昼休み、昼食をとった後、いつものように神保町の書店をぶらぶらしていたら、こんな本を発見、思わずお店のなかで、うわーとか言ってしまいました。
- 野呂邦暢『夕暮れの緑の光 野呂邦暢随筆選 《大人の本棚》』(みすず書房)
空犬が敬愛してやまない作家の一人、野呂邦暢さんの本を、「新刊」で読めるなんて……(泣)。うれしいなあ、これ。もちろん、即買いですよ。みんなの大好きな(ですよね?)みすず書房《大人の本棚》の1冊。同シリーズ、野呂邦暢本は2冊目です。こんな本を、この出版が大変なことになっているこの時期に、世に問うてくれるとは……。みすず書房のみなさんと、編者の岡崎武志さんには、お礼を言いたいような気分ですよ。ありがとうございます!
野呂邦暢……ずっと残っていくべき、そしてずっと残っていくはずの作家だと思うのです。ところが。本書のあとがきにも書かれていますが、作品が軒並み品切れ・絶版、悲しいぐらい残ってないんですよね。
《大人の本棚》の野呂本1冊目、『愛についてのデッサン』(←これ、大好きです)も、今この文章を書くのに調べたら品切れ……。講談社文芸文庫の作品集も品切れ……。はあ……。
野呂邦暢さんの本って、古書店で見かけないわけではないですが、その辺に転がっているような本でもない。なかなか読むのが大変な作家なのですよ。かくいうぼくも、何年もかけて少しずつ買い集めているのですが、小説の初版本で手元にあるのは数冊ほど。幸い、講談社文芸文庫ほか、文庫が数冊に、文藝春秋で以前出ていた『野呂邦暢作品集』がありますから、代表作はだいたい網羅できるものの、ファンとしてはちょっとさびしい感じの状況なのです。
そこにこの新刊ですからね。しかも、小説以上に、古書店で見かけないエッセイ集。これはもう大事に大事に読むしかありません。
たまたま開いた頁が「装幀」という一篇。《書物はたんなる活字のいれものではない。紙質、見返しの色、背文字のかたち、紙の匂いと手ざわり、重さ、それらが一つになって書物らしい書物となる。(中略)文章は同じでも何か肝腎の要素がないのである。書物を書物たらしめるある種の匂いのようなものが。》
この前段に、欲しくて探していた本が見つからず、人から借りてコピイをとり、それで読んだが、やっぱり単行本がほしいのだ、という話があり、中略部分には、「コピイはぬけがら」だとあります。そして、文章はこう続きます。
《私はいわゆる愛書家ではない。しかし、いい本というものは、著者と編集者の愛情によって生れると信じている。》
電子書籍だ、iPadだKIndleだと、そんなニュースばっかり毎日読まされているいま、このような文章を含むエッセイが復刊されるなんて、ほんとなんてタイミングだろう。従来の本好き、従来の編集者の思いをシンプルかつストレートに代弁して過不足のないこんな一節を読んだら、もちろん残りも読みたくなるでしょ? ねえ。
というわけで。みすず書房の《大人の本棚》の1冊になったからといって、安心はできません。品切れになってまた探求書を増やす羽目になる前に、ぜひ書店へレッツゴーでお願いします!
ところで、この本、ひと月以上前に出ていたんですよねえ。これだけ毎日のように書店に出入りしていながら、空犬通信的に超のつく重要人物のこんな重要本を見逃していたなんて……。うう、悔し過ぎる……。東宝特撮DVDコレクションは毎号、発売日に買っているくせに……。
↑野呂邦暢読みは、必読です。こんなタイトルですが、中身はほとんど「野呂邦暢と私」みたいな内容になってますから。