Category [平清盛(鎌倉殿の13人) ] 記事一覧
六波羅を歩いて(3)西福寺~幽霊子育飴
あの世とこの世の分かれ目とされる六道の辻この六道の辻の角にあるのが西福寺です。平安時代、空海が地蔵堂を建て、自作の地蔵尊を祀ったのがはじまりとされています。嵯峨天皇の后である檀林皇后が、息子・正良親王の病気平癒を祈願してから子育て地蔵としても信仰されています。 お盆の時期だけ本堂に「六道十界図」や「壇林皇后九相図絵」などが展示されるそうです。皇后の遺体を食らう鳥「檀林皇后九相図」は、絶世の美女とし...
六波羅を歩いて(2)六道珍皇寺
京都の行く度に、何度か訪れた六道珍皇寺平家一門の館があった六波羅の地は、鳥辺野の端にあたるため、現世と冥界の接点と考えられ、六道まいりの信仰を集めました。六道珍皇寺は、建仁寺の塔頭で、古くは愛宕寺と呼ばれました。平安・鎌倉時代には東寺を本寺として隆盛しましたが、その後衰退。室町時代に再建され、臨済宗に改められました。平清盛が死去した後、荼毘に付したのが六道珍皇寺辺りだといわれています。六道珍皇寺に...
六波羅を歩いて(1)平家ゆかりの町名~六波羅蜜寺
平家の邸宅があった六波羅界隈を歩いてみました。平清盛の祖父・正盛が六道珍皇寺辺りに邸宅を構え、御堂(常光院)を建立したことから、平家の中心地となり、やがて六波羅界隈には平家一門の邸宅が軒を連ねるようになりました。六波羅蜜寺の南側の町名の看板三盛町(旧泉殿町)には泉殿があり、清盛・教盛・頼盛の三兄弟の邸宅があったとされることから、三盛町という名がついています。池殿町には、清盛の弟・平頼盛の邸宅があり、...
平清盛終焉推定地(高倉天皇誕生地)
平清盛終焉地については、諸説あります。京都市下京区東之町に平清盛終焉推定地(高倉天皇誕生地)の碑が建てられています。京都駅八条口から徒歩で、10分ほどです。平清盛終焉推定地(高倉天皇誕生地) この地はもと平安京八条大路と鴨川の交点近くで、条坊表記では左京八条四坊一三町にあたります。この付近で平清盛は六十四年の生涯を閉じたと考えられています。その最期のシ-ンは、「平家物語」によってよく知られます。熱病に...
最新コメント