はてなキーワード: 宮司とは
昔からお世話になっていた人が93歳で亡くなった。小学校の時に、故人が教師としていじめを解決してくれたのがきっかけで縁が出来(自分はいじめられ側)、かつその人が地元の神社で宮司をやっていたこともあり、宗教的な側面からも、小学校を出てから30年以上経過したにも関わらず、ずっとお世話になっていた(特に母親が)。年末年始など、ことあるごとにその人の家に行っては、宗教的な行事に参加したり、悩みを聞いてもらったり、一緒に集まるいろんな仲間といろんな話をしたりしていた(主に母)。自分は母の後ろについて行っては、後ろで黙って見ていた記憶がある。ここ最近病気療養中で、よく通ったあの家もすでに取り壊していることは母から聞いてはいたが、母から電話で逝去の知らせを聞いた時も「まあ、だって人は死ぬよね」とどこかで他人事ではあった。なので、私がというよりはむしろ母の方が悲しんでいたのではないかと思う。その後直接母とまだ話せていないのでわからないが。
母の住むわたしの実家から、故人が葬儀を行う街までは距離があるため、自分が代理で出席することとなった。ただ、イヤイヤ出席というよりは「これは出なければいけない」という気持ちの方が強かった。自らもお世話になっていたし、何より代理でも出席しなければ、母親の気持ちの整理がつかないからだと思ったからである。それに、与えてもらうだけもらって、最後にお見送りしないのはいかがなものか。そういう気持ち。葬儀はおよそ5年ぶりである。5年前は同じLINEグループにも入っていた職場の元上司。突然死だったと聞いた。朝出勤しないからと自宅訪問してみたら亡くなっていたと。仲間内では「あのブラック企業にいたから激務で亡くなったのでは」とささやかれていた。
ただ、当時は元上司と親密だった訳でもなく、あくまで「職場の上司/部下」という人間関係の中でも最も遠縁に近い部類の立場で出席したので、死に顔を見てもそんなに悲しくはなかったし、「そっかぁ、死んだのか」くらいにしか思えなかった。帰りはつらっとした気分で電車に乗った事を覚えている。
ただ今回は違った。会場に入り壇上のディスプレイに、故人が元気な頃の写真がスライドショー形式で映し出されているのを見ていると「ああ、あの顔懐かしいな、でも亡くなったんだな。もうこの世にいないんだな」とじわじわ実感してきてしまう。前回とは大違いである。
参列者は身内30人くらい、一般参列者5人くらい。そのうちの一人が私。幸い喪主含めた身内の方数名に顔を知っていてもらえたため、あまり肩身の狭い思いをせずに済んだ。とても気を使ってもらえてうれしかった。まぁわたしは私とて故人とは小学生のころからお世話になってはいるので、生半可な気持ちでは出席していない。たぶん、身内だからという理由で仕方なく両親に連れてこられた男の子達より、自分の方がよっぽど故人に対して思い入れがあるぞと思ったりしたが、そんな話はどうでもよい。TPOは守ったつもりだ。ただ、故人と昔からのお知り合いだとしても、結局はソトの人間であることには変わりないので、出棺時の花入れも一番遠くから見たし、とりあえず外様外様の位置をには移動した。我ながら本当にがんばった。わたしなんか、身内の方々から見たらどうでもいい存在だろうしな。ただそれでも花入れの時は精一杯ありがとうの気持ちは伝えたつもりではある。
ご親族にお願いして故人のお顔を拝見したが、元気な頃とは全くの別人になっていた。人ってあんなに変わるものなのかとびっくりした。アントニオ猪木が亡くなる直前ぐらいに顔がやつれており、「これが故人です」と言われなければ、まず気づかない。5年前に参列した職場の元上司の時は、突然死ということもあり、やつれなど一切なくただただ血の気が引いて白い顔をした元上司がそこにいただけだった。そのため、死についてあまりリアリティを感じられなかったこともある。ただ今回はあからさまにやつれた姿、ビフォーアフターを見せられたことで「ああ、衰弱すると亡くなる前には最後はこうなっていくのか」と強烈に印象付けられてしまった。火葬場へは当然行かなかった。だって私は部外者ですもの。だいたい親族だけが乗るバスの中で、話す話題もない。
そうして、出棺を見送って葬儀は終わった。
街を歩いていても、他人の目線が一切気にならなくなった。これはなぜなんだろう。よくわからない。今まで自分は、自意識過剰ってくらいに他人をきにしていたんだが、今は一切気にならない。不思議。自分は故人にとてもとてもお世話になってきたから、だから命を粗末にしたくないっていう気持ちがとても強く働いているのは大きい。まぁ、今だけかもしれないが。ただ、あの葬儀で強烈に人とのつながりを意識させられたのは大きい。特に親族に「おお、○○くんか! 覚えてるぞ! 小学校の頃神社によく来てたよな? 元気か!!??」 って何度も言ってもらえたのは嬉しくて、それ以降、自分だけの人生じゃなくなった気がした。自分はいま独り身で、両親や兄弟はいるが、自分には彼女もおらず、結婚相手もいない、いわゆる独身非モテ中年である。自分のことなんて誰も考えていない。自分になんて誰も興味を持たず、このままひっそりと生を終えるんだ。そう最近まで思っていた。セルフネグレクト的なこともよくやってしまう。 ただ、うまく説明できないが、葬儀に出席してから、故人との関係や、親族との関係を意識するようになった。いわゆる「よくわからんが、見守ってもらっている」感覚である。というか、お世話になったのだから、命を粗末にすることはできない。そんな思いである。 人とのつながりって大事なのかもしれないなと思った。外見的に何かが変わった訳でもないし、お金が増えたわけでもないし、出世したわけでもないのだが、こういう心の変化はあった。
明日からまた仕事なので、記憶が薄れぬうちに書きました。いずれアーカイブとして見直すために書いておきます。こういう時の増田は便利ダネ。うちはまだ両親と姉が生きている。この先身内を見送る心の準備みたいなものも実感を伴って出来た気がするよかった。グリーフケアの本も何冊か読み始めた。
俺結構な歳になってきてて爺さんが見えてるけど、
勿論、町長みたいなのは農家だったり退職済みだったりの、ある程度年配者がやるもんだけど、
下っ端の役とかは現役会社員で比較的若い人でも順繰り回ってきて軒並み経験済みだったから
俺もそろそろやっとかないと世間様に顔向けできんなぁ、というところで引き受けてる。
今は隣組の副組長やってる。
先日春祭りがあって、副組長はのぼり旗と吹き流しを上げる役目だった。
それで早朝に公会堂に行って人が集まるのをまってたんだけど、
何となく知ってる顔の人が来たので子供の頃の記憶を辿って『確か、Tさんだったよな…』と思い、
そしたらそいつふっと無表情になったと思ったらぷいっとそっぽを向いて前を素通りし、
顔も合わせずに煙草をふかしながら「私はTさんじゃないです」とぶっきらぼうに言い放った。
「私はIです」とまだ怒っていて
『全く知らん人だったか…』と思ったんだけど、そいつその後に続けて
「本家です」
とか聞いてもいない事を突然口走るの。
うちの町ではIって苗字それなりに居るんだけど多くても十数戸とかそんなもんだと思うし、
本家が一体何ですのって?って話なんよね。
お祭り本番になったんだけど、また度肝を抜かれるわけ。
うちの町、どういう理由かは知らないけど昔からの風習で副組長たちの方のお祭りは
組長さん達のお祭りの方が本祭りみたいな感じで宮司さんが取り仕切る。
で、和尚さんの指導にしたがって供物を社の前に備え始めたんだけど、
後から来たIが「それ違う、供物の向き逆」とか言って勝手にひっくり返して社側に向け始めるの。
それで和尚さんが「あ、それはこの向きで良いんです」とやさしく訂正しようとしたんだけど、
「いや、これは神様が食べるんだから神様の方を向けるのが正しいんです!」
と言い張って聞かない。
少し口論ぽくなって「うちの家ではこうしています!」とか言ってるわけ。
いや、お前の家の事なんか知らねぇよと。
今までずっとその和尚さんにお願いして来てもらっててそれでずっとやってきてんのに、
和尚さんやさしいから笑ってすましてくれてるけど怒って二度と来てくれなくなったら責任取れんのかよ?お前。
それでもお祭りが何とか無事に終わって午後は直会と懇親会。一応神事なのでスーツ着用。
途中で、子供の頃にお世話になった自転車屋さんのお爺さんと出会ってお話しながら一緒に公会堂に向かった。
この自転車屋さん、町の子供たちの自転車をあらかた面倒見てくれた人なのでほとんどの人が孫みたいな感じらしく
恵比須顔の時の大滝秀治みたいな感じで俺に接してくれるのよね。
ステレオタイプには一般的に田舎の爺さんって頑固でぶっきらぼうってイメージがあるけど、
強面に見える人でも話してみるとすごい穏やかだったりしてギャップ凄いなぁと思う事もある。
逆に言えば、定年近辺はかなりトゲやカドがある人も居る。
まぁ酒みたいなもんでそういうのも歳を重ねると灰汁が抜けて丸くなるってことなんだろうな、とは思ってる。
で、公会堂に行ってみんなが来るのをまってた。俺1組なので一番上座なのね。
そしたらIが来たんだけどさ、
『本家が何ですって?』ってなるわけ。
別にね、普通農家さんはスーツなんか着ないから間に合わせの物で全然良いと思うんよ。
でもね、聞かれてもいないのに自分から「本家だ」って威張ってる人間がそんな身なりでええの?とはどうしても思っちゃうよね。
でIが俺を見るなり「どうしたの?」とか怪訝な顔して言うわけ。
めんどくせぇ奴だなぁと思いながら
「座り仕事なんで股関節が固まっちゃってるから、胡坐をかくと痛めちゃうんですよね…」くらいまで話したら
「あー、いいよいい」とか遮って来て『なんだこいつ?』と呆れてたら
「股が開かなくなっちゃうんだろ?医者には行ってるの?行った方が良いよ治らなくなっちゃうから」と一人でペラペラとしゃべり始める。
『いやだから、股関節が固まってるから“胡坐をかくと痛めちゃう”ので普段は痛くも痒くもないんだから医者がどうしたいう話じゃねぇだろ』
とか思うんだけど、Iはもう反対側の人と話始めてて聞いてないの。ほんと頭抱えたくなってくるわけ。
しばらくしたら自転車屋さんも近くに来てIと談笑が始まったんだけど、
自転車屋さんが「この後の片づけって…どうなるのかねぇ…」って戸惑った感じで言って少し間が開いたから俺が、
「あ、お祭りの後片付けの事ですか?それだったら…」と話し始めた途端、
突然Iが顔を真っ赤にして「それは違う、君はお祭りの後片付けの事ばっかり考えてる!」とか声を荒げて訳のわからん事を言って来て
『なんだコイツ!?』とびっくりしているところに自転車屋さんが
「そう、お祭りの後片付けの…」ってボソっと言ってるんだけど、
Iはもうそれも聞いてなくてまた勝手に一人で気分よくしゃべってんの。
『なんなんだこの珍獣は…』と本当に呆れ果てちゃった。
アホらしいからそれ以上関わらんようにしてたんだけど、なんか聞こえてくる会話を聞いてると
自分は本家だからしょっちゅう檀家の行事があって色々とやらなきゃいけないから大変だ、
世話役の人たちはたまにだからいいけどうちは毎週だからさぁ、お寺に包む金も多いしさぁ、
みたいな事を自慢げに語ってるのね。
逆や。
「うちらはたまの事だからいいけど、本家のお家は毎週のようにやらなきゃいけない事があって大変ですよね」
って。
もう、人としての美学もめちゃくちゃなんよ。
『I家はどえらいのが本家の跡取になっちゃったんやなぁ…』とちょっとI家のみなさんが可愛そうになってきた。
直会が終わって懇親会が始まったらIは組長さん達を差し置いて宮司さんの前を陣取って
気分良さそうに話し込んでて、人間性丸出しやなぁ…と横目で見ながら
俺はできればめんどくさい事はしたくないのでお隣の組の副組長のおばあちゃんと登山とか犬とかの話して過ごした。
実は、のぼり旗と吹き流しを上げる時も色々とあって、
基本的にIって仕切りたい人間らしく、自分の思ってる通りで無いと我慢がならないみたいなんよね。
自分のペースでしか物事を進められないのでペースを乱されるとめちゃくちゃ怒る。
自転車屋さんとの話も、自分が気分よく話してる時に横から割って入ってこられたから瞬間湯沸かし器みたいに吹き上がったらしい。
もうほんと、どんだけ狭い世界で生きてきたんだって呆れかえってる。
夜それとなく父親に「Iさんって知ってる?」って聞いてみたら
「ああ、I家の本家だな。うちでいうところのNさんのおうちみたいなもんだ。お父さんはIさんのお父さんに昔世話になったんだ」
とか言うので、
『そういう事ならしょうがねぇなぁ…、あんま波風立てないようにすっか…』と思った。
ただまぁ、あんな感じだから何か悶着起こしそうな気もするので、そしたら
「Iさんは自分の考えてる通りでないと我慢ならないみたいなので、町の仕事も今後はIさんに責任持ってやってもらう事にしましょうよ」
つって丸投げしようかとは思ってる。
町の役職とか出来ればやりたくないしね、給料あるわけでもないし。
仕切り屋さんに勝手にやっててもらった方が楽ちん。
べつにー、初詣でに行ったりとか、節分に豆撒いたりとかしても災厄が避けられたり福が来たりしねーよって思ってるし、神に祈ったり感謝したりしなくても自然法則に従って農作物が豊作だったり海産物が大漁だったりそうでなかったりするだろーし、宮司さんが神妙な口ぶりで読み上げるノリトとか、ちゃんちゃらおかしー! って思ってるんだけど、「なり手がいなくて地域の伝統が守っていけなくて困るから」みたいに説得されて、某神社の氏子総代を仰せつかっているんだよねーw
本心を公言したら、いろいろ波風たって、ご近所さんから白眼視されちゃいそうなので、年に数回の神事の際は、スーツにネクタイで正装してじっと堪えてますよww
「千のナイフ」で盆踊りをしている様子がTwitterで流れてきて面白いと思った
https://twitter.com/petsounds99/status/1682664145894912001
その関連でいろいろクリックしているうちに大阪の神社、吉川八幡神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%B1%8A%E8%83%BD%E7%94%BA)
https://www.youtube.com/@tenchigaraku
https://www.instagram.com/rev_motomi_yoshimura/
勝手に教授の映像を使っているのかなと思いきや、どうも先代の宮司、久次米一弥は大阪音大卒のミュージシャンで、かつてコラボしたこともあったらしい
今の女性宮司が教授とのプライベートな写真をアップしているのを見ると、けっこう親密な関係だったと思われ
吉川八幡神社は音楽イベントを頻繁にやっているみたいだし、映像を見ると教授の相当晩年だし
これなんなんだろう。
坂本龍一は晩年、音楽と自然音をMIXしようとしていたし、人工的なものを忌避しようとしていた
でも、神道もしかり、宗教なんてものはすごく人工的でもあるよね
その辺詳しい人いる?
きちんとした教会、または牧師先生がいらっしゃるのがウリの挙式場を下見して、そこを魅力に感じたらしい人が口コミに「神父先生が〜」とか書いてるとあーあ、ってなってしまう。だからといって何もない、本当にちょっともやっとするだけ。
もし「神父先生」が正しいなら「讃美歌」じゃなくて「聖歌」だし、カトリックはプロテスタントほど気軽に挙式はできないはずだから、多分「神父先生」が間違っている。
私は洗礼を受けてない、単にミッション系スクールにそれなりの年数通ってただけ、という信者の方からしたら余計に面倒な立場の人間だと思う。
典型的日本教に毛が生えただけの人間が何言ってるんだろうという感じではあるけど、でもお坊さんのことを「宮司さん」という人はいないでしょ。まあお坊さんと宮司さんは宗教が違うか...。
Twitterで宮司を名乗る人がこんなツイートをしていたのが気になった
以下要約
毒親や複雑な家庭事情等で自分の苗字の家の慰霊や先祖供養をしたくないと思っている人こそ、慰霊や供養が必要である
慰霊や供養とは自分の生きる上での根底を固める大事な要素であり、慰霊や供養をした功徳の七分の六は自分に戻る
ツイートは以上
人をだまくらかしてお金儲けをしている新興宗教や占いとおんなじこと言ってないか?新興宗教も由緒ありそうな神道も入口は同じなのか?
新興宗教や占いでこんなん言うたら叩かれるのに、このツイートに賛同する人々がままいるのがふしぎでならず、またこのようなツイートを普通にする自称神職にも驚いたのだけどこれはよくある出来事ですか?
全国宗教人・日本共産党を支持する会(全国宗教人の会)は19日夕、公示まで2カ月となった参院選での日本共産党の躍進に向け、東京・JR池袋駅前で街頭宣伝しました。山添拓参院東京選挙区予定候補も駆けつけ、ウクライナ支援募金を呼びかけながら、ともに訴えました。
真言宗智山派僧侶の小嶋弘遵(こうじゅん)さん、日本長老教会西武柳沢キリスト教会牧師の星出卓也さん、浅川金刀比羅神社宮司の奥田靖二さん、日本同盟基督教団横浜上野町教会牧師の柴田智悦さん、浄土真宗本願寺派僧侶の小山弘泉さんが宣伝カー上からマイクを握りました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-04-20/2022042004_01_0.html
川崎の奇祭、かなまら祭をご存じだろう。あのピンクのチンコ神輿が有名なやつだ。
あのピンクちんこを奉納した会社が潰れてしまった。日本の伝統の危機だ。
あのピンクちんこ神輿は、実は浅草橋と新宿にあった女装クラブ、エリザベスが奉納したものだった。神輿だけじゃない、それ以外の玉串料も奉納して金山神社を支えていたと思われる。
このエリザベスはアント商事という会社が運営していたのだがこの会社が去年廃業してしまった。
アント商事は元々女性用下着の商社だったのが、どうも通販で下着を買う客の中に男性が多いという事に気が付いた。つまり女装需要である。店で買うのが憚れるので通販を使っているのだと。
同商事はこれはニッチな需要だと見抜いた。ニッチって隙間産業みたいな意味じゃないよ。生態学で安定的生存圏って意味だよ。
しかもこのニッチは下着市場だけじゃない、「ドリルを求める客は穴が欲しい」のアレだ。「女装市場」を作り出す事が出来る。
そういう判断で1979年にエリザベス会館をオープンした。会員制で衣装を預かるロッカーを置き、女装を手ほどき、同じ趣味のお友達とも交流できるってサービスだ。そこで販売するのは当然自社の下着や服。地産地消みたいな商売やね。
ここはそのスジでは有名だったが、会員が年齢層結構高め。だから言っちゃ悪いがちょっと汚装っぽい方に寄っていて綺麗系じゃない(綺麗な人もちゃんといた為念)。でも年齢層高めって事は結構お金持ってる。会社で偉い人も多い訳だしな。
金山神社の方は性信仰がある神社ではあったのだが、かなり廃れてしまっていた。
んで、日本では1969年に盛り上がった学生運動が消沈した後、70年代中頃から民俗学が盛んになる。大きな物語のマルクス主義が萎んだあとに小さな物語の日本の伝承を探求するのが流行ったわけ。自分探しの旅とか国鉄のいい日旅立ちキャンペーンとかもこれに繋がるものだよ。
当時の金山神社の宮司は民俗学にインスパイアされ、自身の神社の昔の姿、江戸時代の伝統的な祭りを再現しようとした。特に性的な信仰っていうのは明治以降は国家神道の下に抑圧され、その後も恥ずかしいものとして人々から忌避されてきた。でも民俗学的にはそんな忌避はナンセンスだ。
それで大根を男性器、女性器、いやそんな言葉の忌避はしちゃいけないな。ちんことまんこに削ったご神体を崇め練り歩く祭を毎年開いていた。この表現は民俗学的表現だからあしからず。
1980年代中頃にエイズ禍が起こると、当時は同性愛者の病気と思われていたのでエリザベス界隈は肩身が狭い。客足も遠のいて経営的にも辛い。
そこで景気づけ&疫病退散の願掛けとしてこのお祭にドーンと奉納して盛り上げて来たのだな。そのスジじゃ有名なあの店が裏スジが通ったちんこ神輿を寄付ってわけやね。
あの屹立するピンクの怪物がいつ作られたかは良く知らない。でもあの神輿はオフザケが多分に入ってるのね。どうしても客層におっさんが多かったりして綺麗でお高くとまってる感じにはなり難い。世間に言えない秘密の趣味っていう暗さもある。
んだったらぶっちゃけちゃえって感じ。んだから江戸時代の習俗復刻みたいな文脈からもぶっとんだピンクちんこを作ってしまった。そしたらそのぶっ飛び具合が群を抜いていて人気が出てしまった。
因みに写真見るとピンクちんこ神輿担いでるのって女装したおっさんたちじゃん。あれがエリザベス関係者です。お客ですな。
15年ぐらい前から男の娘ブームがあるけど、そうするとメイクルームとかもあちこちに出来てくる。エリザベスの競合ですな。
しかも男の娘ブームの方はレベルが高い。そうするとどうしてもエリザの方は汚装っぽく見えて見劣りがしてしまう。
因みにそういうお店の経営者にはエリザ出身者も居る。昔はエリザぐらいしか無かった訳でな。
そういう情況でエリザベスの運営会社のアント商事は2020年2月に廃業してしまった。コロナの最初期だ。
一方、かなまら祭の方は毎年3月開催だがコロナのせいで去年から練り歩きは行われていない。境内での神事で終わりだ。警察が道路使用許可出してくれないからな。
なので同社廃業でピンクちんこ神輿がどうなるかとか女装おっさんズ担ぎ手はどうなるかとかは不明なままなのだ。まぁ、いきなりピンクちんこが萎れたり無くなったりは無いだろうが、大手の後援者が居なくなるのは痛いかもしれん。
って事で、あのピンクちんこが有名な祭の外形は実は日本の伝統じゃなくてスポンサーによって作られた復刻&アレンジされた姿だったのだな。最初に言ってる事と違うな、あとでまとめて謝る。でも中身は民俗学的に線を繋いだもんで偽ものじゃない。
あと、他の男根神輿は健在だからちんこの消失に悲しまなくてもいい。是非来年は祭に来て出店のちんこキャンディーとかを頬張って欲しい。
なんで女装界隈詳しいのかっていえばワイがニューハーフ崩れだからだ。
最後に、はてな事務局諸兄には民俗学的必要とはいえちんこ連呼した事を、またちんこ連呼で男女同権的に偏りがある文章となった事を、表題がクリックバイトになった事をお詫びしたい。
どうもすいまんこ。