Category [浅井長政 ] 記事一覧
織田・浅井の元亀の役で焼失した多賀の西徳寺
滋賀県の多賀大社の門前に位置する西徳寺を訪ねました。山門聖武天皇の勅願により、天平八年(736)行基が創設。当初は「山天平寺」と称し、法相宗に属す。天平11年、行基により座像弥陀仏一体、立像二体を彫刻。座像弥陀仏は多賀大社の本地仏に、立像一体は西徳寺の本尊、もう一体は四十九院の本尊に給う。第二世基恩僧都の天平12年には帝により多賀天守社を命じられる。第八世義真大僧都が延暦寺初代座主となり、第十四世静源権大僧...
浅井長政に攻められた久徳城
久徳定高(多賀定高)は、多賀氏一族として京極氏に仕え、長享元年(1487)、合戦における功により現在の犬上郡多賀町久徳の地を賜り、芹川を外堀にした久徳城を築き、久徳を称するようになりました。滋賀県多賀町久徳は、六角氏と浅井氏の係争の地でした。久徳一族は六角氏の庇護を受けていましたが、浅井長政の攻撃を受け、久徳城は永禄3年(1560)に落城。永禄11年(1568)織田信長の上洛に抵抗して六角氏が没落すると、織田氏に属す...
最新コメント