Category [渋沢喜作 ] 記事一覧
円通寺 寛永寺から移築した黒門~彰義隊士の墓
東京都荒川区南千住の百観音円通寺は、寺伝によれば、延暦10年(791年)、坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられています。巨大な観音像明治維新の折、慶応4年(1868年)の戊辰戦争(上野戦争)で亡くなった彰義隊の隊員を現在上野公園の西郷隆盛像があるあたりで、当寺の住職が火葬を行いました。そのため、当寺には火葬を行った場所の近くにあった上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、彰義隊士の墓もあります。黒門慶応4年(1868年...
上野恩賜公園の彰義隊の墓
渋沢喜作は、慶応4年(1868年)、戊辰戦争が起こると、鳥羽・伏見の戦いに参戦した。江戸帰還後、将軍警護を主張し、自分と志を同じくする幕臣らを集め、彰義隊を結成し、頭取に就任する。3月、結城藩の青山隼太らに依頼され、同藩の内紛仲裁のため、織田主膳を隊長とした一隊を結城に派遣した(のちの結城戦争に発展する)。4月、徳川慶喜が謹慎場所を江戸から水戸へ移すと、上野からの撤退を主張するが、武闘派の副頭取・天野八...
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