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2024-09-30

四  三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いていると、遠方に聞こえる。わるくすると肝要な事を書き落とす。はなはだしい時はひとの耳を損料で借りているような気がする。三四郎はばかばかしくてたまらない。仕方なしに、与次郎に向かって、どうも近ごろは講義おもしろくないと言い出した。与次郎の答はいつも同じことであった。 「講義おもしろいわけがない。君はいなか者だから、いまに偉い事になると思って、今日までしんぼうして聞いていたんだろう。愚の至りだ。彼らの講義は開闢以来こんなものだ。いまさら失望したってしかたがないや」 「そういうわけでもないが……」三四郎は弁解する。与次郎のへらへら調と、三四郎の重苦しい口のききようが、不釣合ではなはだおかしい。  こういう問答を二、三度繰り返しているうちに、いつのまにか半月ばかりたった。三四郎の耳は漸々借りものでないようになってきた。すると今度は与次郎のほうから三四郎に向かって、 「どうも妙な顔だな。いかにも生活に疲れているような顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、この批評に対しても依然として、 「そういうわけでもないが……」を繰り返していた。三四郎世紀末などという言葉を聞いてうれしがるほどに、まだ人工的の空気に触れていなかった。またこれを興味ある玩具として使用しうるほどに、ある社会消息に通じていなかった。ただ生活に疲れているという句が少し気にいった。なるほど疲れだしたようでもある。三四郎下痢のためばかりとは思わなかった。けれども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観ハイカラでもなかった。それでこの会話はそれぎり発展しずに済んだ。  そのうち秋は高くなる。食欲は進む。二十三青年がとうてい人生に疲れていることができない時節が来た。三四郎はよく出る。大学の池の周囲もだいぶん回ってみたが、べつだんの変もない。病院の前も何べんとなく往復したが普通人間に会うばかりである。また理科大学の穴倉へ行って野々宮君に聞いてみたら、妹はもう病院を出たと言う。玄関で会った女の事を話そうと思ったが、先方が忙しそうなので、つい遠慮してやめてしまった。今度大久保へ行ってゆっくり話せば、名前も素姓もたいていはわかることだから、せかずに引き取った。そうして、ふわふわして方々歩いている。田端だの、道灌山だの、染井墓地だの、巣鴨監獄だの、護国寺だの、――三四郎新井の薬師までも行った。新井の薬師の帰りに、大久保へ出て野々宮君の家へ回ろうと思ったら、落合火葬場の辺で道を間違えて、高田へ出たので、目白から汽車へ乗って帰った。汽車の中でみやげに買った栗を一人でさんざん食った。その余りはあくる日与次郎が来て、みんな平らげた。  三四郎ふわふわすればするほど愉快になってきた。初めのうちはあまり講義に念を入れ過ぎたので、耳が遠くなって筆記に困ったが、近ごろはたいていに聞いているからなんともない。講義中にいろいろな事を考える。少しぐらい落としても惜しい気も起こらない。よく観察してみると与次郎はじめみんな同じことである三四郎はこれくらいでいいものだろうと思い出した。  三四郎がいろいろ考えるうちに、時々例のリボンが出てくる。そうすると気がかりになる。はなはだ不愉快になる。すぐ大久保へ出かけてみたくなる。しか想像連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくするとまぎれてしまう。だからだいたいはのんである。それで夢を見ている。大久保へはなかなか行かない。  ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空いなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてから総体しまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。  坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟さえ見えた。今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。そのはやしの音が、下の方から次第に浮き上がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる。そのまた余波が三四郎の鼓膜のそばまで来てしぜんにとまる。騒がしいというよりはかえっていい心持ちである。  時に突然左の横町から二人あらわれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。  与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面である。その代り連がある。三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った。この人とは水蜜桃以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで煙草のんで、自分図書館に走らしてよりこのかた、いっそうよく記憶にしみている。いつ見ても神主のような顔に西洋人の鼻をつけている。きょうもこのあいだの夏服で、べつだん寒そうな様子もない。  三四郎はなんとか言って、挨拶をしようと思ったが、あまり時間がたっているので、どう口をきいていいかからない。ただ帽子を取って礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧すぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎はどっちつかずの中間にでた。すると与次郎が、すぐ、 「この男は私の同級生です。熊本高等学校からはじめて東京へ出て来た――」と聞かれもしないさきからいなか者を吹聴しておいて、それから三四郎の方を向いて、 「これが広田先生高等学校の……」とわけもなく双方を紹介してしまった。  この時広田先生は「知ってる、知ってる」と二へん繰り返して言ったので、与次郎は妙な顔をしている。しかしなぜ知ってるんですかなどとめんどうな事は聞かなかった。ただちに、 「君、この辺に貸家はないか。広くて、きれいな、書生部屋のある」と尋ねだした。 「貸家はと……ある」 「どの辺だ。きたなくっちゃいけないぜ」 「いやきれいなのがある。大きな石の門が立っているのがある」 「そりゃうまい。どこだ。先生、石の門はいいですな。ぜひそれにしようじゃありませんか」と与次郎は大いに進んでいる。 「石の門はいかん」と先生が言う。 「いかん? そりゃ困る。なぜいかんです」 「なぜでもいかん」 「石の門はいいがな。新しい男爵のようでいいじゃないですか、先生」  与次郎はまじめである広田先生はにやにや笑っている。とうとうまじめのほうが勝って、ともかくも見ることに相談ができて、三四郎が案内をした。  横町をあとへ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思われるような小路がある。その小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。まっすぐに行くと植木屋の庭へ出てしまう。三人は入口の五、六間手前でとまった。右手にかなり大きな御影の柱が二本立っている。扉は鉄である三四郎がこれだと言う。なるほど貸家札がついている。 「こりゃ恐ろしいもんだ」と言いながら、与次郎は鉄の扉をうんと押したが、錠がおりている。「ちょっとお待ちなさい聞いてくる」と言うやいなや、与次郎植木屋の奥の方へ駆け込んで行った。広田三四郎は取り残されたようなものである。二人で話を始めた。 「東京はどうです」 「ええ……」 「広いばかりできたない所でしょう」 「ええ……」 「富士山比較するようなものはなんにもないでしょう」  三四郎富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相とは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。すると、 「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。 「翻訳とは……」 「自然翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」  三四郎翻訳意味を了した。 「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉翻訳することのできないものには、自然が毫も人格上の感化を与えていない」  三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。ところが広田さんはそれでやめてしまった。植木屋の奥の方をのぞいて、 「佐々木は何をしているのかしら。おそいな」とひとりごとのように言う。 「見てきましょうか」と三四郎が聞いた。 「なに、見にいったって、それで出てくるような男じゃない。それよりここに待ってるほうが手間がかからないでいい」と言って枳殻の垣根の下にしゃがんで、小石を拾って、土の上へ何かかき出した。のん気なことである与次郎のん気とは方角が反対で、程度がほぼ相似ている。  ところへ植込みの松の向こうから与次郎が大きな声を出した。 「先生先生」  先生は依然として、何かかいている。どうも燈明台のようである。返事をしないので、与次郎はしかたなしに出て来た。 「先生ちょっと見てごらんなさい。いい家だ。この植木屋で持ってるんです。門をあけさせてもいいが、裏から回ったほうが早い」  三人は裏から回った。雨戸をあけて、一間一間見て歩いた。中流の人が住んで恥ずかしくないようにできている。家賃が四十円で、敷金が三か月分だという。三人はまた表へ出た。 「なんで、あんなりっぱな家を見るのだ」と広田さんが言う。 「なんで見るって、ただ見るだけだからいいじゃありませんか」と与次郎は言う。 「借りもしないのに……」 「なに借りるつもりでいたんです。ところが家賃をどうしても二十五円にしようと言わない……」  広田先生は「あたりまえさ」と言ったぎりである。すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。このあいだまである出入りの屋敷入口にあったのを、改築のときもらってきて、すぐあすこへ立てたのだと言う。与次郎だけに妙な事を研究してきた。  それから三人はもとの大通りへ出て、動坂から田端の谷へ降りたが、降りた時分には三人ともただ歩いている。貸家の事は[#「貸家の事は」は底本では「貸家は事は」]みんな忘れてしまった。ひとり与次郎が時々石の門のことを言う。麹町からあれを千駄木まで引いてくるのに、手間が五円ほどかかったなどと言う。あの植木屋はだいぶ金持ちらしいなどとも言う。あすこへ四十円の貸家を建てて、ぜんたいだれが借りるだろうなどとよけいなことまで言う。ついには、いまに借手がなくなってきっと家賃を下げるに違いないから、その時もう一ぺん談判してぜひ借りようじゃありませんかという結論であった。広田先生はべつに、そういう了見もないとみえて、こう言った。 「君が、あんまりよけいな話ばかりしているものから時間がかかってしかたがない。いいかげんにして出てくるものだ」 「よほど長くかかりましたか。何か絵をかいていましたね。先生もずいぶんのん気だな」 「どっちがのんきかわかりゃしない」 「ありゃなんの絵です」  先生は黙っている。その時三四郎がまじめな顔をして、 「燈台じゃないですか」と聞いた。かき手と与次郎は笑い出した。 「燈台は奇抜だな。じゃ野々宮宗八さんをかいていらしったんですね」 「なぜ」 「野々宮さんは外国じゃ光ってるが、日本じゃまっ暗だから。――だれもまるで知らない。それでわずかばかりの月給をもらって、穴倉へたてこもって、――じつに割に合わない商売だ。野々宮さんの顔を見るたびに気の毒になってたまらない」 「君なぞは自分のすわっている周囲方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすだけだから、丸行燈のようなものだ」  丸行燈比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、 「小川君、君は明治何年生まれかな」と聞いた。三四郎簡単に、 「ぼくは二十三だ」と答えた。 「そんなものだろう。――先生ぼくは、丸行燈だの、雁首だのっていうものが、どうもきらいですがね。明治十五年以後に生まれたせいかもしれないが、なんだか旧式でいやな心持ちがする。君はどうだ」とまた三四郎の方を向く。三四郎は、 「ぼくはべつだんきらいでもない」と言った。 「もっとも君は九州のいなかから出たばかりだから明治元年ぐらいの頭と同じなんだろう」  三四郎広田もこれに対してべつだんの挨拶をしなかった。少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、きれいに地ならしをした上に、青ペンキ塗りの西洋館を建てている。広田先生は寺とペンキ塗りを等分に見ていた。 「時代錯誤だ。日本物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」 「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」  広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本社会代表しているんだと言う。  与次郎三四郎もなるほどと言ったまま、お寺の前を通り越して、五、六町来ると、大きな黒い門がある。与次郎が、ここを抜けて道灌山へ出ようと言い出した。抜けてもいいのかと念を押すと、なにこれは佐竹下屋敷で、だれでも通れるんだからかまわないと主張するので、二人ともその気になって門をくぐって、藪の下を通って古い池のそばまで来ると、番人が出てきて、たいへん三人をしかりつけた。その時与次郎はへいへいと言って番人にあやまった。  それから谷中へ出て、根津を回って、夕方本郷下宿へ帰った。三四郎は近来にない気楽な半日暮らしたように感じた。  翌日学校へ出てみると与次郎がいない。昼から来るかと思ったが来ない。図書館へもはいったがやっぱり見当らなかった。五時から六時まで純文科共通講義がある。三四郎はこれへ出た。筆記するには暗すぎる。電燈がつくには早すぎる。細長い窓の外に見える大きな欅の枝の奥が、次第に黒くなる時分だから、部屋の中は講師の顔も聴講生の顔も等しくぼんやりしている。したがって暗闇で饅頭を食うように、なんとなく神秘である三四郎講義がわからないところが妙だと思った。頬杖を突いて聞いていると、神経がにぶくなって、気が遠くなる。これでこそ講義価値があるような心持ちがする。ところへ電燈がぱっとついて、万事がやや明瞭になった。すると急に下宿へ帰って飯が食いたくなった。先生もみんなの心を察して、いいかげんに講義を切り上げてくれた。三四郎は早足で追分まで帰ってくる。  着物を脱ぎ換えて膳に向かうと、膳の上に、茶碗蒸といっしょに手紙が一本載せてある。その上封を見たとき三四郎はすぐ母から来たものだと悟った。すまんことだがこの半月まり母の事はまるで忘れていた。きのうからきょうへかけては時代錯誤だの、不二山の人格だの、神秘的な講義だので、例の女の影もいっこう頭の中へ出てこなかった。三四郎はそれで満足である。母の手紙はあとでゆっくり見ることとして、とりあえず食事を済まして、煙草を吹かした。その煙を見るとさっきの講義を思い出す。  そこへ与次郎がふらりと現われた。どうして学校を休んだかと聞くと、貸家捜しで学校どころじゃないそうである。 「そんなに急いで越すのか」と三四郎が聞くと、 「急ぐって先月中に越すはずのところをあさっての天長節まで待たしたんだから、どうしたってあしたじゅうに捜さなければならない。どこか心当りはないか」と言う。  こんなに忙しがるくせに、きのうは散歩だか、貸家捜しだかわからないようにぶらぶらつぶしていた。三四郎にはほとんど合点がいかない。与次郎はこれを解釈して、それは先生がいっしょだからさと言った。「元来先生が家を捜すなんて間違っている。けっして捜したことのない男なんだが、きのうはどうかしていたに違いない。おかげで佐竹の邸でひどい目にしかられていい面の皮だ。――君どこかないか」と急に催促する。与次郎が来たのはまったくそれが目的らしい。よくよく原因を聞いてみると、今の持ち主が高利貸で、家賃をむやみに上げるのが、業腹だというので、与次郎がこっちからたちのきを宣告したのだそうだ。それでは与次郎責任があるわけだ。 「きょうは大久保まで行ってみたが、やっぱりない。――大久保といえば、ついでに宗八さんの所に寄って、よし子さんに会ってきた。かわいそうにまだ色光沢が悪い。――辣薑性の美人――おっかさんが君によろしく言ってくれってことだ。しかしその後はあの辺も穏やかなようだ。轢死もあれぎりないそうだ」  与次郎の話はそれから、それへと飛んで行く。平生からまりのないうえに、きょうは家捜しで少しせきこんでいる。話が一段落つくと、相の手のように、どこかないかいかと聞く。しまいには三四郎も笑い出した。  そのうち与次郎の尻が次第におちついてきて、燈火親しむべしなどという漢語さえ借用してうれしがるようになった。話題ははしなく広田先生の上に落ちた。 「君の所の先生の名はなんというのか」 「名は萇」と指で書いて見せて、「艸冠がよけいだ。字引にあるかしらん。妙な名をつけたものだね」と言う。 「高等学校先生か」 「昔から今日に至るまで高等学校先生。えらいものだ。十年一日のごとしというが、もう十二、三年になるだろう」 「子供はおるのか」 「子供どころか、まだ独身だ」  三四郎は少し驚いた。あの年まで一人でいられるものかとも疑った。 「なぜ奥さんをもらわないのだろう」 「そこが先生先生たるところで、あれでたいへんな理論家なんだ。細君をもらってみないさきから、細君はいかんもの理論できまっているんだそうだ。愚だよ。だからしじゅう矛盾ばかりしている。先生東京ほどきたない所はないように言う。それで石の門を見ると恐れをなして、いかいかんとか、りっぱすぎるとか言うだろう」 「じゃ細君も試みに持ってみたらよかろう」 「大いによしとかなんとか言うかもしれない」 「先生東京がきたないとか、日本人が醜いとか言うが、洋行でもしたことがあるのか」 「なにするもんか。ああいう人なんだ。万事頭のほうが事実より発達しているんだからあなるんだね。その代り西洋写真研究している。パリ凱旋門だの、ロンドン議事堂だの、たくさん持っている。あの写真日本を律するんだからまらない。きたないわけさ。それで自分の住んでる所は、いくらきたなくっても存外平気だから不思議だ」 「三等汽車へ乗っておったぞ」 「きたないきたないって不平を言やしないか」 「いやべつに不平も言わなかった」 「しか先生哲学者だね」 「学校哲学でも教えているのか」 「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、おのずから哲学にできあがっているかおもしろい」 「著述でもあるのか」 「何もない。時々論文を書く事はあるが、ちっとも反響がない。あれじゃだめだ。まるで世間が知らないんだからしようがない。先生、ぼくの事を丸行燈だと言ったが、夫子自身は偉大な暗闇だ」 「どうかして、世の中へ出たらよさそうなものだな」 「出たらよさそうなものだって、――先生自分じゃなんにもやらない人だからね。第一ぼくがいなけりゃ三度の飯さえ食えない人なんだ」  三四郎まさかといわぬばかりに笑い出した。 「嘘じゃない。気の毒なほどなんにもやらないんでね。なんでも、ぼくが下女に命じて、先生の気にいるように始末をつけるんだが――そんな瑣末な事はとにかく、これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」  与次郎はまじめである三四郎はその大言に驚いた。驚いてもかまわない。驚いたままに進行して、しまいに、 「引っ越しをする時はぜひ手伝いに来てくれ」と頼んだ。まるで約束のできた家がとうからあるごとき口吻である。  与次郎の帰ったのはかれこれ十時近くである。一人ですわっていると、どことなく肌寒の感じがする。ふと気がついたら、机の前の窓がまだたてずにあった。障子をあけると月夜だ。目に触れるたびに不愉快な檜に、青い光りがさして、黒い影の縁が少し煙って見える。檜に秋が来たのは珍しいと思いながら、雨戸をたてた。  三四郎はすぐ床へはいった。三四郎勉強家というよりむしろ※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊家なので、わりあい書物を読まない。その代

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2024-02-17

一般家庭の庭、無法すぎる

野生動物にエサをやらない」というのはもはや常識になってきたと感じる。

だが一般家庭の庭の木に実がなって、それを野生の鳥が食べにくることは非難されない。

野生動物への餌付けがダメなら実のなる庭木もダメなのでは?すべて切るか実がなる前に実を切除するとかしないといけないんじゃないの?

というかホームセンターとか植木屋で買える園芸品種って概ね外来種だし、そうでなくても遺伝子的には国内外来種だよね?

種は平気で敷地外に飛んでいくでしょ。

なんで許されてるの?

2024-02-01

コメント返信あり)街路樹を愛でる

追記

コメントで皆さんのイチオシ街路樹をいただいたのでいくつか返信兼紹介。

ユリノキ

近所には植わってないけど隣県に行った時に見た。葉っぱもインパクトあるけど根本みょんみょん(托葉というらしい)も趣深い不思議ちゃんな樹。

クスノキ

樹形と樹皮からなんとなくおじいちゃん雰囲気がある樹。葉っぱの根本ダニを飼っているという技巧派。アボカド植えたブクマカいて笑ったけどアボカドクスノキの仲間なんだって

ヒトツバタゴナンジャモンジャ)

去年11月神宮外苑で見た。白い花が可愛いらしいので花の時期にもう一度見たい。再開発後も残っているといいなあ。

サルスベリ

樹皮がツルツルなのでこの名前漢字で書くと百日紅という通り、ず〜〜っと花が咲いてる。街路樹より庭木として人気だと思う。

ヤマモモ

食べられる実がなる樹ってウキウキするよね(管理コストは爆上がりだけど)。旅行先で買ったヤマモモジャム、素朴な味で美味しかった。

カツラ

ハートの葉っぱがキュート。樹形も丸め可愛い

木に圭で桂と書くから、昔から愛されてきたんだろうなと想像する。

トウカエデ

フウと並んで紅葉が美しい街路樹。樹皮がぼろぼろなので一瞬心配になるけどそういう特徴の樹。カエデ属は羽の生えた実がなる。

本文

街路樹街路樹と言われるけどそれぞれに名前があって姿形も違う。関東在住の増田がよく見る街路樹を紹介する。リンクWikipediaに飛ぶ。

ハナミズキ

一青窈の曲のせいでなんとなく日本の樹っぽい感じがするがじつはアメリカ原産。「薄紅色の〜」というが、街路樹で見かけるのはだいたい白い花な気がする。春と夏の間くらいに咲く花は可愛らしいけど、樹皮は結構無骨排気ガスに強く、実も小さくて散らからいか街路樹によく採用されるらしい。

近縁種に日本原産ヤマボウシがある。こっちは実が大きめで食べられる。

モミジバスズカケノキ

実が山伏が着けているポンポン(鈴懸)に似ているからこの名前になった。スズカケノキの仲間(別名プラタナス)の中では一番植えられているらしい。

まだらに剥がれる樹皮が特徴的なので葉が落ちた冬でもよくわかる。3裂した葉っぱが落ち葉になった後も可愛い

イチョウ

生きた化石」とも言われる世界最古の樹木増田は長らく葉っぱの切れ込みの深さでオスとメスが見分けられると信じていたが、最近関係ないと知ってショックだった。

葉っぱが落ちたあともワイルドな樹皮がカッコイイ。かなり大きくなる木なので、街路樹だといわゆる「丸太剪定」されているイチョウが多いのが残念。熊本城に生えているイチョウの巨木が見事だった。

ケヤキ

増田イチオシ街路樹。「けやけき(一際優れている)木」が語源である通り、ほうき形の樹形となめらかな樹皮がとても美しい。

一方でちゃんと手入れをしないと樹形が乱れやすいので、けやき通りを美しく保っている剪定業者尊敬する。

通勤途中、季節とともに移ろうケヤキ並木を見て、今日も頑張ろうと毎日元気をもらっている。

ツツジ

植え込みでおなじみの低木。花期になると葉が見えなくなるほど花がバカスカ咲く。子供の頃ツツジの蜜を吸った経験のある人は結構いるかもしれないが、毒があるのでやめたほうがいいらしい。

漢字で書くと躑躅。空で書ける人どれくらいいるんだろうか。最近暑すぎてだんだん花期が早まってきている印象がある。

シマトネリコ

新しく開発された地でよく見かける常緑樹。植木屋さんによると、すぐ大きくなり安いので業者側が植えたがるらしい。シマトネリコが植わっているとなんだかおしゃれな雰囲気になる。

ただ元々は暖かい気候の樹なので、関東の冬は少し寒そう。沖縄公園で見たシマトネリコの樹は生き生きとしていた。

モミジバフウ

いわゆるモミジカエデ属)とは別の仲間。でも葉っぱはモミジの形だし紅葉きれいなので、この樹をモミジだと思っている人は多いと思う。そもそもモミジ」も分類学的な定義じゃないし、美しければいいのだ。

別名アメリカフウといい、千葉県松戸市には「あめりかふう通り」がある。もちろん全然アメリカンではない。

(番外編)ハルニレ

北海道に多い街路樹。明るい黄緑の葉っぱがきれい北海道は他にもポプラナナカマドなど、関東ではなかなか見られない街路樹目白押しだ。

旅行に行ったときは、街路樹に注目してみると自分の住んでいる地域と違うものが植わっていたりして面白い気候だけでなくその時期の流行りなどもあるので、少し足を伸ばすだけで近所にはない街路樹出会えるかもしれない。

よかったら皆さんのイチオシ街路樹を教えてください。

2024-01-31

久しぶりに鎌倉行ってきた

ほんの数時間だけ時間が空いたので大宮から上野東京ラインに乗って鎌倉へ。中学ときの校外学習以来だな。午後に着いたんで少ししか行けなかったがちょこちょこ書いてみる。

東慶寺ちょっと大変

もともと名前の割には小さいお寺。

最近面倒くさい植木屋が出入りしてて庭がおかしくなっている。なんだ大地の再生って。

隣の喫茶店ががめつい。

本山円覚寺が主導権を取った方がまだマシなのかなあ。

鎌倉駅前と小町通りしんどい

観光へ全振りしすぎて飽きられているなあ。コメダ回転寿司みさきとセブンが異様に混んでた。

大学生ぐらいのカップル

軽井沢じゃねえ?」「鎌倉まで行って軽井沢かよ」

とまで言われる始末。生シラスだってもっと美味い場所あるしなあ。

鎌倉ハムあるのに腸詰屋もある理由って。

鎌倉市に大船があることを知らなかった。

これはいい意味発見だった。

鎌倉駅周辺で泊まるのと大船周辺で泊まるのとでは食事代や宿泊代がヒトケタ以上違ってくる。

開けている感じもちょうどいいのがいい。

鎌倉駅の感じだと普通に生活するのしんどいなと思っていたが大船があったんだなと。

雑な感想ですいません。

2023-11-05

街路樹(植え込み含む)は全廃しろ

街路樹あるじゃん。あれほんとなくなればいいと思ってる。木だけじゃなく植え込みもなくなってほしいと思ってる。以下理由

1.歩道が狭くなり、歩行者の円滑な通行を妨げる。

2.根が歩道路面を隆起させることにより転倒による怪我事故リスクが上がる。

3.(運転手目線で)視界が遮られ事故リスクが上がる。

...

経験談で恐縮だが以前歩道を徒歩で通行中に後方から接近してきたクソチャリに死ぬほどベルを鳴らされた挙げ句に舌打ちされたことがある。その歩道一定間隔に植込みがあるのだがクソチャリが接近してきたときはちょうど植込みがあり歩道の幅が1メートル程度に狭くなるところだった。追い越したいクソチャリと避ける道理はない歩行者自分)による状況においてクソチャリが前述のベル攻撃をしてきた。

まあ、クソチャリが道交法(正確にはわからんが察してくれ)違反してベル鳴らすマナー違反が悪いのだろうが、それよりなにより歩道の幅を減らすほどの植込みがなければいいんじゃね?とも思うわけよ。

頭の足りねえクソチャリは掃いて捨てるほどいるわけだし、脳みそツルツルなクソチャリにイチから教育していくなんて時間予算いくらあっても足りないなかで、とりあえず歩行者安全を脅かす遠因でもある植込みを無くせば(同様に街路樹も)少しは安全になるんじゃないかと思うわけで。

あとさー車の運転でも街路樹邪魔でクソほど危ない目にあうことあるじゃん。よく見ろとか言われてもそもそも物理的に見えないものをどうしろ

街路樹があることでのメリットってなんなの?思いつく限りだと

1.景観、美観

2.植木屋が儲かる

3.地方自治体植木管理する連中に仕事ができる

ぐらいしかなくね?これ市民メリットある?安全犠牲にするほどのメリットなの?

まあ、100歩譲って都心都内ではない)のような木々のない所にはあってもいいよ。よくないが、まあいい。

だが、少し視線を上げれば雄大な、木々が生い茂る山々が見えるような地方歩道街路樹や植え込みは必要なのかと問いたい。いらねーよ。

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追記

なるほど日陰ねー。たしか信号待ちのときに日陰があると便利だ。でもそれは交通安全犠牲にするほど重要もの???ちなみに俺は今年の夏から日傘を導入したがあれほどいいもんはないと実感した。永久に日陰がついてきてくれる。マジおすすめ

緑化はCO2の吸収源として有効と言っているけど、それって歩道に植えなきゃだめなん?まあ排ガス発生源(車)の真横に植えるのが効果的に思えるけど地球規模で考えるとどっかの土地にまとめてドカッと植えたほうが効果ありそうじゃない?それとももはや道路脇にしか植えられないほど土地が無いの?むしろ工場の緑化をもっと厳しくブチかましてやれ。マイカー通勤とか舐めんな。

書いていて思ったけど道路脇ってことは人やモノの活動圏内ど真ん中であって手入れも管理もやりやすいってのもあるのか。は~よく出来てる。植えてハイ終わり!じゃそれはそれでなにやってんの?になるしな。

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まり邪魔なので市に文句言おうと色々調べたら国道に生えてる街路樹は国が管理で、市道町道自治体管理で、自治体の中でももっと小さい区分(◯丁目自治会とかそういうやつ)で管理している場合もあって何がなんだかわからん

2023-04-22

オッサンかぶるカッコイ帽子ヘルメットがない

…ガキっぽいアポロキャップベースボールキャップゴルファーキャップオラオラ系の平べったい柔らかいのかマフィア幹部ソフト帽か植木屋オフの日みたいなハンチングか、やたらカネだけかけて右側でも平気で走ってくるロードバイク馬鹿の網目チョコみたいなヘルメットか、そんなのしかないんだよォ!!(泣)

2023-01-19

旗振り当番。

 今朝は旗振り当番だった。七時五分に家を出た。たぶん、その五分後には旗振りポイントに着いていたと思う。

 本来は七時二十分から四十分までが当番の時間なのだが、以前は七時に到着しても最初に通過する子供たちは既に通過した後というのが常だったので、決まりよりも早くからつのが習慣になってしまった。ここ二年ばかりは、年度初めの保護者会で、役員の人たちが「子供たちを旗振り当番の時間よりも早くに登校させる事がないように」と強い口調で保護者たちに言い聞かせている。その甲斐あってか、子供たちが先を争うようにして七時頃に旗振りポイントを駆け抜けて行くという姿は、あまり見られなくなった。

 子供たちが来るまで十分くらい、押しボタン信号の下で立って待つ。その間、鳥を見て過ごすのが好きだ。今日はほんの数羽しか見かけなかった。電線に留まったキジバトスズメカラスは声は聞けども姿は見えず。そして、あまり羽を広げて羽ばたかず、水面すれすれを跳ねるトビウオの様な動きで飛んでいった鳥。

 子供たちはまだかと、視線住宅街の中に向けたところ、どこからキジバトの特徴的な鳴き声が聴こえた。どこからか、というか、顔を上げればすぐそこの電線キジバトがまだ居るのだが、それと鳴き声とがすぐに結びつかなかった。鳴き声が家々の壁に反響しているのか、どの方向から聴こえて来るのか判らなかったのだ。電線キジバトを目を凝らして見れば、その胸の辺りが鳴き声に合わせて膨らんだり縮んだりを繰り返しているのだが、鳴き声がそこから聴こえて来るようにはどうしても感じられない。ほんの数年前までは、鳥のさえずりを聴けばどこで鳴いているのか大体見当をつける事が出来たのだが、今はそれが出来ないのだ。これも老い兆候なのだろうか。声は聴けども姿は見えずのカラスも、意外と見える所にいたのかもしれない。

 子供たちは予定通りに七時二十分頃に現れた。いつもどおり、四人ほどのグループを作って、こちらが挨拶をすればちゃんと応え、悪ふざけもせずに横断歩道を渡っていった。最近、この地区転入してきたばかりの家の子と思われる、中学年の女子が混ざっていた。どうやら親のどちらかが白人であるらしく、日本人離れした顔立ちをしている。この子には背の高くて顔立ちのよく似た兄がいるのだが、兄の方は姿が見えなかった。前回の当番の時は、その男の子けが早くに旗振りポイントを通過していったので、今日も私が旗振りに来る前に通過したのかもしれない。

 三十分になる前に、地区の子供たちは皆通過していったので、十分早いが帰る事にした。私の家は地区の外れにあり、地区の外側を取り囲む大通りを通って帰る方が早いのだが、旗を次の家に回さなければならないので、地区の内側の道を歩いて帰る事にした。実は今日本来はうちが旗振りの当番なのではなくて、うちの次の家と日を交換したのだ。本来はうちの次に当番の回る家はうちの斜向いの家なのだが、今日は次の次の家に回さなければならないということ。その家は地区の内側のちょっと入り組んだ場所にある。

 自分の住んでいる地区なのに、地区内を散歩でもするように歩くのは、かなり久しぶりだ。下の子供が小学校に上がったために、頻繁に散歩に連れ出す事がなくなった。一人でぶらぶらと歩いていると不審者かと思われて警戒されてしまう。ここは田舎だが、都会と同じかもしかするとそれ以上に近所の人達との交流希薄だ。昔、東京新宿の外れに住んでいた事があるが、その時の方が同じマンションに住む人達と顔を合わせれば挨拶ぐらいはしていた。今は、すぐ隣に住んでいる人達ともあまり挨拶を交わす機会がない。道やゴミ集積所で行き会ったとして、こちから挨拶をしない限りはお互いに無視して通り過ぎる事が多い。

 朝八時前だが、既に住宅街はひとけが乏しくしんと静まり返っている。人の気配がないとスズメも寄り付かなくなるので、たまにカラスや季節の鳥が鳴く以外は、本当に静かなのだ。歩きながら家々の外観や植えられた草花を見て歩くのが好きなのだが、この地方出身であるうちの配偶者は、そうやって人の家をジロジロ見るのは恥ずかしいし喧嘩売ってると思われるからやめてくれと言う。

 今はパンジービオラしか見られる花がない。山茶花や椿も季節の様な気がするが、さっぱり見かけない。かつては美容院だったらしい民家の軒先には、以前はよく何かしらの花の植わったプランターが置かれていたが、今はなかった。その先の家はここ数年に建てられた新しい家で、郵便ポストの下にレトロな薬缶が置いてあり、その口からパンジーの花が今にも溢れ落ちそうな格好で顔を出していた。そのまた先の家も比較的新しい家なのだが、敷地道路よりも高く、玄関口が階段数段分のところにある。そして最近の家だったら駐車場に使いそうな空間木造屋根を建ててある。屋根てっぺんが家の一階の天井の高さくらいのところにある。そして屋根の下には盆栽がいくつも並んでいた。盆栽棚だけの為に建てられた四阿だったのだ。見上げないと盆栽棚があると分からないので、ずっと気づかなかった。盆栽は、よく手入れのされた松や真柏のようだった。

 この辺は、まだ昔ながらに大谷石ブロックで出来た高い塀をめぐらした家が多い。そういう家にはいわゆるシンボルツリーではなく、豪農の家の庭のように見栄えのいい庭木が植えてあるのが見える。本職の植木屋によって剪定が施されたものだ。最近まで、本職の植木屋仕事というものに興味がなかったのだが、気をつけて見てみるとプロの技は本当に凄いんだなと思い知らされる。太さのある枝毎に丸い形に剪定されている木があるが、それらの丸の内側には葉があまりない。何故かというと、木の葉というのは日に当たる所しか機能しないからだ。それでも、夏場の木は内側だろうが外側だろうが所構わずに枝葉を生やす。そのまま手入れをしなかった場合は枝がごちゃごちゃに混み合ってしまう。植木屋は、内側を向いていてどうせ育たない運命の枝を優先的に切り落とす。だから手入れの行き届いた木の場合、樹形の外側にだけ枝葉があって、内側は綺麗に空いているのだ。そしてどの葉にも適度に日が当たるようになっている。

 ブロック塀だけでなく、生け垣敷地を囲う家も結構ある。生け垣プロ剪定したものと、家の主が自前で剪定したものは違う。プロ剪定した生け垣は、横から見ると緩やかな形のAの字になるよう剪定されているのだ。それは、頂部を強く剪定すると樹高が高くなりにくいという樹木性質を利用した、樹形管理方法だ。また、下の方の枝につく葉にも日が当たるようにするためという理由もある。一本の樹木は、葉で合成された養分によって主幹を養っている。ところが、その枝はといえば、他の枝で作られた養分を回してもらって生きるということが出来ない。枝は自らが生やした葉で作った養分で食べて行かなければならないのだ。という事は、日の当たらない場所に生えた枝は、樹全体がどんなに繁茂していても生きられない運命なのだ。自らの葉から養分を得られないためである。つまり生け垣のように上から下まで葉を繁茂させないと格好のつかない樹は、下の方の枝を長く、上部の枝を短く剪定して全ての葉に日光を当てるよう剪定すべきなのだ。それで、緩やかなAの字の様な形にするという訳だ。

 旗を次の当番の家のポストの下に置き、家に帰った。

 洗濯物を干す前に、昨日買ってきたばかりの紅目木のミニ盆栽剪定し、育苗ポットから駄温鉢に植え替えた。まだ植え替えの時期ではないが、週末には寒波が来るというので、水はけの良い土に替えて、厚みがあって保温性のある鉢に入れたかったのだ。

 道具を片付けて水をやり、しばらく紅目木を眺めてボーッとしていた。ぼんやりしているのは、何かに夢中になっているときよりも案外脳みそがせわしなく働いていて良くないらしいのだが、スマホを見て過ごすよりはまだマシな様な気がする。

2022-01-23

anond:20220121043926

そうなんですね!見学は昼でしたか

夜に、駅から歩いて行ってみて、人通りの様子を見る。(どっちの物件も)

地形的に地盤が脆くないか見る。

くらいかなぁ。あとは、うちもマンションだけど3階角地で、目の前が植栽で大きな木が植わってて、

から見えなくていいなぁって思って、休みの日にのんびり寝てたら、音がするので

はっと窓をみたら、植木屋さんがめっちゃ伐採にいらしてて、職人さんに丸見えだったという恥ずかしい経験があります

窓には、オーニング外に一応つけたほうがいいかも。

立地が、小高いところなら良さそうですね!

マンションなら口コミがあるよ。一軒家じゃわかんないけど、近くのマンション口コミで周辺の様子がわかるかも。

https://www.mansion-note.com/

2021-11-24

anond:20211124194710

今日野良ネコちゃんたちが喧嘩をしてなかった(結構激しいので)

近所に植木屋さんが来てたので猫ちゃんたちよそに行ってたのかも。

なんか魔法みたいにお庭が整う時期だなぁって思いました。

推しクリスマスイルミ企画があるみたいで、Twitter動画上げてる人がいてみてほっこりしたよ。

曲もイルミも綺麗だったから、あーそんな時期だねって思いました。

2021-08-30

anond:20210829144735

植木屋だけど、午前中と15時にデフォルトお茶お菓子は出てくるな

(大体でっかい家に住んでる人はお菓子を余らせがち)

甘いもん苦手だからお菓子は持ち帰ることが多いけど


庭付き住んでる人は代々住んでたりして習慣(風習?)世襲してけるけど、それ以外の人がどこで学んでるのかは謎。

特に引っ越しとか。昔の人は鞄一つで田舎から出てきたりしてたから。

旅館チップとか、そういうのの派生で思いつく人がおるのと、どこかで見聞きしたのとこうやって親から子へと伝わったり伝わらなかったりしてるんだろうな

2021-06-17

anond:20210617202033

草むしりは朝のごみ出しの時にこっそりやってるな...

5分あれば対処できる広さしかいからな。

植木屋を定期的にいれる金がないなら悪いことは言わないから広い庭がある家に住むなみたいなのをどこかで見かけたのを思い出した。

2020-12-26

中野さら無駄に停まる

中野駅は、千葉から三鷹市を結ぶ総武線や、山梨大月まで伸びている中央本線の中継点になっている。ふだん通勤新宿駅阿佐ヶ谷駅あいだ(つまり総武線のほんの一部区間)を毎日行ったり来たりしているだけの私には、中野は少しイラッとさせられる駅だ。停車時間がいつも長いからだ。中野駅電車がいったん着くと、ドアを開けたまま、再び走り出す気配すらない。思い出したように電車が再び走り出すまでの間、乗客列車の中で押し黙っている。

乗客の忍耐を承認と受け取ったのか、国鉄中野駅での停車時間を少しずつ延長しはじめたみたいだった。

2分間停車とアナウンスはいっているのに、それより長く感じる。たぶん自分が焦っているだけだろうと思い、最初の頃は気に留めなかった。数日後、やっぱり長いなと思って時計で計ると、5分を越えていた。それから日ごとに中野での停車時間は長くなっていき、20分を越えた頃にはさすがに乗客ほとんどが異変気づきはじめた。停車時間が2時間を越えた頃にはもう国鉄は隠すこともしなくなった。これから2時間停車する旨アナウンス流れると、乗客は全員降りていった。

中野毎日2時間電車を待つのはそれなりに大変だったが、しだいに慣れた。電車待ちの客をあてにした商売中野駅の周辺で増えて、時間を潰す場所には困らなかったからだ。駅前広場パブリックハンギングで人が首にロープをつけたまま落下するのを眺めたり、うずら園へ行ってお茶を飲んだり卵を拾ったりしていると、それなりにしのげた。

停車時間が2日間になったときには、もっと腰を据えて時間を潰さなくてはいけなくなった。それだけ時間があるなら歩いて阿佐ヶ谷へ帰ろうかとも思ったが、検問が行われていて中野から西へは自由に行けなかった。これほど長く乗客中野に留め置くことは疫病対策になにか関係があるらしかったが、詳しいことはわからなかった。

なんにせよ2日間は長い。食料を仕入れて寝る場所を探そうと思い、とりあえずブロードエイに行った。その名のとおりブロードエイはとても広く、20〜30mくらい幅がありそうな道路の両端にはかすかに黄色い葉を残す銀杏が並び、樹の下には雑多な屋台が出ていた。植木屋金物屋肉屋魚屋おでん、綿あめ、射的、大人のおもちゃ根付オーディオ用品、型抜き、スマートボール骨董品、ありとあらゆるものがあった。

道路脇にプロパンガスボンベを持ち込んでソーセージを焼いていたので、2本買った。真冬でも麦わら帽子かぶったおばさんが、ちぎった生のキャベツ、青い唐辛子と一緒に小さなビニール袋へ入れてくれた。この辺でどこか安く泊まれるところはありませんかとついでに訊くと、最近電車待ちの人向けにキャンプ場ができたよと教えてくれた。

キャンプ場はうずら園の裏手にあった。入口で受付を済ませると、カーキ色のテントと寝袋を借りた。米も売っていたので買った。調理場にたくさん積んである飯盒を借りて米を炊いているうちに日が暮れた。

暗くなると一気に寒くなった。このまま寝られるかどうかもわからないほど寒かったので、斜め向かいテント前でやっている焚き火にあたらせてもらった。そこにいたのは自分と同じくらいか少し上の年頃の男性で、柔らかい物言いのわりに目の奥の光が鋭かった。焚き火の上で沸かしていたお湯で焼酎を割って飲ませてくれたので、自分ポケットに入っていた南部せんべいを渡した。

これから毎回、西に向かおうとする度に足止めを食らわせるつもりなんですかね、国も呑気なもんですね、などと話し合っているうちに私たちは打ち解けた。国分寺に住むミヤシタさんというそ男性カメラマンで、戦場というよりは紛争地帯取材を専門にしているらしく、数年前、パキスタンからアフガニスタンへ入った時の話をしていた。自動小銃を持ち、黒い布で顔を覆ったタリバン兵士が乗るピックアップトラックについて村を、学校を周って子どもたちを撮影したこと。片目のない子、腿から膝にかけて爆撃の痕で肉がえぐれたままの子が珍しがって寄ってきたこと、阿片栽培関連の場所は一切撮影を許されなかったこと。暗闇の中で炎を眺めながらそんな話を聞いていると、自分東京にいることを一瞬忘れた。

テントに戻って眠りについたものの、寒さで目が覚めた。寝袋が冬用なのかどうかわからない。奥歯がガチガチ鳴るのを自分では抑えることができなかった。このまま横になっているのに限界を感じて外に出ると、空がかすかに明るくなり始めていた。バラックトタン屋根が、木が、電柱が、金色紫色の混じった光から現れてきた。今日一日をどうするかはまだ決まっていなかった。

2020-10-16

anond:20201016165443

2018-12-17

欧米天国スイス天国


ググればわかること

1. スイス賃金は高いが高額な保育費を誰もが払えるわけではありません。スイスは素敵な国、ただし口をあけていれば何でも与えてくれる天国ではなさそう


2. そもそもスイス学生の多くが大学に 進 め ま せ ん (3割とも2割とも)。卒 業 も 出 来 る と は 限 り ま せ ん


3. 新卒枠はありません。 新卒者は経験者と同じ土俵で空きポストを掛けて戦います基本的には未経験者は雇わない、即戦力を求めているので、学業の合間をぬってインターンに行きます


4. 大学進学せず就職に進んだ人たちはみな高額な報酬を貰うでしょうか?いいえ、3200〜5000 CHFの方々もいます。高額な保育費は当然支払えません


5. すべての労働者は満足しており暴動抗議活動はないのでしょうか?いいえ普通にあります(注:抗議活動否定や左過激派一般化は意図してません)


▼例
https://20min.ch/schweiz/zuerich/story/anti-blocher-demo-am-bahnhof-uster-25931499


6. スイスで進学ではなく就職(一点特化、専門)に進んだすべての人たちは潰しが効いて安泰でしょうか?少なくともスイス一人当たり名目GDPは現時点では極めて高いです。であればリッチスイス労働者外国人に対して寛容でしょうか?
いいえ、日本と同レベルコメントのやりとりをしてるっぽいです

 

ある人は、外国人の方が自分より良い待遇にある」と言い、

ある人は、移民のせいで無駄社会保障費が上がる!政府腑抜け!」と言い、

ある人は、移民政策には反対だけど外国人差別主義者ではない」と言い、

ある人は、我が国外国人差別的で恥ずべき」と言い、

ある人は、差別主義であるソースなし」と言い、

ある人は、「サイフと安い労働力提供してくれるのが良い外国人と言い、

ある人は、外国人差別的だったら移民が来るわけないだろ。極右極左も黙れよ」と言ったりとか、

 

スイスでもネット民レベルは変わらなそうです

▼例
https://srf.ch/news/schweiz/zusammenleben-in-der-schweiz-jeder-dritte-schweizer-empfindet-auslaender-als-stoerend

 

 

収入子育て費用など

保育・・・週に3日間のケアのみで、月に2,000 CHF(23万4千円くらい)
子ども2人に掛かる費用:361,920 CHF(4050万くらい)

 ※上級ジョブじゃないと生活苦しそうだよ?

パイロット13750
教師7292
石工5792
肉屋5084
スチュワーデス4209
税務マネージャー11667
建築家6250
大工5150
屋根職人5300
警察官6850
郵便労働者5550
書店6750
弁護士9300
植木屋4400
銀行窓口6750
投資顧問9150
パン屋5209
美容院4375
保育士5709
調理師6250
看護師5667
運転手4300
工場労働者3600
自動車整備士5792
コールセンター3750
ITプロセスマネージャー9561
ITサポーター9344
ITシステムスペシャリスト9750
デザイナー7583


2020-09-25

anond:20200925121147

ほーサンクス、

なるほど、植木屋樹木の根周辺を養生して植え替えるようなものかな?

じゃあ定着する、というか医学的に毛は生きてて伸びてくるわけなんだ~

2020-03-09

子と植木屋さん

庭が広いので、年に何度か一週間ほど植木屋が来る。

子は植木屋のおじさんが好きで、来る日は前の晩からクワク、朝は早起きして手伝にいっている。

日中お喋りをして一緒に過ごしているそうだ。

両親も祖母も、その様子をほほ笑ましく思っているようだが、父親がいないか父性を感じさせる話し相手を求めているのではないかと思うと子に申し訳なくて悲しい。

2020-02-19

[]スイスのご様子

2018-12-17

欧米天国スイス天国


ググればわかること

1. スイス賃金は高いが高額な保育費を誰もが払えるわけではありません。スイスは素敵な国、ただし口をあけていれば何でも与えてくれる天国ではなさそう


2. そもそもスイス学生の多くが大学に 進 め ま せ ん (3割とも2割とも)。卒 業 も 出 来 る と は 限 り ま せ ん


3. 新卒枠はありません。 新卒者は経験者と同じ土俵で空きポストを掛けて戦います基本的には未経験者は雇わない、即戦力を求めているので、学業の合間をぬってインターンに行きます


4. 大学進学せず就職に進んだ人たちはみな高額な報酬を貰うでしょうか?いいえ、3200〜5000 CHFの方々もいます。高額な保育費は当然支払えません


5. すべての労働者は満足しており暴動抗議活動はないのでしょうか?いいえ普通にあります(注:抗議活動否定や左過激派一般化は意図してません)


▼例
https://20min.ch/schweiz/zuerich/story/anti-blocher-demo-am-bahnhof-uster-25931499


6. スイスで進学ではなく就職(一点特化、専門)に進んだすべての人たちは潰しが効いて安泰でしょうか?少なくともスイス一人当たり名目GDPは現時点では極めて高いです。であればリッチスイス労働者外国人に対して寛容でしょうか?
いいえ、日本と同レベルコメントのやりとりをしてるっぽいです

 

ある人は、外国人の方が自分より良い待遇にある」と言い、

ある人は、移民のせいで無駄社会保障費が上がる!政府腑抜け!」と言い、

ある人は、移民政策には反対だけど外国人差別主義者ではない」と言い、

ある人は、我が国外国人差別的で恥ずべき」と言い、

ある人は、差別主義であるソースなし」と言い、

ある人は、「サイフと安い労働力提供してくれるのが良い外国人と言い、

ある人は、外国人差別的だったら移民が来るわけないだろ。極右極左も黙れよ」と言ったりとか、

 

スイスでもネット民レベルは変わらなそうです

▼例
https://srf.ch/news/schweiz/zusammenleben-in-der-schweiz-jeder-dritte-schweizer-empfindet-auslaender-als-stoerend

 

 

収入子育て費用など

保育・・・週に3日間のケアのみで、月に2,000 CHF(23万4千円くらい)
子ども2人に掛かる費用:361,920 CHF(4050万くらい)

 ※上級ジョブじゃないと生活苦しそうだよ?

パイロット13750
教師7292
石工5792
肉屋5084
スチュワーデス4209
税務マネージャー11667
建築家6250
大工5150
屋根職人5300
警察官6850
郵便労働者5550
書店6750
弁護士9300
植木屋4400
銀行窓口6750
投資顧問9150
パン屋5209
美容院4375
保育士5709
調理師6250
看護師5667
運転手4300
工場労働者3600
自動車整備士5792
コールセンター3750
ITプロセスマネージャー9561
ITサポーター9344
ITシステムスペシャリスト9750
デザイナー7583


北欧ムカつく

anond:20200218191355

anond:20200219030120

ありがとうと ふざけんなばかやろうも

おなじいみ

なにかいわれてきたんだな

おまえがのぞむなら

なにもいわないでやる

のぞむなら

なにかいってやる

てめーのために

てめーによる てめーのための てめーのにわき すべての植木屋

anond:20200219023854

ディズニーみたいな

ド派手な植木が好きな

はでずきの盆栽が好きな植木

他人植木でもまかされたら勝手にド派手

派手好きの植木

anond:20200219023630

でしゃばりで

めだちたがりやの

植木屋

あいしょうがわるい

ディズニーみたいな派手好きな植木屋

はでなものがすき

2019-05-11

まれ変わった自担はもう好きな自担じゃなくなってた

所謂担降りブログです。

私は関ジャニ∞デビューから安田章大さん担当でした。

15年間ずっと好きで、好きで好きでたまらなくて。彼のいない人生なんて考えられませんでした。

彼の考え方をすごく尊敬していて、世界安田くんだったら平和なのにとかいつも思っていました。

世間に多く知られていなくても世界で一番歌が上手なのは世界で一番ギターが上手なのは世界で一番ダンスが上手なのは世界で一番演技が上手なのは安田くんって思っていました。それくらいに彼の表現するものが大好きでした。

アイドルグループの、可愛い男の子代表のように可愛くて、いろんな髪型や髪色にして楽しませてくれて(もちろん好きじゃない髪型の時もあったけど)、顔が凄い整って綺麗で、動物が好きで、優しくて…

メンバー下ネタ話しててもただ笑うだけで、自分からあんまりさなくて、ほんの時々爆弾を落とすの。話さないことを絵や曲で表現して出してくれるの。

コンサート中も、そんなに個人的ファンサはしなくて、その距離感が好きだった。コンサート中ずっと広く見てファンがいる場所確認してくれて、アンコールで出来るだけ全部に手振ったりウインクしてくれたらピースしてくれたりするの。

沢山幸せをくれるから安田くんにも幸せになって欲しいってずっと思ってて、だから結婚とか正直してもいいって思ってるから私が思ってるのは別にそこじゃない。

子供産んでいいパパになって欲しいよ。安田くんの遺伝子残してほしいもん。結婚相手一般人がいいけど。

本当に彼の全てが好きだった。

アイドルの彼が好きだった。

僕はアイドルって言ってくれてた彼が好きだった。

100%の、可愛いとかっこいいをくれる彼が。

そんな、大好きな安田くんが2018/4/9に倒れた。

毎日更新されていた個人連載がパタリと更新されなくなった。なんの音もなく。

どこか不安で、何かあったのかななんて。

でも、仕事が忙しいのかも知れないし。寂しいけど、連載が始まる前の日常はこうだったか幸せだったんだななんて。

4/15メンバーが抜ける発表があって、会見に安田くんの姿はなくて、怪我をしてドクターストップがかかったって。あの時、安田担辛かったね。今思い出しても涙が出てくる。

7/2動画安田くんが2017年2月脳腫瘍摘出手術をした事を教えてくれた。怪我状態も。

安田くんを応援できてる今は奇跡なんだなって思って、安田くんが生きてくれてる事に感謝をした。

コンサートでは笑顔を見せてくれたけど動けない彼を見て現実を知って、少しずつ動く幅が大きくなっていく事に嬉しく思った。

DVDメイキングには凄くつらそうな彼の姿があって、彼の本音も残されてた。

7人最後の日になるまで安田くんはテレビにも出られなかったから凄く寂しくてでも仕方ないっていう、辛い状況だったかコンサートで会えたのは凄く嬉しかったけどこんなに辛い思いをさせてしまっていたのかなって気持ちになった。

でも凄くカッコよくて、これから6人で進んでいく関ジャニ∞を見続けたいって思った。

東京公演のことだった。4日間毎日安田くんのツーブロックが上に上がっていった。

頭頂部に残された髪をリーゼントみたいにするようになった。

手術痕が見えるようになっていて、安田くんはそれを見せたいからその髪型だって言った。

意思を持ってするその髪型は好きな髪型ではないけど、かっこよかった。

安田くんの髪型が変動するのは日常で、それで担降りするなんて考えられなかったし、降りる人を見ては不思議で仕方なかったしそんな人達を少し軽蔑していた。

そんな安田くんが、ピアスを沢山開け始めた。

痛いのが嫌で一気に5個開けちゃった〜なんていう安田くんに可愛いんだかなんなんだか…って。でも愛おしかった。

ピアスを何十個も開けたり、舌や口や鼻に開ける人は正直苦手だったけど、耳に開けるだけならまぁ、安田くんなら良いかななんて思ってた。

本当はもっと色んなところにあけたいと言い始めた。

ピアスだけじゃなくて、ヒゲもどんどん伸ばし始めた。

しばらく仕事ないのかななんて思ってたら舞台が決まった。演技の仕事始まるまでの遊びの期間なんだなーなんて思ってた。

舞台が始まってもビジュアルは変わらなかった。

若い植木屋の役だったから、役に影響は無くて、安田くんが演じるアキラは凄く愛らしくて男らしかった。髪型ヒゲピアスも少し好きになった。

舞台が終わって、安田くんがピアスの穴をさらにどんどん広げていった。拡張ピアス

からどんなに優しい人も仲良い人でも、拡張ピアスだけは苦手で見られなかった。

好きな人が、どうしても苦手なものをしていくのが受け入れられない。

穴はどんどん広がっていって、その度に心が苦しくなった。

雑誌に載った安田くんを見た。凄く素敵な写真で、大好きな表情で、大好きだって思ったし思えた自分安心した。降りなくて大丈夫だって

でも次の瞬間、左耳の広がった穴から向こうの壁が見えた。

全身に鳥肌が立って嫌悪感を抱いた。

好きな人の、大好きな顔を見るのが辛くなった。そんな自分がいる事に凄くショックを受けた。辛いことが辛い。

今の髪型は8ヶ月も続いていて変わる気配はないし、耳の広がりも終わりが見えない。

凄く固い意志で、強い意志で今の容姿になっている事はすごくわかる。

彼は 自分を抑えて生き続けるよりも表現するものを発信したいと言った。判断は全て受け手に委ねると。

自分が好きだったアイドル安田章大否定された気がしたし、それは彼を抑えさせていたということに凄くショックを受けた。

死に直面した彼は今の彼がしたい事をすべきだと思う。

でもこれまでも貴方のしたい事を私達は受け入れていたつもりだったけど

そうではなかったんだなって。

私は彼が望む、受け入れられる、響けるファンでいられないんだなと実感しました。

目に見える形でいいファンと降りれば良いと思われていそうなファン区別されたような気がして。

健康でいてくれてアイドルという仕事を続けて関ジャニ∞でいてくれるだけで幸せな事だってわかってます

でも、ずっと偶像の、憧れの、夢の、存在であって欲しかったなんて思ってしまう。

人間だってわかってるけど。

好きなのに好きじゃなくて、好きでいたいのにどこか冷めた目で客観視してる自分がもどかしくて悲しくて。

担降りに踏み込めなかったのは、もしピアスをやめたらまた好きになるってわかってるから

どこかでまた戻るんじゃないかって期待してる自分がいる。でも、多分きっとずっと、そう簡単には変わらないっていう確信がどこかにあって。

こんな気持ちファンをするなんて失礼だなって思ってしまうし。

それに、万が一出戻りをしたら、それは今まで自分軽蔑していた人達と同じ事で、自分がそれと同じ対象になって批判されるのは嫌だって思ってしまう。

だって平気な人はずっと好きなんだもん。私よりずっとすごいから、出戻りが批判されて当たり前だって思う。

今までの人達もこんな風に苦しんで降りる事を決断したのかな。

安田くん、15年間ありがとうございました。

貴方の全てが大好きだった。尊敬してた。

貴方のような優しい人になりたいと思い続けて生きてきました。

貴方は私の人生です。

貴方のいない人生が始まるけど、そんなの想像全然つかない。

凄く凄く楽しかったよ。

貴方表現する世界に追いつけなくてごめんなさい。

死に直面して生まれ変わった貴方はもう私の好きな貴方ではないけど、

安田くんが好きな事を好きなだけして長生きできたらいいな。

安田くんを好きになれてよかったです。

生きてくれてありがとう

2019-03-26

anond:20190326213756

江戸から続く有名な植木屋の一人娘が跡取りになってミニ盆栽とかやり始めてからから

たぶん10年以上前からじゃないか

うちの実家に苔屋が苔買いにくるぐらいには人口増えてるらしいぞ

2019-02-06

音楽劇マニアック」は男のオナニーだと思った

エログロナンセンスだとわかって見に行っても、女として生理的に無理だったところがあった。


父親に向けてオナニーショー

「いい子じゃないとわからせたくて、父が仕掛けた監視カメラに向かって股を開いた」

父親性的な目で見られる・自分性的存在として父親アピールする。無理。父親と性を隔離しようという本能に反する。

自分監視する父親へのあてつけとして、男を連れ込んでセックスして見せつけるなら理解できる。その場合性的対象父親ではなく相手の男だから


・『性的に眼差されない』という罵倒

自分達は植木屋の味方であると示すため、看護師達が師長を罵倒するシーン。

「厳しく叱られた」「患者に殺された同僚看護師を無下に扱った」というような仕事上の不満ではなく「どうせ処女」「ヤリマンの方がマシ」「院長はミニスカナースとヤリまくってる(=意中の男に性的対象とされていない)」という女性としての尊厳を傷つけるような罵り方を、同じ女性がしていたことが辛かった。


・『女の性欲』の否定

一目惚れして追いかけ回していたメイが欲情し「子作りしよう」と言うと途端に逃げ出すアキラ

結局男は、女が性欲を表に出すと引くんだよね。振りむいてくれたヤッター!って2人で男根神輿に乗って歌うラストだったらよかったのに。


倫理的にどうかと思うような台詞もあったが、この3点はあまり気持ちの悪さに耐えられなかった。

脚本演出青木豪は男性であり、どうしても理解できない・埋められない男女の感覚差はあるだろう。

台本に書いてあればどんな台詞でも言わざるをえない役者は大変だと思った。



男女関係なく、アキラがメイの話を全く聞いていない事も引っかかった。


口説いていい感じになるシーンで突然「部屋に篭るからダメになる、毎日外に出て太陽を浴びるべき」と語るアキラ

メイ、そんな話してた!?メイは医学部を出た後大学病院研修医をしていたようなので、別に引き篭もりではない。何の話だ。


高嶺の花をゲットするために、何かきっかけがほしい。吊り橋効果。それはわかる。

しかし、自分に都合のいい障害として父(院長)を設定しひたすら攻撃するだけで、メイの事情や心情は全く聞こうともしない。

最初から最後まで、アキラ相手を全く尊重しない勝手な男としか思えなかった。だから元嫁も逃げたんだろうな。



って言うかジャックローズが恋に落ちたのはタイタニックが沈み始める前だっつーの。

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