Category [近藤貞用 ] 記事一覧
宝林寺の金指近藤家の墓所
気賀の初山宝林寺の東側に、近藤貞用をはじめとする金指近藤家の墓所があります。近藤貞用の墓貞用の法名「棲雲院語石性訥居士」の文字が見えます。宝林寺は、黄檗宗開祖隠元禅師と共に来朝した明国の僧独湛禅師が、旗本金指近藤家2代目近藤貞用(登之助)の尊崇をえて、1664年(寛文4年)に近藤家の菩提寺として開創された黄檗宗の寺院です。創建当時は、寺領100石を有し、黄檗禅の専門道場として栄え七堂伽藍も整い、5万坪を超える...
金指近藤陣屋と普済寺の総門
徳川家康遠江侵攻の功績により、引佐郡下を領地とした近藤氏は、元和元年(1615)旗本・近藤貞用(登之助)が金指に陣屋を建て、三河、伊那を結ぶ三信街道 (現国道 257号線) と東海道の脇往還の姫街道の交点にあたる要所として番所を設けました。貞用は、書院番,百人組頭を務め、明暦3年(1657)の大火で活躍。新田開発、放牧、製紙の振興などで金指の発展にも尽くしました。浜松市中区広沢の普済寺の総門は、気賀近藤氏の金指陣屋門を...
宝林寺(2)金鳴石
方丈正徳6年(1716年)に歴代住職の起居堂として建てらたもので、現在では中央仏間に独湛禅師の等身大の木像が祀られています。正面の「方丈」の扁額は独湛禅師の書です。 石仏五如来金鳴石独湛禅師が中国から持ってきたと伝えられる石。 叩くと澄んだ音がなることから「金鳴石」とよばれ、商売繁盛の石「お金の成る石」「宝くじが当たる石」といわれています。 まず、龍文さまに願い事をして金鳴石を叩くとその願い事が叶うといいま...
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