Category [品川弥二郎 ] 記事一覧
萩紀行(63)品川弥二郎誕生地
萩市椿東船津に品川弥二郎誕生地があります。品川弥二郎天保14年(1843年)、長州藩の足軽・品川弥市右衛門の長男として生まれた。安政5年(1858年)、松下村塾に入門し、松陰の死後は高杉晋作らと尊王攘夷運動に奔走し、英国公使館焼き討ち、禁門の変、戊辰の役に参加。明治維新後の明治3年(1870年)ドイツやイギリスに留学。内務大書記官や内務少輔、農商務大輔、駐独公使、宮内省御料局長、枢密顧問官などを歴任。明治17年(18...
錦の御旗製作所跡(山口)
山口市後河原の一の坂川沿いの遊歩道に近いところに、かつて藩の養蚕所がありました。一ツ橋の東袂に錦旗製造所跡の碑が建っています。慶応3年(1867)討幕の勅命が薩長両藩に下り、品川弥二郎らは京都西陣で材料を購入し、山口に持ち帰り、養蚕所の一室で錦の御旗の製作にあたりました。ここで製作された錦の御旗が、明治元年(1868)の鳥羽伏見の戦において官軍の陣頭に立てられました。FC2ブログランキングに参加しています。クリッ...
萩紀行(7)松陰神社 花月楼
松陰神社の境内には、花月楼という茶室があります。安永5年(1776)、7代藩主毛利重就が、江戸千家の元祖川上不白の献上した花月楼の設計図に基づいて三田尻(防府市)の別邸内に建築した茶室。御茶道竹田休和が文化2年(1805)、平安古の自邸内に移し、さらに明治21年(1888)に品川弥二郎が松本橋のたもとの自宅内に移し、昭和34年(1959)に現在地に移築しました。 にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援...
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