Category [明智光秀(どうする家康) ] 記事一覧
大津の西教寺 明智光秀の供養塔と一族の墓
滋賀県大津市坂本の西教寺は、坂本地区の北方にあり、比叡山三塔の一つである横川(よかわ)への登り口に位置しています。総門は、天正年間に明智光秀が坂本城の城門を移築したものと伝えられています。門前には、「明智光秀公と一族の菩提寺」という石柱があります。西教寺は、天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山で、寺伝によると、聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。平安時代...
明智光秀の首塚
東山区梅宮町の「明智光秀の首塚」は、通称「光秀塚」とも呼ばれています。白川沿いを歩いて行くと、白川橋を南に下がった東側に「東梅宮 明智光秀墳」の石碑が見えてきます。ここを入るとすぐ左手に首塚があります。光秀の首は発見した百姓により翌日、村井清三を通じて信孝の元に届き、まず本能寺でさらされ、その後17日に捕まり斬首された斎藤利三の屍とともに京都の粟田口に首と胴をつないでさらされた後、6月24日に両名の首...
明智光秀終焉の地 小栗栖八幡宮~明智藪~本経寺
京都市伏見区小栗栖の明智光秀終焉の地「明智藪」は、地下鉄・醍醐駅から徒歩15分、京阪バス「小栗栖」バス停から5分ほどのところにあります。大通りから一歩入ると、閑静な住宅地に入ります。明智藪に向かうまでに通りかかる小栗栖八幡宮。創建は、貞観4年(862)頃といわれています。「山崎の戦い」の後、ここを拠点とする飯田一党に討たれたとの説があります。「小栗栖八幡宮」創建は、清和天皇の御字武内宿祢末裔紀興道が、貞観4...
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