はてなキーワード: 穿ったとは
最近の夏頃になって日傘を下している男はゲイの様なポストが回ってきてその時えも言われぬ興味が沸いていた
元?は英語圏からの文化らしく特定の音楽を聴いてる男はゲイ、スキンケアをする男はゲイ等々…おそらく使ってる奴の半分はネタの範疇だろうがその「日傘を差している男はゲイ」が仮にもししっかり偏見の機能として日本にも届いている%が上がるなら自分は嬉しく捉えてしまう… これやっぱエロすぎないか?
真夏で日射病注意警報が出ているのに(でもゲイに見られるしな…)で駅前のストアに売っている日傘を手に取れず内心苦悩してる外回りの男性やバイトに向かう人間は流石に性的だろう 人の目を気にする価値観のせいで熱中症なりかけでフラフラしている男のエロイラストが見たくて堪らなくなった まんずり決定 いや誰か描いてくれよ 男は産めるのうんこだけと叫んでる演説の時も思ったけれど女っぽいだの男ってホント無価値など穿った姿勢でも最終的には自分の性別に首閉められてるシチュエーションが好きなのかもしれない エロ過ぎるのだ
だから正直申し訳ないがだから願望としては○○はゲイの偏見ネタが内心膨れ上がって欲しい❗早く海を渡って日本にブームが来てくれ❗❗❗❗カスカスババアの砂漠マンコリロードさせてくれ 差別とか本当の同性愛の人とかには本当にすまない 他人への無遠慮なおぞましい消費が出来るなんて思わなかった
よくコンテンツに女が入ってきたらつまらなくなって終わるみたいな意見があるがまさしく店舗入店したくてドアの前で足踏みしている感じだよもう… 録なユーモアじゃないコミュニティは本当につまらないモンスター腐女子だって飛来してきて然るべきだろうが ◯◯はゲイ~とかつって文化を狭く陥れてる奴は己の様なバケモノ喪女のまんずりにされちゃうからね (これが俗にいう竿役が汚い中年って奴なのか?) 弱い奴はゲイwて男側が楽しめば楽しむ程こっちにオカズが降り注いでくるよ~ありがと~
いっその事海外に飛べは本場の首を絞めあってる激エロ偏見が見れるのかも知れない でもやっぱりこっそりしとやかに人の目を気にしてるジャパニーズうじめそゲイ偏見がクるものがあるんだよなあ…悩みが尽きない
そういう大ハズレのメンクリが全くないとは言わない
私が人生で初めて受診した、都内一等地にあり院長がメディアにも出ているキレイなインテリアの広々としたメンクリがそれだった
最初に面談する心理士はとても親身に傾聴してくれたが、診察室に入るやいなや、老齢の医師が高圧的に
「でぇ?あんた何て言ってほしくて来たの?」
と聞いてきて、こちらがうまく答えられずにいると何も話していないうちに「じゃあ薬出すから。はい、終わり」と追い払うように診察を切り上げられた
なんでこんなにも敵意むき出しにされるのか謎だった
処方された薬はベンゾ系の抗不安薬だった
精神の医者なんてろくでもねえなと最悪の印象を持つには十分だった
しかし数年後、いよいよ動けなくなって受診した別のメンクリ(住宅街の雑居ビルにある小さな個人医院)では本当に、本当に助けられた
反抗的な医者不信の患者(私)を見捨てずに、薬を飲みたくないと言えば漢方を提案してくれたし、処方はまず依存性の低い薬からで、「効果が強い薬はその分依存性が強いから、使わずにすめばその方がいいんだよね」と院長はしばしば言う
きっとそれが信条でもあるんだろう
多剤処方もなく、頓服以外の薬を三種以上出されたことはないし、それぞれ自分に必要なものだと理解しているし、実際効果もあり、私は1ヶ月に一度しか風呂に入らない引きこもりから脱し、働けるようになった
重い鬱の時期に身内の死が重なって、あの時は抗うつ剤を飲まなければ多分希死念慮に押し潰されて死んでいたか、もっとどん底へ落ちていただろうと思う
抗うつ剤と、頓服と、回復を目指しながら並走してくれる医師によって、私は今、前のように無理は効かずとも、自分の体と相談しながら生きることができている
ちなみにその後、思うところあって発達障害を専門とするクリニックも受診した
一軒は元の主治医からの紹介(主治医は発達障害は専門ではないということで、専門医を勧められた)で、一軒は支援センターで紹介されたデイケアをやっている所だった
セカオピとかではなく、二軒目はデイケアを利用するために初診だけ受けた感じだ
前者は実直、温厚篤実、誠実を体現したような医師で、聞き取りを受けながら、こんなにも自分を人間として尊重してくれる人がいるのかと感極まって泣いてしまった
それだけに治療実績も高く、人気があり、初診の予約はめちゃくちゃ取りにくかった
月初めの予約開始と同時に予約枠が埋まり、電話も繋がりにくいという争奪戦状態だった
何度かかけているうちの幸いキャンセル枠が出た時に当たり、受診することができた
一方、後者はひどかった
診察室にいた不機嫌なおっさんは初診の最中PCのモニターしか見ておらず、全く目が合わなかった
聞く気のなさがだだ漏れだった
デイケアのスタッフは親切で誠実な人ばかりだったが、いまだに「あの医者がデイケアプログラムやってんのは補助金出るからとかなんじゃないか」「発達障害をうまいビジネスとしか思ってないんじゃないか」と穿った目で見てしまう
総合して何が言いたいのかというと、【良い医師もいればカス医師もいる】ということ
それとこれはよく言われることだけれども、メンタル疾患やパーソナリティの問題を抱えている人間は関わった相手に不信感を抱きがちだし、被害的な考えにも陥りやすく、たとえ医者がそれほど問題のない対応をしたとしても「傷ついた」「嘘をつかれた」となりやすい
薬も合う合わないがあり、副作用が強く出ることも効果が感じられないこともある
「絶対に効く薬」「誰にでも合う薬」なんていうのはそもそも存在しないのだ
自分に合わなかったり、不安なことがあるならそれを医者に伝え、コミュニケーションを取り、どの薬が合うのかをすり合わせて行くのでなければ、なかなか治療が進まないという側面はあると思う
外科の治療なら悪いところを目で見て切ってはいおしまいだが、目には見えない疾患だからこそ、患者もまた、治療プロセスに参加する必要があるのだ
「お前は医者でプロなんだから、俺の病気をひと目でピタリと当ててすぐ効く薬を出せ」
とゴロンと医者の前ので大の字になるのではなく、医者にもわからない「自分の内側で起こっていること」をなんとか伝える努力をしてみる、ということが、結構大事になってくる
だから逆に言えば、そういうプロセスなしに受診しただけで病名がつくとか、薬漬けにされるなんていうのは、まったくもってステレオタイプな偏見だ
地域医療の場を作ろうと身を粉にし、患者がお金がないと訴えると、自分の財布から三千円出して渡してしまうような医者(映画『精神0』より。アマプラで見れる)さえいる
当たりハズレはあるだろうが、相当なろくでなしでなければ、コミュニケーションを取ろうとする努力、信頼してみようとする努力は、医者と患者の関係性を必ずよいものにする
私のISに関する知識はほんの少しだ。原作小説も読んでいない。
しかし、原作がラノベであることは知っている。キャラも少しわかる。
なぜかと言えば、ISはやる夫スレではおなじみの作品だからだ。
いま、やる夫スレ読者や作者がどれほどいるかわからないが、私は読者でも作者でもあったので、ISはちょっぴりわかる感じだ。
いまはやる夫スレからは遠ざかってしまった。創作活動もしていない。
そんななか、dアニでISを見つけた。
思えば本篇を観たことはなかったから、観てみることにした。そういう流れである。
いきなりだが、OPの「STRAIGHT JET」は聴いたことがある。
学生のころ、夜中まで勉強するときにYouTubeで「アニソンメドレー」と検索し、適当な動画を聴いていたのでよく覚えている。
さて、本篇。
ISはナントカ条約で軍事利用は禁止とのこと。なのに男女の権力勾配に影響を与えているらしい。
スポーツでしか使わないのにそうなるのは、ISスポーツは古代オリンピアなみに人気なのか?(ツッコミポイント+1)
2025年現在から見ると、暴力系幼馴染とか高飛車クラスメイトとかかなりベタだ。
それから14年でサブカルのキャラ設定も変化したことがわかり、感慨深いものがある。
そうは言っても、私はサブカル文化人などではないから、こういう意見はネットに転がっている言説の影響を受けていると思われる。
まあ、男が女の園に一人投げこまれたら、噂の中心になるのはあると思う。
ただ、男が女より弱いのが常識なら、なんで主人公をクラス代表に推薦するんだよとは思った。
なんだか総じて批判しかしていない気がするが、そんなつもりはない。
穿った目で観ているわけではなく、思ったことを垂れ流しているに過ぎない。
それで言うと、キャラデザは良いと思う。好みだ。
他者の考えではなく自分の考えをストレートに表現しようというのが、この感想執筆の裏テーマだ。
結果としては、とっ散らかった感想になってしまった。回数を重ねれば、洗練されると信じることにする。
次回、IS<インフィニット・ストラトス>第2話「クラス代表決定戦!」でお会いしよう。
役人栄えて国滅ぶ
恋愛結婚したいならば公務員になるのがベストだというデータが出ている
日本全体で子どもの数が減り続けている中で唯一キープしているのは「どこの家の子」か?
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3cde893858319d4a2b34979a67fcd2d892c9929d
2017年あたりを機に、「10-100人未満」「100-1000人」「1000人以上」の企業より官公庁の子ども数が上回った。2024年時点でも、官公庁が1位である。つまり、今の子どもたちで一番多いのは「官公庁の家の子」なのである。
しかも、官公庁の子どもの数は減ってはいるものの、他と比べればその減り幅は小さく、安定している。やはり、給料や離職の心配がないからこその安定なのだろう。大事なのは、今この瞬間の所得ではなく、今後も継続して安定した生涯収入が得られるという安心感である。特に、地方においては、官公庁に勤めることが一番人気が高いとも言われている。
しかし、一番多い子どもが「官公庁の家の子」になってしまっていることこそが少子化の原因でもあるだろう。
何も官公庁の人間が悪いわけではないし、彼らの結婚や子どもの数を減らしたところで何も解決はしない。
が、2007年に少子化担当大臣ポストができ、2010年に旧民主党による子ども手当ができ、2023年1月に前岸田首相が「異次元の少子化対策」なるものを掲げ、4月にこども家庭庁が発足したが、この推移だけを見ると官公庁以外はことごとく子どもの数が減っており、唯一官公庁だけがキープしているように見える。
穿った味方をすれば、今までの少子化対策とは公務員による公務員のための施策だったのかと思いたくなる。もしそうであれば、成果をあげていると言えるだろう。
その認識自体が可哀想なほど偏見によってフィルタリングされた結果の穿った視点。
普通にアンテナ感度の高い専門ギーク系の日本人が中国のモノ作りの侮れなさに触れたことで自然な危機感を抱き、その流れでブログやら何やらで発信しているだけなのに、「これ書いてるのは中国人だ!」「工作員だろ!」「共産党の差し金だ!」みたいに思い込んで、国内産業のどうみても衰退しているデータから目を背け、あまつさえ低俗ゴシップ動画よろしく「日本スゴイ」論をいつまでも続けて甘やかそうとするから、有害無益なんだけど。そういう人間は消費者の自然な選択すら貶し始める。たとえば白物家電で言ったら、低所得家庭にとって、ハイアール傘下のAQUAの価格競争力についていける国内メーカーがどれだけいるんだ。ほぼゼロと言っていいだろう。価格だけでいうと低価格路線のアイリスオーヤマあたりは一見張り合えてるように見えるかもしれないが、製品クオリティの部分で一段、いや数段格下なのでついていけているとは到底言えない。そういう状況を見て何も危機感を抱かず日本流の胡散臭い機能ゴテゴテ盛りのブランドプレミアム価格なモノ作りを擁護しつづけていくべきだと思うのか?そんな態度は、例えるなら安いコメがないなら余ってるブランド米買えよ日本人だろと喚く、傲慢で独りよがりな人間のようなものだ。
自分オタクなんですけど、凄いマニアックでワンピースやドラゴンボールが大好きなんですって奴
中川翔子とか矢口真里が発言元だけど考えたら今の令和のテレビタレントたちも穿った作品を挙げてるの見た事ない
マニアックつうのならファンタジスタドーとかいもいもとか魔法戦争とかトータルイクリプスとかさみだれ犬とかマジデスとかさ
これでもかって位クソアニメを挙げない人をオタクだマニアックだとは思えないのね
エヴァ見てますハルヒ見てましたみたいなの、いやいや皆一般常識で見てますよ
何なら矢口真里が歌ってた頃のワンピースも中川翔子が歌ってたグレンラガンやオカルト学院、レベルEでくっそヘタクソな棒演技見せてくれた事までよく知ってるよ
それくらい知ってて当たり前だと思うんだけどテレビってやたら誇張する割にアニメオタク名乗ってる奴に限ってその域を出てないんだよな
女性は基本無料ということで、とりあえず登録しておいて、良い獲物が釣れた時だけ頑張ればいいからなのだろうか。
もしくは顔を隠している人。
飯の画像や旅行先の画像は全然いらないからあなたの顔を見せてくれ。
顔は性格を語るというか、美醜だけでなく大きな判断材料なわけで。
例えば笑顔の写真が2つ3つ載っていればよく笑う方なのかな、とかキメ顔が多ければ写真慣れして友人が多いのかな、とか色々伝わるんですよ。
顔バレしたくないとか、顔でなく性格を見て欲しいとか色々あるのだろうが、プロフィールの文字情報だけでお気持ち斟酌してイイネして欲しい、そうしてくれないなら別に結構です、と最初から間口を狭めている方に自分から近寄る気は起きない。
話をプロフィールに移して。
「リードしてくれる人」だったり「笑わせてくれる人」「楽しませてくれる人」を求める旨書いていらっしゃる方が多い。
そういう方に限ってデート費用の欄は「相手に多く払ってほしい」「相手が全額払ってほしい」となっている。
リードしたくないわけでもないし、お金を払いたくないわけでもない。
自分が提供出来るモノは特に無いけど口開けて待ってますってお姫様が多くて辟易とする。
探して探してようやくマトモそうな人とマッチングしても今度は会話が続かない。
・パターンA
「今日は天気がいいですね」
「そうですね」𝑩𝑨𝑫 𝑬𝑵𝑫
・パターンB
「今日は天気がいいですね、天気がいいとつい散歩したくなりますね」
「そうですね」𝑩𝑨𝑫 𝑬𝑵𝑫
・パターンC
「今日は天気がいいですね、晴れの日は普段何をしてるんですか?」
Aはとりあえず話題ぶん投げ。
実際は天気なんてクソほど面白くない話題は振らないが、どの例にしても言われたことに返答をするだけでこちらに何かを投げ返してこないのだ。
例えばパターンCだと、「家事して動画見てます、◯◯が面白いです。貴方は何が好きですか?」なら話題の選択肢が大きく広がるが、そうならない。
なのでこちらから「動画見るんですね、どんなの見るんですか?」と結局質問攻めになってしまう。
会話をする努力をしているのがこちら側だけで、相互努力が感じられないのだ。
そうなると「ああ、この人はあまり私に興味がないんだな」とこちらもやる気を削がれて尻すぼみになっていく。
そこを乗り越えて実際にお会いした方も何人かいらっしゃるが、会話の盛り上がりがメッセージの時と大差なく、結局お互いにもういいかなと終わってしまう。
いや、わかってはいるのだ。
「そういう人」しかマッチングしないのは自分に魅力が無いからだと。
目を引くスペックも無く、会話が下手くそで、顔も良くない癖に理想が高過ぎるからなのだと。
ただどうしても、女性には無いサービス料を払って、アピールする努力をして、それで無料会員の女性に軽くあしらわれて終わる徒労は心に重くのしかかる。
自分は世の女性から必要とされていないのだ、他の男性よりも劣っているのだという事実を突き付けられるのはやはり辛いのだ。
似たようなエントリーを読んでいても、やはり「お金を払う」というハードルが発生している分、男性の方が努力をしている(そして私のように空振りしている)ように感じる。
そして女性はライトにサービスを利用出来る分、主体性のある方が少なく受け身の姿勢が多いのだ。
勿論女性側の「こんな男性ばかりで辟易とする」というエントリーも多数あるし、その多くは「自分もこうならないようにしよう」と勉強にもなるが、やはり結果には結びつかない。
自分なりに努力はしているつもりで、頑張っても報われないのならいっそやめてしまいたい。逃げ出してしまいたい。
そう思いつつも歯を食いしばって今日もポチポチお相手を探すのだ。
もしマッチングアプリを利用されている女性でこんな駄文を読まれた方がいらっしゃるなら、ほんの少しでも良い。
男なんて(特に私なんて)馬鹿だから、少しでもその気を見せればキチンとやる気を出しますから。
どうか、どうか皆様よいご縁を。
いつか私もその輪に入れたらいいなと思いつつ。
国木田独歩氏の『源おじ』は、妻を二人目の出産で失い、残された子を水難で失い、一人で舟渡しを営みつつ老境に至るところを、ある乞食の子との縁があり、我が子と思うように世話するも、乞食側からはさしたる恩も情も返されず、夢に出る内心では妻や実子に対する後ろめたさを抱えつつ、ついには乞食に去られ、舟も嵐で失い、生活にも仕事にも支えを失い、首を吊って死ぬという、救いのない話になっている。
だが、まさにこれこそ自然主義文学という感じもした。運命や宿命からはみ出ようとする人間の意志を容赦なく飲み込む決定論的世界観を感じさせる。
夏目漱石氏が言うところの「理想」を坂口安吾氏は「モラル」と呼んでいたが、それがないことに対する解釈の違いが興味深い。世間の潮流の移ろいに伴い、自然主義も興亡していったのであろう。
実はこれこれで、あなたの金剛石を弁償するため、こんな無理をして、その無理が祟って、今でもこの通りだと、
逐一を述べ立てると先方の女は笑いながら、あの金剛石は練物ですよと云ったそうです。
それでおしまいです。
最後の一句は大に振ったもので、定めてモーパッサン氏の大得意なところと思われます。
軽薄な巴里の社会の真相はさもこうあるだろう穿ち得て妙だと手を拍ちたくなるかも知れません。
そこがこの作の理想のあるところで、そこがこの作の不愉快なところであります。
よくせきの場合だから細君が虚栄心を折って、田舎育ちの山出し女とまで成り下がって、何年の間か苦心の末、身に釣り合わぬ借金を奇麗に返したのは立派な心がけで立派な行動であるからして、
もしモーパッサン氏に一点の道義的同情があるならば、少くともこの細君の心行きを活かしてやらなければすまない訳でありましょう。
ところが奥さんのせっかくの丹精がいっこう活きておりません。
積極的にと云うと言い過ぎるかも知れぬけれども、暗に人から瞞されて、働かないでもすんだところを、無理に馬鹿気た働きをした事になっているから、
奥さんの実着な勤勉は、精神的にも、物質的にも何らの報酬をモーパッサン氏もしくは読者から得る事ができないようになってしまいます。
同情を表してやりたくても馬鹿気ているから、表されないのです。
それと云うのは最後の一句があって、作者が妙に穿った軽薄な落ちを作ったからであります。
この一句のために、モーパッサン氏は徳義心に富める天下の読者をして、適当なる目的物に同情を表する事ができないようにしてしまいました。
同情を表すべき善行をかきながら、同情を表してはならぬと禁じたのがこの作であります。
愛くるしくて、心が優しくて、すべて美徳ばかりで悪さというものが何もない可憐な少女が、
森のお婆さんの病気を見舞に行って、お婆さんに化けている狼にムシャムシャ食べられてしまう。
私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、
然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。
その余白の中にくりひろげられ、私の目に沁みる風景は、可憐な少女がただ狼にムシャムシャ食べられているという残酷ないやらしいような風景ですが、
然し、それが私の心を打つ打ち方は、若干やりきれなくて切ないものではあるにしても、
何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ、であります。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/44919_23669.html
つまり、モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、
我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、
そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/44919_23669.html
もうすぐバレンタインだけど、バレンタインデーを長年憎んできた。
まだ若かった頃、同じ職場でお互いに初対面の時から大好きでもうすぐ付き合うんだろうなという仲の人がいたんだけど、バレンタインデーが原因で次第に疎遠になってしまった。それからずっとバレンタインが憎い。
結論を言えば、私は渡したかったんだけど渡せなかった。彼は貰いたかったけど貰えなかった。
料理には定評があったので、口の中でほどけるビスケット生地でチョコレートをサンドしたお菓子を手作りして用意したのをしっかり覚えている。
バレンタイン当日、ものすごく彼は機嫌が悪かった。仕事で上手くいかないことがあったからだ。「一瞬でも時間いただけませんか?」と伺いを立てたけど、うるさいそれどころじゃない!で渡せなかった。
渡せなかった菓子は半分自分で食べた。(美味かった。)残りは同性の幼馴染に「バレンタインだから作ったの。食べて。」と差し上げた。美味かったとのこと。美味かったからこそ憎い。
翌日彼はけろっとしていて、私の近くで私に聞かせるように私のほうをしっかり見ながら他の人に「チョコ大好きなんだよね~」と話していて、私はむっとしてしまった。代替のチョコレートを用意することなど容易であっただろうが、それはしたくないと思ってしまった。私にはこの人を支えるには未熟なのかもしれないと自信を失くしていた。機嫌が悪かったのはシビアな世界に生きているからこそだし、人間そういうこともあるよねと思っていた。
それからメールを送ればメールのやりとりがあったけど、お互いに職場を離れ(お互いに離職はこの一件が原因では無い)疎遠になった。お互いに素直になれなかったのだ。
彼と出会って、私も彼みたいに何かがしたいとずっと思っていたので勉強してライセンスを取った。
数年前にたまたま思いもよらないところで、彼のインタビュー記事を目にする機会があった。正直痛みを伴うのであまり直視したくなかったんだけど、勇気を出して見てみたら仕事もうまくいってそうだったし幸せそうだったので良かった。昔「オレもっと大きな案件をやりたいんだよね」と言っていた彼に「膨大な量こなしている得意なやつがあるじゃない」と言った思い出があったんだけど、よくこなしている得意なやつのほうを専門にしていて、それも少しうれしかった。良かったね。
でもバレンタインの痛みは消えない。専ら私にとってのバレンタインデーは老若男女からチョコを貰う日だ。
そして私もすっかり歳を取り、40を目前に控えている。恋だの愛だのいう元気も無くなってしまった。そもそも私は人のことを好きになりづらい上に、残念ながらこの年齢になってくると売れ残り中年だから自分でもいける!みたいな距離感バグってる人とかまとわりついてきて鬱陶しいことこの上ない。
しかし10ヶ月ほど前にうっかり人のことを好きになってしまった。バレンタインが憎くなったきっかけの人の時と状況が似通っている。同じ職場じゃないけど。初対面でお互いに好きになっている気がする…。なんとなくお互いにお互いのことが好きなことがわかっているけど、次の段階に進めていない…。
相手は年下な上に、女の子なら黙っていても寄ってくるだろう要素しかない。どんなボーナスステージだ!?と困惑する私。年上も対象ですアピールをしておきながら最終的には若い子を選ぶタイプじゃないのかとか穿った目で見る自分もいたんだけど。気が多いタイプではないのは確実そうだ。お互いに慎重になっているのがわかる。でもただ今の状態を続けているだけでは、いつか誰かに搔っ攫われて後悔しそうな気がする。
あと、あまり関係ないけど、遠くない未来に職場の上司が今どき絶滅危惧種な仲人おじさんに変形しそうな予感がしている。仲人おじさんの子分(苦手なタイプ)とペアリングさせられそうで怖い。私のこういう勘はよく当たるのだ。
そんなこんなで今年はバレンタインをやりたいと思ってしまっている。憎い憎いバレンタインの奴を今年は利用してやったらどうなんだろうと。(若くないから手作りはしない。)
チョコレートを差し上げたところで、物事がどうこうなるものではないというのは分かっているんだけど、後悔はしたくない。ちゃんと渡せたらバレンタインデー許せるのかな。
これは界隈全体に向けてとかではなく本当に超個人的に感じている、自分が身を置いているTRPGコミュニティーに対する愚痴を吐露しているだけなので、あしからず。
自分はTRPG、特にクトゥルフ神話TRPG(略称CoC)を嗜んでおり、特に仲のいい人とほぼ固定で卓を囲むいわゆる身内と遊ぶスタイルでプレイしている。固定と言ってもコミュニティ内での固定であり、ある程度のメンバー変わりなどはある。
その中でも特に付き合いが長い人が2人がいるのだが、その2人がまあ愚痴の対象なのである。ここではAさんとBさんと表記させてもらう。
Aさんとは創作がきっかけで出会った仲で、もう6~7年ほどの付き合いになる。お互いの趣味も合う気兼ねなく付き合える友人だ。
BさんはそんなAさんから紹介されて知り合った人で、Bさんとも知り合ってかれこれ4年はたつ。気さくな人で、気軽に話せる人だ。
さて、そんな友人2人に対して何が不満なのか。簡単に言ってしまえば、2人だけの世界に入って除け者にされているように感じてしまうことだ。
まず、AさんとBさんは多く同卓しているのに、私との同卓は少なく、話に入り込める隙がない点だ。これは、日程なども絡んでくるため仕方がないかもしれないが、私とも、行こうと約束しているシナリオがあるのに、先に他の卓に行く予定が決まってしまって、なかなかKP探しや日程調整にまでこぎつけないのだ。しかも、じゃあ空いてる時に誘おうと思っても、どんどん卓予定が立っていて割り込める隙がない。これじゃ同卓できないのも仕方ないというものだ。
次は、上に関連することでもあるのだが、Bさんが毎回卓に誘うのがAさんだけで、私は全く誘われないのである。まあ、わかるのだ。一緒に行きたい人はいる。だが、Bさんは何をするにもAさんの名前を出し必ずだすため、2PLシナリオならABさん、他に人数が必要なら+で他の方のようになる。それならその時に私も入れてと言えばいいのだが、もうBさんがこの人とこの人と行くと決めていて、声をかけても入れない。私も個別でAさんやBさんを誘うことがあるが、その場合は必ずと言っていいほど、片方も一緒にいる。
これで、もやもやしない方が無理ではなかろうか。BさんがSNSやメッセージツールなどで「このシナリオ行きたい、Aさん!」と声をかけるのを見るた度に、不満感というか、扱いの差を感じてドラミング不可避なのだ。
なによりBさんは、自分の通過したシナリオにAさんを同じHOで連れていきたがるのだ。そうして、そのHOしかわからない秘匿の話を2人だけでし始める。通過後は確かに見れるかもしれないが、その間2人だけで盛りあがって相方の自分の心はどんどんと冷めていくのを感じてしまう。自分と同じ体験をして欲しい、楽しんで欲しいと思っているだけなのだろうが、あまりにも続くとこっちも穿った考えでことを眺めてしまう。
他にも、Bさんを2PLに誘ったら、「いま色々シナリオ手を繋いでて管理しきれないから保留で」と言われたことがあるのだが、そのすぐ後にSNSで「これいこうよAさん!」と声をかけるのを見た事があり、シンプルに傷ついた。
もう多分遠回しな拒否なんだろうなと思ってそれ以来Bさんを2PLに誘うのはやめている。
AさんBさんと同卓するの、必ずと言っていいほどBさんはAさんにしか話題を振らない。これはKPをするもきもそうで、私のPCについてなにか言及することはかなり少ない。
ここまでくると私の性格が捻じ曲がっていて、普通に拒否したいだけなのかもとも感じているし、そんな不満があるならブロックしろよという話なのだが、私は2人と遊ぶのは好きだし、友人関係は続けていきたい、何より共通の知り合いが多すぎる問題もある。
この手のヤツはどんなモバイルゲーでもガチャがあればソシャゲと呼んでくだらないと決めつけてくるんよな
まだゲームは何でもファミコンと呼ぶ親の方が悪意がない分マシやぞ
買い切り至上主義者は今のゲーム市場の5割がモバイル、8割がライブサービス型なのを直視してないんよな
そんだけホットな領域だから一口にガチャ有りと言っても全体の課金形態やゲーム性との結びつき方も急速に良くなってるの想像できんのかな?
ガチャと言っても拝金主義みたいなえげつないしょーもないガチャ仕様のやつはもう売れないんだよ
上位のやつなんかトータル700億円以上かけて作ってるのもあるし、据え置きの大作超えるくらいスゲー作り込みで
欧米企業が主催する主要なアワードでもガチャ有りゲーが評価されノミネートされてる例がいくつもある
つまりガチャ機能があるからと言って、ガチャが楽しさの大半を占めてる「ガチャゲー」みたいに捉える印象はもうズレてきてるし
昔のソシャゲばりの射幸性は薄まって、ガチャもどきのワクワク感だけ残して健全化されつつあんの
むしろ買い切りやDLC販売方式よりも、ユーザーのモチベを維持しつつ中身で勝負する世界になってるから進歩的
ユーザーが今でも自嘲的にガチャゲーとか言うかもしれないが、それを真に受けてたら老害まっしぐらよ
中身は昔と比べ物にならんほどゲームになってんだよ
バトルパスが流行しだした初期はまだゲーム設計とミスマッチなモバイルゲーが多かったが
今はバトルパスや月額課金という任意サブスクのリソース課金をベースにした育成レベルデザインになってる
そうしたサブスク課金の副産物で回すガチャでキャラプールは「着実に」充実する作りになってんのよ
こうした課金スキームの微妙な変化によって、昔のようにガチャ課金が主体で一部の廃課金者によって買い支えられる
胡散臭いエセゲームビジネスを脱却できる道筋が立ち、ロールモデルとなるタイトルも出てきたのが最近のモバイルゲームの質が向上した要因
まあそれに引っ張られて開発費もやべーくらい高騰してるわけだがそれは置いといて
これによってモバグリレベルのソシャゲどころか、パズドラ白猫時代みたいなインフレ前提のゲーム設計も新作においては珍しくなった
まあ日本市場は特殊で古臭い設計のやつも上位にしぶとく残ってるんだけど、それは日本人がソシャゲ的常識に過剰適応してるせい
特殊市場の日本では未だにガチャの確率を緩くする事を好み、つまりランダム性・射幸性を高めてバラマキする(必要があるほどインフレと課金煽りがキツい)作品をユーザーが歓迎してしまう部分があるけど
グローバルで成功してるガチャありゲームは真逆で、確率は極めて低くして、ほぼ確定の排出ポイントでしか出ないようにするかわりに
ガチャ機能に費やした石が無駄にならないような、実質的な配布システムが好まれるから、バトルパスと合わせたコツコツプレイが報われるゲーマー好みの設計になる
古臭いガチャゲーだと無課金や微課金じゃ数ヶ月かけて溜め込まないと天井にはまるで届かないくらい高い天井だったせいで
運による格差が致命的になるし、引くタイミングが「人権キャラ」みたいなインフレ加速の環境チェンジャーを皆が狙うから、手持ちや戦略がみんな同じになるしでゲー無感が強かった
そういうゲーム面でみたときのしょーもなさに対しても進歩してて改善が働いてるし、そういう作りに反発するプレイヤーからの圧力も高くなった
このへんの微妙な変化は長年モバイルを含むマルチプラットフォームF2Pタイトルを追ってる人じゃないと凄さが分からんだろうが
「周回してガチャ引くだけのゲーム」という揶揄はものすごく局所的に見ればそう解釈できる部分があるとはいえ
全体としてはコンシューマよりコンシューマらしいゲーム体験の上にそれが乗っかってる場合すらあり、馬鹿にできん
だいたいそういう穿った目で見れば買い切りやコンシューマだってやってることは反復作業と言い張れる
だいたい、まあ一部のプラットフォームなら試用や返金が充実してるとはいえ、中身が分からんもんに先に金を払うというシステムが
通用する時代じゃなくなってることは誰でも分かるだろうし10年前の増田ですら未来のあらゆるコンテンツは基本無料が主体ってことは予見してた
モダンにアップデートされたガチャ機能を含むF2Pモデルこそが万人にとって柔軟に付き合える優れたゲームを生む土壌になるんだよ
ガチャありゲーを作ってる中にも、いや中にこそ、本物の素晴らしいクリエイター魂が宿ってるってことをいつか理解らせてやるぜ
カニだと思ってたものがカニカマになってて、カニカマだと思ってたのがカニになってた事にあとから気づいても発狂するなよ頼むから
しらんけどな
俺は弱者男性だ。こう言うと「どうせ自称でしょ?」などと穿った目で見る輩も出てくるだろう。実際、日本の年収中央値から見れば高年収の者が「弱者」を名乗っている時点で自慢気で腹立たしいのである。
俺がこれから書くことは「嘘松」ではない。俺のありママの状況を話そうと思う。
ほら、お前がなんと言おうと、俺は弱者男性だというわけだ。
ここからが肝心だが、俺は人生において何も困ってないし、何ならかなり幸せに生きているということだ。
どっかの国の自称サイエンティストが「お金の余裕こそが心の余裕である」と馬鹿げたことを言っていたが、少なくともそれは俺には当てはまらねぇな。
「少ないものに満足する。身近な善行を行う。そうすれば幸せになれる」というのが俺の論だ。
ミニマリストと言えばそうかもしれないが、どちらかというと、思い出を大切にしている。
今思えばガキの頃に感謝するべき人たちがたくさんいた。水泳を辞めたときも、初めてのバイトを辞めたときも、高校を卒業したときも、俺程度の人間に色紙をくれた人たちがいた。
そういう思い出に浸るだけで、世界は優しい人たちで溢れていると思うのである。
俺はかなり共感性欠如のADHD的なところがあり、様々な人たちに迷惑をかけてしまった。いじめをされたこともしたこともあった。
だが、それも神が善性を試していると思えば、試練に思えてくるし、試練ならば見栄や虚飾を張る必要はないと思うのである。
生きている。それだけで神からの贈り物である。日本に生まれたという幸運にも感謝しているし、今の両親の元で生まれたことも感謝している。