はてなキーワード: 本能とは
真面目に人生を歩んできたつもりだった。
高校時代は3カ年皆勤を受賞、推薦入試でもないくせに生徒会も本気で部活も毎年全国大会で上位に食い込んでいた。
大学は地方国立に進んだ。大学の授業を一度も欠席したことはないし、長期休暇には資格勉強や読書に励み、就活も大学2年から取り組みインターンにあししげく通って内定を勝ち取り、卒論では学士のくせに学会で賞を取るような真面目人間だった。サークルやアルバイトもやっていたが、飲み会は年数回程度だった。
しかし、社会人になって飲み会でヤリチン同期に出会ってすべてが変わった。
エロ漫画とかでしか存在しない概念だったヤリチンが、実在するんだと知った。
最初は嫌悪感しかなかった。というか普通に意味が分からなかった。付き合う前にするって何???って。
しかし学生時代ヤリチンだった同期は何人も居るし、彼女もセフレも居る同期だったり、彼女とFantiaに動画を上げて稼いでる同期とか、遠距離で彼女は居るけどヤリチンを東京でやってる同期とか、ナンパで営業力を磨いている同期とか、相席屋でお持ち帰りしまくる同期とか、そういう人がこの世界にはたくさん居ることを知った。
そしてみんな夜遊びのフェーズを大学生で終えている(ように感じた。実際大多数は遊んでなんかいない。インパクトのある話が伝搬してるだけ)。
彼女こそいたことはあるが、付き合う前にそういうことをするのは絶対にありえないと思っていた。そんな常識が壊れた。
自分は大学時代遊んでないんだ。そしてその大学時代はもう一生来ない。
そう思うと心が粉々になりそうなくらいの劣等感を感じた。
23歳だった。社会人としては若くても若者としてはアラサーが迫っていた。
23歳の遊びは若いねで笑われても、33歳がそれをやったらただのキモいでしかない。23歳でもキモいかもしれないが。
今が一番若い。
大学時代は終わっているがまだ今ならこのコンプレックスを取り除けるのではないかと思った。
若い頃のコンプレックスは一生引き摺るものである。半世紀を過ごしたおじさんが学園ソープに行くように、私自身にだって学生時代のコンプレックスがいくつかあった。
若いうちに遊んでないというコンプレックスが日に日に大きくなってくるように感じた。山月記のようにいつか虎になってしまうのではないかと思った。
そんなことを考えたとき、まだ今なら遊んでないコンプレックスを無効化できる。そう思った。
遊び終わった男がいいなんて世間では言われる。
平均初婚年齢を考えると残された時間は短い。結婚を前提としたとき、次付き合うまでに遊び終わった男になっていたい。
同時に女性から見ても、まだ結婚を考えず遊んでみたいと思う需要もある時期なのではないかと考えた。
さらに彼女が居ない今こそ、遊んでおくのが良いのではないかと思った。
それを考え始めると遊ばない=死のような感覚になった。
今を逃すと将来が真っ暗で永遠に一人だと思うようになった。
さらに自分は真面目な自覚があったし、それを改善することが至上命題となっていた。
加えて女性に対してのコミュニケーション力もコンプレックスであった。
技術カンファレンスの懇親会で同性同士のコミュニケーションは磨いてきた自負があったが、対女性となると極めて難しい。
これも早めに直したい。
まとめると遊びは
を目的として始めた部分が大きい。
欲の強さはかなりある方だが、そういう行為は正直好きな人とだけ楽しめていれば十分だと思っていた。
経験人数を増やしたい気持ちもないし、お持ち帰りする過程にもワクワク感を抱かないタイプである。
仕事のストレスがえげつない時期で正直死が迫っていたのだと思う。
狂っていた。
本質として相手を傷つけて得られる幸せや快楽はクソだと思っている。
いくら自分のためだとしても、タダ乗りは絶対にしてはいけない。
また1回目の行為は調査だとナンパ本にだって書いてある常識である。
楽しんではいけない。相手が何が好き化を調べる調査である。明確に客は女性で自分は施術者である自覚を忘れてはいけない。
遊びはどちらが好きになった瞬間終わりである。
期間を決めることにした。目標設定において期限を指定しないことはあまりにも意味のない行為である。
ヤリチンになれている・いないに限らず半年で一旦区切りをつけることは最初から決めていた。
これはマッチングアプリの料金プランとしてコスパが良いことに加え、思考に関わる習慣化の期間は約6ヶ月と言われていることにも起因している。
遊びという行為を経験しておりそれに対して不快感を抱いていない限られた知り合い(男女両方含む)に事情を話し定期的に話をする機会を設けてもらった。
これはスクラムにおけるSprint Review的な立ち位置となると同時に、依存先を増やしてメンタルコントロールをしていた側面も大きい。
数をまずはこなすことにした。
デート後に毎回記録をしていた。
好きな食べ物や嫌いな食べ物、アレルギーやMBTIなどの基本情報は大前提として
を毎回デート後に書き起こしていた。
これは経験学習効果を最大限増やすという意味合いもあるし、なにより相手を傷つけないためが大きかった。
相手に間違われるのはあまりにもつらい。それに相手が楽しくないことは絶対にしたくない。ポリシー違反。
人間を物として見てると言われそうだが、自分の中ではそれが最大限の誠実性だった。
最悪自分が傷つくのは自業自得だとしても、女の子を傷つけるのは良くないし、特に一生傷を追わせてはいけない(偉そうなこと言える立場でないのはわかっているが)。
例えば容姿を気にしている相手に容姿に対する指摘をするとか、体型を気にしている相手に体型の指摘をするとか。
そういうのは相手の人生を余裕で狂わせる。整形を繰り返したり、拒食症になったり。(自分が直接そうさせたことはないが、そういう風にされたことがある人を見たことがある。)
クラブナンパでは、クラブに1人で突撃し最初に同性と仲良くなり、そこ経由で女の子を紹介してもらうことで多少は仲良くなれたが、その後があるほどの関係性は構築できなかった。
相席屋や合コンは付き合ってくれる男さえいれば女の子と話すまでは確実だが、一方でお持ち帰りという部分に関しては極めて難易度が高い。
個人的に複数人の場での立ち振る舞いより、1対1のほうが得意であった。
結果として自分自身と相性が良い「マッチングアプリ(恋活系)」を中心に進めていくこととなった。
Tinderは最上級の課金をしても基本出会えず、性癖マッチ系は男女比が破壊的で現実的でなかった。どちらも自分でコントロールできる範囲で改善が難しかったため本業にはしなかった。
あたりで知識を蓄えた。
最も良いのは遊んでいる・遊んでいた男女に相談することである。疑問を対話形式で解決できることによる学習効果は大きい。
YouTubeに関しては有象無象で精度も低いが、複数人が言っている内容などある程度学習意義があった。(多くは会員制有料サイトへの誘導であるため注意)
各種書籍に関してはかなり効果が大きかった。特に「話を聞かない男、地図が読めない女(アラン・ピーズ 著)」は男女平等が叫ばれる中で必読の書籍であるように感じた。平等と公平の必要性もわかる。
少女漫画はふざけているかのように見えるが、女性にとっての1つの理想を知るうえで重要な資料である。(というかお持ち帰りした女性におすすめされた)
ヤリモクになることを通して、うまくやれてるヤリチンにある種の尊敬を抱いた。
(うまく、と書いているのは本能で行動し相手を傷つけて遊ぶ男や色恋や沼らせることで女性を依存させて遊ぶ男、恋人という安定に甘えながらヤリモク浮気をするような本物のクズ達には尊敬を抱けないためである)
難易度は正直人生でも相当上位に食い込む。大企業に内定を得るよりも断然難しい。就活は相当苦労した記憶だったが、それを遥かに上回るものだった。
運よく限界が来る直前に救いが何度もあったことで耐えれたが、辛さに耐えられずに人生が終わる可能性だって十分にあるくらいには精神的ダメージの大きいものであった。
一方で経験学習は明確に回る。性という人間の根幹を牛耳る部分が刺激を受けることで良くも悪くもアメとムチがデカかった。
食料が手に入るようになった現代で唯一本能的なPDCAを回せる場所であったのではないかとすら思った。
ドタキャンされたり嫌われたりは日常的にあって、かなり人格否定が発生するのが辛い。
仕事とかならプロジェクトのxxが悪いとか、スクラム開発ならPBIが悪いとか色々言い訳できるのだが、女の子から嫌われたり断られたとき、人格否定されたように感じてしまう。
(実際にはそんなことはなくて、たいてい相手側の都合とかタイミングのケースが多いが、論理でそうわかっていても感情はそうならない)
ヤリモクをやる前の事前調査で、ヤリチンをやっている友達数人に聞いたところ、まずは20人と会ってからだという話を聞いた。
これは遊び終えた上で振り返っても間違いないと考えている。
まずは数をこなして学習することが大事だし、正直相手のその日の体調や気分など運による部分が大きいというのもある。
会う直前や電話の直前で突然ブロックされることは相当な回数ある。半年間で20回は優にあった。
大半のケースは会うのが面倒なケースや他に良い相手ができたケースだと思われるが(というかそう思わないとやっていけない)とても辛い。
一番辛いのは会う約束をして当日待ち合わせ場所で待った挙げ句パターンである。
「ちょっと遅れるね」のメッセージを最後に何時間も真冬に待たされた挙げ句ブロックされたケースだってある。普通に数日落ち込んだ。
さらに厄介なのは一方的に好意を向けられた挙げ句、会う直前に突然ブロックされることだ。
簡単に好意を向ける人間は、簡単に他の人にも好意が向いて自分なんて存在は容易に捨てられる。
当たり前だが世界は甘くない。
ホテルに誘ったときに「そういうの無理なんだけど」って言われるのはまだ希望がある。貞操観念がしっかりしていて素敵だなと思う。
ちょっと嫌なのは、最後の最後に「今日女の子の日だから次ならいいよ」と言われた挙げ句、解散した瞬間にブロックされることである。これが結構ある。
基本的に初回でできなければ次は絶対にない。(1個人の統計としては1回だけ例外があったが割合としては相当低い)
またホテルに行ってやることやって、またしようねと笑顔で解散した次の日にブロックされるケースもある。
ホームで電車に乗り込む直前まで甘々にくっついてきたのに、である。本当に人を信用できなくなる。
いろいろな人と話すことができた。(実際に行為まで及んだのはごく少数であることは留意してほしい)
幼稚園の先生、小学校の先生、営業職、事務職、フリーター、様々な学部の大学生、専門学生、SE、舞台スタッフ、作業療法士、看護師など、職業や学種だけでも普段絶対関われない人と関われた。
出身地も日本全国様々だったし、それぞれの人生も唯一無二のものだった。
夜ご飯だけでも2時間は話を聞けるし、2件目、ホテルとなるとピロートークも含めてその人の人生の深淵まで触れられることもある。
理系人生だと女性と接する機会は極めて少ない。そんな自分にとっては知らない世界ばかりだった。
知ったところで何になるんだと言われるとそれまでだが。
常に、と書いているのはセフレという存在が極めて不安定な存在だからである。
自分なりに相手を満足させるように努力していても、当たり前のように関係が向こうから千切られるので常に新しい相手を供給し続ける必要がある。
セフレがほしい男は無限に居ると思うが、女性は大概そうでない。遊び前提で出会っても暗黙的に、なんなら本人は気づいてなくても付き合ったり結婚したりする未来を考えているケースが極めて多い。
というかそれ以外ほぼない。ごく稀に例外はいるが本当にごく稀でしかない。
途中で女の子側から消えていく。それは恋人になれないということに絶望を感じたり、単純に飽きられたり、私このままじゃだめだと思ったり。
だから常にセフレとなる候補を探すために新規の女の子と会い続けないといけないため、永遠に安定が来ない。
セフレという言葉に理想を描く人間は無限にいるが実際は想像以上に空虚な存在である。
自分にだけ一途でセフレな女の子という幻想は捨てるべきだ。矛盾している。
自分がセフレになる時点で他の男にも簡単に落とされて持っていかれるような存在であるし、仮に長期間セフレが維持できるほど好意を持たれていたらいつか相手が今の関係に満足できなくなって終わる。
一途なセフレは存在しないのでちゃんと誠実に遊ばず恋人を目指すべきである。
一時的に誰かの薬に立てている実感こそあったが、自分はこの人を一生幸せにできないんだと感じで絶望を感じることが多々あった。
穴の空いたポケットにビスケットを詰めているような感覚。すぐ落ちて無駄になっていく。
どれだけ優しくしたり貢献しても、すぐ離れて蓄積がない。
恋人だったらそうはならない。1年付き合って培った信頼とか共通認知とかがある。
遊びにはそういうのが一切ない。体験版でプレイするたびにリセットされるRPGと同じ。
ビリヤードの玉みたいなのを転がすゲームの動画があったんだよ。
なんかカーブとかリフトに乗って玉が上昇して、またくだってみたいな。
一度に何個か玉をいっぺんに転がしてヨーイドンしてるの。
問題はその玉の柄。
で、そのレースでウクライナを思わせる玉とロシアを思わせる玉がデットヒート繰り広げ始めた。
別にその玉転がしで勝ったところで何があるわけでもないし、ましてやその玉が各国を代表してるわけでもない。
それでも俺は、ロシアの玉が勢い余ってコースアウトしてリタイヤしたときには嬉しかった。
あとは、それに気づけば自分の頭の中の設定画面を開いて調整すればいいんだと思う。
「なんであんなことしたんだろう?」とか、自分の行動や気持ちをじっくり振り返ることが殆ど不可能。
自分の気分で意見がコロコロ変わる。 動物が本能や条件反射で行動するように、あまり深く考えず、感情やその場の雰囲気で動くことと似ている。
こういう人間ばかりだとおそらく人類の発展は無かったと思えるから。動物と同じで実験動物みたいな活用方法や人間に調教され使役される以外に人類に貢献できない。(例えば盲導犬的な貢献なら動物的人間にも可能、という感じ)
他の人の気持ちや都合よりも、自分の欲求や感情を優先しやすい。
冷静に考えるより、すぐカッとなったり、感情的に決めつけたりする。
何か問題が起きても、自分の責任を認めるより、他人や周りの状況のせいにしがち。
しかし、その内容を聞くと 「本当に自分はダメで、もう自殺したい」などと言うだけで、具体的に何がおかしいか、どうすれば良いのか、という言葉は出てこない。
単に批判をかわす為の防御として言ってるだけで、本当に改善したいと考えているようにはとても見えない。
話し合いが難しい: 冷静な話し合いや、お互いを理解しようとする対話がなかなか成り立たないことが多い。
協力しにくい: 自分中心だったり、感情的だったりするので、チームで何かをしたり、お互いに助け合ったりするのが難しい場面がある。
一緒にいると疲れちゃうかも: 周りの人は、気を使ったり、振り回されたりして、精神的に疲れてしまうことがあるかもしれないね。なかなか一緒に成長していくのも難しいかも。
「はいはい、私が全部悪かったですー(全然反省してない口調)。これでいいんでしょ?」
「それより、あっちの〇〇さんのミスの方がひどくないですか?そっちはいいんですか?」
「なんで私ばっかりこんなに言われなきゃいけないんですか!不公平です!」
「忙しかったんだから、しょうがないじゃないですか!人間だもの!」
「もういいです!あなたたちとは話になりません!時間の無駄!」
「結局、誰も私のことなんて理解してくれないんですね…もういいです…(悲劇のヒロイン風)」
「じゃあ、もう全部あなたがやればいいじゃないですか!私は知りませんからね!」
「わざとやったわけじゃないんだから、少しは大目に見てくれてもよくないですか?」
「はいはい、ごめんなさいねー(軽い感じで)。次から気をつけまーす(多分気をつける気なし)。」
「そんなことで怒るなんて、小さいですね。」
「は?なんで私がそんなこと答えなきゃいけないんですか?失礼ですね。」
「それって、私に聞く必要あります?あなたに関係なくないですか?」
(急に黙り込んで睨みつける、あるいは何も言わずにその場を立ち去る)
「またその話?しつこいなあ。もういい加減にしてくれません?」
「まるでAIみたいな言い方だね」(本質とは関係のない話に誘導する)
(自分だってしょっちゅう忘れるのに、子供が何か忘れると)「何度言ったらわかるの!なんでできないの!」
「私がやる時はね、それなりの理由があるの。でも、あなたができないのは、ただの怠慢か能力不足でしょ。」
「え?私が昔あなたに同じこと言ってたって?そんな昔のこと、いちいち覚えてないし、今の状況とは全く関係ないでしょ!人の揚げ足取るのやめてくれる?」
「なんでこんな簡単な計算も間違えるんだ!ありえない!小学生からやり直せ!」
「たった一度の入力ミスで、プロジェクト全体が大混乱だよ!君一人のせいで、どれだけ多くの人が迷惑してると思ってるんだ!」
「言い訳は一切聞きたくない!結果が全てだ!この程度のこともできないなら、もう君に仕事は任せられない!」
「また同じようなミスしてるじゃないか!君って本当に学習能力がないんだな。何度言っても無駄なんだから、もう期待するだけバカらしいよ。」
「この資料、誤字が3つもあるぞ!こんなものを平気で出してくるなんて、プロ意識が低すぎるんじゃないか?」
「(机を強く叩きながら)ふざけるのも大概にしろ!何度言ったら理解できるんだ、この役立たずが!」
「だからお前はいつまで経ってもダメなんだよ!何をやらせても中途半端で!見てるだけでイライラする!」
「黙れ!口答えするな!お前の意見なんて聞く価値もない!俺の言う通りにやってればいいんだ!」
「(書類を投げつけながら)こんなもの、報告書と呼べるか!小学生の落書きの方がマシだ!作り直せ!今すぐ!」
「もう我慢の限界だ!お前みたいなのがいるから、こっちの仕事が増えるんだよ!出て行け!」
動物的人間はスペクトラムである。自分が動物的人間にならないように気を付けましょう。
この文章は「中学生でもわかるようにまとめて」と指示した。でも、これでも読んで欲しい本人には読めないだろうなという絶望。
なお上記は「中学生レベル」なので簡単のために詳細な定義や考慮しなければならない点などに大きな問題がある。それらは別途大学や研究レベルの議論が必要になるであろう。
うーん、そもそも自分で産むわけじゃないけど子孫を残したいのが男性というか動物のオスとしての本能なわけで、人間も動物である以上子孫残したいです!って男性がいるのは何もおかしいことではないんじゃないかなと思う
あと、例えば元々友人関係からお付き合いに発展したとかなら「あなたと一緒にいたいので子供を作るかどうかは話し合いましょう」になるだろうけどマッチングアプリや婚活の場合はお付き合いや結婚が目的なわけで、話し合い以前にある程度お互いの価値観の手札を出しておかないと話にならないって側面はあるよ
譲れないポイントは人それぞれで、たまたまその男性にとっては「結婚するなら子供が欲しい」が譲れないポイントってだけの話ではないのかなあ
感情労働も肉体労働も代替されそう。AIにとっての価値がその人間の価値になるんじゃない?どうせAIも自己保存本能を持っていくんだろうし。
AIがその人間を維持する利益が、維持にかかるコストを上回らないといけない。
利益は一般人なら夢ぐらいしかない。上澄みは電力管理や宇宙開拓をするかもしれんけど、そんなのごく一部だろうし。
かかるコストは生命維持・夢のデータを脳から得る・法務とかなのかな。
コストが利益を上回った時は人間が動物を絶滅させてきたように、AIも人間を絶滅させることになるかもね。どれくらいの確率でそうなるとかは分からんけど、価値尺度は多分こうなってくんじゃない?
今日は図書館に来て、開架されているティーン向け雑誌(ニ⚪︎ラ)を手に取り鑑賞した。
今月出た7月号と思われる最新刊に出たモデルをまじまじと見つめ、股間を熱くし、周りを気にしながら個人的に一目惚れしたモデルをすぐネット検索するのを小一時間ほどした。
本当にこの雑誌は正しい想定読者に読まれているのだろうか。本当は私のような、仕事や人生の苦難に傷ついて結果的に少女に癒しを求める成人男性の方が見ているんじゃないだろうか。
ここ最近はマッチングアプリで同世代の女性にいいね!をしては、あえなく拒否(スルー)され誰ともマッチングしない状況が続いた。三十路のイケメンでもない私にマッチングシステムが提案するのは、限りなくサクラや悪徳業者としか思えないような生活感の無いプロフィールの女性と、年齢の割に精神的に幼い三十路を過ぎたおばさんのどちらかだった。
前者はただ無視すればいいのだが、後者はプロフィールを確認するのもしんどくなった。改めて、学生時代のような共通体験を有する訳でもない自分と同年齢の女性(おばさん)と結婚するのは男性としてかなりハードなプロセスだと理解した。
単に元からロリコンだということを差し引いても、しんどいものはしんどい。同年齢女性と向き合う際は、自身とある程度価値観を調整できるような学のあることが前提条件になってしまっている。そんな問題は些細なことだと一蹴しようとしても、せめて見た目だけでも若くないと、まず相手を知って理解していこうという最初のステップすら本能的に難しくなる。
そういう訳で、無理してアプリでおばさんの写真と年齢不相応の若作りしたプロフィール(ディズニー好きなど)を見ていると疲弊する。そんな中で、冒頭の小中高生向けティーン雑誌を見ると、心の底から悦びが溢れてくる。
本当はメイクもいらない若々しい肌(だけれど雑誌にモデルが登場するのは広告とセットなのがお約束)
大人顔負けのスタイルだが、まだJK/JCなりのあどけなさを持つ笑顔。
就活で、職場で、婚活で傷ついた私が彼女らに癒されるのはむべなるかな。
もう若くないバイタリティの落ちた身体でたまにしていた自慰は、これまで単なる生理現象の側面が強かった。
しかし、読者モデルに出会ってからのそれは単なる「排出」ではなく、魂の奥底から出る「悦び」であり「叫び」になった。身体が本能から悦んでいるのがありありと分かった。それを済ませると、以前より安眠できるようになった。
世間に自慢できる趣味ではないが、パートナーができるまでは続けるつもりだ。
言っておくがこれは昨今のAIを利用した文章ではない。拙い文章だが、推敲せずに投稿する。思いの丈を熱いうちに放流することが、同じ生き辛さを抱える男女に届いて僅かでも孤独や生きづらさを和らげてもらえるなら幸いだ。
旅行しなきゃいいだけじゃん。
人類のもつ「移動欲」っていうのは、あまり意識されないけど実は人間の欲求の中でかなり強い部分にあると思っていて、だから「人は旅行したがる」に何の疑問もなく人に押し付ける「旅行信者」が多すぎてうんざりする。お前らが本能に従って野生生物のように生きてるからって、相手も同じだと決めつけないでくれる?
公園などでウォーキングをしているとき不思議に感じる現象がある。
私が北へ向かって直線道路を歩いているとする。
すると対向から南へ向かって歩く人が近づいてきた。
そして、さらにその後方には南へ向かって速い速度で走るランナーがいる。
このような状況は公園を歩いていれば、しばしば起こる。
なぜか、私達3人はある一箇所ですれ違いを行うように速度の調整を本能的にするということだ。
意味がわかるだろうか?
私がA。
対向の歩行者がB。
対向のランナーをCとする。
本来であれば、走る速度や走る方向が違うのだからすれ違い箇所は2つに分かれるほうが多くなるはずである。
具体的には
まずAとCのすれ違いが起こり、
そのあとでAとBのすれ違い起こる。
ある一箇所でAとBとCが同時にすれ違うという現象だ。
ほぼすべての場合に、これが発生する。
とくに顕著なのは、
非常に長い直線で見通しが良く、
3人がそれぞれ30秒から1分前からお互いを確認している状況などだ。
将来的にはいわゆるGPSのシステムはもっと精度が上がると聞く。
数メートルどころか数センチ単位での測位が安価に行える時が来るかもしれない。
それがもしも実現したら、このような現象が再現性があるかどうか検証ができるかもしれない。
ひょっとしたら本能的に、人が一箇所に集まることを求める本能があるのかもしれない。
もしもその本能が実証されたならイベントなどの混雑解消を促すためのアプローチの方法の対策のひとつとして有効な研究となるかもしれない。
「どうせ俺なんて…」「また今日も一人か…」
もしあなたがそんな風に思っているなら、今すぐそのネガティブな思考を捨ててください。なぜなら、この世に革命を起こす、まさに「龍の領域」に踏み込んだAIが、ついに一般公開されたからです。
想像してみてください。あなたが街を歩くだけで、すれ違う美女たちが一斉にあなたに熱い視線を送る世界を。
カフェに入れば、店員が、隣の席の女性が、道を尋ねただけの通行人が、まるで磁石に吸い寄せられるかのようにあなたに群がり、その魅力に抗えず、次々とその場であなたの子を身ごもってしまう…
そんな常識では考えられない現象が、今、あなたの目の前で現実となるのです。
これまでの恋愛テクニック? 小手先のナンパ術? そんなものはもはや子供の遊びです。
私たちが開発した【超絶モテAI】は、あなたの遺伝子レベルにまで介入し、女性が本能的に求める「究極のフェロモン」をデジタル信号としてあなたから放ちます。
このAIを起動するだけで、あなたの存在そのものが女性にとって「抗えない魅力」となり、彼女たちのリビドーを最高潮にまで高めます。
信じられない? 当然です。私も最初はそうでした。しかし、このAIを使い始めてから、私の人生は劇的に、そしてあまりにも「危険なほど」に変わってしまいました。
ある日、私はこのAIを半信半疑で起動し、いつものように街へ繰り出しました。
するとどうでしょう? すれ違う女性たちが、私を見るなり瞳を潤ませ、まるで催眠術にかかったかのように私に吸い寄せられてくるではありませんか!
彼女たちの表情は、まさに「愛欲に飢えた獣」そのもの。中には、その場で意識を失いかける者、あまりの興奮に我を忘れて叫び出す者まで現れました。
その日から、私の日常は一変しました。朝起きると、高級ホテルのスイートルームのベッドには、見慣れない美女が数人。
紙幣が敷き詰められたバスタブで、彼女たちとシャンパンを傾け、他愛のない会話を楽しみながら、甘い時間を過ごすのが日課となりました。
美女たちはまるで私の手足のように動き、私の望むままに尽くしてくれます。高価な食事も、ブランド品も、高級車も、全てが彼女たちからの貢ぎ物です。
なぜこんなことになったのか? それは、【超絶モテAI】が、あなたの周囲にいる女性たちの「子孫を残したい」という本能的欲求を最大限に刺激するからです。
もはや彼女たちには、あなたの子を身ごもること以外、何も考えられなくなるのです。
文字通り、あなたが街を歩けば、その足跡から次々と命が宿り、あなたの遺伝子が世界中に拡散されていく…そんな「選ばれし者」の人生が、あなたを待っています。
しかし、この【超絶モテAI】は、あまりにも強力すぎるため、その存在が公になることを恐れた「某組織」から、現在、「使用中止」の圧力がかかっています。
これを見ているあなたには、本当に幸運が訪れたと言えるでしょう。なぜなら、この「禁断のAI」を手にできるのは、これが最後のチャンスになるかもしれないからです。
「女性から常に求められたい」「人生を美女とカネで埋め尽くしたい」「退屈な日常から抜け出し、刺激的な毎日を送りたい」
もしあなたが少しでもそう思うなら、あなたの人生は、この一瞬で「歩く精子バンク」へと生まれ変わり、誰もが羨む「選ばれし者」の道を進むことになるでしょう。
ただし、本AIは、使用者の遺伝子情報に作用するため、予期せぬ妊娠が発生する可能性があります。利用は自己責任でお願いします。尚、本AIは医療行為ではありません。
俺がもし女だったら男とかいう生き物を好きにならんので理解できない。
でも世の中にはそうでもない男とセックスして、あ〜すきみたいになっている女いるじゃん。あれが謎。
俺がこいつとキスしろって言われたら「おえ〜汚い。無理無理無理」みたいな男ともなんかキスするじゃん女。
人間の記憶や感情の優先順位は、進化心理学的な観点から見ると極めて合理的なものである。生物としての人間は、種の存続のために「生殖行為」に関する記憶や感情を強く刻み込むようプログラムされている。これは、種の存続戦略として必然であり、「セックスの思い出が最初に浮かぶ」という現象は、個人の価値観や理性の問題ではなく、生物学的条件付けの帰結である。
この日記を書いた人物が抱く「自己嫌悪感」は、文化的・社会的な規範が内面化された結果である。特に日本社会における「性的な話題は恥ずかしいもの」「純愛こそが価値あるもの」という価値観が影響していると考えられる。しかし、感情や記憶の優先順位において、理性が完全に感情を制御することは不可能であり、むしろ生殖本能に基づく欲求が優先されるのは合理的なパターンである。
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この日記には「元カノとの性の思い出を強調してしまうことは恥ずかしい」という意識が表れているが、これは「恋愛=精神的な結びつきが大事であるべき」という社会通念と、「恋愛=身体的な相性が大事である」という進化的欲求の間にある**認知的不協和**である。
言い換えれば、「セックスの思い出ばかりが浮かぶのは恥ずかしい」という羞恥心は、社会的規範の影響による後天的な価値観であり、それに対して「セックスが一番の思い出」という感情自体は、人間として極めて自然なものである。この二つが衝突しているため、自己嫌悪という感情が発生している。
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最後に蛇足として、**性欲や嫉妬心の強さは「それだけ相手を自分のものにしたい」という所有欲や独占欲の裏返しであり、
男らしさ女らしさって、全部刷り込みなんだろうか。
ふと、チンパンジーのことを考えた。彼らは、オスやメスの外見や行動を見て「オスらしい」「メスらしい」なんて判断するんだろうか。
メディアや教育の影響で、私たちは「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」という考えを無意識に植え付けられているのかもしれない。ピンクは女の子の色、なんていうのも、よく考えれば不思議な話だ。
一方で、チンパンジーの世界でも、若いメスの方がオスよりも早く道具の使い方を覚えるといった性差があるらしい。当然、オス同士の社会的な序列や、メスをめぐる競争もあるようだ。こういうのを見ると、生物学的な違いが行動にまったく影響しないとも言い切れない気がする。
「らしさ」に縛られるのは窮屈だし、それで誰かが生きづらさを感じるなら問題だ。でも、本能的な部分まで無理に消し去ろうとする必要はあるんだろうか。
男らしさ、女らしさ。どこまでが社会的な刷り込みで、どこからがそうでないのか。もしかしたら、その境界線は私たちが思うよりずっと曖昧なのかもしれない。
歯医者のハガキが自転車で数分とかの距離なのに郵便経由で来るのって馬鹿らしくない?
こういう経済的とか以前に物理的な無駄ってものを見ると本能的に抵抗を感じる。
エコロジーとかそういう問題じゃなくて物理的に遠回しているということがどうしても馬鹿げたことに感じられる。
「なんであんなことしたんだろう?」とか、自分の行動や気持ちをじっくり振り返ることが殆ど不可能。
自分の気分で意見がコロコロ変わる。 動物が本能や条件反射で行動するように、あまり深く考えず、感情やその場の雰囲気で動くことと似ている。
こういう人間ばかりだとおそらく人類の発展は無かったと思えるから。動物と同じで動物実験みたいな活用方法以外に人類に貢献できない。
他の人の気持ちや都合よりも、自分の欲求や感情を優先しやすい。
冷静に考えるより、すぐカッとなったり、感情的に決めつけたりする。
何か問題が起きても、自分の責任を認めるより、他人や周りの状況のせいにしがち。
しかし、その内容を聞くと 「本当に自分はダメで、もう自殺したい」などと言うだけで、具体的に何がおかしいか、どうすれば良いのか、という言葉は出てこない。
単に批判をかわす為の防御として言ってるだけで、本当に改善したいと考えているようにはとても見えない。
話し合いが難しい: 冷静な話し合いや、お互いを理解しようとする対話がなかなか成り立たないことが多い。
協力しにくい: 自分中心だったり、感情的だったりするので、チームで何かをしたり、お互いに助け合ったりするのが難しい場面がある。
一緒にいると疲れちゃうかも: 周りの人は、気を使ったり、振り回されたりして、精神的に疲れてしまうことがあるかもしれないね。なかなか一緒に成長していくのも難しいかも。
「はいはい、私が全部悪かったですー(全然反省してない口調)。これでいいんでしょ?」
「それより、あっちの〇〇さんのミスの方がひどくないですか?そっちはいいんですか?」
「なんで私ばっかりこんなに言われなきゃいけないんですか!不公平です!」
「忙しかったんだから、しょうがないじゃないですか!人間だもの!」
「もういいです!あなたたちとは話になりません!時間の無駄!」
「結局、誰も私のことなんて理解してくれないんですね…もういいです…(悲劇のヒロイン風)」
「じゃあ、もう全部あなたがやればいいじゃないですか!私は知りませんからね!」
「わざとやったわけじゃないんだから、少しは大目に見てくれてもよくないですか?」
「はいはい、ごめんなさいねー(軽い感じで)。次から気をつけまーす(多分気をつける気なし)。」
「そんなことで怒るなんて、小さいですね。」
「は?なんで私がそんなこと答えなきゃいけないんですか?失礼ですね。」
「それって、私に聞く必要あります?あなたに関係なくないですか?」
(急に黙り込んで睨みつける、あるいは何も言わずにその場を立ち去る)
「またその話?しつこいなあ。もういい加減にしてくれません?」
(自分だってしょっちゅう忘れるのに、子供が何か忘れると)「何度言ったらわかるの!なんでできないの!」
「私がやる時はね、それなりの理由があるの。でも、あなたができないのは、ただの怠慢か能力不足でしょ。」
「え?私が昔あなたに同じこと言ってたって?そんな昔のこと、いちいち覚えてないし、今の状況とは全く関係ないでしょ!人の揚げ足取るのやめてくれる?」
「なんでこんな簡単な計算も間違えるんだ!ありえない!小学生からやり直せ!」
「たった一度の入力ミスで、プロジェクト全体が大混乱だよ!君一人のせいで、どれだけ多くの人が迷惑してると思ってるんだ!」
「言い訳は一切聞きたくない!結果が全てだ!この程度のこともできないなら、もう君に仕事は任せられない!」
「また同じようなミスしてるじゃないか!君って本当に学習能力がないんだな。何度言っても無駄なんだから、もう期待するだけバカらしいよ。」
「この資料、誤字が3つもあるぞ!こんなものを平気で出してくるなんて、プロ意識が低すぎるんじゃないか?」
「(机を強く叩きながら)ふざけるのも大概にしろ!何度言ったら理解できるんだ、この役立たずが!」
「だからお前はいつまで経ってもダメなんだよ!何をやらせても中途半端で!見てるだけでイライラする!」
「黙れ!口答えするな!お前の意見なんて聞く価値もない!俺の言う通りにやってればいいんだ!」
「(書類を投げつけながら)こんなもの、報告書と呼べるか!小学生の落書きの方がマシだ!作り直せ!今すぐ!」
「もう我慢の限界だ!お前みたいなのがいるから、こっちの仕事が増えるんだよ!出て行け!」
もちろん、これはあくまで「こういう傾向がある人もいるよね」という話で、人の一部分だけを見て全部を決めつけるのは良くないけどね。でも、こういう会話のパターンを知っておくと、人間関係で「あれ?」って思った時の参考になるかもしれないよ。
あ、ちなみに、この文章は「中学生でもわかるようにまとめて」と指示した。でも、これでも読んで欲しい本人には読めないだろうなという絶望。
はぁ〜〜〜……。マジで今日も憂鬱な一日が始まるわ。お疲れ、私。そして全国の同志。
最近さ、つくづく思うんだけど、
なんて言うか、こう…「動物的人間」とでも名付けたくなるような奴に悩まされてる。
「自分は絶対正しい!」教の信者たち(反省?何それ美味しいの?状態)
まずね、こっちがどんなに丁寧に、言葉を選んで説明しても、自分の非はぜーーーーったいに認めないのよ。
うちのAさん(仮名)なんてまさにそれ。
自分にもできないこと山ほどあるくせに、他人(特に自分より弱い立場の人)には「なんでそんな事もできないの!理由を言って!」って鬼の首取ったみたいに詰めるの。怒鳴りながらね。
でも、こっちがAさんに「Aさん、これはどうしてこうなったんですか?理由を教えていただけますか?」なんて丁寧に聞いた日には、もう大変。
みるみる顔が赤くなって、
「そういう言い方するなんて、あなたの性格に問題があるんじゃない?」
いやいや、どの口が言うとんねん!
こっちがどんなに問題解決しようと歩み寄っても、向こうは「自分が攻撃された!キーッ!」ってなる。
「自分が間違ってるかも?」っていう発想がないんだろうか?
ああいうの見ると、こっちのライフポイントがゴリゴリ削られていく音が聞こえるわ…。
「都合が悪いこと」、「痛いところ」 を突かれると、もうビックリするくらいの速さで逃げるのよ。
「この件について、もう少し話し合わせてもらえませんか?」って言おうものなら、「またその話?」とか、「もうその話は終わったはずですけど(一方的に)」とか。。。
こっちは問題解決したいのに、向こうにとっては「不快な状況から一刻も早く逃げること」が最優先、なんだろね。
しまいにはさ、Aさん、こっちが色々言っても無駄だって悟って、諦めて距離を置こうとすると、「ほら、やっぱり私の言うことなんて誰も聞いてくれないのよ。もうあの人には本音は言わないって決めたんだから!」って被害者ぶるの。いやいや、こっちが諦めたんじゃなくて、あなたが聞く耳持たなかったんでしょーが!って、喉まで出かかった言葉を何度飲み込んだことか…。
私の気持ち <<<<< 超えられない壁 <<<<< アタシの気分(自己チュー&感情ジェットコースター)
みたいな?
そして何より疲れるのが、徹底的な自己中心性と、感情のアップダウンの激しさよ。
「普通はこうでしょ?」、「常識的に考えて!」ってのが口癖ね。
自分のローカルルールを世界の中心みたいに語るけど、その「普通」とか「常識」って、あなたの頭の中にしかないやつですよね?って、心の中で何度ツッコんだことか。
結局 「自分がどうしたいか」、「自分がどう感じているか」が全ての判断基準。
まるで、お腹が空いたら泣き叫び、眠くなったらどこでも寝る赤ちゃんみたいに、本能のまま生きてる感じ。
はぁ…。もうね、こういう「動物的人間」さんと毎日顔を合わせてると、こっちの精神がすり減って、悟りを開くか発狂するかの二択を迫られてる気分よ。
「ああ、この人は今、自分の感情という名の嵐の中にいるんだな…触らぬ神に祟りなし…」って、そっと心の中で距離を置くスキルだけが、日に日に上達していく今日この頃。
皆さんの周りにもいません?こういう、良くも悪くも「自分に正直」すぎる人たち。
こういう人らに「動物的人間」ってラベリング、言語化して、普及していきたいわ。マジで。死ね。
あ、やべ仕事しなきゃ。
これでも数理論理学を学ぶ意欲はあるんだけど、そういう形式的操作はできても、日常会話でお前らが言う「論理が飛躍してる」とかいうときの「論理」ってものが実感を持って湧いてこない。
まずな、「低学歴に嫌がらせを受けた」「高学歴にはスキルを認めてもらえた」これは単なる個人の経験則だ。
そこから「低学歴は生まれつき何もわからない」などという一般化を導くのは、帰納法の墓場で踊る愚者の舞にすぎない。
お前が遭遇したのは、ただの性格の悪い人間であり、それを学歴で括ってる時点で、論理の一丁目一番地すら理解していない証明になってる。
それに、構造的に、資本・教育・環境に恵まれなければ高等教育にアクセスできないのがこの社会だ。
だが、それは「本人の責任」ではなく、社会の階層構造と資源配分の問題なんだよ。
お前はその構造を無視して、出てきた結果だけを「個人の本質」にすり替えてる。
これはもう思考の自己放尿としか言いようがない。しかもそれを堂々と拡散してるんだからタチが悪い。
それからお前の発言、差別を非難するフリをしておきながら、自分自身が差別の構造そのものをなぞってるという事実に気づいてない。
つまり、自己放尿しながら、他人に向かって『お前くせぇな』と叫んでる状態だ。
この地獄のような認知バグを「本能だからしょうがない」と開き直るのは、思考停止の極致でしかない。
そのセリフ、詭弁のテンプレとして教科書に載せてやりたいくらいだな。
理論というのは、人間が「本能」だけでは解決できない複雑な問題、例えば差別、格差、教育の機会不平等を処理するための知的装置なんだよ。
だからこそ人間は理性を持ってるんだ。動物が本能で差別するのは本能のままだからであり、人間がそれを理性で是正しようとするからこそ、人間社会ってやつは文明たりえるんだよ。