Category [佐久間盛政 ] 記事一覧
木之本めぐり(7)大澤寺
黒田家発祥の地・長浜市木之本町黒田の大澤寺は、神亀元年(724年)、行基によって開基された近江西国霊場三十三カ所十番札所の曹洞宗寺院で、十一面千手観世音菩薩を本尊とします。賤ヶ岳の合戦により堂宇は焼失しましたが、本尊は村人により助け出され、その後、菅山寺の中興の法師によって再建されました。階段を上っていくと鐘堂があります。この鐘堂の梵鐘は応永19(1412)年の銘があり、賤ヶ岳の合戦に柴田勝家の家臣・佐久間...
大澤寺の梵鐘
黒田家発祥の地・長浜市木之本町黒田の大澤寺は、神亀元年(724年)、行基によって開基された近江西国霊場三十三カ所十番札所の曹洞宗寺院で、十一面千手観世音菩薩を本尊とします。賤ヶ岳の合戦により堂宇は焼失しましたが、本尊は村人により助け出され、その後、菅山寺の中興の法師によって再建されました。階段を上っていくと鐘堂があります。この鐘堂の梵鐘は応永19(1412)年の銘があり、賤ヶ岳の合戦に柴田勝家の家臣・佐久間...
賤ヶ岳の合戦・美濃大返し
4月16日、織田信孝の再挙兵に対し、秀吉軍は、美濃へ進軍しますが、揖斐川の氾濫により大垣城に入ります。揖斐川大垣城柴田勢は佐久間盛政に攻撃を命じると、大岩山砦を守っていた中川清秀が討死し、秀吉軍は苦戦を強いられます。佐久間盛政官兵衛軍は、盛政の攻撃を撃退。盛政は次に岩崎山の高山右近を攻撃、右近は木ノ本の羽柴秀長の陣所に逃れました。盛政は、「大岩山陥落後は直ちに退却すべし」という柴田勝家の命に背き、賤...
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