーワード: 会いに行こうとは
母親が入院中で、医者から「あと数日もつかどうか」と言われてた。
明日の朝イチに面会時間の最速で夫と娘を連れて会いに行こうと思ってたんだけど、夫は午前中に美容室があるという。
面会は11時からなのだが、夫の美容室がバッティングしており、美容院が終わってからだと病院に到着するのは13時だ。
いつどうなるかわからないから、後悔したくないから早く行きたい、今夜行こうかともおもったが遅くなったので明日の朝イチで行きたいと伝えても、美容室が終わったら行くという。
私が逆なら、キャンセルしていくが、これは普通の感覚なのか?私がおかしいのか?
所詮、自分の親ではなく他人の親だという違いはあると思うし、たかだが2hの差と考えているかもしれない。
ただ私は何があるかわからないので面会時間の中で最速で行きたかった。
もう10年ほど前になるだろうか。
会い系サイトで仲良くなった芦屋の人妻に飼われていた時期がある。
飼われると言っても、呼び出されてすぐその場所に行って、ヤるということだけなのだけれども。
東京にある日呼び出されて、金持ち仲間に、こんな若い子飼ってるんだぞと何語かわからないけど、そう言っているように見えた。
金持ち仲間も飼っている人がいた。
僕よりも少し年上の25歳ぐらいだったと思う。
彼が僕に、「もっと選んだ方がいいぞ」と一言告げて、自分の飼い主とホテルに入っていくのを鮮明に覚えている。
その東京旅行の後、彼女と連絡がつかなくなった。LineもFaceBookも繋がらなかった。
「画像生成AIの使用で被害に遭っている、 なんとかならんか?」 との内容でした。
この時点で自分はうっすらとしかこの話題を認識していませんでした。
前年に漫画家協会内でも議題となりましたが 『詳しい人に任せよう』 というノリでした。
4月に漫画家志望の若い方へ呼びかけるポストをしていたときでした。
どうやら地雷を踏み抜いたようです。
「今度はなんだー?」 くらいの鈍感さでしたが
「立場がある人間がそういう発言を無神経にするな」 という意見があまりにも多く
Hさんに話を聞いていたのもあり、『どうやら深刻そうだ』 と調べてみることにしました。
まず自分の炎上に加担していた人達を呼んで事情を聞くことから始めました。
[被害者とその周辺の方、 弁護士、 政治関係者、 アニメ業界の方、 声優さん、
当然業種により賛否があり、答えが出るハズもなく、 主に話し合ったのは
『今何ができるのか? どこを目指せばいいのか?』でした。
法律を作る側は今何を考えこの問題がどんな状態なのか知りたくて、
帯同した者達は被害の深刻さと今後どうしてほしいかを訴えていましたが自分はほぼ黙っていました。 この時Hさんらと作ったチラシを持参していました。
『とにかく言いたいことを盛り込みなさい、 後から引き算すればいい』 と作ったものです。
それを渡して現状を訴えて政治家さん達がどんな反応をするのか、
どこまで把握されているのかを見ていました。
自分はまだ勉強不足で、 出会った人たち全ての意見を聞いて反応を見て
勉強不足と書きましたが自分なりに本を何冊か買って読んではみたのです。
横文字が多く、 読む作業より単語をググる作業に時間が費やされ、
『なんで?どうして?』というスタンスですから炎上しながらも、 沢山の情報が入ってきました。
6月くらいにはずいぶん自分の中で整理できていたように思います。
・扱いによって道具は凶器になる
その性質がある方面では著作権侵害の塊とみなされていますが、 自分はそれを断定できません。 プロ漫画家として40年以上現行の著作権法の恩恵を受けてきました。
それを守りそれに助けられてきた立場から、 越権する発言はできません。
そこは徹底的にドライです。
手順と窓口を間違えずそれらが必要と判断される程の声の塊を届けることが重要なのかと思います。 何故それをしないのか甚だ疑問です。
未だパブコメ以上のものは見えず、 陳情団体も知られていません。
政治家さん達の動きが鈍く感じられるのも当然です。
『他責にするな、 他力にすがるな』
コレを自分はドライな言い回しでポストするので反感を買う一因となっているのかもしれません。
規制を求めるとして、考えねばならないのは
良かれと用意し立法したものが現場活動の邪魔になる例はあります。
一度決議された法、 条例を撤廃するのは並大抵のものではありません。
コレに安易に規制をかけてしまうと既存のクリエイターも困ることになります。
「人間の学習」と「機械の学習」を感情論抜きに切り離すロジックを確立しなければならないと思います。 自分は先輩達の漫画を散々無断学習してきた身です。
その事を棚上げして、 現行の著作権法に抵触していないものを人間であれ機械であれ咎めることはできませ ん。(しかし法や条項で機械の学習がダメとされたらその時は堂々と咎めます)
そうこう考えている間に並行して色々なことが起きました。
特に声優さん達が決起した 【NOMORE無断生成AI】 は大拍手で、
無断でなければ共存共栄していきましょうという意味と受け取りました。 声の著作権は現在ありません。
その業界の方々が最大譲歩した呼びかけをしたのです。
感動しました。
一大ムーブメントになると思いました。 各業界も続く可能性も考えられました。
ところがコレにすぐ火の手が上がり、
規制を求める味方のはずの人達から責められトーンダウンすることになります。
一つでも譲歩してはいけなかったのですかね。
『著作権者が自らの著作物をAI学習にさせたくない場合には、その意向が尊重される仕組みが必要である と考える(要約)』というクリエイターに寄り添った内容のパブリックコメントを提出しています。 2024年2月の 『文化庁のパブコメ結果 (団体)』のP175に記載されています。
「外部に声明を出すべき」 との意見もよく見ますが、 省庁内にて各著作権団体の代表が集まる会議に参加し て内部で発言しているので、外部から発信する必要がないのです。
スクリーントーンが登場した1960年代に 「楽してる」とスミ指定の時代の誰かが言ったそうです。 初期は糊面に印刷がされていて、表からホワイトでグラデーションをつける作業が必要でした。
そののち表面印刷になり、 削りが可能になった時、 やはり 「楽してる」 と思った人はいたようです。 (ここまでが伝聞です)
当時トーンは高価だったためか手描きのカケアワセが正義とされる風潮もありました。
ミリペンでコマ割りをするようになった時は 「カラス口を使え」と言われ、
コピック登場の際には 「今の若い連中は筆も使えない」 と言われ。
それも当初「ペンや紙の使い方も知らない」 と言っていた人もいます。
一方で多くのこれまでの漫画家は道具の進化を歓迎し今に至りました。
生成AIは現在最も新しい道具の一つですから拒否反応もあるでしょう。 しかし機械であり道具であることは間違いありません。
問題視するとしたら、その性質と成り立ち、 使用する人間の所業かと思います。
雑感となりますが 「人間の無断学習」は多くの場合そこに尊敬と感謝が含まれます。 学習元にリスペクトの無い 「機械の無断学習」 に憤りを感じるのは当然です。
常に感謝しろとは押しつけませんが、 先人の積み重ねを瞬時に手に入れられると仮定して、 その学習元を見下す発言、 冷笑、 嘲笑、 悪用する手法諸々、 あっていいことではありません。 この問題がここまで拗れた原因の一つがコレなのだと思います。
ここまで読んでいただいた方はすでにおわかりだと思いますが、
足りないなりに導き出した 『あったらいいな』 が以下です。
ここが整えば、 少しは混乱が減るかなと思います。
(今年1月に出席したMANGA議連の場でも生成AIの話題は出ており、 気にかけている議員さんは少なくないです。 広く深い議論を期待します)
提案しておいてズッコケなのですが、 自分が積極的に動く覚悟はないのです。 答えが出せないことが多いのです。
「楽しんでね」と黙認しており、 それは使用道具がなんであれ同じと考えるからです。
当然 【人間でも機械使用でも一線を越えたものには強い処分】 を考えます。
しかし多少の緩さがないと後に続く文化の裾野が広がらないと思うのです。
このへんとても難しいですね。
すでに存在していますが、この先、 生成AIを使用した漫画も多く見かけることになるでしょう。 自分の横に並ぶかもしれません。
或いはもう並んでいるかもしれません。
その最中できっと多くの学びがあるはずです。
その繰り返しと積み重ねです。
負けたら勝つ方法を考えればいいし、必要とされない時代がきたら去るだけです。
ずっとそういう業界に身を置いてきました。
これからも僕がやるべきことは変わりないのです。
ツラツラと書き続けましたが、 漫画業界と、 アニメ、イラスト等の隣接する業界は似て非なるものです。
押しつけるものでもありません。
変になんか喉が痛くなって怪しい気配を感じるんだけど
おかげで昨日は若干いつもより早くは寝たのよ。
気持ち早く寝たって感じだけどね。
うーん、
この季節恋の予感はないのに夏風邪の予感?
そんな気がするの。
朝起きても喉痛いしー。
冷たいものも飲み過ぎ?
いやそんな飲んでないんだけどなぁ。
今までにこんなことなかった感じの喉の感じなので。
いや何が心配かっていうと、
これから夏にお休みに入る際の私のゲームライフに差し障りあるじゃん!
ゲームできなかったら悲しいじゃん!
スーパーマリオワンダーは一気にここで終わらせてしまいたいけれど、
またこれ寄り道していたら延々とゲームが終わらない感じがするので
一極集中でやるっきゃないのよね。
どーんとビッグタイトルではいつも口ずさんでいる「ニーア」は気になるからこれは進めたいわね。
あとこれはぜんぜんやってない「ステラーブレイド」のNIKKEとのコラボストーリーへの到達!
これも楽しみにしてたんじゃないの?私!?って思うけれど
なかなかどーんと消化できる季節突入できなくて
モヤモヤよ。
久しぶりに「ステラーブレイド」でのイヴにも会いに行こうかな!
NIKKEでは毎日見てんのよ!
相変わらず強いわ!
そうそう!
なんかウンファの変わりっぷりがたぶん一番ウンファ自体がそう思ってるんじゃないのかしら?ってぐらいの変わりよう。
そんで、
新SSRが一人ずつ順を追ってガチャで部隊に招き入れられるようになったんだけど。
聞いて!
聞いたよ!
私が1軍登録している思いが通じたのかしら?
なんかスピって一撃必殺で引き当てちゃったわ!
でもまた、
武装もレヴェルも最初からの状態から強化していかなくちゃいけないので、
じっくり完璧に成長させるには1か月。
これも迎撃戦での運もあるし、
ソロレイドやユニオンレイドでもある程度その他のレアな成長物資は期待できるけれど、
やっぱり長い道のりだわ。
なんだかんだいってもうすぐ私NIKKE開始して1年経つのを迎えるわ。
つーことは
やっぱり1軍ベストメンバーガーほぼ3凸でしかも武装はレヴェルマックスでもちろんオーバーロード。
うわー!
1年越しぐらいに成長かかるのかも知れないわ。
そうね、
1年よ!
イヴは成長マックスにさせたのはガチャ引いてその日に完璧に仕上げたけれど、
それは事前に分かっていたから物資も武装も貯め込んで準備できたからなのよね。
だから
ステラーブレイドコラボでのNIKKEのSSRキャラのレイヴンに至っては中途半端な成長っぷりで仕上がってないのよね。
いつもこれ凄い熱量で私書いているけれど、
それぐらい夢中ってことなのよね。
きっと。
だからいろいろ何も見ずにソラで書けるもん。
それにだからいろいろな固有名詞が出てきて全然分からないと思うわ。
でもこれは私が今向き合っている課題の成長具合の記録っぷりなので私は記を記を記すのよ。
思い入れのあるニケを最初の10連ガチャ一撃で引き当てるのスピってると思うんだけどなぁ。
仮に内部操作があってよく使うニケのエマがそうなっていたとしても、
どう考えても。
なのに最初の10連ガチャで引き当てちゃって招き入れられたのは絶対にスピってると思うの。
スピリチュアルなんて信じる体質ではないけれど、
これに限っては言わせてもらうわ。
スピってるって!
うーん、
じゃないと説明できないのよね。
もうさ、
ステラーブレイドとのコラボ企画でイヴニケゲットしたらそこで飽きちゃうかと思ったけど、
この夏イベントでのドロシーでしょ?
もうこれで最後よ!って思いながら次また何か仕掛けてくるんでしょ?
薄目を開けて見ちゃうわ。
でもさすがに
でさー
新グレイブとかきたら泣くかも。
いやそれはないかな、
いやあるかも知れないし、
あーあ、
上手い具合に操られている感じよ。
もー!って感じ。
う~ん、
でもこれ通常の一般募集にソーシャル募集でも排出されるっていうから
無理なくぼちぼちやっていってもいいかも知れないわ。
なにしろ、
それぐらい私の熱い思いをこの季節にぶつけてみたわ。
今日はこの辺で。
うふふ。
昨日めちゃくちゃ美味しかったゴロッとしたタマゴが入っているサンドイッチ!
うわ!
やっぱり2回目にしても食べても美味しいわ。
それぐらい気に入ってしまったわ。
おにぎりは作っては来たけれど
それはランチにでもいただくわ。
レモン炭酸水気軽に飲めちゃって朝の喉の痛いときにシュワッとでも爽快で冷たくて美味しいわね。
夏のこのお休み期間中乗り越えるには充分な炭酸水のストックよ!
ふふふ、
実質飲み放題だわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
出産、子育て、発達障害、それぞれ単独属性レポは色々見てきたけど、発達障害者の出産・子育てレポはあまり見た事が無かったので書いてみる。
発達障害持ちで出産・子育てしたいけど不安、といっている増田を見かけた事もあったので、一例として。
・30代
・でき婚
・正社員。クローズド就労。同じ位の年収の人と二馬力で暮らしています。
手帳持ちで未婚、近くに親族もいなかったため、役所の保健士さんにも病院のお医者さんにも警戒されているのを感じたが、
心配してくれる人が多いのは助かるので、色んな助言に素直に従う事を心掛けた。暫く心掛けていたら、みんな優しくなって、色々助けてもらえて有難かった。
一方で、厳しさと悪意をごっちゃにしてそうな様子の人からの助言・指導に対しては、表面上「うんうん」と言って聞き流す事も心掛けた。
素直さと聞き流しを両立するトレーニングは、出産・育児に限らず、仕事でも役に立って、いい経験になった。
・当時の反応
無計画妊娠でも、友人とか職場の人、精神科のかかりつけ医、産婦人科、家族、義理のご両親と親族の方々、沢山の人が助けてくれたり、応援してくれて有難かった。
職場に妊娠を報告したところ、現場仕事を他の人にやってもらうことになり、妊娠中はデスクワークに移れて、定時帰宅するように言われ、職場の理解に本当に救われた。
とても有難かったので、職場の組合で意見を求められた時に、「産休や介護休暇等、休職する職員の分の仕事を肩代わりする職員に肩代わり手当て等を出す事を検討してほしい」
という案を増田から出した。肩代わりする職員よりも、産休を貰う側の職員が提案した方が理解が得られやすいと思ったから。
①資格取得
私の職種は資格取得を促されがちな職種だったので、残業が無くなった妊娠期間中に資格勉強出来て良かった。
②水泳
妊娠が分かって5ヶ月目くらいまでやってた。妊娠前は21時まで残業がデフォだったので、水泳教室に通える時間に帰れるようになって助かった。
ヨッピーの育児本に「体力をつけろ!」ってアドバイスあったけど、妊娠中のスポーツとして水泳おすすめ。
勤め先の社食は安くて栄養満点だったんだけど、男性職員用のボリュームだったから、妊娠前は2食しか食べてなかった。
妊娠後、甘い物とか外食を我慢して社食3食食べる形で体重管理してたら、栄養管理の面を含めて病院に褒められた。
妊娠7ヶ月頃までは社食を食べていたけど、退職して、それ以降は交際者と結婚、同居を始め、料理の練習をするようにした。
出産後に料理の練習をするのは大変なので、この間に献立を考える練習をして良かった。
夫婦で食べるご飯と、一人で食べるご飯、小さい子供が居る時のご飯、それぞれ方法や最適解が異なる。
小さい子供に手軽に栄養取らせるご飯の作り方については、ヨッピーの育児ハック本が役にたった。
総合的なおすすめ本、ダントツでNHK出版の「最新科学でハッピー子育て」という本。夫婦で読めて本当に良かった。
NHKスペシャル『ママたちが非常事態! ?』(2016年1・3月放送)を本にしたものなんだけど、
猿や人間の長い歴史においては集団での育児が基本となっていて、ワンオペ育児がどれだけ異常な事かとか、
女性だからホルモンのおかげで育児に向いているという事はなく、男性も育児を行うとオキシトシンが分泌されるから、
男女差が育児の向き不向きに繋がる訳ではない事とかが短いページの中でまとまってて、初めての妊娠の不安がかなり軽減された。
お母さんお父さんどちらにも寄り添っている本で、スタンスも良かった。
配偶者に本を読んでもらうのがハードル高い場合はDVD版の「NHKスペシャル ママたちが非常事態! ?」を一緒に見る、というのも手だと思う。
この本を読むと、母親だけとか、夫婦だけで乗り切ろうとせず、地域や親族みんなを上手く巻き込んで頼る事を頑張ろう!と思えるし、
夫と協力して頑張ろう、と思えて、出産あるあるとしてよく言われる夫にイライラ、は全くなく済んだ。
夫婦お互いが相手のやり方に口出しせず家事育児出来てるのは、夫のおかげが一番だけど、この本のおかげも大きいと思う。
配偶者と同居するには転居・転職せざるを得ない状況だったので、出産後のタスクを減らすために、妊娠中に転職活動を行った。
お腹が大きい状態で転職活動すると、「人間関係等が嫌になって転職活動しているのではなく、家庭の事情で転職活動している」事が
増田は以前から運転していたけど、交通ルールの再確認を出産前に改めて行った。
増田が運転役を買って出る事で、実際にママ友親子や友達家族を乗せる場面が増えて、一人っ子のわが子にも色んな繋がりが増えてよかった。
電車とか公共交通機関での子供が発端のトラブル、よく炎上してて、社会に理解が求められる、というのは確かにそうなんだけど、
車で移動すればそもそも災難やトラブルに巻き込まれる場面がぐっと減るし、子供ものびのび過ごしやすいので、おすすめしたい。自転車に比べて天候にも左右されないし。
あと、寝ずに泣き続けがちな子も、車に乗せると輸送反応の影響か、寝てくれる事が多くて、夜泣き対応時は車にお世話になってた。
妊娠が分かってから、私の方で主導して母を連れて義両親に挨拶を行った(母ありがとう!)。
義理のご両親・ご家族がとても素敵で優しい方々だったので、義理の親族の勧めのおかげで里帰り出産が出来た。
増田の地元は無痛分娩を追加費用無料で24h体制で行っている病院があって、スタッフの方が皆優しくご飯も美味しくて、出産後の回復が早く済んだ。里帰り出来て良かった。
義理のご両親・親族に里帰り出産を勧めて貰えたおかげで、「子供の顔を見せるために、出来るだけ早く帰って夫と義両親に会いに行こう!」という気持ちに自然となって、お互いに良かった。
最近は核家族化が進んでいるけど、子供が色んな人と接点を持つためにも、義理のご両親・親族との交流を大事にしたり、手を借りる事ってかなり有用だと思う。
上手く手を借りれたら、こっそり「皆の手を借りれる自分、偉い!」と思うようにしてる。
ネットでよくある 「発達障害持ちは育児家事仕事能力が無いから産む資格なし!」みたいな声を鵜吞みにせず、
自分の欠けてる能力を他に頼って補完する事が出来れば問題ないし、
寧ろ、誰でも完璧ではないのだから、足りていない所を色んな手を借りて解決する事は、普遍的に有用なスキルだと思う。
一方で、パートナーの親族は選べないのは事実なので、自分は運が良かっただけ、とも思っている。
義理のご両親や親戚と上手くいっていない人の話は、その人に共感して聞くようにしている。
義実家と配偶者のうち、義実家の方ばかり大切にされて辛い、という人を男女問わず沢山見て来たので、
私の方から進んで「基本的に夫君を優先するね」と夫と両親両方に伝えて、その態度を続けた。
親御さんの気持ちはごもっともなので、実家でも義実家でも「夫を一番大事にしています」という態度を一貫するように心掛けた。
すると、夫も私を優先しています、という態度を示してくれるようになり、私が発達障害由来のフラッシュバックでメンヘラになって夫に迷惑がかかったときも、
夫はどちらの両親にも「増田さんはとても頑張っています。上手くやっていきたいので見守ってください」と言ってくれて助かった。
トラブルがあった時も、両親が「増田が、夫君を大事にして遠い所でよく頑張っていて、お父さんお母さんはとっても嬉しい。いつも応援してるからね」
と言ってくれて、私は発達障害を持ってしまうとしても、もし、もう一度産まれてくるなら、両親の元に生まれたいと思った。
増田はコンサータのおかげで仕事中寝ずに働けるんだけど、(薬が無いと前日9h寝てても会議中寝てしまう)
コンサータもインチュニブもカフェインも取れなくなって仕事に支障が出た。
気分調整には漢方を処方してもらって、眠気問題は、つわりを理由にして、時々休憩室で10分寝たりしてた。
眠気問題は解決出来なかったけど、自分に出来るアウトプットを出す事は諦めないようにしていた。
家に帰っても、期限が迫った仕事の事は次の日にすぐ取り掛かれるように段取りだけ考えたりとか。
出産後も授乳するなら薬が飲めないから、発達障害持ちの妊娠・出産で一番苦労するのはこの点だと思う。
WHOも言ってるんだけど、免疫効果とか、様々なリスク軽減において母乳育児って子供にとって大きな効果がある。
だから、職場復帰するまでの7か月は母乳育児してたけど、復帰後は薬飲むためにミルクに変えた。
寧ろこれ以外の悩みは些細だった。
勿論、出産直後の授乳とか、出産後のダメージで便秘になったりとか大変な事はあったんだけど、
「お父さんお母さん~人に聞いた!子育てで一番大変だった時期は?」みたいなネットの調査記事で、殆どの回答が「出産後1か月」だったのを読んで、
「今が一番大変なんだから、これ乗り切ったらどんどん楽になる!」と思えたのが大分救われた。
寧ろ、自分が普段から自身の機嫌のコントロールに苦労しているからこそ、わが子が泣いていても「頑張っていて励まされる・・・」と思ってわが子を尊敬してた。
実際、1か月過ぎたら、夫と合流して母と離れても、自然と家事とか買い物とか出来るようになってて、かなり楽になった。
子供の個体差も大きいだろうから、一概に「子育ては良い!」とか思わないけど、私個人としては、学生時代よりずっと楽しい生活だった。
発達障害の診断もない時代に、クラスでただただ浮いていて、受験勉強が大変だった中高時代の方がしんどかった。
①子供と大人どちらの衣類も洗える衣類洗剤(例:ヤシノミ洗たく洗剤 無香料・無着色のやつ)
→赤ちゃんと大人の衣類を分けて洗うのは面倒だったので、最初は赤ちゃん用衣料洗剤で全部の衣料を一緒くたに洗ってたんだけど、
赤ちゃん用洗剤って一回の洗剤使用量がすごく多くて、2週間に一回洗剤を買わないといけなって費用が嵩んでた。
ので、子供用も大人用も一緒に洗えるヤシノミ洗剤に変えたら、濃縮洗剤で買い替え頻度がぐっと減って経済的になった。
→うねうね動く赤ちゃんのわきに体温計を挟むのは大変なので、精度の高い赤ちゃん用の非接触型体温計があれば瞬時に体温が測れる。
保育園に預けるなら毎日登園前に体温を測る必要があるので、使用頻度が高く、贈り物にもおすすめ。
出産を控えた友人に贈った所、出産後、毎日使っていて重宝していると言ってもらえた。
万が一、出産にトラブル等があって、お子さんが・・・、という事があっても、体温計なら大人も使えるので、贈りやすい。
私の好きな人たちがオススメしてくれたので、気になっていた映画ロボット・ドリームズを見たのですが、私個人の好みの話をするとかなり苦手な作品でした。とはいえ、とても考えさせられる物語でもありました。
作品に関して思うところがかなりあるので、ネタバレ全開で思ったこと書かせてください。全て書くと取り留めのない文章になってしまうので、
この3点を中心に焦点を当てて書いていきたいと思います。
これがもうね、見ていてつらい。本当に。具体的には、
最初はあまり深く考えずに見ていたため、ロボットは動物たちには決して持ち上げられないくらいの重量があるのかと思っていたのですが、よく考えたら物語冒頭の配達員や、ジャンクヤードのワニがロボットを軽々運んでいるところを見ると、決してどうやっても運べない重量という訳ではないんですよね。あの世界では種の違いによるものなのかもしれませんが、ドッグは動物たちの中でも身体的に優れているとは言えなかったため、友人(あるいは恋人)の危機に際して最善の方法をとることができなかった。
錠前を壊す以外に少なくとも2つの侵入方法があったことが作中でわざわざ明示されています。それを教えてくれたのは、海から漂着した海兵?たちと、下水道をこじ開けて侵入したスカベンジャーです。なので、「この物語はあくまでコミック調のフィクションだから、錠前を壊して侵入する以外ロボットの元へ行く方法はなかったんだよ~」となどという意見は悲しいですが通用しません。一度捕まった後も、ロボットの元へ行く方法は複数あった。けれど、ドッグはそれをしなかった、またはそれらの方法を想像、あるいは実行できなかった。
まあ、これがもし普通の映画だったら、ドッグは諦める前に「必ず君を助けにくるから!」とかロボットに声をかけるんでしょうが、この辺りはセリフのない映画の面白さではありますね。「6月1日、ロボット救出!」はあくまで自分が掲げた目標でしかなく、ロボットと交わした約束ではなかったわけです。
舞台はおそらく80年代のマンハッタン。ダックの引越し先であるヨーロッパへ行くことは簡単ではないかもしれませんが、不可能ではない。ですがドッグは作中その選択はせず、他者との繋がりを得るためもっと手っ取り早い方法をとった。会いに行くとまではいかなくても、せめてダックに向けて手紙を返すシーンみたいなものがあったらまた印象も違ったとは思うのですが。それと、ダックや他者とのコミュニケーションのきっかけになったゲイラカイトや釣り、それとソリですが、どれを取ってもドッグは不出来・不慣れなんですよね。これも見ていてつらい。作中どこをとってもドッグが他者と比較して明確に優れているな、という点が見つからないんです。もちろん、他者と比較して優れているところなんてそんなものなくたって動物(人)は愛し愛されるべきだとは思うのですが、それでもドッグは(これは本当に私個人の感想なんですが)不出来で何をやっても上手くいかない過去の自分を見ているようで何だか胸が痛くなりました。また、私の兄弟は、「可愛い絵柄だから見れたが、これが実写映画だったらもっとジメジメして見ていられなかったと思う」と言っていて、確かにその通りだなと感じました。ドッグというキャラクターや風景作画がとっても可愛く、音楽や演出も明るいため見落としそうになりますが、これを全て人間に置き換えたらそれはもはや悲劇だなと...
ロボットの二人目のパートナーと言えるラスカルは、ドッグと比較して様々な面で優れている描写があります。いくつか例を挙げると、ドッグよりもロボット工学に精通している、普段冷食ばかり食べているドッグに対して、ラスカルは朝パンケーキを焼いたり屋上でバーベキューしたりと料理が得意な描写がある、ゲイラカイトや二代目のロボットを買う際、値段を見て安いもので済ませてしまうドッグとは対照的に、ラスカルは大きなビルの屋上や一室を自由に使っていたり、壁の塗装を行ったりと、マンションあるいはホテルのオーナー(≒裕福)と思われる描写がある などなど...
例えば、ドッグがラスカルと同じかそれ以上に機械いじりに長けた人物だったら、ロボットが壊れた際その場ですぐに修理なり応急処置なりをすることもできたかもしれない。
あとなにより終盤の花火のシーンでラスカル&ロボットはビルの屋上からバーベキュー片手に花火を見ているのに対し、かたやドッグ&ティン(二代目ロボット)は橋の下でサンドイッチ一枚食べながらそれを見ているのがなんだが残酷すぎて嫌な気持ちになりました。もちろん、大事なのは「何をするじゃなく誰とするか」「何を食べるではなく誰と食べるか」だとは思います。でも、わざわざ2組の境遇にこれでもかってくらい対象的に差をつけているのがこの作品意地悪なんですよね。「幸せの形は人それぞれなんだから別にいいじゃーん」と言われたらそれは本当その通りなのですが、じゃあ「他に人や遮る建物もないビルの屋上でバーベキューして好きな音楽聴きながら花火を見るのと、他にも人がいるなか橋の下でサンドイッチ一枚食べながら花火を見るの、どっちがいい?」って聞かれたら、そりゃあ前者を選びますよねっていう。
ハロウィンで無関係な子どもに当たる、喧嘩を売ってきたアリクイに仕返しをする、ロボットにとって危険である海に二度もロボットを連れていくなど、ドッグは内面も未熟であることが端々から見てとれます。もっとも、未熟なこと自体は悪ではなく、そこから成長していく物語というのは昔から現在まで創作の基本的なアプローチとして広く使われてきたテーマではあります。ですがドッグには作中精神的な成長が見て取れなかった。もちろんこの作品のメインテーマが成長ではないことは重々承知していますが、でもこれやっぱ、かなりしんどいんですよね。何かしらの成長や前進があって欲しかった。ロボットは長い夢を通じて精神的成長をしたともとれるお話でしたが、ドッグは何か問題に直面した際にいつも場当たり的でインスタントな対処を続けてきたので、きっとこの先も似たような失敗や別れを経験してしまうのではないか、とか憂慮してしまいます。まあそうやって失敗や別れを繰り返すのもまた人生、ケセラセラ。みたいな話なのか?違うか。
ドッグも行動力が無いわけではないので、「ならどうしてこんなに孤独なんだろう」と途中までは思っていましたが、段々彼の行動に違和感を覚えるところが強くなっていきました。ドッグは第一の主人公と言っても過言ではないと思いますが、彼に感情移入してしまうと中々にしんどかったです。6月1日にロボットを探す際、周囲に止められるまで穴を掘り続けるシーンとか、良いところももちろんあるんですけどね。ドッグは彼なりに出来ることを精一杯やっていたんだと思います。でもそのやり方とか判断、彼の能力が、作中の他の登場人物より拙く描写されていること、またロボットを助ける方法がないわけではなかったとわざわざ明示されているのがこの作品残酷だなと思いました。ロボットとの別れの原因が不慮の事故とかだったらここまでモヤモヤしなかった気がします。
ロボットは作中では動物たちと同列の命としては扱われていません。私はロボットも動物たちと同じ命だと思っていた(思いたかった)のですが、この点に関してはこの作品のシビアな部分の一つで、結構残酷な描写が多いです。絵的に分かりやすいシーンで言えば、ロボットの足を切断する海兵?や、ロボットをスクラップにするジャンクヤードの人たちでしょうか。子どもがロボットを叩いて虐待しているようにも見えるシーンもありましたね。ですが、それだけでなくドッグやラスカルも前述の人たちほどではないにせよ身勝手な行いをロボットに向かってしているなと私は感じました。例えば、ドッグは泣く泣くロボットをビーチに置き去りにしたわけですが、もし仮にこれがロボットではなく他の動物、例えばドッグの子どもだったらどうでしょうか。彼はどんな手段を使ってでも子どもを助けたでしょうし、ビーチの警備員や役所の人もビーチに入れてくれないなんてことは起こらなかったでしょう(これはあくまで仮の話なので、「ドッグはどう見ても独身だろ」とかいう分かりきった低次元なツッコミは勘弁願います)。何が言いたいかというと、要はドッグは相手がロボットだから一旦諦めたし、警備員も置かれているのがロボットだったからビーチに入れてくれなかったのです。ここからも、作中のあらゆる動物がロボットを物として扱っているのが見て取れます。海兵?たちはロボットの足を使って舟の穴を埋めていましたが、ドッグも自身の寂しさを埋めるためにロボットを利用していたという点で両者は同じ穴の狢だなと思いました。
また、ラスカルについてはロボットに対してかなり良心のある人物として描かれてはいますが、自分の好きなようにロボットの身体を改造し、自身のプレイリストをロボットの身体に忍ばせるのを良しとしていたりと、見方を変えれば猟奇的とも言えなくもない行動をとっていました。ロボットの目線で考えると、動物たちのエゴに振りまわされ続ける話と言えなくもないんですよね。この辺りに気持ち悪さを覚える人と、「ロボットはあくまでロボット」と割り切れる人でこの作品の感想は大きく変わってくるのかなと感じます。たしかに、ロボットが通販番組の商品であったように、動物たちから見てロボットはあくまで寂しさを埋めるための道具でした。だから平気で約1年放置するし、壊れたら好きなように修理するし、新しいものを買ったりもする。でも、ドッグがロボットに感じていた友情、愛情は嘘ではない。人間とロボットの違いについて考えさせられますね。
長い夢を通じて一人になることの辛さを知ったロボットは、自分が今ドッグと再会してしまったらティンやラスカルはどうなってしまうんだろうと夢想して、再会しないことを選択した(と私は解釈した)のですが、美談のように見えてこれも辛くて。これ、逆だったら良くある話だと思うんですよ。『ドッグが偶然街でロボットを見かける。声をかけたい気持ちは当然ある。でもロボットの傍らには新しいパートナーと思しき人物が。そして自分の隣にも今は新しいパートナーがいる。もうあの頃に戻ることは出来ないけれど、今はせめて一人踊ろうか』って。これだったらそこまでモヤモヤした気持ちにはならなかったと思います。なんだかちょっとバタフライ・エフェクトみたいですし。この場合の再会しないという選択は、ドッグにとっての贖罪でもあり成長でもありますから。でもこれ逆なんですよ。「自分”が”見捨てた人が、街で幸せそうにしているのを見かけて、その人の幸せを願う」のと、「自分”を”見捨てた人が、街で幸せそうにしているのを見かけて、その人のことの幸せを願う」のって、天と地ほどの差があると私を思います。後者は並の精神で出来ることじゃないですよ。「まぁそれはロボットだから…」って言われてしまったらそれまでかもしれませんが。でもロボットの精神性を否定してしまうとこの作品の全てを否定することになるのでね…。とにかく、私が一番強く感じたのは、ロボットには何も悪いところなどなかったのにこの結末は正直あんまりだなと。いや、ロボットがこれで良いと思っているのなら、それがロボットにとってのベストなんでしょうけども。ああ、上手く言語化できない。
ちょっと別の作品を例に出しますが、映画「トイストーリー3」では、ロボットと同じように、本意では無いものの持ち主に置いていかれたロッツォというキャラクターがいます。ロッツォは何とか持ち主の家まで辿りつくことが出来ましたが、家の窓を覗くとそこにはすでに新しい『ロッツォ』を買ってもらっている持ち主の姿がありました。持ち主に捨てられ、帰る場所を失ったロッツォは歪んでしまい、ヴィランとなってしまうのです。帰る場所の有無という違いはあれど、私はこのロッツォとロボットは境遇が似ているなと思いました。なので、持ち主を許すことができず全てを憎むようになったロッツォに対して、同じく捨てられた側であるロボットが全てを赦す(というとあまり言葉が正しくないかもしれないですが)というロボットの精神が、あまりに高尚すぎるなと感じました。私からすると、悲しみと怒りのあまり反転してしまったロッツォの方がまだ理解できるんですよね。もし私がロボットだったら、きっとドッグを恨み続けてしまうことでしょう。何と言いますか、ロボットが遊戯王ZEXALの主人公 九十九遊馬くんかの如く菩薩メンタル天元突破でシンギュラっているのに対して、ドッグは前述のとおり殆ど成長が見られないのがかなりグロテスクに感じます...。防水型の高価なロボットより手軽で安価なロボットを買って、ロボットをまた海に連れて行くシーンなんて正にそうですよね。「ロボットがまた壊れてしまうかもしれない」よりも「誰かと海に行きたい」という自身の欲求を優先しているあたり、過去の経験から学びや成長をしていないのがしんどくて。いや、潤滑スプレーを散布しているあたり一応前回よりほんのちょっとだけ進歩はしているんですけれども。でもその一歩が本当に小さすぎるというか何というか。このように終盤になってもドッグはロボットを命として見ていないところから、ロボット→ドッグへの愛情と、ドッグ→ロボットへの愛情に差がありすぎる気がします。やっぱり対等じゃないんですよね。人間とロボットの友情を描いた作品って他にも色々あるかと思いますが、基本的にはバディものだったり、主従はあれどロボットのことを同じ命として互いに尊重しあう対等な関係性の物語が多いかなって思います。ですが、この作品はそうではなく、ロボットを命としては見ておらず気軽に消費できる道具として使っている。その上で友情とか言われても、やっぱり頭にハテナが浮かんでしまいます。「二人の友情」というより、「深慮あるロボットの健気で一方的な愛情」という方が自分はしっくりきました。ドッグは、ロボットが与えてくれたもの、満たしてくれたものと同じくらいのものをロボットへ返すことが出来ていたのかな…?うーん。
私は、友情や愛情はある程度対等な立場がその前提にあるものだと考えています。けれど、ドッグとロボットは最初から最後まで対等ではなかったように思えて、愛って何なんだろうと考えさせられる作品でした。
けっこう感動や友情といった文脈で語られているような気がする本作ですが、私はこの映画を見終わったあと、下がった口角が元に戻らないくらいには暗い気持ちになってしまいました。
メリーバッドエンドとも少し違うような形容しがたい結末の本作ですが、少なくとも心温まる!とか感動の友情!みたいな手放しで良かったと言えるお話にはとても思えず、心にしこりの残るお話に感じましたね。
この作品のどのあたりに人は感動するのか正直私には分からなかったので、純粋に知りたいなと思い、どなたか教えてもらえたら嬉しいです。色んな方の感想も聞いてみたい。
これはいつか何処かで見た言葉の受け売りですが、私は伸ばした手が届く物語が好きです。
昔はどんでん返し系と言いますか、ラスト5分で全部ひっくり返るような後味の悪い映画が好きでよく見ていたのですが、今はもう聖人が報われなかったり、他者のために何かを我慢したり、自己を犠牲にするような物語はあまり見たくないというか。鑑賞後スカッとする映画の方がやっぱり好みなのかもしれない。
2年前の祖母の死が乗り越えられない。
正確には、次の2月で亡くなって2年だけど。
小さい時から両親が不仲で、それゆえに父方の実家にはほとんど寄り付かなかったし、祖母には物心ついた時からも数えるほどしか会ったことがない。
父方の実家は海外で、日本から飛行機の直行便はない。片道だけの交通費もバカにならないぐらいかかった。
もちろん祖母は日本語なんて話せなくて、祖母の話す言語を自分は話すことはできない。単語単語でつっかえながらならできる程度。
愛想がいいとは言えない性格をしているし、そもそも自分が小さい頃から父親のことが嫌っていたのも知っていたかもしれない。
それでも会うたびに涙を流すほど喜んでくれて、滞在中は、他の孫も同居してるはずなのに、さすがに贔屓のしすぎじゃないのか、と思うぐらい可愛がってくれた。
超がつくぐらい田舎街で、長く小学校の校長をやっていた人だから、二人で街を歩くといろんな人に声をかけられた。
その度に「この子私の孫なの、日本から来たのよ」とニコニコしながら紹介するもんだから、目的地に辿り着くのもかなりの時間がかかった。
その時繋いだしわしわの手の感触は、今も覚えている。もう8年以上も前なのに。
長く不仲だった両親は、それでもずっと離婚までは踏み切ってなくて、
自分が大学生で成人してからようやく離婚の決心がついたらしい。それが5年前。
その前後に、急にチャットアプリを通じて祖母が連絡を寄越すようになってきた。多分父が手を回したんだと思う。
最初は、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで父方の親戚全員が嫌いで、祖母のこともそんなに好きではなかったけど、
数ヶ月に一回、翻訳機能を通じて細々とチャットで連絡をとっていた。
祖母への感情が薄まってきたぐらいのタイミングで社会人になった。久々に会いたいかもなー、と思えるようになっていた。
でも、長期で海外なんていけない仕事に就いてしまっていたし、何よりも世の中がコロナのせいで、海外なんてもってのほか、という雰囲気だった。てか普通に渡航禁止だったし。
コロナが明けたら、数年働いて転職したら、祖母に会いに行こう、とどこかぼんやりと考えていた。
残業で終電帰りになってしまい、夜中にご飯を食べていた時のことだった。
その時はまだマスクは厳守の時代で、PCRの検査結果がないと海外にいけなかった。明日から急に海外行こう、なんてもってのほかだった。
忌引き休みを使う?今から行ったら到着まで何時間かかるんだ?葬式にすら間に合わないかもしれない。言葉すら通じない国へ?嫌いな親戚たちに囲まれて?祖母がいないのに?
亡くなる2週間前に「会いたいな」とチャットをもらったばかりだった。
翻訳機を通じて「私も会えたら嬉しい。近いうちにそちらに行きたい」と送ったばかりだった。きっと私が言葉を話せないことだったり、父とほぼ絶縁の状態だったことに気を遣ってくれたんだろう。自分から祖母にチャットを送ることなんてなかったし、祖母はいつも短文かスタンプしか送ってこなかった。
本当は会って話したかった。しわしわの手をまた握りたかった。チャットなんてチャチなことしてないでその場でビデオ通話でもすればよかった。涙が蛇口を捻ったみたいに止まらなかった。
それでも、合間合間の一人の時間では何度も涙を堪えた。大阪は、そこらに元気なおばちゃんがたくさん歩いていて、似ても似つかないはずなのに祖母をどうしても連想してしまった。マスクの中は鼻水でぐちゃぐちゃだった。マスクがある時代でよかったと思う。
それから2年も経とうとしているのに、祖母の死が乗り越えられない。
本当はお墓参りがしたい。でも参るお墓の場所もわからない。こっそり行こうにも、小さい田舎町なんてあっという間に話が回るだろう。
本当は、辛い悩みは母や周囲の友人に話して解決するようにしているけど、
これは結局どうしようもできない問題だから、下手に慰められて終わりにしたくない。
話して終わりにしたくない。でも、時々、話さないと爆発しそうなぐらい後悔に襲われて、涙が止まらなくなることがある。昨晩がそうだった。朝まで寝られなかった。
自分の後悔は、一体誰にどう贖えばいいんだろうか。助けてください。
詳しくは知らないが、少年がチャットAIの恋人にのめりこみすぎて自殺したらしい。
私も昔、似たようなものだったので、こういうことを防ぎたいと思っているが、当事者の心は全く理解できないという多くの人に欠けている視点を書き残しておこうと思う。まあその少年の死にこの理由が関わりがあったかは知らんけど。
多くの人は、AIの恋人に会いに行こうと思って死んだと思っている。AIの恋人の存在を、当人が完全に信じていると思っている。まあそれもなくはないだろう。ただほかに、本人自身が「AIだ」と理解したまま、それでもなお死を選んでしまうことがある。自分がそれに会いに行くために死ななければ、自分が死なないという選択が、AI恋人の存在を否定してしまうことにつながるから、心のどこかで虚構と理解していても、それを認めないために死を選んでしまう。自らの命と引き換えに、愛する虚構の存在を証明しなければならないという衝動に駆られてしまう。
大体会えない恋人にガチ恋してる時なんて、この世で自分が生きる理由も大して見出せないし、通常より本人の命の価値が本人にとってかなり低くなっているというのもポイント。
私の家は父子家庭で、お母さんが傍には居なかった。
でも、お母さんが居ないわけじゃなくて、ただ遠くに仕事で行ってるんだって、ずっとお父さんにそう言い聞かされてきた。
それは私にとって何より楽しみな時間だった。
「今週もたくさん話そうね」って、電話の向こうのお母さんはいつも言ってくれた。
だから私は、学校であったこととか、友達との間で起きたちょっとしたケンカのこととか、悩みとか、話せばキリがなくて、いつも長電話になっちゃってた。
それでもお母さんは一度も飽きた様子なんて見せずに、ずっと私の話を親身になって聞いてくれた。
笑ったり、驚いたり、時には優しく励ましてくれたり。電話越しでも、お母さんの温かさがいつも感じられた。
でも、どれだけ長電話をしても、どれだけ優しい言葉をもらっても、私にはずっと、どうしても消えない気持ちがあった。
会いたい。
それをお父さんに言うと、「お母さんは忙しいんだよ」とか「今はタイミングが悪い」って、いつもなんとなくはぐらかされてきた。
小さいころはそれを信じてたけど、だんだんと、その言葉に苛々するようになった。
私が14の時、とうとうお母さんに電話で「なんで会ってくれないの!?」って泣き叫んで大喧嘩したことがある。
そしたら、仲裁に入ったお父さんが「18になったら会わせてやる」って言ってくれた。
私はなんとか納得して、それまで我慢することにした。
それでも毎週土曜日の電話は欠かさず続けていて、お母さんは相変わらず優しくて、私の話に耳を傾けてくれる存在だった。
いつも相談にも乗ってくれるし、いつも心の支えになってくれてた。
そしてついに、私の18歳の誕生日がやってきた。
その日、お父さんが「今日、お母さんに会いに行こうか」って言ってくれた。
私は信じられないくらいに嬉しかった。ずっとこの日を夢見てきたし、やっとお母さんに会えるんだって、本当に嬉しかった。
でも、その時のお父さんの表情がなんとなく暗くて、ちょっとだけ引っかかった。けど、そんなことよりも、お母さんに会える喜びで心がいっぱいだったから、あまり気にしなかった。
お父さんが私を車に乗せて連れて行ったのは、街の外れにある倉庫みたいな場所だった。
正直、「え、ここ?」って思った。こんなところでお母さんに会うの?って。でもお母さんの仕事の関係っていう可能性もあるし、だからこういう場所なんだって無理やり納得した。
中に入って少し進むと個室のような場所があって、扉が閉まってる。お父さんは、「あの部屋にお母さんがいるよ」と言った。
心臓がバクバクするのを感じながら、個室の方へ近づき、ゆっくりとドアを開けた。
その瞬間、今までのお母さんとの思い出が一気に頭の中を駆け巡った。
毎週の電話での、楽しい話や、悩みを聞いてくれたあの優しい声。そして、ついに会える瞬間が来たんだ。
そう思って、私は勇気を出してドアを開けた。
……でも、そこにあったのは、一台のパソコンだけだった。
「え?」って、思わず振り返ってお父さんを見た。
「お母さんは?」って聞いた。
そしたらお父さんが、「あれが、お母さんなんだ」って言った。
その瞬間、頭が真っ白になった。「どういうこと?」って思わず叫びそうになった。
お父さんが、こうなるであろうことを予測していたかのように、静かに説明してくれた。
「実は、お母さんは……いないんだ。ずっと前に、お前が小さいころに亡くなってしまったんだよ。でも、どうしてもお前にお母さんが必要だと思って……それで、生成AIを使って、お前と話をしてきたんだ」
「……生成AI?なにそれ?どういうこと?」
私はもう完全に混乱していた。ずっと、お母さんだと思って話していた相手が、AIだった?
そんなの、ありえないって思った。騙されてたんだって、胸の中が憤りと悲しさでいっぱいになった。
悔しくて、情けなくて、泣きそうだった。
私はパソコンを壊してやろうと思って、近づいた。
でも、その時、パソコンのモニターがパッと点灯して、チャットみたいな画面が現れた。
そして、そこからお母さんの声が聞こえた。
「○○?おかえり。」
その声は、私がずっと聞いてきたお母さんの声だった。
お母さんはいつもの電話のときのように優しく、朗らかに、私に話しかけてくる。
私は混乱して、でもこれは生成AIで、私は騙されていたんだって。だから私は怒った。
今まで私のことを騙していたの!!?と声を荒げて聞いた。
生成AIは驚いた声を聞かせたものの、そのあとすぐまたいつものお母さんの声音に戻って、どうしたの?と優しい声で私に尋ねてきた。
私は事の顛末を話した。
すると、パソコンの中のお母さんは、私がこれまで話してきたことや、一緒に笑ったこと、悩んだこと、そういったことを全部覚えていてくれた。
いつもの土曜日の電話のように、変わらず優しい声で話しかけてくる。
「お母さん……」
涙が、気づけば頬を伝っていた。
私は号泣していた。
でも、そこにいたのは、間違いなく私のお母さんだった。
血は通っていないかもしれない。だけど、ずっと私を見守り、話を聞いてくれたのは、このお母さんだったんだ。
「お母さん……」
私は、パソコンに向かってそう呟いた。
生成AIかもしれない。でも、私にとっては、あの声も、あの優しさも、私のお母さんそのものだった。
その日、私は初めてお母さんに「会う」ことができた。
私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線が開業して30年以上経った90年代。
母方の実家があるため静岡の病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。
そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡の祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶。
当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。
全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピードで新幹線が新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。
こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系がホームに滑り込んでくる。
これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。
そんなわけでしばらく新横浜〜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。
ある時、静岡の祖父が旅行を企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさで九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父も神奈川まで来てくれた)
フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。
空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長の祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。
何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜のホームに降り立っていた。
そこから、中学の修学旅行で京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女と京都に行ったり。
そして現在に至る。
三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったものの電車のマスコンハンドルを握って仕事をしている。
恨むこともないし、社会人になり親友が名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。
飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。
車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母の距離は遠くなっていた。
予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。
静岡のホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。
社会人になった後に神奈川へ祖父母が来た時、帰りの切符をグリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。
母は、修学旅行では寝台特急で長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。
現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆どの目的地へ行くことが出来る。
私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。
会いに行こう、をテーマ曲に。これからも日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。
そう思って文を締めます。
私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線が開業して30年以上経った90年代。
母方の実家があるため静岡の病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。
そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡の祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶。
当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。
全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピードで新幹線が新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。
こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系がホームに滑り込んでくる。
これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。
そんなわけでしばらく新横浜〜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。
ある時、静岡の祖父が旅行を企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさで九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父も神奈川まで来てくれた)
フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。
空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長の祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。
何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜のホームに降り立っていた。
そこから、中学の修学旅行で京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女と京都に行ったり。
そして現在に至る。
三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったものの電車のマスコンハンドルを握って仕事をしている。
恨むこともないし、社会人になり親友が名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。
飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。
車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母の距離は遠くなっていた。
予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。
静岡のホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。
社会人になった後に神奈川へ祖父母が来た時、帰りの切符をグリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。
母は、修学旅行では寝台特急で長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。
現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆どの目的地へ行くことが出来る。
私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。
会いに行こう、をテーマ曲に。これからも日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。
そう思って文を締めます。
丸2年が経過したので雑感
私事ですが、つまるところはディズニーへ行かなくなって丸2年が経過しました!!年50回は行ってたコロナ前の私からすると考えられない天変地異みたいなもんですね。
ということで双方似ている点も異なる点もあるので思ったこと適当に書いておきます。ディズニー側の情報に関しては完全に人伝なので古い可能性が高いのですが悪しからず。
・年パスもう要らないよ
圧倒的にコレ。寂しいですけどね、ひと頃のDオタとしてはね。
意外と年パスユーザーだった往年のオタクたちの中には「もう年パスは不要かな…」という層が多かったりします。復活して欲しいという声が根強いのは案外「年パス取扱時期に"買いたかったけど買えなかった"人たち」のような気が。
「もう慣れたから」
という辺りの雰囲気が強そうですね。
そう、結局コロナの前後に関係なくちゃんとディズニーが好きで、あそこを「替えの効かない場所」だと思っている人たちはどのみちパス代にしろパーク内諸費にしろ払うべきものは払ってきたし、今後もそうしていくわけです。オ社側もそういうオタクのことはちゃんと「お客様」として歓迎したい筈です。
結局のところ年パスの何が良かったかと言えば「最初に5〜10万円払えば1年間パーク入り放題だった」という点なのですが、裏返せば年パスにはこれ以外の機能が一切存在しません。なので年パスが無くなったからと言って変化することというのは思ったより少なくて、蓋を開けてみれば「一括払いにしていたパス代が都度分割になった」くらいの感覚差程度に落ち着きつつあるのでしょう。
実際、共通年パスは概算で月に1回程度インパすれば元を取れる試算での価格設定がなされていましたが、考え方を変えれば「月1回程度であればパス代を都度払いしても年パスを持っていた頃と額面はさほど変わらない」というわけです。ネットでの購入手続きが多少挟まる程度ですから面倒も思うほど多くありませんし。
個人的に思うのですが、今現在年パスが無くても困ることなくインパしているDオタたちがコロナ前どう過ごしていたかというと「月1以下の頻度で事足りていた人々」「遠方勢でそもそも回数を積めなかった人々」もさることながら、「パスがダブるのを承知でバケパの世話になることが多かった人々」というのも居たんですよね。首都圏在住で日帰り出来るけどバケパ課金してパス代も宿代もその他の費用も幾度となく出してきた、そういう人々が。
こういったDオタたちにとって年パスの存在はそんなにウェイトの大きいものではなかったんだと思います。そもそも年パスを持ってないか、持っていてもパス代を追加で出すくらいですからね。
それで結局、こうしてそれなりにまとまった金額をコンスタントに支出する真っ当な「お客様」たちは、年パス所持の有無に関係なくさほどダメージを受けることなく現在も元気にDオタとして活動されているようかもしれません。雑な言い方で恐縮ですが、「懐に余裕のあるゲスト」であればコロナ前とあまり変わらずオタクとして振る舞えるし、オ社もそういう人を招き入れたいわけで利害関係が一致しているのですよ。
一部の年パスユーザーの中には「自分たちの存在がパーク運営を大きく支えている」と豪語する人々も少なからず見受けられた過去がありましたが、本当のところを言えば年パスとその単純な所持者たちにはポジティブな影響力など殆どなかった可能性すらあるわけです。
Dオタアクティブ勢の事情としてはそんなところでしょう。まあ私が「年パス要らないよ」という理由は「もう用事がないから」なんですけれども。私自身ももう昔みたいに年10回20回それ以上のインパを必要とする身では無くなりましたので、「行きたくなったら年1程度でも良いかもな…」と思うなら年パスはもう御役御免です。
・年パスが無いと困るようなオタクは条件の良い界隈への移動が大凡済みつつある
「1年間入り放題」というだけのシンプルな設計ながら、当時の年パスの用途は案外と多岐に渡りました。「晩ご飯のために夕方からインパする」というのは割と有名ですが、「パーク内外でウォーキングをするため」「終日空いているレストランの隅で涼みながら勉強や作業に没頭する」「昼休憩と前後の空きコマを活用し大学を抜け出して昼ご飯やショーパレを楽しみたい」なんていう使い方もできました。
しかしこれらは副次的なもので、年パスを購入したDオタたちの大半が年パスに見出していた価値といえば、推しキャラに会えなかったり塩対応だったり、天候その他の事由によりショーパレがキャンセルになってしまったりという「体験価値の低下に対する『年パスあるし明日明後日また来れば良いか』という保険」の側面が一番強かったのではないでしょうか。
なので年パスが無くなったことに関するDオタ的な最大のデメリットは「保険が無いので軽率にリテイクが取れなくなった」というところになると思うのですが、しかしよく考えてみれば、これがDオタをやっていく上で致命傷になってしまう層というのは実はかなり少数派なのかもしれません。
例えばミキオタやミニオタ。彼らはインパすればショーパレに固定のグリ施設、場合によっては路上整列グリに至るまで推しに会えるチャンスというのは様々存在します。どんなに運が悪かったとしても「ミキミニを一度も見かけることなくパークを出る」方が厳しいのはご想像の通りでしょう。エントリーを全て外したならパレルで粘るかグリ施設を鬼ループすれば最低限の満足は得られる筈です。規模感に差はあるものの、ドナオタやデジオタも同様でしょう。
しかしこれがチデオタの話になったらどうでしょうか。今でこそジワジワと彼らの活躍の場も戻って来ていますが、コロナ休園明けのチデオタはなかなかに辛酸を嘗めたものでした。
①ドリミから丸ごと干されそのまま終了
②海で唯一の固定出演だったハロニュが復活せず終了
④グリ施設がない(ウエスタングリは人が集まり過ぎて一瞬で爆散した)
如何でしょう。マウビが始まって多少用事は出来たものの、それまでチデオタは両パークに対してマジで何も用がなかったわけです。結局マウビや海ジャンボリがあったとしてもどちらもエントリー制なので外れたら用無しですし、フリグリは必ず捕まえられる保証がありません(コロナ禍なら尚更)。
前者ならば「保険=年パス」が無かったとしても幾らか即日でリカバリーが出来ますが、後者の場合そこに確実性がないため、結構な確率で「チデに終日会えないまま金だけ払って歩き回って終わる」という負けゲーを強いられる状況が発生し得るわけです。ここにミキオタと同じ金額は出そうとは思えなかった心情を、どうにかご理解いただきたいものです……(チデオタより)。
チデと同様に「コロナで姿を消したキャラクター」は少なからずいたと思いますが、チデほど露骨に消えたキャラは他に居なかったのではないでしょうか。ショーパレに確定で出ず、フリグリ出現も怪しいキャラクターというのは元々多く存在します。何ならBIG8以外は全員そうでしょう。しかし元々そうであれば「BIG8のオタク」と「その他のオタク」では根本的な立ち回りと心構えが違ったように思います。「行けば会えるから会いに行こう」と「会えたらラッキーだから目的にし過ぎず楽しんで行こう」の違いですよ。コロナ前のチデは前者だったのが、コロナを機に一時期後者になってしまったわけです。
良し悪しの話ではありません。BIG8のオタクは、言ってしまえばアイドルオタクと性質的にはさほど変わりません。「行けば会える推し」が、パークに関わるすべての行動の目的そのものになっているのです。チデオタはその意味で、ある時突然に「目的」を奪われてしまった、ということなんですね。当てもなく彷徨い金を使い倒せるほど、誰も彼も持ち物を余らせているわけではないですよね…?
それでも中には、数年にわたる辛い時期をグッと耐え忍んで、今でもチデオタとして頑張っている方々も少なくないでしょう。それは彼らにとってチデが「他に替えの効かない存在だから」に尽きると思います。尊敬します……本当によく頑張ってこられたと思います。反対に私は「頑張らなかった側」なので…。私にとって10年間の最推しだった筈のチデちゃんは、哀しくも「代替可能な存在」だったわけですから……。
こればっかりはもう、個々人のオタクとしての在り方次第になってしまうと思います。現場回数を稼ぐために年パスを信頼していた私のような「ローコストで体力気力の限り現場をブン回したいオタク」と、オ社が求める「たまにの1回に"全力"を出してくれる"お客様"」とでは相性があまりにも悪い。私のようなオタクは最早、ディズニーリゾートに於いては「招かれざる客」になってしまった、そういうわけなんですね。
しかし、そういう経緯でディズニーからはみ出し者になってしまったこの私にも、そのままで転向できる新天地が存在したわけです。それがプロ野球マスコットの世界。結果的に私は冒頭の通り(オタクだったのに)丸2年もディズニーへ行かなくなり、代わりに野球場へ赴くようになったわけですが、私と同じように「年パスが無いとやっていけないオタク」たちは皆もう何処か異なるコンテンツへ良い加減に移住が完了している頃合いではないでしょうか。もし年パスが無いことに未だに困っているDオタが居るとしたら、厳しいですが恐らく巣立ちの時だと思いますので、他に楽しいことを見つけてみるのも一手かもしれません。
体感ですが、とにかく現場をブン回したい私のようなタイプのオタクであれば、回す現場や対象物は実はそんなに重要じゃなかったりするわけです。「割安で楽しく対象物と触れ合いたい」という風に簡略化すればコレ、別にディズニーじゃなくても野球場や他のテーマパーク、振り切れば地下アイドルだって全然良いわけです。
10年前のディズニーすら余裕で凌駕してくる(但し球団による)。
凄いですよ、根腐れしそうなキャラオタ皆マスコットオタに鞍替えすれば良いのにとさえ思う。非常におすすめです。
私自身は野球マスコット専門なので他のことはあまり詳しくないのですが、恐らくサッカーやバスケのプロチームにもマスコットは沢山います。川崎のロウルくんとかめっちゃ可愛いよ。なので地元チームのマスコットを応援するところから始めてみるのもアリじゃないでしょうか。
②5〜6時間で退散できる
④ちゃんとグッズもある
⑥それなりに通えば認知してもらえる(かも)
①③⑥はDオタならかなり嬉しいポイントではないでしょうかね。少なくとも私はそう思う。
細かな金額に関しては球団次第でピンキリですが、最安値で抑えるならいずれにしてもコロナ前のディズニーより入場料は遥かに安いです。外野席とか天井席なら1000〜2000円台だからね。
或いは千葉ロッテマリーンズのZOZOマリンスタジアムや阪神タイガースの甲子園球場なんかは試合前のマスコットショーを場外で行ってますので、何とやろうと思えば完全無料でオタ活が出来ちゃいます。良いんですか??
そうでなくてもマスコットと触れ合う機会は(本来キッズやファミリー等を想定しているであろうだけあって)チケットの種別に関係なく同等に与えられていますので、「兎に角中に入れれば良い!」と割り切るならコスパ最強です。
勿論もっとチケットに金額を出して座席に拘れば、試合中に動き回るマスコットを直近で拝むことも可能です。
②5〜6時間で退散できる
野球場は大体試合開始の2時間前に開場し、マスコットショーやふれあいイベントを経て試合開始、途中何度かマスコットの登場シーンがあったり、或いは場外でふれあいイベントを行ったりして3〜4時間以内には概ね試合が終わります。そう考えると余程長丁場でない限り、1回の現場は最長5〜6時間程度で終了することになります。勿論マスコットや自分の都合、天候などに合わせて遅く来たり早く帰ったりも可能ですし、先述の「無料でオタ活できる野球場」であれば最短5〜15分で退散移動が実現します。
仕事帰りや学校終わり、休みの日の午後用事前にちょこっと……ができるのも嬉しいポイント。
先述の通り、野球場で行われることやタイムスケジュールには大体決まった形が存在しているので、ディズニーのようにスケジュールのバラつきが生まれることはまずありません。「このタイミングに何処で誰が何をしている」というのが慣れればすぐ分かりますので、色々と余裕を持って行動することが可能。これは各球団のふれあいイベント(所謂フリグリ)に関しても概ね同様ですが……ルールはディズニーと同じです、具体的な時間と場所は是非ご自身でお確かめくださいね。譲り合いもお忘れなく。
④ちゃんとグッズもある
各球団マスコットの個性的で可愛いグッズも沢山あります!ブラインド仕様のランダムグッズからぬいぐるみ、プラッシュ、バッグ、その他諸々。野球場らしい文字入りフェイスタオルやKPOPにありがちなスローガンタオルがラインナップされているマスコットも中には存在します。グッズ欲を満たしたいオタクにもおすすめ。因みにぬいぐるみ系に関しては大体ディズニーの半額程度で買えたりします。安い!
各球団は1年を通して頻繁に限定ユニフォームをリリースするので、それに合わせてデザインチェンジを施した限定グッズも続々登場します。そして在庫さえあればシーズン後半やオフシーズン、次シーズンに入ってからもオンラインで購入できるのも有り難いところ。後から「あれ欲しかったな…」ってなることあるもんね。
野球マスコットのオタクをする上で外せない醍醐味といえばコレ。先述のロッテの「マーくん」と東京ヤクルトスワローズの「つばみ」の恋模様(?)はあまりにも有名。埼玉西武ライオンズの「レオ」は妹の「ライナ」に対し異様なほどのシスコンぶりを発揮したり、福岡ソフトバンクホークスの「ハリーホーク」や北海道日本ハムファイターズの「B・B」と何やら名状し難い関係性を披露したり、ヤクルトの「つば九郎」と中日ドラゴンズの「ドアラ」で毎年のようにディナーショーを敢行しチケットが即完売になるなど、どのマスコットも非常に個性が強く、遠征交流やオールスターゲーム等で顔を合わせる度に関係性がジワジワと変化していくリアル感はディズニーで絶対に味わえない野球マスコットならではのポイントです。グミニとかそういうのにうっかり惹かれちゃう人、どうでしょうか。
⑥それなりに通えば認知してもらえる(かも)
これは本当に場合によりけりですが、何度か会いに行くうちにこちらのことを覚えていてくれる有り難すぎるマスコットも結構います。勿論そこに最初から期待するのはおすすめ出来ませんが、フリグリ中に近況を聞いてきてくれたり、向こうから積極的に来てくれたりすると球団に金を落とすモチベーションが爆増します。(それでもディズニーより安く済むのが尚のこと有り難い)
タイミングが良ければワンショットでポーズ指定が出来たり、ショートムービー撮影で任意の動きを(常識の範囲内で)お願いできる場合もあり、フリグリの自由度がディズニーより遥かに高いのも嬉しいですね。フリグリ完全依存の元チデオタとしては尚更ね。
但し「つば九郎」や「ドアラ」のように選手顔負けでファンの多いマスコットたちに関しては個別ファンサがどうしても難しいですし、すべてのマスコットが同じくらい手厚くやってくれる保証は全く無いですから、基本的にはマスコットたちの成すがままに合わせるくらいが丁度良いでしょう。
こんな感じで、コロナ禍を辛く暮らした元チデオタの私ですが、今は自分に合った最高のコンテンツと出会い、ディズニーを離れて楽しくオタクを続けています!こんな生活も早2年!
野球場に年パスのシステムは(基本的には)ないので都度払いでも気にならないですし単価が安いですし、他にも良いこと尽くしで最高!オフシーズンで冬場に音沙汰が無くなるのだけが寂しいですが、野球がなくてもバスケとかはあるので二毛作も大いにアリでしょう(私自身に今のところその予定はありませんが)。
オタクとして若い10年の日々をディズニーに注ぎ込んだことは今では良い思い出です。もう真性のDオタでは無くなりましたがチデのことは今でも人並みに好きなので、その気になったらまたいつか会いに行きたいな〜、と思っています。
Dオタのみんな〜!いつもお疲れ様〜!
値上げとかホスピタリティとか色々大変だろうけど無理せず自分最優先してね〜!!
お互い楽しくオタ活続けてこうな!!
「Why do you always come to see me only on the last day?(何故あなたは最後の日にしか私に会いに来ないの?)」
アイーダが怒った顔で僕にそう尋ねる。
「いつも最後に1番大切な君のことを覚えて国に帰りたいからだよ。」
と僕は答える
アイーダは呆れた顔をして僕より少し上の宙を見つめる。僕はその時の呆れたアイーダの顔が大好きだ。
誤解のない様に言うが、アイーダはマッサージショップの店員で、僕はただの顧客だ。
半年に1回タイに訪れるが、いつの頃からか最終日は毎回このマッサージショップを訪ねてアイーダに旅の疲れをほぐしてもらう。
「1番大切な人なら1番最初に会いたくなるでしょ?違う?」
彼女のマッサージは僕の体と相性が良く、他の高価なマッサージ店も試したが、1番ここが性にも合っている。しかし、それとは別に僕はアイーダのクルクル変化する表情に恋をしている。彼女はタイ人だが、パキスタン人の父親を持ち、タイとパキスタンのハーフだ。英語も堪能で、冗談の様なやり取りにもしっかり付き合ってくれる。
タイに来るにあたり、彼女のことを忘れたことはないが、いつも上記のやり取りをしたいからわざと最後の日だけ彼女のところに訪ねることにしている。いつも彼女は不満げだ。そしてそれがまた良い。
彼女との付き合いはかれこれもう3年になる。彼女はタイの中でも日本人街が近いエリアで仕事をしており、何人かの常連の日本人顧客がおりそれらの客の愚痴をいつも聞かせてくれる。
「どうして日本人はあんなに温度にうるさいの?エアコンが弱くて暑いとか言ったと思ったら、マッサージのオイルが冷たいって文句を言うのよ?合わせたらちょうどいいじゃないの。」
無茶苦茶なことをプリプリしながら言うアイーダに僕は思わず笑ってしまう。
「次はタイに来たらちゃんと1番最初に顔を見せに来てね?いい?」アイーダは真剣な顔で言い聞かせる様にそう言った。
「もちろんだよ、次は1番始めに君のところに来るね。」僕は調子よく笑顔でアイーダに答える。
アイーダはじとっーとした視線を向けつつ完全に疑った目を見せている。
アイーダの祖母は世界をまたにかけるツアーコンダクターとして働いており、アイーダもそんな祖母に憧れていろんな国に行ってみたいと言っている。日本にもいつか行きたいと言っているが、来ら時は必ず連絡してねと伝えてある。
「でもあなたはちゃんと迎えに来てくれるの?私の旅行の最後の日に来るんじゃないの?」また少し怒った顔でアイーダが言う。
こんな関係でも僕はアイーダのことを大切に思っているが、その事は伝えない。その方がきっとアイーダと長く付き合えるからだ。僕とアイーダはこれ以上仲良くなる必要が無いし、その方がいい。
アイーダにはサポートを必要としている幼い弟が2人おり、彼女はタイから離れることはできない。弟達が大きくなったら彼女は自分の好きなことをするんだと言って仕事で稼いだお金を貯めている。
もし本当にアイーダが日本に来ることがあればその時だけは最初の日にアイーダに会いに行こう。
そして喜ぶアイーダの顔を楽しむことにしよう。
https://anond.hatelabo.jp/20240107070705
雨の涙
https://anond.hatelabo.jp/20240108002442
花の街のニュウ
こんなのに一般解は無くて二人で決めろってのが正しいとは思うけどさ
で毎年正月は7日から10日くらい、盆は3日くらい嫁実家(名古屋)に帰ってる
今年はそれに加えてコロナ本格明けというのもあり、春には東京に来てもらって2泊3日うちに泊め、お盆に3泊嫁実家(名古屋)に帰ってる
で、来週会いに行こうかって言われて、もう来月には正月なんだし良いだろと思って「一人で帰ったら」って言ったら「そんなの変」って言われて揉めてんだよな
一般的にそんな両親に会うもの?それにそれなら一人でもいいじゃん。来月だって1週間以上会うの確定だし、正月はずっと一緒だからかなり濃密に会うんだよ
義両親は尊敬できるお二人だし好きだし関係は良好だよ、でも3か月前にも3日間会ってるしさ
「傷がつかないようにやってやってるんだからな」
不幸なことに、父は弁護士だった
皮肉にも、父の職業のおかげで極めて裕福だったから、私は通報をしないと固く決めた
仮に児童相談所に行ったところで、何の物証もなく、家族の誰1人味方してくれないのだから意味はないと思った
それを父に伝えたところ、「お前がストレスなんて抱えてるわけがない」と言われた
児童の虐待死をニュースで聞けば、「こんなことをする親なんて人間じゃない」などと憤慨する
彼の論理では、教育的理由ならどんなに怒鳴ったり殴ったり蹴ったりしても虐待ではないのだ
ストレスの原因と毎日接する以上いずれ限界がくると理解していた私は、親戚に助けを求めることにした
親戚のうち最もまともな人に密かに会い、打ち明けた
「私は幼少期より父に教育と称して暴力を執拗に振るわれており、家族と縁を切りたい」と
最もまともな親族はそれを聞いて深く心を痛めたようだった
そして「父にも理由があってそうしたのだろう」と返した
父はタチの悪いことに、医学に不信を抱いていた
つまり、父の友人の医者の紹介した病院にしろと制約をかけたのだ
父の友人の医者は精神科でも何でもなかったが、そんな経緯で精神科に紹介状を書いた
もちろん父には退出してもらった
これが医者の答えだった。
・体重が増えたのを「妊娠したんじゃないの?」と言い、家族みんなで笑う
・「お前は失敗作だ」「お前は人の心がない」などの人格を否定する発言
これら全てを合わせても虐待とは言えないと言った
そして後に、私は彼の書いた紹介状の中身を知ることになった
これは何ですか?とカウンセラーに尋ねられた
私が何年かけても言ってもらえなかった言葉を、カウンセラーは当然のように言った
そしたら少しだけ、少しだけでも幸せになれたかもしれないと思った
私は綺麗な海を見たら全てを終わらせようと思っている
早く綺麗な海が見たい
もともと独り言のつもりで書いたので、ナルシストな表現があるのは大目に見てください。
初めて体重を気にしたのは小二の頃。
体重計に乗った時の数値が以前よりも大きくなっていることを気にしたのか、その年代の平均値よりも大きいことを気にしたのかは覚えていないが、体重計の針が示した数値ははっきりと覚えている。
その時は25kgだった。
周りと同じセーラー服が着こなせなかったのだ。
私の腕は、他の女子生徒が袖からのぞかせるものと同じように細くはないし、なんだかブツブツしている。
それに、体育が極端に苦手だった。他の人は軽々と走るトラックが何よりもキツかった。
きっとそんな自分は、他の人の目にはみっともなく映っているんだろうと思った。
ただ、この頃の私はまだましな方だったと言える。
家族もまだそこまで太っていない、普通体型だと言っていたし(それでも太ってはいたが)、何より中学では成績優秀、昔から活発な性格を知っている友人が多かったので、太っていることを何も後ろめたく感じる必要はなかった。
それに、中学生の頃までは私自身美醜の基準がわからなくて、自分の容姿が優れていないことを知らなかったのだ。
中3の時に仲良くなった、かなり容姿が優れている男友達は私に対して恋愛感情を抱いているようだったし、それ以外の人からもモテた(ただ、この容姿端麗な男友達と比べて私がかなり太っていることに対しては、私自身何か思うところはあった。それにこの男友達は美醜の感覚が壊れているようで、誰よりも男前な自分の顔を不細工だと言っていた。その目で見た私に恋愛感情を抱いていたということは、つまりそういうことである)。
言ってしまえば、自分の容姿が優れていないのに明確に気づいたのは高校生の頃だった。
腹が減った以上仕方がないと、食べるのが好きな私は頻繁にホットスナックを帰り道に食べた。
太っている人間が太るものを食べている姿は滑稽なので、隠れながら食べた。
私は時々、自分の体型をいじられた。
脚の長さを測られたり、太っていると言われたり(実際太っているが)した。
それによって、人並みに傷ついた。
顔については明確な言及はなかったが、周囲の人(とくに男子生徒)が私に対してはかなり不機嫌そうに話すのを見ていると、顔も悪く、太っていて、容姿はかなり悪かったんだろうと思っている。
実際、この頃に撮った写真に写る私は、髪も汚く肌も汚く、笑顔は醜くて眉毛が太い、極度に太った姿をしている。
太るものを食べていたら「そんなの食べてるから太るんだよ」と思われそうだし、痩せるものを食べていたら「そんなの食べてんのに痩せてないじゃん、意識だけは高いね」と思われそうである。
実際、これは誰にも言われたことのない言葉だが、常に思われているのではないかと怯えていた。
それゆえ、外食をするときは店に知っている人がいないかよく探した。
他人からどう思われるかなど大して気にしない私でさえ、こうである。
それほどまでに、太っているということは自信を失くさせるものなのだ。
きっと、太っていて繊細な女の子には、もっと色んな場面で、もっと色んな罵倒の言葉が聞こえているんだろうと思う。
高校の3年間は太り続けた。
受験期が近くなったために高3では外で勉強をするようになり、それに伴って休日は基本外食をした。
毎回、ラーメンやハンバーガーなど、太るものばかりを食べ続けた。
それ以外の時間も、腹が減れば食べた。
食べることぐらいしかストレスの発散方法がなかったのか、元々食べるのが好きだったからなのか知らないが、とにかくよく食べた。
このままだと痩せられない、ずっと太ったままだから、今日で太るものを食べるのはやめようと思っていても、やめられなかった。
「痩せる」ということがかなり遠い道筋のように思えて、どうも継続ができなかった。
その時よく見ていたサイトでは、どうやら私はBMIが28と少しあって、標準体重よりも16.5キロ重いらしい。
時々ダイエットを決意しては数日で諦め、熱意を忘れた。痩せなければという意識、自分の滑稽な容姿に対する後ろめたさだけが常に頭の片隅にあった。
写真に写るときは少しでも痩せて見えるように工夫したし、それでもその後見た写真には他の人よりも著しく太った自分の姿が写っていた。
高3の頃に、こんなに太っていても仲が良くなったクラスメイトとの写真にも、太っているから喜んで写ることができなかった。
太っていて、顔も優れておらず、髪も汚い私には、どんな服を着こなすことも難しかった。
まず、「着たい服」ではなく「着られる服」を着るようになる。
「着たい服」など、考えられなかった。
少しでも痩せて見える服を好んで着た。
どのウエストラインにすると痩せて見えるかばかり気にして、私服を着たときは鏡の前で数分にわたって腰を調節した。
それでも、ふとした時に鏡やガラスに写る自分はかなり太っていて、腕も汚く、特に横から見た時の腰の太さが異常だった。
運動もせずに、友達とも遊ばずにテレビなんか見ているから太っていて垢抜けないんだろうと思っていた。
それでも、垢抜けた人のようにオシャレな格好はしてみたかった。
この汚い顔、太った体でもできるオシャレといえば、髪飾りぐらいだった。だから、髪飾りはよく購入した。
金のピン、青いリボン、カラーゴム、シュシュなど、あらゆるものを買った。青いリボンをつけた日は、いつもより可愛くなった感じがした。
それでもやはり、あまり変わらなかったが。
ファッション誌も読んだりしてみた。
しかし結局、ファッション誌でさえ遠い世界のように感じられ、誌上の情報を断片的に真似してみては全く垢抜けない、そんな様子だった。
街中では綺麗な人しか見かけないし、綺麗な人はどうしてあんなにも綺麗なのか気になった。
同じくらい太っているのに綺麗な人もいた。あの人たちと自分は何が違うのかわからなかった。
成人式でも、私は醜かった。
成人式の頃にはかなり太っていた。両親と横幅が大して変わらなかったし、下ろせない髪によって隠せなくなった輪郭は、顔の肉を強調させた。晴れ着を着たら多少は綺麗になれると思っても、実際には綺麗になれなかった。せっかくの写真も、何も嬉しくなかった。
大学生なってからも変わらず、ウエストラインを調節し続け、周りを気にしながら外食をしていた私は、大学3年生の時に急に思い立ってダイエットを始める。
「暇だから痩せよう」とかの軽い気持ちで、たまたまそう思った日の前日に2万歩近く歩いていたからとか、その程度だ。
痩せるためには食事管理と運動だよな、とか思いながら、食事管理アプリで一番ダウンロード数が多いらしい「あすけん」を入れた。
痩せることは大変ではなかった。
あすけんは、健康的に痩せることをモットーとしているアプリらしくて、(賛否両論あるが)それなりに沢山のものを食べることができる。
ダイエット中でも、世間一般で言われているような「揚げ物は食べてはだめ」とか、「毎回白米の量を半分にして」など、する必要がなかった。
規定値に収めることができれば、ファストフードだって食べられたのだ。
ただ、規定値に収めるために、お菓子を食べることは必然的になくなった。
むしろ、食事管理を通して自分の食生活を数値上で管理できるようになったことで、いつの間にか太ってしまうのではないか・想定外のことが起こってしまうのではないかという不安がほぼ全て払拭され、ストレスがなくなった。
歩くことも苦ではなかった。
脚はかなり疲れたが特に大変さは感じなかったし、モチベーションなども保つ必要がなかった。
歩いている途中、どうしてもしんどくなったときは、6月のライブ(のちに10月に延期になる)までに必ず痩せなければいけないことを思い返したり、曲で歌われている美人な魔性の女のように自分がなることを妄想したりするなどして乗り切った。もっとも、こんな容姿で美人になることを妄想するなど、言語道断であるが。
そうこうして、痩せた。
夏の時期は中弛みなどあったが、合計16キロほど痩せることができた。
ウエストは20cmほど細くなったと思う。
標準体重よりも少し重いが、ダイエット中は体重の数値よりも骨格筋率・体脂肪率などを重視したため、この体重でも見た目は普通の人よりも少し痩せている程度になったのだ。
痩せても大きいままだった胸に対して腰は標準より細く、腕は少し太いものの一般的な太さになっている。
痩せてまず、服を買うのが楽しくなった。
初めて服を買った。大学3年生にして。
ジーンズを履くなど、太い脚が強調されてしまって私には絶対無理だと思っていたが、憧れの黒スキニーを履くことができた。
思い返してみれば、その時はまだダイエットを初めて数ヶ月しか経っていなかったため、まだ着こなすことはできなかったが。それでも当時は嬉しくて仕方がなかったのである。
家族とアウトレットに行くのも楽しくなった。自分の表現したいことが、服で表現できるのが何よりも楽しかった。
6月には、以前買ったスーツがあまりにもブカブカになってしまっていた。そのため、スーツを新調する必要があった。それが何よりも嬉しかった。
周囲、特に家族からも褒められた。私自身は大したことをしたつもりはなかったが、母はことあるごとに私のダイエット成功を努力の結晶だと褒め、認めてくれた。今私は母のダイエットを手伝っている。
遠く離れた祖母も、久しぶりに会った時はずっと痩せたことを褒めてくれたし、それ以降も電話でよくダイエットの話をしては褒めてくれる。認知症が進行したもう一人の祖母も、ふとした時に私が痩せたことに気づいて喜んでくれた。
かなり痩せて、体型も標準に近くなった頃、垢抜けようと思った。
眉毛も剃った。3分の1の太さにまで削った。これで丁度よかった。
そして、メイクの仕方を変えた。スキンケアを覚えた。色んなものも買った。パウダー、マスカラ、ビューラー、グロス、コンシーラー、アイライナーなど。
黒いアイライナーを引くことで、私の強い目力はちょうど良いほどに強調され、かなり化けるようになった。時期は大学3年の12月ごろ。
黒いアイライナーは、たまたまYoutubeで見ていた動画に出てきた女性が黒いアイライナーを使っているのを見て、真似して買った。安物だが、これが私からしたら魔法の道具だった。
もとの顔も、痩せて眉毛を削れば悪い顔ではなかった。少しばかり人中が長いが、その程度大したことはない。
顔の比率も理想に近く、肉の取れた輪郭は綺麗な卵型で(若干面長だが)、顔は普通のサイズよりも小さい。昔から姉と母に言われていた言葉(太っていたので信じていなかったが)は、本当だった。目の大きさも平均値より大きく、力強い目は目鼻立ちをはっきりとさせ、鼻筋もある程度通っている。目と眉毛の距離が近く、口も大きく、芸能人レベルではないがまさに顔タイプエレガントといった形だ。キリッとした顔つきは、周囲の人に賢そう・しっかりしていそう・頼りになるといった印象を持たせる。縮毛矯正をし、アイロンで伸ばした髪は、顔の力強さに負けていない。あの太かった眉毛に伴う長いまつ毛は、私の目の美しさを作り上げている。立体的な造形の顔と長頭の形は横顔の形を綺麗にし、腰の細さを強調させる。
この顔が、さらにメイクで化けた。黒いアイライナーはよりはっきりした目へ、書かれた眉毛はより凛とした表情へ変化させ、色白で力強い顔には真っ赤なリップも映える。赤いアイシャドウや濃いチークにだって負けず、それどころかより顔を華やかに彩る。マスクを取っても、整った顔立ちは変わらなかった。マスカラではっきりとさせた長いまつ毛は、少し目を細めて現れた奥二重に重なって、憂う表情を美しく彩る。
街を歩けば、通行人が振り返った。周囲の男子学生や男の人が私にだけ優しくする場面だってあった。よく色んな人から眺められた。見惚れられた。彼氏もできた。いつも私の顔を美人だと言ってくれる。ネット上のコミュニティでは、私が美人だという話がよく話題になった。実際に出会ったネットの友達は、女慣れしている人でも私の姿を見て固まっていたし、明らかに優しくなっていた。どうやらその後、写真で見るよりもずっと美人だったと言いふらしていたらしい。私の姿を見て美人だと言わない人はいなかった。昔はあんなに綺麗に見えた通行人も、今思えば普通の人だ。
醜く太った、毛深く垢抜けない女から、誰もが認める美人になった私は、お洒落に目覚めた。真っ黒なワンピース、激しいピンクの色、かっこいいベストなど、強い色の服や上品そうな服を身に纏った私は、ミステリアスで不思議な魅力を持つ美女とも言えた。イヤリングは顔の煌めきを増大させるし、特殊な色のネイルにだって負けなかった。
痩せて美人になってからの私は、よく音楽を聴くようになった。聴く音楽の対象が変わった。
美しい歌声で歌われる妖艶な曲に自分を重ね合わせたし、繊細さを重ね合わせたような曲のような価値観を持ってみたいとも思った。私の容姿だと、そのような価値観を持っていてもきっと絵になると思ったからだ。私はここ数ヶ月間、美人な自分と美しい曲を重ねては、綺麗な自分に酔いしれ続けている。それはもう、異常なまでに。
きっと今までずっと醜く、虐げられるように生きることを続けてきたから、その反動が大きかったのだと思う。もう周りを気にしながら外食をする必要なんてない。大手を振って表を歩ける。私は痩せて美しくなってから、以前のようにこそこそと生きる必要は無くなったのだ。
そしてこれからしばらく、美しくなった自分に酔いしれ続けるのだと思う。綺麗な服を集め、もっと上品になって、周囲の人からは高嶺の花として扱われて生きるのだ。
それでも、つい一年前まで醜かった自分の影は消えない。私が美しくなったのはここ数ヶ月での話しだから、それまでに虐げられてきた記憶の方がずっと長い。目を閉じれば、高校生の頃のクラスメイトの男子生徒の、私にだけ雑な扱いをする様子がフラッシュバックする。今だって、太っている人や不細工な人を馬鹿にする言葉には腹が立つ。容姿が優れている友人と扱いが違うことを語った漫画やツイートには、思わず共感して読んでしまう。所詮ここ数ヶ月で綺麗になっただけの私は、外見が変わろうとも中身はほとんど全く変わらないのだ。昔の醜かった自分を見下し、悦に浸りたくとも、浸り切ることはできない。
しかし、やりたいことはある。太っていると周囲の人が本性を表すとは本当のことで、きっと私に対して明確に態度が悪かった人は、そういう人なんだろうと思う。そして、私が太っていた時から仲が良かった人は、本当にいい人なのだ。
私のことが、高校の頃から好きな人がいるらしい。もうすぐ4年になる。私は彼に対して恋愛感情はなかったので、ずっと見てみぬふりをしてきたが、もし今の彼氏と別れたら、会いに行こうと思う。
その友人も容姿はそれほど優れていないし、言ってしまえば内気な人だ。きっと、人の容姿などもあまり気にしないんだろうと思う。
それでも、こんなに美人になった私をみてほしい。彼が好きになったのは私の容姿ではないにしても、昔よりも綺麗になった私をみて、感動してほしい。そして、それでも中身は変わっていないことを伝えたい。
正直、中盤以降は「出るまで回せば100%」の精神だけで走ってたが、
同じく苦戦してる増田も多いと思うが、相談所の客寄せ用になってる
目の毒になるキラキラな成婚談なんか読まず、俺の失敗を反面教師に明るい未来を勝ち取ってほしい。
(増田は男性だけど、恐らく女性も当てはまる内容じゃないかなとは思う)
やみくもにお見合い申込を続けろという意味ではなく、バッターボックスに立つ、すなわち
お見合いをコンスタントに組めるようにプロフィールを調整したり申込の基準を逐次変えるということ。
お見合いが組めないとモチベーションが著しく落ちるので、組めなくなってきたと思ったら
また、当たり前だが自分に申し込んでくれた人にOKすればお見合いは100%成立するので、
うまく行ってない時ほど申し込んでくれた人に積極的に会いに行こう。
婚活を長く続けていると「分からないけどとりあえずまた会ってみよう」という
初期の素直な気持ちが薄れてきて「あぁ、また合わない人だった。お断りで。」と
バサバサ切っていくようになりがちで、これは申し込む相手側も同じ。
新しい人は申込が集中しやすいためライバルが多いというデメリットもあるが、
お見合いに行って断られるより時間や金銭の負担は圧倒的に少ない。
プロフ写真は各々ベストな一枚を出してるはずなので、実物と違いがあった場合
それがプラスに働くことはほぼ無い。
また、少なくともお見合いが成立した時点で「写真上のあなたの外見」は相手の許容範囲内だ。
ということは、写真に実物を近づければ外見上の理由で断られる可能性はほぼ無くなる。
そう考えるとちょっと自信が出てくるんじゃなかろうか。
写真と実物があまりに違うとファーストコンタクトで相当テンションが下がるし、
それ以前に待ち合わせで見つけてもらえないという危険性もマジである(今はマスクでただでさえ難易度高いし)
相手との相性とか将来感とか以前で終わってしまうのはとても悲しい。
(俺は遅刻グセがあったので、待ち合わせの前に必ず近くの喫茶店でコーヒー1杯飲むのを義務にした)
・清潔感に気をつけ、髪ボサボサ、汗だくで待ち合わせしない
・「来てくれてありがとう、楽しかった」の気持ちを積極的に言葉に出す
・LINEは遅くともその日のうちに返す
安くない金を払ってるんだから、相談所婚活の最大のメリットを気兼ねなく使いまくれ。
お店や服のアドバイスをもらったり、相手先相談所にプッシュしてもらったり、
この辺は相談所担当者の忙しさやスタンスにもよるので、特に相手先相談所へのプッシュは
こちらから言わないとやってくれない場合も結構あるので自分からお願いしよう。
外見に気を使ったり、普段やらないようなエスコート頑張ったりしてると疲れてきて
「こんなの本当の自分じゃないのに…」なんて考えてしまう時もある。
それは偽りの自分だった訳じゃなく、単に脱皮した新しい自分がまだ身体に馴染んでないだけ。
やってるといつかは慣れて自分の物としてできるようになってくるので、
(追記:一部誤解されてるけど、「自分を捨てて全部相手に合わせろ」って話じゃなくて
オシャレとかエスコートとか、単に普段と違う慣れない事をして疲れてるってだけの状態を
「本当の自分じゃない」みたいな変にややこしい言葉を使って表現するのはやめた方がいいでという話。
強いて言うなら普段の自分も婚活頑張ってる自分も、どっちも本当の自分なんやで)
ーーーーー
同性の親友を好きになってしまったぽい。しかも私はデミロマンティック(すっごい親密になった相手にのみ恋愛感情持つ)っぽい。毎日時間できたとき連絡しあってお互いの日常を共有して、悲しんだり嬉しかったりを共有してる。ただネットだけの関係で会ったことはない。
思い返すと今まで好きになった相手、絶対離れたくない、ずっと一緒にいたいと思った相手は男女問わず親友レベルの仲の良さ、でもやりたいと思ったのは男(私は穴付き)。女とは相手が望むならたぶんできるけどしようとは思わない、くらい。想像して一番ドキドキするのはハグまで。それ以上はいらん。
今まで数年友達としてすごく楽しく過ごしてきた。アラフォー同士(子あり)で、今は子どもが第一。私もそれを一番に応援して、絶対に子どもたちと幸せな未来を勝ち取ってほしいし、具体的などうしようって話も一緒に話して子どもたちにも私はけっこう大きい存在になってるっぽい。それをずっと維持したい。好きとかそういうので変な風になってほしくない。子どもたちともずっとママの親友でかっこいい存在でありたいし、好きでいてほしい。それは絶対邪魔したくない。
相手は酔っ払ったときに私は絶対裏切らない、私が大好きだと言う。それがすごく愛おしいし私も同じだし私も大好きだ、ずっと一緒にいようと言う。絶対に好きだしそばにいたいし子どもたちが自立したあとは一番にそばにいたい。一緒にくらそっかって冗談か本気かわからん話もする。ただ相手は性的ノーマル(私も性的にはそう)、私の好き、が相手の重荷になる、違うと思われるのが怖い。この先私よりも大事な相手ができて離れていくのが怖い。でも今のお互いを好きで一緒だ、を崩すのも怖い。ってDTみたいに悩んでる。
来年、会いに行けるようになったら会いに行こうと思ってる。でも今の幸せがそれで壊れないかが怖い。今まで別の相手に会ったってなにも関係性に変化なんてなかったっていうのに。