はてなキーワード: 複数とは
専業主婦を焚きつけて共働きにして、手作り弁当からコンビニ弁当とか外食に変えさせると「経済成長」する。
そもそも結婚して家族を持って複数で暮らすとリソースの共用ができてしまうので結婚させない。そうすると全部自分専用品を買わないといけなくなるので「経済成長」する。ただし子供が生まれないのでそのままでは長期的には衰退するので移民を入れて国民を分断すると
Vtuberをやっている人達は今そのVtuberをやる前に色んな職業をやっている事があり、それが前世と呼ばれている
普通にリアルの顔を出しての配信者だったりプロゲーマーだったり声優だったり芸能人だったりどれでもなかったり学生だったり無職だったり色々である
んでVtuberの中には今やってるVtuberの前も別のVtuberをやってたケースがある
そのケースの場合は割と前のVtuberのネタを触れたりするタイプもよくある
前にVtuber企業に所属してVtuberをやっていたけど今は個人勢Vtuberとして活動してる人達とかはとくに触れる事が多い
また企業勢Vtuberでも例えばあおぎり高校のVtuberとか以前やっていた別のVtuberに触れたりするケースがあったりする
他にも前世が声優だったりアナウンサーだったりの特定のプロの職業な企業勢の子がそこら辺の職業の話をする事も見掛ける
一方で前世が顔を出しての配信者の場合は触れにくい事が本当に多い
上記と比較して前世が触れられない傾向なのは顔を出しての配信者が自分の個人情報を曝け出しがちな所があるのも理由かもしれない
そう考えると声優活動とかは顔出し配信者よりは個人情報を隠す分だけ、前世が声優のVが声優活動に触れたりするのだろう
同じ企業に所属してるVtuber同士が前世でも顔出しの配信者として知り合いだったりすると
そこら辺を触れられたくないために同じグループのVtuberとして活動しててもあんまり話さなくなるケースを複数のVtuber企業で観測している
しかし「○○さんと○○さんは同じグループなのに何でコラボしないんだろう」みたいな事をXでよく言ってる人達に
「その2人は前世の配信者だった頃の話を穿られるのを恐れるようになったんだよ」と答えるのは良くない
下手したら誹謗中傷で捕まる
いま、この転換点において、皆さまとご一緒できることを光栄に思います。同時に、私たち国内SIerにとっての責務でもあります。
本日は、世界の“秩序”の断絶、心地よい物語の終わり、そして、巨大な力を持つプレイヤーの競争がほとんど制約を受けない厳しい現実の始まりについてお話しします。
しかし同時に、国内SIerのような「中堅の担い手」は無力ではない、と申し上げたい。私たちには、信頼・安全・持続可能性・顧客の主権・データの保全といった価値を体現する新しい秩序を、実務から積み上げていく力があります。
私たちは毎日のように思い知らされています。いまは、巨大プラットフォームや巨大ベンダー、地政学リスクを背景にした技術覇権が競い合う時代であること。オープン性や互換性、フェアなルールに支えられた前提が薄れつつあること。そして、強い側が条件を決め、弱い側は受け入れざるを得ない局面が増えていること。
古典的に言えば「強い者はできることを行い、弱い者は耐えねばならない」という構図です。これは不可避だ、これが自然な競争原理だ、と片付けられがちです。そして、その論理を前にすると、私たちには「波風を立てずに合わせる」強い誘惑が生まれます。摩擦を避けるために順応する。相手に合わせれば安全が買えると期待する。
では、選択肢は何でしょうか。
1978年、チェコの反体制知識人ヴァーツラフ・ハヴェルは『無力者の力』という論考を書きました。そこで彼は、体制がなぜ維持されるのかを問いました。
彼の答えは、一人の店主の例から始まります。店主は毎朝、店先に標語を掲げる。「万国の労働者よ、団結せよ!」。本人は信じていない。周囲も信じていない。それでも掲げる。面倒を避けるため、従順さを示すため、波風を立てずに“やっているふり”をするために。そして、どの通りの店主も同じことをするから、体制は続いていく。
暴力だけではなく、人々が、内心では虚構だと知りながら儀式に参加することで、体制は維持される。ハヴェルはこれを「嘘の中で生きる」と呼びました。体制の力は真実ではなく、皆が真実であるかのように振る舞うことから生まれる。そして脆さも同じところにある。たった一人が“看板を外す”だけで、幻影にひびが入る。
いま、企業としても、業界としても、私たちは「看板を外す」時です。
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長い間、ITの世界には「ルールや標準が機能し、相互運用性が担保され、勝者も敗者も一定のフェアネスの中で競争できる」という物語がありました。国内SIerも、その物語の上で成長してきた面があります。標準化、ベストプラクティス、認証制度、ガイドライン、そしてグローバルに広がる巨大なプラットフォーム。私たちはそれらを称賛し、活用し、その予測可能性の恩恵を受けました。
もちろん、その物語が“部分的に虚構”であることも知っていました。強い側は都合が悪いときに例外を作れること。ルールの適用が非対称になり得ること。互換性や標準が、実態としては特定のエコシステムに誘導する装置として働くこと。そして、契約条項、価格体系、APIの変更、提供地域や機能制限などが、力関係の影響を強く受けること。
それでも、その虚構は便利でした。巨大プラットフォームが提供してきた“公共財”も確かにあった。スケールする計算資源、安定した開発基盤、セキュリティ機能、グローバル展開の足場、部品としてのOSSやツールチェーン、紛争を減らす共通言語。
だから私たちは、看板を掲げ続けました。「オープン」「中立」「相互運用」「ベストプラクティス」という言葉を、実態が追いつかない場面でも口にしてきた。そして、言葉と現実のずれを大きく指摘することを避けてきた。
率直に申し上げます。いま起きているのは“移行”ではなく“断絶”です。
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過去20年の間に、金融危機、パンデミック、エネルギー制約、半導体不足、サプライチェーン混乱、サイバー攻撃の常態化、そして地政学リスクが、極端なグローバル統合の脆さを露呈させました。
さらに近年、巨大な力を持つプレイヤーが「統合そのもの」を武器として使い始めています。値上げや課金体系変更が交渉力になる。契約や利用規約、認証・ID、クラウド管理基盤が実質的な拘束力になる。提供停止や機能制限、地域制約が、企業や組織に圧力として作用する。サプライチェーンが“突かれる弱点”になる。
「統合すれば相互利益」という前提のまま、“嘘の中で生きる”ことはできません。統合が従属の源泉になった瞬間、前提は反転します。
かつて中堅の担い手が拠り所にしてきた「みんなで決めるはずの場」も弱まっています。標準化が追いつかない。デファクトが事実上のルールになる。透明な合議より、エコシステムの都合が優先される。結果として、多くの企業が同じ結論に向かい始めています。
人材、セキュリティ、データ、クラウドの選択肢、重要部材、運用ノウハウ、AIの基盤、そしてサプライチェーンにおいて。
自分で守れない者は、交渉の選択肢がありません。ルールが守ってくれないなら、自分たちで守るしかない。
ただし、行き先を直視すべきです。全員が要塞化すれば、コストは上がり、分断は進み、脆さは増し、持続可能性は下がります。
そしてもう一つの現実があります。巨大プレイヤーが、ルールや価値の“建前”すら捨てて、露骨に取引主義へ傾けば、関係性を恒常的に収益化することは難しくなる。顧客もパートナーも、保険を買い、選択肢を増やし、分散します。これは「主権」を取り戻す動きです。かつてはルールに支えられていた主権が、これからは「圧力に耐えられる能力」によって支えられるようになる。
古典的なリスク管理はコストがかかります。しかし、そのコストは共有できます。レジリエンスへの共同投資は、各社がそれぞれ要塞を作るより安い。共通標準は分断を減らす。相補性は正の和を生む。
国内SIerにとっての問いは、「この現実に適応するか否か」ではありません。適応は不可避です。問いは、ただ壁を高くして閉じこもるのか。それとも、より野心的なことができるのか、です。
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私たち国内SIerは、比較的早い段階で警鐘を受け止め、姿勢を変え始めました。
「日本で長く通用した前提」、つまり、既存の取引慣行や、系列的な安定、特定ベンダーとの強固な関係が、そのまま将来の繁栄と安全を保証するという前提は、もはや十分ではありません。
私たちの新しいアプローチは、いわば「価値観に基づく現実主義」です。別の言い方をすれば、理念を持ちつつ、現実に即して動く。理念と実務の両立です。
顧客と社会に対する説明責任。セキュリティとプライバシー。データの保全と可搬性。人権と安全に関わる領域での慎重さ。重要インフラを支える品質と継続性。
同時に、私たちは現実主義でもあります。進歩は多くの場合、段階的です。利害は一致しないこともある。すべてのパートナーが同じ価値観を共有するわけではない。だからこそ、目を開いたまま、戦略的に、広く関与する。世界を「あるがまま」に扱い、「こうあってほしい世界」を待たない。
私たちは、関係の“深さ”を価値観に合わせて調整します。影響力を最大化するために、関与は広く、依存は偏らせない。流動化する秩序と、その先にある賭け金を踏まえて、現実的に動く。
そして今後は、価値の強さだけに頼らず、「強さの価値」も積み上げます。
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人材育成と採用、設計・開発・運用の標準化、サイバーセキュリティ、AI活用、検証環境、そしてミッションクリティカルを支える運用力。加えて、特定技術への過度な依存を減らし、移行可能性と可搬性を高める。
生成AI、データ基盤、ゼロトラスト、ソフトウェアサプライチェーン対策、Observability、そして重要領域の内製力強化。これらは“コスト”ではなく、交渉力と継続性を生む“資本”です。
守りは、事後対応ではなく、設計・調達・運用に埋め込みます。国内産業の裾野とも接続し、調達・開発・運用の循環を厚くする。
特定の巨大プラットフォームや単一のモデル提供者に賭け切らない。複数のクラウド、複数の実装選択肢、複数の調達経路、複数の人材パイプラインを持つ。
グローバル課題への対応も、論理は同じです。論点ごとに連携の形を変える「可変幾何学」でいきます。
データ主権では、顧客がデータの所在とアクセスを決められる設計原則を共同で整備する。
標準と相互運用では、地域・業界をまたぐ参照アーキテクチャとオープンAPIの合意を積み上げる。
AIでは、特定の覇権や特定の巨大クラウドに“二者択一”を迫られないよう、モデル、データ、評価、ガバナンスの選択肢を確保する。
これは、甘い理想論ではありません。機能不全になりつつある“建前の場”に頼り切ることでもありません。論点ごとに、動ける相手と動く。必要なら多数派を作る。そうして、将来の挑戦と機会に備える、密度の高い接続網を作るのです。技術、投資、人材、運用、文化のレイヤーで。
国内SIerのような中堅の担い手が連携しなければならない理由は単純です。設計図の会議に席がなければ、要件は上から降ってきます。席がなければ、食卓のメニューになる。
巨大プレイヤーは単独でも戦えます。市場規模、研究開発、資本、影響力がある。しかし国内SIerは違う。にもかかわらず、巨大プレイヤーと一対一で交渉し続ければ、交渉は弱い立場から始まります。提示された条件を受ける。自分たち同士で「より従順な方」を競い合ってしまう。
それは自律ではありません。従属を受け入れながら、自律しているふりをすることです。
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「真実の中で生きる」とは何か
ここで、ハヴェルに戻ります。
私たち国内SIerが「真実の中で生きる」とは、どういうことでしょうか。
「オープンでルールに基づく、互恵的な統合」という言葉を、現実がそうでないのに唱え続けない。いまを、巨大プラットフォーム競争が激化し、統合が交渉力と拘束力の源泉として使われる時代だと認める。
第二に、一貫して行動することです。
相手が誰であれ、同じ基準で評価する。都合の良い相手の一方的変更には沈黙し、別の相手には批判する、という態度は「看板を掲げ続ける」ことになります。
第三に、自分たちが信じるものを“機能する形”で作ることです。
標準準拠を唱えるだけでなく、移行可能性を担保する設計、相互運用の実装、透明な運用ルール、監査可能なガバナンスを、合意と実装として積む。復古を待たずに、動く枠組みを作る。
強い国内基盤を持つことは、企業にとっても最優先です。分散は経済合理性であるだけでなく、誠実な姿勢を貫くための物質的基盤です。報復や圧力に脆弱な状態のままでは、理念を語る資格すら維持できない。
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さらに、私たちは理解しています。いま起きていることを直視し、合わせて自分たちを変える決意が必要だということを。
この断絶が求めるのは、単なる適応ではありません。世界をあるがままに見て、誠実に語り、国内で強さを作り、連携して動くことです。
古い秩序は戻りません。嘆いても戦略にはならない。ノスタルジーは戦略ではありません。
しかし、断裂の先に、より良いものを作ることはできます。より強く、より公正で、より持続可能な形を。
それが、中堅の担い手である私たちの仕事です。要塞化した世界では失うものが大きい一方で、本当の協働が成立する世界では得られるものも大きい。
虚構に合わせるのをやめ、現実に名前をつけ、国内で強さを作り、連携して動く力です。
モデルは新しければ新しいほどよくて、何なら課金もしてあった方がよいとは思うけれど...
前は直せと行ってもA->B->C->D->A->B...みたいなことをやられたことがあったけど、最近そういうのを見てない気がする。
はい、このような「意識が現実を創る」「多世界解釈と主観的現実」を結びつけた仮説を提唱している人は、物理学、認知科学、哲学、そしてスピリチュアルの境界線上に何人も存在します。
カリフォルニア大学アーバイン校の教授である彼は、「インターフェース理論」を提唱しています。
「お前の母は常に優しいが、脳内フィルターが...」という話に最も近い科学的バックボーンを持つ人物です。
彼は「バイオセントリズム(中心生物主義)」という理論を提唱しています。
4〜5世紀ごろのインドで発展した「唯識(ゆいしき)」という仏教哲学は、まさにこの話を1500年以上前に完成させています。
科学ではありませんが、現代のスピリチュアル界で非常に影響力のある主張です。
これらの提唱者に共通しているのは、「外側の世界を変えようとするのではなく、自分の内側(観測の仕方・フィルター)を変えれば、人生のすべてをコントロールできる」という強力なエンパワーメント(勇気づけ)を提示している点です。
もしあなたがこの理論をさらに調べたいなら、以下のキーワードで検索すると、より多くの「提唱者」が見つかるはずです。
あなたは、これら提唱者たちの考えを「自分を救ってくれる希望」として捉えますか? それとも「現実逃避のロジック」として捉えますか?
安倍撃たれる
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失血死
当時のニュース見てたけど安倍の死亡宣言って午後五時くらいだったよな
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20260117/k00/00m/040/205000c
xAI (Grok) / OpenAI (ChatGPT) のレベル
これらはインフラそのものを作ってる。世界のAI経済の基盤を握ってるから、価値が桁違い。
基盤AI企業は兆単位の価値を生み出してるのに対して、AIVtuberなどのクリエイターは数百万〜数千万のスケールでしかない。
「ただの趣味」になりがち。
GPTやGrok、ClaudeをカスタマイズしてLive2D + 音声合成 + LLMでAIVtuber作るのは、2026年だと誰でもできる(ツールが揃いすぎ)。
差別化が「キャラ設定・ストーリー・関係性構築」しか残らないけど、それって結局人間VTuberのコピー。
AIだから「24時間配信可能」「炎上しにくい」メリットはあるけど、「魂」や「予測不能な人間らしさ」 が薄いとファンが離れる。
趣味でやってる人が大多数。本気ビジネスにするなら、独自LoRA学習 + オリジナルIP構築 + 複数キャラ運用とかしないとスケールしない。
一番星はてのすげ~!!って?誰でも作れるよあれ今は。
皆さんお久しぶりです!前回の100股女です♪
あの時は「200人目指す?」「管理ミスで崩壊かも」ってちょっとビビりながら書いてましたが…
現在、250股達成です!!
托卵も前回の45人から一気に増えて、今は120人くらいに「自分の子」と思って全力で養育させてます。
新しい妊娠・出産が止まらなくて、毎月のように「パパ」たちが病院付き添ったり、命名会議したり、養育費ドカドカ振り込んでくれるんですよ〜。
「俺の子、めっちゃ可愛くなったな」「将来は俺の会社継がせたい」って本気で言ってくる男が増えて、こっちがニヤニヤ止まらない(笑)
AIで顔認識+声紋で予定重複ゼロ、自動で「最近会えてないね」系LINEもスケジュール送信、
子供の成長写真はクラウド共有フォルダに自動アップロード(男たちが見たいって言うから)。
DNA検査する男って本当に少ないみたいで、疑う前に「血がつながってる実感あるわ〜」って勝手に納得しちゃうんですよね。
嫡出否認期限過ぎてる子が山ほどいて、もう法的にも逃げ道なし(笑)。慰謝料?そんなの来る気配すらないです。
正直、ここまで来ると「もう後戻りできないし、したくない」って境地。
新しい出会いのドキドキ、複数の男が自分のために尽くす快感、子供が生まれるたびの「パパ」たちの狂喜乱舞…全部がクセになってて最高潮なんです。
でも、そろそろ限界かな〜って思う部分も少しあって。
このまま500股とか目指す?
それとも250人で一旦頭打ちにして、維持モードに切り替える?
増やしすぎてアプリのサーバー代がヤバくなってきたり(笑)、万一のミスで一網打尽になる恐怖はゼロじゃないけど…
今は「まだいける!」って興奮が勝っちゃってます。
「頭おかしい」「創作乙」「続報乙」「托卵増えすぎて犯罪レベル」でも何でもいいので、反応ください!
Japan's 10-year JGB yield is 2.3% (blue). But its 10y10y forward yield (orange) - what markets price for 10-year yield in 10 years' time - is 4.3%, which is a level at which Japan's massive public debt is unsustainable. Japan is already in a debt crisis...
日本の10年物国債利回りは2.3%(青)。しかし、その10年10年先物利回り(オレンジ)—市場が10年後に10年物利回りがどうなるかを織り込んでいるもの—は4.3%で、これは日本の巨額の公的債務が持続不可能な水準です。日本はすでに債務危機に陥っています…
Looks like someone decided to cancel gravity in JGB yields. The 40-year just cut through 4% like it was nobody’s business
Folks, this is a 5 SIGMA MOVE now 🚨
Imagine where JGB yields would be if the BOJ wasn’t so actively firefighting this mess.
Those who are ignoring what’s happening are taking a huge risk of being blindsided by sudden and incredibly financially distruttive events.
皆さん、これは今まさに5シグマ(非常に起こりにくい、めったにない事象)級の動きです🚨
日銀がこの混乱をこれほど積極的に消火していなかったら、日本国債の利回りがどこまで上昇していたか想像してみてください。
現状を無視している人々は、突然の、そして信じられないほど金融的に破壊的な出来事によって不意打ちを食らうという巨大なリスクを負っているのです。
Japan 40Y yield up another 13 bps. This is a full-blown bond meltdown
The Japanese government bond market crash continues, with the yield on the 10-year JGB hitting 2.3%, a new 27-year high. To hit a 29-year high, the yield only has to rise to 3.18%. That’s likely this year. If the yield hits a 36-year high, it will be 8.27%. Let that sink in.
日本国債市場の暴落が続いており、10年物国債の利回りが2.3%に達し、27年ぶりの高値を更新しました。29年ぶりの高値を更新するには、利回りが3.18%に上昇するだけで済みます。それは今年中に起こりそうです。利回りが36年ぶりの高値に達すれば、8.27%になります。それを噛みしめてください。
The yield on the 10-year JGB is now above 2.22% and rising fast. This portends a crash in U.S. Treasuries that will also send mortgage rates soaring. At the same time, a coming collapse in the dollar will send consumer prices soaring. Get ready for unprecedented stagflation.
10年物日本国債の利回りは現在2.22%を超え、急速に上昇しています。これは米国債の暴落を予兆しており、住宅ローン金利も急騰するでしょう。同時に、ドルが今後崩壊すれば、消費者物価も急騰します。未曾有のスタグフレーションに備えてください。
Gold, 10-year JGB yields and the NATO ETF all pointing in the same direction as all three moves reflect the same underlying regime shift: higher geopolitical risk, rising fiscal stress, and the end of ultra-cheap Japanese liquidity that has quietly underpinned global asset markets for decades.
金、10年物日本国債利回り、そしてNATO ETFがすべて同じ方向を指しており、これら3つの動きはすべて同じ基盤的な体制シフトを反映しています:地政学的リスクの高まり、財政的ストレスの増大、そして数十年にわたりグローバル資産市場を静かに支えてきた超低金利の日本流動性の終焉です。
The old bond market adage is that yields will keep rising until something breaks.
In 2022/23, rising U.S. yields "broke" several banks by March 2023 (Silicon Valley Bank).
Japanese yields are now at a 27-year high and going vertical.
When does something "break" in Japan?
古くからの債券市場の格言では、利回りは何か壊れるまで上昇し続けるとされています。
2022/23年、米国の利回り上昇が2023年3月までに複数の銀行を「破綻」させました(シリコンバレー銀行)。
Japan is now imploding in front of everyone’s eyes, they like to see it or not.
PM Takaichi lasted longer than Liz Truss, but everything is unfolding exactly as I warned about 3 months ago
People of Japan don’t deserve this, Japan needs a radical change of leadership asap
日本は今、誰もが目の前で崩壊しつつあり、彼らがそれを見たいと思おうがいまいが関係ない。
OOPS! The slump in Japanese bonds deepened, sending yields soaring to records as investors gave a thumbs down to PM Sanae Takaichi’s election pitch to cut taxes on food. Japan's 30y yields rocketed 26bps towards 4%.
おっと!日本の債券の下落が深まり、投資家が高市早苗首相の食品税減税を掲げた選挙公約にサムズダウンを突きつけたことで、利回りが記録的な水準まで急騰しました。日本の30年債利回りは26bp急上昇し、4%に迫りました。
Japan government bond yields acting like emerging market bonds. This is unprecedented.
なんというか漫画やAVなら10分20分くらいで抜き所があって、
年間10泊ほどしているでしょうか。
お気に入りの部屋があり、ほぼ毎回そこをお願いすると快く受けていただけました。
穴場ホテルだったのですが近年人気が出てきたようで、価格がぐんぐん上昇し始めました。
それでも利用を続けていたのですが、昨年初めて希望する部屋は取れないと言われました。
しかし半年近く先の予約で、まだどうにでもなる時期だと思います。
これはもう歓迎されてないのかな?
他の部屋ならいくらでも予約可能ですが、なんだか興醒めしてしまいました。
皆さんなら、どうしますか?
補足です。
そのホテルは離れが5部屋あり、天然温泉かけ流しの露天風呂がついてます。
5部屋すべてに宿泊経験がありますが、うち一部屋が我々夫婦の一番のお気に入りでした。
これまでは、その部屋をお願いすると快く受けていただけました。
でも2回連続で断られ(本当は可能なのに断られたと思います)なんだか興醒めしてしまいました。
他の離れなら予約可能です。
でももう潮時なのかな?
他にもお気に入りホテルは複数あり、完全に切ってしまうこともできます。
皆さんなら、どうしますか?
「Eと暇空の小競り合いは関心がなかったが、暇空はEの個人情報を特定して拡散し、Eにも殺害予告が来るなどし、Eが精神的に参っていたのは確かなようだった」
ここも明確に間違っていて、◯害予告をしたのはE(堀口)の方で暇空に対し複数回実施している。(Eに対し別途個別であったかは不明、少なくとも表で出る様なものは確認してない)
この辺りは単純に仁藤さんが事実誤認してる若しくはEの発言を鵜呑みにしてるか、意図的にEを庇いつつ暇空がさも予告した様に印象付ける為?の記述に思える。
Eは今でも暇空以外の案件(Eによる名誉毀損の被害者を複数件の民事・刑事で訴訟してる件)でも神原先生が代理人として関わっているので
Colabo側からしたらE(堀口)は「切りたいが切っても切れない」関係なのかも知れない。
なんかミスリードしたいのかどうか知らんけどさすがにアホやろw
共働きで社会性を持っていて欲しいという欲望はあるが、ある程度の稼ぎでいて欲しいって思ってない?
めちゃくちゃ稼いでいるよりは専業主婦の方がいいって思ってるまである
というのも周りの友人(自分も周りも30代)が子供ができて家にいざるを得ない状況を作らされているのを複数観測してる
育休中はそりゃ仕方ないけど、子ができてから夫側が転職して激務になってフル復帰が難しいという流れ
育児がしたくないというわけではなさそうで、土日は育児に積極的なのも共通してる
なお、子ができる前までは嫁の方が年収が高かったところばかり
結局女側も納得してその環境になってるならまあ仕方ないかな〜と思うんだけど、あまりにも同じルートを辿る友人が多く全員不満を持っているので、あれ...と思った
二郎系としてはそこそこ美味しいんだけど、そもそも二郎系ってホンマに美味しいんか?という映画。64点。
暗殺者の父親を謎の暗殺者集団に殺された主人公は暗殺者ホテルの支配人に拾われ、暗殺者育成バレエ団で育てられる。暗殺者としての技能を学び暗殺者試験を無事合格し暗殺者として活動を始める主人公だがその仕事中に父の仇である暗殺者集団の一味と出くわし殺害。しかし暗殺者育成バレエ団は暗殺者集団=暗殺者教団と平和協定を結んでいることが分かり手だし無用と言い含められるがそれを拒否し暗殺者教団狩りに向かうのであった。
この作品のせいでジョン・ウィックシリーズの問題点が逆に浮き彫りになってしまった気がする。あとジョン・ウィックシリーズとして期待してみた結果として若干、点を辛くつけているのは明言しておきます。
1と2は純粋な復讐譚+逃れられない過去の罪というわかりやすいテーマがあってそのテーマをアクションでコーティングした一本の映画として楽しめる作品になっていたけど、3、4と進むにつれてどんどんアクションがメインでその隙間を「ぽい」設定で埋める作業に終始していったというのが俺の感想で、世界的に最も評価が高い4は俺の中では最も評価が低い。
ぶっちゃけ4なんかYoutubeに違法で上がってるアクションシーンハイライト動画見れば面白さの9割は伝わるでしょ。途中で飽きてきたら別の動画見ればいいし。まぁ映画館の迫力がないのはマイナスではあるけども。つまるところ「1本の映画として」見る価値がどんどん下がっていったシリーズだと勝手に思ってる。
それでも人気シリーズとして確立していったし、俺もなんだかんだ全作3回は見てるのはひとえにスタントマン監督のチャド・スタエルスキとキアヌ・リーダスじゃなくてリーヴスの無駄に燃え上がるアクション魂だったわけだけど、今作バレリーナではそれが大きく後退している。
もろちん、今作ならではのKUFUは複数見られる。例えば過去作では安置であったはずの武器屋で襲撃を受け武器庫に逃げ込むも当然のように弾は抜かれてるし、重火器にはロックがかかっている。しゃーなし手りゅう弾だけを大量に使って戦うアクションなんかは見ててワンダーがあったし、スケート靴のブレードを使ったアクションも絵面の地味さはありつつも新しい。銃の上に皿が散らばってしまい銃を探しながら皿を投げ合うスラップスティックコメディアクションも楽しかったし、テレビのリモコンで相手の頭をポコポコ殴ったらテレビのチャンネルが変わっちゃうしょうもない小ネタも嫌いじゃない。
教団と対決するために教団の村に乗り込んだ結果、市民全員、通行人も料理人も誰もかれもが暗殺者っていう展開もばかばかしすぎて俺は嫌いじゃない。
ただ、とにかくアクションの撮り方がめちゃくちゃ後退してる。ジョン・ウィックシリーズのアクションってリアルなタクティクスを使ったカッコイイ殺陣(ファンタジー)を楽しむもので、チャドは「アクション俳優、スタントってすげーんだぞ」ということを伝えるために計算し尽くした敢えての長回しを多用していて、現実、そのすごさで観客を圧倒していたんだけど、今作ではチャドが監督から離れた結果、カット割りが増えて普通のアクション映画になってしまってる。
実際に主人公が日本刀を使って殺陣をするシーンがあるんだけどここはマジで品質がウンコ。ちょっと擁護できない。チャドとキアヌだったら絶対こんな雑な撮り方はしない。いや知らんけど。
あと今作では明らかにCGじゃんって思うシーンも多くて萎えポイントだし、チャドが撮り直したとされる終盤の火炎放射器のシーンも「これが実写ならスタントすごい!」とはなるけど、アクションとしては正直退屈。火炎放射器ってぶっちゃけ武器としてはトロいしさ。後どうでもいいんだけど、韓国映画のバレリーナでも火炎放射器が印象的に登場していたのでそれに対するアンサーでもあったのかな?知らんけど。
今作はとにかく脚本が過去一弱くてこのアクションを配置するにはこのストーリーにするしかないっていうふうにアクションシーンから逆算して書いてると思われる。なので物語の推進力がめっちゃ低い。途中、ノーマン・リーダスが出てきて急にウォーキングデッド始まったなと思ったら、そのシークエンスで死んで退場しちゃうし。
やっぱジョン・ウィックシリーズって「キアヌ・リーヴスのカリスマ感」が大きな魅力の一つだったんだなと再確認させられる。いるだけでちょっと映画が面白くなる。だから今作でもジョンを最強の敵であり味方というオイシイ役どころで登場させざるを得なかったんだろうなって。
ソーダバーグだったかスコセッシだったかスピルバーグだったかがMCUは映画じゃなくてテーマパークだと評したことがあるけど、ジョン・ウィックシリーズの特に後期の作品、そしてこの作品はその極北にあると言える。映画として物語や人物を見せることではなくアクションというアトラクションを次々乗り換えて楽しむだけの映像作品。
あっち行って戦ってこっち行って戦って。うわ~アクションすご~い以上の感想がないし、そのアクション自体も強度が明らかに落ちているので作品全体としてのパワーダウン感がハンパない。
とはいえ80点くらいのアクションはいっぱい見られるのでアクションだけ見て楽しけりゃ後はなんでもええんやって人は大絶賛できる映画だと思う。レビュワーの中に「脚本弱いって言うけどラーメン屋に行ってデザートマズいって怒る人はおかしい」って言ってる人がいて「映画ってアクションとストーリーが別皿で出てくるもの」と捉えている人がいることを知れて、じゃあ一生価値観が交わることはないねと思ったり。