はてなキーワード: 王国とは
王は大臣に毎晩1人の処女を連れて来るよう命じ、処女と寝ては翌朝になると殺すようになった。3年もすると都から若い娘は姿を消してしまったが、それでも王は大臣に処女を連れて来るよう命じた。
毎日1人若い処女を殺して、3年間だから1000人以上殺してるわけで、都の若い女は皆殺し状態。
この国の都では次世代が生まれなくなったって事で、結婚できなかったり家族や好きな女を殺された男達の怒りも相当なはずだ。
大臣の娘が嫁いで面白い話を千夜一夜続けて、ギリギリ生き延びてる間に子供を3人作り、王様が心を入れ替えハッピーエンドになっているが、若い女1000人以上殺した罪は消えてないわけで、この王国続くのガチで無理では?
ブラッククローバーの最終回が残念だったのは、作中で差別や社会階層の問題を提起しながらも全くの放置で終わったからかな。
例えばジャンプの有名どころだと
ドラゴンボールは悪のブウを無垢な子供として生まれ変わらせ、悟空がその師匠になって終わった
幽遊白書は無秩序な殺し合いではなく一定のルールの下でトーナメントをやって穏健派の鬼がトップに立った
NARUTOは一応最後は五影会談で終わり、武力行使の前に平和的な手段で問題解決を図る方向性を示した
チェンソーマン1部は幼い子供として生まれ変わった支配の悪魔を主人公が引き取った
ヒロアカは子供に対する個性カウンセリングなど、犯罪を未然に防ぐ制度を増やした
呪術廻戦は罪を犯した迷惑呪詛師に向き合って更生を促す主人公の姿で終わった
どれも足りないながらも社会や敵対者に対してどう向き合うかが描かれていたと思うんだけど。
それに引き換えブラクロの最後はマジで主人公が魔法帝になった「だけ」なんだよね
魔力の無い奴がと言われても、作中で反魔法というのは誰よりもチートな最強技になっているから
腕っぷしが強い奴が普通にトップに立っただけで何の意外性もない。
最後も攻めてきた相手を普通に迎え撃っていて、争いはなくならなそうだし。
徹頭徹尾そういう漫画ならまだしも、エルフ編の頃はちゃんと敵とも対話が出来ていたのでどうしてこうなったかなーって感じ。
最終回ではハーフエルフの子供達が入団試験を受けるようだけど、それだけなんだよね。
あの終わり方ならエルフ編の後でタイマンしてそのまま最終回で良かったんじゃない?っていう。
魔法帝と国王が別にいて、今の国王は無能で差別主義者の嫌な奴なんだから普通は改心するなり代替わりするなりしそうなものなのに、それも無し。
「結局、アスタはただ魔法帝になっただけで、階級制度を打ち破ったり王国を変革したりする姿は見られませんでしたね」という指摘をした海外読者が全肯定ファンから集中砲火で叩かれていたけれど、もっともな指摘だと思う。
commentatorHeader
社会学者ホックシールド、そしてインタビュアーの金成隆一記者は、ともに2010年代半ばにアメリカの保守的な地域に移住し、社会学的な参与観察をおこなっている。
記事のなかでホックシールドは「理性が提示されたときにはそれに従って考える一方で、人々の感情の流れもたどれるようになる」ことの大切さを説いている。本来社会学は、他者を悪魔化せずに内在的に理解するための技法である。彼らが描き出すトランプ支持者の肖像は、とても素朴で人懐こい。悪魔化せずに内在するからこそ「なぜこんな素朴で人懐こい普通のたちが、トランプを支持するのだろうか」という問いが立てられるのだ。
この作法に則ったホックシールドの著書『壁の向こうの住民たち』(2016年)、金成の著書『トランプ王国』(2017年)は、硬直したリベラルを解くほぐす処方箋になるかもしれないと当時僕は期待した。だが現実は、本来左派であるはずのホックシールドに「リベラルよりも保守の方がマシ」といわしめる状況である。変わらなければならないのは、「かれら」ではなく「われわれ」ではないのか。
僕は今年4月に『失われたヘゲモニーー融解する右派・空洞化する左派』(花伝社)という本を出版したが、ポピュリズムの分析はこの二人の業績に頼らなければとてもできなかった。そんな二人のこの記事における対話は、一読ではもったいない論点に満ち溢れている。字数に限りがあるのでそれをいちいち説明しないが、これを機会に二人が書いたものを以下で紹介するのでぜひ読んでみてほしい。
・ホックシールドは今年3月に(布施由紀子訳『盗まれた誇り 喪失と恥と右派の躍進』岩波書店)を上梓している。
・金成隆一は24年に「トランプ王国」を再訪し、そのルポはネットで公開されている。 (https://roles.rcast.u-tokyo.ac.jp/publication/20240910)
今日発売のジャンプGIGAでブラッククローバーが最終回を迎えた。ジャンププレスでも濁されていたのでまだしばらく続く可能性も考えていたが、結局最終回で良かったらしいね。
巷では最高の最終回だと絶賛されているし、確かに客観的に見ればそうなんだと思う。
客観的にはそうなのは分かっていても、自分個人としてはそうは思えなかったってだけで。それが悲しい。
個人的にはどっちが魔法帝になるとかは割とどうでもよくて(アスタとユノには思想の大きな差はないし、あの国において権力を握っているのは魔法帝ではなくて国王)、
最終回になって初めて確定したカップルの組み合わせがある事が辛い。それも別の組み合わせの方が早くから描かれていたのにそっちにはならなかった事。
「推しカプがくっついたから最高の最終回!」と叫ぶのは良くても、「地雷カプがくっついたから最悪の最終回!」と叫ぶのは許されないんだよなぁ。納得いかない。
カップルの成立を最終回発情期という言葉で揶揄する風潮は本当に大嫌いなんだけど、最終回や酷い時には単行本描き下ろしでいきなり確定させる風潮もまた大嫌いなんだよな。恋愛が重要じゃないならそもそも描かなきゃいいのに、恋愛の過程を描かずに結論だけはしっかり描くパターンが多過ぎる。
近年ジャンプ本誌で最終回を迎えた呪術廻戦や僕のヒーローアカデミアでは最終回ではまだ濁して単行本最終巻でようやく確定させるという鬼畜な真似をしていたのでそっちの心配もしていたが、ブラクロはさすがにそれはしなかったようだ。
とは言え、変な組み合わせでもドラゴンボールのトランクスとマイなんかは別に平気だったんだよな。原作の最終回自体は終わっているけれど、他に相手役候補がいるでもなかったし。
最終回でいきなり確定して叩かれてる組み合わせでも、鬼滅の刃の伊之助とアオイやNARUTOのチョウジとカルイは平気だったので
多分、
・最終回で初めて確定する
の両方が揃うと無理なんだと思う。
なのでフリー同士で特に支障がない組み合わせが叩かれていて、片方の片想いだけはあった組み合わせがフラグがあったと正当化される風潮に納得がいかない。
自分的には全然受け入れられる組み合わせが世間で叩かれて、受け入れられない組み合わせが祝福される現象が辛い。
もっともヒロアカの場合、組み合わせ自体が嫌いなんじゃなくて雑誌の最終回で答えを出さずに単行本で不意打ちするというやり方に引いたのでまた違うんだけど。
ブラクロの場合もこの漫画単体でどうこうよりも、ジャンプの嫌な伝統を感じて無理なのかもしれない。
少年漫画でもジャンプ以外だとそうでもないんだけど、ジャンプは本当に最終回で突然決まるパターンが多いんだよねー。経験則。
まぁ、作り手の側から見たら、カップル成立をギリギリまで引っ張る動機は分かる。ドラゴンボールみたいなのはそれをやってもファンが離れないという自信があるからできる事で、そんな作品は滅多にないんだろう。ギリギリまで読者を引き付けて金を搾り取りたいという心理は分かるよ。
ラブコメじゃない少年漫画において、誰と誰がくっつくかなんてどうでもいいと言われれば確かにそう。
自分が少年漫画、というかジャンプ漫画に向いていないのは分かる。良い読者じゃないのは分かるから、あまり深入りしない方がいいんだろう。
上記のドラゴンボールや鬼滅みたいに大丈夫なパターンも稀にあるから、事前に確認してから読むべき。
ヒロアカと呪術の教訓からはどうしてもこの手の少年漫画を読むならば最終回間際ではまだ早すぎて、明確に最終回を迎えて単行本最終巻が出てから初めて読むようにした方がいいんだろうなー。10年は長いけれど、だからこそその長い時間の思い出を最後の最後で台無しにしたくない。
ヒロアカの方は組み合わせ自体は初期からずっと好きだったので、叩かれてるのにも乗れないし。普通にエピローグの5話のうちでくっつけてくれれば良かったのに。
恋愛関係を確定させるなら早い段階で!最終回で確定させるならせめて他の相手役候補がいなかったキャラで!を守ってくれる作品が好きだが、今後もジャンプ作品の多くはそうならないだろう事は分かる。
タイイチのラブコメだと安心して読んでいたさむわんへるつにさえ、最悪の騙し討ちをした呪術の作者が絡んできたせいで不穏な気配が漂ってくるのが辛い。
つくづく最終回発情期という言葉を作った空知を恨む。こんな変な言葉が出来たせいで、却って作品に対する不満を言いにくくなってるじゃん。
この言葉を作った銀魂はブラクロと違ってGIGAですら終わらず見苦しかったが、結局最終回でも主要人物の恋愛関係は一切確定されず、今でもファンを維持している。少なくとも恋愛関係に関しては好ましいと思う。
あと、最終回に関しては、海外の人が「アスタはただ魔法帝になっただけで、階級制度を打ち破ったり王国を変革したりする姿は見られませんでしたね」と発言して叩かれていたけれど、それも分かるんだよなぁ。ただ、カップル成立への不満があると、そういう批判も何もかも説得力がなくなってしまう現象が辛い。
中国の南北朝時代(特に八王の乱以降)と、ローマ帝国末期(3世紀〜5世紀)は、異民族の大量移住と軍事力依存という点で、驚くほど構造が似ています。どちらも「文明の中心」が異民族の武力を頼るようになり、最終的に帝国の崩壊・大混乱を招いた点が共通しています。
・後漢後期から異民族(五胡:匈奴・羯・鮮卑・氐・羌)を辺境防衛のために積極的に中華域内に移住させ、兵として動員した。
・西晋の八王の乱で王朝が弱体化すると、異民族が一気に反乱・独立し、五胡十六国という極端な分裂時代が始まる。
・結果として、漢人と異民族の虐殺の応酬と強制移動が300年近く続き、隋が統一するまで泥沼化した。
・3世紀の危機以降、ゲルマン民族(フランク族、ゴート族、ヴァンダル族など)やフン族を「連合軍(foederati)」として大量に受け入れ、帝国軍の主力として活用した。
・特に4世紀後半以降、ゲルマン部族を帝国領内に定住させ、軍事力として依存する「蛮族化」が進む。
・最終的に410年に西ゴート族がローマを略奪(ローマ sack)、476年に西方ローマ帝国が滅亡する。
・両者とも「自らの軍事力が衰えたため、異民族を大量に移住・傭兵化して補う」という政策を取った。
・最初は「防衛力強化」のための方便だったが、異民族の人口増加と軍事力の掌握により、帝国の統制が効かなくなり、最終的に崩壊・大混乱を招いた。
・異民族が王朝そのものを次々と建てた(前趙、後趙、前秦、北魏など)。
・漢人と異民族の民族単位での虐殺応酬が極めて激しく、朝廷交代のたびに前王朝の皇族・名族がほぼ全滅するパターンが常態化した。
・出自主義(家柄重視)が強かったため、「一族誅滅」が政治の標準手段となり、残虐性がより組織的・報復的になった。
・異民族は基本的に「連合軍」として帝国の中に留まり、独自の王国を建てるまでには時間がかかった(西方では5世紀中盤以降)。
・ローマ人は異民族を「蛮族」と見下しながらも、文化的に同化させる努力をある程度行った(キリスト教化など)。
・ただし、410年のローマ略奪やヴァンダル族による北アフリカ占領など、残虐行為はもちろん存在した。
八王の乱から唐成立までの約300年は、中国史上でも特に残虐で混沌とした時代でした。後漢末期の胡人移住政策が遠因となり、西晋の自滅が引き金となって始まった民族対立の連鎖は、ローマ帝国末期の「蛮族依存」と構造的に非常に似ています。
自前の正規軍を疎かにし、異民族の武力に依存すると、結局その異民族に帝国を乗っ取られるリスクが極めて高い。
最初は「労働力・兵力確保」のつもりだったのが、人口増加と軍事力の掌握により、帝国の内部から崩壊を招く。
中国は隋・唐で再統一され、異民族は最終的に漢化・吸収された。一方、ローマは西方で完全に崩壊し、ゲルマン諸王国が中世ヨーロッパの基盤となった。
中国の場合は民族単位の虐殺応酬がより長期化・激化し、ローマの場合は帝国の分裂と蛮族王国の成立という形で決着しました。
後漢〜西晋の胡人移住政策も、ローマのfoederati政策も、短期的な軍事力補強には寄与しましたが、最終的には文明の崩壊を招く原因となりました。
https://anond.hatelabo.jp/20260423123541
https://anond.hatelabo.jp/20260422180001
福音派は特にアメリカの保守的なキリスト教徒の間で強く信じられており、現代の政治や国際情勢(特にイスラエルへの支持)にも強い影響を与えています。
1. 携挙(けいきょ / Rapture)
ある日突然、キリストを信じる人々だけが生きたまま空中に引き上げられ、天に召されるという出来事です。
残された世界では、車が無人になったり、飛行機のパイロットがいなくなったりして大混乱に陥ると考えられています。これが「ハルマゲドン」に至るカウントダウンの開始です。
2. 患難時代(かんなんじだい)
携挙のあと、地上に残された人々を襲う7年間の地獄のような苦しみの期間です。
この時期に「反キリスト(偽の救世主)」が現れ、世界を独裁的に支配します。
3. 千年王国(せんねんおうこく)
ハルマゲドンの決戦でキリストが勝利した後、地上に建設される1000年間の平和な王国です。
多くの福音派は「前千年王国説」を支持しており、キリストが再臨した後に、この文字通り1000年続く地上天国が始まると信じています。
福音派にとって、1948年のイスラエル建国は「終末が近い最大のサイン」でした。
聖書の預言通りにユダヤ人が約束の地に帰還したと考え、イスラエルを全面的に支援することが神の意志に叶うと信じています。
エルサレムに「第三神殿」が再建されることが、ハルマゲドンへの最終的な引き金になると考えている人も少なくありません。
二期ものは引き続きよかった反面、新顔はいまいち伸びなかったかもな25冬アニメ感想。
凡例:
★★★★★:続編希望
★★★★☆:割と良いのでは?気に入った
★★☆☆☆:ちょっと残念かも、自分には合わなかった、記憶には残らない
★☆☆☆☆:何故これをアニメ化した?
2クールで終了。いい年した大人が仮面ライダーのコスプレバトルするヤバいアニメ。
はやみんが楽しそう。ラブコメってことになってるけどラブコメなのかはやや疑問かも。
もうオルン1人いればいいんでは…なオレTUEEEEeeee系。最終回で雑にネタぶっ込んできたけど明かされる日は来なさそう。
人類側がクズ過ぎて、さっさと滅んだ方がいいのでは?てなるやつ。救いはあるの?
英霊だらけの隠し芸大会!ポロリ(物理)もあるよ!を見せられた気分。
Fate世界観には疎いのでキャラ周りはよくわからんけどまたおかしな聖杯戦争(そもそも正常な聖杯戦争があったのか?)やってるぽいのはわかった。
こういう軽い主人公は珍しいと言えば珍しい…のか?お話としては特に何が起きるという訳でも無く、なんか良い感じに立身出世していく過程ぽいのでギャグアニメとして見るしかなさげ。
二期同様、一期よりもセクハラ演出が減ったので見やすくはなった感じ。
物凄く微妙な空気感、人間関係の機微を押し付けがましくもなく、安っぽくもせずに上手く描写するなと。良い作品でした。
途中脱落。abemaでは面白くない方の拷問とか言われてたが、マジの拷問をコメディにされてもキツいんよな。
5分枠のスピード感で駆け抜けるショートアニメ。勢いしか無いけどこういうのでいいんだよこういうので。
abemaのコメ欄が一番汚かったアニメ。謎の風呂ノルマがあるし一体何なんだこれは。
女神のカフェテラスと雰囲気が被りすぎでは。ラブコメは基本面白いけど、ラブコメそのものをネタにすると途端に面白くなくなる現象はなんなんだろうね。
作画が(落ち気味で)大変そう。ヒロインの魅力が一番わからないのが一番の問題な気がする。
懐メロノルマが毎回あるのかと思ったら無かったし、分割2クールでこれ以上まだやるの?!って思ったし、一体何を見させられてるんだ…?あと裏切り者はきちんと処すべき。
探偵モノでいいのか?と思ったけど一応は探偵モノっぽい。黒幕(?)を物理で倒して終わる探偵モノとは一体。
一番の問題作、デス紫陽花さん概念を生み出した功績は評価されるべき。1話、2話は面白かったのだけど、以降はポエミーな演出に凝りすぎててこれで本当にええんか?とはならんかったのだろうか。
一応完走してしまったけど、こういうのだったっけみたいな違和感がある。
ギャグ枠。転生とある癖に前世要素は皆無。何をやっても「さすがだノア」「すごいぞノア」「よくやったノア」を繰り返すので、abemaのコメ欄ではさすノア4回、すごノア2回みたいなカウントが行われた。
大したことのない発言でもさすノア、すごノアになるあたり、さっさと滅びた方が良い破綻国家なのは間違いないと思う。
低予算枠+のんびり系は相性が良さそうに見えて、山も谷も無い内容をより平坦に見せてしまうのだなという学びがある。
まさかのミステリー系で面白かった、のだけど登場人物が多過ぎて細かいところまで理解しきれなかった気がする。原作をかなり端折ってるらしい?
ご褒美が本編なのでそれ以上でもそれ以下でもなく。
これは百合枠でいいの?ヘルモードな体験しすぎてない?ひたすら重いので追放ざまぁ展開ぐらいは欲しかった。これも最後に色々詰め込まれたけどわからんこと多過ぎ。
一体誰がこの企画を通したんだ枠。80年代のノリを令和に蘇らせて何がしたかったんだ…
経験値稼ぎがヘルモードであって、展開としては言うほどヘルモードかなあ。
卵だったのは実質1話だけ、あとは進化していく既視感あるやつ。単調が過ぎる。
青エクのようでいてそうではないやつ。SNSネタを使う割にいまいち盛り上がらず。おれたたエンドだったので二期は無さそう。
人外っていうかケモ枠。1クールかけて卒業するのかと思ったらまさかの途中退場あり、しかも卒業したキャラは再登場なし。
主人公のトラウマの原因になったキャラの言ってることが何一つ理解できなかったんだけど、これがメンヘラ地雷女思考ってやつなのか?
原作者が勇者刑に処すと同じってどういうことだよ枠。1クール目までだと正直まだ何とも感があるけど継続視聴かな。
これが夕方アニメ枠とか正気か?ってぐらいにグロイ+酷い設定が出てきたんですが。こういうのはちゃんと深夜枠でやろうよ。
悪役令嬢要素一体どこ????ひたすらイチャイチャなので、女性向けお隣の天使様みたいなものだと思う。
安定の面白さ。そもそも何故、王国と魔王軍が戦ってるか謎だし、王国は負けても何も困らないのではとか思ってしまう。
原作最大の見せ場きましたー!ここで終わっておけばみんなハッピーだったね。
面白いのだけども1期程のインパクトはなかったかも。シュタルクが不死身になりつつあるのでもしかしなくてもギャグアニメでいいのでは。
上位入れなかった子の「お母さんに遠くまで送って貰ってるのに…」みたいなセリフとか、スポ根の皮を被せてはいるけどフィギュアスケート界隈の怖さがところどころ出てくるのがやっぱり怖い。
Twitter見てると毎日毎日、男女の殴り合いでタイムラインが地獄だよな。
で、必ず出てくるのが「あいつらは真のフェミニストじゃない」「フェミニズムは本来、男女平等を目指す素晴らしい思想なんだ」っていう、お花畑な擁護。
アンフェくんもアンフェくんで、「ツイフェミは嫌いだけど、本物のフェミニズムは尊重する」とか物分かりのいいフリしちゃってさ。
フェミニズムの母、メアリ・ウルストンクラフトの頃からしてそう。
彼女たちが信じていたのは、「今の社会は男性本位の抑圧だらけのクソ。その抑圧さえ消えれば、女性は本来の(男性以上の)知性と道徳を手に入れて神の王国が実現する」っていう極端なユートピア思想。
要するに、最初から「自分たちは抑圧された被害者であり、本来はもっと優れた存在である」っていう強烈なルサンチマンと選民思想がセットになってるんだよね。
「母権制が原始の姿だった」とかいう、今じゃ否定されてるバッハオーフェンのトンデモ説をエンゲルスが補強して、「女性は本来強かった(のに男が奪った)」っていう物語を完成させた。
「女は本来すごいんだ!」っていうツイフェミのあの全能感、あれは昨日今日始まったもんじゃなくて、200年前からの伝統芸能なんだよ。
第1波フェミニズムが「参政権」を勝ち取ったのは有名だけど、その過程で彼女たちが何をしたか知ってる?
「無学な黒人に権利を与えるくらいなら、知性ある白人女性に先に寄こせ」って有色人種を徹底的に切り捨てたんだよ。
フェミニズムは最初から「知性や能力がある(と自認する)女性」のための運動であって、そこに該当しない人間(黒人、障害者、そして弱者男性)を差別し、排除するのはお家芸なんだわ。
大正時代の日本でも、フェミニストが「劣等な男は結婚させない(断種)」って運動してたし、現代の教祖様である上野千鶴子だって、弱者男性に向かって「平和に滅びていけ。間違っても子ども作るな」って言い切ってる。
「ツイフェミは平等とか言いながら、金持ちのイケメンばっかり求めるダブスタだ!」って怒ってるアンフェくん、君もピュアすぎる。
研究でも明らかになってるけど、フェミニストを自称する女性ほど、実際には性差別的な振る舞いをする「超強力な男性」に魅力を感じるっていうデータがある。
口では「平等」って言いながら、本能では「リッチで天才な自分専用の騎士」を求めてる。
これ、矛盾でもなんでもない。彼女たちにとっての「解放」とは、「男と同じ義務を負うこと」じゃなくて、「自分たちを抑圧する社会構造を壊して、自分たちが美味しい思いをすること」だから。
義務や責任の話になった途端にフェミニズムが沈黙するのは、歴史的に見ても「当たり前」のことなんだわ。
いや、彼女たちが求めてるのは「男にとって都合のいい性の排除」であって、自分たちのファンタジー(BLとか)は別腹なんだよ。
つまり、「何が正しいポルノかを決める権利を、男の手から奪い取る」のが目的なの。
ツイフェミがBLを愛でながら萌え絵を燃やすのは、彼女たちの思想からすれば1ミリも矛盾してない「正しい聖戦」なんだよね。
アンフェくんが「真のフェミニスト」として夢見てる「理知的で、男とも対等に義務を分かち合い、弱者にも優しい聖女」なんて、歴史のどこを探しても存在しない。
これこそがフェミニズムの正体。
ディスペンセーション主義(Dispensationalism、ディスペンセーションしゅぎ)とは、主にプロテスタントの福音派で影響力の大きいキリスト教神学の一つの立場です。聖書全体を「神が人類に対して異なる時代(ディスペンセーション=経綸・管理・時代区分)で異なる方法で関わっておられる」と解釈する考え方です。日本語では「経綸主義」「契約時期分割主義」「天啓史観」などとも呼ばれます。
19世紀中盤にイギリスのジョン・ネルソン・ダービー(プリマス・ブレザレン運動)が体系化した。
アメリカではC.I.スコフィールドの『スコフィールド参照聖書』(1909年)が大衆に広め、現代福音派の終末観に強い影響を与えた。
日本では戦後、いのちのことば社や聖書図書刊行会を通じて紹介され、特にホーリネス系・独立バプテスト系・一部の福音派教会で受け入れられている(中田重治、高木慶太らも関連)。
主な特徴(特に強調される3点)
多くのディスペンセーション主義者が一致する核心は以下の通りです。
特に預言箇所を比喩や霊的意味ではなく、可能な限り歴史的・文法的に文字通りに受け止める。
イスラエルと教会の明確な区別 神には常に2つの民が存在する:民族的イスラエル(地上的・国家的な約束)と教会(異邦人+ユダヤ人の霊的共同体)。
旧約のイスラエルに対する約束(土地・王国など)は教会に置き換わったり成就済みになったりせず、将来文字通りに成就すると考える。
典型的な7つのディスペンセーション(時代区分)(通説的な区分。多少の変動あり)順番
時代名
主な特徴・試練
終わり方
1
2
3
バベルの塔
4
律法の到来
5
6
携挙・患難期へ
7
再臨後1000年(黙20)
救いの方法自体は全時代で「信仰」によるが、神が人間に課す責任・ルールが変わる、という理解です。
前千年王国説(Premillennialism)が主流。
特に患難前携挙説(大患難前に教会が携挙される)が古典的ディスペンセーション主義で一般的。
現代イスラエルの建国(1948年)やエルサレム回復(1967年)を預言の成就と見る人が多い。
これがアメリカ福音派の強いイスラエル支持の神学的背景になっている(日本でも一部で同様の傾向)。
対立する立場契約神学(Covenant Theology):聖書を「業の契約」「恵みの契約」などで統一的に捉え、教会を「新しいイスラエル」と見なす。
ディスペンセーション主義を「過度に二元論的」「字義的解釈が極端」と批判する声もある。
日本では福音派の一部で人気がある一方、他の教派(長老派・改革派など)ではほとんど受け入れられていません。
最近は「漸進的ディスペンセーション主義」(Progressive Dispensationalism)のように、伝統的立場を修正した考え方も出てきています。
前回の続き
音楽で世界を救うアーティストヒーロー、キョウヤと凪のボーイ・ミーツ・ガールでもあるように思える。
この2クール目はキョウヤの挫折から。そんな彼を心配するソウジ。これソウジの株が爆上がりだろ。
ヨースケは色んな人を泣かせて罪な男よのう。
EDは基本的に「SingingOver」。13話ではSI-VIS全員、14話は別の特殊EDが挟んで、15話〜17話はBoys side、18話〜20話はGirls side。
21話からはSI-VIS全員に戻るけど、絵ではXENOSのメンバーも一緒にいる。
全24話。地球外の女の子との出会い、イデア(魂の力)の高まりや融合はエウレカセブン的な感じで、
もうちょうっと凪とセイレーンの恋のバトルが見れたらなって思うのはマクロスF好きだからかな。
ゲームの世界の悪役令嬢に転生。ヒロインじゃなくて、それを邪魔する悪役令嬢へ。
でも実際はゲームのエンディングの後の話で、悪役令嬢要素はひとつもない。
はたして、その後の悪役令嬢はどうなるのか。まあ、タイトル通りな訳ですが。
ただただ隣国の王太子との甘い時間を過ごすアニメになっている。ちょっと退屈かもしれない。
声はオーディオドラマ・ドラマCD・PV・テレビアニメの共通キャスト。意外にも珍しいらしいです。
OPとEDは高垣彩陽 feat 城田優。なに、もうミュージカルでもやっちゃう?
全12話。いや、なんというか、特に盛り上がることもなく、いや、二人のイチャイチャラブラブはそれなりに盛り上がってるんだろうけど
だいたいストーリーは想像つくので、ながら見でいい作品だった(ひどい
人のいない森に住む魔女のお話。薬づくりが趣味で、作った薬は街に卸している。
彼女が通る道には毒キノコが生えることから、シャンピニオン(きのこ)の魔女と呼ばれ、誰も近づこうとはしない。
街の人からは忌み嫌われている存在だが、実はかなり街に貢献している存在でもある。
そんな彼女が少年を保護し、一人前の魔法使いとして育てるお話。
全12話。誰とも恋ができないルーナと、かなわぬ恋を胸にしまうリゼ。恋もまた呪い。
小説やラジオドラマにもなっている。時は江戸時代中期。火消の話。
かつて「火喰鳥」と称された火消し・松永源吾と、彼のもとに集まったクセ者ぞろいの「ぼろ鳶組」が、次々と起こる付け火の謎を追う。
人物は主に3DCGで描かれる。この辺が苦手な人がいるかもね。
OPはポルノグラフィティ。EDは大泉洋、作曲は玉置浩二。EDの最後の風景では仲間がだんだん増えていく。
でも・・・人気は出ないだろうなぁ。同じ原作者の映像作品なら今はイクサガミの方が上か。
全12話。うーん。
人間も天界も敵わない魔王だけど、可愛いくて優しい娘にはやはり敵わない。
優しい世界。笑いあり、涙ありで大好きです。一番口角上がってみるアニメだと思う。
いや人によってはこの緩い魔王の娘にイラッと来る人もいるかもしれないが。
全12話。
1期後半にあった一級魔法使い試験のようなバトルバトルするよりも、
過去の英雄譚を振り返りながら旅をして水戸黄門する話が好きです。今期も楽しみです。
1期の時にサウンドトラック買ったけど、2期のも予約しました。
女子小学生を中心に大人気となったサン宝石のキャラクター「ほっぺちゃん」がアニメ化。
見た目や緩さは子供向けのようだが、ガラスの仮面、ブラック会社、霊感商法といったネタがある。
ぷにるばりにカワイイが正義な「ほっぺちゃんの世界」だけでなく、
「現実世界(人間世界)」も別で登場する。この二つの世界がどう交差していくのかも見どころ。
全編MMDで制作されている。クレジットにはポンポコPやビームマンPなど、昔からMMDで活躍されていた名前が。
写真を介して過去の時間の出来事を把握・干渉する能力を持つトキとヒカルのバディもの
音楽は日本ファルコム時代から新海誠と作品を作っていた天門が引き続き担当している。
2期が終わってもまだ謎が多い今作だが、これからどうなるのか。
よくある中国と日本での尺の違いがある(中国は1時間x6話構成、日本は1話3分割 計8話構成)
【その他】
2024年に日本テレビ(ローカル)で放送されているが、BSでは初(のはず)
帝国側と自由惑星同盟、そしてフェザーンと地球教の思惑も加わってくる。
ラインハルトが変わりつつある。キルヒアイスとの約束はもはや呪いか。
2025年に日本テレビ(ローカル)で放送されていたが、BS12で放送。
福井県が舞台。学生の日常アニメと言いたいところだが、クセの台詞の供給過多で鼻につく作品でもある。
お笑いでいうところの「しずる」のコントが好きな人は好きだと思う。
2025秋アニメでの放送ではあったが、11~13話は延期になり、この時期での放送になった。
11~13話を一気に放送して、今年また第2クールが始まります。
【追記:見てない】
・Fate/strange Fake ごめんなさい正直に書くとFateってことだけで食わず嫌いして見てません ファンには殴られても仕方がない ロード・エルメロイII世の事件簿や衛宮さんちの今日のごはんだったら見てたかも
・青のミブロ 第2期 芹沢暗殺編、 地獄楽 第2期、どうせ、恋してしまうんだ。、龍族Ⅱ 何故か1期を見逃してそのまま見てない
アンドルー・ラングの『赤い童話集』にも収録されている有名な民話で、世界各地に類話がありますが、特に北欧バージョンが「ガラスの山の上に座るお姫さま」と「黄金のりんご(黄金のリンゴ)」の組み合わせで印象的です。
簡単なあらすじ
昔、ある国に三兄弟がいました。兄二人は賢くて力持ちでしたが、末っ子のシンデレラ男(Cinderlad / Boots / 灰かぶり少年タイプ)はいつもぼんやりしていて、兄たちに馬鹿にされていました。王様が「お姫さまを娶りたい者は、つるつるのガラスの山を登って、お姫さまの膝の上にある3つの黄金のリンゴを持って帰ってきた者に、お姫さまと王国の半分をやろう!」と宣言します。多くの王子や騎士が挑戦しますが、誰も登れず滑り落ちてしまいます。ところが、毎年聖ヨハネの日(夏至祭)の頃になると、末っ子少年のもとに不思議なことが起こります。
2年目:もっと立派な馬。
3年目:輝く銅・銀・金の鎧を着た素晴らしい馬。
少年はそれぞれの年にガラスの山に登り、滑らない蹄鉄のおかげで頂上に到達!
お姫さまの膝から黄金のリンゴを一つずつ(計3つ)もらい、しかもその場で姿を隠して帰ってきます。大会当日、誰も登れなかった中、謎の騎士(もちろん末っ子少年)が3回登場し、見事に3つの黄金のリンゴを持って帰還。
正体を明かすと、みんなびっくり! お姫さまは少年を選び、結婚してめでたしめでたし。
ポイントガラスの山 → 誰も登れない難関。魔法や試練の象徴。
イーストの入ったパン生地を薄く延ばし、バターを塗り込み何重にも重ね、巻き込む。数回繰り返すことでサクサクする食感やバターの風味ができ上がる。ただし、作り方には例外もある。
デンマークではチョコレートや砂糖などをトッピングしたり、ジャム、マルチパン、カスタードを詰めたりするものもある。
形もいろいろあり、中に詰め物のある丸いものや、螺旋状に巻いたもの、ひらがなの「め」の字に似た「クリンゲル」などもある。
デンマークのパン職人が、酪農王国ならではのバターや鶏卵をたっぷり使ってサクサクとした食感の生地に改良した。
クロワッサンのようなバターを何層にも折り込んだパン生地に、フィリングとコーティングやトッピングを組み合わせ、様々な種類を作ることができる。
生地はクロワッサンに似ている。だが、クロワッサンと同生地を使っている店と、別生地を使っている店があり、一概に同じとは言えないパンってな〜んだ?
答え:デニッシュ
勇者はだいたい四十代の半ばになると、ある朝ふいに自分の足音の質が変わっていることに気づく。
靴底と大地のあいだで鳴る音が、かつてのような「これから何かを始める」音ではなく、「ここまでなんとかやってきた」という種類の音に、ひそやかにすり替わっている。
それは決して劇的な発見ではない。
台所の隅でいつのまにか増えた空き瓶に気づくのと同じくらい、静かで、取り立ててニュースにもならない。
だがそのささやかな気づきが、魔王討伐という長い物語の進行方向に、ゆっくりと角度をつけていく。
若いころの勇者は、自分の剣筋が世界をまっすぐに切り裂いていくと信じている。
城を出るときに交わした約束や、酒場で地図を広げながら語った大げさな言葉たちは、まだ新しく研がれた硬貨のように、ポケットの中で心地よく音を立てる。
魔王の居城までの距離は単なる数字にすぎず、山脈も荒野も、少しばかり手間のかかる試練のリストとしか見えない。
そこに描かれている山の名前には、すでに二度三度と越えた記憶のしみがついているし、かつてはただの点にしか見えなかった村には、あの夜飲んだ安い酒の味や、焚き火の煙の匂いがまとわりついている。
地図はもはや「これから征服すべき世界」ではなく、「すでに歩いてしまった時間の、薄いアルバム」のようなものになる。
そのころになると、魔王という存在の輪郭も、微妙に変質してくる。
若い勇者にとって魔王は、物語の最後に倒されるべき、単純で巨大な黒い点だ。
しかし四十代の勇者にとっては、それは世界のどこかで黙々と仕事を続けている、まだ見ぬ同年代の労働者にも少し似ている。
同じくらいの年齢で、同じくらい肩を凝らせて、同じくらい「やめどき」を見失っているかもしれない誰か。
こんなふうに考え始めると、剣を振るう腕の中に、目に見えない余白が生まれる。
一撃ごとに、「この技を教えるなら誰がいいだろう」という、予定にない注釈が挟みこまれていく。
斬り結ぶ最中に、背中のほうでまだ見ぬ若い勇者たちの影が、ぼんやりと動き始める。
四十代半ばの勇者が、最初に後継者のことを考えるのは、たいてい旅の途中の、さして意味のない小さな町だ。
朝市の立つ広場で、荷車に寄りかかって居眠りをしている若い衛兵の姿や、木剣で遊び半分に打ち合う子どもたちの動きを見ているうちに、ふと気づく。
自分がこれまで「通り過ぎるだけの背景」と見なしていた風景のどこかに、次の物語の主人公が隠れているのかもしれないと。
それはむしろ、乗合馬車の窓に映った自分の顔と、向かいの席で眠る若者の顔を、何気なく見比べてしまったときの、あの妙な手触りに近い。
どちらかが絶対的に正しいわけでも、間違っているわけでもない。
ただ、時計の針がそれぞれ別の位置を指している、というだけのことだ。
後継者育成というと、仰々しい響きがある。
戦い方を教える、地図の読み方を教える、怪我をしたときの対処法を教える。
要するに、自分が若いころに誰かから受け取ったものを、少し形を変えて返していくにすぎない。
ただ、その行為の背後には、誰にもはっきりとは言葉にしない前提がひっそりと横たわっている。
「自分はおそらく、魔王の城のいちばん奥までは行かないだろう」という静かな予感だ。
もっと個人的で、もっと内密な、机の引き出しのいちばん奥にしまい込まれた私信のようなものだ。
長い年月をかけて鍛えられた剣は、まだよく切れる。
走り慣れた道なら、今でも若者たちより速く駆け抜けられるかもしれない。
それでも、勇者は知っている。
魔王討伐という物語は、多分どこかで「自分ではない誰か」の手によって終止符が打たれるのだと。
そのことに気づいた勇者は、そこで初めて本格的に後継者のことを考え始める。
自分の技や経験が、まるで古い魔法書のコレクションのように棚に並んでいる様子を思い描き、そのうちのいくつをどの順番で手渡すべきかを、静かに検討する。
全部を渡す必要はない。
全部を渡そうとしても、おそらくうまくはいかない。
四十代の勇者が、かつて自分がそうであったように、彼らの無謀さや頑固さや、不器用な希望を見て、ひそかに苦笑いを浮かべる。
それは、昔の自分の日記をこっそり読み返しているようなものだ。
ところどころ赤面しそうになりながらも、そこに書かれた拙い言葉に、なぜか少し励まされる。
いつか、どこかの時点で、魔王は倒される。
それが具体的に誰の手によるものかを、世界はたいして気にしない。
四十代半ばを過ぎた勇者の名は、その物語にはたぶん、ほとんど出てこない。
しかし、どこかのさほど有名でもない町外れの酒場で、年季の入った剣を壁に立てかけ、若い勇者の話を黙って聞いている男がいるかもしれない。
旅の途中で覚えた、雨の気配の読み方や、負け戦からの引き際の見極め方を、必要なときにだけ、短く差し出すのがうまい男だ。
だが、物語のどこか深いところで、彼の足跡は確かに地図に刻まれている。
魔王討伐を諦めるというのは、実のところ、物語そのものを諦めることではない。
ただ、自分が担うべき役回りを、ほんの少しだけ脇にずらすことだ。
主役の椅子から半歩横にずれて、次にそこへ座る誰かのために椅子を整え、背もたれの埃を払う。
四十代半ばの勇者がやっていることは、だいたいそういう種類の、目立たない仕事である。
そして、そんな静かな仕事こそが、世界が気づかないところで物語をつないでいる。
新しい勇者が剣を抜くたびに、その刃のどこかには、名前も知られないままの古い勇者たちの手の温度が、うっすらと残っている。
それは、誰も見ない夜空の端っこで、黙ってまたたき続ける小さな星の光に、少しだけ似ている。
1000年以上前のことだが、ここには絶大な技術力を持ち、たたら製鉄によって強靭な武器を揃え、海と山に囲まれた天然の要塞を構える「巨大な王国」があった。
中央に対抗し得る力を持ちながら、それ故に危険視され、様々な工作を受けた末、朝廷からの刺客についに討伐された。
王は「鬼」という怪物に貶められ、一繋がりだった王国は備前、備中、備後、美作の四つに分断された。
王国の記録は抹消され、残ったのは勝者によって改竄された断片的な歴史のみであり、ここに「空白の150年間」が生じている。
それどころか、彼らの末裔は朝廷からの刺客を「桃太郎」と讃え、かつての王を鬼として退治する物語を受け入れ、ブランディングのために積極的に売り出している始末である。
もはや「KIBIの意思」は喪われた。
しかしかつての王国によって作られた破壊不能の超巨大構造物「造山古墳」は今も手つかずで残されており、「私たちはここにいた」と静かに語り掛けているのである。