はてなキーワード: 兵長とは
「迎福御礼!大闘技大会」
・5段階評価:2
・あらすじ
セイメイが闘技大会を開く。
賞品は思い出を映す不思議な鏡と賞金だった。リュカは鏡で村長との思い出を作るため、エルフィリスは賞金のため大会に参加する。
しかし、主催のセイメイ自身もアマテラスによって無理やり祖父との思い出の品の鏡を賞品のさせられていた。
リュカは鏡をセイメイに返し、賞金をエルフィリスに渡し、村長とは会う時間を増やすことで思い出を作るのだった。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
話にとっかかりが無さすぎて、印象がない。
お爺ちゃん大好きなセイメイのデレ台詞とかが欲しかったかなあ。
・5段階評価:4
・あらすじ
チェルシーとリュカ、ムムとユーディルはバレンタインをダブルデートで過ごしていた。
そこに帝国兵と、愛を知りたいと嘯くメノイティオスが邪魔をしてデートは戦いばかりに。
デートがうまくいかないチェルシーは怒りのあまり、関係のない人まで傷つけてしまい。
そのことでリュカに怒られたチェルシーは自害しようとするが、リュカの気持ちを知り思い直し、二組のバレンタインデートがまた始まるのだった。
・印象に残ったセリフ
チェルシー「ううん、大丈夫☆ あたしも昨日着いたばかりだから☆」
ただ、人間なので相応の代謝があることを考えるとムレムレのエッチなやつになってないか気になって仕方ない。
・印象に残ったキャラ
こういう愛が重いキャラ好き。プリコネのエリコ、ワーフリのソーヴィとか。可愛いね。
・感想
こんなすぐ発情しちゃう子が一日中外で立って待ってたんだとすると、そりゃもうムレムレのムワムワになってるに違いないシーンは普通にえっちだった。
これ好き。
・5段階評価:1
・あらすじ
パラダイス教の信者たちが集まる村にやってきた一行、そこには記憶を書き換える教祖を調査する使徒たちもいた。
使徒のヴァースの裏切り、ハールの暗躍など様々な布石を貼りつつ、使徒たちの戦いは続く。
・印象に残ったセリフ
フラワス「悪い結果ばかりじゃない」
死人が出てるのにこういう言い草なのが僕が使徒苦手な理由かも。
・印象に残ったキャラ
ヴァースと教祖が付き合っていると勘違いしてフラワスにそれを伝えたら、ヴァースに殺されたモブの女の子。
・感想
何にも悪いことしてないモブの女の子が殺されてるのに、なんか良い感じの締めにするのがマジで無理だった。
これから先も、あのモブの子が救済されないなら使徒は苦手なままかも。
・5段階評価:4
・あらすじ
アイリーンは指揮官の命令よりもフィニーを助けることを選び、二人はエクスマキナを離脱し聖城の仲間になる。
・印象に残ったセリフ
アイリーン「人形にだって、大切なものくらいあるということよ!」
これ以上なきわかりやすい今回の話の要約。
・印象に残ったキャラ
アイリーンとフィニー。
作られた存在でありながら、二人の中に何かが芽生えるの良き。
・感想
女の子二人が自身より地位のある何かに翻弄されながら、それよりも大切なものに気付く。
これだよ、これ、こういうシナリオが最高なんだよ。
使命よりも二人で生きることを選ぶところは言葉が素直な戦闘人形だけにグッときた。
キャラストで続きが読めるのかなあ、気になる。
・5段階評価:3
・あらすじ
アルベリウスとオリジナルのムムが出会い、魔神を倒すため、人とドラゴンが手を組む。
・印象に残ったセリフ
ミドガルズオルムゼロ「--ある人物と約束をした。その一矢が、契約石のすり替え。」
・印象に残ったキャラ
メーネ。
イリヤのために妖精の体を捨て、名前を捨てた上に、この時のために罠を仕掛ける。
・感想
前日談シリーズの第三弾。
今回は遂にアルベリウス、ムム、ミドガルズオルムなどが登場するが、出番はほんの一瞬ながら絶大な影響力でかのエリュシオンを罠に嵌めたミーネの活躍がすごかった。
700年越しの執念が実った良いシーン、好き。
「開校☆エミュール学園」
・5段階評価:5
・あらすじ
エミュールが突如建設した学校を訝しむ一行は、子供になったランザーヴとルイーゼ、教室に化たマーキュリーが潜入操作を始める。
エミュールは悪いことを考えていたわけではなく、芸術と教育を本当にやろうとしていたのだった。
・印象に残ったセリフ
ランザーヴ「なんとなく…… 需要とか?」
子供化するのがクラウやエフィリスではなく自分だったこともついて。
イベントシナリオ全体がメタなコメディ調なんだけど、ということをわかりやすく伝えてくれる序盤の一言。
・印象に残ったキャラ
リュウ。
子供ながら見た目は同い年のルイーゼから姉力を感じ、同級生に甘えようとする変態。
ながらも、男を見せて囮になるシーンもあり、良い活躍だった。
・感想
ドラガリアロストでコメディらしいコメディって何気にこれが初めてじゃないかな?
特に子供から大人になるときは全裸になるとか、こういう直接的な下ネタもアリなの懐が深いなあ。
かなり好きなシナリオでした。
・5段階評価:3
・あらすじ
ヴァンピィ、グリームニル、ローズクイーンと言った神撃のバハムートの面々とクロノスを倒す。
・印象に残ったセリフ
ヴァンピィ「アンタのこと、許せないけど…… ヴァンピィちゃんが寂しかった時、一緒にいてくれたのは忘れないよ……。」
クロノスに騙されてはいたものの、寂しさを埋めてくれたのは事実だと肯定するヴァンピィちゃん。
・印象に残ったキャラ
ヴァンピィ。
神撃、グラブル、シャドバ、紙シャドバ、プリコネとサイゲのコンテンツではよくお世話になっているので今回も好き。
・感想
1周年イベントであくどいことをしまくったクロノスがベスを名乗りヴァンピィちゃんと仲良くしている、という衝撃的な開幕に度肝を抜かれる、社内コラボ。
とは言っても、プリコネとは違い、いわゆるスターシステム的な登場で、ヴァンピィ、グリームニル、ローズクイーン共にドラガリアロストに最初から居る設定で登場。
グリームニルは世界の外と繋がりがありそうな言動なのも面白い。
「影かいそふ桃の盃」
・5段階評価:1
・あらすじ
最強の剣士を目指すヤチヨと、その姉の配偶者であるサイガが、姉が亡くなってから久しぶりに再会する。
サイガは死んだ配偶者のために骸集の言いなりになっており、ヤチヨの祖父を暗殺したのもサイガだった。
決闘を経てサイガを理解したヤチヨは全てを許し、未来のために二人で最強を目指すのだった。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
モブの骸集。
・感想
復讐や死んだ人に逢いたい気持ちよりも、未来が大事っていうエピソード、ちょっと個人的に苦手。
一般論としてそうあるべきなのかもだけど、しっくりこない。
「森の民と神なる樹」
・5段階評価:3
・あらすじ
しかし、そのユグドラシルが大きくなりすぎたことで街で暮らす人々が傷ついてしまう。
街で暮らすフォレスティアによってユグドラシルは討伐されてしまうが、再び根が芽吹き、今度は森と街で調和を目指す。
・印象に残ったセリフ
街のフォレスティア「だがな。伝統で俺たちの苦しみは救えねえーー!」
街の傷ついた人たちを助けるために伝統あるユグドラシルを討伐する。
・印象に残ったキャラ
けど、伝統よりも今そこにある命を重視する、現実的な人でもあった。
・感想
伝統を重んじておきながらも未来や今ある命のためにそれを捨てる選択肢をとれるのは強い。
リュカやシーリスやイスハークといったレギュラーキャラや、名前ありのゲストキャラが霞むほどにモブキャラの掘り下げが深く面白いシナリオだった。
・5段階評価:4
・あらすじ
ミーネの子孫ニーノはその血を教会のあらゆる派閥から狙われていた。
保護を申し出たトライツ、北の一派すらも断り、ニーノはその羽で旅に出る。
・印象に残ったセリフ
ニーノ(だけど、今の私には羽がある)
ミーネが自ら切り落とした羽が時を経て子孫のニーノはその羽を自らの誇りに思うという、色々な想いが詰まった言葉。
・印象に残ったキャラ
女暗殺者。
作中の設定的に、かなりの強キャラである使徒と天使に一矢報いたモブとは思えない戦闘力が印象に残った。
・感想
ミーネがあの後子孫を残していた。
というだけでもうなんかグッと来て、それからのストーリーも恋愛関係にならないボーイミーツガールの良さがあって、良いシナリオだった。
ドラガリアロストってゲーム、マジでミーネが重要なキャラだなあ。
ミーネ居なかったらどうなってたんだろう……
「鐘の音は深き海より」
・5段階評価:1
・あらすじ
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
びっくりするぐらい薄くて面白くなかった。
良いこと言ってるふうのセリフはあるものの、若干がこもらない言ってるだけ感がすごい強い。
今までモブキャラを立てることでシナリオをちゃんとスジ通してたのに、遂にモブキャラすら出なくなったせいで、叛逆の巫女ティアナと暴れるだけのリヴァイアサンしかおらず、シナリオというよりはあらすじな感じ。
・5段階評価:3
・あらすじ
ミツヒデの誘いに乗り裏切りものの先祖が残した埋蔵金の捜索を始めるイエヤス。
しかし、それでも捜索を続けたイエヤスは遂に埋蔵金を見つけ出し、裏切り者の先祖が今際の際には金よりも大切なことを見つけたことを知るのだった。
・印象に残ったセリフ
イエヤス「そうして増やしていきましょう。今際に笑える思い出を」
・印象に残ったキャラ
村長。
老人なのに、ホスピタリティみたいな横文字を使いこなすし、村おこしを成功させた何気にすごい人。
・感想
登場人物は多いけど喋るのは彼らとそのドラゴンぐらいなので結構掘り下げも深く楽しめた。
ミツヒデがついた嘘が本当になるオチも面白かったし、短くまとまってて好き。
・5段階評価:3
・あらすじ
無人島に漂着したユーディルと兄弟たちは力を合わせて乗り切るのだった。
・印象に残ったセリフ
割と真面目な話だったんだけどオチで急にコメディになるの良い。
・印象に残ったキャラ
シェス。
カレーとか作れるんだ、驚き。所謂メシマズのテンプレ展開でもなく普通にこなすんだね。
・感想
会うとすぐ殺し合いばかりする兄弟達も、流石に無人島では協力するのは納得。
いや別に最初からこういう距離感でよかったんじゃないかなあ、仲良しがいいよ仲良しが。
今回、ゼシアもゼーナも不在だったけど、王家の女性同士ということで彼女たちの絡みも見てみたったなあ。
・5段階評価:4
・あらすじ
ラトニーはクラウの助けによって自分の中のニャル様と向き合い続けることを誓うのだった。
・印象に残ったセリフ
クラウ「その通り。名付けて、『安心できる場所と美味しいご飯があればみんな落ち着く』作戦です!」
トートロジーっぽいけど、プリコネコラボのペコとの交流が生きてる感があってめっちゃ好きなセリフ。
・印象に残ったキャラ
ムムジアンヌ。
回想シーンでの登場ながら、クラウにお姉さんのように接する姿が印象的だった。
・感想
クトゥルフシリーズの完結編が、ラトニーの心情によるものだけなの、規模の小ささは残念だけど、それでも書き切るっていう強い意志を感じて好印象。
そのために掘り下げがたっぷりされてるレギュラーキャラのクラウを相方に持ってくるのも、割り切ってて良き。
そのクラウの方も過去話でムムジアンヌとの交流も描かれてるのがよかった。
総じてだいぶ好きなシナリオだった。
・5段階評価:1
・あらすじ
敵に追われ逃げているところを旧知のセシルに助けられるリーフ。
リーフ、セシル、そしてハールは学生時代の同期で騎士のありかたについて議論を交わす仲だった。
ハールはセシルの行った無辜の民の虐殺をリーフに暴露するが、リーフはそれは許されることではないがまだやり直せるとセシルを仲間へ誘う。
しかしセシルはもう少し時間が欲しいと、一人で旅に出るのだった。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
昔は優秀な騎士だったが、今は情緒不安定で魔養石をかじらないと落ち着かないセシルと、メインシナリオでもお馴染みの真面目なリーフのイチャイチャストーリーは楽しめた。
しかし、ハールが暗躍してから一転、セシルが行ったなにもしてない人たちへの大量虐殺の事実が明かされてからは、ちょっと読んでて辛かった。
大量虐殺が人道に反してるのは理解しているが、王を助け守るためには命令を聞いて近い立場にいないといけないから、仕方なく大量虐殺を行うって…… 流石に虐殺に対してのリターンが王の近くを守れるじゃなにもしてない人たちが浮かばれないよ。
しかも、結局守れずに王は亡くなるわけで…… いやもちろんだからこそ情緒不安定なメンヘラ気質になってるわけだけど、情緒不安定とかメンヘラ気質とか魔養石をかじらないと落ち着かないとかと、キャラの属性で済ませていい問題じゃないでしょと、ちょっと僕には合わなかった。
「幽囚は続く、竜眼の軌跡」
・5段階評価:1
・あらすじ
結社に改造されたファルギルドは、グレース、アデルペインと力をあわせて結社と戦うのだ。
・印象に残ったセリフ
兵長「さらばだ、ファギルド。オレの…… 友人の死を抱えて生きろ。それがオレの復讐だ……!」
裏切った自分をまだ友人だと認めるファギルドへの精一杯のおくる言葉。
寂しいね。
・印象に残ったキャラ
謎の仮面ライダーみたいなやつ。
ナニモノだったんだ?
・感想
RPGはまだいい
ステータス画面に名前出るし、下手したら戦闘中も名前が表示されてるから人数多くてもまだ覚えられる
子供の頃から見てる作品は、新キャラ出ても覚えられるんだけど、大人になってからハマったのは覚えるの厳しい
進撃とかマジ覚えられなかった
主人公3人組と兵長とハンジさん、オニャンポコン、サシャぐらいしか顔と名前が一致しない
主人公一行(8人くらい?)が覚えられる限度だわ
たまにしかスポット参戦しないような仲間だと本当に覚えられなくなってきた
子供の頃は、すんなり覚えられたのにな
今ハマって見始めた作品も、顔と名前が一致しなくてアニメ見てても顔は分かるけど名前が出てこなくて頭抱えてる
頻繁にキャラ同士が名前呼び合えばまだマシだけど、あだ名だったりお前とかアンタとか役職名とかで呼びあってると本当に分からない
まだアラサーなのに覚えられなくなって辛い
「今回ばかりは、xxさんも言ってるし、これこそ大問題に違いない!!」という思考様式は、
愚民、などと言い捨てるほどに自分が愚かでないとも思っていない。
正確に言えば、自分を愚かだと感じるし、上記の人々を愚かだと感じる。
わからないことだらけなんだ、という前提で、でも自分で決めるしかないね、
「xxはxxxです!!!」という言い切り、
例えば
「日本は対策が遅れているので2週間後には死者で溢れ地獄となります!!!」とか
兵長なら言うだろうか。
判断に足るほどの情報を収集・分析するのは、多くの人(立場)にとって困難なことだ。
その手前で言い切ってしまう様子は、距離と角度次第で、誰の目からも滑稽なはずなのだが。
だが自分もついやっている。あの人もやっている。気付くのはいつも後になってから。
愚かだよな、私は。あなたたちは。
(センター試験で話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)
底本:原民喜戦後全小説 下(講談社文芸文庫)1995年8月10日第1刷発行
I
私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫の魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老いた母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。
その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかに、もっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初「孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。
彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身の青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予で最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。
岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものをノートし、まず文体の研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。
それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。
私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのものを顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部に入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人と同棲した暁には、染料の会社を設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである。
日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線へ派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞の第一面、つまり雑誌や新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見たものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院で殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。
岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。
たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌に掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初の召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京で文化方面の役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズは役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。
既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活に飛込んだのだった。ところが、その相手は資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである。
II
私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに、満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇のほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。
私は妻の遺骨を郷里の墓地に納めると、再び棲みなれた千葉の借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃である。サイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである。
私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉の借家へ移った時のことである。私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それからは殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。
私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラと千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴムの長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。
「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。
「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、
「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。
その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。
私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日、八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋の小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊の姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好がおかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋の小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから、豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。
目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたとそっくりの写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。
冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥は簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。
翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真が満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。
その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体で台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである。
そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服の青年が歯医者に挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年も助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。
それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲の吏員に就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後の消息であった。その後私の妻の病気は悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。
その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。
あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境や機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか。親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客の歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅の作品の暗い翳を思い浮べるのであった。
ジークの幼い頃が凄く美少年で、小さい頃は妖精のように美しいけど成長が早く老け顔になりやすいってところが白人っぽいと思った
クサヴァーは大人の中では優しい人に思うしジークに両親を告発しろと言ったのは致し方ないけど、ジークに直接「君の両親は君を愛さなかった」と言ってしまったのは「ああ…」と思った。
エレンとジークの境遇の対比のためのシーンなんだろうけど、あまりにもジーク可哀想すぎるだろ
マーレ編自体が現実世界の少年兵とか戦争とかを風刺してるソリッドな話だけど、ここ最近のエグさのキレが益々研ぎ澄まされてるように思う
ヒストリア妊娠もすげえと思ったけど、ジークの「これ以上繁殖させなきゃいいじゃん(いいじゃん)」は諌山よくこんなネタ思いつくなぁと感心する
なんかわかんないけど、岩明均のヘウレーカって漫画の最後のページ
『やがて全ての目撃者は死に絶え二千年が経過した……』って文章を思い出した
グリシャの父親としての生き方はマーレにいる時と島にいる時とで全く違うように見えるけど、これはグリシャが改心したとかカルラと出会ったからというよりも、環境が全く違ったというだけなんだろうな
周りから差別を受けないから、差別受けまくってた時に比べてストレスが減ってヒステリックにならなくなったってだけ
差別も受けないし新しい家族ができてのほほんと平和に生きてたら、昔のトラウマ思い出して
ヒステリックに始祖の巨人奪いに行って息子に自分の呪いを押し付けるという、昔の悪い癖をそのままやっちゃったっていうね
まぁあんだけえぐい差別受けてたら、嫁ができて子供ができても性格を変えることなんてできないと思う
それアッサリやってたらご都合主義だし
感想見てたら結構カルラageの言葉が多かったけど、カルラという個人の性格よりもやっぱ環境と教育と周りの大人が子どもの倫理観や価値観を左右するって話だと思う
マーレの教えてる歴史とグリシャ達が信じてる歴史のどっちが正しいかは、作中だと確定しないのか、それともまた別の歴史が真実なのか、気になる
エルディアの安楽死っていうのも、マーレ軍と実の父グリシャ達復建側の板挟みになっていたジークだからこそ、強い意志で実行しようと思えることなんだろうな
「クサヴァーさん見ててくれよ!」っていうのになんか泣きそうになった
ジークがやろうとしてることは、端的に言えば余計なお世話なんだけどあんなに親や軍から抑圧を受けてればそういう考えになるのも仕方ないわな
私が神の視点で見てるし所詮漫画の世界の話だから、「ジーク余計なお世話だろ!馬鹿じゃねえの!」って突き放すことはできるけど、収容所で暮らしていたジークとか他エルディア人の心労を考えるとあまりジークのことをとやかく言えない
というか今の調査兵団がクーデター編の貴族みたいに情けないくらい頼りないから、ハンジ達になんとかできると思えない
エレンはジークと組もうとしているけど、エレンはジークのこの目的を承知して組もうとしてるのかな?
エレンはキースからカルラから愛されていたって話を聞いていたけど、2年も経ったし状況も変わったしそれはそれってことで過去の美しい思い出ってことにしちゃったのかな
エレンがジークと組みつつ別の(なるべく幸せな)方法で人類を救おうとしていると信じたいけどなー
でもエレンは「この海の向こうの奴らを殺せば自由になれるのか?」っていうくらいだから何とも言えんな
・まずOPにこころを挫かれる。何でこんな人選をしてしまったのやら。OP映像が完全にHYDEさん仕様になってしまったのは誰の趣味なんじゃ。
・確かに本編映像は変態的に凄い。兵長の立体起動はほんと魅せられる。大人の本気を感じる。めっちゃカッコよかった。
・それだけでなく細かいがツボったのが、政府中枢のお偉いさんが振り返った時の足のぐんにゃり感。大腿筋衰えてまくってるのがよくわかる動きであった。5年内に半月板磨耗し過ぎて歩行困難になりそうな脚だ。
・ストーリーが解りづらくないか?私は原作既読だからいいけど未読の人は見続けるのしんどくないのだろうか?対王政の辺りは原作者本人が原作のストーリーに不満と後悔があるらしいが、アニメになってもあまり簡潔に分かりやすくなっている感がない。むしろ展開が速すぎて何がなんだかわからない。
・エンディングはさすがリンホラ。誰よりも作品を理解しイマジネーション広げてるよなぁ。リンホラさんまじ凄いよ、天才だよ……。ユミルのとこ泣いた。
読んでる人ならわかると思うけど
彼女が出来たと勘違いで舞い上がらせてから地の底にたたきつけて
仲間達から半笑いでフォローされて女から引き気味に対応されてというアレ。
何が面白いのあれ。
久保ミツロウの漫画に不快さが似てると思ったらこれも作者が女なのな。
あとなんかすごい試練を男主人公に課すのが好き。
肉体的にハードな試練とかならまだしも
ああやって嫌な思いさせられて恥掻いて笑われて
みたいなことたびたび繰り返してたら
普通はもうまるごと嫌いになるだろ。
モルジアナとかに会うのもこそこそと避けるようになるよな。
彼女ぐらい絶対作れるでしょすぐ。
特に、こういっちゃ何だけど、
でもそうはしない。
そういうのは女作者の欲望とは違うから。
多分モルジアナのためだけにこれからも苦しんだりプライド傷つけられたり嫌な思いをし続けるんだと思う。
(モルジアナの為に戦って肉体的に怪我したりするならまだいいんだけどさー)
少年漫画でそういうのやるのはやめてくれよ。
女だって少女漫画誌で男性作者が男視点のエロとか萌えとか描き始めたら気分よくないだろ。
俺はあれだぞ、腐女子に何故か偉そうなこと言って排斥しようとするアホとは違うぞ。
pixivで進撃の巨人の腐向けタグの作品見るのは好きだ。すごく面白い。兵長より104期の方がいいけどな。
でもこの場合はみんなの広場であるべきpixivとは話がちげ-だろ。
俺はあんま読まないけど
男に都合いい萌え漫画とかお色気漫画とか女から見たらキモかったり気分悪かったりするだろうと思う。
でもそういうのは少女漫画誌に載ったりはしないわけじゃん。
隙を見ては女の欲望を駄々漏らしにするんだ?
2chの女性向け板にエロ書き込みして喜ぶクズ男のメンタリティだろそれは。
高橋留美子は本当にえらいと思うわ。
サンデーで描いてる漫画については女の感性を出すことはあっても女の欲望は出さない、甘えない。
でもあれがプロだろう。
なんで高橋留美子以外の女性少年漫画家っつうのはすぐ甘えを出すんだ。
ジャンプでやってた「保健室の死神」っていうのも途中からもうダダ漏らしだった。
あ、荒川弘も自制心あるよね。
「下士官でもない兵長が権力者なんて、笑止千万」というはてブもあるようだ。
この本に書いているエピソードでは、
「自分の好きな時間に売店にもトイレにも行ける、テレビも見れる」
「部隊内でサッカーの試合しても、下等兵が皆八百長してくれるので、
他愛もないエピソードが積もり積もって「兵長サイコー」となっているそうだ。
http://anond.hatelabo.jp/20130513233029
「徴兵期間内に昇進させて、徴兵末期には10人程度の兵を任せる」という制度設計していたのか?
一方、戦前日本は、貧富格差も大きいが、「武士の家柄」とか「華族の家柄」のような、
有形無形の「身分」が厳として存在していた。
韓国の場合、たとえ親父さんがサムスン電子のお偉いさんだとしても、
その息子は二等兵として入営する。
20ヶ月以上先に入営していれば、実家が貧乏でも兵長として二等兵君をしごくことが出来る。
一方、戦前日本で、旧三菱財閥の御曹司とか不労地主とかの息子が二等兵で入営し、
先に入営している貧乏人な兵士が兵長としてしごきあげる、という構図は、聞いたことがない。
そもそも、そういうお偉いさんの息子って、上等兵とか士官とかで入営する?
http://anond.hatelabo.jp/20130513233029
日本の左派な人々は、「住基ネットがお嫌い」「政府によるプライバシー侵害がお嫌い」な割には「韓国がお好き」な方が多い。
そういう左派な方々は、韓国の徴兵制データベースを見たら、卒倒しちゃうんじゃないか、と心配である。
韓国は、先進国では数少ない徴兵制導入国家なので、成人男性に関するデータベースで、各市民の基礎情報をパーフェクトに管理している。
徴兵検査=健康検査のデータは、これは徴兵検査に不正がないかどうか、という観点から、しっかりと管理されている。
というのは、例えば医師の資格を持った徴兵者は軍医に配属させ、語学が達者な徴兵者は、在韓米軍との連絡役に配属する、というように
「適材適所配置」をしているため、市民データに資格特技タグを付与することになる。
そして、「思想的に問題ないか?」「精神異常ではないか?」という記録も、しっかりデータベースに残される。
さらに、徴兵期間24ヶ月間の素行等が、しっかりとデータベースに残される。
体力的にどうだったか、気力はどうか、問題言動はなかったか、リーダーシップはどうだったか・・・
先述の通り、二等兵→一等兵→上等兵→兵長、と出世していくのだが、この出世も無条件じゃなく、
「出世させていいかどうか?」を上官が判断する。(なので、出世に速い遅いが出てくる)
その際の「上官の判断・コメント」も、しっかりデータベース管理されている。
ここまでがんじがらめな個人データベースが、お隣の国に存在するってこと、
韓国の徴兵データベースと比べれば、日本の住基データベース、マイナンバー制度なんて、
甘ちゃんも甘ちゃん、大甘である。
中公新書「韓国の軍隊」という本を読んだが、これが実に面白かった。
ご存知の通り韓国の軍隊は徴兵制を敷いているが、このことにより、韓国の成人男性は、様々な体験をしていて、
様々なリテラシーを身に付けている。
例えば、いろいろな設営作業に従事するので、土木関係者でなくても土木リテラシーが身に付くし、
「対民支援」ということで、過疎地の農作業支援に従事するため、
ソウル生まれのソウル育ちの都会っ子でも、農作業リテラシーが身に付いてしまう。
※韓国軍が、一見軍事とは縁のない過疎地の農作業支援を行うのは、
「過疎化が進行してしまって、限界集落・無人化してしまうと、そこが即ち北朝鮮の工作基地になってしまうため、
国防的には最低限の農村集落居住を維持させたい」という国家の意思が働いているようである。
しかし、韓国徴兵制の最大のメリットは、「権力者リテラシーを、ほぼ全員に身に付けさせられる」という、巧妙な仕組みにあった。
最初は二等兵で入営するが、早くて8ヶ月程度経ると一等兵に昇進し、更に早くて6ヶ月程度経ると上等兵に昇進し、
更に早くて5ヶ月程度経ると兵長に昇進するらしい。
逆に、よほど「素行が悪い」「体力的に劣っている」ということがなければ、大体の男性は、除隊までの24ヶ月の間の最後の方で、
兵長にまで昇進するらしい。
通常、兵長は10人程度の下等兵を束ねることになる。
つまり、「10人程度の組織のリーダー」を、徴兵期間の最後の数ヶ月間、体験することになる。
こういう仕組みが成立する前提としては、
「徴兵入営のタイミングが、月によって「平準化」されている、というカラクリ」が前提となる。
例えば第99兵団で、2013年4月入営の徴兵兵が1人、
常に毎月1人入営のペースを維持していれば、
「2011年6月入営、2013年5月除隊の兵士」から見たら、
「2013年5月時点では、自分の周囲は23人の後輩兵」ということになる。
「入営時期を平準化させ、コンスタントに後輩兵が誕生する仕組み」を作っておくことで、
「徴兵期間の最後の時期に、下等兵を指揮するリーダー体験を味わうことができる」という仕組み。
「徴兵当初はキツかったが、除隊直前の兵長体験が非常に心地よかった」という体験。
「兵長を体験したことで、権力の魅力がわかった、除隊後一般社会に出ても、権力者を目指したい」という男性が、結構多いらしい。
「リーダー経験、権力者経験を、等しく成人男性に積ませることで、