はてなキーワード: セクシャルとは
もっと言えば、ラブドールで致している男の人の行為を見るのが好きな人。
はい、私です。
特殊な癖(へき)の範疇なのでしょうと思います。だからここで書いています。
性の対象になるのは男の人のみです。
だけど、男の人に思い切り犯されている可愛いお人形さんを見るのが好き。
物言わぬお人形さんを相手に一生懸命気持ちよくなってる男の人の様子を見るのが好きです。
時には下に装着されたホールで、時にはすごく冷たくて弾力ありそうで大きな胸で、時には口で。
果てた後に体液で汚されても、なお表情を変えないお人形さんを見てとても興奮します。
実際に見たことはありません(当たり前)
動画ですね。
男の人の顔は映ってても映ってなくてもいいです。
男の人の美醜は問いません。
そもそも人形を愛すると言う行為自体がマイノリティ性癖だろうと思うし、自慰行為の一つでしかないとは思います。
ただ、人形を生き物として愛する感情は幼児期に誰しも経験が多いものだと思います。
親以外の他者に愛着を示す第一歩は、人形や動物のかたちをしたものを、自分とは異なる生き物としてその感情を想像できるところから始まります。
その延長線上にあり、性的な感情や倒錯が入り混じる見立て遊びが、お人形を使った自慰行為であると思います。
小難しい理論をこねましたが、とりあえず私は生身の女が演技がましく喘ぎ声を出しているアダルトなビデオより、究極の独りよがりの行為である、人形相手に好き勝手やってる行為を見るのが興奮します。
私がいわゆるマゾヒスト寄りの癖を持つのにも関係しているかもしれません。
もしかしたら、あのくらい好き勝手やられても何も顔色を変えず、なんなら存在するかどうかも含めて男の人の欲望を一方的に叶えられる存在になれればいいのにと、
でも私には尊厳もありますし、物理的にも限界があります。あんなにたくさん激しく挿出されましたら、色んなところにガタが出て1週間ももたないでしょう。
だから、壊れてしまっても替えが利いて、勝手に利用されるお人形さんに憧れがあるかもしれません。
終わり。
どうせ「コミックジャンボ」って知らない人も多いと思うので冒頭で説明しておく。
1988年4月(号)から2002年12月(号)まで存在していた月刊誌。月刊誌といっても中綴じで、まあ典型的なコンビニエロマンガ誌。存在と言ってもこの時期に発刊、休刊したわけではなく、1988年3月号まではコミックJUMBO、2003年1月号からはCOMICジャンボという名称で存在している。ただまあ名称変更の前後で少し編集方針が変わっているらしいので前後誌は今回対象にしない。発行は桃園書房。
で、まあエロマンガ誌なので大抵の作品は読み切りor単話。そんなわけで紹介するのは重要なマンガ、というよりはマンガ家ということになる。ここは了承してほしい。
河本ひろし「表紙」
たぶん「コミックジャンボ」で画像検索すると画質がみんな似ていることに気がつくと思う。これは、コミックLOの表紙をずっとたかみちが担当しているように、コミックジャンボの表紙はずっと河本ひろしが担当していたから。おそらく自分より少し若い人はこの絵柄に馴染みがある人もいるかもしれない。この後彼はボンボンあたりの児童誌で活躍しているので。ただ、エロマンガ誌でありながら表紙がせいぜい控えめなパンチラくらいしかない絵は慣れていない若者がレジに持ち込むための言い訳として非常にありがたかった。下手したら裏表紙のダイヤルQ2広告のほうがエロかったかもしれない絵なので(コミックジャンボの裏表紙にダイヤルQ2広告があったかははっきりとは覚えていない。他の雑誌と混同しているかもしれない)。
時々掲載されているマンガの作風も巨乳前提にしつつコメディタッチが多くて読みやすかった。
こちらも河本ひろし同様、児童誌でも活躍している。ただこちらは児童誌が先、というか、ゲームのコミカライズで知られているかもしれない。一言で言って「みなづき由宇」と同一人物である。画風も巨乳前提ながら読みやすい。ちなみに星里もちるはものたりぬのアシスタントをしていたことがある。
正直、この人はコミックジャンボが主戦場ではなかったはず。それ以外の雑誌や単行本で見ることのほうが多かった。少女マンガと思えるくらいの目の中の星が特徴的な人で、さらに彼を特徴づけていたのが「エロは和姦しか描かない」ということだった。しかもコメディ的に逃げるのではなく徹底して和姦ということは実は当時けっこう特筆すべき特徴だったのだ。コミックジャンボ時期の絵はけっこうデッサンが崩れている(それはそれで味がある)のだけど、現在のサイトを見るとかなり整っていて、続けるということの大事さを感じさせる。
有間しのぶでも西村しのぶでもない。たぶん男性。モデル体型のスラッとした女性を描く特徴のあるマンガ家で、リアルさはないのだけど周辺掲載の巨乳マンガのためにむしろリアルに見えるという特徴があった。表題作は高校の新聞部を舞台にした♂️1vs♀️2(or3)のエロコメで、エロシーンを除けば当時のラブコメとそれほど違いがないが、そのために「ラブコメにありそうでないこんな描写が」という意味で役に立った。「てぃーんず・パラダイス」そのものはKindle Unlimitedで全て読むことが可能だが、何らかの事情で再構成+タイトル変更されているので追いかけるのが難しい。「はいすくーる・スキャンダル」「てぃーんず・パラダイス」「あいつとスキャンダル」「放課後ランデブー」と読むと連載順に読める。なお作品は大人気だったので続編として登場人物を社会人にした「ぼくのアイジン」も連載された。これもKindle Unlimitedに収録されている。
超巨乳で有名な人。あまりに巨乳のデフォルメが過ぎてむしろエロくないという画風かもしれないがやってることはエロである。おそらくコミックジャンボの方向性を最もわかっていた作家で、アニメ風のオタク絵でやることはちゃんとやるという展開は安心して使えた。おそらくコミックジャンボで掲載していたのが一番長い人。
かつて「サルでも描けるまんが教室」で「男向けのエロコメは回転寿司だ」と喝破されていたが、おそらく表題作がこの言葉が念頭にあったかもしれないくらいに内容を表している。とは言えエロいものはエロい。ただ色シーンに少し前の劇画での描き方の残滓が見えるところを見ると、この雑誌はエロ劇画誌とエロマンガ誌の橋渡しをしたと言えるのかもしれない。
てらおかみちお
陰影の少ない画風で、無理やり例えるなら浦沢直樹をわたせせいぞう風に描いた感じ。古く見えるかもしれないが、バブルな80年代後半にはこういう画風が一番オシャレだった。そういう意味では外せない人。
「うるふ・たろう」と読む。画風としてはよく言えば当時の主流、わるく言えばありがちな絵で、ただ大事なのはそういうありがちな絵で他誌にはない絡みが描かれるのがコミックジャンボの醍醐味であったということだ。本人はバイク趣味があって、レーサータイプのバイクを持ってよく夜中にツーリングしていたということを近況報告で描いていたが、今から思うとあれは宮崎勤のあれから来るオタクバッシングからの逃避行動だったのかもしれない。
しのざき嶺「NIGHTMARE」
いちおう画風(特にデフォルメ時)としてはジャンボにありがちではあるのだけれど、ストーリーの陰惨さでは最もコミックジャンボ向きでない作家。表題作は逆恨みから始まる強姦からスタートする作品で、この後誘拐監禁、ピアッシング、奴隷契約、野外露出に強制排泄、肛姦、獣姦、近親相姦、多人数プレイとSM雑誌にありがちなプレイをひと通り全てこなすというおすすめしないマンガ。作者はこのあとそっち系の雑誌でいくつも同系統、もしくはさらに発展した作品を描いている。そもそもこの連載も途中で他誌に移籍している。
夫婦での共同ペンネーム。夫のほうはあさいもとゆき、と言えば思い出す人もいるかもしれない。「スパルタンXの24周目では助けられる役のシルヴィアが襲ってくる」という情報をマンガに描いた人だ。コロコロコミックでの連載のあと、共同名義にしてエロ進出した。正直、今回これを書くにあたって今年妻のほうが交通事故で亡くなったことを思い出さずにはいられない。Lovin’youはマンガ図書館Zで無料で見られるのでそっちを見てほしい。
アメリカのソドミー法とかも、あなたからしたら異性愛者や同性愛者がアナルセックスをしたいというお気持ち以外に問題点はないとなってしまうのかもしれんが、実際は同性愛者差別だし裁判で合法になってるよね
フィクションを対人性愛者の基準で規制することはフィクトセクシャルのような非対人性愛者にとっての差別なんで・・・マジョリティとしての特権を自覚してください
ネパール最高裁判所は、トランスジェンダー女性であるルクシャナ・カパリ(Rukshana Kapali)さんに対し、医師の診断を受けることなく、すべての書類(戸籍含む)で女性としての法律上の性別認定を受けるべきとの判断を示しました。ネパールの裁判所はこれまでも性的指向(セクシャルオリエンテーション)と性自認(ジェンダーアイデンティティ)について進歩的な判断を積み上げており、LGBTの権利の分野で同国に国際的に高い評価をもたらしてきました。この流れに、さらに今回の判断が加わりました
https://www.hrw.org/ja/news/2024/07/31/nepal-supreme-court-rules-trans-woman-woman
やあ masuda,
masuda, それは本当に最悪だ, 自分の強さが消えるのを見るときと何も対策できなかった, 過去の時代のように。今は幸いにも異なる、「硬く」なる問題は、男性向けの現代医学ですぐに、快適に解決でき、過去のものとなる!
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といっても、月に一度あるかどうか程度。
妻とのセックスライフにはさほど満足していません。もう少し回数もしたいですし
また妻の性癖というか、やってほしい事を伝えてほしいと思ってます。
自分のセクシャルな興味をお伝えするのは良いことだと思います。
夫さんの事が好きだ、エッチなことは好きだけど、、、と前提情報をお伝えすると
絶対に嫌な気持ちにはならず、もっと深く仲良くなれると思います。
それにしても、夫さんはマグロさんですね。そんな男性がいるとは。
仮に夫さんが、性欲が薄く淡白すぎる相手ならば、いくら積極的になったとしても
暖簾に腕押しで、マスダさんが違う相手を求めていくのかもと思います。
そうならないということは、すれ違いはあれど、2人は互いを求めている証拠です。
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それにしても、夫さんはマグロさんですね。そんな男性がいるとは。
仮に夫さんが、性欲が薄く淡白すぎる相手ならば、いくら積極的になったとしても
暖簾に腕押しで、マスダさんが違う相手を求めていくのかもと思います。
そうならないということは、すれ違いはあれど、2人は互いを求めている証拠です。
1 トランスジェンダー型
3 バイセクシャル型
そして、相手側からの恋愛感情も考えると5×5で25パターンになる。
自分の認識している性別に対して対になる相手に対し、自分の認識ではノーマルな恋愛感情を抱く。
性自認と肉体の性別がズレているので、最終的には男性ホルモン(女性ホルモン)を打って性自認どおりの性別になろうとしたりする。
LGBTと言われて真っ先にみんなが思い浮かべるのがコレ。
自分の性別と同じ相手が好きになるまでの過程に様々なパターンがあり一概には言えない。
後述するバイセクシャル型と違い、異性には興味がない。もしくは興味があって苦手意識が強く恋愛対象としては見れない。
いわゆる両刀。
男女どちらとも恋愛が出来る。
同性愛と異性愛は本質的に同じだと考えている人もいれば、同性愛が本当の愛で異性愛は本能を満たすための遊びと考えているような人もいる。
性欲が満たせれば相手が誰でもいいという雑食な人もいたりする。
トランスジェンダーの人が違和感を感じながらやっているパターンもあるし、ゲイだけど普通のセックスが出来てお得と考えている人もいたりする。
認識の個人差が激しい中で見かけはよくある異性愛カップルというのが複雑。
いけてしまうようになった順番は様々。
そもそも性自認が曖昧だからいつの間にかどっちもありになった人もいれば、子供が欲しいとか自分の性自認に気づいたとかの理由でバイになっていった人も。
色んなタイプがいるので細かくパターンわけしだすと本当に凄いことになってしまう。
分かって頂けましたか?
十把一絡げに語らないでほしいわ。
ぶっちゃけこっから更に分けることも出来るし、そもそも肉体の性別が中間みたいな人もいるにはいるわけで、もう何パターンあるのか分からんのよな。
なんか同性愛について語りだすとき一つのパターンだけについて延々と語ってる人とかいるけど、あれ本当に意味が分からん。
はてなーについて語る時に全はてなーが低能先生であるかの如く語りだして「つまり、はてなとは殺人鬼が常にお互いの命を狙い合っているバトルロワイヤルなんだよ」とか言い出したらどう思うよ?
フリー女子アナで炎上した件について、世間的な処分の重さには賛否あるとは思うけど、男女逆転していたら同様な処分をされていた可能性が高い気はする。
逆に今までは、やはり男性にはセクシャルハラスメントをしても良いという風潮がどこかにあったと思うけど、そう言う流れではなくなってるんだなという実感がある。
男女問わず、セクシャルハラスメントに敏感な世界になっていくんじゃないだろうか。
ここをセクシャルというのが正しいのかは微妙だけど、男女の性別に焦点を向けていると言う意味で、セクシャルハラスメントとあえて書く。
女性が話題になって改善された事例としては、業界にもよるとはおもうが、パワーハラスメント含む労働環境がここ10年くらいで急激に改善してきたのは電通の女性過労死事件からだと思う。
これは女性が被害者なので、ニュアンスが逆だと思われるけれど、女性が男性と同じ扱いをされ始めたからこそ起こった事件と考えれば、同様な事例だと思う。
たぶん、この事件が起こるまでは、どこか世間では「女性は仕事で特別扱いされている」(特別と言うのは、有利という意味だけではない)と思われていたところがあるが、この事件をもって、ホワイトカラーでは男女平等な労働感覚を世間が持ち始めた気がする。
電通は過去に男性で同様な事件を起こしてるにも関わらず、パワーハラスメントと言う視点で言えば世間的にはそこまで改善されていなかったように思えるが、女性が過労死したことで急激にパワーハラスメントへの捉え方が男性に対しても変わった気がする。
こうやって女性がハラスメントに対して男性と同様に槍玉に上がり出すと、男性に対しても急激に適応されていくんだなと感じた。
ハラスメントをする側にとっては生き辛いかも知らないけれど、ハラスメントをされる側にとっては男女問わず生きやすい環境にどんどん整備されていくと思う。
「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」という歌詞もあるけれど、言論の自由がある日本で言いたいことを工夫せずに言ってきたのはハラスメントをする側で、言いたいことが言えなかったのはハラスメントされる側だ。
今後はだれも言いたいことは工夫して言う世の中になるかもしれない。
私はそれはそれで生きやすい世の中だと思う。