11/5の日記で、空犬のお気に入り作家の1人、多和田葉子さんの新刊『アメリカ—非道の大陸』(青土社)が出たこと、そして刊行記念としていくつかのイベントがあることを紹介しましたが、そのうちの1つ、「ミッドナイトセッション」『アメリカ—非道の大陸』刊行記念 多和田葉子さんトークショー&サイン会に行ってきました。
場所は、東京・神保町の三省堂書店神田本店。よくイベントに使われていた1Fは今や雑誌売り場、「特設会場」なんてあったかなあ、と思ったら、フロアの一部に座席を設けた、ほんとの「特設」でした。照明の落ちた閉店後の店内に、一部だけ抑え気味の照明に照らし出された空間ができています。先日の日記で紹介した映画『白日夢』にも深夜のデパート店内を愛染が徘徊する印象的なシーンがありましたが、大型店舗の薄暗いフロアは昼間見慣れた空間でもいきなり異質な感じになっていて、なんだかどきどきします。今回のイベントにある意味ぴったりな空間です。
定員は50人でしたが、ほぼ埋まった感じでしょうか。男女が半々、男性は年齢が高め、女性は低めでの印象。空犬は、運良く最前列に座れました。ちょうど多和田葉子さんの真正面です。ラッキー! わー!
最初に青土社の編集担当者から多和田葉子さんとゲストの2人の紹介があり、続いて、多和田さんの朗読。『アメリカ』の第1章、冒頭部分でした。多和田さんの朗読はかねてからぜひ聞いてみたいと思っていたので、いきなり大満足。
ところが、その後がややもたつき。トークのゲスト&ナビゲータが越川芳明氏だったのですが、彼のしゃべりが全然“ナビゲート”になっていなくて段取りが悪く、ちょっといらいらさせられます。もっと作家の言葉を引き出してほしい! 関係ない話をしないでほしい! そんなことを心の中で叫びながら聞く羽目になりました。
かつて米文学を熱心に読んでいたときには、先端米文学の紹介者・翻訳者としてお世話になった人なので、あまり悪くは言いたくないのですが、この方、“トランス・アメリカ”が最近のキーワードの人なので、ちょっと危惧はしていたのです。すると、やはり入国審査だの国境だの人種だの、異文化テーマに話が偏りがち、しかも、自分の読後感や印象をだらだら部分的に話すだけで、テーマを抽出して多和田さんに話をうまくふることがぜんぜんできていないし、さらには、読んでない人もいるだろうからなどと、ファン向けの刊行記念イベントなのに妙な気を遣って物語の細部にふれないように語ろうとするので、上っ面な話に終始してしまう。そんな人が船頭なので、多和田文学のファンなら聞きたいはずのテーマがいくつもちりばめられた作品についての話なのに、そちらの方面に話がいっこうに流れていかない。ほんと、いらいらしました。アメリカだからとアメリカ文学者を持ってきたんでしょうが、人選ミスだったのではないでしょうか。
でも、相手がこんなふうでも、多和田さんが口を開くとぱっと場の雰囲気が変わります。単に話がおもしろいおもしろくない、というだけでなく、言葉の力がぜんぜん違うのです。下手なまとめをすると越川氏の二の舞なので、細部にはふれませんが、この人からあの作品群が生まれてくるのか、そんなことを納得させるそんな話ぶりと中身でした。
最後の質疑応答では、越川氏よりよほど多和田文学に親しんでいると思われる数人の読者から、興味深い質問が寄せられていました(空犬も1つ質問しました)。露文専攻で在独とヨーロッパのイメージの強い作家がなぜアメリカなのか、タイトル「非道」にこめられた意味は何なのか、2人称を用いた意味は、翻訳と創作の関係は、実話に基づいたエピソードの虚構性は……といった具合に、多和田文学の核心にふれるテーマがぽんぽん出てきます。今回は青土社主導のイベントで、録音もされていたようですから、おそらくそのうちに『ユリイカ』に対談が掲載されるのではないかと思いますので、多和田ファンは要チェックです(越川の下手なナビゲートが文章化にあたってどのように“手入れ”されているのか、大いに興味があります、なんて書くとちょっと意地悪に過ぎるでしょうか)。
最後はサイン会。座っている場所がよかったので、一番最初にもらえました。残念ながら、話を交わせるような雰囲気ではなかったし、日付も宛名書きもなしでサインのみですが、それでも大満足。東京堂で買うサイン本もいいですが、やはり直接もらうと感激もひとしおです。
作品にもふれておきます。今回の作品は、アメリカを旅する「あなた」の物語。2人称の使い方といい、異国の旅が物語世界の基調になっている点といい、全体に『容疑者の夜行列車』を思わせる雰囲気です。連載も同じ『ユリイカ』、単行本も青土社ですしね。実際に、この日の話でも、また質問でもこの2作の共通点や相違が話題になっていました。『容疑者』を未読の方でも、新作は単独で楽しめますが、併読されるほうが読書の楽しみは確実に増すだろうと思います。いずれにせよ、どちらも言葉の力を実感できる、すばらしい小説です、空犬としても大いにおすすめしたいと思います。
著作一覧を見ると昨2005年は新作なしでしたが、今年は、刊行済みの詩集『傘の死体とわたしのtま』(思潮社)があり、まもなく新潮社から『海に落とした名前』の刊行が続きます。しばらく前の日記に、松浦寿輝の本が立て続けに出て、ファンとしてはうれしいものの、サイフは大変だなどと書いたことがありますが、まさに今回の多和田本3連発もそんな感じかもしれません。