はてなキーワード: 片手落ちとは
終戦直後の沖縄で米軍基地から物資を盗んで市井の人に配布する強盗団を結成していた瑛太と妻夫木と窪田、そして瑛太の恋人の広瀬すずら。ある日、基地に潜入して武器を盗もうとするも失敗、逃走中に留守番の広瀬はともかく3人ははぐれてしまう。そして6年後、捕まって刑務所に行った窪田はヤクザに、妻夫木は刑事に、広瀬は女教師にそしてリーダーの瑛太は行方不明になっていた。瑛太の行方をそれぞれの立場から追う、3人だったが戦後の沖縄の大きな歴史のうねりに翻弄されていく。
みたいな話。
とりあえず沖縄基地問題にあんま興味がなくて3時間越えは長いなぁ~って人は多分見る必要ない。
なんか超分厚い原作があるらしいって話は知ってて、まぁそっちでは戦後の沖縄の歴史と人間ドラマを濃密に描けているんだと思うんだけど、それを映画化するにあたってどこを残してどこを切るのかという判断をぶっちゃけ失敗していると思う。この映画191分もあるのに人間ドラマを描くのか沖縄の戦後史を描くのか圧倒的にどっちつかずだし、沖縄戦後史に振るには全然覚悟が足りないと思う。
まず人間ドラマなんだけど、基本的には主人公妻夫木らオキナワンチュたちの精神的支柱だった瑛太がある日の侵入失敗後に行方不明になってしまい彼を探すことがこの映画のメインだと思うんだけ、これがすげーふんわりしてんだよ。
妻夫木は瑛太を探すために刑事になったんだけど、その設定も序盤にちょろっと米兵がらみの殺人事件を捜査するパートが入って、その後、米軍諜報部の人間と組んで不良軍人を協力して捕まえる代わりに情報をもらう感じになるんだけど別になんかそんな重要な情報出てこない。さらに深入りすると本土の人間が乗り込んできて拷問されたりするんだけど、これもあんま意味が分からんのよな。
一方の窪田は刑務所でヤクザネットワークに加盟してそこから情報を掴んでいくんだけど、そこがもう断片的にしか描かれなくて「はい、情報出しときますね~」って感じで全然情報が集まっていくわくわく感やスリリングさ謎解き感がない。まぁ、妻夫木よりはマシだけど。そして瑛太の件とは別に関係なく米兵狩りを始める。
広瀬は頑張って瑛太が奪った物資で建てた小学校で女教師になりました。
なお、小学校には米軍機が墜落して爆散した模様。そしてその後、瑛太とかとは関係なく沖縄開放運動家になります。
あと、なんか序盤では花売ってたわけわからんガキがその後、急に成長してイケメンになるんだけど、で、こいつは誰やねん。なんか急にイケメンわいてきたなと思ったら花売りのガキだったってなるんだけど別にこいつなんか花売ってただけで何の存在感もなかったしなぁって感じ。で、実際にはこいつが一番のキーマンで実は米軍の偉い人が現地民孕ませて作った子供で、その現地民がたまたま瑛太たちが侵入した日に米軍基地に侵入していて爆裂出産。そこに瑛太がうっかり出くわして子供を託され、育てていたのでした。
そしてうっかり撃たれたイケメンに導かれた3人は浜辺に移動するとそこには白骨化した瑛太がおり、安易な回想シーンで真実が流れなぜかたぶんその回想シーンを見ていた3人は感動するのであった。何の話やこれ。
ちなみに米軍諜報部と本土の軍関係者が隠そうとしていたのはこの隠し子スキャンダルのことでした。意味わからん。
瑛太はもう死んだ母親と赤ん坊に出くわしただけでその出自は知らんし、イケメンは当然当時赤ん坊なのでそのことは知らん。まぁ偉い人と現地妻の写真が入った首飾りは持ってたけど別にそれがなんにもならんし、なんなら何を現地妻と写真撮ってるねんという話だし。別に撮ったけど肉体関係はなかったって言えば全部収まる話だし。この話に何の引きがあるねん。ばからしい。
じゃあこのメインストーリーを雑に扱って何をやっているのかっていうと、沖縄戦後史の紹介をやっているのね。
米兵による現地民への被害。逮捕しようにもMPがやってきて米軍に連れ去られ無罪にされてしまう。米軍機が墜落してきて子供たちが被害にあうも無罪。苛烈化する市民運動。この忘れられた米軍統治下の沖縄の様子をしっかり映すことに時間をかけている。そして妻夫木と広瀬はそこの渦中にある存在として歴史に翻弄される必要があるので本題の瑛太捜索に時間を全然割けない。
もちろんこれを戦後80年記念に映像化することに意義はあると思うし、特にたっぷり金をかけて作ったであろう終盤の大見せ場のゴザ暴動のシーンなんかは十二分に見応えがあったけど、でもなんていうか映画の本筋と全然接続してないからどうしたってのめりこみが弱くなる。まぁこれに関しては俺が沖縄に全然興味がないからそうなっちゃうのかもしれないけど、なんていうか思想強いなぁって感じ。
でも別に、俺はイラク戦争興味なくてもアメリカン・スナイパーは面白かったしベトナム戦争知らなくてもランボー(無印)は面白かったし、ドンバス紛争知らなくてもコードネーム:レイブンは面白かったからなぁ。だからこそ、大事なのは何を見せるかだと思うんだよな。
たぶん製作陣は沖縄の戦後史を見せることが大事だと思ったんだと思うんだけど、でも、たぶん映画ってそうじゃないんだよ。三者三葉の立場で瑛太を追う中でそこに横たわる困難として沖縄の呪われた戦後史がにじみ出てきてしまう。そういう感じのほうがちゃんと面白い映画になったと思うんだよ。本だったらいいよ、心置きなく全部書けるから。でも映画、映像媒体はそうじゃないじゃん。時間制限がある中で何を描くのか、何を描かないのか。そして直接は描かない中でも見せることが腕ってもんじゃねぇの?
じゃあ沖縄戦後史には全力投球で完璧なのかというの全然でさぁ。
最終的に窪田が米軍基地にテロを仕掛けるんだけどそこで妻夫木と妻夫木の論争になるんだけど。「返還されても沖縄は何も変わらない。だから俺はテロでアメリカだけじゃなくて本土の人間にも沖縄の怒りを知らしめるんだ。怒りで世界を変えるんだ」派の窪田に対して、妻夫木は「暴力じゃ何も変わらない(陳腐)。でも諦めなければ10年後、20年後には世界は変わっているはずだ。人間は愚かじゃないから今の沖縄みたいな間違った状況が続くはずがない」と諭すんだけど、10年後も20年後もそんな変わってないのを知ってる人間がこれ書くのなんかグロいんだよな。
もちろん、まぁ変わってないんですけどね(嘲笑)みたいな映画らしい悪意があるのかっていうとなんかそんな感じでもないんよ。これがブラック・クランズマンみたいにエンディングの前、暴動も治まり日常に戻った主人公たちがテレビをつけると久米宏が沖縄米兵少女暴行事件を伝える映像が流れるとかだったら覚悟あるやんと思うけどさ。なになんかキラキラディベートタイムで消費してんねんと思う。
あとそれで言うと、窪田が急に最後に本土人にキレてたけど、この問題で重要なのはアメリカ人よりもむしろ本土人なのに作中ではその視点はほとんど登場しない。あまりに片手落ちすぎる。
他にもいいたいことは山ほどあるんだけど、とにかくたぶんだけどこれ原作読めばいいだけの映画なんだよ。
もろちん、日本映画史上有数の25億の金をかけて当時の街並みを再現して2000人のエキストラバージンオリーブオイルを集めて撮った暴動シーンなんかはスケール感があってよかったけどだったら191分もいらないんだよ絶対。そこまでの吸引力はないよ。ただ、役者はよかった。みんな芸達者で特に瑛太は薄汚れていてもこいつが青学の柱なんやなっていうのが一目見てわかるような沖縄の太陽みたいな役をよく演じてたと思う。
まぁそんな感じかな。沖縄基地問題に関心がある左翼と沖縄人が見ればいい映画で、エンタメ系が好きな人は別に無理してみる必要ないと思う。長いし。110分くらいだったら50点くらいあっていいと思うけど、そこからさらにホラー映画1本分見せられてこのオチだったからこの点数で提出です。
あと、これは完全に余談なんだけど俺は全然つまんなくてこれホンマにどういう態度で見るべき映画なんやと思って、↑まで書いてからいくつか解説動画を見たんだけどこれがちょっと面白くてさ。
まずエンタメ映画を多く紹介しているチャンネルではおおむね不評で論としては意義は認めるし映像も頑張っているけど映画としては散漫という評価。
そしてこれを絶賛している人の多く、というかほとんどが作品じゃなくて作品背景、沖縄にはこんな歴史があってぇ米軍はこんなにひどくてぇだからこの映画を作るってことには意義があってぇみたいなことが評のほとんどを占めていて、作品の内容じゃなくて意義を評価するって方法があるんだなぁという学びを得た。
辺野古で高校生(と活動家)が犠牲となった痛ましい事故について、平和教育や反基地活動そのものにどの程度関連付けて議論すべきかは、非常に専門的な知識と判断を要する。
まず事故の直接的な原因についてのみ検討すると、本件は直接的に抗議活動を行っていた最中の事故ではなく反基地活動や平和教育と言った要因は無関係であると考えられる。自分はマリンアクティビティについての専門家ではないので観光事業者が分析した記事を引用する[1]。複合的な技術的要素が重なって発生した事故である一方で、基本的な安全の管理体制の不足が指摘されている。しかし不適切な安全の管理が行われること自体は反基地活動や平和教育といった目的がなくとも世界中で発生している事象であり(知床観光船やJR九州高速船の事案は近年かつ大きく報道されたこともあり記憶に新しい)、即座に反基地や平和教育と結びつけて議論することは適切ではない。
一方、安全について議論する際に直接的要因のみにフォーカスするだけでは片手落ちである。実際、発生してしまった多くの事故では経済的な理由によって安全の優先順位が劣後したケースが少なくなく(つまり利益を優先して安全を軽視している)、組織全体に背景要因となる文化が染み付いているような場合は直接的要因を潰しても必ず似たような理由で再び事故が起きる。
では辺野古の事故において、平和教育や反基地活動は重要は背景要因ではなかったのだろうか。推測を含む部分はあるが、到底無関係とは言えないだろう。まず今回の事故を起こしたヘリ基地反対協議会は過去にも死亡事件を起こしており、事故を起こしたにもかかわらず必要な安全管理策を取らなかった、明らかに安全文化が劣後した集団である。その背景要因として、反基地活動という崇高な目的が、彼らの手段を集団内で正当化した可能性は否定しきれない。また同志社国際高校についても、本来実施すべき安全確認のプロセスが平和教育という目的、あるいは普段から深い繋がりのある団体であるからと言った理由ですっ飛ばされた可能性はあるだろう(客観的事実として、そもそも繋がりのない団体かつ通常の団体が提供するサービスであれば旅行代理店のチェックは最低限入る)。
何よりも、この様な重大事件を引き起こした後でも、平和教育や反基地活動の正しさという思想から発生した行為の正しさは維持しようとする姿勢そのものが背景要因としての重要さを物語っている[3][4]。仮に経済的に行き詰まった業者が安全を軽視して船を運航し、「事故を起こしてしまったことは問題だが、会社が潰れるか、社員を路頭に迷わせるかどうかの瀬戸際であり、利益を優先する経営方針は間違っていない」と主張したらどうなるだろうか?またそもそも、こんな主張をしておきながら政府が「沖縄県民への基地負担は問題だが、沖縄の基地は日本だけでなく世界の秩序の安定化に必要であることは正しい」と主張した場合にどの面を下げて批判できるのだろうか?
そこそこの期間安全の専門家として生きてきたが、実は経済的な目的変数が重要視されている場合はやりようがある。なぜなら重大な事故は経済的な利益にダイレクトに影響するからだ。一方で、反基地活動のように理念そのものが目的変数である場合、事故が発生してもその評価関数自体は維持されやすく、内部で正当化が可能なため、安全改善のフィードバックが回りにくい。事故の経過を観察するに、これは本当に問題の根が深い。反基地活動を再開するのであれば、理念よりも安全を優先する文化をまずは整えてからにすべきである。
[1]https://note.com/irukaoyaji/n/n77b7bedf08f5#2edc8ca8-3290-42d4-8b00-9891d0ff4f36
[2]https://www.sankei.com/article/20260423-C4NDGHI7ERLITJAJFZ5DQI2IDM/
[3]https://note.com/unknownbuttruth/n/n058ea58c5c8e
[4] https://www.sankei.com/article/20260505-2M6P2PZPTRLRRLPWMEPHDBYRGY/
いまどき、地域の病院で分娩できるところがない、というのは珍しくない
分娩を取り扱うコストが高すぎて身も心も経済的にもきつすぎて、病院もクリニックも産科を閉鎖するからである
出産はそれまで良好な経過をたどっていた女性であっても突然命にかかわる状態になってしまうことがある。だから24時間体制で面倒を見る必要があるが、ほとんど使命感や責任感だけで医療者側が頑張っている、いや頑張りすぎているという状況だ
これまでは分娩は保険適応ではなかったため(帝王切開は手術扱いで保険適応)、医療側が、言ってみれば値段をつり上げることで少しでも自分たちの頑張りにリターンを設定することができた。こうやって産科をどうにか維持してきた地域の病院やクリニックは少なくない。
ところが保険適応になってガチガチに決められたらどうなる。これまでギリギリでやってきた病院クリニックが逃げ出すだろう。分娩の保険適応と聞くと、なんだか子どもを産みやすい社会になったような気がするが、片手落ちである。現状の医療職への対応を見れば(医師だけ過労死ラインが違うとかね)政府に保険点数を爆盛りしてクリニックや病院を儲けさせる気があるとも思えない。片手落ちのまま「子育てに優しい政治」を実績としてアピールするつもりなのだろう
AIも人間もおかしい話したり途中からおかしくなり始めることあるけどそのおかしさの種類に差異がある気がする。
dorawiiより
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最初に断っておくが、これは統計に基づいた社会学的な分析じゃない。
ただの低学歴な増田が、インターネッツと日常会話から得た、極めて雑で偏見に満ちた観測に基づくお気持ちだ。
ただただ今の日本に漂う戦争観のねじれが気味が悪くて仕方ない。
現在のきな臭すぎる世界情勢と、日本政治を巡るあれこれへのフラストレーションを整理するために、俺の思う日本人の戦争観をちょっと書いてみる。
よく中韓の人が日本批判の文脈で「日本人は戦争を反省していない」と言うが、それは半分正解で半分は外れていると思う。
中韓では知られていないのかもしれないが、実は日本はわりとガッツリ子供に敗戦の教訓を浴びせて育てる国だ。
戦争は悲惨で、平和が一番で、二度と繰り返してはいけないとかなんとか。
問題はその中身だ。
日本で流通している戦争の語りは、主役である善良な庶民が、悪い軍部や国家あるいは「戦争という化け物」そのものにひどい目に遭わされた話に終始している。肝心な部分を抽象化して誤魔化しているわけだ。
戦時下の抑圧、徴兵、空襲、原爆。それ自体は否定しようのない事実だし、悲劇だ。
しかしそればかりをリピート再生するだけでは、決定的なパーツが抜け落ちたままだ。
日本はなぜあんな狂った戦争を始め、どこへ行って何をしようとしたのか。
占領地で誰を殺し、誰の尊厳を踏みにじり何を奪ったのか。ここが驚くほど空洞になっている。
現代社会を生きる多くの日本人にとって、第二次世界大戦は、軍部というモンスターが突如暴走して可哀想な庶民が巻き込まれた不可抗力の災害として処理されている。
もっと雑に言えば「かわいそうな日本人の体験記」としてしかパッケージ化されていない。
これらの帰結として、日本は追い詰められて戦わざるを得なかった被害者であり、英霊は国を守るために散ったという、驚くほど自分勝手な認識にたどり着いてしまっているケースが散見される。
そりゃ末期になれば本土空襲も沖縄戦もあった。その局面だけ切り取れば攻め込まれたのは事実だろう。
しかしその前に日本軍がどこで何をしていたかをスキップして、「我々もつらかったんだ」で話を閉じるのは、あまりにも都合がよすぎる。
この手の被害者意識としての反戦は、教育だけではなく娯楽作品でも延々とアップデートされている。
たとえば『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』とか、まさにその典型だと思う。
そこで描かれるのは、時代に翻弄された純粋で優しい若者たちだ。
彼らがなぜそこに立たされていたのか、その死がどれほど組織的で無残な敗戦処理だったのかという構造より、こんなに優しい子たちが死ななきゃいけなかったなんて、戦争は残酷というお涙頂戴が前景化する。
観客が回収するのは侵略戦争の末路ではない。愛し合う人々を切り裂く戦争はダメという極めてパーソナルで消費しやすい感情と、彼らが命がけで“守って”くれた日本を大切にしなければならない、という異次元から突如湧き出るピュアなナショナリズムだ。
「加害」という面倒くさい政治認識をスルーして感情だけで泣けるから、この手の物語は若者にもバズる。
(この項目で引き返そうとした奴いるだろ、せめて最後まで読め)
この「庶民がかわいそう」で止まっている反戦は、実は国家にとって一番扱いやすい。
なぜなら、庶民がひどい目に遭わないシステムさえ提示できればいくらでも軍事化を肯定できてしまうからだ。
この定番文句を添えるだけで、かつての加害の歴史にブレーキをかけるはずの反戦は、あっさりと国防として回収される。
だから俺は高市のような強い安全保障や国家の誇りだのなんだのを掲げて威勢のいいことを言い出す権力者に強い警戒心を抱く。
最近のニュースを見ていると、ああいう連中が掲げる景気の良い甘言に対して反射的に身構える土台がこの国にはもう残っていない気がして、なんだか絶望的な気分になる。
日本人は、戦争を侵略と加害のシステムとしてではなく、一般市民が不幸になる不可解なイベントとして理解している。
分析が甘いから、再発防止策も「平和を祈る」みたいなフワッとした精神論で終わる。
どうせまた清潔な広報と気持ちいい言葉をまとった権力に、驚くほど簡単に流されるんだろう。
戦争は悲惨なんて誰でも言えるが、それだけでは足りないのだ。
日本が加害者でもあったとかいう等価交換みたいな話ですらない。
加害の主体として戦争をし、他民族を使役し、最終的に自壊したという不快な事実を直視しない限り、日本の反戦はずっと片手落ちのままだ。
いずれまた、嵐が去ったらあの頃は庶民が辛苦を強いられたと被害者面するんだろうか?
俺はこの国を最後まで好きでいたいんだ。頼むよ。
「反自由主義じゃなかったのか?」という問いは、概念の整理が甘い。
自由主義にも種類がある。ここで焦点にしているのは古典的自由主義、つまり私的所有権、契約の自由、法の支配、予測可能なルールに基づく秩序だ。フリードマンの立場はここに立つ。
国家の役割はルールの設定と執行に限定されるべきで、裁量的に資源配分へ踏み込むべきではないという立場だ。
もし「自由主義」を、国家が積極的に市場へ介入し、望ましい結果を設計する思想だと定義するなら、それは古典的自由主義ではない。
むしろ結果平等志向の設計主義だ。そこでは自由は手段であって目的ではなくなる。価格システムという分散情報処理メカニズムを尊重するか、それとも中央の判断で上書きするか。この違いは決定的だ。
フリードマンは国家の存在自体を否定しない。通貨制度の安定、独占の抑制、外部性への最小限の対応は認める。
ただしそれはルールベースでなければならない。裁量的な「成長投資」は政治的インセンティブに汚染されやすい。公共選択論が示す通り、政策担当者も自己利益最大化主体だ。市場参加者だけを利己的と見なすのは理論的に片手落ちだ。
だから「反自由主義」かどうかは、自由をどう定義するかに依存する。
国家が自由を拡張するという名目で裁量権を拡大し、価格シグナルを歪め、将来世代に債務を移転するなら、それは自由の拡張ではない。名目上の善意による統制だ。
自由主義を「国家による善意の介入」と同一視するなら、その前提が違う。
ご提示いただいたはてなブックマークのコメント群は、記事のテーマである「ミソジニー(女性蔑視・女性嫌悪)」に対する、典型的な反応のサンプルとして非常に興味深いものです。
記事自体が「構造的差別」や「感情のあり方」を扱っているため、コメント欄自体がその実証の場となっている側面が見受けられます。
以下に、記事で定義されているようなミソジニー的な態度、あるいはミソジニーを維持・強化する構造を含んでいると考えられるコメントを分析・分類しました。
記事内の「『物言う女性』に対し、言葉の暴力で排除・制裁する」という指摘にそのまま合致するコメントです。フェミニズムや女性の権利主張を「正義に酔った暴走」とみなして攻撃する態度は、ミソジニーの典型的な発露(既存の秩序を乱す女性への懲罰)と分析できます。
分析: 「イカレタ女」「バカ」といった侮蔑的な言葉を用い、女性の主張の内容ではなく、その態度や存在自体を攻撃しています。これは「弁えた(わきまえた)態度をとらない女性は叩いてもよい」という心理の表れと言えます。
女性を一人の人間としてではなく、性的資源としてのみ価値を認め、人格は否定するという態度は、ミソジニーの根幹にある「客体化」です。
分析: この発言を「至言(素晴らしい言葉)」として肯定的に引用している点に、女性を対等な人格を持つ他者として認めたくない、しかし性的には利用したいという歪んだ欲望(聖女と娼婦の分離、あるいは人格の無視)が見て取れます。
女性差別について語る場で、「男性こそが被害者である」「女性は優遇されている」と主張し、議論を無効化しようとする動きです。これらは「インセル」や「弱者男性論」の文脈で語られることが多く、構造的差別を否定するための防衛機制として機能します。
分析: 女性差別の解消を目指す動きを「男性への攻撃」と解釈し、敵対心を露わにしています。これは記事にある「剥奪感」によるミソジニーの増幅の実例と言えます。
ミソジニーという概念そのものを「レッテル貼り」や「カルト」として処理し、その背後にある社会構造の問題から目を逸らそうとする態度です。
分析: 「嫌悪は自由」と個人の感情の問題にすり替えることで、その嫌悪が社会構造と結びついて差別を再生産している事実(記事の主題)を無視しています。
「ミサンドリー(男性嫌悪)はどうなんだ」と繰り返すことで、ミソジニーの議論を妨害する行為です。これも広い意味で、女性の問題を軽視するミソジニー的態度の一種と捉えられます。
分析: 記事がミソジニーを主題にしているにもかかわらず、男性への配慮が足りないと批判することで、女性差別の議論の重みを相対化しようとしています。
コメント欄全体を見ると、「ミソジニーという言葉で男性を攻撃されている」と感じて防衛的・攻撃的になる男性と、「まさに記事に書かれている通りのことがコメント欄で起きている」と冷ややかに観察する人々(nina19, funifunix, yourmirror など)にはっきりと分断されていることがわかります。
また、u_eichi氏が言及している「ピラミッド図」はおそらく「暴力のピラミッド(Pyramid of Hate/Violence)」のことだと思われます。
この図は、底辺にある「偏見による態度(ジョークやステレオタイプ)」が、頂点の「物理的暴力」を支えていることを示すものですが、これを「幾何学的に非論理的」と批判することで、本質的な「差別の構造」の議論を拒否している点も興味深い反応です。
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ミソジニー(女性嫌悪)の有無という「ジェンダー論的な視点」を一旦脇に置き、コメント投稿者たちの心理的機序、社会経済的背景、あるいはネット文化的な側面から分析します。
こうして見ると、単なる「差別意識」だけではなく、**「公平性への渇望」「経済的閉塞感」「コミュニケーションの断絶」**といった複数の要因が絡み合っていることが浮き彫りになります。
多くのコメントに見られるのが、「ミソジニー(女性嫌悪)があるなら、ミサンドリー(男性嫌悪)も同じ重みで論じられるべきだ」という対称性への強いこだわりです。
コメント例: replier, ken530000, timetrain, OeThousandmiles
分析:
社会学では「差別には権力勾配(強者から弱者へ)がある」と考えますが、一般の感覚(直感的な正義感)では「どっちもどっち」「悪口は双方向で悪い」という対等な対称性を求めがちです。
記事が「女性差別」に焦点を絞っていることに対し、「片手落ちである」「不公平だ」と感じる心理は、差別をしたいというよりは、「自分の苦しみも同じように認めてほしい」という承認欲求や、世界は公平であるべきだという「公平世界仮説」に基づいている可能性があります。
「男だから偉い」と思っているのではなく、むしろ**「男なのに何の特権もなく、社会の底辺で苦しんでいる」**という自己認識を持つ層からの悲痛な叫びです。
コメント例:
naka_dekoboko: 「いまの社会で弱男にゆるされたのってけっきょく憎悪だけ…憎悪だけがエンパワーして力をくれる」
gun_kata: 「実際にキャリアを奪われた若年男性に対してもお決まりの『新自由主義こそが真の敵』みたいな何の意味もないお題目」
分析:
これはミソジニーというよりも、**新自由主義経済下における「持たざる者」のルサンチマン(怨恨)**の表出です。
「男性特権」という言葉を投げかけられても、自身の貧困や孤独という現実と乖離しているため、フェミニズムを「既得権益層(あるいは勝ち組女性)による弱者いじめ」として認識し、反発しています。特にnaka_dekoboko氏の「憎悪だけがエンパワーする」という指摘は、孤独な現代人の深刻な病理を鋭く突いています。
記事で提示された図表や論理展開に対し、定義や整合性の甘さを指摘して拒絶する反応です。
コメント例:
u_eichi: 「頂点の角が鋭角だったり鈍角だったり…正三角形で底辺短=相似で頂点下がるとか、非論理」
golotan: 「アドラー心理学とか精神分析的な言ったもの勝ち感…客観的エビデンスを欠きジャーゴンの羅列になってしまいがち」
分析:
これは**「認識論の衝突」**です。社会学や人文知的な「概念モデル(メタファーとしての図)」に対し、厳密な定義や定量的なエビデンス、幾何学的な整合性を重んじるエンジニアリング的・自然科学的な思考様式を持つ人々が、生理的な拒否反応を示しています。
彼らにとって記事は「非論理的」に見えるため、内容の正誤以前に「信頼に値しない」と判定されています。
「ミソジニー」という聞き慣れないカタカナ語に対し、わざとダジャレで返すことで、話題の深刻さを無効化あるいは回避しようとする反応です。
コメント例: zzteralin (miso=憎しみ), nande_nande_boy (三十路のおっさん), tym1101, asada1979
分析:
はてなブックマーク特有の「大喜利文化」の一種ですが、心理学的には**「茶化し(ユーモア)」による防衛機制**とも取れます。
自分にとって耳の痛い話や、理解の範疇を超える難解な話を、「三十路(ミソジ)」という卑近な単語に変換することで、自分とは関係のない「ネタ」として処理し、心理的な負担を軽減しています。
コメント例: qdkmqJut, trashcan, ET777
分析:
『imidas』が集英社の分厚い用語辞典として有名だった時代を知る世代(おそらく30代後半〜50代)が多く含まれていることが推測できます。
「まだあそこが生きていたのか」という驚きが先に立ち、記事の中身は二の次になっています。これはネット古参ユーザー特有のコンテキスト依存の反応です。
このコメント欄は、単なる「男女対立」の場ではなく、以下のような現代日本の断層が可視化された場であると言えます。
エリート(概念を操る側) vs 大衆(生活実感を持つ側): 「構造」や「ミソジニー」といった抽象概念で語る記事と、「俺たちは今辛いんだ」という具体的な生活実感を持つ読者の乖離。
文系(解釈的) vs 理系(実証的): 社会的な「正しさ」の語り口に対する、論理的・科学的整合性を求める層の苛立ち。
被害者性の奪い合い: 「女性こそが被害者」という記事の前提に対し、「いや、現代では男性(特に弱者男性)こそが被害者だ」と主張する層の対抗。
これらを踏まえると、コメント欄の混乱は、**「共通言語の喪失」と「余裕のなさ」**によって引き起こされていると言えそうです。
前情報は予告、そしてヤバい映画らしいというホッテントリタイトルだけで、なるべく前情報入れたくねーなと思いながらさっき見てきた。
でもシナリオにケチつけてもしゃーねーから語らん。それより映像についてもっとみんな語ってほしいわ。
ショート動画で流れてきたら余裕で1000万再生されそうなクオリティのシーンが目白押しだった。
特に殺陣がいい。リアリスティックかつ、スタイリッシュかつ、めちゃくちゃ見やすい。
これはすごい。アニメでかっこいい殺陣を描こうとするとカットを多用したり、省略を入れたり、演出効果を多用したりでリアリティが犠牲になりがちだし、ごちゃごちゃして見にくくなることが多い。
逆にそういう工夫をせずに散漫と描いてしまうともっさりしたダサいシーンになってしまう。
本作はそのあたりを絶妙にこなしていて、マジですげーよかった。
あとほかにいうと洋ドラ、ハリウッドっぽい絵作りが多かったよな。
冒頭のシーンだったり、大衆がうごめく壮大なシーンで特にそれを感じた。
日本のアニメーションでハリウッドの実写の空気感を出せるようになったのはすごいことだと思うわ。これも一つの実験的到達点として特筆すべき点だろ。
聞くところによると今作は今年一の駄作らしいけども(まあ俺もそれは強く否定しないけれども)、
映像表現だけで評価するなら鬼滅やチェンソーマンなどのヒット作よかはるかに見ごたえがあるといっても過言ではないと思うわ。
最後に話変わるけどさ。
映画見てシナリオ周りのことしか語らない奴らは小説でも読んどけよ。
確かに映画においてシナリオは大黒柱かもしれないけど、画や音を語ってこその映画レビューだろ。
言語優位な奴らのレビューは文才にあふれてるから読みやすいし面白いけど総合芸術である映画のレビューとしては片手落ちと評価せざるを得ない。残念だわ。
はてサの物言いは、何事かにつけて問題だとか、間違っているだとの主張する割に、危機感が全く無いよね。
危機感があるなら冷笑しとる場合じゃ無いってのが普通の人間の反応だと思うのだが。
自分らの理想がどのような経緯からどのような結果を生みうるかについて一切の言及が無い。
理念の解説としても発端となる事案に対する言及としても半端で、
はては信仰の表明に留まって事態に対する結論が無く、こうなってはもはや机上の空論ですら無い。
危機感を持って向き合っている際は、このような説得的でない言及で満足することは考えづらい。
当人は説得的な言及をしているつもりかもしれないが、であれば片手落ちです。
嘘がなければ説得可能か?
正しければ説得可能か?
これはどちらも否だからです。
なぜなら、昨今の話題でいえば、
台湾が中華人民共和国に蹂躙されることを是とするか否とするかにより、
このため、これを伏せたままに終わった言及によって、
はてサにとっての真実を押し付けることは不可能あるいは欺瞞的と捉えられることでしょう。
当然、侵略を是とするならその時点で世論の納得を得ることは難しくなることでしょう。
否であるなら否であるだけの蓋然性を持たせた説明が必要であり、決してぼかしてはいけない要素であるのですが、
そこにすら至らない言及で満足してる向きが多い時点で論外なのです。
同盟国の危機に際して出撃することを言明しない、はぐらかす、消極的であるメッセージを発信する。
これを安全であると断言する人々がどういう了簡であるのか、誰にもわからないのだから説得できようハズも無い。
というか、言ってる当人が自分の主張がこのようになることを解って無い可能性さえある。
このザマで馬鹿にされたって、そりゃあ何も言い返せませんよ。
なんなら言い返す価値さえも無い。
現代の現実的なヒーローを描くという意味では歴代屈指の出来だと思う。
ただ、尺の都合なのか「ヴィジランテ(自警団)」の是非については片手落ちになっているとも思った。
とりあえず、いい加減、ディズニードラマは適当なところで切るのやめろ。
ガンニバルもそうだったし、今作もそう。最低限、何らかの話は終わらせろ。
今作では仲間を奪われ怒りを制御できず自身の考えるヒーローの資格を失い、ヒーローを引退するマット・マードックと、自身の悪心を制御することでニューヨーク市長へと昇りつめるウィルソン・フィスクという対立構造から話が始まり、フィスクの悪心が徐々にあらわになるにつれ、再び怒りを募らせついに復帰するマットが鏡像として描かれる。今作の序盤から終盤にかけてマットとフィスクはほぼ同じ属性のものでは?というエクスキューズが投げかけられている。これは過去作からもある種共通したテーマだった。
しかし、今作では市長として時に脅し、時に煽てながら仲間を増やしていくフィスクに対して、マットは孤立を深めていく。そしてその結果、マットは破れ、フィスクが勝利する。しかし孤独だと思っていたマットにも、ニューヨークを取り戻したいと思っている善良な仲間がいた。彼らの革命が始まる!完!
完!じゃねぇんだわ!という気持ちはあるが物語としてはよくできている。
キャスリン・ビグローならここで本当に「完」にしそう。
フィスクが権力内、そして市民への支持を得ていく過程で利用するのは「顔隠して暴力ふるいまくるヴィジランテ(自警団)ってヤベー奴らじゃね?」という印象操作。これは例えば今でいうなら「移民」であったり古くは「輸出大国日本」であったりという「共通の敵を作り出すことで団結を促す」という手段であるのだが、これを行うことでフィスクは「自身への団結」と「敵の排除」の両方を効率よく行っていく。過去に倣う立派な政治家である。
しかしそれに対してマットは今作ではヴィジランテとしての活動はほぼ全く行わない。
マットがデアデビルになるシーンは概ね4つ。
1~3は「知り合いが危険じゃねーか!!!(ブチギレ)」で、4は自己防衛。
自警団として「世の中の悪を退治する」という活動を行うシーンがほぼない。
マットがデアデビルになるときは終始ブチギレており私怨からヴィランをボコボコにしている。
もちろんこれが「自警団って言ってるけど感情的に暴力をふるっているだけでは」という、アンチ自警団のフィスク側の視点を補強する役割を担っていて、だからこそ市民の信頼を回復するに至らず敗北するというのは理解できるのだが、それにしても作劇的作為を感じすぎるなと思った。
フィスクニューヨークは治安も全然回復してないし、何なら悪くすらなってるのにマットはそれらはおそらく無視して自分に関係のある人が害されるとブチギレて暴れ出すヤベーやつになってるけど、さすがに前まではそこまでのキャラじゃ無かったよね?と感じてしまった。
昨今多いけどやっぱ市井の人々を救うシーンを描かずにヒーローの葛藤を描こうとするのやっぱフェアプレイに反すると思う。そりゃ「仲間を救う」ためだけに力を使うんだったら「ヤンキー」や「暴力団」「マフィア」とは変わらんけど、そうじゃない人だから「ヒーロー」なんでしょ。
今作に登場したフランク・キャッスルならそれでいいけど、マット・マードックはそうじゃなかったはず。もちろん冒頭でイキスギ!ヒーロー暴行伝説!やっちゃって自警団活動に葛藤してるって構成なのはわかるけど、それで市井の人が苦しんでるのは無視して、自分の知り合いならブチギレるってやっぱ違和感があるよ。
とはいえ「デアデビルの新作」として見なければ(まぁそう見ないとフィスクとマットの関係とかよくわかんないんだけど)ここ最近のMCU作品の中では映画を含めても完成度は高いほうだし、ノワール系の作品が好きなら見て損はないと思う。
ただ、マジで「え?ここで?」ってところで終わるので、26年3月にシーズン2があるそうなのでそれを待ってから見てもいいかもしれない。元々全18話だったのをシーズン1の9話で出したって話だから、まさかシーズン2もいいところで終わることはないと思うので。まさかね。
B級映画(要はサメ映画でもいいし、ジャンプスケア満載のホラー映画でもいい)というのはマノスフィア的な側面があって、グラマラスで彼氏と地方に旅行に来た浮かれポンチの女性を惨たらしく殺すところから話が始まって、化け物(クリーチャー)たちは彼女たちを追い詰め殺そうとするわけでなので、ある種の理不尽な暴力が弱者の日常を脅かすという構図においては否定しようもないところはある
ただ、その化け物には必ず生まれにおいて人間の都合だったりとか、社会に対しての絶望があるわけでして、それはマノスフィアっていう単なる男女差別の領域じゃなくて貧困とか狂信とか社会における圧力が背景にあるわけだ。そこで一場面をえぐってそういう描写だけに言及するのは片手落ちだし批評家の仕事ではないよね
チェンソーマンに至ってもデンジがゴミ箱に捨てられたところから話が始まってるわけで、その奥にある理不尽な絶望を見て見ぬふりしていて、批評として有害まであるかもなあとおもった
よく日本のソシャゲは売れてない!って話があるが、少なくとも日本ではそんなことない。
https://sensortower.com/ja/blog/state-of-mobile-games-2025h1-JP
売り上げじゃなくクオリティや人気の話としても、日本のゲーム会社は買い切りに大作を出してるからソシャゲだけで比較されても片手落ちだろう。(もし日本のゲーム会社がスマホゲームで大作だしてもなんで買い切りじゃないんだよと叩かれるだけじゃない?)
中韓ソシャゲが凄い!という感想自体はいい。が比較して国産ソシャゲを叩くなら正しい情報見て叩いてほしい。国産ソシャゲは〜っていう人の知識10年くらい止まってること多いよ。
政府「女性に子供を産ますには、どうしたらいいの…」 [782667645]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/190
190 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5) sage 2025/09/13(土) 04:08:17.05 ID:r67/HxiM0
女性の場合セックスを不特定多数とする方が、社会に出て働くより給料が高くなればいい
この流れをもう少し強化し、売春の合法化とセックス文化の形成を進める
男性が収入で脚切りをされるのなら、女性はセックスをより多くする人がモテるように
セックスが無ければ男女共に惚れるなんてことはありえない、そこから結婚にも繋がらない
セックスできる場の提供(公民館や専用施設でもセックスしていい場所を作る)
セックスしていないと生きていけない、セックスをある程度していればそこそこ裕福に生きていけるような社会であれば調和が取れる
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/192
192 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5) sage 2025/09/13(土) 04:21:44.44 ID:r67/HxiM0
今の社会は女性は自分が結婚市場のどの立ち位置にいるかランクが分からない
男性の高い高いランクと自分が釣り合っていると錯覚し、それが男女共に不幸を呼んでいる
また、女性は男性に優しくするとレイプされるとの危険性から男性に親切にすることを控えている傾向がある
また今のフェミニズムは、実際には向かう方向性を失っているのにも関わらず、今後女性の一方的なファンタジーが夢物語のように展開されると今も信じ続けられている
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/197
197 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5) sage 2025/09/13(土) 04:31:01.10 ID:r67/HxiM0
そもそも男性側が優しさや女性相手に気を使うのは、その女性とセックスできる可能性があると男性側が思うからだ
男性があらゆる努力を行うのは、それが社会的価値の向上に繋がり、女性に選ばれる確立が高くなるからだ
セックスは、すればするほどお互いの親密度が高くなる行為である
日本はセックスを軽視し過ぎた、そして、女性とセックスが出来るなら、と、女性の言い分を通し続けてきた
結婚はセックス許可証のようなものである。セックスレスが離婚の理由になるのだから
セックスするために男性側は人生の大多数のものを捨てなければならない。人権を捨てなければならない
そんな墓場に首を繋がれる契約、その代わりにセックスを「させてあげますよ」としているのが今の女性の言い分である
1度子どもが出来てしまえば、子どもを脅しに使い、養育費の無限搾取を行える(それが実際に子どもに使われる事は限らないのに)
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/201
201 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5) sage 2025/09/13(土) 04:45:52.59 ID:r67/HxiM0
ならば現実をどう変えていくか
女性が男性の性欲を満たして余りあるようにしなければ釣り合わない社会に
女性でセックスできる人口は限られてくる。妊娠でセックスが出来ない時期の人を除くと、もう既に男性余りが起こる。そして年齢が高くなると、男性側が「この人とセックスしたい」と希望する事も少なくなる
望まれない男性とセックスを一定回数、不特定多数の人と一定人数する
そうすれば毎年1000万円を最低支給、生涯支給されるようにすればいい
人数や頻度や回数によって段階的に支給すれば良いと思う
セックスの計測時期は排卵の適齢時期で考え、妊娠できる年齢までにセックスの基本的なことを教え、セックスをすることをメイン収入として、後は研究機関や会社に入社、セックスしながら雑事をこなすような生活であればいい
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/202
202 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5) sage 2025/09/13(土) 04:50:48.29 ID:r67/HxiM0
参政党はもう既にロリコンの許容や弱者の立場の男性の耳障りの良い発言をしている
だからこそ本当に危ない
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/207
207 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5) sage 2025/09/13(土) 05:15:38.65 ID:r67/HxiM0
勿論避妊の技術をもっと発展させ、男女共に身体により少ない影響で避妊が出来る技術を開発しなければならない
そして性病の撲滅にも全力で取り組まなければならない
これを徹底的に行なったうえで、国民全員、男女共に長期間避妊ピルを配布し、全力でセックスさせる
このようにすれば望まない妊娠は防げるし、政府の側にとっても、効力解除ピルを配布するのに制限をするなどで人口調整機能が働いて将来の人口爆発も防げる
男性はセックスした人の中から、この人なら生涯添い遂げても良いという人を選べば良い
女性も充分にセックスをしていれば収入は申し分ないし子育て費用もセックスで稼げているので、男性に収入を求めることなく経済的自立が出来る
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/210
210 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5) sage 2025/09/13(土) 05:29:52.35 ID:r67/HxiM0
そもそもセックスが不浄なこと、隠すべきこと、辛いこと、忌避すべきことという概念自体が間違いなのだ
現在の性教育を教えた結果セックスを危ないもの、暴力であることとしか認識していない
概念は適切に教えるべきだ
この人はイヤではないという男性にはビキニラインを隠すのではなく積極的に見せるべき
そこに魅力の8割があるのだから
男性にとってセックスに繋がるものは全て報酬である、だから性的表現やフェティッシュなものはより過激であるほど人気が上がる
幼少時に大事な場所を見せてくれた、初体験をさせてくれた女性であったら、男性であれば現在のどんなに好条件の女性とでも天秤にかけて釣り合ってしまうもの
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/212
212 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW a3e0-pgBA) sage 2025/09/13(土) 05:32:09.55 ID:OV8Lxe+e0
210
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/217
217 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5) sage 2025/09/13(土) 05:55:01.88 ID:r67/HxiM0
統一教会のやり方は自身を悪しき共産主義として悪魔化させたような構造になっていた
所有の概念は一夫一妻制の広がりと同時期に起こっていると考えている
合同結婚式では結婚する人を選ぶ権限は組織に決定権があり、国籍もミックスさせていた
このやり方は共産主義の所有がないという概念を悪魔化して支配しようというやり方から発想しているものであると考えている
女性には個々人とセックスをしない権利は残っているし、誰とでも絶対に拒むなというわけでもない
その結果望まれない人とセックスをせず将来貧乏になったとしても自己決定権の行使をしていてそれは自由だ
誰の子どもを産むかも男女の自己決定権があり、それを国が承認し子どもを妊娠できる
統一教会と一緒にしないでほしい
ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1757688660/222
222 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5b3d-W5w5) sage 2025/09/13(土) 06:13:26.24 ID:r67/HxiM0
統一教会とは異なることを明言した上で、それでもセックスの普遍化には宗教が必要だと思う
カトリックのように、性行為の様式や作法などを細かく決め、その方式を時に柔軟に変化させながら守り続けることがやはり必要だと考える
性行為そのものが宗教行為ならば、尊いものとして捉えやすいし、作法や様式を広めればレイプまがいの乱暴な相手の承認な暴力的セックスを行う人も減るだろうと思う
宗教施設として誰でも使用できるセックス部屋を提供し、カップルはそれを使用し、男性一人でも相手してくれる女性と宗教行為を行い、お布施を支払う
こうすることで
地位の高い人は「最も多くの恵まれない人とセックスした女性」であり、その人は多くの男性から望まれた人でもある
だからこそ男性のことが分かりつつ宗教の方向性が決められるし、男性の勘所が分かるからこそその宗教は支持されていく
宗教の献金で避妊ピルや性病撲滅資金も出せるし、コンドームの設置、全国配置も可能
女性が宗教をセックスのために行うことで、男性にレイプされる危険も下がるし、教義を守り続ければ望まないセックスをすることもなく、望まないセックスという概念が無くなりセックス行為は尊敬されるものという共通認識がなされれば、社会に我々は充分貢献しているんだ、という考えが芽生え、今の女性の社会的進出という実質的な男性の領分への侵食を考える事もないと考えるから
父体を危険に晒して一生涯消耗して酷い時には不具になったり死んだりする危険がある行為
元増田を含む人間のオスは妻子に餌を運んで世話して守っているのでは。
妊娠を問題にしてセックスの応否を論じるのは詭弁の色合いが強い。
結局この問題は
相手の幸福の為に身を切ったり付き合ったりする姿勢があるかないか
ということだろう。
まさに身を切る貢献をする。一生涯する。
使っていけばすり減るし戻ることはない。
それでも「俺は気が向かないから」 「俺の大事な体は俺だけが使う」なんて言って
そこで
女はそりゃあセックスに気が向かないだろうが、
これと決めたパートナー相手に身を切る貢献をする気があるのかないのか。
少なくともその気がないことを大威張りで表明するのは了見がおかしい。
男でそんなことを大威張りで表明する人間がいたら
社会制度によって貢献の取り立てすら受ける。
であるのに何故女は「貢献をするかしないかは自分の気分次第!」などと恥ずかしげもなく放言するのだろうか?
一人だったら避けたいようなことでも喜ぶ家族やパートナーの顔を思い浮かべて自分の身を切るんだろう。
もしもそこに自分の喜びが無いんだったら
その家族やパートナーはさっさと解散して別の相手を探すか一人で生きたらいい。
ここでの一番のカスとは
相手の体の切り身は平然と受け取りながら
「返報は自分の気分次第だ」と放言して不機嫌を撒き散らすという
上弦末席ぐらいは貰えそうな負のポテンシャルを秘めたアホども。
・性の自己決定権
のような概念を野放図に受け取った結果と推測できる。
いつか自分で選んだ大事なもののために切り取って張らなければならない。
「大事にしなさい」だけ教えて「どこかでそれを張るときがきますよ」とは教えない。
進歩思想はバカの善意によって出来ているため常に穴だらけの片手落ちであって
進歩思想にすがるような人間はフルパッケージのお任せ道徳を求めているため
「藤井七冠が羽生前会長の面前で「女流棋士新制度」に苦言」 という記事が盛り上がってますね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2025/08070540/
イチ将棋ファンの私が、ブコメを読んで、思ったことを書いていくよ。
ちなみに私は、「とにかく将棋界は、(将棋ファンの中での話題でなく)一般世間での話題にならないと、将棋界に未来はない」と思っています。人口減で、将棋人口が減るからですね。
藤井七冠の話題はもう勝っても新鮮味もないし、「女性棋士誕生」は、一般世間向けに話題になる。うまくいけば、女子で将棋を始めてくれる子も増えるでしょう。
なので、基本的に今回の「白玲5期でプロ入り」の制度(白玲5期制度、とこれからは書きます)、および話題作りには、個人的には賛成派です。
「ほかのプロ入りをかけて戦っている男性奨励会員を差し置いて、プロ入りさせるのはどうか」というもっともな意見もわかります。
「そもそも女流棋士制度自体が女性優遇の制度なのに、さらに女性を優遇する制度を作るのか」という意見もわかります。
それらの意見もふまえたうえで、私は今回の白玲5期制度に賛成します。
興行なので、「今以上に女性ファンを増やしたいから、女性にリーチしたい。」と考えたときに、女性棋士を誕生させたい、と考えるのはごく自然なことだと思うからです。
弱い人が将棋棋士になっても見向きもされない、という意見はありますが、「女流二強」の福間・西山は、すでにベテラン中堅(つまりロートル)の男性棋士より実力があります。
ただ、前回のプロ編入試験では、プロ編入試験の試験官である若手四段たちに勝ちきれませんでした。ロートルよりも若手の方が、実力が高いのは、将棋界も同じです。
つまり、里見・西山は、今、仮にプロ入りしても、「そこそこの成績は残せる見込みがある(ベテラン勢には勝てそうだから)」わけです。
ただ、「基本、年間4人しかプロになれない」というプロ入りの壁が異様に高いだけです。
なので、興行の面の観点から、強い女性に限って(現状、白玲5期制度にかなう女流棋士は、福間・西山と、次点で中の3人のみでしょう)、下駄をはかせてこの「プロ入りの壁を低くする」のもありなのではないか、と私は考えます。
「ほかのプロ入りをかけて戦っている男性奨励会員を差し置いて、プロ入りさせるのはどうか」という話に対しては、三段リーグの四段昇段者(プロ入りのこと)枠を増やす、それで将棋界全体が食えなくなってしまう懸念があるなら、下位棋士の引退条件を厳しくする、といった改革が必要だと私は思いますが、これは今回の「女流棋士新制度」とは別の話になると思います。
>graynora 女性棋士昇格も課題多いが、C級2組の下位ベテラン棋士と三段リーグトップ争いの若手棋士予備軍の棋力が完全に逆転している気がする件については改革されることなく終わるのだろうか…。
下位棋士の引退条件を厳しくする、という「自分たちの身を切る改革」を提案する棋士は、出てこないでしょう。残念ながら。
>Kanemori プロの平均と比べて、女流は弱すぎる。不利な作戦である振飛車だらけ。想像でしかないが、「角換り」に代表される、プロとしての基本の戦型を、早い段階で教えられずに、棋力がスポイルされてる疑いがある。
将棋界に詳しくない人ですね。「女流は弱すぎる」こともないです。「現在の女流棋士の平均は、プロ棋士よりはやや弱いくらい」だと思います。AIで研究しやすくなった影響はあります。
「不利な作戦である振飛車だらけ」これも間違いでしょう。居飛車・振り飛車はみたところ半々くらいでは?ちなみに、振り飛車にすると「評価値」が1%ほど下がりますが、人間は「絶対にミスする」ので、それで勝敗は決まりません。AI同士の対局だと影響が出ますが。
「「「「角換り」に代表される、プロとしての基本の戦型を、早い段階で教えられずに、棋力がスポイルされてる疑い」これもないですね。単に個人の棋力の差が出てるだけ。
>chopapapa 「里見と西山を特例でプロにします」の方がまだ納得感がある。この2人いなくなった女流で白玲5期取っても本当にプロと言える棋力なのか?
実は私も、 「里見と西山を特例でプロにします」でいいと思っています。「優遇じゃなくて、制度上勝ち残ってプロ入りしました」というタテマエがほしいのでしょうね。
>tomiyai 白玲5期できるなら女流のトップオブトップだし若ければフリークラスでやる棋力はあるだろう…がその前に編入試験に挑戦してるだろうからそっちで受かってほしい気持ちはある。
そのとおり。
>pwkwk 将棋人口における女性の割合は本当に少ないし、将棋界の将来を憂いた羽生さんの会長としての置き土産。藤井七冠もいずれその立場に立たされる時に分かるのでは。
羽生さんと、ヒューリック会長(女流棋界の一大スポンサー)の目の黒いうちに、女流棋士を誕生させたい、という意気込みは感じますね。
>mr_yamada 個人的には女流のフリクラ編入なら棋力が足りないなら、食えなくなるだけなので問題ないと思ってる。
そのとおり。ただし、女流棋士とは兼業可能なので、プロ棋士で成績が残せなくても、女流棋士で圧倒的に稼げる。
>aga_aga 羽生は巨人の肩を過大評価している。将棋人口を増やすならそもそも求められているハードルと年収を下げることすら考慮せねばならず、それで棋界と棋士の生活が持たないならそれが時代の要請だということだろう。
>emanontan 女流棋士なんて凄いと思ってる将棋ファンは一人もいない 女子枠のプロも同様の扱いになるだけでしょう 抜け道から入りたいなら好きにすれば良い
昔の将棋ファンには「女流棋士は弱い」という認識の人は結構いますね。棋譜を並べてみればわかりますが、今は「トップ層の女流棋士なら」全然そんなことはないです。AIで研究環境は整っているので。
>nobori_lupin こういう制度で棋士になると、マスコミ対応や広報活動が増えて棋力伸ばす時間が減ることを懸念するなあ。女性に活躍してもらいたいなら、サポート体制に力を入れた方がいいんじゃないか。
優勝賞金を狙える超トップ棋士以外は、皆、普及活動はやっていると思います。
>golotan 理屈の上では三段リーグ相当の実力者に一度も勝たなくてもプロになれてしまうというのは、実力を測る上で問題だとは思っていたが。奨励会3段在籍経験などの条件を追加するべきでは
それも一案だと思います。
>umarukun 女性に下駄を履かせる制度だと思うけど、それでも普及が必要であるという判断なのかな。
そうです。
>shoutarouchan 今からクイーン白玲になれるぐらいの棋力がある人なら、普通に棋戦に参加したら4割5割は勝つんじゃないかな、それぐらい女流棋士の上の方は強いでしょ
>shibainu1969 「こいつを特例で救うなら、あいつを特例で救ってくれ」という「あいつ」が数多くいるであろう将棋界。「あいつ」はかつての仲間で、自分が上がったために将棋界を去っている。反対する気持ちも分かる。
私も分かります。四段昇段枠は増やしてほしいですね。これとは別案件で
>rohizuya 最初期は女子枠棋士と陰口を叩かれる覚悟が必要か…4段になれなかった人からの妬みもあるだろうし。
そうですね。これは仕方ないかも。
>satomi_hanten 今の編入試験のハードルが少し高過ぎる気はするが、現実女流タイトル保持者が四段以上担保されてるかというと疑問なので内心ではみんなそう思ってるでしょ。ビジネス優先するかどうかの話になる。
私には、ビジネスを優先するしか、将棋界の未来はないように思われます。
>behuckleberry02 奨励会を勝ち抜くのと女流タイトルを制圧するのは「相手も棋士では無い」という点で質は近い。棋力も先人の奮闘で「奨励会三段リーグ上位」は担保されていると言える。棋力以外の障壁を取り除く新制度は必要だろう。
その通り。
>hasiduki 三段やアマチュアや女流より弱いプロ棋士は全員引退ですね!!!!!!!!!!
それが一番わかりやすく、健全ですが、そうはならないでしょうね。
>shibainu46 奨励会は女性を門前払いしてないので、ショービジネスとしての観点からでしょ。棋力は低いことは確定だし、その枠の人と当たることで白星ボーナスになるから不公平が生まれるよね。
そうですね。
>hitac 棋力を言うのならC2のロートルはどう考えても女流のトップやアマトップより棋力がないんだが(年齢による衰えは当然の事)それはどう考えてるわけ?若い頃のほんの一時の棋力さえ高ければいいのか?
将棋の棋士は「一度なれれば引退しない限りは食える」ので、若い頃のほんの一時の棋力さえ高ければいいのです。衰えたら引退。
>Knoa 白玲5期を取るまでの間にほぼ確実に既存の編入試験の基準を満たすので、編入不合格が前提となり、棋力という点では逆の意味での担保になってしまう。将来、女性棋士の編入組と白玲組に格差が生まれる心配がある。
白玲昇段組は、多くとも5年に1人しか出ない制度なので、格差が出るほど人はいないと思います。
>fujifavoric この新制度の成立はフリークラス制度の存在なくしては語れないのにフリークラスのフの字もない、藤井の威を借りたいだけのゴミ記事
>KenKens これはホントそうなんよ。いまの西山さんとか個人を見てれば気持ちもわかるけど、じゃ将来にわたって同じ水準が得られるかでいったら微妙。
「今」強い女流がいるけど、今後出てくるかはわからないわけで。難しいですね。
>poko_pen 羽生前会長は女性枠を増やしたいというよりも、女流の方が新たなスポンサーが付きやすくて金も入るから忖度してる感はあるのよね。女性棋士を増やしたいのは建前だろうなと
それはあるかも。女性棋士を増やしたいのに、嘘偽りはないでしょうけど。
>donovantree 少子化で将棋人口が減っていくのはわかってるんだから女子の将棋ファンを増やすのは将棋界にとっては重要な事。女性会長、新制度は将来の将棋人口を増やすための先行投資だろうと思っている。
そのとおり。
>georgew 過渡期だろうから種々試行錯誤は必要だろうけど、そもそも奨励会への女性参加を増やす方策を優先すべきではないかとふと疑問に。
奨励会行っても、金にはならない、というかリターンが不透明なので…。奨励会に行く気概のある女流棋士も多くないですね…。
>kari-ko かつては実力ある渡辺明先生がこういう差し出口をいれる役回りだった気がする。時代は移ろって藤井聡太先生に手番が回るのね。
たしかに
>chinu48cm 福間西山の二強が揃う今が例外的に女流がハイレベルと言えなくもないからな。福間西山をプロ棋士にすることに異論のある人はいないと思うが、レベルが低い時代が来ても女流からプロが輩出されるなら問題か。
そうなんですよね。
>natumeuashi そもそも女流そのものが必要ない。棋士を希望する女性が圧倒的に少ないのだから、プロに至るまでの選別で残らないのは確率的に当然のこと。筋力の様な生来の能力差に基づいた制度ではなく、ただ偏見を助長するだけ
女流棋士は、特に女性への将棋普及を担ってますので。興行上必要な制度だと思います。
>sin20xx 当然の指摘。本来あるべきは従来の編入試験への挑戦権が自動的に付与される形であって自動的な編入ではないのでは。この形で編入させても現実的には棋力の差が顕著になりむしろ女流制度にとってマイナスになるのでは
将棋を見ない一般人(世間の人)は、そこまでみないと思います。将棋ファンでなく、そういった世間の人にアプローチするのが大事なのだと思います。
>srng 明らかに棋力が足りない棋士がフリークラス編入で増えれば、フリークラス棋士は棋士じゃないという扱いになっていく気がする。それでいいのだろうか
フリクラ制度自体、将棋ファンしか知らないので、それは杞憂でしょう。あとは将棋ファン次第。
>marton 調べたら、竜王戦が優勝賞金4400万で、女流の白玲戦が4000万プラス特別賞1000万で実質的に女流棋士のほうが最高賞金が高くなってて驚いた。編入はスポンサーの意向が強そう。男の棋士も連盟に金が落ちるならいいやと。
>sekiryo 女が棋士になるのは慣習で弾かれてるんじゃなくて単純に実力が足りないのは明白なので、真剣勝負やってる側からビジネスで女入れたいんですよという会長に不満は出るのは当然。下駄を履かされた女も馬鹿にされる。
>Y_Mokko 現実的に女流棋士からの移行がほぼ無いのは女流棋士で収まる分には引退もせずに済むからなのよね。男と同じ土俵に行ってボロ負けしたら選手生命終わりだし、女流棋士が何時までも強くならない二部リーグ化してる。
これでも、女流棋士は以前より強くなってます。まだ「二部リーグ」なのは否定できませんが。
>KoshianX まあ当然こう言われるわな。ただ5期防衛ともなるともう女流棋士で敵がいなさすぎるのでプロに送り込んじゃったほうがいい気もするよなあ。プロ編入試験の受験資格だけではなぜダメだったのだろうねえ
そうですね。即プロ化したいところに、スポンサーの意向がある気がします。
>nemuiumen 当然の反応だわな。アンフェがどうとかじゃない。実力で評価される場所に不純物が入ってたら、全体を疑われるものね。
将棋ファン、ないし現役プロ棋士(の反対派)が一番気にしてるのが、このことだと思います。 私は白玲5期制度に足る女流棋士の強さを信頼してますが、そうでない方もいるのはわかります。
ただ私は、一般の将棋ファン以外にアプローチする方法としては最善だと思っています。
>fugunokamatari 興行的には女流棋戦で十分では。むしろフリクラ脱出できず即引退で女流最強でも熊坂学未満wの世評になる、女流棋戦の価値毀損リスクが高い。確実にそうならん実力があると言うなら、あなたの主観ではなく戦績を出せ
その視点はありませんでした。たしかにそのリスクもあることはあるのですね。
>by-king この立論ならば、YouTuberとか芸人とか外国人とかそういった棋士もファン層の拡大に繋がるだろうから、彼らのプロ入りハードルも下げるべき、となるよね。女性オンリーなら片手落ちの議論と思う。
なるほど。外国人棋士のプロ入りハードルが下がる未来も来るかも?笑
>taiyousunsun 実力足りてないと誰にとっても良くないのは共通認識なんだと思う。あとはその実力を何で担保するのかという話で、藤井さんの懸念は真っ当だという感想。
まったくそのとおりですね。
>poko_pen 奨励会駄目なら男はアマチュアのみ、女は女流を選べ「逃げ道」があり、必死さが足りないとは言われてるのよ。本気で女性棋士を増やしたいのなら女流制度が足を引っ張っているのよ。まずは男女不均衡を無くさないと
その側面はあるとはおもいますが、女流棋士の制度がないと、実際は「プロの女性」は皆無になるでしょうね。
>toronei 微妙、興行として客寄せパンダは必要で無視や拒否するのもナイーヴだけど、、そこに頼りすぎるのは興行として微妙になりがちで、女性プロ誕生に下駄履かせるのは、後者に寄り過ぎなように思う。
将棋界(将棋連盟)は、「あらたに女性棋士が誕生した」という事実が、一般世間向けにほしいだけだと思います。「(女性を入れることによっての)興行としての出来不出来」はそこまで求めてないのではないでは?と推察しています