はてなキーワード: 明石家さんまとは
被害者や同様の事案の被害に遭われた方を不安にさせるので犯罪の時期、内容等は伏せます。
ある1事案で逮捕されて、証拠諸々から余罪も見つかり…という感じです。
自分のケースもレアかなとは思いますが思考の変遷について書き留めたいので、ざっくばらんに書いてく。思いつきで書いてるのでわかりにくいかも。
まずは逮捕後、母親は俺を見捨てて勘当するつもりだったらしい(父親はすでに病気で他界していて兄弟もいない)。
ただ、偶然おれが捕まった頃にテレビか雑誌の記事かなにかで性犯罪被害に遭った方の記事を読んだのか番組?ドキュメンタリー?を見たかしたのと、再犯率が高いとか、俺もそうだったけど1人で複数回犯罪を重ねていたりするケースがままあることを知って、このまま勘当して見捨てたらさらに被害者を増やす可能性があると思ったらしく、成人してる子とはいえ親として再犯させないためにも関わり続けることを決めたらしい。(これは後述するカウンセリング等の際に聞いた)
母親が見捨てなかったというのが俺にとってはすごく大きかった。
カウンセリングについては今でも続けている。
被害者に対して申し訳ないとかではなく、どこをどうすればバレなかったか、とかもっとうまくやってればとか、自分が下手こいたという認識しかなかった。
警察に行った被害者に対してめんどくせー女がよ…みたいに考えていた。
カウンセリングを通じて被害を自分事として考える試みがあったが、
例えば当事者意識を持つために自分に近しい人(近所のお姉さんとか、親戚の女の子とか)が被害に遭った場合にどう感じるか、みたいな。
俺にとっては正直ただのオカズだった。
知ってる女の人が性被害に遭ってひどい目にあわされて絶望してるの考えただけで抜けると思ってた。
さすがにそのまま言いはしなかったし、知ってる人が被害に遭ってたら辛いです悲しいですとか言ったかもしれないけど(当時どう答えたか覚えてない)、カウンセラーの先生にはたぶんそこも見透かされてた。
そのため、そもそも俺がどうしてそういう認識を持ってしまったか?を探ることになる。
両親は本や漫画が好きで家にはたくさんあった。そして父親のエロ本が当たり前にその辺に転がってた。
父親は家の中で強権的だった。
酒に酔うと、暴力は振るわないが、テレビに出てる女性タレントやグラドルの見た目を揶揄する発言をよくしてた。
「脳みそに行く栄養がぜんぶおっぱいに回っただけのバカ女」みたいな感じの発言。露出の多い服の女性芸能人は男に媚を売りたがっているアバズレだとか。
俺は小さい頃から男児らしく乗り物好きだったのだが、車が趣味で車に関わる仕事をしていた父親は知識が豊富で乗り物にとても詳しかった。乗り物のことをなんでも教えてくれる父は俺にとって一番すごい人で、乗り物以外でも父親の言うことが正しいのだと思っていた。
また、父親が酒に酔って他人を揶揄したり、自分を大きく見せる発言をしたときも母親は父の機嫌を損ねないように何も言わなかったので、その発言や態度をそのまま俺は学習し、内面化していった。
酔ってる時の父はリビングに転がってるエロ本を俺に渡してこういうの読みてえんだろとか言ってた。
このあたりはカウンセラーの人と話しながら父親や父親との関わりを見直す作業をしたので割といまでは冷静に書ける。
この話を始めた当時はカウンセラーやたまに同席する母親に対しても自分を大きく見せようとしていたと思う。
こうした両親の態度や状況は性的な、または心理的な虐待の一形態であった可能性が高いとわかった。
俺は父親と母親にまともな環境で育ててもらえなかったせいで性犯罪者になってしまった。なのになんで犯罪者としてこんなに責められなきゃいけないんだ、みたいな。
俺が犯した罪と、俺の生育環境の悪さを切り離して考えることができなかった。
俺は記憶にないが、父親は酔うと暴力を振るったこともあったらしく、母親はどうしてもそれだけはやめてくれと言ってやめさせた。だけどまたいつ暴力を振るうか分からなくて事なかれ主義で父親の態度を容認・放置してしまった、申し訳ないことをしたと言っていた。
母が認めて謝ったことは後々受け入れるけど、このときは被害者意識を膨らませる動機にしかなっていなかったと思う。
女性や他人を尊厳ある人として認識してコミュニケーションをとる、関わり方を覚える、みたいな方向に行くんだけど、ほんとに分からなかった。
被害者意識を持て余してうまく行かなかった。すごく時間がかかった。
ツイッターだと思うけど、あるラジオ番組?でモーニング娘。のあるメンバーが水着の写真集は出さない、100億くらいもらわないとやらない、みたいな話をしていたらしい。それに対して明石家さんまが「お前は自分のカラダにそこまでの価値があると思っているのか?」みたいな返しをするとその子は
「私にもさんまさんにも誰にだってそれだけの価値があります」というようなことを言っていたと。
それを称賛する内容のツイートかなにかを目にした。
そのとき、
「ってことは俺にも100億とかの価値があるのか〜」
と、綺麗事でそういう誰の命も大切、みたいな台詞はごまんとあると思うんだけどなぜかこのときはすごく響いた気がする。
100億の具体的な価値はわからないがものすごい希少なダイヤモンドくらいの金額なのかな、とか考えたんだと思う。
この後もカウンセリングは続けていくんだけど、頭の片隅にずっとあの話があって、いつ何がきっかけか覚えてないけど、しばらくしてからすべての人をダイヤモンドだと思うことを始めた。
尊厳が、とか、人を尊重するとか大事にするとか、そういうことを言われると俺だって尊重されたい、大事にしてくれ、そっちが俺を大事にしないのになんで俺が、みたいな被害者意識の暴走があったけど、
人として見ることを諦めて眼の前の人間は100億のダイヤモンドだ、ダイヤモンドにこの態度は良いのか、この言葉は良いのか、勝手に触れてはいけないのではないか、みたいな
相手をダイヤモンドにすることで相手と距離をおいて考えられるようになった。
「尊厳のある1個人として尊重する」ためにはたぶん相手との間に少し心の距離?をとる必要があって、俺の場合は自分の被害者意識に振り回されがちで相手の状況や考えを推し量れなくなってたけど、いっそ相手を無機物(ダイヤモンド)とすることで距離を測れるようになった気がする。
ただこれのお陰で人との関わり方や、女性や子どもや弱い立場の人との関わり方や認識が百発百中うまくいってるわけではないので、カウンセリングを続けて自分の抱いた気持ちや認識を言葉にすることを続けている。
女性がひどい性被害を受けた事実をズリネタと認識してしまうのは環境要因によって刷り込まれてしまったというか、頼んでないのに技マシンで増やされた必殺技かコマンドみたいな感じだと、カウンセラーの人と話してそう客観的な認識をすることにした。そしてそれは使ってはいけないコマンドとしておかなくてはならない(一度でもそのコマンドを使うと使い勝手が良いと判断して優先順位が上がってしまう、再犯のきっかけにもなるかも)ので、抜きたいときもラブラブエッチものに限定。エッチなのを見てはいけないわけではない、ただ他人の尊厳を守るという前提でのコミュニケーションや他人への認識というのがうまくいってない俺にとっては、露悪的な内容はよくない結果しか産まないというのを俺自身も納得したのでそうしている。
主語でかいかもだけどAVやエロ漫画でもいわゆる尊厳を踏みにじる行為としての「ひどいことをする」というのをエロに結びつけすぎなのではないかと思う。ラブラブエッチものは羨ましくなったり妬ましいときはあるけど普通に抜けます。
まだまだ道半ばではあるが、
俺は多くのダイヤモンドを傷つけておきながら、しくったな〜しか考えていなかった。
傷つけたダイヤモンドのことを考えられなかった。
今でも考えようとすることは俺の負のコマンドに触れる可能性がある(やばいスイッチに触れそうだなと言う感覚がくるからやめる)のでうまくできない。
八王子といえば「きぬた歯科」ということになってるけど、かつて似たようなポジションにある広告があった。
である。
野猿と書いて「やえん」と読む。八王子市の東部、多摩モノレールの大塚・帝京大学駅の近くにあったモーテルである。
きぬた歯科ほどの物量ではないが、昭和から平成にかけて、八王子へ向かう道路の辻辻にホテル野猿の看板はあった。
ラブホテルの名前としてはインパクトがあったし、シルクハットをかぶった猿のイラストがユーモラスで、広告はよく目立っていた。
近所に住んでいた私は、友達が車でうちに遊びに来る時は「ホテル野猿の案内どおりに来れば着くよ」と冗談で言っていたほどである。
明石家さんまが「あそこには〈聖子の間〉とかあんねん」とトークで話題にしたり、とんねるずが結成したユニットのユニット名に拝借したりと、この地域ではまあまあネームバリューのあるラブホだった。
ウィキペを見ると、写真で部屋を選ぶスタイルはこのホテルが発祥とのことだ。
70年代にモテル野猿として開業したホテル野猿は、その後「ラフェスタリゾート野猿」と名前を変えたり老朽化した建物を解体したりしつつも営業を続けていたが、とうとう昨年、惜しまれつつ閉館した。
お笑い番組?バラエティ番組?すごい短いコーナーとか、エンディングの前にやる小ネタとか、そういうのだったと思う。
芸人が着物みたいな衣装にロン毛の黒髪のかつらをして、両手を合わせて左右に揺れながら「ど〜でもえ〜ね〜ん」みたいなことを言う。
たしか、視聴者投稿とかゲストのエピソードを読み上げて、「そんなんど〜でもえ〜ね〜ん」みたいな感じでオチをつける、みたいなネタだったと思う。
そのセリフがかなりうろ覚えなんだけど、メロディというかリズムというか、
歌ネタみたいになってて、ずっとそれを口ずさんでた記憶がある。
明石家さんまがやってたような記憶もあるんだけど、明石家さんま+関連キーワードでいくら探してもでてこなくて、違うのかなあ。
FNS27時間テレビのさんまのお笑い向上委員会の生放送の録画を見た。
普段から向上委員会を見ている私のような者にとってはご褒美のような豪華な回だった。
ちょうど夏だし、WWEのサマースラムPPVのような気持ちを味わえたので記録しておきたい。
鬼レンチャンにも新しいカギにもハマってない私のような者にとっては、
昨今のまったくフジテレビのバラエティには信頼を置いていない。
しかし番組冒頭、明石家さんま自身が粗品イジリとともに「俺たちは古いカギやで。笑いのドアを開けられるカナ」と言っていた通り、
ひょうきん族から綿々と続くフジテレビ・バラエティのもう一方のカラーは、この方が保っている。
前列に陣内、ナイツ、飯尾。後列にはノブコブ吉村、やす子、鬼越トマホーク、ナダルという布陣。
向上委員会ファンにとってはおなじみ、必要十分とも言えるメンバー。
義理の母親に東京弁で泣かれたエピソードを用意してきたさんまさんが、初手でいじるのはノブコブ吉村。
新しいカギのメンバーが到着するまでのアイドリングタイムに必要なのはノブシコブシ吉村のようなプレイヤー。
そこから各人の仮装についてトーク。「今日吉村機能してないんですよ」という陣内の言葉通り、被り物ではなかなか反応が悪い。
この日の放送時点で話の内容は、陣内vs永野の件を掘り起こさざるを得ないムードに変わっているのだが、
尖り散らかす粗品に同じように陣内が髪をつかんで説教をせい、と振るさんま。もはやこの時点で笑いの選択肢が多数できている。
CM明け、霜降り、チョコプラ、ハナコの新しいカギメンバーが登場。向上委員会では見慣れないメンバーが多いのだが、
「ほいけんたさんくらい声ガサガサですよ」とさんまに言う霜降りせいやあたりは場に馴染んでいる。
仮装の説明をする粗品が「アンチ宮迫」と書かれたプラカードを出したところで、陣内に行けと指示するさんま。
それに対して陣内はお前が悪いんじゃとさんまの髪をつかむ。
そこでさんまが、先日の永野をモチーフにした打たれ弱さを見せてひと笑い。
しかしその後、粗品が長めの尺のエピソードで持ち返したところは美しかった。
老害というワードに「ナイスガイのガイじゃないですよ」と説明するせいやもトータルで強い(その直後の金八先生のくだりは弱かったが)。
ワーワーとやっているこのあたりで、ちょっかいを出すナイツと飯尾の笑いの角度が鋭いことに気が付くという仕組み。
CM明けてからは「さんまさんお笑い界から卒業してください」というカギメンバーからのクレーム、というテーマ。
このあたりからはさんまの独壇場。過去のさんま、舞台でのさんまを小出しにしつつカギメンバーとトークを展開していくが、
その流れをブレイクしたのは、ひな壇端に座るナダル。「俺をどうにもできなくなっているさんまさんは腕が落ちている」という弁。アツい。
しかしこれ、笑いにはしていたが、何度もうなずくさんまにとっては意外と芯食ってた指摘なのかもしれない。
そこでさんま、「粗品、なんとかしてみなはれ」とナダルに対して噛ませるというパス。
ここでどういくか、躊躇を見せない粗品がシンプルなツッコミ一辺倒で通してCMへ、という流れも素晴らしかった。
だんだんさんまの声が出てないのではないかという心配ムードも増してきたところでCM。
次のセクションでは野爆くっきー、未来を知る男ビフ・タネンとして登場。
向上委員会ではおなじみのプレイヤーがひとしきり用意したくだりを披露し、カギメンバーの新メンバーを推薦するという流れ。
そこで出てきたのはザコシ、松本りんす、野田ちゃんというソニー軍団。
ザコシが初手から陣内の件に触れて、この人ならやりたくなるだろう。松本りんすイジリにも定番の味を感じ、いつもの番組の3週目のムードに。
まずは野田ちゃんに対して粗品がつっこみを試すというシーンは、見応えがあった。あまり絡みのない芸人同士というのもあるが、
周りがニヤニヤしながらどいう流れになるのかをじっとニヤニヤと観察している感触が、まさに戦場という感じで心地よい。
くだりを終えたところでさんまのサジェストで、やす子が野田ちゃんとのエピソードを交えて乱闘になりCMへ。
特に紹介されることもなく、元プラマイ兼光、チャンス大城、そして冷蔵庫マンが入場。
入場するやいなや冷蔵庫マンと吉村との乱闘。用意してきたことなのだろうか、二人の間にストーリーがなにもなくても、
突然の流れを作る瞬発力というかバクチを打つ頭が吉村にはある。
その前の流れから乱闘になって飯尾がなにか言ってサゲる形ができていたので、一応保険はあったのだろうか。
しかしこの形が以降の流れを作っていくことになる。兼光とチャンス大城のヒトネタは割を食う形になった。
満を侍しての今田、ホリケン。やはり陣内永野の件を「しっかりと」ネタで処理するお笑いのルールが染み込んでいる。
「もうないよね」「もうないです」で延々続くネタ、「強制ブレーキ」の定食化への過程、そして冷蔵庫マンに対しては吉村。
吉村の「本当にありがとうございます」と言いたげな顔のカットが印象深い。
そして最後のザブングル加藤のブロック。残された放送時間はわずか、生放送だというのに最後はきれいに締まった。
後半に行くに従って尻上がりに調子が上がり、テンポが変わっていく座組みとその出演順はお見事。
今回は流れに沿って多少引かざるを得なかったザコシ、くっきー、チャンス大城など、いつでもメインを張れるプレーヤーが待機しているのも心強い。
俺は自分がつまらない人間であると大いに自負している20代後半男性。
今日も暇なので、なぜ自分がつまらない人間なのかを、下記の記事にある「ものすごくつまらない人に共通する16の特徴」に則って整理したいと思う。
https://www.businessinsider.jp/post-100566
どうも俺がつまらない人間である根幹はそこにあるような気がする。
大いに該当する。
確かASDの特徴として、「発言するタイミングが分からない」みたいな項目があった気がする。
定型の人たちは仕事の場でも飲み会でも日常会話でも、お互いに目に見えないボールをゆっくりローテーションして、ボールを渡された人(もしくは奪った人)がその場の一時的なメインスピーカーになってるように俺には見えてる。
だけどそのボールの扱いが全く分からず、ボールをパスされたのに気付かず拒否したり、いつまでもボールをパスせず持ち続けてることが多い。
飲み会とかで誰かが「増田君ってxxxだったよね?」みたいに綺麗にボールをパスしてくれたのに、「そうですね」みたいな軽い相槌だけで済まして場が沈黙したり、自分の趣味の話だと饒舌になってしまう。
振り返ると反省することばかりだけど、いざ実践となると難しい。
『あなたが話していることに興味はないけれど、礼儀として数秒ごとに頷いているだけ』というシグナルやボディー・ランゲージに気付かず、絶え間なく、べらべらと話し続ける人
俺にとっては、相手がとりあえず笑顔でいたらそれはもう肯定の表現なのよ。
その人との距離感や場の雰囲気にも依存するから、考えることが多くて俺には無理。
極端な例だけど、明石家さんまさんがゲストに「お前アホやろ!」ってつっこんだら盛り上がるけど、その逆は成り立たないじゃん。
俺はこういう場の空気やその人のキャラや距離感がよく掴めないから、人を笑わせるなんて繊細なコミュニケーションは無理だな。
うるさくてがさつな人は、自分こそが最も面白い人間だと信じ込んでいる。静かでつまらない人は、何も言わないのが一番だと信じている。自分の言葉を聞きたい人間なんていないと考えているからだ。
何も言わないのが一番だと本当に信じてしまってる。
幼少期から今まで、自分の発言を肯定的に受け入れられた経験が極端に少ないからだろうな。
発言するにしても頭に浮かんだ事をそのまま言ってしまう癖があるから、場にそぐわない発言をしがち。
私にとってつまらない人の特徴は、変化のない、単調な生活を送っていることだ。様々な経験は、週末のパブでの会話をより面白いものにしてくれる。実際、いい話題を提供できる
これも該当する。
俺はロードバイクが趣味なんだけど、ここ4年間くらいずーっとロードバイク乗ってる。
平日はローラー台に乗ってるし、週末は峠に行き、長期休暇は自転車旅行に行く。
他にことに興味は無い。
発達障害特有の、興味の範囲の狭さ、強いこだわりが色濃く反映されていると思う。
自分の発言に価値を感じられないから、自分の意見を言うことも少ないかな。
これも難しい。
昔、誰かが話した面白い話をコピーして別の場所で披露したことがあったんだけど、全く受けなかったことがある。
場の雰囲気の作り方や話し方や相手との距離感みたいな、ノンバーバルな要素のコントロールができていなかったんだろうと思う。
こういった目に見えない要素を敏感に感じ取って自力でコントロールできる人マジですごい。
俺には無理。
何かしら新しい学びを与えてくれない人が、私にとってのつまらない人
今はロードバイクしか興味がない人間だから、目新しさなんて皆無。
簡単にいうと、自分が知っていることは相手も知っているし、自分が興味あることは相手も興味があるとナチュラルに考えてしまうこと。
定型の人にとっては「そんなの少し考えれば分かるじゃん」って思うかもだけど、俺は油断するとすぐ自他境界線がぼやけてしまう。
だから例えば俺が仕事で何かを説明する時、前提知識の説明が足りないか、意識しすぎて過剰な説明になる時が多い。
殆どの人はロードバイクの話題に興味がないことに気付いたのも、ロードバイクをはじめて2年くらいの時だった。
それまでは意気揚々とロードバイクの話を職場の人にしてたなぁ。
会話に興味を持っている他人を、その会話に参加させないこと
俺の話に興味を持つ人はいないので該当しない。
アドリブに弱くて困ってる。
俺にとっては会話は、あらかじめ準備したアセットをいかに早く引き出してナチュラルに話すかどうかであるので、急に話を振られるとパニックになることが多い。
逆に定型の人は急に話を振られた時って何を考えてどう対処してるんだろう?
親が死んだら首吊ろうかなとかしょっちゅう考えるくらいにはネガティブ。
発達障害で虚勢ではなく本気でポジティブな人っているんだろうか?
基本的に幼少期から発言や行動を否定されることが多かったから、がっつり学習性無気力になってしまってる。
発達障害でも何か突出した能力があって、そのおかげで社会的な居場所を確保できていれば人生にポジティブになれるのかもしれない。
残念ながら、俺には何も突出した能力はない。
ロードバイクは好きだけど貧脚だしね。
話題のストックが少ないから、場が持たない時につい同じ話を話してしまいがち。
「多くの人が単純に、周りに自分がどう思われているか自分で想像し、その想像に合わせて行動している」
「そして多くの場合、それは実際に周りがどう思っているかとは全然違う。だが、それを考えすぎて、自身のアイデンティティーを失っている」
発達障害者として一般社会に溶け込むため、また他人に迷惑をかけないために常に自分の振る舞いが周りの人にどう思われているのかは気にしている。
周りからの視線を気にせず自己中心的な振る舞いをするようになったらお終いだと思ってる。
ASD故に他人とのコミュニケーションに摩擦が多すぎて、毎日が楽しいとは一生言える気がしない。
趣味は楽しいとは思うけど、趣味に没頭しているのは現実逃避の意味合いが強いしね。
「いつもネガティブ」の項目でも述べたけど、何か能力があって社会に居場所があれば楽しいと思えるのかもしれない。
俺には無縁だな。