Category [長井雅楽 ] 記事一覧
萩紀行(28)海潮寺の長井雅楽の墓
萩市北古萩町の海潮寺。本堂は、藩校明倫館の遺構である聖廟を明治8(1875)年に移築し、現在もそのまま使われています。海潮寺には、長井雅楽の墓があります。長井雅楽時庸の墓航海遠略策を説き、これが藩是として認められ、公武間を周旋しましたが、藩論が尊攘に転ずる中で、久坂玄瑞や木戸孝允ら尊王攘夷派により、「航海遠略策」に朝廷を誹謗する文言があると弾劾され失脚。藩命により自刃しました。 また、萩の士族救済のため...
萩紀行(21)長井雅楽旧宅跡
萩市土原に長井雅楽旧宅跡があります。長井雅楽(ながい うた)江戸時代末期(幕末)の長州藩士。役職は直目付。一般的な呼び名である雅楽は通称で、諱は時庸(ときつね)。文久元年(1861年)藩が、長井の「航海遠略策」を藩論とし、公武合体策をとったため、尊皇攘夷派の久坂玄瑞をはじめとする松下村塾の門下生と対立。文久2年(1862年)、幕府で公武合体を進めていた老中・安藤信正や久世広周らが坂下門外の変で失脚すると、久...
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