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空犬通信

本・本屋好きが、買った本、読んだ本、気になる本・本屋さんを紹介するサイトです。

本は「循環」させればいいというものではない

「循環」って……。こういうのって、どうなんでしょうか。




記事の一部を引きます。《足利市立図書館(足利市有楽町)で行われている「ウォームシェア&リサイクル市」で1月9日、本の持ち帰り期間が始まった》。


「ウォームシェア」というのは、《家庭の暖房を消し、公共施設や商業施設などの暖かい場所で過ごすことで省エネに取り組む》というものだそうです。それはいいのですが、問題は「リサイクル市」のほうで、《足利市環境政策課は、不要になった子どもの本を図書館に持ってきてもらい、集まった本を必要な人が持ち帰ることができる「リサイクル市」を2016(平成28)年から行っている》とあります。《2019(令和元)年12月24日、同館内に本の専用回収ボックスを設置し、延べ4日間で前年の400冊を大きく上回る520冊の本が集まった》。


このようにして集まった本は、《小学高学年・中学生向けに整理して並べた。気に入った本を1人10冊まで持ち帰ることができる》ようにしてあるそうです。


記事には、本件の担当者のコメントが引かれています。《「活動が広まってきたのか、『捨てるのはもったいない』ような良い本、きれいな状態の本がたくさん集まった(……)」》《「もらった人も本を大切に読んで、必要が無くなったらまた持ってきてもらうことで資源を大切にする循環ができたら」と笑顔を見せた》。あたかも美談、良い話であるかのようにまとめられているのですが、これってどうなんでしょうか。


公共図書館が除籍資料、廃棄資料を住民に無料提供したり、古本市に出す……それはわかります。そういうことならともかく、本の物々交換の場を提供したり地区住民に奨励したりするのは、どうでしょうか。地域の商業活動への影響を軽視しすぎではないかと思うのです。


住民同士の本の交換では、お金はまったく動きません。出版社にも著者にもまったく還元がされないわけです。当然、地域の書店や古書店にもお金が落ちない仕組みです。そんな「循環」があちこちではじめられ、数百冊規模の本が経済効果ゼロでやりとりされてしまったら、本の書き手も作り手も売り手もやってられない、ということになってしまいはしないでしょうか。本件に関わっている人たちは、そのような本の書き手作り手売り手のことを、どのように考えているのでしょうか。


こういう、一見善意に見えて、実は本来の図書館の役割を逸脱していたり、本を読者に届ける方法として必ずしも賛同できないものになったりしている例は、しばしば目にします。過去に、別の地域の話ですが、こんな事例を批判的に取り上げたこともあります。


先の記事にも書きましたが、こういう無料物々交換のような取り組みを「公共」の施設が行う場合、周囲への影響や、そもそもの是非を考えてほしいと思います。また、この手の取り組みを、あたかも美談のように取り上げるメディアにも考えてほしいものだと思います。


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