先日の朝日新聞夕刊に、ブックカバーに関する記事が載っていましたね。
- 「(レッツeco活)ブックカバー、無駄やめて 「必要か」聞く書店・自作で愛着」(6/15 朝日新聞)
記事はこんなふうに始まっています。《書店で本を買うとき、「カバーをおかけしますか」と店員から尋ねられたことがある人は多いだろう。汚れを防いだり、読んでいる本を見られないようにしたりするため、定着しているブックカバー。できるだけ紙資源の無駄遣いを減らそうという取り組みも出てきている》。
記事では、紀伊國屋書店、イタリア書房、NET21、第一書林の事例、取り組みや、紙のブックカバーの作り方がイラスト入りで紹介されています。
連載枠がエコ関連ですから、タイトルに「無駄」とあるように、要るか要らないか、かけるか減らすかという観点でまとめられた記事になっているため、文中ではふれられていませんが、ブックカバーには、コレクション的な意味合いもありますね。
過去の記事でも取り上げていますが、ブックカバーを「書皮」と呼んで愛でたりコレクションしたりしている人たちもいますし、それらを集めた本も出ていれば、すぐれたカバーに与えられる賞もあります。
コレクションとまではいかなくても、ふだん読む本には、いきつけのお店のカバー、お気に入りのデザインのカバーをかけておきたいという人も多いでしょう。お店でかけてもらったカバーを、再利用するためにとっておくという方もいますよね。また、初めてのお店や、ふだん行かないお店で買い物をしたときは、「記念に」かけてもらう、という方も多いでしょう。そんなふうに本好き本屋好きに愛されている面もありますから、「無駄」と言い切ってしまうのはちょっと乱暴というか、さびしい気もしますね。
これまでに何度か書いていますが、ぼくはというと、会社の行き帰りや昼休み、会社帰りの飲食店でなど、外で読む本には、革製のブックカバーをかけていますので、ふだんは、新刊書店で本を買う際、手持ちの鞄に入らないとか、雨などでどうしてもビニールが必要という場合をのぞき、ブックカバーもビニールも断っています。
昼休みに神保町を歩く際も必ず小さな鞄を持っていきますし、会社帰りなら通勤鞄があります。鞄に入らないときのために、通勤鞄には薄いトートを折りたたんで常時入れています。
それでも、ふだんいかないお店や初めてのお店、旅先で入ったお店では、ブックカバーをかけてもらうこともあります。どんなカバーなのかを知りたいし、ブログやツイッターで、こんなすてきなブックカバーが使われてますよ、ということを紹介できるからです。
ただ、ブックカバー(とビニール)の問題で難しいのは、万引きのことですね。ブックカバーがかけられた本、店のビニールに入った本は、ちゃんとレジを通ったということが、お店の人にも他のお客さんにもはっきりわかりますが、カバーなしの場合はどうしても区別が難しい。口のあいた鞄から、カバーのかかっていない新品の本がのぞいていると、やはり客の側もお店の側もなんとなく気になるものです。(ぼくの場合は、レシートの上端、店名などが見えるよう、大きくはみ出させた状態で本にはさむようにしています。)
しばらく前の話ですが、大阪の隆祥館書店で買い物をしたときのこと。同店は、オリジナルのブックカバーを使っていますが、最初に訪問したときにかけてもらっていましたから、そのときはブックカバーをお断りしようとしました。すると、当時、お元気だった二村さんのお父様が、こんなふうに言われたのです。
「ぜひ持っていってください。うちの自慢やから」
ブックカバーは、店の顔でもあるんですよね。ブックカバーの話題になると、必ず、このときの二村さんのことばを思い出します。これからも何度も思い出すのだろうなあ。