Category [源朝長 ] 記事一覧
源朝長(3)昔話に語り継がれる朝長と頼朝の絆
静岡県磐田市、袋井市、森町に伝わる昔話・「中遠昔話」の中にも朝長の墓のことが登場しています。1195年の10月のこと。鎌倉に幕府をつくった源頼朝は、諸国を統一したあと、東海道を通って京都へ上がることになりました。 その頃の幕府の役人が記した道中日誌に、四日間の空白があります。この間に頼朝は、兄の朝長の墓を供養(放生会)したと伝えられています。朝長の墓があるのが、今の袋井市(友永)の積雲院門前。京都に上が...
源朝長(2)三川と青墓を結ぶ交流
朝長の首と胴体が離れて葬られていることで、首が祭られている袋井の三川小と岐阜の青墓小で平成5年より交流活動が行われているそうです。 源平合戦で命を落とした源氏の若武者、源朝長(1143~1160年)の墓がある袋井市友永の積雲院を28日、岐阜県大垣市立青墓小の6年生75人が訪れた。地元の袋井市立三川小の6年生41人が出迎え、朝長を祭る五輪塔にともに手を合わせた。 平治の乱に敗れ京都を逃れた朝長は手...
源朝長(1) 積雲院の朝長の墓と義朝の供養塔
静岡県袋井市の積雲院には源朝長の墓があります。積雲院は、文治元年(1185)に源頼朝が、兄の朝長の菩提を弔うために建立したと伝えられる古刹です。天正16年(1588)に可睡斎の和尚によって曹洞宗に改められました。参道入り口の廟堂には、頼朝の父・義朝と二人の兄・義平、朝長の供養塔とされる五輪塔があります。義朝・義平・朝長の供養塔平治元年(1159)の平治の乱で、戦いに矢濡れた朝長は、父や兄と供に大垣市の青墓まで逃げて来...
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