Category [仁田忠常 ] 記事一覧
三島の仁田忠常兄弟の墓
仁田館は、仁田一族の菩提寺である慶音寺に隣接し、同家邸内には、四郎忠常・五郎忠正・六郎忠時の墓石があり、現在も子孫によって守られています。仁田四郎忠常兄弟の墓六郎忠時(右)、四郎忠常(中央)、五郎忠正(左)仁田忠常頼朝死後は跡を継いだ二代将軍・源頼家に仕えた。引き続き頼家に信頼され、建仁2年(1202年)には忠常の屋敷で小笠懸が催されている。『保暦間記』『北条九代記』は頼家の嫡男・一幡の乳母父となったとする[...
三島の仁田館遺跡
8月21日の回で、仁田忠常殿が退場してしまわれたので、三島の仁田忠常ゆかりの地を再アップします。伊豆箱根鉄道「伊豆仁田駅」から徒歩約5分のところに、函南町仁田館遺跡があります。ここは、源頼朝の旗揚げに尽力した仁田忠常の屋敷跡とされる遺跡です。来光川河川改修による発掘調査では、屋敷の周りの堀や、多くの土器や陶器、こけら経など貴重な遺構や遺物が発見されました。仁田四郎忠常 月岡芳年画「芳年武者无類」仁田忠...
三島の仁田忠常兄弟の墓
仁田館は、仁田一族の菩提寺である慶音寺に隣接し、同家邸内には、四郎忠常・五郎忠正・六郎忠時の墓石があり、現在も子孫によって守られています。仁田四郎忠常兄弟の墓六郎忠時(右)、四郎忠常(中央)、五郎忠正(左)仁田忠常頼朝死後は跡を継いだ二代将軍・源頼家に仕えた。頼家からの信任も厚く、頼家の嫡男一幡の乳母父となっている。建仁3年(1203年)9月2日、頼家が危篤状態に陥り、比企能員の変(比企の乱)が起こると、忠常...
最新コメント