Category [織田信秀 ] 記事一覧
織田家の菩提寺・万松寺「織田信秀の供養塔」
名城線上前津駅から徒歩5分ほどのところにある萬松寺は、天文9年(1540年)、織田信長の父・織田信秀により織田氏の菩提寺として那古野城の南側に建立されたのが始まりです。天文21年(1552年)3月3日、病によって死去した信秀は万松寺で盛大な葬儀が行われた後、万松寺の境内に埋葬され、信秀の墓碑が建立されました。織田信秀の供養塔この画像は昔のものです)しかし、老朽化した諸堂を立て直すため、2015年に撤去され、2018年...
大垣城(1)斎藤利政と織田信秀の戦い
大垣城は、1500年(明応9年)に竹腰尚綱によって揖斐川(牛屋川)東河岸にあった牛屋に築かれたとも、1535年(天文4年) に宮川安定が大尻に築いたともいわれ、この当時は、牛屋城と呼ばれていたとされています。天文11年(1542年)、美濃では守護の土岐頼芸と子の頼次が斎藤利政によって尾張国へ追放されてしまいます。一方、織田信秀は、頼芸を支援し、土岐頼純を庇護下に置いていた朝倉孝景と連携、美濃に兵を出し、利政と戦い...
織田信長ゆかりの円徳寺(1)織田塚
一方、こちらの円徳寺にも織田塚があります。前の記事で紹介した霞町の織田塚から歩いて4~5分ほどのところにあります。円徳寺は、上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています。天文16年(1547年)織田信長の父、織田信秀が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三に大敗し、5,000人の戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が、浄泉坊に築かれ、現在も円徳寺境内に安置されています...
最新コメント