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竣工まで、もうイッポ

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 12月2日、摩尼寺「奥の院」ツリーハウスの全貌が見えてきた。6月14日のLablog 2G(プロ研活動9回目)に、ツリーハウスに関する最初の記述があり、制作に要した年月は半年といったところだ。僕は前期「修験道トレッキング」のメンバーだが、後期になっても先生のゼミ室で毎週鍋を御馳走になるなど、大変お世話になっている。そんなこともあり、今回は日曜日の活動に参加させてもらった。
 この日の活動の目的は、ツリーハウスの制作と「奥の院」テントの撤収である。二つのテントのうち一つを解体し、作業用の道具や荷物を出来るだけ下ろす必要がある。そういう季節になってしまったのだ。当日は、白帯さん、ナカダ君、ケント君、僕の4人で摩尼山へ上がった。11時頃「奥の院」へ到着するまで、久しぶりのトレッキングルートを大いに楽しんだ。前日に雨が降ったせいで、道は泥でぬかるみ、歩きにくい。また、紅葉した後の落ち葉が散乱していて足元が見えない。一本橋の丸太もコケが生えているため、多少危険だ。そんななかで一番強く感じたのは、周囲の静けさだった。夏に来た時、鳥のさえずり、カエルの鳴き声、近くを流れる小川の音など実に賑やかだったことを思い出したが、肌寒い12月においては当然なことだろう。季節は違えど「奥の院」への最後の道は、いつ登ってもきついと感じる。最近だらしない生活が続き体力が落ちたせいもあるが、泥のぬかるみはやはり厄介だ。ここに岩のように段差があれば多少安全に登れるが、今の状態では斜面に対して常に足が斜め方向に傾いているため、ふくらはぎが痛いと感じる。下りも同じで、足の踏ん張りがきかず尻餅をつく格好で滑ってしまう可能性もあるだろう。


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 活動自体は順調だった。ツリーハウス周辺の樹に仮止めされてある軒桁をニッパーを使って、頑丈に閉めていく。この時は、あまり樹を傷つけないように注意した。そんな作業の途中で、一人の外国人の男性が姿を見せた。日本語が喋れなかったため、僕の下手くそな英語で何とかコミュニケーションをとってみたところ、鳥取大学で英語を教えている方らしく、僕達の活動に興味津々だった。「君たちはここで何をしているのか」、「あれは何を作っているのか」など聞かれ、最後に立岩に上がる道はどっちだと質問された。改めてみると、奥の院から上がる道は木の伐採により地形が開けたこともあり、ちょっと分かりづらい。ルートマップの重要性に気付かされた場面だった。ちなみに、その方は3週間前にも奥の院へ来ており、その時もプロ研最中の学生にあったそうだ。
 昼食の時間。僕はガスバーナーを取りだし、一番好きなマルタイラーメンを食した。ここ数日、僕の周りではこのマルタイラーメンの話をよくするが、あまり認知度がないことにびっくりした。「棒ラーメンでおなじみ、味のマルタイ」と言われるように、いわゆる棒状の麺が束になっていて、沸騰したお湯に3分入れるだけのラーメンだが、スープが凝っていて全然飽きない味となっている。スーパーにも普通に売っていて、2食入り145円とカップ麺に比べてお手頃な価格と言える。何より、コンパクトで荷物が嵩張らないのが一番助かる。だから、山登りやキャンプには最適なラーメンと言える。僕は自信をもってこのラーメンを推薦する。


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 さて午後の活動だが、頑丈に固定された軒桁に屋根の部分である垂木を引っ掛けていく。屋根が出来上がることで、一気にツリーハウスらしくなっていった。微妙な垂木の調整を施し、立派な屋根が見えてくる。あとは床の部分で剥がれそうな竹をくくり、ツリーハウスをほぼ完成に近づけた。どのように活用されるのか、今からとても楽しみである。そろそろ日も暮れかけた頃、下山の準備に取りかかる。鍬や鋸、鎌、土嚢袋、メジャーなど不要な道具を出来るだけ抱えて下山する。当初2往復かけて下ろそうかという計画もあったが、17時にはあたりが暗くなることを考慮して、重くても荷物をたくさん持つということになった。一つのテントをたたみ袋に入れると、案の定湿っぽく持ちにくかったが、往路と同じように手提げの部分に腕を入れ、後ろにザック、前にテントを背負う格好で下山した。18時半頃、大学に戻りそのまま解散したが、久々に清々しい気分だった。万歩計を見ると、約13000歩で想像より少ないと感じたが、疲労度は十分だったように思う。


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 今回、摩尼寺「奥の院」遺跡を久しぶりに訪れたこともあって、特別に感じることも多かった。後期のプロ研ではサインボードを制作しているそうで、実際に途中の看板でも見受けられた。正確な計測も行われているので、距離に狂いはない。この看板の設置は多くの人の役に立つであろう。今はまだ真新しい板の木目が目につくが、これが1年後、2年後と時間とともに馴染んでいくと、とても素晴らしいと思う。多少汚れて周囲の自然に溶け込むことで、趣深い印象を与えるからだ。「奥の院」におけるツリーハウスは順調に仕上がっている。よく見ると、縄や結び目がバラバラだったり、下に隙間があったりと完全ではないが、逆に手作り感があるので多くの人に好まれることを期待している。あと巨巌の方へ登る際、気になった点が土嚢階段で、袋は完全に破け階段として全く機能していなかった。せっかくの風景にこの汚い土嚢はマイナスだなと感じる。次に訪れる時はいつになるのか、とりあえず外でのフィールドワークは終了ということで寂しくなるが、摩尼山自体をもっと活性化させて欲しいし、自分が協力できる範囲で貢献したい。(イッポ)


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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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