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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「光る君へ」「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [松永久秀(麒麟がくる) ] 記事一覧

松永久秀(4)松永久秀・久道父子の墓

永禄11年(1568年)、織田信長が、足利義昭を擁立して上洛。信長の上洛に協力した松永久秀は、信長に対して人質と名物といわれる茶器「九十九髪茄子」を差し出し、大和一国を安堵されました。(画像:Wikipediaより)元亀元年(1570年)、三好三人衆が、本願寺や朝倉氏と結んで、義昭幕府包囲網をつくりあげ、義昭は久秀に和睦交渉を命じました。それにより、信長の嫡男・信忠に嫁がせることにしていた久秀の娘を信長の養女として、三...

松永久秀(4) 東大寺大仏殿炎上

永禄10年(1567年)4月11日、三好義継を擁する松永久秀は信貴山城から多聞山城に移動。一方、三好三人衆は大和へ入国、4月18日、三人衆軍と筒井軍は連合軍となって大和へ出陣。約半年にわたる膠着状態の中、10月10日に松永・三好連合軍は三人衆軍の本陣がある東大寺を奇襲。この際、大仏殿、大仏の仏頭、伽監、念仏堂、大菩提院、唐弾院、四聖坊、安楽坊などが焼失、この火災で三人衆軍、池田軍は摂津、山城に退いていきました。東...

松永久秀(3)三好三人衆との対立

永禄8年(1565年)8月2日に松永久秀の弟・長頼が、丹波国人・荻野直正の居城である黒井城を攻撃中に戦死して三好家は丹波国を喪失。悪名高い兄に対して、長頼は、誠実で武勇に優れ、主君の三好長慶から信頼されていたといいます。やがて久秀は畿内の主導権をめぐり三好三人衆と対立するようになります。三好三人衆の岩成友通同年11月16日、三人衆軍は、松永方の城であった飯盛山城を急襲し、長慶の甥で後を継いだ三好義継を高屋城に...

松永久秀(2)三好長慶の死~永禄の変

松永久秀が台頭していく中で、三好長慶は弟の十河一存、三好実休、嫡男・三好義興らが死去し、不幸が重なります。実休は畠山高政との戦いで戦死(久米田の戦い)、一存は落馬または瘡による病死、義興は22歳の若さで病死とされていますが、一存や義興については久秀による暗殺説もあります。長慶は義興の死で心身に異常をきたし、永禄7年(1564年)5月9日、長慶の弟の安宅冬康に嫌疑をかけて自害させ、長慶も後を追うように、7月4...

松永久秀(1)三好政権内での台頭

三好長慶の政権のもとで台頭した松永久秀。通称、松永弾正。その前半生には謎が多く、阿波国・山城国西岡(現在の西京区)・摂津国五百住の土豪出身などの諸説があります。長慶の被官になったのは天文10(1541)年以前と推定され、当初は長慶の右筆として仕えていましたが、弟の長頼とともに軍事面での力を発揮し、勢力を高めていきます。天文11年(1542年)には三好軍の指揮官として、南山城に攻め込んでいき、天文18年(1549年)には、...

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