はてなキーワード: 神主とは
・農業する人、漁業する人、畜産する人、果物をつくる人、八百屋さん、お医者さん、おまわりさん、学校の先生、電気工事の人、
ガス工事の人、水道工事の人、下水工事の人、道路工事の人、郵便やさん、大工さん、お坊さん、神父さん、神主さん・・・
などいろいろな得意分野を分担して助け合うことができるけれど、
人口10人の村になったら得意分野を分担して助け合うことができなくなる。
・農業漁業畜産する人(果物はつくれない、八百屋さんはいないから自分たちで売る)お医者さんは居ない、大工さんもいない、
家から歩いて三分もしないところに神社があり、時折参拝するのだが、春が来て初めて境内の木が桜だと知った。扉を開けてアパートの廊下から神社のほうを見ると、見事に咲いているのが見えた。それに気づいたのが昨日の晩だった。
なので、髪を切りに行く前、少し早く家を出て、お参りしてから桜の花を眺めた。立派な桜が四五本、まさに満開だ。川沿いの公園は一週間も前から満開だったので、日当たりによってタイミングがまるで違う。鈴を鳴らしたから僕がいると気づいたのだろうか、神主らしい普段着の初老の男性が神社から出てきたので挨拶をした。
神社の裏手に回ると、腕を伸ばした枝が裏通りの日差しを遮っていて、桜のトンネルになっている。向かいのお宅も昔からあるのか、敷地内に見事な桜が咲いており、何気ない下町の小道が淡い桃色になっている。
そうして我を忘れて過ごしてから駅に向かうと、反対側のホームに向かう時間を計算に入れていなくて、電車を一本のがしてしまった。たまにはそういう春もある。
【転載】北九州市の『ムスリム用ハラル給食』に関する市議会質疑は相当面白かった - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/m-dojo.hatenadiary.com/entry/2025/09/22/090812
これのブコメがけっこう酷いのだけれど…
は特に酷い
ハンバーグ好き好き教がなぜ、カウンターになるの分からないが、ハンバーグが子供に人気の食べ物であることを考えると
好きな物だけを食べさせろという一般的にわがままと思える主張と宗教上の配慮を求める主張を同一視しているのだろう
毎日ハンバーグは栄養の偏りという点から却下されるが宗教上の配慮は、そう簡単ではない
宗教上、給食が食べられないとなった場合、給食の目指すところである、子供の健康を害する恐れがあるためである
神主の家系に生まれながら継がなかった身としては、命や健康より大事なものがあるのだろうかと思うが他所の事情は分からないし、そういう人たちもいるのだろう
まあ、わがままだと主張するのは分かるけれど学生団体出てこないかなが酷いのだ
まだ、道理の分からない子供が主張するのは分かるが、成熟したはずの大人が自身の主張を子供に擦り付けようとしている
僕は甲殻類アレルギーがあるが喉がイガイガする、痒くなる程度で重度ではなかった(エキス程度は問題ない)
当時は、アレルギーに対する考え方が今ほど厳しくなかったこともあり、配慮も何もなくヤバそうな物が出た時は、友達に食べて貰っていた(そもそも給食で甲殻類はほとんどでない)
そのような中で、配慮してもらっていたそばアレルギーの子を羨ましく思ったことはある
体に強いコンプレックスがあり、人前で肌を晒さすことに強い抵抗があるから、プールを生理で休める女子を羨ましく思ったこともある
だから、子供があいつだけズルいと思うことはあると思う、でもそれは、道理が分からないからでしょう、過去の自分を正当化するようで恥ずかしいが
なのに道理を分かっているはずの大人が、当てつけを道理の分からない子供にやらせようとするその醜悪さに自覚がないのだろうか
コメントした人も☆を付けた人も少し考えてみた方が良いと思う
第20条
・信教の自由は,何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も,国から特権を受け,又は政治上の権力を行使してはならない。
教育基本法
第15条
第1条
・この法律は、学校給食が児童及び生徒の心身の健全な発達に資するものであり、かつ、児童及び生徒の食に関する正しい理解と適切な判断力を養う上で
重要な役割を果たすものであることにかんがみ、学校給食及び学校給食を活用した食に関する指導の実施に関し必要な事項を定め
もつて学校給食の普及充実及び学校における食育の推進を図ることを目的とする
第10条
・栄養教諭は、児童又は生徒が健全な食生活を自ら営むことができる知識及び態度を養うため、学校給食において摂取する食品と健康の保持増進との関連性についての指導
食に関して特別の配慮を必要とする児童又は生徒に対する個別的な指導その他の学校給食を活用した食に関する実践的な指導を行うものとする
以上の3つがまず、議論の大前提なのだがそれを満たしているブコメが少なく感情的なものが目立つ
代表的なのは「出ていけ」や「イスラムは他に配慮しないだろ」的なものであるがどちらもこの問題には関係ない
日本人がイスラム教国に行って様々な権利の制限を受けても、日本国憲法の及ぶ範囲では、そのようなことは一切関係なく平等である
特定宗教への配慮が宗教的活動に当たるのかという議論はあって当然だが
文部科学省は「外国人児童生徒受入れの手引き」で一定の配慮を求めているのが現状
この問題は、宗教的活動に触れるからと宗教へ一切の配慮を行わなかった結果、特定の宗教が大きな不利益を被る可能性がある場合、どうするかという話だと思う
有名な神戸高専剣道実技拒否事件があるじゃんか、エホバの証人の信者の学生が剣道の実技を拒否していたら、留年、退学になったっていう
学生側が処分の取り消しを求めて裁判を起こしたわけだけど、最終的に原告が勝って、処分は取り消され、復学した訳で
健康や心身の発達に関わる給食の場合も一定の配慮が求められる正当性があるんじゃないかって思う訳よ
もちろん、コスト的に難しいってのはよく分かる、リソースは無限じゃないし、だからこそ、色々方法を探って議論をして何とか道を探っているんじゃないか
それなのに、そういう建設的な議論をすっ飛ばしたブコメが目立っている
弁当を持たせたら良いというのはその通りで実際にそうしている家庭も多くある、で、弁当の時に問題になるのがコピー弁当問題
コピー弁当というのは、アレルギーや宗教の関係で給食を食べられない子に親が学校の献立と全く同じ弁当を持たせるというもの
学校で子供が浮かないようにやいじめられないようにという親心、子供が求めるケースもあれば親の独りよがりなケースもある
コピー弁当でなくても大丈夫という指導があるようだが親として少しでも子のリスクを減らしたい、同じ給食を共有という体験をさせたいのだろう
それなら、子供のために教えをちょっと逸脱してもいいのではと僕は思うけれど当事者はそう簡単にいかないらしい
また、子供たちが宗教への理解がある程度あれば、献立の違う弁当でもいじめられたり、妬まれたりすることは多くないだろうと思う
しかし、子供たちのお手本となるべき大人がカウンターとしてハンバーグ好き好き教を立ち上げて宗教上の理由で毎日ハンバーグを食べさせろみたいな学生団体出てこないかななどといい
キャッキャしているのだ、これで子供が同じ釜の飯を食べない子供を尊重出来るだろうか?
世の中、理念だけでは回らないし、リソースも有限だしでどこかで線を引いてやりくりしていく必要があるが、理念まで忘れてしまってはいかんでしょう
会社のフロアのエアコンは効きすぎていて、外の湿気と対照的な冷気が足首にまとわりついていた。あの日からしばらく、何も決めずに過ごそうと思っていたが、ふと旅雑誌の片隅に載っていた「猫島」の特集が目に入った。そこには、港で伸びをする三毛猫、漁網の上で昼寝する黒猫、そして笑顔でカメラを構える観光客たちの写真が並んでいた。もう、それで決まった。
旅の起点は宮城県の松島。観光名所の五大堂や瑞巌寺には目もくれず、私は仙石線に乗り込んだ。ガタゴトと走る列車の窓からは、牡蠣の養殖筏が見える。松島海岸駅から約1時間半で石巻駅に到着。駅前では、石ノ森章太郎マンガ館のキャラクターたちのパネルが出迎えてくれる。
石巻からは網地島ラインのフェリーに乗る。目指すは「田代島」――全国的に猫島として知られる場所だ。
フェリーに揺られて
乗船客の半分は観光客、半分は島の人たち。船内のベンチに腰を下ろすと、隣のおばあさんが「今日は天気がいいから、たくさん猫が出てくるよ」と笑った。
45分ほどの航海。穏やかな波間を進む船のデッキには潮風が心地よく、遠くに見える小さな島影が次第に大きくなっていく。港が近づくと、すでに岸壁の上でこちらを見つめる猫の姿があった。
島に降り立つと
田代島の仁斗田港に着いた途端、猫たちがふわりと近づいてきた。島の道は細く、アスファルトの上も日向と日陰が交互に続く。茶トラがゴロンと腹を見せ、キジ白は植木の影から様子をうかがっている。
島の中央部には「猫神社」があり、小さな鳥居と祠がある。漁の守り神として猫を祀ったとされ、漁師たちは今もお参りを欠かさないらしい。祠の前にも猫が2匹、まるで神主のように鎮座していた。
猫と人の距離
昼は港近くの民宿「はまや」で、女将さん特製のカツオの漬け丼をいただく。窓の外では、漁から戻った船と、それを出迎える猫たちが見えた。島の猫は人慣れしているが、無遠慮に触られるのは苦手らしい。しゃがんで手を差し出すと、猫は自分のペースで近寄ってくる。それがまたいい。
「ここでは人間が猫の都合に合わせるんです」と女将さんは笑う。確かに、島の時間は猫が刻んでいるようだった。
夕暮れの港
日が傾くと、猫たちは暖かい場所を探して散っていく。防波堤の上で背中を丸める子、漁具倉庫の隙間に消えていく子。
私も港で潮の匂いを吸い込みながら、ぼんやりと海を見ていた。仕事を辞めた不安や、これからどう生きるかという焦りは、潮風と猫のしっぽのように、どこかへふわりと流れていく。船が来るまでの30分、ただ海と猫と同じ場所にいた。
帰路、そして余韻
最終のフェリーで石巻に戻るころ、空は群青色に染まっていた。港で最後に見送ってくれたのは、白黒模様の大きな猫。振り返ると、その姿はもう影の中に溶けていた。
猫島は観光地であると同時に、猫と人が長年共生してきた生活の場だ。そこには観光パンフレットに載らない匂いや音、そして何より、猫たちの気まぐれで豊かな表情があった。
みなさんは、世界的に人気を博しているゲームシリーズの新作『アサシンクリードシャドウズ』というゲームソフトをご存知でしょうか。
これは織田信長の側用人として実在した弥助らがゲーム中では武士として描かれ敵と戦います。
フランスのゲーム会社UBIは、日本は黒人奴隷を使っていたなどという史実を歪めたプロパガンダを喧伝しており、それは不正確であると抗議した日本人研究者に黒人差別主義者だと言い放ち不誠実な対応しかしていません。
問題は、UBIがゲーム内の出来事は日本史に詳しい人に監修させており、全ては史実に基づくと宣言していることです。
ゲームは京阪神を舞台にしており、兵庫県では姫路城、姫路市の播磨国総社射楯兵主神社が登場します。
本年3月発売予定ですが、事前公開されている映像には、弥助が通りすがりの神主に斬りつけたり、拝殿から本殿へ土足で駆け上がり抜刀して施設を破壊する映像が収められています。
播磨国総社射楯兵主神社以外にも、仁徳天皇陵を舞台に盗掘して財宝を探すという設定もあるそうでございます。
ゲーム内の出来事は史実に基づく、これを信じた外国人が寺社仏閣の破壊や古墳を盗掘するなどの被害が出ないか今から憂慮しています。
また、この問題は1ゲームソフトの問題ではなく明らかに民族・宗教差別が根底にあり、看過できないと考えております。
映画などよりも遥かに深く洗脳される危険性が指摘されており、かような問題を我慢は美徳とばかりに放置することは深刻な事態を招く恐れが強いと思い、警鐘を鳴らしているところであります。
週末、私は疲れていた。とにかく疲れていて、家で食事を摂るのも面倒になって帰り路にある小さな居酒屋で食べていると声をかけられた。
私はビール中ジョッキを既に一杯半飲み酔っていて、彼への応答はずいぶんご機嫌に見えたのだろう。
その後、ホテルへ誘われた。明日休みだし、別にいいかと軽い気持ちでついて行き、そのままワンナイトを過ごした。
行為を終えて横になると男は背を向け、感極まったように泣き出した。
え?え?と内心動揺しながらも努めて「どうしたの?」と優しく声をかけた。
男は振り返り、私に面と向かって「きみで100人目なんだ」と言った。
どういうこと?と半ば酔いも覚めた状態で尋ね、答えを要約するとどうやら私が抱いた女の100人目ということらしい。
それから彼は非モテだった学生時代のことを独りでに語り、将来の夢として女100人を抱くことを目標にしていたのだと告白した。
今日、それを達成して思わず感極まり泣いてしまったのだという。
男は話し終えると再び鼻を啜り、一筋の涙が頬へと流れ落ちた。
私はといえばそんな話をされたところでどうリアクションを取っていいのか分からず、そういえば栄養ドリンクでタウリン100ml配合!とか聞いたことあるなと思っていた。
ということは私は1タウリンか。
男は満足そうな顔をして私にキスをすると頭を枕に戻して目を閉じ、そのまますぐに鼾をかいて眠り始めた。
私も眠ろうと思って目を瞑ったけれど、眠れない。先ほどの男の話が頭にこびりついていたのだ。
神社でお賽銭を投げた時、1円よりも100円の方が神主は絶対喜ぶよな。とか、ああでも私は1円の方なんだなって。
そんなことを半覚醒状態のまま、広くもない部屋の大きなベッドの中で、私は考え続けていた。
しまいに後悔が襲ってきた。あ~あ、なんでこんな男と寝ちゃったかなと。
そこでようやく気が付いた。さっきの男の言葉は侮蔑であったのだと。
すると急に腹が立ち始め、目が冴え、男の鼾が邪悪なものに聞こえ始めた。
私は部屋を出ることにした。しかし出るには料金を払う必要があった。マジかよ。前払いじゃないのかよ。
ラブホに不慣れな私は泣く泣く財布から5千円を機械に飲み込ませ、僅かばかりのお釣りを受け取って部屋を出た。
ホテルを出た時には何やってんだ私って思って泣きそうになった。
それから徒歩で家に向かい、途中のコンビニで発泡酒とお茶。思い直してビールとお茶にして、あと鮭のおにぎりも買った。
歩きながら今日の出来事について考えたけど、結論としてはやっぱり腹が立った。
でもこんな愚痴を周りも漏らしたところで良い結果にならないのは目に見えているのでここに吐き出した。
ああもう誰にも読まれなくてもいいや。ただ言いたい。あの男にも、自分にも。
ばかやろーっ!!!
ああ、なるほど。大げさに言えば、国家が自身の後身となる「100年後の国家」の形を、意図してデザインできるようになるということか。そのとき、国家はどういう哲学の下に「100年後の自身」を選択するのか、ということか。
この議論、常に現在世代の優遇になるという側面はあるよね。たとえば人口100人で外界と遮断された孤島があって、そこで次世代をどうするかを議論したら、それは常に「リソースとの見合い」になると思うんだよ。100人しか養えない状況なら、そりゃ「子供作るな」って話になるだろさ。
これがたとえば1000人でも養えるリソースがあれば、「当面は勝手に増やしてヨシ!(産めよ増やせよ)」てなりそうだけど、そうなると人口が1000人に到達した後の村人は、急に「わが子をもつ権利(再生産権?)」を大きく制限されるわけだよね。子作りできる人を人口の20%(日本の場合既婚率が代替6割、うち1/3を出産適齢と想定。もちろん、結婚しなくても子供は作れるし逆もまたしかりだけど、まあ概算てことで)、自然減を1%(これも統計による)と見積もろう。子づくりできる人に対して志望者は1/20だから、単純に言って死亡者に合わせて子づくり権が配布されるとしたら、20倍の応募を勝ち抜かないといけない。最初の世代が100%であったのに対して最後の世代は5%の権利しかなくなるのは、明らかに不公平だよなー。
そうなると今度は、「更なる人口拡大を可能にするために、リソースを増大する技術開発」に必死になるだろうけど、たとえば原発見りゃ分かるとおり、結局「(希望的な見込みによる)将来世代への負担押し付け」による、見かけ上の問題解決が一番簡単なわけで、ここでも「現役世代優遇、将来世代へのさらなる負担増」の構図は変わらないんだよ。
結局、「民主的手続き」は、「(自分では声を上げられない・投票できない)将来世代からの搾取」というバグ構造を常に抱えてる。これを踏まえて、最初の問いに答えるなら、「どうなるか」に対しては、放置すれば常に現役優遇の圧力の下、将来に抱えきれない負担を背負わせやがて破綻する道を歩むというのがおよそ誤りのない予測になるだろうし、「どうすべきか」に対しては、民主主義に代わる新たな意思形成手続きを見つけるべきという話にしかならんのだろう。
後者は、つまり現在生きている人間の上に『時間を超越した外部者』を(理念上でも実際でも)君臨させるという方法になるわけで、てゆーことはそれ分かりやすく言えば宗教じゃんて話になる。新たに結婚する男女に「こづくりしてよい」「こづくりしてはならぬ」の決定を告げるのが、見た目が神主によるお告げであるか人工知能による計算結果であるかは大した問題じゃない。そんなのあくまで見かけの問題に過ぎないので、いずれにせよ、滅びたくなければそういう制限を受け入れるしかないってこった。つまり「未来は不確定だから人間は自由意思の下にふるまってよい」という現代社会の基盤そのものを変えないと、将来的な破綻を防ぐのは、無理無理。
なんだよねー。まあそうなるともう強制的な「洗脳(たとえば脳内にチップ埋め込むとか)」を義務化して誰も「ご神託」に逆らえないようにしちゃうのが手っ取り早いだろーね。歴史的に言えば「中世暗黒時代」がそうであるように、それも一つの「幸福」の形であることは間違いない。もっとも、歴史的には、それもまたやがて想定不可能な外部性による「破綻」の可能性に至る道筋であることは間違いないんだけど。どちらにせよ破綻して大きな悲劇が生まれ、滅亡の一歩手前まで人口が大幅に減少して振り出しに戻る……を繰り返すのが、カミノミココロに叶う人類の運命というものなのかも。神という名のゲームデザイナー、プレイヤーに容赦なさすぎなんよ。