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はてなキーワード: 能楽とは

2026-05-10

anond:20260510125327

序破急(じょはきゅう)は、物事の展開や構成リズムを表す日本の伝統的な考え方です。

もともとは能楽などの芸能で使われましたが、今では音楽演劇文章スポーツプレゼンなど幅広く使われます

意味は次の3段階です。

1. 序(じょ)

ゆっくり始まる導入部分

2. 破(は)

展開が生まれ、変化や盛り上がりが出る部分

3. 急(きゅう)

一気にクライマックスへ向かい、素早く締めくくる部分

例えば映画なら、

序:登場人物や状況説明

破:事件対立が起こる

急:解決・結末

という流れです。

日本文化では「最初は静かに入り、中盤で展開し、最後は勢いよく締める」という美意識としてよく使われています

2026-04-23

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

2026-04-10

anond:20260407174318

しろ歌舞伎能楽などの伝統を断ち切って

中国京劇とか韓国朝鮮の何かに寄せてるのが不自然だと思う。

在日朝鮮人李相日が「国宝」を手掛けるのも、藤原氏朝鮮人で

差別主義者の家康がそれを崇拝していたせいかも知れない。

松下幸之助水戸藩水戸三木啓次郎が支援たか

水戸黄門ってドラマが出来たと言われているけれど

松下政経塾稲盛財団CSISとの結びつきは対米従属の牙城

https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12090900472.html

https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12771830824.html

みたいな話もある。

能楽には、朝鮮人の藤原氏日本破壊する以前の話が出てくる。

歌舞伎には出てこない。むしろ江戸時代より前の歴史を捨てて

江戸幕府朝鮮人を輸入して新しく「伝統」を捏造していく

過程能楽背乗りする形で「つくられた」もの

天つ神朝鮮人ではないので。現代日本人」の40%を占める

A型天つ神血筋朝鮮人はB型が濃い。正反対

武士も多くは藤原氏や、百済人の桓武天皇の血を引いてるので

時代劇」では朝鮮顔がゴリ押しされている。

在日朝鮮人が多く採用されている。

けれど、本来天つ神国つ神温暖湿潤気候亜熱帯で育ってるので

寒冷適応する必要がなく、韓流細目では無かった。

もちろん、昔の西郷輝彦さんとか由美かおるさんのように

韓流細目ではない人がかつて存在した事で人気が出たというのはある。

けれど、現在ではテレビしろYouTubeCMしろ朝鮮人ばかりで

パッチリ二重まぶただと排除される。何の罪にも問えない国分太一排除され

強姦魔のパク・キョンベは優遇されている。

CM制作会社電通」の正体

https://w.atwiki.jp/kolia/pages/313.html

検索したら上位に出るからリンクしてみたけど、この手のサイト

保守政党反日敵対してるかのような大嘘宣伝してもいる。

実際は保守政党反日カルトの統一教会と一体で

日韓海底トンネルとかパチンコなどを推進している。

YouTuberは、ほぼ例外なく朝鮮顔であり、右翼チャンネルもそういうもの

自民党孫正義を敵視などはしておらず、むしろLINEヤフーなどに

平気で日本人の個人情報を与えている。この事実

ありのままに見ていたら、保守政党当選させるなどありえない。

したがってまともな日本人なら右翼になるはずもない。

500年そこらの韓流捏造された「伝統」は「日本伝統」とは違う。

あくま朝鮮人を優遇する外患誘致勢力による韓流の偽伝統しかない。

2025-03-30

chatgptすごいね

転生したら世阿弥になっていた件とタイトル投げてバトル漫画指定したら、秒でそれなりに実用的に使えそうなストーリーを考えた。

タイトル: 転生したら世阿弥になっていた件 〜能楽剣舞の極意〜

あらすじ

現代日本で平凡な舞台演出家だった主人公が、事故に巻き込まれ目覚めると室町時代少年世阿弥になっていた。父・観阿弥とともに能を大成させるはずの運命だったが、異世界転生の特典として「能楽剣舞」という未知の技術を得る。足利将軍家戦国武将たちが支配する動乱の時代、剣を執る運命へと導かれていく——。

キャラクター

世阿弥主人公):

前世は平凡な舞台演出家

転生特典として「能楽剣舞(のうがくけんぶ)」という戦闘技術を持つ。

舞いながら剣を振るい、敵を惑わす戦闘スタイル

観阿弥(父):

能楽の基礎を築いた偉大な芸術家

主人公に舞の奥義を伝授しながらも、戦いには関わらないよう諭す。

足利義満支援者黒幕

将軍として能楽支援するが、主人公剣舞に興味を持ち、戦場での利用を考える。

夜叉(おにやしゃ)

室町幕府暗殺者

世阿弥剣舞に興味を持ち、命を狙いながらも彼の実力を認めていく。

バトルシーンの例

第一幕:観客を魅了する剣舞 能舞台での演目中、突如刺客乱入世阿弥は舞を止めることなく、刀を抜きながら優雅に舞い続ける。

「これは…能なのか、剣術なのか…?」 観客が息を呑む中、敵の斬撃を最小限の動きでかわし、しなやかな体捌きで一撃を浴びせる。剣の軌跡がまるで舞の一部のように美しく、敵は翻弄される。

第二幕:足利義満の試練 義満の命により、世阿弥幕府最強の剣士と対決することに。相手は剛剣を振るう武士だが、世阿弥は能の「静と動」を活かし、見えない間合いかカウンターを決める。

「お前の剣はまるで幽玄世界から現れたかのようだ…!」

しかし、戦の世界に深く関わることは世阿弥にとって破滅への道。能楽を守るため、剣を振るうべきか否か——葛藤が彼を襲う。

キーワード

幽玄剣舞:動きを最小限にし、まるで幽霊のように攻撃をかわしながら一撃を放つ技。

花の一閃:剣の軌跡が花びらのように舞い、敵に死をもたらす一撃必殺技

夢幻転生:能の「夢幻能」から着想を得た技で、敵に幻覚を見せる特殊戦法。

——

能楽 × 剣術 × 歴史 × 異世界転生のバトル漫画いかがでしょうか?

こんな感じで「能楽 × 剣術 × 異世界転生」のバトル漫画を考えてみました!もっと詳細なバトルシーンやキャラクターの設定を詰めていくのも面白そうですね。どう思いますか?

2025-01-07

1月1週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

1/5(日)

職場文化: 大阪京都職場文化の違いや、音楽ラジオ職場環境に与える影響について議論大阪では「オチ」を求められる文化があることが共有された。

吉原話題: 吉原文化現代の状況、鬼滅の刃の影響について言及

感情の共有: 仕事ストレスや進捗への反省感情的に共有。

1/4(土)

食文化ポイント制度: 鴫や鴨の食べ方の議論、肉の準備に関する話題が共有された。中本ポイント制度スカジャン話題も。

娯楽とワイン: ガクトに関する象徴的な議論や娯楽における真実性の必要性が話された。

年賀状正月: 年賀状文化の減少について考察ゴルフを始める宣言や、正月休みの過ごし方について共有。

1/3(金)

青学ラーメン: 箱根駅伝での青学活躍を称賛。ラーメン屋の厳しさについて議論

副業と猫: 副業需要経験談、冬の猫の行動についての話題

寿司抱負: 寿司を楽しみながら新年抱負を共有。花火話題も。

1/2(木)

音楽サブカル: サブカルチャーとハイカルチャーの並列化について議論音楽湿度管理に関する生活知恵を共有。

映画と猫: 映画ルックバック」「オッペンハイマー」への感想。猫の話題で締めくくり。

初詣近鉄特急: 初詣社会的意義や近鉄特急の快適さについての意見交換

1/1(水)

紅白と年越し: 紅白歌合戦や年越しそばに関する話題。B'zのパフォーマンスへの期待。

能楽AI: 能楽音楽話題を中心に、AIアート自由解釈についての意見交換

動物乗り物: カラスの特徴や愛着近鉄特急体験話題

12/31(火)

紅白花火: 高見沢ギター米津玄師パフォーマンスに注目。年越しの花火新年の挨拶が盛り上がる。

マーメイド像とナゲット: 過去旅行感想や冬限定アイス義実家でのエピソードが共有された。

関連記事

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2024-09-14

にんげんのかんがえかたっていっぱいあってたのしいね

1. 古代哲学宗教
2. 中世近代哲学
3. 近代現代哲学思想
4. 科学技術の発展
5. 心理学自己啓発
6. 芸術文化
7. 人類学コミュニティ
8. 倫理学道徳哲学
9. 政治哲学社会思想
10. 科学哲学認識論

2023-07-31

関西文化追記

anond:20230731103637

こういう棚卸し面白いな。関西も乗っかるわ。東京みたいに全部が一点に集中してないかエリア京阪神+αで許してや。

1 演劇

あんま詳しくないけど、なんつっても宝塚やな。大箱は梅田芸術劇場京都劇場オリックス劇場あたりかな。

それから、生き残ってる大衆演劇阪神地域が中心なんちゃうかな。

京都学生が多いから小劇団もいっぱいあるで。増田ヨーロッパ企画サマータイムマシンブルース西部講堂で見たのがちょっとした自慢や。

2 美術建築

建物が古いからな、世界遺産が5件あるで。姫路城法隆寺京都奈良百舌鳥古市古墳や。

建物の中にも美術品がたくさんあるから重文が町のそこらへんに転がっとるで。一見ただのベッドタウンでもいきなり西国三十三所に出くわす楽しみもあったりするしな。

曜変天目基準やと関西は2点あるから関東より多いで。

伝統建築だけやのうて、近代建築京都大阪神戸の中心地に点在してるな。京都南禅寺水路閣大阪中之島日銀神戸旧居留地増田の好みや。

もちろん現代建築も充実しとるで。ガラス張りの京都駅と梅田スカイビル原広司代表作やな。

国立美術館博物館やと、京都奈良博物館大阪の国際美術館、それから万博記念公園民族学博物館や。みんぱくはいいぞ

3 メセナ

さすがにこれは大企業が多い東京の方が有利や。サントリーはなんで東京でがんばってるんやろな?

ローム京セラ竹中工務店神戸製鋼あたりが有名なんかな。

4 伝統芸能

落語上方で成立して現代に至るからな、さすがに譲れんで。人形浄瑠璃もほぼ大阪独自芸能や。歌舞伎南座大阪松竹座で盛んにやっとるで。

能楽明治期に東京に行ったけど、華道茶道はほぼ京都文化ちゃうか?

5 サブカルチャー

関西やとほぼメインカルチャーな気もするけど、このカテゴリーお笑いを外すのはありえんな関西弁が方言の中で唯一全国どこでも意味が通じるのは7割ダウンタウンのおかげやと増田は思っとる。

増田経験から今も盛んか分からんけど、京都にはオシャレ~な本屋やら雑貨屋めっちゃあったで。

6 漫画アニメ

出版社テレビ局東京に集中しとるからこれは東京が強いな。ただ京都には有名なスタジオがあるで。

同人イベントコミケほどやないけどCOMIC CITYが大規模にやっとる。インテックス大阪でやるから通称インテやな。

7 音楽映画

元増田が書いてないけどこれも挙げとくで。箱の話がメインになるけどな。

増田クラシック畑やからいいホールが点在してる印象が強いんや。大阪シンフォニーホールフェスティバルホール西宮兵庫県立芸術文化センター京都京都コンサートホールあたりにはちょくちょくお世話になるで。でも海外オケの公演がなかなか来ないのは事実や。悲しいわ。

ポピュラーやと大阪ホールが一番有名やろ。ライブハウスがたくさんあるはずやけど、よく知ってる人が補完してくれるのを期待しとくわ。

ジャズ神戸かと思ったらなぜか高槻で盛んやな。

映画は(追記:単館が)京阪神合計で東京の半分くらいみたいやね。増田は行ったことないわ。

8 食

関西でこれを書かんと片手落ちや。

京都大阪懐石京都精進料理そばラーメン大阪粉もんスパイスカレー神戸鉄板焼き芦屋洋菓子、みんな最高やな。もちろんパンも充実しとるで。

追記

トラバブコメのおかげでいろんなこと知れたか増田は嬉しいわ!ブログでなく増田に書いてよかった!

トラバでも書いたけど、ゲーム活動範囲関西に収まってないかなって思って外したんや!アリスソフト好きやで!はてなあかんあかんお茶の一杯も出してから出直しや!

スポーツ野球とかラグビーとか考えたけどガンバのしょっぱい成績が頭をよぎって外してしまったわ!

エリア東京と比べるために京阪神+αに絞ったか滋賀和歌山は入れてないし奈良世界遺産しか入れてないんや!すまん!石山寺も黒壁スクエア高野山パンダも大好きや!

猛虎弁みたいな妙な関西弁は書き文字にするとなんかポロッと出てしまうんや!堪忍な!

2023-04-08

anond:20230408225159

発言とか見る限り基礎教養の背景はアニメ漫画ゲームしかなさそう

桜井に限らず1970年代まれ保守愛国標榜している奴で

本当に古事記とか日本書紀とか和歌とか能楽とか神道の基本文献とか

歴史的日本支配階級の基礎教養だった伝統文化を学んでるような奴は皆無

だって平然と中韓儒教国家からダメだとか言うんだぜ

明治天皇が読んでた帝王学教科書貞観政要だったとか

吉田松陰やら西郷隆盛陽明学の影響を受けてたとか本気で知らんだろ

そんで漫画アニメゲーム日本の誇る文化からそれらが好きな自分模範的愛国

とかドヤ顔で語るのも1970年代まれ団塊ジュニアじじい(オタ第2世代特有現象

もっと下の世代はそれらが空気みたいに普通からさらわざわざドヤ顔で誇ったりしねえよ

2023-03-26

ピアノ向けではない曲をピアノで弾く動画とか見てるとバッキングがダセえなって

ボーカルメロディラインで同じ音を連打するのも

大概間抜けだけど

いくら能楽器と言えどやっぱり音には向き不向きがあるな 当たり前だけど

2022-10-27

世界ビジネスエリートが身につける、教養としての「教養としての」

Amazonで「教養としての」で検索、結果

教養としての決済

教養としてのダンテ新曲

教養としての紅茶

教養としての投資

教養としてのワイン

教養としての着物

教養としての日本酒

教養としてのウイスキー

教養としてのゴルフ

教養としてのダンディズム

教養としての茶道

教養としての意識

教養としてのローマ

教養としてのフランス史

教養としての世界史

教養としての西洋美術史

教養としての神道

教養としての仏教

教養としての中国古典

教養としてのラテン語

教養としてのデータサイエンス

教養としてのコンピューターサイエンス

教養としてのAI

教養としての地政学

教養としての地理

教養としてのニーチェ

教養としての落語

教養としてのクラシック音楽

教養としての俳句

教養としてのグローバル経済

教養としてのラーメン

教養としてのビール

教養としての半導体

教養としてのギリシャローマ

教養としてのギリシャ神話

教養としての数学

教養としての心理学

教養としての能楽

教養としての能・狂言

教養としての食べ方

教養としての気象と天気

教養としての太平洋戦争

教養としての日本皇室

教養としての日本

教養としての映像動画

教養としての平成お笑い

教養としてのゲーム

教養としての宇宙生命

教養としてのプロレス

教養としての認知科学

教養としての化学入門

教養としてのアメリカ短篇小説

教養としてのお金アート

好きなのを選ぼう

2022-09-21

anond:20220920114118

アニメにはない漫画の強みは

コマサイズの伸縮性

・ページをめくったら見開きだったときの意外性

・枠線の変形や有無で回想やら夢の中を表現できる記号手法

・擬音なしの無声シーンがもたらす最初から静止画なのに静止してる錯覚

などなど

挙げていけばいくらでもある

まり最初から画が動く映像とはまったく別に進化した表現

能楽浄瑠璃現代舞台劇に優劣をつけるのが無意義なのと同じ

2022-07-20

我々はなぜ統一教会が嫌いなのか

近代合理主義者と化した保守

安倍晋三暗殺事件きっかけに統一教会世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者ひろゆき山本一郎なのは興味深い

一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的1970年代まれ以下の世代は、保守愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。

無論、1970年代まれ以下の世代でも立場はさまざまだ。

東浩紀1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会擁護というより、スターリニズム連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダン思考原理主義的なドグマにしてしまった模様。

一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会利害関係があるらしい。

https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12

http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html

東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。

今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国中国民主党だけでなく、森喜朗代表される体育会系マッチョ価値観自民党重鎮も不人気で、平然と皇室コケにする書き込みだって多数あった。非合理的宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係肯定する主張は評判が悪かった。

かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか

ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国韓国儒教国家からダメだ」と言う人間が少なくない。お笑いである戦前までの日本だって支配階級の基本思想儒教だった。幕末尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代朱子学が普及して、「幕府天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇教育係の元田永孚西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教価値観産物だ。

だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想日本は、最初から西洋価値観近代国家だったらしい。彼らには古代中世日本伝統価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌能楽歌舞伎浄瑠璃より、漫画アニメゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽予算を削減しようとしてたな。

保守愛国を唱えながら近代合理主義何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代から見れば非合理な考え方に従っていた古代中世人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄から天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。

そうなれば、単に力(財力、権力情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵ワタミ大統領になったら本当にイヤだぞ。

共産主義統一教会環境産物

統一教会2015年世界平和統一家庭連合改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。

https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808

まり統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的山上徹也個人の家庭を破壊した。

週刊文春7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年秋葉原通り魔事件や、2019年京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったか説明が抜けている。

リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段継承するために血統の存続が重視され、先祖から連続性が意識されていた。漁村商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。

ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供家族から切り離され、父親母親子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界歴史 第25巻』(中央公論社)270p)

統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想伝統的な家族観破壊した」と主張するが、この解釈因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果からまれ思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統共同体解体して蒸気機関工場労働者を世に広めた資本家がいたのである

逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業全否定して国民農村強制移住させたポル・ポトカンボジアこそが理想かよ?

先進国では工業社会さらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1高度経済成長期に中卒や高卒都市工場商店就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。

こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家従属する義理はないか上京以来ろくに親元に帰らない。長男長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地家業を持ってるのではないのだから仕方ない。

統一教会のような保守派は、家族大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造問題にまったく踏み込めていない。

信者にとってのカルト宗教の魅力とは何か?

困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムカルト団体帰属意識を求める者が増える。

エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀から1930年代昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。

統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者気持ち理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいか狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。

先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルト宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルスティーブ・ジョブスのような英才も、最期近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、合理的ものへの免疫をつけておくこと必要だ。

そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営団体も同じだ。

こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いか社会制度近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。

あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場第三者一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。

これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的洗脳する側に忖度するように”誘導”することであるhttps://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。

その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初カップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間常識だと錯覚したという。

これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。

信者教祖や教団幹部個人命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。

思想だけで世の中は動かない

2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合統一教会的なるもの――家父長制バンザイカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。

実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラパワハラは嫌われ、体罰理不尽校則廃止される方向に進んできた。

ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。

近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホコンビニAIドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働人件費の安い海外アウトソーシングしたり国内視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生世界では、依然として日本相手なら許されないパワハラが横行している。

いか自由平等人権といったリベラルイデオロギー字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスアメリカ奴隷制廃止したが、それはリベラル人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。

統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なもの嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観へのPermalink | 記事への反応(1) | 23:06

2022-07-19

anond:20220718231205

安倍晋三2006-2007年

>当時増えつつあったネトウヨからは、とにかく嫌われていた。

ここ重要、超重要

2007年ごろまで2ちゃんねるネトウヨ嫌韓反中、反民主党ではあったけれど

からといって自民党マンセーではなかった

それが一気に自民党マンセーになったのは2008年麻生内閣以降

しょせん2ch発のネット限定現象とは言え

このイメージ転換に大きく寄与したのが

麻生太郎ローゼンメイデン愛読説

おい笑うな!本当にこれ重要情報操作だったと思う

それまで「自民党の偉い政治家=俺らと別世界年寄り」だったのが

「俺らのの好きな物と同じ物が好きな人間が政治トップに立った」

という幻想から自分自身権威化されたような錯覚が生まれ

保守とか愛国とか言いつつ和歌能楽みたいな日本の伝統文化に興味なかった連中が

胸を張って堂々とアニメゲーム日本の文化みたいな顔をできるようになった

このイメージ操作には世耕が一役買った説があるが本当にうまくやったと思う

しか韓国嫌いのネトウヨいかに多くとも

現在にいたるまで自民党統一教会を縁を切ることができない状態にあるのを考えると

票田としてネトウヨの力は統一教会に遠く及ばなかったんだなあ…

2022-06-06

犬王、見るべき?

能楽結構好き。

犬王は猿楽の話らしく、あらすじ読んで面白そうだと思ったのだけど、肝心の音楽ロック別に和の楽器とか使ってるわけですらないらしいと聴いた。

You Tubeで公開されてる歌パート聴いてみたらちょっと苦手なタイプのやつだった。

歌がうまいって感想散見されるけど特にそういった印象も受けなかった。

歌詞を聞き取れたら…という話もあったが、基本的には歌詞が聴き取れないアンド歌詞に興味ない(音の響きとかは気にしてるけど)。

歌パートが長いということは結構つらそう。

でも感想とか調べてるので気になっているのは間違いない。

どうしたもんかと悩み中。

2021-10-22

anond:20211021124605

移民教育しても能楽百人一首まで理解してくれる可能性はないやろうなぁ

子供ならしつけられるから買うか?

アメリカ人はわりと養子外国から買うみたいやけどな

2021-03-12

anond:20210311215758

これを観客やファンが書いたならまだ理解できるが、あの界隈マジで劇団主宰下北在住十数年の役者が青筋立てながら書いてたりするからな。

こんなこと書いている暇があったら近代能楽集の書き取りでもしてくれと。

2020-08-10

新作能「阿選」を観たとあるアンチ阿選オタク女のお気持ち表明

新作能「阿選」を観たとあるアンチ阿選オタク女のお気持ち表明

 2019年11月シリーズ待望の新作が18年ぶりに発行された十二国記。私はとても楽しみにしていた。なぜなら18年前に発行された本の終わりが謀反で姿を晦ました泰極国国王の驍宗を探しに麒麟の泰麒が旅を始めるところで終わっていたからだ。ご存知ない方に説明すると『十二国記』とは小野不由美による古代中華王朝ファンタジー小説である題名の通り12の国がありその一つ一つに王とそれを選ぶ麒麟という神獣がいる。この両者の関係は何人とも立ち入れないものである

 今日オタク界隈でときたま物議を醸すお気持ち表明。それらをお気持ちならお気持ちらしくご自分の胸にしまっては?と冷笑してきた。そんな私がなぜこうしてお気持ち長文を認めているのかについて長々とお気持ち表明するのでお付き合いいただきたい。

十二国記を元にした古典翻案新作能をやると聞いてワクワクした私は演目を見て仰け反った。「恋重荷」翻案「阿選」。

 は?????(クソデカ大声)

 阿選?あのぽっと出の?かわいい雛泰麒に斬りかかった??

 阿選を知らない人の為に説明すると阿選とは泰王驍宗に叛いた謀反人である。元は前泰王に驍宗共々使えていた禁軍将軍だ。新作では4巻分使って阿選の悪行が描かれる。幼子の麒麟の頭を斬り王を追い落とした。そして偽の王として国を収めるかと思えば朝をほっぽり出し後宮で一人過ごしている(セクシャルな感じではなくただの引きこもり)。その間に驍宗を信じる民が反旗を翻せば村を焼き背いた兵がいれば逃げ込んだ村まで焼き女子供までお構い無く殺した。とんだ下衆野郎である

 そんな男の名を冠した新作能だと?怒りに手は震えながらもチケットを申し込んだ。十二国記新作能は3日間の公演を全通するとポスターと同じ写真使用したクリアファイルが貰えるのだ。しかしこのポスターも気に入らない。ポスターは6種類ある。そのうちの2種類が謀反人の阿選なのだ

 は????????(クソデカ大声)(2回目)

 まず一つ目は能楽師さんが般若の面をつけて屋内の舞台上で右手を顔の前に掲げ甲を観客側に向けているポーズ。全体的に照明を落としているので顔は見えにくい。そして二つ目は、こちらは両手で、甲をこちらへ向けて顔の前で構えているポーズ。揃えた両方の指先が目頭にかかるようになっている。般若のお面は口元しか隠れていないので目がよく見える。白目の部分が金色で真ん中に黒い穴があるからそれをつけているのは人間だとわかっているのにとても怖い。

 どちらのポスター般若の面をつけていて髪は肩口で切り揃えられている。『白銀の墟 玄の月』4巻表紙の阿選そのままである。忌々しい。まあ阿選といえばこの特徴しかないしなと私は思っていた、これまでは。

 チケット全日通して買ってしまったし空席を作るのはファンとしてのプライドが許さない。2日間は純粋に楽しみ、3日目は村を阿選に焼かれた村人のような怖い顔をしつつ指定された席に座ると「阿選」の公演が始まった。


 え〜〜〜っと、そのなんというか夢を見ていたような心地で記憶曖昧なのでアレだけど良かったとだけまず言っておこう。

 能楽門外漢なので細かいことはわからないがよくわかった。気がする。阿選のことを。

泰麒の白い装束と最後に阿選に泰王驍宗がかけた白い衣。戴極国は雪深い国だ。民は冬の寒さに凍え死ぬ死体白い雪に覆われる。驍宗様が被せた白い衣は雪でありそこで死んだ阿選は再び動き出したとき今まで一瞥もしなかった泰王驍宗と泰麒を見る。泰麒と同じ白い衣を被った阿選の般若の面はもう見えず舞台をはけていく。冷たい雪を触った後に手がじんわりと悴むような気持ちになった。

 公演後に阿選を演じた能楽師さんのお話を聞けたのだがとても面白かった。何度も原作を読み返したそうだ。そして阿選の装束を考えるにあたって足袋に一手間加えることにしたらしい。学生時代弓道部に入部して初めて家に持って帰って青い袴を洗濯した。そうすると一緒に洗った制服の白いポロシャツが目を背けたくなるほど白くなったそうだ。袴の青がポロシャツを薄い青に染めたことで目の錯覚によりとんでもなく抜ける白色に見えるのである制服なので他のものを着るわけにもいかず光るポロシャツを着た通学途中の駅のホーム同級生出会ったそうだ。そして言われた。「眩しすぎて直視出来ない。あまりに白いので目を背けていたら線路に落ちるところだった」と。あの目映く真白く光る足袋は阿選そのものだ。わざとらしいほどに白い足袋。人が目を背けたくなるほどの。

謀反を起こす前の阿選は人当たりがよく人望もあった。なのに王に選ばれなくて八つ当たりで謀反を起こしたのだと思っていた。それが報酬を貰えなかったか逆ギレしたのだと短絡的に思っていたのだが違う。選ばれなかったのが悲しくて大きく足を踏み鳴らしていたのは子供の地団駄ではなく「ここにいるぞ」という意思表示だったのだ。そういえば謀反を起こす理由が「(泰王である)驍宗の影になりたくない」だった。

 普段見ない能だけど言葉を尽くされるよりもいろんなものが見えた気がする。ほんとにただのお気持ち表明感想だけど阿選のお気持ちを大舞台でぶつけられてしまったので吐き出したかったのでした。

 そして髪。私がただのキャラ付けの為だと思っていたあれは阿選への弔いとして能楽師さん達が髪を伸ばしあの長さでバッサリ切ったのだという。愛が凄い。

 普段見ない能だけど言葉を尽くされるよりもいろんなものが見えた気がする。ほんとにただのお気持ち表明感想だけど阿選のお気持ちを大舞台でぶつけられてしまったのでお気持ち吐き出したかったのでした。

阿選、めっちゃいいやん!!!!!!!(阿選沼へ飛び込む)


追伸

アンチ阿選オタク

  新作能 「阿選」 見た方がいいよ

アンチ阿選オタクより



幻覚です

2020-06-20

表現の自由戦士自民党を支持するのは当然

よく「表現の自由戦士表現規制をする自民党を支持するのはおかしい」と言われるが、戦士の一人としてはっきり言っておきたいことがある。

貴様らは我々表現の自由戦士の奥深い戦略性をまるで理解していない。一から教えてやるからしっかり聞け。


本当に欲しいのは自由ではなく特権

ひかえめに言って我々表現の自由戦士キモオタクが非常に多い。ほとんどの者がアニメ漫画アイドルをはじめとするサブカルチャー文化を好んでいる。

かつてこれらの趣味はただ嗜んでいるだけでも侮蔑対象となり、中堅のスクールカーストを維持していた者もひとたび露見すればただちに最下層に突き落とされるほどひどい扱いを受けていた。

まりこういう趣味を持っていること自体キモいとされた。

しか時代は変わるものである。いまやサブカルチャー文化は広く浸透し、これらの文化に接することは何も特別なことではない。偏見は解消された。

が、表現の自由戦士・ザ・キモオタクにとっては辛い。我々はキモいからだ。たとえサブカルチャー文化に接していようが接していまいが、無関係に振る舞いや容姿言動キモいからだ。

我々にとってサブカルチャー文化が種々の偏見から解き放たれたり、法的に自由保障され大っぴらに楽しめるということは大してありがたくない。むしろ自分キモさが100%自己責任になってしまう、とんでもない毒リンゴだ。

立憲民主党共産党社民党はおそらく表現の自由を守ってくれはするだろう。しかし、それ以上のことはしない。キモくて金もなく、今となっては若さも失われつつある者多数の表現の自由戦士にとってこれは、いまいち魅力に欠ける話だ。

しか自民党は違う。自民党は得をさせてくれる者を贔屓する。法律ねじ曲げてでも厚遇してくれる。変なフェアネス精神に酔った野党キモいおっさんは救えない。公平ではダメだ。特別扱いがいい。自分だけチートがほしい。

自民党サブカルチャー文化を贔屓すると得があると思わせ、これらを伝統文化やらなんやらとして祭り上げてもらい、国家代表的文化を愛好する者として見なされたい。

能楽やら歌舞伎やら国文学やらを嗜んでいるいけ好かない連中が少しばかり挙動不審でも個性として尊敬されるように、我々キモオタクも尊敬を受けたいのだ。

自民党が色々と不正を働いていることは知っている。しかし我々がそれを見て思うのは「自分たちも同じように保護されたい!」だ。なぜそう思ってはいけない?


エロアニメ漫画以外の自由はどうでもいいのかって?それは違う

どうでもよくはない。むしろ自分に関心がある表現以外は弾圧してほしい。そういう点でも自民党には期待している。

意識高そうな純文学だとか、反体制的だったりメッセージ性のある映画だとか、こういうのが存在するからアニメを観てる時にいつまでも微妙な後ろめたさを感じてしまう。

よく「エロとかアニメ以外には無関心なんだろ」みたいに煽られるが、ある意味で関心はある。はっきり言って、我々表現の自由戦士はめちゃくちゃ他の表現を憎んでいる。

無関心なんてとんでもない。奴らがこういう頭が良さそうだったりリア充っぽい作品を発表するたびに我々表現の自由戦士は深く傷つけられているのだ。もっと配慮してほしい。


ネット論客は役に立つ

青なんとかとか、まんじゅうみたいなアイコンのやつとか、あとなんか名前忘れたけど変な名前のやつ。彼らは非常に役に立っている。

彼らがいけ好かないリベラル連中を言い負かしてくれるおかげで我々戦士も便乗して叩きやすくなっているし、ネット上における我々の発言力は確実に拡大している。

我々戦士の側のやらかしにはほとんど目をつぶってくれるしな。

俺もよく保守批判されている時は「表現の抑圧だ!」と言うし、リベラル批判されている時は「批判表現の自由だ!」と言ってあらゆる表現の自由擁護しているよ。

でも隙あらばnoteとか講演会とかで金稼ぎしようとしているのはムカつく。


最後

我々、表現の自由戦士は今後も増え続けるであろう。すべてはリベラルどもが我々のプライドを傷つけたからだ。公平であればいいだろうというそ無自覚傲慢さが我々を怒らせたのだ。

それを忘れるな。





 

2020-02-24

anond:20200224102105

多分あれだ

1960年代なら、今のオタクにとっての【アニメ漫画ゲーム】とかではなく

ジャズロック映画】について、政治的な小難しい論議をするのが大好きな連中がいたけど、今のようなアニメゲームとかが隆盛の時代になるとすっかり廃れ

戦前にはこれが【文学】だったり

江戸時代には【歌舞伎落語】だったり(江戸時代には最新文化。当時の権威ある古典能楽

平安時代には【かな文字国産文学】だったり(当時の権威ある古典漢籍

【】の中に入る物は何でも良くて

時代をさかのぼれば、ずっーと昔からくり返されてきたよーな話だ

ユダヤ教からキリスト教が成立した西暦一世紀ごろには「メソポタミア神話について熱く語ってる俺らはもう老害なのか?」なんて思ってる奴がいたに違いない

2019-06-17

anond:20190616232914

黒澤明監督『乱』を超える合戦シーンは見たことがない。

『乱』はしかし、映画全体はそんなに面白くもなかったけど。

後期の黒澤映画って、ビジュアルはすごく美しいけど、基本的人間がぜんぶ駒なんだよな

カメラアングル個人クローズアップしない引きのショットが多い

なんか箱庭で能楽をやってる感じ

その正反対というべきなのが、1970年代の『仁義なき』シリーズほかの東映実録ヤクザ映画じゃないかという印象

結局、迫力のある戦闘シーンは個人個人の戦いに収斂されるのではないか

2018-11-09

anond:20181109024136

ニコ動ができる千年も前から和歌で「歌ってみた」やってた奴、能楽とか田楽とかで「舞ってみた」やってた奴、みんな名前が残ってる奴の陰に何百倍、何千倍も二流以下のワナビがいたんだよ

そいつらみんな、無意味で無価値でいっさい楽しくなかったかといえば、どうかはわからない

そういう無名シロウトが大量にいたからこそ、わざわざ万葉集だの古今和歌集だのを作ろうという発想もでてきた

下手なシロウト同士で集まって歌の会をやったり、歌の談義をしてた連中も、それなりに楽しかったんじゃないかなあ

2018-08-16

[]喜多七太夫長能

能楽の四座一流のひとつ喜多流の流祖。

1586年生まれ。堺の目医者の子と伝わる。

七歳のとき秀吉の前で立派な能を舞ってみせ、

「七つ太夫」と称賛されたのがそのまま呼称となった。

その後も豊臣家との結びつきが強く、

大坂の陣に参陣して真田幸村のもとで戦ったという。

戦後浪人となっていたが、黒田家などの推挙により能役者として復帰した。

特に秀忠からは寵愛を受け、能楽第一人者として活躍するうちに、

所属していた金剛座から独立を認められて

「北」「喜多」を名乗るようになり「喜多流」を創始した。

秀忠という最大の後ろ盾を亡くしたあとは、周囲の嫉妬に苛まれ

秘曲「関寺小町」を上演したときには、難癖をつけられて謹慎を命じられた。

このとき伊達政宗が家光に掛け合って赦免させたという。

また、上洛途中の桑名で馬子を殴って死なせてしまたこから

桑名藩主・松平定綱と諍いを起こしている。

次第に後継者の正能に出番を譲ることとなり、1651年に引退、1653年に亡くなった。

2018-04-22

anond:20180422213144

ガンダムシリーズ能楽歌舞伎みたいに止まってるぜ。

これをやりたいのだから当たり前だろ

時代に合わせてどうするんだって

anond:20180421190647

これ、多分ある種のクラスタじゃ耳タコだろうけど

だいたいファーストガンダム~Zは、あまりにも露骨にWW2と米ソ冷戦そのまんま

1980年代当時はそれがリアリティ持ってたのかも知れんが、21世紀にいまだに「地球政府vs反植民地主義」の図式を伝統芸能のようにくり返すとか、1980年代初頭にファーストガンダムが「リアルロボットアニメ」(死語!!)と呼ばれた当時の斬新性を完全に自己否定しとるわけで。

いい加減に911以降の非対称戦争意識したガンダムが作られて良いだろ、と思い続けて10年が過ぎてる。

東映仮面ライダーシリーズの見事な平成時代以降の変奏ぶりに比較して、ガンダムシリーズ能楽歌舞伎みたいに止まってるぜ。

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