Category [島津重豪 ] 記事一覧
鹿児島の旅(11)天文館跡の碑
島津家第25代当主・島津重豪が、天文観測や研究のため、安永8(1779)年に明時館を建て、4メートル四方の観測台を築きました。明時館は天文館ともいわれ、現在の天文館通りの名もここからきています。藩内の暦はすべてこの明時館から配布され、薩摩暦とか鹿児島暦と言われ、このあたりは、当時、石垣をめぐらした武家屋敷があり、迎賓館にあたる御舂屋、花岡屋敷、日置屋敷などがあったそうです。今では天文館通りは、鹿児島一の繁...
鹿児島の旅(9)造士館・演武館・医学院跡
鹿児島の中央公園の一画に、造士館・演武館・医学院跡の碑があります。薩摩藩は、日本の最南端にあったため、武士の教育が十分でないという心配から、島津家第25代当主・島津重豪は、儒学によって士気を奮い起こそうと考え、安永2(1773)年に藩の学校造士館と武道場の演武館をつくりました。造士館は、江戸にあった幕府の昌平黌をもとにつくられ、山本正誼が初代館長となり、数百名の生徒に、儒学のうち朱子学だけを教えました。...
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