はてなキーワード: 秀吉とは
こいつ「サムライ」に対して夢見すぎだろ
https://www.sankei.com/article/20250403-M6VFFHLXORF3HDQJCOGKEMMBN4/
また、このゲームの主人公である「忍者」や「侍」の性質上「隠密」や「戦闘」ができることは理解できますが、敵対するNPC以外に対しての攻撃や、破壊ができる仕様については疑念を感じます。当時の日本が戦乱の世の中であったとしても、戦場以外の領域において、通常時に敵対していない勢力の民を虐殺するような行為を取ること自体ありえないこと
サムライによるそういう行為がしょっちゅうあったから信長も秀吉も略奪禁止令出してたんだ
あと民間NPCに攻撃はできるが死なせると強制ゲームオーバーになる
封建時代の日本をそのまま舞台にした作品ではなく、「遺伝子情報をもとにVR上に組み立てた仮想世界を現代人が眺めている」という設定で、VR上だから史実にはない内容も入り込むしバグもあるが、大きく逸脱した行動を取るとVRとの同期が切れる
一応ゲーム中では「民間人を殺害するのは通常ありえない逸脱行動」扱いされている
これ悪いのはアンチなんでは…
「業務に支障を出す人」の思惑通りに動いてどうすんの
一部の心無い人々が同様の操作を行い、映像をアップすることや、現実社会で実際の神社境内に侵入し、破壊する行為を行う模倣犯が出現する可能性も否めず、そうしたことで貴社の道義的責任が疑われるのみならず、社会問題ひいては国際問題にも繋がる可能性がある
「現実で真似されるかもしれない犯罪行為は発表してはいけない」が結論なわけだが
信長は実家が織田家だし、秀吉は信長の覚えがめでたかったから出世できた。なんもないとこからポッと偉人は出ない。
女の業績を語る時には庇護がセットになる一方、男の業績ではそれは語られないというだけ。
「女は性を武器にできる」って言うけど、男はホモソーシャルを武器にできるわけで、ありがちな話だと、偉い人のキャバクラ通いに付き合って可愛がられてのし上がるみたいなやり方できるのは男限定だよね。
強者オスにどう取り入るかの方法が違うだけで、強者オスの庇護を受けて偉くなることには変わらない。
あと増田が例に上げてる人たちな。
ナイチンゲールに関しては家柄がすごいから動かせる人脈もすごかったのは事実だけど、それ以前の問題として当時のそういう家柄の女性はお家で刺繍でもして良いお家にお嫁に行くというのが当たり前、小さいことからそう育てられた制約を本人のパワーでぶっ飛ばし、当時は最底辺職業の看護師として戦地に赴くって時点で行動力ヤバいし、パトロンがすごかったから成功したという感じは全然しない。ナイチンゲールが女性で可愛いからいろいろ融通してもらえたってことはなく、相当強引にネゴって話つけてることが多い。
マリー・キュリーは帝政ロシアの圧迫で公に活動ができなくなった学者の家の子で、貧困の中で育ち、家庭教師とかして家族を養いながら自活して、そのあと姉を頼ってパリに出て、苦学して奨学金もらってどうにか研究すすめた、ってとこまでが人生第一章。別にピエール・キュリーだって太いパトロンというわけでもなく、研究バカ同士のパートナー婚だし、ようやく研究の芽がでだしたこれからってとこでピエールは事故死する。で、一人で遺児を育てながら偉大な業績を打ち立てた。さらに子どももノーベル賞受賞する学者に育てた。ピエールの庇護で研究できたみたいに思ってそうだけど、事実は全然違うよ。むちゃくちゃ過酷な人生。日本でいうと野口英世ぐらい過酷。
ちなみに野口英世は有力なパトロンがいたわけではなく、故郷の集落の人たちのクラファンで高等教育を受けてる。男でもこういうのはむしろ珍しい。
ココ・シャネルはマリリンモンローとかと同ジャンルの孤児院から枕営業でのし上がった人って感じはあるけど、ナイチンゲールとマリー・キュリーは別に性とか関係なく普通にパワー型の偉人だよ。
特にマリー・キュリーに関しては太い実家も女使って動かしたパトロンも存在しないよ。自分で働いて奨学金もらって生きてきた人だよ。
あと、女性の偉人でゼロからのし上がった人といえば、「奇跡の人」サリヴァン先生の人生はすごいと思う。
ちなみに「奇跡の人」とは三重苦を乗り越えたヘレン・ケラーではなくサリヴァン先生のほうだよ。
ヘレン・ケラーは増田が言うように実家が太いし、三重苦の娘のためにグラハムベルの伝手で家庭教師を探しまくらせるほど親の愛情もあったが、サリヴァン先生は完全にゼロからのスタート。
あの時代に女で天涯孤独の孤児で盲目、最底辺の救貧院育ち。その時点で人生詰んでるじゃん。
盲学校出たとしてもロクな仕事がないのが普通のところ、卒業のタイミングでグラハム・ベルがヘレン・ケラーの家庭教師を探しに来て採用されたのはほぼ奇跡。
AIの回答はなんか違うんだよなあ。
最後はホームレスみたいにいつ死んだかわからんみたいな例がいいんだけど。
はい、権勢を誇った後に悲惨な末路を辿った人物は歴史上数多く存在します。以下に数名の例を挙げます。
* 兄のティベリウス・グラックスと共に農地改革を推進し、民衆から絶大な支持を得ました。
* しかし、貴族との対立が激化し、最後は逃亡中に殺害され、遺体はテベレ川に投げ込まれました。
* 豊臣秀吉の側近として活躍し、五奉行の一人として権勢を誇りました。
* 秀吉の死後、徳川家康との対立を深め、関ヶ原の戦いで敗北。
* フランス革命において、ジャコバン派の指導者として恐怖政治を主導しました。
* しかし、次第に独裁色を強め、反対派を次々と粛清した結果、自身も孤立。
* 最後はテルミドールのクーデターで逮捕され、ギロチンで処刑されました。
* イラクの大統領として長年独裁体制を敷き、湾岸戦争やイラク戦争を引き起こしました。
* アメリカ軍によるイラク戦争で政権を崩壊させられ、逃亡生活の末に逮捕されました。
* イラク特別法廷で人道に対する罪などで死刑判決を受け、絞首刑に処されました。
これらの人物は、いずれも一時は権力を握り、歴史に名を残しましたが、最後は失脚し、悲惨な末路を辿りました。彼らの生涯は、権力の儚さや、歴史の残酷さを物語っています。
スイカと桜が同じ季節にあって、米俵を土嚢に使って、四角い畳で武将が正座ってる、派手な鎧で街中歩く世界線から強弁かよ
別の世界線の人に説明してもしゃーないが、史料は割と今どきはオンラインでも見れたりするのは、覚えておくと良いよ
群馬県立文書館 のレファレンス事例紹介コーナーによると『くろほう』について下記の回答
問12 群馬県立文書館所蔵の古文書に、黒人と思われる「くろほう」という記述があるとききました。それは事実でしょうか。
栗間家文書(P00101)のNo1「年未詳加藤清正書状」(下川又左衛門ほか宛)には、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てきます。そして2021年3月30日にNHK BS4Kで放送された「Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助」の中で、日本大学准教授のロックリー・トーマス氏がこの文書に出てくる「くろほう」こそ、織田信長に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかと、述べられています。まず文書館内では、この「くろほう」をこれまで全く黒人として認識しておらず、トーマス氏のご指摘に驚いています。実は、この「くろほう」が弥助かどうかはともかく、黒人と推定する見解は以前からありました(中島楽章氏「16世紀九州末ー東南アジア貿易」『史学雑誌』118-8号ほか)。 ただし現時点では、この文書の1カ所にしか出てこないため、断定は難しいと思われます。例えば、『源氏物語』にも「くろほう」という言葉が出てきますが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本の古典で頻出しているようです。また、当館文書を読むと、人間ではなく、物を指す記述と見た方が自然ではないか、という意見も係内で出ています。以上より、現時点では「くろほう」を直ちに黒人と即断するのは難しいのではないか、というのが当館古文書係の見解です。
このような状況を憂慮し、秀吉はキリスト教宣教師の追放を命じた。高山右近も、キリスト教信仰のために領地を没収された
追放されるキリスト教宣教師たちへの配慮として、帰国の費用として米1万俵が与えられた
九州御国分之次第
https://khirin-ld.rekihaku.ac.jp/rdf/nmjh_kaken_medInterNationalExcange/E14585
こっちなら付き合うぞ
ローカルでテキスト・画像生成のモデル動かしてみようをそのうち書こうと思うけど、Windowsアーキテクチャの簡単な説明欲しい?
コア分離あたり。ほかにも欲しいのがあれば書いとくけど
というか、Ubuntu、Ubuntu 騒いでる子がいるが、そもそもPCにWin11/Win10入ってるか?
(Windows + Docker Desktop :バックエンドWSL2 Ubuntu の予定。なお、YouTube に構築動画が無限にあるぞ)
我逞兵皆な君に小田原に従ひ微兵を以て対抗する最も難しと為す如ず
主君が不在のあいだに城を攻められ、留守居役の武将が「我らの精兵は主君に従って小田原にいる、残ったわずかな兵で対抗するのは難しいだろう」と言っているようだ。
「東北の藩のわずかな兵をもって明治政府の軍とよく戦ったのには理由があることを知るべきである」といった感じだろうか。ちゃんと「びへい」とふりがながあるので「微兵」であることに間違いない。
「あの大軍に私がわずかな兵をもって立ち向かっても利益はないだろう」といった感じ。
縦令信長請に応せすとも我今軍を出さすんは貞昌か死亡眼前に在り是を救はすして豈弓矢の本意ならんや然れとも微兵を以て大軍に当ること容易に非らす
徳川家康が「たとえ信長が援軍に応じないとしても、私がいま軍を出さなければ(奥平)貞昌の死は目前であり、これを救わなければ武士として失格だが、とはいえ、わずかな兵で大軍に当たるのは容易ではない」と言っている場面。
家康の使者として秀吉に謁見した本多忠勝を、「特に去年の長久手の戦いで、(忠勝は)龍泉寺でわずかな兵を率いて、私の三万八千の大軍を相手に活躍していたときは、すぐに討ち取れと言ったものだが、今はもう講和を結んだので、家康の家臣は私の家臣も同じだ」と秀吉が称えている場面のようだ。
今従兵僅か七八騎に過ぎず。此微兵を以て大敵に向ひ、横死して何の益かあらんや。
桶狭間戦記と似たような文章。四戦紀聞の成立は1705年らしい。
姉川の戦いの場面か。「家康の家臣たちは味方の兵が少なくても朝倉の軍に立ち向かうことをまったく恐れなかった」みたいな感じか。
中国視点で「あまつさえ秀吉は、日本が小国で、兵がわずかであっても大人しくせず、朝鮮を侵略した」みたいな感じか。朝鮮征伐記は1665年の成立だが、だいぶ怪しい史料ではあるらしい。
此度大坂陣長重手エ得ル首級都合十四、是僅ナリト雖モ、長重討死ニ決シ、微兵ヲ以テ粉骨ヲ尽シタル戦功ハ、具ニ上聞ニ達シ公籍ニ載ラレ、且諸侯伯知之所也
「大坂の陣で丹羽長重はそれほど首級を挙げることはなかったが、長重が討ち死にの覚悟を決めてわずかな兵で頑張ったことは、みんなが知っているので安心してください」といった話か。丹羽歴代年譜っていつ成立したんだろ。
大正7年『泗川新寨戦捷之偉蹟』
忠恒公ハ本丸ヘ入此合戦味方纔ノ一千有余ノ微兵ヲ以テ敵ノ百倍ノ猛勢ニ接シ衆寡ノ勢天地懸隔ストイヘドモ其戦略図ニ中リテ一挙ニ大敵ヲ鏖殺ス
朝鮮出兵で「島津忠恒が一千あまりのわずかな兵で百倍の敵を皆殺しにした」という話。
「朝廷に訴えて幕府を残せないかとわずかな兵を挙げて同志を伴って甲州黒駒まで至ったが田安中納言(徳川慶頼)に諭された」でいいのかな。一夢林翁というのは林忠崇という人物のことらしい。
昭和以降は略。
今回は「微兵を」で検索しただけなので「微兵の」とか「微兵たる」とか「微兵にて」とか他にも用例はあろうと思う。
文語調の古めかしい文章には多く登場している一方で、口語としてはまず見かけず、昭和以降ともなるとほぼ古文書の引用とかでしか出てこない、という印象。
ともあれ「徴兵(ちょうへい)」ではない「微兵(びへい)」という言葉がかつて存在していたことは確実で、「OCRの読み取りミスによる存在しない言葉である」と切り捨てるには惜しいのではないかと思った次第。