Category [黒田官兵衛 ] 記事一覧
備中高松城(1)舟橋~三の丸跡
備中高松城は、天正10(1582)年の高松城水攻めの主戦場となった城趾として有名です。高松城趾公園は、JR吉備線「備中高松駅」から約800メートル、国道180号から徒歩で約10分のところにあり、史跡公園として整備されています。私たちは、駅からレンタサイクルで向かいました。早速史跡らしきものを発見!このような田園風景の中を走って行きます。あっという間に到着!三の丸当時の戦陣図と武将配置見取り図がこのようなモニュメント...
黒田官兵衛最期の時・伏見藩邸跡
黒田官兵衛が最期の時を迎えたという伏見の福岡藩邸の場所は特定されていません。私が訪ねたのはちょうど桜の満開の時期でした。途中には、御宮社や等泉寺があります。住宅地沿いの坂をひたすら歩いて行くと、空き地が見えてきました。このT字路の突き当りがその跡地です。この藩邸は、「豊公伏見城図」などにある「黒田甲斐守(黒田長政)」の邸宅と考えられる絵図にある墨染街道が現存するため、京都市伏見区深草大亀谷敦賀町の...
福岡めぐり(23)黒田家の菩提寺・崇福寺
崇福寺(そうふくじ)は、福岡県福岡市博多区にある黒田家の菩提寺で、かつては寺域も広大で海岸の千代の松原まで続く壮麗な伽藍でしたが、福岡大空襲によりほぼ灰燼に帰してしまいました。山門元々は福岡城の表門でしたが、陸軍の払い下げにより1918年(大正7年)崇福寺境内に移築されました。地蔵堂心宗庵唐門この唐門は名島城から移築されたと伝えられています。藤水門黒田家歴代墓所黒田官兵衛(如水)をはじめ、夫人の光、長...
福岡めぐり(22)福岡城「黒田如水御鷹屋敷跡」
記念櫓二の丸跡三の丸松ノ木坂三の丸跡に牡丹・芍薬園があります。牡丹・芍薬園の真ん中に、「黒田如水御鷹屋敷跡」の碑があります。『黒田官兵衛孝高(如水)「1546-1604」は、戦国時代の武将で、筑前福岡藩の藩祖とされる。はじめ赤松氏の一族で当時姫路の小寺氏に仕えたが、のちに羽柴秀吉に従い、竹中半兵衛とともに秀吉の軍師として重きをなし、中国・四国及び九州の平定後はその軍功により豊前国六郡を封ぜられ、同地に中津城...
福岡めぐり(18)黒田官兵衛・長政父子を祀る光雲神社
福岡の旅の初日の最後に光雲(てるも)神社に向かいました。しかし、一日歩き疲れた最後にここを持ってきたのは間違いでした。一の鳥居が見えてから、坂道をのぼり、さらに西公園の52段の石段を上ります。坂道と階段のダブルはきつい・・・この先に光雲神社があります。でも、どうしてもここは抜くわけにはいきません。ここには官兵衛と長政が祀られているからです。やっと二の鳥居が見えてきました。もう足が笑っています(^_^;)明...
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