Category [八重の桜 ] 記事一覧
大洞弁財天(長寿院)
龍潭寺の北側、大洞山の中腹に長寿院があります。経蔵長寿院は、大洞弁財天とも呼ばれ、彦根城の鬼門除けとして、1695年(元禄8年)に彦根藩4代藩主・井伊直興の発願により創建されました。楼門楼門からの眺めここから彦根城が見えます。内部から見た楼門弁財天堂(本堂) 直興は、5代将軍・綱吉の頃、日光東照宮建立の総奉行でした。この長寿院弁財天堂は、直興が日光東照宮を修造した大工を使って建てた日光東照宮を思わせる極彩...
玄宮園~槻御殿
玄宮園は、江戸時代には「槻之御庭」と呼ばれていました。玄宮園の名は、古代中国の宮廷の名によって命名されたと考えられています。池を中心に、池中の島や入江に架かる9つの橋などによる回遊式庭園となっています。ここからは、彦根城天守閣を望むことができます。隣接する楽々園は槻御殿と呼ばれ、延宝5年(1677年)、彦根藩4代藩主井伊直興により建立された彦根藩の二の丸御殿で、現在は、庭園部分を玄宮園、御殿部分を楽...
彦根城築城410年祭(5)玄宮園~楽々園
玄宮園は、江戸時代には「槻之御庭」と呼ばれていました。玄宮園の名は、古代中国の宮廷の名によって命名されたと考えられています。池を中心に、池中の島や入江に架かる9つの橋などによる回遊式庭園となっています。ここからは、彦根城天守閣を望むことができます。隣接する楽々園は槻御殿と呼ばれ、延宝5年(1677年)、彦根藩4代藩主井伊直興により建立された彦根藩の二の丸御殿で、現在は、庭園部分を玄宮園、御殿部分を楽...
奥山方広寺(3)山岡鉄舟書六曲屏風
本堂を進んできます。山岡 鉄舟書六曲屏風山岡鉄舟は、幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家。剣・禅・書の達人としても知られる。鉄舟は居士号、他に一楽斎。通称は鉄太郎(鐵太郎、てつたろう)。諱は高歩(たかゆき)。一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。江戸に生まれる。家が武芸を重んじる家だったため、幼少から神陰流、樫原流槍術[1]、北辰一刀流を学び、武術に天賦の才能を示す。浅利義明(中西派一刀流)門下の剣客。明...
七卿落ち(9)朝倉八幡宮
山口市の朝倉八幡宮は、貞観元年(859)宇佐八幡宮から勧請したと伝えられる古社です。湯田へ落ち延びてきた三条実美ら七卿は、尊王攘夷の祈願のためにたびたびここに参拝していました。境内には、三条実美・三条西季知・壬生基修・東久世通禧の歌碑が建っています。七卿歌碑朝倉八幡宮にまうでてゆうたすきかくる祈りはうけよ神わたくしならぬ願なりけり 三条西季知ゆうたすきかけて祈るも一すぢにわがまごころをつくす...
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