Category [中宮定子 ] 記事一覧
一条天皇皇后・定子が葬られた鳥戸野陵
一条天皇の皇后・定子の陵墓は、京都市東山区今熊野泉山町にある鳥辺野陵(とりべののみささぎ)とされています。定子と一条天皇『枕草子絵詞』藤原定子(ふじわらのていし/さだこ) (976―1000)一条天皇の皇后、藤原道隆の女(むすめ)。母は高階貴子(たかしなのきし)。正暦元年(990年)1月、14歳で4歳年下の一条天皇に入内、まもなく従四位下に叙せられ、2月には女御、10月中宮となる。長徳2年(996年)、兄・伊周(これちか)、隆家が...
定子の遺体が安置された六波羅蜜寺
一条天皇の皇后・藤原定子は、1000年(長保2)12月16日、媄子(びし)内親王を出産した直後、難産のため25歳で崩御、23日、定子の遺体は、六波羅蜜寺に安置され、27日に生前の希望から鳥戸野の南のあたりに土葬されたといいます。定子の死後、中関白家(父・兼家と弟・道長の中継ぎの関白という意味)は人望に欠け没落の一途をたどった。敦康親王が、后腹の第一皇子でありながら即位できなかったのも、それが一因である。定子が儲け...
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