Category [黒田職隆 ] 記事一覧
福岡めぐり(15)黒田職隆の菩提寺・大長寺
少林寺から大長寺へ天神から歩いて10分ほどのところにあります。こちらには、黒田官兵衛の父・黒田職隆の位牌と書画が安置されているそうです。今年は大河ドラマの放送に合わせて、特別公開があったのかもしれませんね。境内を見渡したところ、駒札や案内板などはありませんでした。兵庫のお城をめぐるブロガー紀行FC2ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願い致します。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参...
黒田職隆の廟所
山陽電鉄の妻鹿駅で下車。妻鹿と黒田家のゆかりは、官兵衛の祖父・黒田重隆が妻鹿氏の娘を妻にしたことに始まります。永禄10年(1567年)頃、官兵衛の父・黒田職隆(もとたか)は、官兵衛に家督を譲り、姫路城の南東に位置する妻鹿の国府山城(こうやまじょう)に44歳で隠居。領民からは「筑前さん」と親しまれていました。天正6年(1578年)、有岡城(兵庫県伊丹市)荒木村重の説得に赴いた官兵衛が幽閉されてしまった際、家臣から...
国府山城
山陽電鉄の妻鹿駅を降りると、案内板があり、こんもりとした山が見えてきます。市川沿いのこの小山に官兵衛の父・黒田職隆が、国府山(こうやま)城を築き(鎌倉時代末期から南北朝時代に、妻鹿孫三郎長宗(めがまごさぶろうながむね)が築城したとも)、隠居後に住みました。別名、妻鹿城、功山城とも呼ばれています。三木合戦の後に、官兵衛も秀吉に姫路城を明け渡した際、一族や家臣を率いてこの城に移ったといいます。妻鹿駅か...
播磨国総社(射楯兵主神社)
姫路城に向かう前に播磨国総社をお参りしました。姫路駅から郵便局前のバス停を降り、郵便局の方へ向かうとすぐに立派な門が見えて来ます。総社御門こんな看板も神社の境内にある日本料理店です神門正式な神社名は射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)と云い、射楯大神(いたてのおおかみ)と兵主大神(ひょうずのおおかみ)をご祭神としてお祀りしています。播磨国総社は歴代姫路城主の崇敬を受けてきましたが、永禄10年(1567...
官兵衛の父・黒田職隆(2)
永禄7年(1564年)、浦上政宗の息子・浦上清宗に娘の婚姻を嫁がせることになっていましたが、婚礼の当日、赤松政秀の奇襲により、浦上親子共々娘を殺害され、職隆は政秀と対立。永禄10年(1567年)頃、息子の孝高(官兵衛)に家督を譲り、姫路城の南東に位置する妻鹿の国府山城(こうやまじょう)に44歳で隠居。領民からは「筑前さん」と親しまれていました。天正6年(1578年)、有岡城(兵庫県伊丹市)荒木村重の説得に赴いた官兵衛...
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