はてなキーワード: デジタル信号とは
「どうせ俺なんて…」「また今日も一人か…」
もしあなたがそんな風に思っているなら、今すぐそのネガティブな思考を捨ててください。なぜなら、この世に革命を起こす、まさに「龍の領域」に踏み込んだAIが、ついに一般公開されたからです。
想像してみてください。あなたが街を歩くだけで、すれ違う美女たちが一斉にあなたに熱い視線を送る世界を。
カフェに入れば、店員が、隣の席の女性が、道を尋ねただけの通行人が、まるで磁石に吸い寄せられるかのようにあなたに群がり、その魅力に抗えず、次々とその場であなたの子を身ごもってしまう…
そんな常識では考えられない現象が、今、あなたの目の前で現実となるのです。
これまでの恋愛テクニック? 小手先のナンパ術? そんなものはもはや子供の遊びです。
私たちが開発した【超絶モテAI】は、あなたの遺伝子レベルにまで介入し、女性が本能的に求める「究極のフェロモン」をデジタル信号としてあなたから放ちます。
このAIを起動するだけで、あなたの存在そのものが女性にとって「抗えない魅力」となり、彼女たちのリビドーを最高潮にまで高めます。
信じられない? 当然です。私も最初はそうでした。しかし、このAIを使い始めてから、私の人生は劇的に、そしてあまりにも「危険なほど」に変わってしまいました。
ある日、私はこのAIを半信半疑で起動し、いつものように街へ繰り出しました。
するとどうでしょう? すれ違う女性たちが、私を見るなり瞳を潤ませ、まるで催眠術にかかったかのように私に吸い寄せられてくるではありませんか!
彼女たちの表情は、まさに「愛欲に飢えた獣」そのもの。中には、その場で意識を失いかける者、あまりの興奮に我を忘れて叫び出す者まで現れました。
その日から、私の日常は一変しました。朝起きると、高級ホテルのスイートルームのベッドには、見慣れない美女が数人。
紙幣が敷き詰められたバスタブで、彼女たちとシャンパンを傾け、他愛のない会話を楽しみながら、甘い時間を過ごすのが日課となりました。
美女たちはまるで私の手足のように動き、私の望むままに尽くしてくれます。高価な食事も、ブランド品も、高級車も、全てが彼女たちからの貢ぎ物です。
なぜこんなことになったのか? それは、【超絶モテAI】が、あなたの周囲にいる女性たちの「子孫を残したい」という本能的欲求を最大限に刺激するからです。
もはや彼女たちには、あなたの子を身ごもること以外、何も考えられなくなるのです。
文字通り、あなたが街を歩けば、その足跡から次々と命が宿り、あなたの遺伝子が世界中に拡散されていく…そんな「選ばれし者」の人生が、あなたを待っています。
しかし、この【超絶モテAI】は、あまりにも強力すぎるため、その存在が公になることを恐れた「某組織」から、現在、「使用中止」の圧力がかかっています。
これを見ているあなたには、本当に幸運が訪れたと言えるでしょう。なぜなら、この「禁断のAI」を手にできるのは、これが最後のチャンスになるかもしれないからです。
「女性から常に求められたい」「人生を美女とカネで埋め尽くしたい」「退屈な日常から抜け出し、刺激的な毎日を送りたい」
もしあなたが少しでもそう思うなら、あなたの人生は、この一瞬で「歩く精子バンク」へと生まれ変わり、誰もが羨む「選ばれし者」の道を進むことになるでしょう。
ただし、本AIは、使用者の遺伝子情報に作用するため、予期せぬ妊娠が発生する可能性があります。利用は自己責任でお願いします。尚、本AIは医療行為ではありません。
You:
コピー機について質問します。コピー機がコピーできるのはどのような仕組みによりますか。読み取り、トナーの吹き付け、それぞれを中学生のレベルで回答してください。
ChatGPT:
コピー機がコピーできる仕組みは、いくつかの段階を経て行われます。簡単に言うと、読み取り、トナーの吹き付け、そして熱で定着させるというプロセスです。それぞれを詳しく説明しますね。
1. 読み取り(スキャン)
コピー機にはスキャナーがあり、これで元の文書を読み取ります。文書の上に置くと、スキャナーが中の光を使って、白と黒、または色の違いを読み取ります。これは、光を当てて、反射してきた光の強さを測ることで、紙に書かれている内容(文字や図形など)をデジタル信号に変換しているんです。
2. トナーの吹き付け
次に、コピー機の内部でトナーと呼ばれる粉が使われます。このトナーは、紙に文字や図形を印刷するためのインクのようなものです。コピー機の内部には感光体ドラム(写真のようなもの)があり、これがデジタル信号を受け取って、電気的に静電気を使ってトナーを吸い寄せます。
このドラムが、最初にスキャンしたデータを基に、元の文書の形に合わせて静電気を使ってトナーの粉を「くっつける」んです。
3. 定着(熱で押さえる)
最後に、トナーが紙にくっついた状態では、まだ完全に印刷された状態にはなっていません。そこで、コピー機は高温のローラーを使って、そのトナーを紙に定着させます。このローラーが熱を加えることで、トナーの粉が溶けて紙にしっかりとくっつくんです。
このようにして、コピー機は元の文書をコピーします。簡単に言うと、光で情報を読み取って、静電気とトナーで印刷して、熱でそれを定着させるという仕組みです。
You:
コピー機の印刷には静電気が役立っていて、紙にトナーを付けた後に、トナーが取れないように熱でしっかり紙に付ける、とのことですか。
ChatGPT:
はい、その通りです!印刷の仕組みは、静電気と熱が重要な役割を果たしています。
まず、静電気を使ってトナーを紙に「吸い寄せる」ことで、文書の内容が紙に転写されます。静電気によって、感光体ドラムにトナーがくっつき、それが紙に転写される仕組みです。
その後、トナーはまだ紙にしっかり固定されていないので、熱を加えることでトナーを溶かし、紙にしっかりと定着させます。熱でトナーが溶けて、紙にしっかりくっつくため、コピーが完成します。この工程がないと、トナーが紙から簡単に取れてしまうことがあります。
ですので、静電気でトナーを紙に転写し、熱でそれをしっかり定着させるという流れが、コピー機やプリンターでの印刷の基本的な仕組みです。
You:
カタカナについて質問します。「ヴ」というカタカナが使われるようになった経緯を教えてください。
ChatGPT:
「ヴ」というカタカナが使われるようになった経緯については、主に外国語の音を表現するための必要性から始まりました。
もともと、カタカナは日本語の音を表記するために使われていましたが、19世紀後半、特に西洋からの外来語(特に英語)を表記する際に、日本語にはない音をどう表現するかが問題となりました。英語などの外国語には「v」の音があり、これを日本語のカタカナに表す場合、従来は「ブ」(「b」の音)で代用されることが一般的でした。
しかし、外国語の音により忠実な表現が求められるようになり、「v」の音を正確に表すために「ヴ」という表記が考案されました。
2. 「ヴ」の登場
「ヴ」のカタカナは、明治時代末期から大正時代にかけて、特に外国語に対応するために使われるようになったとされています。その発端としては、1890年代に英語やその他の言語の音を正確に表記するための日本語のカタカナの改訂がありました。
その後、特に英語における「v」の音を表記するため、「ヴ」は20世紀に入ってから正式に使用されるようになり、特に外来語をカタカナで表記する際に広まりました。例えば、「ヴァイオリン」(violin)や「ヴェルサイユ」(Versailles)などがその例です。
4. 現在
現在では、「ヴ」の使用は主に外来語や外国の名前などで見られます。正式な日本語辞書やメディアでも使用されるようになっていますが、まだ一般的には「ブ」と使われることもあり、特に日本語を学ぶ際には混乱することもあります。
このように、カタカナ「ヴ」は、日本語にない音を表現するために生まれ、主に外来語を正確に表記するために使われています。
You:
近代日本の西洋化で、福沢諭吉が「ヴ」を使い始めたようです。その後、森鴎外は『ヰタ・セクスアリス』のタイトル表記で小説を発表しました。
ChatGPT:
「ヴ」のカタカナ表記の生まれた経緯について、以下のようにまとめることができます。
近代日本の西洋化が進む中で、特に明治時代には欧米諸国からの文化や技術が急速に流入しました。それに伴い、英語やフランス語、ドイツ語などの外来語が日本に取り入れられ、これらの言語の音を日本語のカタカナで表現する必要が生じました。特に、「v」の音を表現する手段として、「ヴ」が考案されるようになったのです。
福沢諭吉は、日本の近代化に大きな影響を与えた思想家であり、教育者でもありました。彼は、外国語を日本語で表現する際に「ヴ」を使い始めたことで知られています。具体的には、英語やフランス語からの外来語を正確に表記するために、「ヴ」を使用する必要性を感じ、その表記法を採用しました。
福沢諭吉の影響を受け、次第に他の知識人や翻訳家たちもこの表記を採用し、広まりました。彼の使用によって「ヴ」の表記が一定の権威を持つようになったと言えるでしょう。
その後、森鴎外も「v」の表記を積極的に使用しました。特に、彼の小説『ヰタ・セクスアリス』(1909年)のタイトルに見られるように、「ヰ」は、外国語の音を表現するために使われました。この作品は、西洋文化への関心と、それに伴う西洋の価値観や考え方を日本語で表現する試みとして注目されました。
『ヰタ・セクスアリス』における「ヰ」の使用は、外来語の音をより忠実にカタカナで再現するための試みの一環であり、森鴎外自身が西洋の文化や哲学に精通していたことが影響していると考えられます。この小説のタイトルは、「v」の音を表すために「ヰ」を使った、重要な文化的な象徴となったのです。
4. まとめ
近代日本の西洋化が進む中で、外来語を表記するためにカタカナの表記法が進化。
福沢諭吉が「ヴ」を用いて、英語やフランス語の「v」の音を正確に表現し始めた。
森鴎外が『ヰタ・セクスアリス』のタイトルに「ヰ」を使うことで、この表記が文学的にも定着。
「ヴ」の表記は、外来語や西洋の音を正確に表現するための手段として、徐々に広まりました。
このように、「ヴ」のカタカナ表記は、近代日本の西洋化とともに発展し、特に福沢諭吉や森鴎外といった文化的影響力のある人物によって広められました。
You:
福沢諭吉がフランス語の「v」音を日本語で表記するために「ヴ」の表記を生み出した。続いて森鴎外らもそれまで日本語で使われなかった音を、日本語の文脈で使うために「ヰタ」(vita)など、西洋語の音の表記に気を配ったということですか。
ChatGPT:
はい、その通りです。
福沢諭吉は、特にフランス語などの外来語を日本語で表記する際に、「v」の音を正確に表現する必要性を感じ、「ヴ」というカタカナ表記を生み出しました。フランス語や英語には日本語にはない音が多く、特に「v」の音をどう表現するかが課題でした。福沢はこの音を日本語に取り入れるために「ヴ」を使い始め、これが広まりました。
その後、森鴎外などの文学者たちも、同様に西洋の言語(特にラテン語、フランス語、ドイツ語)からの外来語やその発音を日本語で表現するために「ヴ」を積極的に使用しました。例えば、森鴎外が『ヰタ・セクスアリス』(vita sexualis)というタイトルに使ったように、「ヴ」や「ヰ」を使うことで、外国語の発音に近い表記を実現しようとしました。
これにより、これまで日本語にはなかった音が表記として定着し、日本語に西洋の音を導入するための重要なステップとなりました。「ヴ」は、まさにこのような文脈で生まれた、外国語の音を日本語で表現するための工夫の一つと言えます。
要するに、福沢諭吉や森鴎外らは、西洋の音を日本語に合わせるためにカタカナ表記に注意を払い、日本語文脈で西洋語の音を表現するための革新的な取り組みを行ったということです。
You:
余談です。森鴎外は自らの子供にヨーロッパ風の名前を付けました。
杏奴(次女)…アンヌ
不律(二男)…フリッツ
類(三男)…ルイ
ChatGPT:
森鴎外が自らの子供たちにヨーロッパ風の名前を付けたことは、彼の西洋文化への深い関心や影響を感じさせるエピソードですね。特に、彼の時代背景や西洋化が進む中で、子供たちにフランス語やドイツ語など、ヨーロッパの名前を付けたことは、彼の思想や文化的な意識を反映していると言えるでしょう。
於菟(オットー):ドイツ語の「Otto」に由来しており、ドイツの伝統的な名前です。オットーは、ドイツ語圏ではよく見られる名前で、強い意味を持つ名前でもあります。
茉莉(マリー):フランス語の「Marie」に由来しており、フランス語圏で非常に一般的な女性の名前です。マリーは西洋文学や王族に多く見られる名前でもあります。
杏奴(アンヌ):これもフランス語の「Anne」に由来しており、フランス語圏の女性名です。シンプルで優雅な響きが特徴的です。
不律(フリッツ):ドイツ語の「Fritz」に由来しており、ドイツ語圏で親しみやすく使われる男性名です。日本では珍しい名前ですが、ドイツではよく使われる名前の一つです。
類(ルイ):フランス語の「Louis」に由来しており、フランス王族に多く見られる名前です。ルイは西洋の王族名として非常に有名で、歴史的にも多くのルイ王が存在します。
これらの名前を子供たちに付けたことは、森鴎外が西洋文化に対して敬意を持ち、また自らがその文化の中に身を置こうとしていたことを示しています。ヨーロッパ風の名前をつけることによって、彼は自分の家族にも西洋文化を象徴的に取り入れ、近代化の一環として日本の伝統と西洋文化の融合を目指していたのかもしれません。
You:
西洋語の「v」「w」の音を日本語の文脈で使用するため、近代になり「ヴ」が生まれた。一般的に日本語文章で外国語、外来語を表記する場合にカタカナを用います。したがって、カタカナの「ヴ」はあっても、ひらがなの「う゛」が使われないと考えます。
ChatGPT:
はい、正確です。「ヴ」はカタカナにおいて使用され、ひらがなでは「う゛」は使われません。
日本語では、外国語や外来語を表記する際にカタカナを使用します。カタカナは、もともと外来語を取り入れるために発展した文字体系であり、特に西洋の言語の音を日本語に適応させるために用いられます。「ヴ」はその一例で、「v」の音を正確に表記するためにカタカナの一部として導入されました。
一方で、ひらがなには「う゛」という形は存在せず、「゛(濁点)」はカタカナの中で使用されるものです。ひらがなでの濁音(「が」「ざ」「だ」「ば」など)は、通常、「う」や他のひらがなに直接濁点を付けて表記されますが、「う゛」という形は基本的に使われません。
ひらがなの役割: ひらがなは、主に日本語の語尾や助詞、助動詞、または和語(純粋な日本語)の表記に使われます。外来語や外国語を表すのはカタカナの役割であり、「ヴ」のような表記はカタカナで行われます。
日本語の音体系: 日本語の音韻体系には「v」の音が存在しないため、外来語を日本語に適応させるためにカタカナがその役割を果たします。ひらがなは、古来の日本語の音の表現に基づいており、外国語の音を表記するために無理にひらがなを使うことはありません。
したがって、「ヴ」はあくまでカタカナで使われる表記であり、ひらがなでは「う゛」は使われません。外来語を表す際には、カタカナを使うことが一般的であり、「ヴ」のような表記はその一部として定着しています。
以下の記事について.
2029年に地球外文明から人類にメッセージが届く? 科学者も期待をかける「白色矮星付近からの返信」
https://web-mu.jp/paranormal/52364/
宇宙人がいたとして,本当に1973年に送った電波を宇宙人が受信できて,その返信を地球人が受信できるのか.疑問だったのでChatGPTさんに聞いてみた.
1973年、NASAが探査機パイオニア10号に向けて送信した無線信号は、その先にある恒星系へも届くはずである。仮にこれらの星の知的生命体が、その無線信号を受信しようとしたとき、どのくらいの規模、感度のアンテナと信号復元能力が必要か?地球の技術で、同じ距離から送られてきた無線信号を受信する技術・機材はあるか?
以下では、「1973年にNASAがパイオニア10号に向けて送信した電波(指令信号やテレメトリ送信)」が、さらにその先の恒星系へ到達した場合に、それを受信しようとする知的生命体に必要なアンテナ規模や受信感度、そして同等の距離からの電波を地球側が受信可能かどうか、という観点で概説します。実際には正確な数値は周波数帯や送信電力、信号処理方法など多くの要素に依存しますが、ここでは概略のイメージを示します。
1. パイオニア10号に指令を送信した当時の地球側の送信スペック
送信周波数帯: パイオニア10号との通信はS帯(約2GHz前後)で行われていました。
送信電力: 数kW程度の送信機を地上局が使用(厳密には指向性が高く実効的な放射電力(EIRP)はさらに大きい)。
地上局アンテナ: NASAの深宇宙通信網(DSN)では直径64m級(当時)のパラボラアンテナなどが用いられた。
距離: 1973年当時、パイオニア10号は数AUから十数AUほど離れた位置(木星軌道付近~木星フライバイ後)に存在していた。
しかし、この通信信号は当然、宇宙空間を光速で拡散していきます。そのため、さらに何十光年・何百光年先にある恒星系にも到達「はする」ことになります。ただし距離が大きくなるにつれ、電波強度は 1/𝑟^2 で減衰していきます。
たとえば10光年(約10^17 m)先での電波強度は、1AU(約1.5×10^11 m)での強度に比べて
だけ減衰します。1光年は約6.3×10^4AUなので、10光年なら約6.3×10^5AU。そこから
と、10光年先では1天文単位あたりの強度の10^-12程度にしかなりません(実際にはさらに詳細なアンテナ利得・指向性などが絡むのでオーダーで見ています)。
地球のDeep Space Network(DSN)では、数十AU~数百AU程度先の探査機(Voyagerなど)からの微弱な信号を受信しています。これは探査機送信電力が数W~20W程度、周波数帯はやや上のX帯(約8GHz)あるいはKa帯(30GHz)などを使いつつ、高利得アンテナで地上局が受信を行い、さらに超狭帯域で信号処理をしているからです。
しかし「数十光年」のスケールは「数十AU」の1万倍以上離れており、電波強度は数十AUの場合の(1万)^2 = 10^8分の1(10^8倍減衰)よりもはるかに弱くなります。実際は1光年=約63,000AUですから、たとえば50光年先だと
で、数十AUと比べると何万~何十万倍も遠いオーダーになります。よって通常のDSN相当のサイズ(直径 70mクラス)では、とても検出困難と考えられます。
もし「同じS帯の数kW送信・70m受信機」という想定で数十~数百光年先からの信号を捉えるには、以下のいずれか、あるいは複数の組合せが必要になります。
数km級、あるいはそれ以上の直径が必要になる可能性がある。現実的には困難。
数十~数百~数千ものパラボラアンテナを地球規模・あるいは月や宇宙空間をも巻き込む形で電波干渉計として合成し、膨大な合成口径を得る。将来的なSKA(スクエア・キロメートル・アレイ)などの拡張構想に近い。
信号がわずかでもバンド幅を極端に狭くすればS/Nは向上する。狭帯域SETI観測のように、Hzオーダー・mHzオーダーまで絞って長時間積分する、など高度なデジタル信号処理を駆使する。
もともとの送信側が極端に高出力・高利得アンテナで指向性を絞って送信する
受信側の負担を減らすには送信電力や指向性ゲインを桁違いに高める必要がある(大電力ビーム送信)。
実際に未知の星間通信を成立させるには、上記のように「超高性能アンテナ」+「超狭帯域処理」+「相当の送信電力」という組合せが必要になります。
結論としては、「今の地球の技術でも理論的には可能」ですが、「実用的な設備規模」や「膨大な観測時間と信号処理」が必要です。たとえば以下のような状況が考えられます。
たとえ非常に微弱な信号でも、周波数を極端に限定し、長時間データを積分(平均化)することでノイズを下げ、S/N比を稼ぐ手法がすでに行われています。SETI研究では、広範囲な周波数を走査しながら狭帯域の人工信号らしきものを探索する手法がありますが、それをさらに極端化して、特定の周波数を狙って超狭帯域・長時間積分すれば、送信電力が小さくとも検出の可能性は上がります。
星間ガスや散乱などによる減衰は、電波の周波数によっては大きくなる場合があります。また、地球の大気や地上環境雑音(人工衛星やレーダーなど)の影響も無視できません。さらに「どの星方向を狙うか」「どの周波数帯で通信しているか分からない」という問題もあり、実際に「地球の既存装置でキャッチしよう」とするには、相当の観測リソースが必要になります。
4. まとめ
数十~数百光年先でパイオニア10号への指令電波を受信するためには、非常に大口径のアンテナや、巨大アレイ(電波干渉計)、狭帯域観測・長時間積分などが必要となる。いわゆるパワーやアンテナゲイン、受信系の超高性能化なしでは、通常のDSNクラスの設備ではほぼ検出不能なほど弱い信号になる。
地球側が“同等の距離”から飛んでくる電波信号を検出できるかどうか
理論的には、超狭帯域・長時間積分を組み合わせれば、今ある技術の延長でも検出可能な可能性がある。
ただし巨大施設(たとえばSKA等)のように大規模なアンテナアレイと高度な信号処理を組み合わせることが前提になる。現行の設備でも「SETIレベルの狭帯域探索」は可能だが、何十光年も先に存在する非常に弱い信号を特定の周波数で捉えるには、相当の工夫と時間が必要である。
つまり、「1973年にNASAが送信した電波は理論上は恒星間を伝播し、もし受信する文明があれば捉えられるはずだが、実用上はかなり大規模・高感度な設備を要する」というのが結論です。また、同様に地球側も「もし相手側が数十光年先から似たような出力で信号を送ってきた場合には、非常に狭帯域で長時間積分するなどの先端的な技術を駆使すれば、ギリギリ検出の可能性はある」ということになります。
コンバーターとコーンバター。この二つの言葉は、一見すると無関係な対象を指しているように思われる。しかし、その響きには微妙な共通点があり、現代人に与える感覚的な違いは、文化や歴史の流れを通じて形成されてきた感性の奥底に根ざしていると言える。人間の歴史の中で、技術や食文化の進化と、それらが生み出す美的な感動は切り離せない関係にあり、ここに「コンバーター」と「コーンバター」を媒介とした考察を試みることで、その深奥を垣間見ることができるのではないだろうか。
まず、「コンバーター」とは、一般的には何らかの機能や属性を変換する装置や技術を指す言葉である。電圧を変換する電源コンバーターや、信号を変換するデジタル・アナログコンバーターなど、その用途は多岐にわたり、現代社会を支える根幹を成す技術のひとつとなっている。これに対して「コーンバター」とは、穀物であるトウモロコシ(コーン)から作られるバター、あるいはそれに類する加工品のことを指す。日本においてはそれほど一般的ではないが、北米や南米など、トウモロコシを主食の一部として重要視する文化圏では、伝統的な食材の一つとして親しまれている。
一見、全く異なる二つの概念であるコンバーターとコーンバター。しかし、その歴史的背景に目を向けてみると、人間の知恵と工夫、さらにそこから生まれる美的な感性が反映されていることに気づかされる。コンバーターの登場は、工業化と技術革新によってもたらされた、変換や変容の技術に関する人間の知識の結晶である。これに対し、コーンバターは農業の発展や食文化の進化に密接に結びついている。技術の変換と食材の変換、いずれも人間が生活を豊かにするために築いてきた歴史の一側面であり、そこには特有の美的価値が含まれている。
人間は、常に物質やエネルギー、さらに情報の変換を行うことで、生活の利便性を高めてきた。コンバーターはその象徴的な存在である。例えば、電圧を変換するコンバーターがなければ、さまざまな電化製品を自由に使用することはできない。デジタル信号をアナログに変換することで、音楽や映像をスムーズに楽しむことが可能になる。これらの技術は、もともと無機的で冷たい印象を与えるものであるが、実際にはその内部に「変換」というダイナミックなプロセスを含んでいる点に美しさが宿る。変換の過程は、単なる物理的な操作にとどまらず、情報やエネルギーが形を変えて新たな価値を生む瞬間である。この「変換の美学」は、人間の手によって機械的な装置やデバイスに具現化され、現代社会の中で目に見えない存在感を発している。
一方で、コーンバターには全く異なる美的価値が内包されている。コーンバターは、トウモロコシという自然から得られる素材を加工することで生み出される、食品としての変換の結果である。トウモロコシは、古代アメリカ大陸の文明において神聖視された作物であり、その栽培と加工は生活の基盤を形成してきた。コーンバターもその伝統の一部であり、味や風味の中に先人たちの知恵が凝縮されている。食品としての変換過程は、技術的な効率を追求する工業的な変換とは異なり、味わいや栄養価を最大限に引き出すための工夫が重視される。ここに、人間が生きるために必要とする基本的な欲求と、それを超えて美味しさや楽しさを追求する美的感覚が交差する点が見出される。
また、コンバーターとコーンバターは、それぞれ人間の内面的な感覚にも影響を与えている。コンバーターがもたらす利便性は、私たちの生活を快適にし、さらには新たな表現の可能性を広げている。情報を自由に変換し、自在に操作できるという感覚は、無限の創造力を解き放つものであり、それ自体が一種の「技術の美」であると言える。一方、コーンバターがもたらす味覚の体験は、単なる食欲の充足を超えて、郷愁や安心感、さらには家族や共同体との結びつきといった、人間らしい感情を喚起するものである。口に含むたびに、自然の恵みを感じ、その過程に込められた労働と愛情を味わうことができる。このように、コーンバターは食文化の一端としての「食の美」を表している。
さらに深く考察を進めると、コンバーターとコーンバターの間には、「変換」という共通のテーマがあることに気づく。コンバーターは無機物やエネルギーを変換し、コーンバターは生の素材を加工することで新たな形に変える。この変換のプロセスには、人間が自然や物質に働きかけ、何かを新しい価値へと変える行為が見受けられる。この行為自体に、人間が美を見出してきたのではないだろうか。機械的な変換は冷徹である一方、そこには洗練された精密さや無駄のない機能美がある。これに対して、食品の変換には、温もりや手作り感といった情緒的な美がある。いずれも異なる美意識でありながら、共に人間の手によって完成される過程である。
現代のテクノロジー社会において、コンバーターはほとんどの人々にとって日常の一部であり、存在を意識することなく利用されている。しかし、それが果たしている役割は極めて重要であり、その背後にある技術的な進化は、実に人間の叡智の賜物である。一方で、コーンバターのような伝統的な食品には、技術的な進歩とは異なる価値観が込められている。ここには「不変の美」という要素が存在し、テクノロジーの進化とは対照的な、永遠に続く食文化の美が感じられる。コーンバターを口にするたびに、人々は祖先が歩んだ道を辿り、自然との共生を改めて感じることができる。
このように、コンバーターとコーンバターは、それぞれ異なる形で人間の生活を豊かにし、感性を刺激する存在である。どちらも変換という行為を通じて人間の生活に寄与し、美的な価値を提供している。そして、技術の進化と伝統の継承という二つの相反する要素が、私たちの感覚と美意識に新たな価値観をもたらしている。この二つの対象を比較することで見えてくるのは、人間が創り出す「美」の多様性と、その根底にある普遍的な美意識である。
デジタル信号で、暗闇が1だったとして0は何になるの?
この節ではライブ音源を礎と築いた伝説とまで称されるマイク・ミラードという人物を紹介しよう。
彼自身に関してはWikipediaをはじめとして、雑誌の特集や個人のブログ記事を通して幅広い話題があるので人物名のみの紹介で割愛する。
前節でも話に触れたマイク・ミラードが伝説のテーパーと言われる所以は、何も伝説と称される名演を残したことだけではない。
本人の意図せぬ部分である可能性はあるが、彼の歩む足跡に付随したテープ・トレード文化の発展に貢献した軌跡である。
本稿はテーピング・ポリシーに則ったアーティストのテープ・トレードの文化に対して触れることはない。
確固たるシステム、または精神が介在することのない海賊版の流通経路、関わる人間達の側面に対して潜考するための草稿である。
容赦願いたい。
マイク・ミラードがパラノイアと誇張表現を得るまでに至るには、収集家、好事家といった類の人種が関与する。
聖地と呼ばれる西新宿で販売される製品も、データを取り出した後は製品としての価値が形骸化する。
生産数が限られた廃盤製品とは違い、複製されることが前提であるブートレグは実物として鑑賞に耐えうる強度を持たない。
昨日の日付の演奏も、インターネットの海を眺めれば数時間もしない間に流布されたライブ音源を入手出来る。
それは砂浜に漂着した瓶詰め入りの手紙のように。
収集物に関しては興味を持たない人間には一銭の価値も感じられないものが多い。
生前の身内のコレクションを二束三文で手放したという事例を耳にする限りでは少ない話ではない。
"事物が本来の実用的な機能から切り離されて日常とは別の体系に組み込まれること"という哲学者が打ち立てたコレクションの定義を借りて、ブートレグ・コレクターを表するなら鑑賞を前提としない膨大な演奏の記録を持つ人種である。
だが、彼らのコレクションがアーカイブとして日の目を見る日は来ない。
密造酒は興味を持たない人間には味を噛み締めながら酔うことは叶わない。
それは味を理解出来る人間にしか味を説明出来ないことでもあり、コレクターが希少価値を訴える相手が同種の人間に限られる。
マイク・ミラードは自身の録音が外部に供給されないようにテープにデジタル信号を付加するなどの工程を経た。
それは自身の録音のコピーが出回った際に誰が流布したか把握するように念を押した作業であった。
現在では容易にミラード・テープを見つけることが出来るが、当時は残したアーティストの演奏の内容、また入手のし難さから数多くの好事家が録音を欲した。
中には彼の死後に彼の生家を訪ねた者もいるという。
趣味で集め始めた者がいつしかコレクションの穴埋めをするという脅迫観念に囚われ、寄生した。
彼が懸念した事態は奇しくもミラード・テープを愛する人物達からの評価と、年月を経たテープ・トレード文化の発展の影に忘れ去られた。
市場が介在しない空間で語られる希少価値という曖昧な価値観に汚染された人種はやがて、パラサイトとなる。
マイク・ミラードが残した同時期から日本でも同じ状況であり、秘密裏に録音された多数のライブ・テープが存在する。
古くは音楽雑誌での投稿コーナー、インターネット黎明期に於いてはファイル共有ソフト、好きな内容を書き込むことの出来る掲示板まで、ライブ会場で知り合ったアーティストのファン同士の交流から、現在ではSNSまで水面下ではあるが数多くのブートレグが生産され、流通する。
Dead Headsに倣うように群れを成して活動した録音者達が、日本のアーティストの録音を販売したことで逮捕される事案も聞かない話ではない。
YouTubeから連なる動画共有サイトでも初期の段階では、日本のアーティストの動画も数多く見受けられた。エンコード情報を消す手段を知らない者から得られなかった者に供給される状況は、テープ・ヴァインに連なってコンパクトカセットかDATを使用しダビングによる劣化する状況を再現する。
とあるアーティストのニコニコ大百科の項目では、ブートレグの存在を明記されるほど動画共有サイトの発展は影響を及ぼした。
ともあれ、YouTubeでも著作権侵害での削除要請が相次ぎ、現在では日本のアーティストのライブ録音を公に聞ける場面は少ない。
コンサートワッチを嗜む人間は録音現場であるライブ会場で知り合うこともあり、時には機材者の駐車場の取り合いになることもある。
デビューを前提に結成されたアーティストではデビューからブレイクに至るまで、また精力的に活動する現在までの公演の80%の記録が現存すると言われている。
現在ではマスタリングの手法が容易になったこと、高品質の内臓マイクを備えた録音機材が安価であることも鑑みると簡単にミラード・テープに匹敵すると言っても過言ではない録音を生産出来る。またスマートフォンの流行による簡易的な録音も存在する。
特に売上の上位に列なるアーティストの大規模なツアーが行われる期間には、音楽交換掲示板の投稿の量も膨大に膨れ上がる。
彼らの多くはメールで連絡を募り、アップローダーを利用したオンライン・トレードを行う。
海外ではDimeを中心とした界隈があるが、ライブ会場に足を運べなかったファンが、その日の間に新しい演奏を聞こうとするのは日本でも難しいことではない。
時にテーパー、トレーダーの各種が集う場所には目的の物を耳にすることで出来なかった愚痴や被害報告の類も見受けられるが、
ライブ会場でのアナウンスにもあるように禁止行為ということを理解しながら禁忌に触れようとする連中である。
善も悪もないのが前提だ。
表立って行動しない録音者から音源を入手した後に、希少価値を訴え、人の褌で相撲を取るトレーダーも一定数はいる。
マイク・ミラードが至った思考は時代のうねりを渡ろうと、現在のテーパーにも精神は濃厚に受け継がれる。
( 4 ) 決別
筆者自身も隠しもしないがテーパーであり、コレクターでもある。過去形だが。
ひとつの音声ファイルでも再生時間は数時間になり、非可逆圧縮音源だとしても保存容量は比例して肥大化する。
ブートレグを入手することのメリットを語るとすれば、自身の生前以前のライブ音源を聴けることや限られた会場でのみ披露された楽曲を聴けることであろう。
だが、マイク・ミラードが録音を残したことは後世を憂いてのことではない。彼は自身の録音が拡散されることを望まなかった。
彼の近親者のみが入手したfirst-generation copiesと呼ばれる最初のコピーは、彼の直筆のイラストや文字が散りばめられ包装としても凝ったものであった。
簡素なダビングでも済む作業に余計な一手間を付け足したのは、彼がパラノイアであったからではない。
喜ばせることを前提として、実物としての鑑賞にも耐え得る付加価値を生み出そうとしたからだ。
複製の芸術でもある写真を表現手段と選択するアーティストは生産数を限定して、価値を高める。
現在、流通するミレード・テープのコピーに彼の意思は介在しない。
それは現在でも同様に個の間柄から逸脱しては配布されるブートレグに於いては録音者自身の意図は抜け落ちる。
ミラード・テープの精神はテープ・トレードの文化で生まれた星の数ほどあるブートレグにも共通する。
またテーピング・ポリシーを持たないアーティストのファンの間では、流通しないライブ・テープを持ち合わせないトレーダーは相手にもされない。
テーパー同士の限られた関係性の中でしか交換されることのない録音も存在する。同時に寄生虫は繁殖する。
自身の経験を振り返っても、総再生時間にして年単位に匹敵する膨大なライブ音源を耳にすることはない。
愛着と思い入れのあるブートレグ、またはテーパーとしての自身の録音を耳にすることの方が有意義であろう。
ライブ音源を耳することの最大限の感情の再現性にある。時にライブ会場の音響よりも優れた音質で聞かれる演奏には違った感情が湧き上がるかも知れない。
アーティストの込めた感情は違った形ではあるにしろ、いつか聞きたい者の耳に届くことだろう。
パラサイトから見れば喉から手が出るほど欲するブートレグの大半のデータを削除した。
人生を賭けて手に入れようとしたライブ・テープを入手した時から遅かれ早かれ決断しようとしたが、この瞬間に決別をしよう。
ミラード・テープは彼の友人のために。何より彼自身のためにある。我がテープは我が友のために、誰より私のためにある。
Thank You Tapers. I Love You Baby. Fuck You Traders. I Hate You Baby.
横だけど、このあたりオーディオ界隈だと結構面白い話転がってるよね。
デジタル信号なのに、音質が変化するって大真面目に言う人が居て笑う。
デジタル信号は、一定以上の電圧が一定時間継続する事を1、それ以外を0と判定する方式で、これが1bit。
(電圧0を1と判定する場合もある、回路次第)
大概の場合、1単位のデータは32bitとか8bitとかなっていて、パリティチェックとかもするから、アナログ的な変化はしないんだよね。
それが発生するということは、データそのものが書き換えられているってことでさ。
というか、まぁ、これ、
絶対値関数を2つの関数の区間を分離して合成した関数として考えると、その切り替わり区間では微分できないのは当たり前で。
それって、区間を切っているということなので、見方によっては不連続なんだよね・・・。
だって、負の値では-X 正の値ではXという違う関数をたまたまX=0,y=0でくっつけただけで、関数自体が連続か?といわれると。
X=0で不連続な関数をたまたま値を一致させて、連続したように見せているだけで・・・。
y=-x-1(x<=0)
y=x(x>=0)
という関数の合成が連続でないのと同じ理由で、非連続というか2つの別な関数の区間合成関数に見えるんだよね・・・(数学的にどうかは別の話)
という理論において、
高木関数って、こういった、不連続の複数の関数をΣを無限にとって、合成しただけの関数の究極に見えるので・・・
区間を無限に細分してyの値だけを同じにしてくっつけた合成関数が微分できないのは当然だなぁと。え、これって連続って言って良いの?
もっとも、言い方を変えれば、不連続(デジタル信号)だろうと何だろうと、究極的にはSinを究極に合成することで近似可能だからだから・・・。