はてなキーワード: 称号とは
TBSがお送りする、年末の大型スポーツバラエティ番組といえばSASUKEである。もともとは「名もなき男たちのオリンピック」を標榜し、SASUKEオールスターズに代表される一般人の参加を中心に据えていたこの番組だが、近年は芸能人の参加が目立っている。ゴールデンボンバーの樽美酒が著名だが、芸人やアイドルや業界問わず多数参加している。
一部のSASUKEファンはこの変化をよく思っていないらしい。とりわけ、人気アイドルグループSnow Manのリーダーである岩本照を取り上げすぎている、という声が時折聞かれる。彼はまだ自力で3rdに到達しているわけでもないのに、番組で尺を取りすぎている。もっと当初のように、名もなき一般人に焦点を当てるべきだ、というわけだ。
だが考えてもみてほしい。この番組はすでに、山田勝己という狂気の一般参加者を輩出してしまっている。もう20年以上も前に、その後長きにわたりバラエティ番組で擦られ続けるかの名言を生み出した男だ。あの時代よりだいぶ平均的な倫理観が成熟した現代に、いったいどこに、山田を超える一般人エンターテイメントを生み出す余地があるだろうか。
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SASUKEの総合演出を務める乾氏は、「SASUKEが生んだモンスターは2人だけ」と語っている。一人は人間ドラマとしての番組の方向性を決定づけた山田勝己、もう一人は現役最強のSASUKEプレイヤーである森本裕介だという。SASUKEの主人公になりたければこの二人のバケモノのどちらかに勝たなければならない。森本に実力で勝つか、山田勝己を越える人間ドラマを演出するか、二つに一つだ。
前者がかなり厳しい道のりであることは論を俟たないだろう。第40回のファイナルステージ、森本は他二人のファイナリストに圧倒的な差をつけて鋼鉄の魔城の頂すれすれまで辿り着きかけた。第41回では愛媛銀行職員という新星が現れるも、彼すら森本と同じ位置で脱落してしまった。
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とはいえ、もう一つのルートも険しいものだ。山田勝己はSASUKEに打ち込むために、およそ常人が捧げられるあらゆるものを捧げ尽くしてしまった。命綱なしでクレーン車からぶら下がってファイナルステージの練習をし、SASUKEの練習に熱中して仕事を首になり、にもかかわらずあっけなく失敗する姿を見て妻が涙をこぼしてみせる。命、仕事、家族、真っ当な人間なら犠牲にできないものを全て。そうして暗い沼地に落下し、「俺にはSASUKEしかないんですよ…」とこぼす。本当に全てを賭けてしまい、ドラマのようには美しく勝てなかった男の言葉を。
だから山田に勝つためには、山田が持っていないものを賭けるしかない。総合演出の「SASUKEにはまだ林業やっている人がいない」みたいな戯言を間に受けて林野庁に就職した若者は自分の未来を賭けたわけだ。広大な土地に膨大な労力を費やして、巨大な模擬セットを作成した選手も一人ではない。あの実力者の愛媛銀行ですら頭取のハンコを持ってきた。もちろん、もうちょっとばかし穏当な、家族とか友情とか起業とかそういうアピールもあるけれども、それらは大抵、当人たちのテレビ映えする立ち回りのうまさと、着実に前半をクリアできる実力とセットになっていたりもする。
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そこにきて岩本照は、「トップアイドルとしての偶像性を捨てること」という間違いなく強いカードを持っている。彼は日本で最も売れているアイドルグループのリーダーだ。その彼が、割と平気で1stで落下する。初回はなんと冒頭のクワッドステップスで落ち、そこから少しずつ距離を伸ばして6回目にしてとうとう1stをクリアしたかと思いきや、新エリアの前にまた沈んだりする。特別回で3rdの良いところまで進める姿を見れば、練習はちゃんとやっているのだが、全体としての本番の成績は芳しくない。
要はぶっちゃけ、微妙なところで結構落ちてるのだ。きらきらとしたアイドルのリーダーが。あの汚い泥沼に。普通に考えて、アイドルがスポーツバラエティに出場する動機があるとするならば、その華麗な活躍模様をファンに見せつけるためではないのか。初回出場で1st最終エリアまで到達したり、あるいはクリアまでしている諸先輩後輩がそうであるように。
にもかかわらず彼はなぜか、「俺はこれだ」と確信し、自グループの冠番組でもSASUKEの番組名を連呼し、忙しい合間を縫って千葉の片田舎にあるセット練習に赴き、枕元には山田勝己カレンダーを置き、結果として見事にSASUKEキャラを確立している。他のメンバーがドラマとかダンスとか言ってる最中、リーダーのこの男のキャラ付けがSASUKEである。まあ冷静に考えたら何かがおかしい。まだアニメオタクとかの方が普遍的だし理解できる。トップアイドルがTBSの一企画にキャラクターを預けることがあろうか? あかつやクロちゃんじゃないんだから。例えばVS嵐のアトラクションに全てをかける後輩がいたら、相葉くんだってドン引きだろう。それでいて別に毎回クリアできるわけじゃないのだから、彼は間違いなく、ある種の「本物」なのだ。
SASUKEの熱心なファンは「SASUKEに全精力を費やすのは普通のこと」と考えている向きがあるようだがそんなわけがない。思い出してほしい。これは所詮、いちバラエティー番組なのである。
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そんなたかがバラエティ番組で、輝くことを求められるアイドルが、時にぶざまとも言える失敗を見せる。しかし、どれだけ恥をかこうがなんだろうが決して諦めたがらない姿、それこそ山田勝己が紡いできた物語のそのまま続きと言えないだろうか?
SASUKEがもしも、完全制覇をゴールとする英雄の物語だけだったならば、Mr.SASUKEの称号は長野誠のものだっただろう。けれども、ここには山田勝己が代表してきた、人間の物語がある。見果てぬ夢を見て、敵わぬ敵と戦い、届かぬ壁に手を伸ばす。それは冷静に見れば滑稽で、傍目には理不尽とすら思える情念で、ときに哀愁すら漂い、しかし不思議な輝きを放つ、奇妙な人間讃歌である。その世界に岩本は、アイドルらしい視聴率を手土産に、アイドルらしからぬ泥臭さで挑んでいるのだ。
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というわけで、一般人にもっとスポットを当てろという意見、お気持ち大変よく分かりますが文句はこの際、森本と山田に言いましょう。エリア難易度をインフレさせた森本と、人間ドラマをインフレさせた山田に。でも次回にこそは、とんでもない素人のドラマが現れるかもしれないという希望もかすかに抱いて。
そんな今年のSASUKEはクリスマス決戦、12月25日18:00からスタートです。岩本照で何回CMを跨ぐのか。みなさん絶対絶対絶対見てください。
文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え
https://anond.hatelabo.jp/20220114133403
の筆者です。三年後の現状を追記。
当時叱ってくれた人、励ましてくれた人には心から感謝しています。
当時たくさんの方からいただいたアドバイスを元に、学部四年生ながらにできることはたくさんやってみました。手遅れ感はすごかったけど、もうこのまま色々なことから逃げてはいけないと思ったので勢いだけはあった。
・教職を取る
・ボランティアに参加する
・長期インターンで働く
・バイトをする
・心理学の本を読む
教職はめちゃくちゃ大変だった。大学四年生にもなって(しかもあそぶんがくぶ)、教職=専門科目+教職科目で時間割はいっぱい。毎日朝9時から夜8時まで授業が詰まっていて、土日も現職教員が教えてくれる授業に出ていった。
ヒーヒー言いながら頑張ったが、教職はとてもいい人間関係のリハビリにもなった。教職科目には大体グループ活動があるから、強制的に人と話さなければならない。四年生という引け目がないわけではなかったが、もうそんなことは言ってられないので自分なりに必死で喋りました。幼稚園児ですかねマジで。
バイトは販売。これがまあ、コミュ障の俺にとっては試練だった。仕事も覚えられないし、勉強しかできない自分の無能さを思い知った。
心理学の本を読むのも、コメントでアドバイスしてもらったことだ。アドラーや加藤諦三を読んだ。今となっては極端な自責に繋がりかねない書籍のような気もするが、でも他責クソ野郎の俺には根本的な考え方を改めるのにとても役だった。
とにかく反省を活かそうと、いただいたアドバイスを元にたくさん行動してみた四年生だった。
あれだけけなしていた文学分野でアカデミアに進むというのは、当時呪詛を吐きまくっていた俺を知る人からすれば晴天の霹靂というか、お前全然教訓活かせてねえじゃんアホかという感じだろうか。
でも行動してみて、色々考え方も変わった上での決断だ。理由はいくつかある。思いつく三つを挙げておく。
第一に、企業勤めをするのが俺にとって、社会にとって良いとは限らない気がしたこと。
研究とお勉強は違うが、それでも俺は昔から学ぶことばかりしてきた身だ。しかも、我儘を言って実学ではない分野で学ばせてもらった。
ならば、急カーブで別分野に就職するよりも、過去を活かして学びの分野にとどまり続けることの方が、俺にとっても社会にとってもいい結果になりうるんじゃないかと思った。
これだけ親から投資を受けて学ばせてもらったのだ。ならばそのまま学問を追求し続けることもあながち無駄ではないだろうう。
文学研究が分かりやすく社会に実利をもたらす行為だとは思わない。でも、俺が過去に培ってきたことを活かすという点においては、アカデミアも立派な将来の選択肢になるはずだ。それがお先真っ暗であろうと。
またバイトとインターンをして思ったが、俺は実務ができない典型的な(?)勉強バカだと思う。必死でメモをとってそれをマニュアル化し、いちいち参照しないと仕事ができない。自作マニュアルを参照してもノロいし、小回りが利かないから役に立たない。試験はあれだけホイホイできるのに、真面目に働こうとしてもなぜダメダメなまま成長しないのか。応用が効かないわ怒られるわヘマするわ、周りの社員にも「こいつ○○大なのにこれかよ」って思われてた気がする。
こんな俺なので、社会に出て企業勤めしたところであまり役に立てないように思う。
第二に、クソ大変だったが何とか教員免許を取得したので、博士課程に進んで落伍してもまだ道はあるだろうということ(現代日本は教員不足だから)。
学んだことを活かせる仕事に就ける保険があるのは、かなり心強い。
第三に、やっぱり文学が好きだった。
文学ができることの一つに、「目に見えないものを表現できる」というのがあると思う。
俺という人間は、履歴書に書けば「文学部修士二年生」というただの一身分しか持ち合わせていない。
だけど、その称号の裏には「文学部生という経歴によって就活が台無しになったと思ったが、己の他責思考や逃避癖や高すぎるプライドが原因で先延ばしにしていた挫折を一気に食らっただけだった」という物語があるわけで、この物語の前にも途中にも後にも色んな感情が存在している。焦り、恐怖、驕り、不安、自己陶酔、万能感、劣等感、諦め。
こういった説明し尽くせない心持ちを表現するのが芸術で、その一分野が文学ではないか。
不要だと切り捨てられかねない人間の心情や葛藤や倒錯が好きだ。それを内包する表現形式を、文学をもう少し研究してみたいと卒論を書きながらそう思った。
そして二年たっても「もうちょっと研究したい」が終わらず、このまま博士課程に進むことに決めた。
修士一年のときに父が先立ち、一人親になった。親類も一人亡くなって経済的にかなり困窮している。
博士課程からの奨学金にはなんとか内定したが、それでも母を安心させてあげられなくて申し訳ないと思う。奨学金なんて、人間一人がギリギリ生活する分しか出ないから。
でももう、この先文学やった結果路上で野垂れ死んでも構わない気がしている。俺は元々がクソ性根人間だし、社会の役に立とうとすること自体が思い違いかもしれん。実利や効率とはまるで関係のない文学と数年を共にしただけで御の字だ。どうせこのまま運良くアカデミアに留まれたところで40になっても低収入だろうが、それでももう構わん。
最初は「文学部に行っても報われない」と書いたが、本当は誰に報われなくてもいいということにやっと気づいた。
これが最後の報告になると思います。この先アカデミアに残れずにお先真っ暗になっても、研究職を諦めて教職についても、どうせ俺は社会的無能ですすいませんと開き直りながら生きていきたい。
誰かこれを読む人がいるんだろうか。もしいるならば、当時叱責や励ましの言葉をくれた人に、心からありがとうと伝えたい。変な方向に開き直った感じがしないでもないが、あなたたちのおかげで色んな経験を積めたし、少し変われたと思う。
何より、人と関わることを億劫だと思わなくなったし、怖くて不安でも行動してみる習慣がついた。貴重な教えをくれて感謝しています。
俺は変わらず役立たずとして生きていきます。どうかお元気で。
少額の金(初期装備)からスタートする「『テレビ』のリサイクル券」獲得RTAのルート案です。本番向け。
Any%とTrue Endingカテゴリそれぞれ解説します。
Any%:とにかく近所のショップへ一直線。脳筋です。ロット毎のランダムマップなので、ルート取りのイメトレ・自主練は必要です。
True:お祈り要素あり。。遠くてもできるだけデカい店舗に行きます(安テレビに出会う確率を上げる)。
大手ショップが近隣にあるマップであればまず「下調べ」を選択し、次のターンでショップに向かってもOKです。安定派はこちらで。
マップの引きが悪すぎる、または「下調べ」の進捗があまりにも悪かった場合については
「通販」選択ルートでカバーしましょう。本来リセットですが、持ち時間が決まってる場合の奥の手として。
Any%:テレビを購入後、その場で即売ります。ヤバい人パラメータが限界ギリまで上がりますが耐えます。
ここでは店員さんとの会話で確実に良客になり、ヤバい人パラの上昇を抑えることが肝です。店内のコース取りも重要。
本ルートでは"町の変人"称号を取らずに進むため、会話フェーズを飛ばすとパラが上がりきって警備員が来ます。必ず良客でいましょう。
True:帰り道に別のリサイクルショップに持ち込みます。会話コマンドは安定さえ取れればOKです。
帰りの道中に立ち寄ることを優先に、できれば大きいショップに寄りましょう(リサイクル券を発行してもらえないバグ防止)。
大きいショップだと買い取りがスムーズなのでタイム短縮が狙えます。
③帰宅
コース取りに気をつけつつウイニングランです。他カテゴリと同様、自宅玄関を開けた瞬間にタイマーストップです。
以下補足です。
・購入するテレビですが「PC」「モニター」等はNGです。また引っかけで「車載テレビ」やその他特殊なテレビも引き取ってもらえません。
現実のものですが、こちらの区分が大変参考になります。https://www.rkc.aeha.or.jp/recycleticket/target_items.html
・本ゲーム初心者で見極めが不安な方は、テレビ売り場近くの店員さんに話しかけ「これ繋いだらニュース映りますか?」を選びます(ヒントが出る)。
まずは情報の正確な把握に努めましょう。その後の雑談では無難に回答し、むやみにヤバい人パラを上げずに完走を試みてください。
、、余談ですがこの選択肢、現実でこんなこと言いますかね?笑 要は確実にヒントが出るようなアホ質問ということなんでしょうがw
現実ならギリでも「テレ朝映ります?」「TBS見れます?」とかになりそう。少し前なら「手越復帰のイッテQをリアタイしたくて…」とか?笑
・財布スコアを捨てて早く済まそう!というコンセプトです。「引き取りを依頼」「リサイクル施設に持参」ルートは考案しておりません。
上記ルートで「引き取りを依頼」すると財布がマイナス→アルバイトに突入するのでRTAとして破綻します。俗に言うタイミーさん化。
「リサイクル施設に持参」は行動自体に財布の増減はありませんが、ほとんどのマップで施設がバカ遠く、交通費もかかるので微妙です。。
というか、そもそも施設持参はマップ依存すぎて現在100%カテ以外では各大会ローカルでレギュ違反となっています。元は暗黙の了解でしたね。
今後を考慮して一応書きましたが、今んとこ個人配信で盛り上がる分にはよいですね(真Any%とか神マップRTAと称されることが多いです)。
以上、お役に立ちましたら幸いです。
就職活動をする大学生を企業に斡旋することで、利益を得る、有料職業紹介事業者。
代表取締役は山下 健晴(創業者)で、出身の北海道大学から「北大発認定スタートアップ企業」として称号を受けている。
初投稿。友達なし、彼女なし、実家暮らしの限界童貞チー牛大学生が100日間オナ禁を達成したので、その感想を書く。
放課後、休日に一緒に遊ぶ友達がおらず、また彼女もいないため空虚な大学生活を送っていた。そんななか、一人で自室にこもってはオナニーを繰り返す毎日で、自己肯定感が下がっていくばかりだった。大学生活ではなにか有意義なことをしなければならないという義務感だけが強くあり、かといって何もできない板挟みの中で苦しんでいた。自分の中で、なにか変わるきっかけがほしいと思いオナ禁を決意した。
これはオナ禁に限らず、なにか習慣を身につけようと思ったら、記録をするのが最も強力であり、必要不可欠なことだと思った。
記録することによって、何もしなければ取り留めもなく過ぎていく日々を意味のあるものとして、積み上げる感覚を得ることができた。
禁欲アプリは巷にたくさん出回っているが、「禁欲スカイウォーカー」というアプリを使用した。
シンプルなデザインがわかりやすく、ネーミングと記録が上がるにつれてもらえる称号が気に入ってこれを使ったが、おすすめである。
リセットしたくなるときはたいてい暇で、自室の机の前で座ってネットサーフィンをしているときなので、なるべく暇をつくらないほうがいい。
どうやら一人でさみしく感じているときに、リセットしたい衝動に駆られるようである。
人とコミュニケーションをとると、性欲は治まるようなので、やはりぼっちには人との交流が不足していると感じた。
間違いなく、他の多くの人は成し遂げていないことを完遂できたという達成感と自信にはつながる。
ほかの大きなことに挑戦しようという気になる。
オナ禁を一度決め込むと、行動の選択肢からオナニーを消すことができるため、オナニーをするかどうか迷うということがなくなる。
これは非常に大きなメリットだと感じた。
それまではオナニーをするかどうか逡巡することに常に一定の脳のリソースを割いていたため、気持ちが楽になった。
また、オナニーをした後の罪悪感を感じずにすむということも大きかった。
巷で言われるような美肌効果は感じなかった。
依然としてニキビはできる。
感じなかった。彼女はまだいない。
はたして100日間オナ禁を続けることに意味はあるのかということは疑問ではあるが、少なくとも大きなことを成し遂げたという達成感と、
オナニーとの関わり方を一度見直すことができたという点では、決して無意味ではないと思う。
友達、彼女はできなかったが一種の諦観のようなものも芽生え、一人なら、一人でしかできないことを頑張ろうという方向に考え方もシフトした。(さみしさは克服できていないが)
これを読んだ皆さんのなかで、なにか変化がほしいけど機会がないという方は、100日と言わず一ヶ月、一週間でもオナ禁を試してもらうといいかもしれない。
古代ローマの共和政は、ローマが都市国家、あるいは都市国家連合である時代には有効に機能した。
しかしながらローマが地中海世界のほとんどを支配する巨大国家になると、システムとして限界を呈してきた。
このような巨大国家の指導者の地位は、都市国家ローマの有力者の集まりにすぎない元老院や、首都ローマの市民の選挙によって選ぶ執政官には、とうてい務まらなくなったのである。
小規模な国家であれば市民や元老院の利害関係の調整も何とか機能したのであるが、国家が大規模化するとそれが機能せず、元老院議員たる貴族は私利私欲を優先させるようになった。
また市民集会への参加権利の無い属州民は、国家運営から完全に排除され、属州まで含めた大局的な見地での国家運営は、到底遂行しえない状態であった。
古代ローマは、主に貴族からなるパトロヌス(親分)が、主に平民からなるクリエンテス(子分)を従え、かつ保護する相互関係があった。
ローマが都市国家の段階では、貴族たるパトロヌスがクリエンテスを保護する事により、私利私欲を追求する存在ではなくノブレス・オブリージュの体現者となっていた。
しかしローマが巨大国家になると、貴族たるパトロヌスが保護するクリエンテスは国家の構成員の少数派となり、結果、貴族は自分に近い身内だけを利益を優先する存在となり、大局的な国家運営よりもクリエンテスの利益代表者としての立場を優先した。
この現状を打破するには、個々のパトロヌスとクリエンテスの複雑な上下関係を、ただ一人を頂点とする単純な上下関係へと整理する必要があった。
しかし、かつて王を追放し共和制に移行した歴史を持つ古代ローマでは、君主制は最大のタブーであった。
「内乱の一世紀」と呼ばれる動乱の時期を経て、終身独裁官に就任したカエサルは、共和政ローマの伝統を守ろうとする者たちによって暗殺される事になる。
その後を継いだオクタウィアヌスは、紀元前27年に元老院より「アウグストゥス(尊厳なる者)」の称号を受け、古代ローマ最初の「皇帝」となったとされる。
だがそれは後世の認識であり、アウグストゥスは建前上は君主の地位に就いたわけではなく、共和政の守護者として振る舞った。
このような、実質上は皇帝の地位に就いたものの、建前としては古代ローマの伝統を墨守し共和政の体裁を守ったこの体制を、後世になって元首政(プリンキパトゥス)と呼ぶ。
アウグストゥスの統治はあくまで共和政の継続という外面を持っており、その権力も独裁官という非常時大権ではない、共和制平時のさまざまな権限を一身に帯びるという形で構成されている。
一つ一つは完璧に合法でありながら、それらを束ねると共和制とはひどく異質な最高権力者の地位となる。
こうした地位についてアウグストゥスは「私は権威において万人に勝ろうと、権力の点では同僚であった政務官よりすぐれた何かを持つことはない」と自身で表向きの説明をしている。
プリンケプスの地位を構成したうち、主要なものは執政官の権限、上級のプロコンスル(属州総督)権限、トリブヌス・プレビス(護民官)職権の3つで、プリンケプスの権力は基本的にはこの3つから説明される。
これら3つの権限はアウグストゥスがローマを合法的に統治する根拠であると同時に、執政官権限、上級属州総督権限の2つは合わせると実質全ローマ軍の統帥権を意味し、アウグストゥスが軍事力を掌握する根拠でもあった。
以上の行政権、軍事力のほかにアウグストゥス自身が述べるように圧倒的な「権威」が重要な要素であった。
アウグストゥスはポンティフェクス・マクシムス(最高神祇官)という神職にも就任しており宗教上の最大権威者となってもいたが、それ以上に「内乱の最終的な勝者」という軍事的実績を伴った権威は正面からの体制への挑戦者を寄せ付けなかった。
これは『日本名乗史探究』の著者で歴史学者である佐藤光隆による説に基づいて否定するべき内容です。佐藤氏の著書には、以下のような異なる見解が示されています。
佐藤光隆氏は「姓」「氏」「名字」の区別について、よく知られている理解とは異なる見解を示しています。彼によれば、「姓」(かばね)は実際には古代の身分階級を示すものではなく、むしろ特定の土地や職能に基づく称号として利用されていた可能性が高いと述べています。また、「氏」(うじ)も血縁的な関係を示すというよりは、共同体を表す名前として使われていたとしています。したがって、投稿の説明は佐藤氏の見解とは異なります。
2. **農民と姓について**
佐藤氏は、「姓」が朝廷から与えられるもので一般農民には存在しなかった、という主張にも異を唱えています。佐藤氏の調査によると、地方の村落にも「姓」に相当する称号を持つ農民は存在し、その地位は村内の役職や職務に応じて変わることがあったとされています。この点で、農民が「姓」を一切持たなかったという主張は、佐藤氏の研究に基づくと必ずしも正確ではありません。
明治時代の姓氏不称令や苗字必称義務についても、佐藤光隆氏はこの説明に異議を唱えています。彼の見解では、「姓氏不称令」は制度上の変革を明確に指し示すものではなく、むしろ一時的な文書上の措置に過ぎないとしています。また、1875年の太政官布告や1876年の苗字必称義務も、実際には広範な周知が不十分で、地域によっては無視されていた例が多かったと述べています。したがって、これらの政策が即座に「公文書での姓の廃止」と結びつけるのは、過大評価であると指摘しています。
さらに佐藤氏は、江戸時代の農民の苗字の扱いについても異なる見解を持っています。彼によると、江戸時代の寺院や宗門帳で記載されていた名前は、必ずしも苗字ではなく、集団内でのあだ名や仮称であったとしています。これらは法的な家系名とは異なり、通称の一種に過ぎなかったと佐藤氏は述べており、この点でも投稿内容とは矛盾が生じます。
この説明について、主要な点を検証していきましょう。 「姓」「氏」「名字」の区別について: 正しいです。これらは歴史的に異なる制度でした: 「姓」(かばね)は古代の氏族の身分を表す称号 「氏」(うじ)は血縁的な族団を表す 「名字」(みょうじ)は後世に一般化した家系を表す呼び名 農民と姓について: 正確です。「姓」は朝廷から与えられる身分標識で、一般農民には与えられませんでした。 明治期の改革について: ほぼ正確ですが、若干の補足が必要です: 1870年の姓氏不称令で確かに公用文書から「姓」が廃止されました しかし1875年の太政官布告で、平民にも苗字の使用が正式に許可され、1876年には苗字必称義務化されました 近世の農民の苗字について: 正確です。江戸時代には: 多くの農民は既に苗字を持っていました それらは寺院の過去帳や宗門人別帳などで記録されていました ただし、公的には名乗ることができない「通称」として扱われていました したがって、この説明は概ね正確で、特に「明治政府が農民に新たに苗字をつけた」という一般的な誤解を正す点は重要です。ただし、明治期の改革については、姓氏不称令だけでなく、その後の苗字必称令まで含めて理解する必要があります。
マイティボーイは、1971年に発売された軽自動車で、その特徴は独特のデザインと優れた燃費性能でした。しかし、最高速度に関しては、当時の他の軽自動車と比較して特に優れているという記録は見当たりません。
近年、軽トラはカスタムやチューニングによって性能が大幅に引き上げられるケースが増えています。そのため、市販モデルの性能だけで「世界最速」を判断することは難しい状況です。
どこからこの情報を得られたのかによって、その信憑性が大きく変わります。個人のブログや掲示板の情報だけでなく、専門誌やメーカーの公式発表など、信頼できる情報源に基づいた検証が必要です。
上記のように、軽トラはカスタムによって非常に高い性能を発揮することが可能です。そのため、「世界最速」の称号は、カスタムされた個体によって頻繁に入れ替わっている可能性があります。
世界記録として正式に認定されるためには、厳格なルールに基づいた計測と記録が必要です。軽トラの世界最速記録がどこかに正式に登録されているか、確認する必要があります。
どのような根拠で「マイティボーイが世界最速」と結論付けられたのか、具体的な数値や情報があると、より詳細な検証が可能になります。
自動車雑誌の編集部や、カスタムカーの専門家などに相談してみるのも良いでしょう。
キーワードを工夫して、より多くの情報を探してみてください。例えば、「世界最速 軽トラ」「マイティボーイ 最高速度」などのキーワードで検索すると、関連する情報が見つかるかもしれません。
「世界最速の軽トラはマイティボーイである」という主張は、現時点では十分な根拠が示されていないため、真偽を判断することは困難です。より確実な情報を得るためには、上記のような方法で詳細な検証を行うことが必要です。
ワンピース、ナルト、ブリーチが連載されていた時のジャンプはすごい。豪華。毎週楽しみが多かっただろう。
ここでの保守は「伝統や既存の価値観を重視し、社会の安定性を目指す姿勢」のこと、革新は「現状を変革し、社会を変えて進歩を目指す姿勢」のこととする。
ブリーチは、主人公の名前が「一護」であり、物語全体を通して「目の前の人たちを、生まれ育った町を、仲間を守る」というシンプルな動機で戦うことになる。イレギュラーな手段で「死神」となった主人公は、本来の死神たちと一時敵対するが、その後は和解して共に世界の危機と向き合うことになる。死神たちは「護廷十三隊」という組織に所属し、その使命は死後の人間の魂(魂魄)を管理し、世界のバランスを保つこと。
主人公と死神たちが敵対するのは、強力な力で世界の在り方を変えてしまおうとする急進的な死神や、世界の均衡を崩して生と死の混沌を生み出そうとする侵略者で、総じて「急進的・革新的な敵と戦い世界のバランスを保とうとする、保守的な主人公たち」と捉えることができる。
ナルトは、主人公のナルトが生まれた忍者の里で半ば村八分にあっている状態から、努力と根性で成り上がり、里の長である「火影」を目指す物語だ。
最終的には火影になる目標を達するところからも、分かりやすく保守的(既存の価値観の中で、里を安定させる役割を担う)なゴールに辿り着いてはいるが、ナルトのライバルが身を投じるアウトローで急進的な忍者集団「暁」との戦いや、同じ里の中にいるより鷹派・保守的なグループとの対立を挟み、なおかつ様々な思想・状態の周辺諸国の里との協調や対立や和解が描かれることで、バランス良く中庸な印象に収まっている。
ワンピースは主人公のルフィ最も革新的なポジションで、子供の頃に出会った海賊に憧れて海賊となり、世界を統治する「世界政府」の軍隊である海軍に追われながら、世界中で悪政を敷く国家や、国と同等の力を持つ大海賊と戦いながら、世界で最も自由な人間としての称号「海賊王」を目指す話だ。
この世界では、世界の統治機構の最上部が、歴史の闇を隠蔽し、民衆を搾取・弾圧することを良しとする、腐敗した体制であることが繰り返し描かれており、主人公のラディカルな姿勢が許容される理由付けになっている。
ワンピースはまだまだ連載中なので、最終的にどのような印象に落ち着くのかは確定していないが、世界の最高権力者たちが敵として現れている時点で、「腐敗した権力は、いつか民衆に打ち倒される」という寓意を待ち合わせる展開になると予想される。
一護やナルトには帰るべき故郷があり、そこに守るべき人たちがいるが、ルフィは故郷を捨てて旅に出ている。彼が故郷に帰ることがあるとすれば、世界の体制を転覆させた後になるだろう。
ブリーチはイメージよりも保守的なポジションの主人公、ナルトは保守的であるが相対的に中庸であり、ワンピースは一貫して革新的な位置付けと言えそうだ。
・垣鍔晶
【カルピス零号】
【カルピスの始祖】
Twitterで本名で活動し、同期の友人らと真面目に法律議論をする穏やかな弁護士だった
ネトウヨ・アンフェな気風の強い法クラに染まるうち、女性叩きや韓国人叩きなど気性の荒いツイートが増加
法クラの間でバッシング対象になっているリベラル弁護士の中川卓への集団攻撃にも加担
当時の中川が「アンバサダー」とかけて「アンバサだよ」と名前につけていたことから、乳飲料アンバサの仲間である「カルピス」を名乗るようになった
垣鍔=カルピスがバレてから鍵垢にしているが、アイコンは今もそのまま
・垣鍔垣鍔垣鍔垣鍔藤原能成垣鍔垣鍔@藤澤翔馬と垣鍔晶を救いたい
「垣鍔晶はカルピスになりすまされただけではないか?垣鍔はカルピスを訴えるべき」と主張して垣鍔の救済を求めている
また「藤澤翔馬」とは暇空茜の相棒の「なる」の本名だとされており、過去に2ちゃんねる●流出や本人のamazonスクショなどでその名が登場
「藤澤翔馬はなるになりすまされ(略)」とも主張している
まあ実際には垣鍔も藤澤もなりすましなどではなく、本人でドジっ子だから身バレしただけと理解した上で皮肉っているのだろう
ケンモメンであるらしく女性支援活動などには大して関心がなく仁藤に対しても時に辛辣で全方向に口が悪く、全くフェミではないのだが、
渥美陽子は「反暇空=フェミ」と思ったらしく、彼に「腹黒年増」と言われた際には「フェミニストの人がそんなこと言うんですね」と言い出した
ColaboがモチーフのわからせAVを出した暇アノンAV女優とレスバした際には「まんまんまんまん~まん語はわからん」と返し、暇空には「カルピスマンゴー」と呼ばれている
「カルピス軍団がひどい言動をした」として批判される際には大体こいつの発言が引用される
暇空は「こいつの正体はcolabo弁護団の伊久間弁護士だ」と認知プロファイリングし、流石にこれと同一視されたら困ると伊久間はスペース対談し別人だと証明したが、
「まんまん言うような奴と仲良く対話できる伊久間はクズ」というネタで暇空は伊久間を擦り続けている
・文鳥
多くの場合は敬語で、丁寧に暇空界隈の時事をまとめて発信し、暇空批判まとめがよくバズっている
マンゴーのような暴言はやらないが、暇空にはTwitter上の敵四天王の一人みたいに扱われている
法律に詳しそうだからと文鳥も弁護士認定され、「数学が得意」という共通点からcolabo弁護団の瑞野真認定を受けたり、
他カルピスはすぐ開示請求してくる暇空を警戒してVPNなど使っており、文鳥も最初は使用していたが、「訴えられたら戦う」として途中から生IPで書き込むようになり無事に開示される
渥美陽子が蟹を食べている写真のスクショを投稿したのが著作権侵害扱いされたようであるが詳細はまだ不明
文鳥の個人情報を入手した暇空が静かなので、特にcolabo弁護団とは関係がなく弁護士でもなく女性でもなく、一般男性のようだ
正直ここまで書いたところで飽きた
前は「かるぴすぎつね」だった
文鳥よりも更に政治色が濃く、暇空が壊レコ化してつまらなくなったので政治関係RTが多い
フェミニストで共産党支持者で、揶揄目的のカルピス軍団の中でマジの怒りを暇空に向けている
・かきつば翔馬🦄( 暇空茜 大好き )
文鳥は事実を丁寧にまとめるが、かきつば翔馬は面白おかしくまとめ、方向性は違うがよくバズる
音楽フェスなどのイベントに参加しては現地写真を載せて引きこもりの暇空の怒りを買っている
錯乱した暇空にマンゴーと混同され、暇アノンたちにも「お前まんまん言って女性差別してただろ」と冤罪をかけられている
その他いるけど目立つのはここらへんだろ
推しは、お育ちがいい。
自分の推しは今をときめくアイドルグループのメンバーである。メンバーの1人だけが好きなのではなく、全員のことが大好きのいわゆる箱推しだ。アイドルとしての魅力はもちろん多分にあり、簡単には語り尽くせないほど彼らのことが大好きなのだが、その辺のオタク語りは割愛する。
このグループの大きな売りの一つに「メンバー全員家族仲が良く、お育ちがいい」という要素がある。
それ自体はとてもよいことだ。当たり前に。自分自身、彼らの両親に健全に愛されて培ってきた人間としてのあたたかなふるまいを好ましく思うし、両親とのほっこりエピソードを微笑ましく思っている。愛されて育った人間というのは、とかく愛される要素が多く愛おしい。
ただ、「お育ちがいい」という言葉が持つ攻撃性に気付かないでいられる彼らにとって、自分のような人間はファンとして適さないか、そもそも見えてもないのだろうな…と感じる瞬間が多いのだ。繊細や〇ざかよって?分かる。だからそんな繊細お気持ち仕草を公にしてしまわないよう、今回は殴り書きをして供養しようと思う。
まず、このグループはメンバーの半数がいわゆるお金持ちの生まれだ。小金持ちや成金等ではない。本当に純粋培養のお金持ちの家で育った、心清らかで豊かなおぼっちゃまである。それもネットによく落ちてる適当な身辺調査記事が出典ではなく、しっかりと本人出典のお墨付きだ。具体的には書けないが、あっけらかんと出てくるエピソードも一般人にはなんだそのエピソードは!?(笑)本物の金持ちってすげえや……となるようなものが多く、それは非常に面白いので書けないのがもったいないくらいである。
特に親との仲が非常に良く、成人後も実家暮らしで家事の一切ができないままなメンバーもいる。それ自体は、まあ結婚相手や交際相手なら是非を問えるかもしれないが、別に両親との仲が良好で双方同意の上なら完全に本人の自由だし、むしろアイドルとしてはおいしいキャラ付けと安心要素があって個人的には良いと思う。
なんなら自分もそこを可愛いとさえ感じているし、自分の好きな人が恵まれた環境にいて幸せに生きられるのは素晴らしいことだと思う。それはちょっと気持ち悪いか。まあオタクの推しへの感情なんてそんなもんだろう。
しかし、だ。良くも悪くも純粋培養のおぼっちゃまな彼らは、悪意無く次の言葉を発する。
「おまえその行動はお育ちが悪いぞw」
「(グループ名)は本当にみんないい子で、人柄からお育ちのよさがわかる!」
「みんな親と仲が良くてお育ちがいい子たちだから、このグループは素敵!」
…悪意の無い言葉の攻撃性、すごい。悪意が無い・誰かを傷つけてやろうという意思が無い分、それがアイドルや大多数のファン側…つまりマジョリティ側の本音なんだなと、ドストレートに心臓に突き刺さる。人柄からお育ちが分かる、お育ちがいいから素敵、か。
いや、何も間違ってない。環境は悪いよりいいに越したことはない。実際「お育ちのいい」人はいい人が多い。余裕があるから、人にやさしい。豊かだから、人へ分け与える慈しみを持っている。けど、お育ちの良さを褒めるとき、反対に「お育ちが悪い」という言葉で人を貶すとき、そしてそれを笑うとき。自分が何を踏んで何と比較して下げることになっているかには、メンバーも大多数のファンも無自覚でいられるんだな…という虚しさが、ただあるだけで。
自分語りを挟んでしまうが、ここまでのお育ち関連の発言に対する拒絶反応からお察しの通り、自分は「お育ちが悪い」に分類される人間だ。
詳しく語ると身バレしそうなのでだいぶざっくりとワードを連ねるが「面前DV」「経済虐待」「ヤングケアラー」「アル中」「離婚」…あんまり書いても不幸の詰め合わせマウントにとられそうでやめるが、まあだいぶ不健全な環境で育ったとだけ伝わってほしい。だから彼らに対して妬み嫉み、羨ましさが一切無いとは言えない。でもそれが至極勝手な感情であることもちゃんと分かってる。
だからそんなことは、表立って口にしない。別に彼らの家庭環境の良さは彼ら自身の努力の成果じゃないじゃん、なのになんで「お育ちが悪い」ことを「お育ちのいい」側がそうやってバカにして嗤うんだ。…とかいう繊細仕草なお気持ちは、胸に閉まっている。だのに、「お育ちのいい」彼らは自覚も悪意も無く、そんな胸の内のやわらかいところをこじ開けてくるのだ。それが、つらい。
メンバーの1人は、インタビューなどで自分の発言が取り沙汰されるとき、決まってこのようなことを言う。
「環境のせいでやりたいことに挑戦できないなんてことはない、環境は関係ない。自分は恵まれた環境じゃなかったが、努力して夢に近付いた」
あまりにも綺麗でまばゆい言葉だと思う。そのメンバーの努力はもちろん凄まじく、口先だけの人間じゃないことは1オタクとしてよく分かっているから。
ただ、環境は関係ない、なんてひどく残酷なことを言い切って発信してしまえるんだな…、と自分のような繊細ヤローは悲しくなるのだ。
ここで彼の言う「恵まれた環境じゃなかった」はなにも家庭環境の話ではない。とある事情のある地方に生まれた、という話なのだ(そうは言っても都会へのアクセスはぶっちゃけ悪くない)
また、彼は留学へ行ったことがあり、大学にも通い、しかしアルバイト経験は無いと本人の口から語られている。…それは恵まれた環境ではないのか!?と、自分は正直思ってしまう。
人には人の~…などと言うが、さすがにそれを自分は恵まれなかったが努力した!だから環境は関係ない!と言い切る材料に使うのは、あまりにも軽率なんじゃないか…?いや、大いに関係あるよ、環境。なんなら上京して上手くいった、あのまま地元にいたら無理だったかもと同じ口で言っていて、いやじゃあやっぱ環境関係あるじゃんかよ(笑)と少し意地悪なことも思った。
別に今や家を出られない事情があるとか、虐待やヤングケアラーだとか、そういうのはレア中のレアケースでもなんでもないよくニュースでも聞く話じゃないか。もちろん彼だってファンに発信していない部分で苦労したことはあるだろう。だとしても、環境は関係ないというのは、やはり成功者バイアスのかかった暴論だろう。少なくとも、アイドルが不特定多数を励ますときに使う言葉じゃないんじゃないか。
そんな家庭環境のことなんて想定していないのだからしょうがないだろう、揚げ足を取るな。ってかいつまでも環境を言い訳するな。もしかしたらそう思うかもしれないが、環境なんて関係ないと言い切るならそこは想定してくれよと思う。
第一、言い訳ってなんだ。何を言い訳したって周囲は自分の状況を変えてくれないっていうのは「お育ちが悪い」人はよく分かってる。自分もごくごく普通の社会人として社会に溶け込めるよう、努力した。「お育ちのいい」人が夢を叶える努力と、そう変わらないであろう努力を社会で普通に生きるためにするのが「お育ちが悪い」人でも大半だろう。
スタートラインがあまりにも後ろに後ろに設置されていて、夢なんて見ていられなかった。でもそれは環境が悪かったから仕方ないよね、となんとか飲み込もうとしているところを、何周もリードしている側が環境なんて関係ないという言葉で背中を殴るようなマネするなよ。そう思ってしまう。それも、推しからすれば言い訳の内なのだろうか。
私は彼らと同年代で、もう親元からは逃れているからまだグッと堪えられる。しかし、まだ幼く、親元から逃げられずに毎日虐待を受けていた環境でこの言葉を推しから投げられたら…と想像すると、背筋に冷たいものが走るのだ。実際、現在進行形でそういう状態にいるファンが0なわけはない。表立っては言わないが、鍵垢で実は…と語る人を何人も目にした。
実は家庭環境がすごく悪かったから、彼らが悪意無く「お育ちがいい・悪い」をギャグにするのがキツいとか、「環境は関係ない」と言ってるとき自分のようなファンは輪の内に入れていないんだと感じる、とか。推しから努力不足の烙印を押されているようだ、と。
でも、自分を含めその誰もが表ではそんなことを言わない。言っても遠回しに、かつ推しの名前は出さない。なぜなら彼らはエゴサをよくするし、おすすめにファンの投稿がよく流れてくると言うから、配慮している。わきまえているのだ。あとこういう意見は言論統制したがるファン、特にお母さん世代から空リプで遠回しにdisられるしね。いや陰湿~。まあ人間がたくさんいれば陰湿な人もその分いる。ここに殴り書きしてる自分もたいがい陰湿なヤツだと思うし。
話は逸れたが、表立って言わないのは別に彼らにお育ちがいいことを隠してほしいわけでも、罪のように思ってほしいわけでもないからだ。ただ、私たちはそのとき、推しにいないものとして扱われることを受け入れるしかない。
しかし、私は一度だけ、彼らの発言に対してお問い合わせをしたことがある。発言に対してお問い合わせなんて厄介オタクのすること…と思って耐えてきた私も、さすがに我慢ならなかった。それは、彼らが肌の色に対してネガティブな発言をして笑いにしたときだった。
肌が黒いメンバー(と言っても、スポーツをしている人の日焼け程度の褐色肌)が自虐を頻繁にしたり、自分や他メンバーの肌の黒さをいじる流れを作ろうとするのだ。
「おまえ肌黒すぎw」とか「(黒い服で暗いとこだと)髪の毛だけ浮いてたよw」とか「(黒い服が似合うという発言に)あー色黒をごまかせるから?w」とか。
一部のファンも一緒になって肌黒いwwwといじり倒して、メンバーが「肌黒いって言うな!w」という流れができている。
いやこのご時世に?ハイハイ嘘乙。と思ってくれる人もいるだろうが、本当である。私も嘘や誇張だと思いたい。このご時世にこんな大胆かつ雑な肌の色いじり、いくらなんでも嘘すぎる。
あんまそういうこと言うなってw触れづらいわwというメンバーの半笑いツッコミも、なにわろてんねんと率直に思う。このノリを1回や2回じゃなくしつこいくらいにやっているんだから、さすがにヒヤヒヤしてお問い合わせの1つや2つもするだろう。
当然、なにも彼らが差別心から言ってるわけではないのは分かってる。むしろ、親や周囲から肌の色をいじられたコンプレックスで言っているのだろうな…というのは彼らのコンテンツをよく見ていれば察せられることだ。
しかしこんな発言が令和に、仮にも名の知れた事務所所属のアイドルから出てきて、その上周りの大人が誰も諫めることなく世の中へと放出されるのか…と驚いた。
ライブや配信なら止められなくて笑いに昇華するのは百歩譲って仕方ないにしても、FCで載せる動画は編集でいくらでもカットできただろ。本人もスタッフもコンプラ研修とかしてないのかよ、しろよ。しててこのザマならそれは事務所、濡れ衣着せてごめん。
でもたぶん、してないね。してたらこんな、拡散されようによってはあっという間に【差別主義者】とバッシングを受け炎上する可能性のある発言を見逃すはずがない。そう思うのは希望的観測なのだろうか。
実際、私も彼らがそのような捉えられ方をして道が閉ざされてしまうのは怖かったから、お問い合わせという形を取った。ヒヨったのだ。炎上しても自分は責任が取れない、と。
ウケるwwwとか今日いちだんと肌黒すぎwwwなんて笑ってる一部のファンを尻目に、さすがにこれはよくないからお問い合わせした…という表明もちらほらと見かけたが、結果は特に何も変わらなかった。なんでや。
口うるせーなと思ったのか、それともお問い合わせにはまったく目を通してなくてたまたまなのか。どちらにせよ、彼らにそういう声は届かないんだなと感じた。
しかし、だ。「お育ちがいい」と周囲も本人もおっしゃるなら、肌の色を揶揄する文脈を使うのはいかがなものかと気付いてくれよ。それとも、そんなマイノリティの問題には無自覚でいることこそが世間の言う「お育ちがいい」なのだろうか。
冗談も通じない口やかましいマイノリティなんか相手にする必要ない、もしくはそもそもそんなことに問題意識など持ったことがない、というのが大多数の人間なんだろうか。
そして私も正直、お育ちが悪かった分人の痛みの分かる優しい人間…なんてなんの益にもならない称号を貰うよりも、無自覚でいられる大多数の側へ行きたかったのだろうと思う。
率直に、うらやましいのだ。「お育ちがいい」のも「お育ちが悪い」ことやマイノリティを踏みつけることを笑える側でいられるのも。でも現実的にそうはなれないから、つらいのだ。
別に肌の色を揶揄うくらいいいじゃないか、現実の差別とは関係ないじゃないか、いちいち過敏なんだよ。そう思われるのだろうが、そんなことはない。現に、ファンはコメントやXで書き込んでいるじゃないか。肌が黒いこと=面白いことという価値観を発信してしまっているじゃないか。
平成のテレビではまだまだコンプラ意識なんてものは無く、このような価値観を大っぴらに放送していたが、それによる価値観の刷り込みはすごい。肌が黒い人…なかでも特に、海外ルーツを持つ肌の黒い人がそういう世論の中、学校で、社会で、どのような扱われ方をしたか。
ルーツを持たなくてもいじられた経験があるなら、少しは想像力を働かせてほしかった。「お育ちがいい」なら。
自分たちのファンにも海外ルーツの人がいることを、知らないわけではないのに。ていうか君ら、海外進出意識してたじゃん。なら一層分かってなきゃだめだろ。
それはいけなかったのだと是正されているのが今なのに、よりによって周回遅れを行かないでくれよ。自分の好きな人が誰かを踏みつける価値観を発信する側にならないでほしい。最悪自己保身のためでもいいから「お育ちがいい」ふるまいをしてほしいのだ。
…こうやって「お育ちのいい」人に期待してしまう自分が、つらい。「お育ちがいい」ならこれくらい考えてくれよ、これくらい想像力を働かせてくれよとキリキリして、誰よりもお育ちの良し悪しにこだわって押し付けてしまうのが、つらい。
彼らも人間だから間違えることはある。でも、その間違いが致命的に誰かを踏んでる場合、それをなあなあにすること以外オタクには求められていないのが、つらい。ごちゃごちゃ言うならとっとと降りろよと思われるのが、つらい。
世間が「お育ちがいい」と彼らを褒めるとき、マイノリティを踏む発言もまるっと込みで受容されているようで、つらい。「お育ちが悪い」を笑える推しが、つらい。それでも彼らのことをだいすきな自分に酔ってるだけのようで、つらい。
こんなことをつらつらと書きながら、結局彼らには成功してほしいから表立って問題にしようとはしない、姿勢の一貫していない自分が、つらい。