Category [紫式部 ] 記事一覧
千本ゑんま堂 「紫式部の供養塔」
京都市上京区千本通廬山寺上る閻魔前町にある引接寺(いんじょうじ)は、通称千本ゑんま堂と呼ばれています。本尊は閻魔法王。引接とは仏が衆生を浄土に往生させること。その名の通りこの寺は、かつての京都の3大墓地であった化野、鳥辺野、蓮台野(れんだいの)の一つである蓮台野の入口に立っています。あの世とこの世を行き来して、昼は宮中に赴き、夜は閻魔之廰に仕 えたとの伝説を残す小野篁が、この地に自ら閻魔法王の姿を刻...
紫式部・小野篁卿の墓所
京都市北区紫野西御所田(ごしょでん)町に「紫式部・小野篁卿の墓所」があります。なぜこの二人の墓が隣接しているかというと好色な話が多い『源氏物語』を描いた紫式部が、人々を惑わした罪として地獄へ落とされたという噂を耳にした小野篁が、閻魔大王に彼女を地獄から救うようお願いし、助け出した後、自分の墓の隣に埋葬したのではないかといわれています。また、地獄に落ちた紫式部を哀れむ読者が、篁に彼女を助け出して欲し...
大原の三千院(2)
客殿の庭園、聚碧園(しゅうへきえん)は池泉観賞式庭園で、東部は山畔を利用した上下二段式とし、南部は円形とひょうたん形の池泉をむすんだ池庭を形成しています。江戸時代の茶人・金森宗和の作庭と伝えられています。聚碧園の隅にある老木「涙の桜」は、室町時代の歌僧頓阿(とんあ)上人が詠んだ一首に由来し、その桜は西行法師のお手植えとも、頓阿上人の友、陵阿(りょうあ)上人のお手植えとも伝わっています。(三千院HPよ...
紫式部の先祖ゆかりの勧修寺
京都市山科区勧修寺にある勧修寺(かじゅうじ)は、真言宗山階派の大本山の寺院で、皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院でもあります。門跡寺院であり、「山階門跡」とも称します。昌泰3年(900年)、醍醐天皇が、若くして死去した生母藤原胤子の追善のため、胤子の祖父にあたる宮道弥益(みやじいやます)の邸宅跡を寺に改めとされています。胤子の父は、紫式部の先祖にあたる藤原高藤(ふじわらのたかとお)、母は宮道弥益の娘・列子(...
大徳寺 真珠庵の特別公開(3)新調された襖絵
真珠庵の寺宝として、曽我蛇足や長谷川等伯の描いた襖絵がありますが、それらが修復に入ったのを機会に、約400年ぶりに襖絵が新調されました。新しい襖絵は、「釣りバカ日誌」でお馴染みの漫画家 北見けんいち氏、映画監督の山賀(やまが)博之氏、アートディレクターの上国料(かみこくりょう)勇氏、日本画家で僧侶の濱地(はまじ)創宗(そうしゅう)氏、美術家の山口和也氏、イラストレータの伊野孝行氏など、現代作家6名によって描か...
最新コメント