仕事の用事でぎっしりだった出張の「隙間」をフル活用し、大阪京都の書店をいろいろ見てきた空犬です。大阪・京都の書店レポは、まとめるのにちょっと時間がかかるので、週末の作業とし、今日は、簡単に書けそうなこの件を。
まさに書名通り、書店好きにはこたえられない1冊、『世界の夢の本屋さん』の書評が、先週日曜日の朝日新聞に載りましたね。その前には、週刊朝日にも載っています
- 「世界の夢の本屋さん [著]清水玲奈、大原ケイ」(8/19 週刊朝日「話題の新刊」)
- 「観光客まで引きつける老舗書店」(8/21 朝日新聞)
空犬通信でも大プッシュのこの本、たくさんの本好き書店好きの目にとまってほしいし、もっともっと売れてほしいので、こうして書評に取りあげられるのはとてもうれしいですね。
週刊朝日の評者は西條博子さん(@hirorobin_s)。《大判の写真はカラフルな書棚が万華鏡のようにも見え美しい。》と締められるその文章は、短いものなんですが、同書に取りあげられているお店の「カラフル」な様子がコンパクトに紹介されていますよ。
朝日新聞のほうは、評者、荒俣宏さん。言わずと知れた本の鬼のような方、海外の書店の利用歴もふつうではないでしょうから、どんな紹介をしてくれたのかと、楽しみに読み始めたら……うーん、これがなんというかなあ、ちょっと微妙な書き方。
《西洋の老舗書店というと、古本の墓場か中世の牢獄かと見誤るような老建築を連想するかもしれない。しかし本書を見てびっくり、これは夢のように美しい店内を紹介する写真集であり、著者2人が女性というところも、男性マニアの作りそうなかび臭い書店ガイドとは異なる。/まず書店の選び方からしてファッショナブルだ。》
著者が女性だから書店の選び方がファッショナブル、という時点で、いまどきこんな見方で大丈夫?、著者のお二人にも失礼なのでは?と、早くも心配になってしまう書き方。まあ、先を見ましょうか。ロンドンとパリのお店への言及があり、本書の「見どころ」だというイタリアのお店にふれたくだりには、こんなふうにあります。
《本書の見どころは、本を宝飾品のように展示するイタリアの本屋さんだろう。これらに比べたら、日本のそれは残念ながら下町の雑貨屋レベルだ。》
これは、ぼくの読解力の問題で、荒俣さんなりのひねった表現で、実は日本の書店のことをほめてるんではないか、変わった愛情表現なのではないかと、何度も読み返してみましたが……何度読んでも、このくだり、日本の書店について、大変に失礼な書き方がされてるとしか読めません。……っていうか、我が愛する日本の本屋さんが、思いっきりバカにされてる!
何かをほめるときに、他のものを引き合いに出して、それをおとしめたり、けなしたりする方法でしか語れない人って、どうも信用できないし、苦手なんですよね。○○○っていいよね、それに比べて△△△は……タイプの物言いをする人。もちろん、気をつけないと、自分でもやっちゃいかねないわけで、この駄ブログのなかでも完全にそれをまぬがれているかどうはわかりません。でも、名のある書き手が、全国紙の書評でそのような書き方をするべきなのか、してもいいのかは、まったく次元の違う問題ですからね。
だいたい、この本に取りあげられているのは、一部のすてきな本屋さん、まさに「夢のような本屋さん」たちなわけでしょう? いくら、ロンドンやパリやイタリアの書店がすごいたって、全部が全部、あのような書店のわけじゃあるまいし(苦笑)。っていうか、ぼくのごくごく限られた海外旅行の経験で言っても、パリにだって、ロンドンにだって、ふつうの「街の本屋さん」がありましたよ。
それは日本だって同じですよね。一見、ごくふつうの街の本屋さんもあれば、全国チェーンのお店もあれば、おしゃれだったりとんがってたりするセレクトショップもあれば、その中間もあれば……とにかくいろいろなわけです。どこをどう切り取るかで、その国なり街なりの書店事情なんて、いくらでも違うかたちで見せられるわけだし、それだけのバリエーションに富んだ世界でもあるのです。日本の書店をどの程度ご覧になっているのか、昨年から今年にかけて何冊も出ている雑誌の書店特集をどの程度ご覧になっているのか、よくわかりませんが、「日本のそれ」の実状をどれぐらい把握されているんでしょうか。そもそも、比べ方が変ですよ。著者のお二人のセンスで、見事にセレクトされたお店たちと、日本の書店を雑ぱくにひとくくりにして比べるなんて。双方に失礼ですよね。
荒俣さんはこうも書いています。《町興(まちおこ)しの主役となった書店はどこも、「夢」を追求している。出版不況に苦しむ日本には、大きな衝撃だろう。》ぼくは、この本、大変に楽しく読みました。読了後も、ぱらぱら読み返しています。ぼくは出版業界の端くれにいるものですが、初めて目にしたときから今にいたるまで、別に、衝撃なんて、ぜんぜん感じなかったけどなあ。わくわくしたり、うれしくなったりはしたけどね。だって、あちらとこちらで、上っ面の比較したって、しかたないもの。書店の置かれている状況も、出版事情も、書店の数も、その人口比も、ぜんぜん違うんだもの。あちらには夢がある、こちらには夢がない、だなんて、そんないい加減なこと、本の世界のプロが書くことなのかなあ。
このブログでは(書店の閉店のような、一部特別な話題をのぞいて)なるべく楽しいことしか取りあげたくないんですが、この書評は、この『世界の夢の本屋さん』を愛する者として、そして、なにより、日本の書店を心から愛する者として、ちょっと読み流すわけにいかなかったので、駄文をつらねた次第。もしかしたらぼくの杞憂で、ふつうの人は、《これらに比べたら、日本のそれは残念ながら下町の雑貨屋レベルだ。》にいちいち目くじらを立てたりしないのかもしれない。書店関係者は大人な人ばかりなのかもしれない。かもしれないけど、でも書いておきます。
日本の書店は、(ぼくは「下町の雑貨屋」さんの存在に悪いイメージはまったくありませんが、ここではあきらかに見下す対象として使われているので、その流れで引用しますが)「残念ながら下町の雑貨屋レベル」などとひとくくりにされるようなものではありませんよ。あなたが本好きなら確実に、(まあちょっと好きかな、ぐらいでもおそらく)、大変に幸せな時間を過ごせるすてきなお店が、あちこちにたくさんありますから。
それから、日本の書店関係者のみなさんにも申し上げたいのですがみなさんのお店やお仕事は、なんとかレベルだ、などとひとくくりにされるようなものではありませんよ。昨日一昨日も、合わせて十数軒の書店を見てきたばかりですが(それも同一商圏の、同じチェーンの別のお店を含む十数軒)、1つとして、「これは○○○レベルだな」などと思わされるようなお店はありませんでした。どの店も楽しくて、毎回時間切れで最後は体力切れで、ほんと、毎回うれしい悲鳴ですよ(笑)。外国のお店と比べて云々するような意見は、どうぞ気になさらず。
それから、この『世界の夢の本屋さん』をまだお読みでない方、これから買うかもしれない方にも、申し上げたい。この本は、世界には「夢のような本屋さん」がいくつもあって、出版不況やデジタルの波に苦しみつつも、すてきなお店造りを実現したり維持したりしていて、その店頭の様子がこんなにすてきなんですよと、そういうことを伝えてくれる本です。日本の書店がなんとかレベルだ、などということを言いたい本ではないし、ふつうの読み方をしていたら、そんな感じは受けないと思います。だから、安心して、日本の書店で、この本をお買い求めください。値段以上の価値のある本で、(もちろん、日本の、も含めて)書店のことがもっと好きになる本だと思います。
こんなことを、あえて言う必要があるとはまさに「夢」にも思わなかったのですが、このような書評が出てしまったので、余計なお世話ながら、一応書いておきます。
まあ、弱小ブログにこんなことを書いても、書き手に届くわけはありませんが、最後に、一応書いておこう。荒俣さん、あなたの本は、ロンドンでも、パリでも、ローマでもなく、日本の「残念ながら下町の雑貨屋レベル」の書店さんたちが、一生懸命売っているんですよ。どうぞ、そのことをお忘れなく。そして、いくらかつてほどの影響力はないなどと言われているにせよ、全国紙の書評欄は、本の売り手にとっても、本の買い手にとっても、いまなお大事な場なんですよ。そういう場所で、日本の書店に言及される際には、そのようなことにもお気遣いいただきたものです。